【黎明】彼方の地平【彼方】
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/12/12 13:44



■オープニング本文

●夢のあと
 護大を巡る戦いは終わった。
 夢見るものは他者を知り、護大であることをやめた。
 世界は変わった――そう感じた者たちは多くは無い。それは当然だろう。目に見える変化は小さなものだからだ。
 アヤカシや魔の森が消えた訳ではないし、街をうろつく悪党が一掃されるでもない。お祭り騒ぎをしていたギルドも、業務を放って遊んではいられないし、事件も知らずに過ごしていた人々には、変わらぬ普段どおりの日常が続くのだ。
 それでも、世界は変わった。
 かつて護大と呼ばれた存在、護大派が神と呼んだ存在の占有物であった世界は、人の――いや、人だけではない。この世に存在するあらゆる者たちの手へと移ったのだから。
 神話の時代は終わり、英雄の時代は過ぎ行き、それらはやがて伝説となる。伝説を越えて命は繋がり、記憶は語り継がれて物語を紡ぐだろう。それがどこへ向かっているのかはわからない。だがそれでも、物語は幸福な結末によって締めくくられるものと相場が決まっている。
 夢が終わっても冒険は続く。
 さあ、物語を始めよう。



 その瞬間、世界は大きく変化した。
 それに気づいた者は決して多くは無かったけれど…。
 ある者は空を仰ぎ、ある者は涙にくれた。
 地上で、天儀で…。
「…我らの役目は終わったのか…。まさか、このような事になろうとは…な」
『ご主人様…』
「帰るぞ。雪名。地上世界へ…」
『彼方様は、どうなさるおつもりですか?』
「無論、連れ帰る。もはや我らがこの世界に残る理由は無いのだからな」
 それから数日後、一人の少年が天儀世界から消えた…。
 まるで、最初からいなかったかのように。

 飛び込んできた少年を見て、ギルドの係員は目を見開いた。
「だ、誰か、力を貸してくれ!」
 その少年の憔悴と状況がただ事ではないと思えたからだ。
「どうしたんだ? 一体? 大丈夫なのか?」
 服は獣の爪に引き裂かれたかのようにボロボロ。その下には傷も見える。
 目は数日寝ていないかのように血走り、疲労困憊が簡単に見てとれた。
 今、この場で倒れても仕方ないと思われるその姿を心配するギルドの係員の手を断り、少年は集まっている開拓者達に呼びかけた。
「彼方が…友達が連れていかれたんだ…! 地上世界に」
「えっ??」
 驚く係員や開拓者に陰陽寮、朱雀の寮生 清心と名乗った少年は拳を握りしめて語りだす。
 忘れもしない、それは朱雀寮の卒業試験が終わって数日が過ぎようとしたある日の事だ。

