【朱雀】西の兄弟
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/06/21 22:16



■オープニング本文

「相談にのってくれないか? 紫郎?」
 自分を訪ねてきたかつての級友に声をかけられた時、珍しいと陰陽寮 朱雀寮長 各務 紫郎は思った。
 目の前に座る男は五行西域で一族を率いる西浦 長次。
 陰陽術は人を護る術、陰陽術を限られた者で囲い込む五行王のあり方は間違っていると、公言して憚らないことからも解るとおり、人を頼ったり、守ったり、弱みを見せたりすることの少ない男である。
 その彼が相談とは珍しい、と素直に思って紫郎は茶を出すと彼の前に座った。
 話を聞く、という意味である。
 長次も長い付き合いだ。紫郎の態度に小さく頷くと話し始める。
「…実は…、うちの馬鹿弟の事だ」

 さて、厳しい東房での調査課題を終えて戻ってきた朱雀寮生達は委員会活動に勤しんでいた。
 冥越への侵攻。大規模作戦を前にして一時の休息である事は解っているが、穏やかで静かな当たり前の時間が過ぎる学び舎で、ある事が今、話題になっていた。
「えっ? 三郎センセ、まだ戻ってきぃへんの?」
『はい。暫く探すなとの仰せです』
 彼が預かるからくりの少女、凛が静かに答える。
 そう、朱雀寮講師の一人である西浦 三郎が朱雀寮に戻って来てないというのだ。
 と、言っても語弊がある。
「ですが、さっきは授業に出ていらっしゃいましたよ」
 彼は陰陽寮での仕事はちゃんとこなしているのだ。
 だが、担当授業と仕事が終わると即座に姿を消す。その素早さはシノビかと思う程、だとか。
『兄上が自分を捕まえに来るかもしれないから、とおっしゃっていましたが…』
「お兄様? 何か、ご実家であったのでしょうか?」
『はい。私も心配なのですが…』
 心配そうに顔を見合わせる寮生に
「あったようですね」
 ため息交じりの声が後ろからかけられた。
「まったく、困ったものです。三郎にも…」
「何か御存じなのですか?」
 寮生の問いに苦笑交じりで紫郎は頷く。
「身重の恋人を置いて逃げ回っているのですよ」
「寮長!」
「彼の兄からさっき、相談を受けたところです。皆さんに頼みたいこともあったので、聞いては頂けませんか?」
 驚く寮生達に紫郎は長次の相談を話して聞かせるのだった。

「西家は五行を守る一族、と言っても別に血族、という訳じゃない。
 ただ、長だけは同じ一族が務めてきた。先代である父上の子は俺と三郎の二人だけ。
 そして…あいつは正妻の子、そして俺は愛人、というか妾の子だったんだ」
 長次は肩を竦めて言う。
「俺の母親は自分で言うのもなんだが過激な人でな。一族の後を継ぐのは絶対に我が子だと頑として譲らなかったらしい。俺の名前を見ても解るだろ? 長に次ぐ者だ。
 そして、割と早くに死んで…俺は母上に育てられた。三郎の母親だ。本当に優しくて良い方で、俺の事も我が子と同様どころか長男、息子の兄として分け隔てなく愛して下さった。若くして亡くなられたが…本当の母にも勝る方だと思ってる。
 父上も俺を隔てなく育てて下さって、アヤカシとの戦いで亡くなってから俺は長についた。
 でも、俺はできるなら三郎に長になって欲しいと思ってるんだ」
「そこまでは聞いています。貴方が結婚しない理由もそれで、三郎に『お前が跡継ぎを作って家を継げ』と言ったとか? 
 三郎は貴方の元でこそ働きたかったのにそう言われて見合いを押し付けられるのが嫌だ。だから帰りたくないと言っていましたよ」
「まあ、無理強いしすぎたとは思ってるが、あいつの方が能力も行動力も遥かに俺より上なんだ。人に好かれて惹き付ける魅力もある。三郎が長になって、俺があいつを補佐した方が西家の為にもなるだろう?
 それに俺は母上と約束したんだ。『三郎を頼む。弟として愛し育ててやってくれ』って」
 長次の言葉に紫郎は否定も肯定もしない。長次も了解を求めていた訳では無いのだろう。
 話を続ける。
「陰陽寮に入って、四年、まともに戻って来なかった三郎だが、透とその後のドタバタで最近時々顔を見せるようになって…恋人も連れてきた。そして…最近その恋人に妊娠が判明したんだ」
「…それは…」
 紫郎にはそれ以上発する事ができる言葉が無かった。
 三郎も、三郎の恋人も紫郎の思う通りなら彼の良く知る人物であるからだ。
「彼女は三郎にそれを直接告げたわけじゃない。相談を受けた俺と治療師しか知らない話だ。
 でも、それを察知したのか三郎はまた西に戻って来なくなった。それどころか、話があると呼び出そうとしても逃げ出すありさまだ。あいつが本気を出したら俺達じゃ誰も捕まえられない。なんとか、あいつを捕まえて話をする機会を作って欲しいんだが…」

