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■オープニング本文 南部辺境伯 グレイス・ミハウ・グレフスカスが発表した自治区構想とそれに伴う新港建設計画は南部辺境の民に喝采を持って受け入れられた。 無論、誰もが諸手を上げて賛成したわけでは無い。 身分差の一部撤廃を含む自治区構想に貴族などは当然いい顔をしていないし、まったく未知の土地に行こうと進んで手を上げる移住希望者も最初はそうは多くないものだ。 成功するか、失敗するか。 それはこれからの問題になる。 「さて、どうしたものでしょうか?」 その問題を前に南部辺境、ラスカーニア領主。ユリアス・ソリューフは小さく思案していた。 ユリアスが考えなければいけないことは大きく分けて三つある。 一つはラスカーニアの自治区構想における立ち位置だ。 個人的には今までの辺境伯の行動や、発表を見て来て、その構想を支持してもいいかとユリアスは思っている。 特に南部辺境伯が打診してきた提案は魅力的でもある。 ラスカーニアにはかつての反乱で生き残った神教徒と、子供老人などが少なくない人数保護されていた。 「ラスカーニアで保護されている神教徒達。彼らを新港、新都市建設の労働力として移住させるのはどうでしょうか? 無論、神教の自由を与える事はできませんが、国と南部辺境の為に働く事を約束するのであれば、我々も行動の自由と子供達への教育を与えることを約束しましょう」 彼らも一年以上の時を経て少しずつ「神」以外に目を向けることができるようになってきている。 何より神教徒達に居場所を与えることができるのは良いことだと領主として思う。 神を信じ、仕える以外に「やるべき事」が見つかれば彼らも新しい道を歩めるだろう。 だが、領主として以外の感情では複雑なものがある。 「あの人を、この国を変えるには力を持ってするしかないと思っていたのに…。私は、私達はまちがっていたのでしょうか?」 返事の無い呟きが小さく零れた。 それに問題はそれだけではない。 先の発表の時、辺境伯の暗殺計画が企てられ、人質を取られた一般人が、彼の命を狙うと言う事件が発生した。幸い計画は未遂に終わったが、当日の発表の時、何人かの不審な行動を見せる人間が開拓者に捕えられていた。 その多くは武器や危険物を所有しており、当日計画が実行された場合、それに呼応して場を混乱させる予定だったようだ。もしくは一般人の「暗殺」で場を揺るがし、その隙に別の暗殺者が命を狙う手筈であったのかもしれない。 一般人の家族を人質にとった誘拐犯、そして捕えられた不審者たちの多くは沈黙して何も語らず、幾人かは命を落としている。自殺であったり突然死であったり…とにかくも不審な死だ。 辺境伯に暗殺の計画を仕掛け、犯人達に死を強要することができる人物には不快感しか感じない。 その人物は誰か、ユリアスは自分なりに調査を行っていたのだ。 誘拐された母子にも聞き込みを行った。 最初、言葉を濁していた彼女であったが、事情を聞くと自分が兄に呼ばれて外出した事を話してくれた。 炭焼き小屋の持ち主の証言、下っ端のゴロツキの話。 開拓者からの要請と協力もあって調査は比較的スムーズに進み、それらを総合した結果、証拠は無いながらも一人の人物が導き出された。 南部辺境、フェルアナ領主 ラスリール。 そして、その人物からの招待状が今、ユリアスの手にある。 中には、こう記されていた。 『ユリアナ姫 御相談したいことがあります。 どうか、お会いする時間を頂けませんでしょうか? もし、話しても良いと思われましたらフェルアナの領主館まで御足労頂ければ幸いです。 お待ちしています』 自分の城に人を呼びつけるなど通常なら礼儀に欠く行為だ。