「これ、どういう事ですか?」
「解らないのよ。だから清心君に聞きたくて…」
 差し出された手紙に清心は驚愕の声も出なかった。
 それは下宿の契約解除の書類と朱雀寮の退学届であった。
「この間、久しぶりに彼方君が帰って来たのよ。
 そしたら、それを待っていたみたいに雪名って女の人が来て、彼方君と話して…気が付いたらそれだけ部屋に残していなくなってしまったの」
 下宿の大家である女性はそう告げた。
 見れば彼方の部屋は既に全ての荷物が処分され、人が住んでいた痕跡さえ感じられなくなっていた。
「そんな馬鹿な事って!」
 清心は書類を握りしめる。せっかく朱雀寮の卒業試験が終わり、卒業が決まったというのに何故ここで退学する必要があるのだ!
「俺、山に行って彼方を連れ戻してきます!」
 彼方とその師匠が住む山の中に向かった清心はそこで信じられないモノを見ることになった。
 山頂で清心を出迎えたのは驚く程に変わった姿の親友であったのだ。
「彼方…一体、どうしたんだよ!」
 黒髪は銀に変わり、額には眼のようなモノが開いていた。かつての彼を思わせるのは暗く沈んだ紫の瞳だけだった。
 なにより変わっていたのは纏う空気、いや瘴気だ。
 人間のそれとは明らかに異質な瘴気と衣服に身を包んだ彼は、アヤカシ達をその背後に従えて立っていた。
「…本来の姿と記憶を取り戻しただけだよ。
 僕は…彼方。誇り高き護大派が一人」
「彼方!? 何を言ってるんだ?」
 感情を消し去ったような声で告げる彼方に清心は駆け寄ろうとした。
「我らは地上の情報を集める為に使わされた護大派。これの役目は地上に適合し、人の心や知識、天儀のアヤカシらを調べること…」
 だが、その前に獣アヤカシ達と、彼方の師匠、桂名が立ちふさがった。
 彼方の背後には大人の姿を持つ人妖 雪名が寄り添う。
「護大が消え去り、世界は変わる。
 儀界を監視し、正しい世界に導くという古くからの使命が意味を失った以上、我らがここに留まる理由は無い。
 故に戻る。地上世界へ…な」
「馬鹿な! 彼方はもうすぐ朱雀寮を卒業するのに!」
「儀界に余計な未練が残る前に戻るがこれの為でもある。我らと天儀人とは所詮住む世界、いや生きる世界が違うのだ」
 パチリと桂名が鳴らす指の音と共にアヤカシたちは清心を抑え込む。
「彼方! お前はそれでいいのかよ!」
 その力に抗う様に清心は声を上げる。
 だが応えたのは…彼方の悲しげな眼差しだった。
「…僕は、思い出したんだ。
 瘴気に満ちた薄暗い大地。毒の植物を食み、使命を守る為に生きて来た。
 輝かしい儀とは違い過ぎるけど…。それでも僕はそこで生まれた。
 忘れて、安穏と生きていたけれど、思い出した以上故郷を…仲間を、捨てることはできない。
 お師匠様の言うとおり、僕達は…生きる世界が違うんだ…」
 紫の瞳に輝いた雫と、振り返った親友の背が清心が意識を失う寸前、最後に見たモノ。
「さよなら。楽しかったと…大好きだったとそれだけ伝えて」
 彼が再び気付いた時、そこにはまるで最初から誰もいなかったかのように全てが消えうせていた…。

 朱雀寮に確認をとったところ、朱雀寮にも直接彼方からの退学届けが届けられていたという。
 それにはもし可能であるなら自分の代わりに卒業試験に加われなかった友に機会を与えて欲しいとも添えられていた。
 開拓者の地上世界侵攻の際、開拓者が接触したのはいわば迎撃にあたった兵士達だ。
 そして天儀には情報収集の為に潜んでいた護大派が少なからずいたらしい。
 ある者は自暴自棄になり儀界で自爆に近い動きをし、ある者達は密かに地上世界に戻ったようだ。
 彼方達のように。
「護大は消えたんだ。護大派だって、もう地上に縛られなくたっていい筈だ!
 俺は彼方を連れ戻しに地上に行きたい! 誰か、力を貸してくれないか!」
 清心は涙ながらにそう告げる。
 地上世界にはまだ数千の護大派が残っているという情報がある。
 瘴気に満ちた地上で護大派達はどう生きてきたのだろうか。
 そして護大の消滅を、世界の変化をどう思っているのだろうか。
 これは、少年を探す依頼であるとと共に、戦場ではない地上世界と、その世界に生きる人々を知る為の依頼でもあった。

 何も語らず薄暗闇に少年は消えた。
 彼と彼を飲み込んだ地上世界をまだ、開拓者達は何も知らない…。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 劫光(ia9510) / サラターシャ(ib0373) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 成田 光紀(ib1846


■リプレイ本文

●灰色の地平
 そこは果てしなく広い灰色の世界。
 太陽も見えないこの世界で友はどんな思いで生きて来たのだろうか。

 天儀と開拓者ギルドの総力を挙げた戦いからまもなく一月が過ぎようと言うある日。
 彼らは許可を得て地上世界にやってきていた。
 目的は一人の少年を探す為。
 そして、地上世界の今を確かめる為、だ。
「ふむ、世界はまだ、十分に広いようだな」
 灰色の砂漠の広がる地上を見やり成田 光紀(ib1846)はそう微笑した。
「おや君も来てたか」
 无(ib1198)は同行者の中に同寮生を見つけ声をかける。
 今回の依頼人が朱雀寮生であることもあり、依頼を受けた開拓者の全員が陰陽寮関係者であり、多くが朱雀寮関係者だった。
「俺は単に地上世界とやらを見物に来たものでな。所謂散歩であるが…」
 そう言いながら光紀は朱雀寮生達と、そして広がる地上世界を見た。
「この地上にも矢張り人がいるものか…ふむ、接する点において一般人と変わり無いが、違いがあるとすれば、把握はしておくべきだろう」
「変わりないと思うのかね?」
 足元の尾無狐ナイをみやりながら无が問う。
「朱雀寮にいた事に気づかれぬのだ。世に潜んでいた者も少なくないと聞くし儀の人間とそう変わり無い事は想像がつく」
「やはり生きるという点では変わらないね」
「だが、心や思いと言うのはそれでも人それぞれだ。地上でも天儀でも変わらぬ。だから知らねばならぬ」
「確かに…」
 広がる地上世界。そこにいる人々。
 知らなければ何も始まらない。
「それに、彼らは『解って』いる筈なのだ。我々などよりな」
 肩を竦め光紀は
「何、知らぬ顔ではない。朱雀の連中が何をしに行くのか見るのもよかろう。
 さて、行こうか。まだ見ぬ世界とやらへ」
 静かに笑い前を見つめるのだった。

