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■オープニング本文 それは、朱雀寮生達のある一日の物語。 新年。 職員や寮生達が戻ってきて、朱雀寮は静かな日常を取り戻していた。 始業の日、今年の卒業式は護大派との合戦と、それに基づく事後処理の為、昨年の一月末から一月遅らせるということになったらしい。 卒業式は二月末日。 三年生はその日までに卒業論文を完成させること。 および卒業後の進路を決定することとされている。 教師になりたいと希望を出してきた者は再考を命じられたが、どのような職に就きたいか、何をしたいかその為のアドバイスや援助は惜しまないということだった。 一方二年生には、進級課題の呪術人形の製作骨子を纏め、提出するようにという指示が与えられている。 前回、普通の少女人形か、犬型という提案がなされており、そのどちらを作るか、そして人形にどのような方向性をつけるか、相談の上決定するようにということだ。 軽量型か、重量があっても安定した方がいいか。 攻撃力を重視するか、術の援護を重んじるか、などである。 それを元に専門家が調整を行い、予備知識のない寮生達にも作りやすい形に纏めてくれる。 大事な記念であり、二年時の集大成とも言えるものだから可能な限りみんなで相談して欲しいというのが寮長の指示であった。 それに合わせて委員会の仕事もある。 図書委員会であるなら図書の整理や検討、 調理委員会は新メニューの作成や寮生の食事の準備。 保健委員会は薬草園の見回りや薬の補充確認。 最近、裏町などで悪質な風邪が流行しているとの噂もあり、陰陽寮の知恵と薬草を頼って患者が訪れる可能性もあるだろう。 体育委員会は鍛錬と周辺の見回り。 用具委員会も掃除や新年度に向けた品物の確認など。 やらなければならないことは色々多いようだ。 それに加えて、進級論文の纏めもしなくてはならない。 卒業式までの一月半はなかなか忙しくなりそうである。 でも、忙しいことはいいことなのかもしれない。と誰かはふと考える。 学び舎との別れ、最上級生としての責任。 考えても仕方ない。でもどうしても考えなくてはならない事を、少し考えずにすむのだから。 終わりの時は、もう目の前までやってきている。 これはそんなある日の、平凡な物語である。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / サラターシャ(ib0373) / 雅楽川 陽向(ib3352) / 比良坂 魅緒(ib7222) / 羅刹 祐里(ib7964) / ユイス(ib9655) |
■リプレイ本文 ●日常 穏やかで静かな日常。 当たり前の日々が、不思議に輝いているように思えるのは、冬晴れの空のせいばかりではないだろう。 「朱雀寮で過ごすのも残り僅かなのですね」 空を見ながらサラターシャは呟く。手に持った本を持ち直して 「一日一日を大切にしましょう」 歩き出す。 歩きなれた朱雀寮の道を。 晴れているとはいえ、1月の特に朝方の空気はひんやりと冷たく刺すように手や頬に突き刺さる。 それでも窓を大きく開けて 「さあ! 大掃除! 頑張るで!!」 雅楽川 陽向(ib3352)は腕を捲った。 委員会の活動日。用具委員会の仕事の半分は倉庫の整理と掃除で残りの半分の半分は修理と補修なのだ。 「そうだな。頑張ろう。今日も、お昼過ぎから打ち合わせだろう?」 苦笑しながらも優しく笑う3年生、清心はうん、と頷く陽向と共にとハタキを手に取る。 掃除はまずは高いところから、上から初めて最後は床。 