相手にする必要は当然ない。 だが…ユリアスにはその手紙を無視できない理由があった。 そう、ラスリールは自分を「ユリアナ姫」と呼びかけているのだ。 自分の秘密を、彼は知っている。 どこから、どう知られたのか解らない。 でも、知っているのだ。彼は…。 「どうしよう…。どうしたらいいの…アルベールさん…」 ユリアス、いやユリアナにとって共に同じ未来を目指したいと思う『彼』がもういない今、相談できる相手はもう一人しか思い浮かばなかった。 子供を胸に抱いた母親は思っていた。 「どうして…兄様が…」 突然の誘拐から助け出されて数日、事情を知り、考えれば考える程、胸の中に暗雲が広がって行く。 『甥の顔を見せてくれないか?』 そう呼び出されていった自分が何故待ち伏せされ、誘拐されることになったのか? 夫が何故、辺境伯の暗殺などを命じられることになったのか? それを仕組んだのはだれだったのか…。 目を閉じて深呼吸をする。 開拓者の顔を思い出す。 「君がルーウィンか」 息子の頭を撫でてくれたあの人を。 「貴方達は私が守る、家族の許へ無事に帰すわ」 そう約束し 「南部での4年 唯一、貴方の幸せが…嬉しかった。ありがとう」 と言ってくれた彼女の優しさを。 自分を支え、助けてくれる開拓者に、今の自分は傷口に巻いたリボン程度しか返せない。 でも、だからこそ、自分は幸せにならなければならないのだと思う。 家族を、子供を巻き込んで不幸にするつもりなら許せない。 例え、兄であろうと…。 「少し、ルーウィンをお願いできないかしら?」 手伝ってくれる婦人にそう頼んで、彼女はティアラは立ち上がり歩き出した。 「さて、どうするか?」 係員は考える。二つの依頼があった。 どちらも目的地は同じだ。南部辺境フェルアナへの同行、護衛依頼。 一人は南部辺境ラスカーニア領主、ユリアス。 もう一人は皇帝の姪で今は下町の医者の妻、ティアラ。 二人は二人とも、フェルアナ領主、ラスリールへの面会を希望していて開拓者に一緒に来て欲しいと望んでいる。 ユリアスはラスリールから招待を受けていると言い、ティアラはラスリールの妹である。 面会を希望すればそれぞれ叶わないことは無いだろう。 何より、どちらもラスリールに合わなければならない事情を抱えているようである。 希望する日程は丸被り。 だからと言って同行すれば、と簡単にも進められない。 悩んだ末、係員は二つの依頼を並べて貼りだした。 開拓者自身に選んで、決めて貰おうと思ったのだ。 二人の女性を誘う声。 その導く先に誰が、何が待つのか。 今は、まだ誰も知る由もない。 |
■参加者一覧
龍牙・流陰(ia0556)
19歳・男・サ
フレイ(ia6688)
24歳・女・サ
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
サライ・バトゥール(ic1447)
12歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●二人の女性 『お前は何をしたい?』 それは問いかけた。 「この国を動かす」 それは答えた。 『我に望みをかけるならその願いの行く先は闇しかないぞ』 「解っている。それでいい…。力を貸せ」 そして彼は自ら選んだ道に向かって歩き出す。 ある夏の日。リーガの正門広場。 「ティアラさん、お体の方は大丈夫なのですか? 本音をいえばもうしばらくは安静にしていて欲しいのですけどね」 馬車と荷物の準備をする女性に龍牙・流陰(ia0556)は気遣う様にそう声をかけた。 「大丈夫よ。出産は病気じゃないんだし、随分楽をさせて貰ってるし、ルーウィンも少し落ち着いて来たし、それに…なにより直ぐに帰るんだから!」 