「ここが古代人の都…」
 墓所と呼ばれる巨大な建造物を前に依頼人である朱雀寮の陰陽師 清心は息を呑み込んだ。
 地上世界は始めてでは無い。
 卒業試験である意味ここより過酷な場所で戦った事さえある。
 けれど、合戦に参加したわけでは無い彼にとって古代人、いや、護大派の首都無明は始めて訪れる場所であったのだ。
 この地のどこかにいる親友を連れ戻す為とはいえ、一人では来られなかった。
「来い、清心。連れていってやる」 
 そう手を差し伸べてくれた劫光(ia9510)に心から感謝しながらも彼は正直、足が震えるのを押さえることができなかったのだ。
 そんな清心の肩をぽんと、誰かが叩く。
「少しだけ同窓会みたいなりねっ! …なんて」
「一応、武器の手入れはしてきたなりよ。少しばかりサボってたなりからねぇ〜。にはは」
「…先輩」
 年下の先輩平野 譲治(ia5226)の笑顔を見ているうちに清心は足の震えが止まっていることに気付いた。
「勿論、武器を使う事なんてなければそれに越したことはないなりがね」
「清心さん…」
 静かにサラターシャ(ib0373)も呼びかける。
「私は、彼方さんを無理に連れ戻そうとは思いません。退寮も…彼方さんの意思なら尊重します。でも…それは彼の意思で、彼の言葉で聞いてからです」
 いつも皆を支え、励まし続けて来た優しい笑顔で。
「彼はまだ、本当の気持ちを伝えてはいません。まだ、選んでもいません。だから、確かめに行きましょう」
「…うん、ありがとう…」
 もう清心は震えてはいなかったし、怯えてもいなかった。
「まあ、私は連れ戻したいんだけど…ね」
「…彼の決意は固いみたい…だね。でも、そう思うなら…ちゃんと伝えないと」
 瀬崎 静乃(ia4468)の言葉に真名(ib1222)は、うん、と頷く。
 まずはちゃんと話さなくてはならない。
 顔を見て…自分の気持ちを、思いを…。
「そこから先が無明だ。俺達も詳しく知っている訳じゃない。…行くぞ」
 劫光は清心を、芦屋 璃凛(ia0303)やサラターシャ、後輩達を、そして仲間達を見ると先頭に立って歩き出した。
 地上世界を生きる護大派の都へと…。

