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■オープニング本文 森の木々も若葉の緑に染まった五月のある日。 リーガ城のある一室は天候に似合わぬ緊迫した空気に包まれていた。 「つまり…南部辺境に新しい町を拓く、と…、そうおっしゃるのですか?」 南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスは、厳しい眼差しで問う青年にはいと、静かに答えた。 「そうです。場所はクラフカウの北東。ケルニクス山脈の向こう。 かの地には水利や、大地の力に恵まれた豊かな大地があるのだそうです。 私は皇帝陛下から天儀、希儀、アル=カマルなど他の儀との交流に特化した新港を作るようにと御命令を賜りました。その為に…皆さんにもご協力を頂きたいと思っています」 静かに語るグレイスの言葉を聞くのは南部辺境の領主達だ。 小さな村程度の荘園領主から、メーメルなどの大きな都市の領主もいる。 その中でも南部辺境の中心都市リーガの領主にして、盟主。 南部辺境伯の名を持つグレイスからの思いもかけぬ提案に大事な話があると集められた彼らは、一様に戸惑い、驚きを隠せない顔を見せていた。 「辺境伯、何故今、そのような御命令が下ったのか、理由、というか経緯を伺ってもよろしいでしょうか?」 領主達の思いを代表するように、さっき問いかけた青年貴族が再び質問する。 ラスカーニア領主 ユリアスの問いに、大きく深呼吸を敷いたグレイスは彼らに告げたのだった。 「私は、この南部辺境に身分差を一部排除し、ジルベリアの法から解き放たれた自治区をを作りたいと考えています。皇帝陛下にその旨を告げ、ご裁可を仰いだところ、新港を開設し、ジルベリアに利益を齎すこと。 それができれば自治区の設立を認めても良いと、そう告げられたのです」 ざわりと空気が動き、領主達の顔が驚きと戸惑いに揺れた。 「皆さんに、何も告げずに勝手な計画をと批難されても仕方ありません。ですが、私なりに南部辺境とジルベリアの発展を考えての事。詳しい説明と計画を聞いてからで構いません。どうか御検討と、可能であればご協力の程、よろしくお願いします」 そう言って頭を下げるグレイス。 南部辺境伯の名を持つ彼は、本来なら領主達にある程度ではあるが頭上から命令できる権力を持っている。 その彼からの頭を下げての頼み。 領主達の多くは顔を見合わせながらも、とりあえず話を聞いてみようという気になったようであった。 どうなることか、もし揉めるようなら自分が辺境伯の擁護につこうと思っていたメーメル領主アリアズナはホッと胸をなでおろす。 その後、彼女も直ぐにグレイスの説明に向かったから気付かなかった。 集まった領主達の中、二人の青年貴族がそれぞれに違う、複雑な表情を浮かべていたことを…。 開拓者に向けて依頼書が届けられたのはその会合から暫く過ぎたある日の事であった。 皇帝陛下から南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスに与えられた命令についての説明が記載されており、南部辺境領主達との意見交換を経てとりあえず候補地となる場所の視察を行う事が決定したという。 目的地は南部辺境、クラフカウ城の北東沿岸地域。 そこは以前、開拓者を含む調査が入り新たな町を開く為の場所として有望な場所であるという報告が届けられていた。 今回はその地に辺境伯グレイスと、建設、土木、開拓の有識者、技術者などが視察に赴き具体的な計画を立てる予定だと言う。 『先の調査でかの地までの行程には多くはないもののアヤカシが出現することが確認されています。 今回は一般人が十名前後同行するので彼らの護衛をお願いしたいのです』 依頼書にはそう書かれてあった。 参加者はグレイスの言うとおり南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスと建設、土木、農業開拓などの有識者、技術者10名前後。 そして南部辺境領主を代表してラスカーニア領主ユリアスが同行すると言う。 グレイスを除けば全員が志体を持たない者であるので彼らの護衛が最優先事項になるだろう。 今回の視察の結果を踏まえ、正式な開拓の計画を立てて後、南部辺境の民にグレイスは計画を発表。 