「と、いうわけです」
 寮長の説明に寮生達も直ぐには言葉を探せなかった。
 今いる三年生、二年生、予備生は三郎を講師以上には正直知らない。
 西家についても詳しいわけでは無い。
 複雑に絡み合う『家庭の事情』
 とはいえ、このままにしておいていいとも思えなかった。
「長次は卒業生達にも声をかけて協力を仰ぐ、と言っていました。聞いての通り複雑な話なので無理に関われとは言いません。ただ、委員会の合間に三郎を見つけたり、街で見かけたりしたら心がけて連絡するか話をして貰えると助かります」
 寮長はそう言ったが、直ぐに何をどうしたらいいか、正直寮生達にも思いつかなかったのである。

 ある場所で三郎はため息をつく様に思いを吐き出す。
「…俺は、どうしたらいいんだ?」
 子供のように座り込み、膝を抱え丸まり込む。
 自分のした事に言い訳をするつもりはないし、彼女の事は大好きで、大切だ。
 故郷も一族も、兄も大好きで守りたいと思っている。
「…でも…」
 頭の中がぐちゃぐちゃになる。自分はこういうことを考えるのが苦手なのだ。
 考えることをずっと、一緒にいてくれた友に押し付けてきたツケが回って来たのだろう。
「目の前の敵をやっつけるだけなら簡単なのに…、なあ、どうしたらいいんだ? 教えてくれよ…」
 勿論、答えは返らない。彼は答えてなどくれない。
 六月の腹が立つほど青い空の下、三郎は膝を抱え続けていた。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 平野 譲治(ia5226) / 尾花 紫乃(ia9951) / 尾花 朔(ib1268) / 雅楽川 陽向(ib3352