●無明
 無明、明かりの無い場所とはよく言ったものだ。
 薄暗い建物の中は殆ど明かりも無く、かといって暗い訳でもなく、灰色の空間と建物が続いていた。
 人の気配がない訳では無い。でも、全くと言っていい程、その姿を見ることは叶わなかった。
 建物の中に籠り、密かにこちらを伺っているのだろう。
 それがうかがい知れるのみだ。
「…なんだか、息苦しい所ね」
 真名は無意識に心臓の上でぎゅっと手を握り締めた。
 こんな、まるで修道院のような、楽しみと生きる喜びを廃した場所で、護大派達は生きて来たのだと思うと明るい気持ちではいられなかった、のだ。
 …陰陽寮生達はここに降りる前、寮長から天儀と護大派が和平条約を締結したと言う話を知らされていた。
 それは護大派に対しこれ以上強硬な態度をとる必要は無いと天儀各国が同意したからである。
 加えて最長老など主戦派の多くが戦いの中でその命を落したということも早急な和平成立の大きな理由となった。
 生き残った者の多くは女、子供などの非戦闘員。
 彼らを残された一部の司祭などが生き残った者達を纏めて、かろうじて体制を維持している状態で剣を掲げ続けるのは弱い者いじめと言われても仕方ないだろう。
 締結された和平の基本的な内容は
「お互いに今後敵対行動は取らない」
「首都「無明」とその周辺は護大派の領土として儀世界は干渉しない」
「極一部を除いて捕虜は解放する」
「お互いに損害の補填などは行わない」
 儀世界は地上世界に生きる彼らを尊重する。という表明でもあった。
「彼方達が地上世界に戻ったのもその条約に基づいてのことかもしれないけど…!?」
 ふと、真名が足を止めた。
「どうしたなりか?」
 問う譲治に真名は言葉では答えず、道を曲がり一軒の建物の前に立った。
 トントンと扉を軽くノックして
「ごめんなさい。失礼するわ?」
 声をかけて扉を開ける。
「ひっ!!」
 中には数人の子供と、それを守るように抱きしめる女性がいた。
「驚かせたのなら許して。貴方達に危害を加えるつもりは無いの」
「…僕達は、彼方って少年の行方を知りたいだけ、知らない?」
 柔らかく笑いかける真名と、淡々と告げる静乃。
 怯えた様子の護大派と思われる者達は「彼方」と言う名前に小さく反応する。
「…彼方兄ちゃんの…知り合い?」
 問いかける子供にうんと静乃は頷いた。
「……友達。探しに来たんだ…」
「彼を…友達…と?」
 確認するように問う女性に今度は真名がうんと頷き机の上に置かれた皿にそっと手を伸ばしたのだった。
 真名が足を止めた理由。
 それは料理の匂い、だった。
 机の上に置かれていたのは野菜の炒め物と、スープ。
 ありふれた料理とも言えない料理である。
 しかし、間違いなく天儀の技法で料理されており、一面の灰色のこの世界に僅かな色を置いている様に思えた。
 スープの残りにちょっとだけ小指をつけ真名はそれを舐めてみる。
 そして住人達に問いかけた。
「これを、作ったのは…彼方、ね?」
 味は酷いものである。
 調理の手順以前、素材が悪すぎる、というかどう考えても「人」の食べるものではないのだ。
 でも、以前ギルドで聞いたことがあった。
 地上世界で育つのは天儀世界で言うなら魔の森の瘴気植物。
 護大派はそれのみを食べて生きて来たのだと。
「彼方さんはもしかしたら、地上世界の仲間に美味しい食べ物を伝えたいのかもしれません」
 サラターシャは微笑むと、護大派の前の皿に樹糖とオータムクッキーを並べた。
「良かったら、召し上がりませんか? 天儀のお菓子なのですが…」
 まだ、遠巻きにこちらを見る護大派達の前で
「サラターシャ。おいらも貰っていいなりか? …ほら、けっこう天儀の食べ物も美味しいなりよ」
 譲治はクッキーをもぐもぐと食べて見せる。
「美味しいはきっと万国共通なのだ。おいら達の事をもっと知って欲しいし、皆の事ももっと知りたいなりよ」
 無邪気な笑顔の譲治、そして人形を操っておどけて見せる璃凛に気が付けば護大派達の警戒は雪の様に溶けて消えていた。
「彼方兄ちゃんなら、町の外に行ったよ。誰かに会いに行くって」
「誰かと会えないから、とか、わかんないことも言ってた」
 子供達の素直な答えは開拓者達に彼方の居場所のヒントを与えてくれた。
「ありがとう」
 真名は子供達と視線を合わせてお礼を言う。
「…私達は、正直に申し上げますとまだ、貴方方開拓者、そして天儀人に対して素直にはなれません。
 貴方方と、我々は、違い過ぎますから…」
 子供達の、もしかしたら母なのだろう。
 女性は深くお辞儀をし、寮生達に告げる。
「もう少し、時間を下さい。お願いします…」
 彼女の言葉に部屋を出て、外に戻った寮生達。
 中からは子供達の歓声にも似た声が聞こえてきた。
「ふむ、やはり天儀の人間とあまり変わりはないようだね」
 光紀の呟きに无も朱雀寮生達も頷きあう。
 さっきの女性は違いすぎると言った。
 けれど彼等はアヤカシではない。
 モノを食べ、恐れ、悲しみ、泣き、笑う生き物なのだ。
「…よし、行こう」
 一度だけ目を伏せた劫光に何人かが首を傾げる。
「どこへ?」
「さっきの子達がヒントをくれた。彼方は、俺達の気配を察して逃げたのかもしれない。
 でも、この世界に戻ってきたばかりの彼方が「会いに行ける」相手はそう多くないだろう」
「あ…もしかしたら、先輩。あそこに?」
 璃凛の言葉に劫光は頷いた。その可能性はあるだろう。と。
 そして彼らは歩を進める。
 無明を出て目的の場所へ。
 あそこ、つまりうち捨てられた護大派の都と、そこに封じられた神代の元へと…。