ティアラと呼ばれた女性は胸を張って返事をする。 「そうですね」 輝く笑顔を眩しそうに見つめながら流陰は頷いた。 「でも行くなって止められるかと思ったわ。…自分で頼んでおいてなんだけど…いいの?」 問うような目のティアラに流陰は小さく笑う。 「行くなと言ったら止めて下さるのですか?」 「いえ…止めないけど」 「フフッ」 「アハハッ。頼もしいなぁ〜」 笑い声が後ろから聞こえる。 恥ずかしさからか頬を染めるティアラ。もちろんそれが嘲笑などではないことは解っているが。 フレイ(ia6688)とリィムナ・ピサレット(ib5201)の笑い声を聴きながら流陰はティアラを優しい眼差しで見つめた。 「そういうことです。行くなとは言いませんよ。考えを曲げる気はないのでしょう? こういう時の貴女の手強さはよく知ってますから」 「大丈夫だよ。ティアラさん。絶対守ってみせるからね♪」 「ええ。私が、私達が貴女を守るわ」 贈られた真っ直ぐで偽りのない思いに赤面したティアラはぷい、と顔を背けながらも 「…ありがとう、信じてるから」 小さくそんな言葉を返した。開拓者達は勿論それを心にしまう。 決意と共に。 「そうよね。久しぶりの旅行、楽しまなきゃ。せっかく今まで顔を出してくれなかった開拓者も来てくれたんだから。 結婚式も、子供が生まれた時も顔を出してくれなかった薄情な名付け親をやっと捕まえたんだし」 顔の赤みはまだ少し残っているがティアラは今度は反撃に出たようだ。 自分の腕にもたれ上目使いで見るティアラに流陰は珍しく動揺の色を見せている。 「…申し訳ありませんでした、なかなか顔を出さなくて。 で、ですがこれにはちゃんと理由というか、ある考えがあってのことで…決して会いたくなかったというわけでは…」 くすくすと笑う人妖瑠々那も含め、ティアラの周りには笑顔が溢れ消えることがない。 そんな様子を少し離れた所から眩しげに見つめる眼差しが…。 「楽しそうですね」 呟く青年貴族に 「羨ましいのかね? ユーリ」 マックス・ボードマン(ib5426)は静かに声をかけた。 ユーリと呼びかけられた青年貴族ユリアス。今も男装しているが実は女性であることを開拓者達は知っている。 「羨ましい、とは?」 顔を自分の方に向けた彼女の、おそらく自分でも意識していないだろう表情にマックスは相棒レディ・アンと顔を合わせると頭を掻く。 「私は、お前さんは辺境伯の妻の座を狙うだろうと読んでいたんだが、見事に外れたようだな」 「辺境伯の…ですか? 何故? 私など入る隙間は無いでしょう?」 柔らかなアルトの声がマックスに問う。 その瞳はティアラと一緒に微笑むフレイと、ここにいない誰かを見つめているかのようだ。 「自治区構想は、言うなれば皇帝の気まぐれの産物だ。その気になれば何時だって反故にできるだろうさ。そうさせないための一手になるのではと、勝手に考えていたのだが、気を悪くせんでくれ」 「別に悪くはしませんが…確かに思いはしましたね。結婚をではなく」 遠い目で空を見つめユーリは目を閉じた。 「この国とあの人は…そんなに簡単に変わるものだったのか? だとしたら、私が、私達がやろうとしてきたことは…一体、と」 「陛下の御心は、我らには計りきれない」 思いつめた様子の「ユーリ」の前に竜哉(ia8037)は立った。 彼女があの人、と呼ぶのはジルベリア皇帝ガラドルフ。 ユーリこと、ユリアナがその落胤であることは竜哉も聞いていた。 彼女が複雑な思いと共に「何か」を胸に秘めているであろうことも…聞いていないが、想像がつく。 「だが…」 だから竜哉は続けた。今なお「ユリアス」として立つ「ユーリ」に向けた言葉を。 