朱雀寮に入るまでは掃除なども殆どしたことが無かったなあ、などと思いながら手際よく掃除をしていく清心は 「あ、清心先輩、清心先輩! 本書こうで、本!」 突然、背後からかけられた陽向の声に思わず 「は?」 首を傾げてしまった。 「ずっと、考えとったんや。 今こそ、その時や。去年一年間に行われた行事と、使った用具をまとめる時が来たねん!」 ああ、と清心は理解する。 今後の為、後輩の為、用具の目録を作ろうという話は前にもあった気がする。 いろいろ忙しくて、つい後回し後回しにしてしまっていたが…。 「いつの行事にどこに倉庫の道具があって、どないなもんを使ったか書いてな…」 「そうだな。やってみようか? 全面的に手伝うよ」 清心は頷いた。 もうじき三年生は卒業だ。自分がここで何をできたかは解らないが、何かを残せるのなら…。 「どういう企画で考えてるんだい? 本のタイトルは? 用具台帳、とかでもいいけど風情がないよなあ〜」 「題名は寮長センセに考えてもらおうな。それと、それとこう、倉庫内の置き場所と道具の姿絵を…姿絵を…」 急にしょんぼりと陽向の声が沈む。しっぽがへにょりと下に垂れていくのは元気のない印である。 「どうしたんだ?」 覗き込む清心の視線の先で陽向の指がのの字を描く。 棚の上の埃に描かれたものはちょっと、微妙な形をしていた。 「え〜っと、それは?」 「壺やねん。そんな難しい形やないのに、なんで歪むんやろ…」 どうも陽向には絵心が無いらしい。 悪いと思いながらも小さく笑うと 「ほら、練習すればいいだろ?」 棚の横の古紙の束を筆と一緒に差し出した。 「それでも上手くいかないようなら、俺が絵を描いて陽向が字を入れればいいんじゃないか? 時間もないしとにかくいろいろやってみよう!」 「うん、そやね」 気持ちを切り替えた陽向は掃除の後、真剣に紙に向かう。 その練習の結果がどうなったかは、ご想像にお任せしよう。 比良坂 魅緒(ib7222)が調理委員会に顔を出した時、台所は熱い湯気に包まれていた。 「冬はね、発酵ものを作るにはいい時期なんだってさ。 腐るより先に食べ物を美味しくする菌が働いて、漬物を美味しくしてくれる」 久しぶりに会う調理委員長はそういって笑っていた。 野菜を煮る甘いにおいが部屋中を包み込む。 「何をしておるのじゃ? 彼方?」 「料理長に頼まれて味噌の仕込み。朱雀寮の味噌は料理長が仕込んでたんだって。 知らなかった?」 笑う彼方に頷いて魅緒は台所を見る。 「これからみんなで作るんだ。魅緒も手伝ってほしいな」 「ああ、それは勿論構わない。何をすればいいのじゃ」 「豆がゆであがったら、それを塩と混ぜて熱いうちに潰す。麹を混ぜて味噌玉作って、難しくはないかもしれないけどけっこう大変だよ」 「解った」 上着を脱ぎ、服の袖を捲り魅緒は彼方の横に入った。 さらりと揺れる銀髪が肩に触れる。 それをほんの少しだけ意識して、彼女は湯気を上げる鍋を見つめていた。 「そろそろ、引継ぎをしないといけないと思うのです」 サラターシャの言葉にはい、とユイス(ib9655)は頷いた。 「そしてユイスはテーブルの上に並べられた本を見る。 新しく作られた書架に並ぶ予定のそれは市販品の本ではなく、陰陽寮や知望院などで集められた手書きのものが多い。 「今回一番に行っておきたいのは書架の整理と新情報の追加・修正です。 護大派のコーナーを設置することにしたいと思います」 そうこれらは地上世界と護大派の資料なのだ。 「元々、多くはありませんが、今後地上世界との交流が進めば、追加修正が増えそうですから」 「解りました」 ユイスは頷き資料を手に取る。 地上世界について、護大派とアヤカシについて、興味は尽きないテーマだ。 