●差し伸べられた手
 陰陽寮の卒業試験の時にやってきた護大派の禁地。
 護大派にとって裏切り者である神代が封じられ、廃墟となった高い塔の上で彼方は空と大地を見つめていた。
 分厚い雲に覆われた灰色の空と瘴気の森。
 今は時折日も射し、昼と夜の区別もつくようになった地上世界であるが、それでもこれが、彼方にとっての故郷の空と大地である。
「神代様…天儀って空も、大地も眩しいくらいに光と色が溢れてるんです」
 側に佇む神代の陰に呼びかけてこそいるが、独り言のように彼方は呟く。
 紺碧の青空に浮かぶ眩しい太陽。
 銀の糸のような雨。白い綿のような雪、天へ誘う梯子のような虹。
 見るもの全てが美しく、眩しかった。
「お師匠様は僕の記憶と姿を封じて、護大派が地上世界になじめるかどうか、調べていたんだと思います。
 もしかしたら僕の目や時折やってきた雪名を通じて、天儀の情報を調べていたのかもしれませんけど…」
 少年は目を伏せる。眩しかったのは世界、だけではない。
「開拓者と出会い、人々とふれあい、たくさんの事を教えて貰いました。
 毎日が本当に幸せで、綺麗で、…楽しくて、夢中になりました。
 記憶を封じられていた時は勿論、取り戻した今も、古の時代、人々がこの地上から天儀へ移って行ったのは無理もないと、思ってしまう程に…」
 神代の陰は護大派の少年の言葉を黙って聞く。
 この地上に護大派として生まれた時から、彼らは瘴気に沈んだこの世界こそが「自然で正しい世界だ」と教えられて育つ。
 世界そのものである護大が作り出した世界が『是』であり、これに抗って自分たちの望む自然や世界を手に入れる、作り出すことは絶対の存在である護大への冒涜であるのだと。
 天儀世界は不自然な間違った世界。
 彼らに真実を知らせ、正しい道へと導く事こそが選ばれた護大派の使命だとそれこそ数千年の間信じ続けてきたのだ。
『彼』自身は神代の力で真実に近いところに辿り着き…だからこそ、仲間達に封じられてしまったわけだが…。
「僕は…どうしたらいいんでしょうか?
 天儀が、あの世界が、そこに住む人たちが大好きです。
 でも、思い出してしまえば地上世界も、故郷も捨てきれない。
 それに、結果として彼らを騙していた。許してもらえるはずもないし、顔向けができません」
 今にも泣き出しそうな顔を空に向ける少年に、もし人の姿をとっていたら神代の陰は息を吐き出すような仕草で声をかけた。
 故郷と仲間。
 取り戻し、身体に染み込んだ数千年の一族の意思と、天儀世界での生活に彼は板挟みになっているのだ。
 それは、建設的な事であるとは思えない。
 だが、陰である自分に言えることはそう多くないだろう。
(闇の奥に沈む彼を救ってやれるのは…)
 神代の陰は後ろを振り向いた。少し前から気付いていたことがある。
 どうやら、もうすぐそこまで来ているようだ。
『ならば、自分で聞いてみるがいい…』
「えっ?」
 少年が振り向いたその瞬間、扉が開く。
「彼方!!」
「みんな…」
 そこには彼の愛する友が、仲間達が立っていた。