「本当は貴方にも解っているのではないか? ユリアスだろうがユリアナだろうが、貴方は貴方だ。そのままを受け入れる以外に何がある? …他に答えを求めているならすまないがな」 「ユリアスさん、そろそろ出発の刻限です。ご準備はよろしいでしょうか?」 俯くユリアスにメイド姿のサライ(ic1447)が近づき、深く頭を下げた。 見れば馬車の準備ができている。もうティアラ達は乗り込んだようだ。 サライの肩口からふわりと飛んだ羽妖精レオナールがユーリの横でくるりと回る。 『サライちゃんの同僚ね。レオナって呼んで。私やサライちゃんがついてるから…大丈夫♪』 主と揃いのメイド服を纏った妖精のウインクに、どこか張りつめていた空気が緩む。 「はい…。よろしくお願いします」 ユーリは頷き、頭を下げた。 そして馬車に乗りこむ。 「行くわよ。ゼファー!」 先導の空龍が共に空に舞うと同時、馬車は開拓者と二人の女性を乗せて動き出した。 ●アヤカシの影 馬車の外で暫く続いていた剣戟はやがて静まった。 「大丈夫? みんな怪我はしていない?」 馬車の窓から身を覗かせるティアラに大丈夫、と流陰は笑って手を振った。 「少し数が多かったけど、大したアヤカシじゃなかったから。ゴブリンとかの類。気にする必要はないわ。 すぐ出発するから心配しないで」 フレイもそう、告げたのでティアラはそう、と頷いて席に戻る。 彼女の姿が見えなくなったのを確かめて後 「何か、妙だな」 竜哉は仲間達の思いを代弁するように呟いた。 「確かに。これで三度目です。獣アヤカシにゴブリン。どれもとるに足らぬ敵ではありますが、それ故にここまで重ねて襲撃してくるのは不審であると言えるでしょう」 サライはスカートの中に苦無を隠しながら頷く。 知能の低いアヤカシ側であっても開拓者と自分達の実力差は解るだろう。 人を襲う意図があって攻撃してきたとしても迎え撃たれ、勝ち目がないと解れば逃げる筈。 しかし、連中は最後の一匹がやられるまで引くことをしなかった。 まるで上位者に命じられたかのように…。 「…アヤカシと協力ねぇ。ラスリールってアヤカシに命令とかできるのかな?」 リィムナは考えながら流陰を見た。この中で一番事情に詳しいのは彼だ。しかし流陰としても今は 「流石にそれはできないと思ってはいたのですが…解りませんね」 そう答えるしかない。 「最近はゴロツキを使う事が多かったのですが、もし、そうならゴロツキを動かしたり、口を封じたりするのにアヤカシの力を使っていたかもしれないと深よみできます。 何かで協力するアヤカシを得ていたとしたら…」 「う〜ん。ラスリールは要注意人物だね」 懐中時計「ド・マリニー」を見つめながらリィムナは噛みしめるように呟く。 「ふむ。奴がアヤカシを扱えるとしても、だ。ユーリに関しては自分で呼びつけたのだ。来てほしくない訳ではあるまい。と、なると襲撃の目的は…なんだ? 我々の排除か? それとも…」 馬車を見やるマックスの疑問に今は答えを出せる者はいない。 「とにかく、今は急ごうか。もう周囲にはアヤカシはいないっぽいし。あたしはサジ太と偵察してくるから!」 そう言うとリィムナは相棒の輝鷹サジタリオと同体化すると空へ舞いあがった。 竜哉も 「コウ!」 空を舞っていた上級迅鷹、光鷹を呼び寄せると何事かを囁いた。 「あと少し行けばフェルアナの町です。町に入れば下手な襲撃はしてこないとは思いますが、油断は禁物ですね。行きましょう」 流陰の指示に頷いて開拓者達は再び馬車を守るように位置につき、歩き出したのだった。 彼等を気配を隠し、静かに見つめる眼差しに気付く事は無く…。 ●面会 フェルアナはリーガやメーメルとは比べ物にならないほど小さな町だ。 その領主館もさして豪奢でも無ければ広くも無い。 