■リプレイ本文

●伝言
 西家の一角、長の家の離れで布団に横になっていた少女は、
「お加減はいかがですか?」
 優しい声と静かな音を立てて開いた襖の方を見て身体を起こした。
「…ありがとう。…今はだいぶ、楽…」
「あ、無理はしないで。寝ていて下さい」
 入って来たのは二人。そのうちの一人泉宮 紫乃(ia9951)は手に持った救急箱の箱を横に置き、彼女を布団へと促す。
「それは良かった。妊娠の初期は特に大事にしないといけません。体調が安定するまで無理はなさらないで下さいね」
 そう言って紫乃は横を見た。
「薬湯を用意してきました。ちょっと今の時期、飲むには熱いかもしれませんが、身体と心を暖めてくれますよ」
 微笑む尾花朔(ib1268)はストールをその細い肩にかけると、差し出した湯呑を手渡している。
 受け取って、彼女は口を付ける。
 手に持った器はほんのりと暖かく、薬湯も熱すぎず、冷たすぎず丁度いい温度にしてある。
 本当に体全体が温まるように…。
「…美味しい。相変わらず…いい腕…ね」
 静かな少女の声を聴きながら、朔はふと笑みが零れた。
 横に佇む紫乃と視線が合った事から考えれば紫乃も同じなのだと、解る。
 時が戻ったような気がするのだ。
 彼女が三年で、自分達が一年。
 懐かしく、皆で夢中に過ごしたあの輝かしい陰陽寮の日々に…。
「…ゴメン、ね。…なんだか、迷惑を…かけるみたいで…」
 ふと、少女が俯いた。肩口のストールの端をキュッとしめる彼女の手に
「謝らないで下さい。…きっと、誰が悪い訳でも無いんです」
 紫乃は自分の手をそっと重ねた。
「これから長次さんと陰陽寮に行って参ります。三郎先輩の事は、任せて下さい」
 その後ろから朔も強く、頷いて見せる。
「薬や食事に付いては、西家の方に処方をお渡ししてきました。
 食欲も無いでしょうが、できるだけ、心安らかに待っていて下さい」
「…ありがとう。……三郎を、お願い…。それから…伝言を…」
「伝言? ですか?」
 手招きする少女に耳を寄せた二人は、彼女の小さな声と思いをはっきりと受け取る。
「…だから、三郎は悪くないって…伝えて」
「解りました」
「お任せを。伊織先輩」
 二人の言葉に頷いて、少女 源 伊織は床の上から恋人の元に向かう二人を見送るのだった。

「ふーん、そういう事情があったんだ〜。寮長から軽くは聞いたけど、なんだか色々大変だね」
 陰陽寮にいた時と殆ど変らない暖かい空気を纏い、俳沢折々(ia0401)は頷いた。
 西家の長次から頼まれて三郎を探しに来ていた朔と紫乃は陰陽寮の一角で見つけた懐かしい二つの顔を呼び止めたのだ。
「透先輩のお墓参りに来たよ。命日は過ぎちゃったけど最初のうちは、ちょっとドタバタしていたんだけど、やっとお仕事も一段落したんで顔見せがてら」
 二つの顔の一つは花束を抱えた折々。
 そしてもう一人は
「おいらはさぶろーに相談、しに来たなりが…、さぶろーの方が相談が必要なりか…。
 ちょっと、こまったなりね」
 平野 譲治(ia5226)だ。卒業後から比べると少し大人びた印象を受ける。
「…ふむぅ。朔と紫乃もさぶろーを探しに来た、なりよね。おいらもちょっと、探していいなり? せっかくここまで来たなりから」
「私も、手伝っていいかな? なーんか力になれないかなって思ったし、三郎先輩と、ちょっと話しもしたいや」
「お願いします」
 紫乃は素直に二人に頭を下げた。
「とはいえ、無理に捕まえようとしても難しいのは言わずもがな」
「さぶろーなり、からね」
 顔を見合わせる二人に
「いえ、いる場所、というか確実に来る場所は解っているんです。
 でも、簡単には姿を現しては下さらないのも解っていますから…」
「さぶろーなりからね」
 肩を竦めるように笑う譲治。
「とりあえずは、寮生達に連絡を取って話を聞いてみましょうか」
 彼等は卒業生。今の寮内のことなら、今の寮生の方が詳しいだろう。
 勝手知ったるかつての学び舎を彼等はゆっくりと歩いて行った。

●逃げた三郎
 へたりと下がった尻尾、頭に貼りついた耳。どこか上目使いな眼差し。
「ごめんなあ、センセに逃げられてもうたん…」
 犬で言うならしょんぼりの仕草をして、雅楽川 陽向(ib3352)は卒業生達にそう告げた。
 今の時期、それぞれに忙しいようで寮生が協力を頼んで会う事ができた寮生は彼女だけだった。
 桃音は委員会中であるという。
「あのな。うちらの授業があってそれに西浦センセちゃんと来てくれたん。
 それで、うちな、授業前に捕まえて聞いたんよ。うちらもセンセの「事情」ってやつ聞いたさかい」
 陽向は三郎と出会った時の事を卒業生達に話す。
 なるべく正確にとゆっくりと彼女はさっきの光景を思い出すのだった。