 時間が僅かに戻った塔の前。
「久しぶりだな、桂名」
 劫光はかつてこの遺跡を調査した時、門番の獣がいた場所に立つ女性に万感の思いで声をかけた。
 彼方の『師匠』桂名である。
 山奥でアヤカシや瘴気の研究を続けていた人嫌いの陰陽師。
 劫光が彼女と、彼方と最初に出会ったのはもう今から五年近く前になる。
 彼方が陰陽寮に入るずっと前の事だ。
「あんたの使う式や、人妖は特別製だな、とは思ってたんだ。まさか、古代人であったとはな…」
「古代人などと天儀人の勝手な呼び名で呼ぶでない。我らは誇り高き護大派。
 その使命は誤った世界に生きる愚かな者達を正しき道へと導く事。
 …という言葉ももはや空しきものであるが、な」
 自嘲するように小さく笑う桂名は周囲の式、原アヤカシ達を従えて告げる。
「お前達は疾く帰るがいい。自分達の世界へ。
 我らには構うな」
「そうはいかない! 俺は、彼方を連れて帰るんだ!」
 清心の答えを桂名は無表情で切って捨てる。
「言った筈だ。我らとお前達は生きる世界が違うと。この地上世界こそが我らが生きる大地…」
「それは…その通りなのでしょう。でも、護大は消失し、世界は世界であることを止めました。
 もはや、地上世界に縛られる必要もないのでは…?」
 サラターシャの問いに桂名は目を伏せる。
「そうは解っていても、人の心は簡単では無い。何千年と信じて来たものをそう簡単に捨てられるものか…」
「何故、捨てる必要がある?」
 自分に言い聞かせる様な桂名の仕草に光紀は肩を竦めて見せた。
「自らで選べばいい。地上に生きようと、儀に生きようと我らは変わらぬ「ヒト」だ。
 自由を持つ生き物だ。大切なものを持って、何処へなりと、好きに歩いて行けば良かろう」
 その言葉に桂名は目を瞬かせる。
「…我らが自らで選べと? 自らの、生きる道を…」
「だって、同じだもの。外見は多少違っているかもしれないけど、彼方は普通に食べて、飲んで私達と同じ生活をしていた。できた。護大派だって人として生きられるってことでしょう?」
 真名は思い出しながら告げる。
 楽しげに料理をし、天儀の野菜に興味を持ち、共に生きてきた後輩の心からの笑顔を…。
 唸りを上げるアヤカシ達に怯まず、劫光は一歩、さらに一歩を進み出る。
 そして…護大を倒した時に浮かんだ神代の痣に触れ、叫んだ。
「大切なのは意思と心意気だ。それはこんなものなど無くても人と人を繋ぐ確かなカギだ!」
「護大を、信じ生きてきた我らに意味は無かったといいたいのか?」
「違う! それに護大に意味があったというなら、無くした今こそその意味が問われると知れ!」
 気が付けば、アヤカシ達は横に退いていた。塔への道に立ちはだかるのは今は桂名だけだ。
 その桂名も、俯き手を握り締めている。
「彼方は、きっと塔の上にいるだろう。行くぞ」
 劫光の言葉に寮生達は先に進む。
 アヤカシ達もそれを阻もうとはしなかった。
 全員が先に進んだのを確かめて、劫光も桂名の横をすり抜ける。
「長年信じて来たものをそう簡単に捨てられないってのは解る。でもな…せめて自分の未来は自分で選ばせてやれよ。それが親ってもんだ」
 そうすれ違いざま、囁く様に語りかけて。
 師匠と名乗っているが、桂名は彼方の母親なのではないか。そんな思いは口にせず劫光は塔を上る。
 桂名は身動き一つせず、振り返ることもせずただ、立ち尽くしていた。