だが清潔で綺麗な館であった。 応接室に通された開拓者達に美しいお仕着せと指輪をしたメイドが一礼する。 「今、領主様がお見えになります。もう少しお待ち下さい」 彼女が茶の準備を始め、本当に直ぐであった。 「お待たせしました」 明るい笑顔を浮かべた青年が、彼らの前に現れたのは。 まず立ち上がったのはティアラであった。 「兄様!」 ラスリールの視線は、最初は別の客の方に向いていた。しかし、その声に応えるように妹の方を向くと笑顔を「作って」見せる。 「やあ、久しぶりだね。ティアラ。結婚し、子供が生まれたんだって? おめでとう。今日は甥の顔を見せに来てくれたんじゃないのかい?」 温かみの無い笑顔と声。 ティアラもラスリールの妹だ。その笑顔の意味を感じたのだろう俯いて、手を握り締めた。 「兄様…」 「待って下さい」 今にも駆け寄らんばかりのティアラの手を流陰は握って押しとどめる。 「落ち着いて。今、問い詰めても彼は何も話してはくれませんよ。解っているでしょう?」 「子供や旦那様を守りたいなら軽挙は慎んで。ね? 大丈夫。あのときみたいに、私が、皆が貴方達の味方よ」 フレイが軽く片目を閉じて笑って見せた。 リィムナも頷いている。館には専門の護衛がいると追い払われそうになっても 「あたしが責任もってお守りします! …あたしの実力はご存知ですよね? 大丈夫です! たとえ大アヤカシが侵入する様な事があっても、お2人を守り切ってみせますよ♪」 と食い下がってついてきてくれたのだ。 その優しさとぬくもりを背中に感じてティアラは大きく深呼吸をすると、ゆっくりと一歩だけ前に進み出てラスリールの前に立った。 「兄様、ごめんなさい。私は志体持ちと恋をして、結婚したの。 貴族の身分も捨てて、今は夫と子供と下町で幸せに暮らしています。 昔、約束したこと。忘れてはいない…志体持ちが私達を見下すなら、いつか私達が志体持ちを見下してやろうって…。でも、ごめんなさい。私を救ってくれた開拓者も、愛する人も志体持ち。今の私は嫌うことができないの…」 「…それで?」 目元に雫を浮かべ、訴えるティアラを見つめるラスリールの眼差しは変わらない。 むしろ冷たさを増したようにさえ見える。 「お願い。私達をこのまま静かに暮らさせて。イヴァンやルーウィン。家族を私は危険な目に会わせたくないの!」 「私が…お前達を危険な目に会わせるとお前が、思ったのか?」 刃のような鋭さを纏った声がティアラに突き刺さる。 その圧力に身を縮めるティアラを支えるように流陰は彼女の後ろに立ち上がった。 そしてラスリールの目を怯まず見つめる。 「情報収集を得意とする貴方ならご存知でしょう? 先に貴方がティアラさんを呼び出した後、彼女が誘拐されたことを。 何故ティアラさんを呼びつけたのですか? 甥の顔を見たいなら自分が出向けばいい。忙しいというなら迎えをよこすくらいのことはできたはずです。自分の元に来る筈だった妹が誘拐されたのに貴方は救出に動こうともしなかった。 つまりは…そういうことではないのですか?」 静かな沈黙が応接間を支配する。 その場を先に破ったのはラスリールであった。 「これは、私とティアラ。家族の問題です。皆様の前で話すことではありません」 「いいえ、この先は、僕たちの領分です」 一歩も譲らないと挑む眼差しの流陰に、ラスリールは小さく肩を竦めて見せた。 「別に、私はティアラやその家族に何をしたわけでもありません。そんな証拠は無い筈です。元よりティアラなど私には必要ありませんからね…」 そして、まっすぐに伸ばした手をティアラの頭に乗せた。 薬指に嵌められた銀の光がティアラの目に弾かれ目を閉じた時、軽い感覚が頭に触れた。 子供の頃、寂しい自分を慰めてくれた同腹の兄の優しい手と同じ感触。 