今後、陰陽寮にとっても五行にとっても、ひいては天儀世界全てにとってこの情報は重要なものになるだろう。 「午後は人形つくりの打ち合わせがあるのですよね? それまでに一区切りをつけてしまいましょう」 「はい」 「どんな人形にするか。どんな名前を付けるか。よく考えてあげて下さいね。私は参加できなかったので…」 「あ…」 寂しげに笑うサラターシャにユイスは、もう一度はいと頷いた。 そして 「では始めましょう。まずはその本を向こうの本棚に」 図書委員会としての仕事を始めるのだった。 こうして朱雀門を見上げるのは少し久しぶりだ。 「なんだかんだで時間がかかってしまったな」 大きく息を吐き出して羅刹 祐里(ib7964)は呟く。 今年結陣では下町を中心にたちの悪い風邪が流行していた。 祐里はその治療にあたっていたのだ。 「大事なのは予防や感染防止。手洗い、うがいに気を付けて暖かくしていれば風邪はある程度防げる」 「罹ってしまったら暖かくして栄養を取って休むのが一番だよ」 適切な知識を持って処置と感染予防指導を行っていた祐里は流行が落ち着いたのを機に久しぶりに寮へと戻った。 二年生の大切な打ち合わせがあるとも聞いていたからだ。 「さて、行くか」 朱雀門を潜ろうとする祐里。その前をまるで風のように駆け抜ける影があった。 「うわっ!」 何かとぶつかりそうになる気配に後ずさった祐里に 「っと、すまない。大丈夫か?」 そんな声がかかる。 「はい、大丈夫…。あれ、西浦先生?」 いつもと違う、動きやすい服に身を包んだ陰陽寮講師、西浦三郎は祐里を見つけると 「よう! 元気そうだな?」 とサインを切った。その後ろから 「に、西浦先生、ちょ、ちょっと待ってえな…」 息を切らせて走ってくる芦屋 璃凛(ia0303)も同じく祐里を見て 「久しぶり。元気そうやな? 二年生みんな、待ってはるよ」 笑って見せた。 「俺たちはちょっとフィールドワークに行ってくる。じゃあな! 行くぞ璃凛!」 「だから、待ってって!」 走り行く二人を見ながら祐里は小さく笑うと、改めて朱雀門を潜っていった。 ●それぞれの思い 璃凛が入学した時にはもう西浦三郎は陰陽寮の教官であった。 だから、彼が元体育委員会委員長であり、陰陽寮主席であったと聞いてもその「凄さ」は正直理解していなかったのだが一緒にこうして走ってみて始めて「気付く」 璃凛とて志体持ちの陰陽師。 体育委員会として三年を過ごし、そう引けを取らない体力はあるつもりであったが 「先生、待って」 目の前の男はあまりにも規格外であった。 殆ど全力疾走にも思える長距離マラソンについていくのが精いっぱいで、必死に背中を追いかけて走ってどのくらいか。 「よし、休憩するか」 小高い山の見晴らしのいい中腹でそう声をかけられた時、璃凛は思わず大きく息を吐き出していた。 「久しぶりに加減なく走った。よくついてきたな」 「あいがとうございます」 笑って竹筒水筒を差し出す三郎に礼を言ってそれを受け取ると璃凛はふたを開け、喉に通した。 冷たい水が身体に染み込んでいくようである。 「悩んだり、苦しい思いをした時はそんな事を忘れるくらい身体を動かすのが一番だ。 汗と一緒に流れていく」 優しい、三郎の言葉に璃凛は目を閉じ、そして開いた。 「先生、うちには一体どのような進路があるんでしょうか?」 「それは、お前が何をしたいかによるな」 自分を見つめる目に三郎は真っ直ぐに答えを返してくれた。 「うちがやりたいことは、前にも言った通り桃音や、後に続く子らを教えて、師匠のように誰かの成長に一喜一憂したいと何度か思うから」 「陰陽寮の教職につくというのが目的なら卒業後直ぐにというのは私が言うのもなんだが難しい。