「彼方!」
 最上階の扉を開け、見つけた人物にそう呼びかけたのは真名だった。
 色素の抜けた銀の髪、天儀にいた時の彼方とだいぶ印象は変わっているが、そこにいたのは間違いなく彼らの知る少年『彼方』であった。
「みんな…」
 声に振り返り、そこに寮生達を見つけた時の彼方は本当になんとも言えない表情をしていた。
 驚きと喜びと、悲しさと苦しさとそれら全てが交じり合ったような…。
 数歩、後ずさりしかけた彼方はぎゅっと唇を噛みしめ
「何の用ですか…? ここは、皆さんが来るようなところじゃ無いんですよ」
 逆に背筋を伸ばし寮生達に問いかけた。 
 感情を排除したような冷たい声を作って。
「お前を迎えに来たに決まってるだろ! さっさと帰るぞ!」
 躊躇いなく告げる清心に彼方は静かに首を横に振る。
「…どこに、帰るというんですか? 僕の故郷はこの地上世界。僕は護大派。天儀世界に生きる場所などありません」
「彼方!」
 声を荒げかける清心をそっと手で制して
「やあ。久々だね。…僕の事は覚えてるかな?」
 静乃は笑いかけた。
「生きる場所がない、って誰が決めたの? …天儀に生きているのは別に所謂人間だけじゃない。エルフや獣人や、修羅…からくり、たくさんの『ヒト』がいるよ」
「そうそう。獣人の時だって修羅の時だって、みんな最初はおっかなびっくりで、でも直ぐに友達になったのだ」
 譲治もえへんと胸を貼る。
「…でも、護大派は違う。アヤカシを操って、皆さんを、たくさん困らせて…」
 俯き顔を背けた彼方に真名は
「彼方。私達の事、嫌いになった? 人間はそんなに愚かかしら?」
 問いかけた、
「そんなことは!」
 返った返答は即答に近く、自分の言葉に思わず顔を上げた彼方は、その時、本当に近くまで来ていた仲間達に気付いた。
 高い塔の上、逃げ場はない。
 彼らの真っ直ぐな目が、彼方を見つめている。
「彼方が古代人かどうかなんて私には関係ない。あなたは彼方。私の可愛い後輩。でしょう?」
「…でも、僕は…皆を騙して…。地上の皆が使命を守り、頑張っていた時も地上で…安穏と暮らしていて…」
 震える彼方の肩に寮生達は気付いた。
 彼は罪悪感を抱いているのだろう。
 地上の仲間と、天儀の仲間。
 そのどちらもが大事でありながら知らず裏切っていた。
 だからこそ…身を裂くような思いで片方を選んだのだ。
 でも…
「ねえ…どっちか選ぶじゃなくて、二つ両立する考えもあるんじゃない?」
 静乃は静かに告げる。
「両立…そんなことが、できる筈が…」
 首を横に振る彼方に璃凜が踏み込む様に近付き、問いかける。
「やってもみぃひんでどうして出来る筈がない、なんて言えるん? そうしたくないん? うちに、あれだけ素直になれって言うたやないか? 
 自分の時は、出来ないんや?」
「それとこれとは、話が…」
 惑い、迷う様に顔を逸らしかける彼方に
「逃げるな!」
 鋭い声が刺さってきた。劫光の言葉に彼はもう逃げることさえ許されず立ち尽くす。
「お前にとっての朱雀寮で過ごした日々はそんなに簡単に切り捨てられるものなのか?」
「違う! 切り捨てたくなんかない!」
「だったら…切り捨てねば良い。君の師匠にも言ったがね、我々は自由を持つ生き物だ。何処へなりと、好きに歩いて行けば良かろう」
「自由…、そんなこと、僕達に許される筈が…」
「我々と君達。何が違うと言うのかね。天儀世界に住むのはいわゆる人だけでは無いと、君も知っているだろう?
 獣人、エルフ、修羅にからくり。環境、上と下、精霊力と瘴気、信仰など、差はあれど、結局…」
「…同じ…生き物だ…と?」
 飄々とした口調で告げる光紀の言葉を受け取って无が頷く。
「君も余程考えて出した結論なんだろうけど、もう一度考えられないかな?」
 微笑む静乃の前で彼方が肩を震わせながら問う。
「…いいのかな。朱雀を卒業して…。いいのかな? 地上と天儀を繋ぐ存在になりたいという…夢を持って」
「むしろ、それがお前の役目だろう? お前は人として生きて育ち学び、古代人であるのなら、繋いでみせろ。両者を」
 彼方を旅立ちの時から見つめてきた劫光が厳しくも、優しい口調で彼方に告げる。
「やりたいことがあるなら、したい様にした方が良いと、思うのだ!
 人生は一度きり別に護大派が混じって行動しようがアヤカシが混じって生活しようが理解し合えれば問題ないなりよっ!」
「古代人は大事? 私達は? もし両方って答えられるなら、どちらも捨てちゃだめよ。
『例え育った場所が違っても、私達はわかり会える』
 劫光と桃音が私達に教えてくれた事…。私は朱雀寮でそう学んだ。貴方は違うの?」
 譲治と、劫光と視線を合わせた真名は頷き合うと、清心の背をぽんと前へ押し出した。
「わっ!」
 前に出された清心は、大きく深呼吸してもう一度手を差し伸べる。
「帰るぞ、彼方」
 彼方は一度だけ振り返った。そこには神代の陰が微笑む様に揺れている。
『もう…あの方はいないのだ。自分の心を信じて…進めばよい』
 前を見れば、そこに有るのは仲間達の笑顔。
「これだけは、言わせて欲しい」
 勇気を振り絞るように璃凛が微笑む。
「素直になれへんかったけど、ありがとう」
 差し出された手と、優しさに向けて、勇気を出して彼方は一歩を踏み出したのだった。