「好きにすればいい。ティアラ。それがお前の選ぶ幸せなら、私や父上など気にせずに生きるがいいさ。お前は、私には必要ない」 ラスリールはティアラを見つめ、言った。先ほどの刃のようなそれよりは少し、柔らかく暖かい眼差しで紡がれた声にティアラは兄を見た。 「兄様…」 けれど、ラスリールはティアラにもう興味は無いと言う様に背を向け、もう一人の客を見つめている。 「高貴なお方に、身内のお見苦しい場面をお見せして失礼を致しました。しかし…」 胸に手を当てユリアスにお辞儀をして後、ラスリールは 「よろしいのですか? この場にこれほどの人を招いて」 気遣うような声で問うた。 ユリアスが答えるより早く側に控えていた竜哉が立ち上がり、騎士として完璧な礼で答える。 「ラスリール様を信用しない訳ではございません。 しかしながら万が一というのはどこに潜んでいるか判らぬもの。私も多少荒事の心得はございます、どうか侍従の務めは果たさせて下さいませぬか?」 護衛不要。と入り口で払われそうになった時と同じ言葉に、ラスリールは首を横に振る。 「そうではなく、二人きりで話した方がいいのではと思ったのですよ。皇女ユリアナ姫。 その身の秘密。アルベルトの代理、とかいう方はともかく開拓者や我が妹などに知らせても良いのですか?」 「構いません」 その一言でユリアスであった青年は静かにユリアナに戻る。 立ち上がりラスリールの前に立つ皇女。 服装も外見も何も変わりないが、話し方、仕草。 開拓者には今はもう女性にしか見えなくなっていた。 「元より開拓者の方には知れている事です。ティアラ姫も他言はせぬと約束してくれていますから」 今回の会見にあたりユリアナとティアラ。一緒に行動してほしい、と提案したのは開拓者であった。 いろいろな意味で守りやすいと言う理由からではあるが、それを実現させる為にはユリアナが開拓者を含む同行者すべてに自分の正体を話さなければならないという前提があった。 「だが、それも意味のあることだよ」 マックスの言葉が彼女の背を押す。 「幾つもの名前を使い分けてきたお前さんに質問がある。 ユリウス・ユーリとして為すべきことは、まだ残っているのかね?」 いわばこの場に開拓者を呼んだことがユリアナの答えでもあったのだ。 「…では、貴女のお力になりたいと思った私の考えは無用のものであるということでしょうか? 貴女は強い願いをその身にお持ちだったのでは?」 「…そうですね。もし、あの方が生きておられたら、そして隣に立って共に歩いて下さったのなら私は願いを今も貫き通していたかもしれません。 ですが…運命はあの方を奪い去った。私一人でできる事はたかが知れている。ジルベリアと南部辺境も大きく変わろうとしている。考えを変えるべきではないかと思っているところです」 「君では、彼の代わりにはなれないよ」 ユリアナを守るように背後に立つマックスが小さく笑って告げる。 「少し、昔話をしようか。 我が友人である彼と私はこんな会話をした。 『お前が女だということを知っているぞ、と近寄ってくる輩が現れたら、その時はどうするね。また私を雇ってそいつを始末するかい?』 『ユリウスは男だ。ユリウスがそう言っているのだからな つまらんデマを口にするのはやめてもらおう。 そして俺とユリウスは友人だ。その友人を侮辱する者は……ふふん。わかるだろう。鳥も鳴かずば撃たれまい、という言葉が天儀にあるそうだ』 彼は少なくともユリアナの秘密を知っても、利用しようなどとはしなかった。 人を秘密で脅迫しようという人間が友人になれるかね? ちなみに彼の言葉をあなたに贈らせてもらうよ、生きている友人としてね」 「我らが主と共に有らんと願われますのであれば、どうかこのような形では無い面会はを…」 沈黙を守っていたサライは深くラスリールにお辞儀をする。 