 足早に廊下を渡り、講義室前にやってきた三郎を、陽向は入口の直前で捕まえた。
「西浦センセ!」
「…なんだ? これから授業だぞ。早く席に着け」
 両手でしっかりと服の袖を掴む陽向に三郎は冷たい声で答える。
 表情も冴えない。
 今まで陰陽寮の講師の中でも豪快で明るく、太陽のような印象を持つ人物だっただけにこんな顔を見るのは久しぶりだと思ったが怯まず離さず陽向は話を続けた。
「その前に、聞きたいことがあるねん。西浦センセ、もしかして子供嫌いなん?」
「えっ?」
 思いもかけない問いに目を瞬かせる三郎に陽向は言葉を続ける。
「ほら、前にうちが聞いた時、言葉濁しつつも、好きな人おる言うたやん。
 寮長センセからうちらも聞いたんよ。西浦センセの恋人に子供できたって。好きな人ってその恋人やろ?
 でも子供嫌いやから、好きな人も嫌いになったん?」
「伊織が嫌いになったわけじゃない!」
 その答えは即答で返った。だが三郎は慌てて口元を手で押さえる。
 顔にはしまった、という表情が描かれている。
「なら、なんで逃げ取るん? やっぱり、子供が嫌いやから…?」
 尻尾をしゅんと下げる陽向に三郎は心から困ったような顔を見せた。
 慰めたいような宥めたいような、でも言葉が見つからない。
 そんな表情だ。そして聞こえてきた声は本当に蚊の鳴くような声。
 横にいる陽向でさえ、聞き落としそうな小さな声だった。
「…子供が嫌いな訳でも無い。でも…俺なんかが、親になって良い訳ないじゃないか…」
「センセ?」
 陽向は小首を傾げるように三郎を見る。だが、キュッと唇を噛み下を向いた三郎は何かを振り払う様に勢いよく顔を上げると陽向に背を向ける。
「その話はもう終わりだ。授業を始めるから席に着け。遅刻にするぞ!」
「センセ!!」
 がらりと扉を開き、閉めた三郎。
 閉ざされた扉が陽向にはまるで彼の心のように思えたのだった。

 話を聞いた四人の卒業生は顔を見合わせため息をつく。
 話し終えても陽向の「しょんぼり」は止まらない。
「これは…重傷なりね」
「それで陽向ちゃん。三郎先輩は?」
 折々の問いに陽向は顔を上げた。
「授業終わったら直ぐに出て行ってしもうたん。あ、でも午後から会議があるって凛ちゃん言うてたから、五行の町には行っておらんと思う。
 陰陽寮のどっかにいるんとちゃう?」
 三郎のスケジュールを凛から聞き出していた陽向は、そのメモを先輩達に差し出す。
「ありがとうございます」
 紫乃はそういうとメモを受け取り、確認すると仲間達の方を見た。
「とりあえず、透先輩のお墓参りをしましょうか? 三郎先輩が悩んでいる時、行くとしたらそこだけのような気がしますから」
「そうだね。お花がしおれちゃう。それに、ちょっと試してみたいこともあるんだ」
 折々と朔が頷く中、
「おいら、もうちょい中を探してみるなりよ。もし、見つけたらちゃんと話すなりから」
 譲治は別行動を表明する。
 陽向に礼を言って二手に分かれる卒業生達を
「うちも見つけたら今度こそ捕まえて行くさかい!」
 大きく手を振って見送るのだった。