●少年の帰還
「では、タケル様。
 この度は本当にありがとうございました」
 塔の上、神代の陰に向けてサラターシャは優雅にお辞儀をした。
「私、本当に女性と思い込んでおりました。ご無礼をお許し下さいませ」
『気に病む必要は無い。もう、人としての形など失って久しいのだ。名前など…問われるまで忘れていた』
 あの時から2日。
 寮生達は地上世界で時を過ごした。
 決して住みやすい場所では無いが、その地に生きる人々の姿を見つめ、時に対話し彼らを理解しようとしたのだ。
 護大派達と話し伝説や伝聞を集める。
 そして心を通わせられれば、と。
「そこに在るは事実、我々が捉えるは現実、如何様に向合うかで真実を得る、なんてね」
 无はそう言っていたが実際正直なところ、それは今はまだ、成功したとは言い切れないだろう。
 数千年の永きに渡る生き方を、考え方をそう簡単に変えることは難しいことは彼方や桂名に言われるまでもなく最初から解っている。
 しかし、例えば璃凛が人形を舞わせながら歌った時、サラターシャが差し出した菓子に子供達が微笑んだ時。
 彼方と真名が地上世界の植物を苦心しながら料理しようとした時、古代人と天儀人は決して相容れない訳では無い。
 そんな希望を彼らは信じることができたのだった。
 後は、ゆっくりと解りあう努力を続けていくしかないだろう。
『私は…ここであの方の…護大の消失を見届けた』
 …独り言のように呟き、神代の陰は空を見つめる。
『護大はおそらく、今、天儀に一人の個として有るだろう。それが、あの方が本当に望んでいた道。
 我々は…護大を理解していたつもりで、もしかしたら一番理解していなかったのかもしれぬな』
「タケル様」
 サラターシャはニッコリと微笑んだ。
「私は冥越…天儀の魔の森浄化を参考に土地開発案と浄化案を提出して地上世界の土壌改良などを提案してみようと思っています。
 勿論、彼方さんから伺ったように直ぐには受け入れられないかもしれませんが、少しずつ働きかけていけば、この地上世界もいつか緑の大地に生まれ変わるかもしれません。
 そしたら、護大の生まれ変わりの方も地上世界に来る事があるかもしれません。
 再会が叶うかもしれませんよ」
『そこまでこの世界が変わるのは何百、何千年先になるやも解らぬぞ』
『はい、ですから良ければそれを見届けて下さいませ。貴方にはそれがおできになります。
 勿論、私は貴方の封印を解く研究も進めたいと思いますので、その時には自由にして頂いていいと思いますけれど』
 …言葉には紡がぬ思いを抱いてそっと彼は微笑した。
 陰の姿は、微笑をきっと、形作れなかったろうけれど…。
『良ければ、また来るがいい』
「はい。ではまた」
 サラターシャを見送って彼は振り返る。
 彼方まで続く灰色の地平。
 千年近い間、ただの絶望にしか見えなかったそれは、ただ一言で彼の眼には希望に満ちた光に見える。
 ふと、雲間から光が降り注いだ。護大が消失と共に残して行ってくれた僅かな希望である。
 その希望が、光がこの地に生きる子供達、その未来を照らしてくれることを、彼は静かに祈り、願うのだった。

 彼方は、開拓者と一緒に天儀には戻らなかった。
 師匠や、司祭。残った仲間達とちゃんと話をする。
 その為に時間がいると彼が告げたからだ。
「…そして、必ず帰るから…天儀に」
「共に過ごした二年半を信じています。待っています」
 微笑んだ彼方は、もう朱雀寮で一緒に学び過ごした日々と同じ笑顔を取り戻していた。
 そして、そんな彼方を見守るように見つめる桂名の姿があることを、劫光は微笑した。
 桂名は最後まで笑い返してはくれなかったけれど。


 そしてある冬の日、銀の髪の少年が朱雀門の扉を叩く。
「…寮長。あと少し、僕はここにいてもいいでしょうか?」
「…お帰りなさい」
 小さくちぎられた退寮届けが彼を祝福する紙ふぶきの様に踊っていた。