知望院や封陣院に所属してそののちという形になるだろうな。 ただ…」 「ただ?」 「人に教えたい、誰かを導きたい、と思うのなら方法は色々あるだろう。 寺子屋や塾を開いたり。旅に出るのも一つの手だろう」 「旅? でも、それは逃げじゃ…」 前回三郎に諌められた時のことを思い出す。けれど、璃凛を見つめる三郎の視線は優しさに溢れていた。 「自分自身に目標を持って、あるいは目的を探すための旅ならそれは、逃げじゃないさ。むしろ世界を広げるきっかけだと私は思う。 その旅の中で、お前が師匠と出会ったように誰かにとっての運命となる出会いもあるかもしれないしな…もし…あいつに…」 三郎はそこで言葉を止めて街を見下ろす。 彼が言葉にしない何を思ったかは璃凛には解らない。けれど… 「自分の道を、可能性を自分で狭めるな。お前はどこにでも行けるし、何にでもなれる。 お前自身が諦めず、望みをもってさえいれば」 彼の言葉は心に染み込んだ。 そして、おぼろげながら何かが見えた気がしたのだ。 「ありがとうございます。先生」 璃凛は水筒を差し出して礼を述べた。 「何か。見えたか?」 「解りません。でも…」 その表情は前よりも少し明るく感じる。三郎は璃凛の頭をくしゃくしゃとかき回す。 「よーし、それじゃあ、山頂まで走って行って、それから帰るぞ。帰りは少しピッチを上げるからな」 「ええっ!!」 大きく手をまわして笑うのだった。 同じ頃、二年生の打ち合わせに向かった後輩を見送って後、サラターシャはある場所のドアを叩いていた。 「サラターシャです。失礼していいでしょうか?」 中から返るどうぞの声に彼女は静かに扉を開けて、中に入ると一礼した。 「お忙しい中、失礼します。各務寮長にご相談させて頂きたいです」 「構いませんよ。おかけなさい」 中にいた朱雀寮長 各務 紫郎は仕事の手を止めると彼女に椅子を促した。 「進路のことで改めてご相談に参りました」 「見通しはついたのですか?」 紫郎の問いにサラターシャははい、と頷いた。 「ご指摘を頂き、色々考えました。 私には朱雀寮の教員という肩書きには必要ありません。 教えることを実際に学ぶ事が必要だと思います」 改めて考えてみたのだ。 教える、という事の意味を。 もし、ここに今、10人の子供がいたとする。 彼らの気持ちを引き付け、それぞれ違う考えを持つ子供達に生活習慣や勉強をそれぞれに適した形で教える事が自分にはできるだろうか? 難しいと言わざるを得ない。 1〜2刻一緒に遊ぶのとは訳が違う。 教えるということは相手の身体にそれが知識として刻まれる。 それは良くも悪くも、彼らの今後を左右するだろう。 いくつかの顔を思い出しながらサラターシャは紫郎を見る。 「また、私の目標である施設運営の為の運営の方法も学ばなくてはなりません。 手伝いや助手という形や、もしくは学べる場所を紹介して頂けないでしょうか」 真剣で、真っ直ぐな意思。 彼女に教わり、導かれるものはきっと幸せだろうと思いながら 「解りました。いくつかの場所を紹介しましょう。 知望院も含めて。 貴女ならそこでいろいろな事を学べるはずです」 「ありがとうございます」 紙にいくつかの名前と連絡先を記入する紫郎をサラターシャはその意思と同じ真っ直ぐな視線で見つめていた。 ●一つの形 前と同じ部屋に二年生達は今日も集まっていた。 「前」は昨年末の打ち合わせの時。 違うのは、前回より一人増えていること、だろうか? 「今日は揃ってよかったな」 全員ではないけれど。 そんな言葉と思いを飲お茶と一緒にみ込みながら 「人形作りか。どんなものがよいかのぅ。残る時間も短くなった大切にしていかねばな」 彼らは、寮長から指示されていた相談を始める。 