 さて、日常では校外フィールドワークを主とする朱雀寮体育委員会。
 だが今日に限ってはその二人は寮内を歩き回っていた。
「ふう、今日も暑いな。ちょっと休憩しよか?」
「うん!」
 体育委員長 芦屋 璃凛(ia0303)の言葉にそう言うと一緒に歩いていた桃音は近場の壁沿いに腰を下ろした。
「ほら、喉乾いたやろ。飲むか?」
 小さな土瓶を取り出すと璃凛は用意してあった器に入れて桃音に差し出す。
「ありがと」
 礼を言い、器を受け取ってごくんと喉を通した次の瞬間、桃音の表情が変わった。
「うわっ! 甘い! これなーに?」
「これか? うちが興志王の所で作った、しゅわしゅわ飲みもんや」
「しゅわしゅわ?」
「元は炭酸、っちゅーのが入っててしゅわしゅわしとったんや。そん時はもっと美味しかったんやろうけどな」
「ふーん、でもこれでも美味しいよ」
 璃凛は照れたような顔で頬を掻く。
「今は気が抜けてただの、あめゆになっとるけど寮のみんなにも飲ませたいんや」
 大事そうに器を持って炭酸水を飲む桃音を、璃凛は眩しげに見つめている。
 その時、二人に声がかかった。
「璃凛! 桃音! 元気なりか?」
 暖かく、優しく大好きな声。
「譲治!」
 弾けるように立ち上がって駆け寄った桃音の頭を譲治はそっと、優しく撫でる。
「先輩。先日はありがとうございました」
 丁寧にお辞儀をする璃凛にうん、と頷いて譲治は二人を見た。
「今日はちょっと頼みがあるなりよ」
「なあに?」「なんですか?」
「さぶろーを捕まえたいなり。見つけたら教えて欲しいのだ」
「三郎センセ…、ああ、あの件ですか?」
「あの件?」
 どうやら桃音は事情を知らないらしい。
 ニハハと笑って譲治は続ける。
「見つけたら、でいいなりよ。おいらも心当たりを探してみるのだ」
 軽く手を振って去って行く譲治を見送って
「それじゃあ、うちらもセンセを探しに行こうか。まず二年生の授業があった筈だから様子を聞きに行って、それから…」
「あっちこっち探してみる? かくれんぼでしょ? 木の上、家の隙間、倉庫!!」
 璃凛と桃音も捜索を始めたのだった。

 実は桃音の言葉は的を射ていた。
 譲治も考える。
「さぶろーらしくない所探すのだ。暗くてじめっとしてる所」
 そして足が向いた用具倉庫。
 いくつもの蔵が立ち並ぶ前で腕を組んだ譲治は、ふと耳を欹てた。
 聞こえてくる笛の音と、
 カタン!
 何かが倒れる音。
「さぶろー、みーつけた、なのだ!」
 がらりと開けた蔵の中。見つけた西浦三郎に、譲治は明るく笑いかけるのだった。