控えていた竜哉も同様に頭を下げた。 三人の開拓者に護られたユリアナ。背後にはティアラと彼女を守る三人の開拓者。 からくりに羽妖精、窓の外には威嚇するように龍や迅鷹も浮かんでいる。 それぞれが放つ強い意思を前に 「やれやれ。横着はできないようですね」 ラスルールは肩を竦めるように手を上げて見せた。 そしてユリアナの前に膝をつき手をとり、自分のそれと重ねて見せる。 「では、改めて友人になれるようにお近づきを許可して頂けないでしょうか? 貴女の秘密を今後脅迫に使う様な事は致しません。 貴女の大事なご友人は思いを果たせぬまま亡くなられた。 私は貴女のお望みが叶えられるよう、全力を尽くします故、どうか…」 そっと手を取り、口づけて… 彼の眼差しに、微笑みに指輪の煌きにユリアナは一瞬動きを止めた。 そして…静かに頷いたのだった。 ●見えないなにか 「う〜〜ん、おかしい」 フェルアナからの帰路、懐中時計を裏返したり叩いたりするリィムナに 「どうしました?」 流陰は問いかけた。 「ド・マリニーの反応がなんかおかしい。瘴気に反応している感じなんだけどその流れが見えないと言うか掴めないと言うか…」 「瑠々那も似たようなことを言っていましたね。あの時、あの部屋に瘴気の反応はあった。けれどもアヤカシかどうかは解らない…と」 人妖に瘴索結界を命じていた流陰も考え込む。 瘴気の反応があった時点で異常ではあるのだが、アヤカシとラスリールが手を組んでいるという確たる証拠がない以上今は、これ以上追及はできない。 「何かを狙っていたのではないかと思われたのですが、あっさりと帰して下さいましたね。 こちらの戦力に対して不利と判断して今回は手を引いたのでしょうか?」 「多分な。だが、ティアラはともかく、ユリアナに対してはまだ何かをしかけてくる可能性はあるだろう。噂に聞く通り、油断ができない相手のようだ」 サライと竜哉の背後ではユリアナとマックスが肩を並べて歩いている。 「大丈夫かね。ユーリ」 「はい…。ただ、不思議ですね。もう切り替えたつもりであったのに…思いだし語るだけで悲しく、悔しい…。あの方がもういないことが…」 胸の中に湧き上がる思いを抑え込む様にユリアナは胸に手を当てていた。 「ユーリ。 「あいつなら大丈夫。そうも言っていた。 何の躊躇いもなくね。君が最終的にどんな道を選ぼうと、彼はきっと君を信じている」 「…はい」 マックスの言葉を噛みしたユリアナはもう一度、当てた胸の手に力を込めるのだった。 リーガの街の門に人影が見える。 「イヴァン! ルーウィン!!」 姿を見つけると同時、馬車から飛び出し走り出したティアラは駆け寄り、二人を抱きしめる。 「おかえり。ティアラ」 「ただいま。心配かけてごめんなさい」 開拓者達はそれぞれに目を細め見守る。 この光景を守る為に彼らは依頼を受けたのだ。 「妻を守って下さってありがとうございました」 お辞儀をする夫の横で 「…兄様に、気を付けて」 ティアラは開拓者達にそう囁いた。 「兄様はずっと言ってたの。志体を持たずに生まれた。それだけで何もできず埋もれて終わりたくない。いつか名を上げ自分を見下した者達を見下してやると。きっと…兄様はそれを忘れてはいないわ」 「ありがとう…」 フレイはティアラに微笑む。 「でも、もしそうなったら絶対に止めて見せるから。南部辺境とそこに生きる人達を守る為に…」 彼女は答えたのだった。 薬指の指輪に、誓う様に…。 『良いのか?』 それは問う。 「ああ。時がいずれ来る。その時は、逃がさない」 彼は答える。 昏い闇が彼の背後で静かに広がって行くのだった。 |