課題は進級製作の呪術人形の製作骨子を決める事。 「人形の形? なんに決まってもええよ、うちの希望は前回言うたし」 陽向の言葉にユイスは頷いた。 「犬か少女人形か、って話だったよね。陽向君がいいと言ってくれるなら、僕はやはり少女タイプにしたいと思う」 「少女人形か…よいのではないか? 基本に忠実、ということじゃな。少女人形を私も賛成しよう。 …祐里はどう思う?」 魅緒に問われ、祐里はハッと顔を上げた。 話し合いの最初から押し黙っていたからだろうか。 「意見があるなら言った方がええと思うで」 心配そうに陽向が声と背中を押す。 そして彼は 「…魚」 小さくそう囁いたのだ。 「魚?」 問い返すユイスに頷いた祐里は 「我は…太極図にも描かれている魚が良いと思う。脊椎動物の祖ともいえる存在だから…」 静かに話し出す。 「形に関してはどの様な物にしても良い。 モビールのような糸で吊す物でも、差し金を用いる様なモノ、素朴な木製の人形でも構わない。 漂着硝子を使うのも良いかもしれない。 他にはないものになるんじゃないかと思ったんだ…。 重視するのは行動力。いつか龍のように羽ばたけるように、な…」 祐里の想いを受け止めつつ三人はさて、と顔を見合わせる。 魚の人形というのは、使いどころが難しいように思える。可動性なども…どうだろうか? 「皆を迷わせる様ならば取り下げる。そもそも、前回欠席してしまった俺には意見を通す資格はないと思っているからな」 「いや、別にそれはいいんだけど。意見は色々出し合うべきだと思うからね。 最終的には寮長が決定するとも言っていたし」 自嘲するような祐里の言葉を打ち消すようにユイスは手を振る。 「ただ、今回与えられた課題は普通の少女人形か、犬型という提案がなされており、そのどちらを作るか、そして人形にどのような方向性をつけるか、相談の上決定するようにということだと思うんだ。 だから、今から新しい提案をしても受け入れて貰えるかどうかは解らないと思う」 ユイスの言葉に祐里も頷く。 「そうじゃの」 と筆記用具を取り出しなおしたのは魅緒だ。 「では、いろいろと意見を出し合っていこうではないか。それを書き止め提出。 最終的な判断を寮長に任せるとしよう」 今度は全員が頷いた。時間はもうあまりないのだ。 正直、こうしている時間も惜しい。 「うちはな、方向性は、術の援護に重きをおいてもええかなとは思っとる。 一年の符はごっつう重めやから違う方向性にしたらどうや?」 と陽向が提案すれば 「妾は好みとしては安定形で術をじっくりとしたいところじゃ」 と魅緒も応える。 「僕は重量があっても安定した力をもち、陰陽師としての基本である術の援護を重んじる事を希望。 大事だからこそ基本で…」 「そうなると知覚重視の安定型ということになるかな?」 忌憚のない意見が交わされて、彼らが時間に気付いたのは日もすっかり落ちてからの事であった。 ●ぬくもりの先 「さて、夕飯に行こうぞ!」 魅緒は打ち合わせが終わった仲間達の手を引いて、食堂へ導いた。 夕刻、刺すように冷たくなってきた空気の中、突然、ふんわりとしたぬくもりが彼らを包んだ。 「今日の夕飯はの…」 「野菜が煮える匂いやね。あとは練り物…」 廊下に漂う優しい香りに鼻を動かす陽向。 「流石じゃの。おーい、彼方。皆を連れてきたぞ」 それは扉を開けるとよりはっきりとした形となって彼らの鼻孔と食欲を擽る。 「今日の夕飯はおでんだよ。みんな好きなものを好きにとって」 テーブルの上に置かれた小型の七輪の上で大きな土鍋がくつくつと音を立てていた。 大根、卵、ちくわ、はんぺん、昆布に餅巾着、タコ、牛スジ、ちくわぶ。 