●決意と覚悟
 笛を奏で始めてどれくらい経った頃だろうか?
「あ、やっと来てくれた…。指が疲れちゃったよ」
 近付いて来る足音に気付いた折々は演奏を止めて、足音に向かって笑いかけた。
「随分練習したつもりだけど、透先輩みたいにはいかないね」
 近くの石や壁に身体を預けていた朔と紫乃も身体を起こし、会釈する。
「…兄者も寮長も…卑怯だ。お前達に頼むなんて…」
 小さく呟きながら彼らの前を通り過ぎ、足音の主、三郎は小さな墓石の前で膝をつく。
 たくさんの花で飾られた墓石は何も語らない。
 けれど三郎にはその沈黙こそが苦しいのだろうか。続く言葉は震えていた。
「解ってる……けどな。一番卑怯なのは…俺だって…」
「伊織先輩から伺いました…。透先輩との、別れの日、だったそうですね。
 落ち込んで、悩んで、そして、お酒を飲んでおられた…」
 朔の言葉に三郎は下を向く。握りしめられた拳からは強い音がする。
「そうだ。苦しくて、苦しくて…側にいてくれた伊織に逃げた…。俺は卑怯で…最低だ」
「伊織先輩が好きだったのではないですか? だから、抱いたのではないのですか? それとも過ちだったと言うつもりですか?」
「伊織の事は大好きだ。最初は桜に憧れていたけど…伊織は辛い時、いつも側にいてくれた。
 大事にしたかった。なのに…俺は…」
 拳が地面に打ち付けられる。どこにもぶつけられない、行き場の無い怒りを叩きつけるように。
「過ちだなんては思わない。真剣に伊織を愛している。
 でも…俺に子供ができたら結婚していない兄者は俺の子を後継者にと考えるだろう。そして俺を長に、と。
 俺にとっては兄者が大事な家族なんだ。父上や母上の代わりでもある。
 そんな兄者を差し置いて俺なんかが西家を率いて良い訳がない! 透の気持ちも解らず、伊織を傷つけ…そんな俺が兄者の代わりなんてできるわけないのに…。
 俺は、全てを壊してしまう…。透も、伊織も、兄者も、西家も…みんな、みんな…」
「…伊織先輩は、解っていらっしゃいましたよ」
 静かに、紫乃が呟いた言葉。
 その意味が解らないというように呆けた顔の三郎の前に進み出て、紫乃は続ける。
「伊織先輩は、解っていたとおっしゃっていました。あの日、あの時、三郎先輩の側にいたらどうなるか。
 解っていたからこそ、側に行ったのだと、おっしゃっていました」
『私自身が、願ったの…。去ってしまった透の代わりに…、私が側にいたい…って』
 西家で出会った時の伊織ははっきりとそう言った。
「だから、三郎は…悪くない、そう伝えてと伊織先輩はおっしゃっていました」
 朱雀寮にいた頃から彼女の芯の強さは変わらないとその言葉を聞いて紫乃は思ったのだ。
 だからこそ、三郎に言いたいと思った…。
「三郎先輩、私、怒っているんですよ。
 彼女の気持ち、考えましたか?
 この状況で愛した男性と連絡がつかなくなる。悪い想像をしても仕方が無いと思いませんか?
 ねえ先輩、これは先輩一人の問題ですか。二人で一緒に考えるべきことでは無いんですか」
 三郎の前に進み出て彼をまっすぐに見つめ、睨みつける。
「まだ決められないから時間がほしい、でも良いじゃありませんか。
 逃げないで、ちゃんと向かい合って…話し合って、その上でなら伊織先輩は三郎先輩の気持ちの整理がつくまで、ちゃんと待って下さいます。
 彼女や長次さんと一緒に考えましょうよ」
「なぜ、会ってお話をしないのですか?
 自分の思い、どうしたいか、なぜぶつけないのですか?
 伊織先輩もそうですが、長次さんにもです、そして各務さんへも。
 自分ひとりで解決するお話ではありませんよね? 逃げているという自覚もこのままじゃいけないという思いもあるのですよね?
 なら皆に話、助言を聞くことはできないのですか? 生きて貴方を心配している人に…。
 貴方は、一人ではない、ですよ。
 それを静かに眠っている人に縋るなんて、まったく透先輩に怒られますよ」
 紫乃の話が終るのを待つかのように朔は続けた。
「難しく考えることなんてないと思うんだ」
 それまで黙って聞いていた折々が言葉を紡ぐ。
 噛みしめるように、抱きしめるように…。
「故郷とか西の一族とか、そんな大きな話じゃなくて……生まれてくる子が笑って過ごせる毎日を。
 三郎先輩のお父さんとお母さんがそうであったように、今度は三郎先輩がそれを作る番だよ。
 大好きなんでしょ。守りたいんでしょ。だから…先輩が自分で守らなくっちゃ。大切なものを。
 作らなくっちゃ。皆が、笑顔で暮らせる場所を…」
「俺が…作れるのか? 壊すばかりじゃなく、アヤカシを倒すだけじゃなく、何かを…作り上げることが…」
「うん、大丈夫。きっとできるよ」
 何の心配もないという自信満々に笑う折々に比べると三郎はまだ半信半疑という顔だ。
 そんな三郎に黙って近付いた朔は、三郎と視線を合わせると
「後、言い忘れましたが男として一言」
 こほんと咳を一つしてから、告げた。
「腹くくれや! 男だろうがっ!!」
 今まで聞いた事のないようなドスの効いた声で告げると朔は三郎の腹に握り締めた拳を入れた。
 力など入っていない、触れるだけの正拳であった筈なのに小さく呻いた三郎は、握り締めた拳を腹に置き、暫く立ち尽くしていた。