薬味はからしに、ゆず味噌、手作りの味噌など数種類が用意されている。 金色に輝くスープの中に踊る具を見ていると、 ぐううう〜〜。 誰かのお腹が食欲を主張しはじめる。 「い、いただきます!!!」 一年生達はそれぞれ、自分の小皿に好みのおでん種を盛り始めた。 「うん、美味しい。味がしっかり大根に染みててじゅわっとくるわ」 「調理委員会謹製じゃからな、近いうちにこの大根で漬けた漬物もできる。 のお、陽向。彼方漬と朱雀漬どちらがいいと思う?」 幸せそうな陽向に少し自慢げに胸を張る魅緒。 「魅緒!」 給仕する彼方の赤い頬は湯気のせいか赤く染まっている。 祐里やユイスも楽しげに笑っておでんを頬張っていた。 「…いかがですか? サラターシャさん」 その輪から少し離れたところで食事をするサラターシャに彼方は声をかけた。 お茶と一緒に。 「美味しいですよ。鍋物というのはいいですね。身体と心が温まるようです」 ニッコリと微笑むサラターシャに 「そういって頂けると嬉しいです」 礼を言うと少し迷ったように問いかけた。 「…サラターシャさんは進路が決まったんですか? 聞いたら、失礼でしょうか?」 護大派の少年の気遣いに 「いいえ。寮長と相談の結果、知望院を希望、試験を受けさせて頂くこととなりました。タケル様の封印を説く研究を続ける必要がありますし、施設の継続的な運営には後見や情報が必要ですから」 首を横に振って彼女は応える。 「それじゃあ、まだこれからも会えるでしょうか…」 ふと聞き落としそうな小さな声がサラターシャの耳に届く。 その声に答えを返すより早く、彼方はその場を離れてしまった。 彼は地上世界に帰り、護大派の仲間と地上世界の為に働くつもりだと、いつか聞いたことを思い出す。 住む世界が違うと、これも彼がいつか言った言葉。 でも、サラターシャは微笑む。 「ええ。勿論」 と。 賑やかな食堂の様子を外から伺う一つの影。 「中に入ってくりゃあいいのに」 その背中にもう少し大きな影が落ちる。 肩越しに振りかえったところにいるのは 「清心…」 鍋を持った同級生だった。 「三郎先生と走ってきて疲れてるんだろ? 食堂で温まっていけばいいのに」 「あ、うん。でも、あの楽しそうな中に入ったら悪いから…」 小さく肩を竦めた清心は 「ほら」 と璃凛の手に小鍋を押し付ける。 「だったらそれ持っていけよ。あ、鍋は調理委員会のだから後で返してやれな」 中にはまだ湯気の上がるおでんが入っていた。 「ありがとな。清心」 璃凛が礼を言うより早く清心は背を向けてしまった。 食堂に戻るのであろう彼の背に 「あのな! うち、進路決めた」 璃凛は声をかけた。 清心の足が止まり、振り返る。 「最初は用務員とかとして留まろうとも、思ったんや。でも…」 彼の視線から逃げずに璃凛は向かい合った。 そして、伝える。 自分の思いを。 「教師を諦めるつもりは、無い。けど、まだまだ力不足や。 だから、見聞を広げるために地上世界へ調査の旅に出る! そう決めたんや。 大切なことは朱雀寮にとどまることではなく全く別の環境に身を置くこと。 その中で自分自身が、見失ってしまった物を取り戻そうと…。 「旅に出ても、人を教えることは出来る。 成長の見られない未熟な物はまだ、大いに悩み、大いに苦しむべき」 「また、そういう事を言う」 ちょっと呆れたように苦笑しながらも清心は 「でもそれなら、大丈夫だな」 楽しげに璃凛に笑いかけた。 「地上世界には彼方もいるし、俺も行く。 お前が困った時は助けに行けるってことさ。 一人だなんて思うなよ。俺達は仲間なんだから…」 当たり前に穏やかで静かな夜が更けていく。 ぬくりの先の未来へ向けて。 |