「あ、三郎センセ。どこに行ってたん?」
 夕刻、どこかふらつく様に廊下を歩く三郎を見つけた璃凛は
「桃音〜。こっちにおったで〜〜!」
 別方向を探しに行った後輩、桃音に向けて声をかける。
「三郎センセ、これ飲んで元気出して下さい」
 炭酸水の入った土瓶を手渡した。
「大事なんやったら、迷ったらあかんですよ…。うちは、ヘマしてしまいましたけど」
 小さく、自嘲するように肩を竦めた璃凛は
「あ、見つかったんだ。良かったね」
「うん。ご褒美に食堂で何か美味しいもの食べような」
戻ってきた桃音と共にお辞儀をして立ち去った。
 一人残された三郎は、土瓶の注ぎ口に口を付ける。
 あまりの甘さに少し顔を顰めるが、そのまま全部飲み干すと、自分の頬をバチンと叩き、気合を入れるように身構えたのだった。

●一緒に…
 その翌日。三郎は休暇を取ったと寮生達と卒業生達は寮長から聞いた。
 長次も、朔や紫乃と共に西域に帰ったらしい。
 おそらく恋人との関係にちゃんとけじめをつけるつもりなのだろうということは、寮長から聞くまでも無く解る事だ。
「三郎先輩、吹っ切れたみたいだね。良かった」
 折々の言葉に譲治は頷き、窓の外、空を仰ぐ。
 あの日、譲治は誰よりも先に見つけた三郎に逆に相談をしていた。
「おいら、妻が出来たなり」
 自分よりさらに年下の少年の言葉に少し目を見開いた三郎は
「でも、おいらの身は一度失われてるのだ。…それがあって実はちょっと旅に出てたのだ。
 少しばかり、寂しい思いをさせてしまったかも知れないなり。
 どうやって示しを付ければいいなりかね?」
 その時は逃げるように去り、答えてくれなかったが旅立つ前、譲治を訪ね三郎は、答えてくれた。

「…言葉に出して、伝えればいい。
 本当の気持ちと、願いを…。
 一緒にいたい、いてほしいって…。
 言葉に出さなくても解る、伝わるなんてことは…きっと甘えなんだ。
 大切だからこそ、ちゃんと言葉に出して伝えればいい。きっと解ってくれる。
 伝えられないことを、失われた後で…悔いる前に」

 あれは自分に言い聞かせる言葉であったのだろう。
 思い出しながら小さく目を伏せた後
「ん、きっと大丈夫なりよ」
 桃音の頭を撫でながら譲治はそう答える。
 心から幸せを願わずにはいられない。
 三郎も、伊織も、桃音もみんな…幸せに、と。
「西浦センセの方は片付いて何よりやけど、もう一人の気がかりは、寮長センセの進展や。
 あっちは理想の奥さん像があるみたいやから、あんま心配いらへんかな。
 あ、…西浦センセの理想の奥さんはあるんやろか」
「そうだね。寮長もいい加減、ちゃんと身を固めた方がいいよね。そもそも五行上層部の男子未婚率は半端じゃないんだから。
 …まあ、そこを狙う人もいると思うんだけどね」
 楽しそうに笑いあう朱雀寮の寮生達。
 彼らを祝福するように6月の空は高く、青く輝いていた。

「三郎先輩、しっかり!」
 朔と紫乃。
 二人に背を押されて西家の離れで三郎は大きく深呼吸をすると襖を開けた。
「伊織!」
「…三郎」
 床から身を起こした伊織は三郎をまっすぐに見つめる。
 その小さな手を握り締め、肩をぎゅっと抱きしめて、三郎は告げた。
「私と…いや、俺と結婚してくれ。伊織と、子供と、兄者と、皆と一緒に、歩いて行きたいんだ」
「……うん」
 その光景を確かめると、二人はその場を離れた。

 しっかりと、手を繋いで…。