参加者、移住希望者を募ると言う。 『留守居はおいていますが領主不在の領地を守る為、公式の兵はあまり動かせませんし、開拓者の視点からの忌憚のない意見も頂ければと思っています。 どうか、ご協力をお願いいたします』 動き出した南部辺境の自治計画。 その実現への、これは第一歩だ。 南部辺境と、ジルベリアのこれからを大きく変えるかもしれない依頼を、係員はギルドに貼り出した。 グレイスは手の平を握りしめた。 そこに握られているのは紅玉髄の小さな指輪。 「グレイスさん。これをお持ちなさい」 そう兄嫁から託されたグレフスカス家の女主人の指輪である。 「貴方にとって本当に必要な方が誰か解ったら、ちゃんと伝えなくてはいけませんよ。 言葉に出さないと気持ちと言うのは伝わらないモノなのです。 伝えようとする努力を怠ってはなりません」 義姉の言う通りだとグレイスは思った。 それをしてこなかったからこそ、多くの人を傷つけてしまってきたのだ。 間もなく春が終り、夏が来る。約束の時まであと僅か。 両方の愛に答えることはできない。一人は必ず泣かせてしまうことになる。 なればこそ誠実に、向かい合い伝えるしかない。 一人に愛を、一人に謝罪を。 グレイスは自分自身にそう誓い、言い聞かせていた。 彼女は一人、空を見上げる。 まもなく夏を迎えるジルベリアの空は、高く美しい。 この空を、「彼」と一緒に見上げたかったのに…。 妹との出会い、そして噂に聞いた「彼」の死に彼女の気持ちは大きく揺れていた。 「打倒 皇帝」「ジルベリアの変革を」 けれど辺境伯は戦いではない方法で世界を変えようとしている。 視察に自ら手を上げたのもその為。 これから自分はどうするか、どうしたいか。 考えようと思ったのだ。 チッ! 小さく彼は舌を打った。 正直、予想外であったのだ。 辺境伯がジルベリアを変えようと言う独自の計画を持っていることを彼を含む、幾人かの領主達は察していた。 だから、それに乗じて噂を流し、皇帝との決別を促して乱を引き起こそうと思ったのに。 まさか、辺境伯が自ら皇帝に告白するという手段をとるとは思わなかったし、皇帝自身が命令と言う課題を与える形であってもそれを許すとは思わなかった。 「…私の願い…それを叶える絶好の機会であったのに…。いや、まだ遅くは無いか…。 あれを…、そしてあいつを利用すれば…」 机に重ねられた報告書を見ながら彼はにやりと笑い、呟く。 「この国に滅びを…。そして…絶望を…」 彼の声は闇に消えていく。誰の耳にも入らないまま…。 |
■参加者一覧
龍牙・流陰(ia0556)
19歳・男・サ
フレイ(ia6688)
24歳・女・サ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ニクス・ソル(ib0444)
21歳・男・騎
クルーヴ・オークウッド(ib0860)
15歳・男・騎
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ●第一歩 「まずは、第一歩だな」 ニクス(ib0444)の操る馬が、道なき道を進んでいく。 ゆっくりと一歩ずつ。 その後に続くのはクルーヴ・オークウッド(ib0860)。 「足元が悪いですから気を付けて下さいね」 彼は後ろの人々を守りながらゆっくりと歩いて行く。 馬が通るのもやっとの道であるが、それでもそこを行く人々の表情は明るかった。 「どんな場所なんだろうな?」 「ワクワクするな」 驚く程に逞しく、元気な笑顔で進む一般人達を 「頼もしいですね」 龍牙・流陰(ia0556)は柔らかい笑顔で見つめる。 「ええ」 頷くのはフェンリエッタ(ib0018)。足元では又鬼犬 フェランが頭を摺り寄せていた。 彼女の視線の先には一般人達と会話しながら進む南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスがいる。 「望む未来への一歩。無事に果たしましょ」 彼女はそう告げると彼と、彼の前に繋がる未来を見つめるのだった。 南部辺境伯 グレイス・ミハウ・グレフスカスは南部辺境にジルベリアの法から一部解き放たれた自治区を作ることを目指している。 身分差の撤廃と教育の充実、結婚、信教、特に国家間の移動の自由。 国民全てが皇帝の所有物であると言う現皇帝の考え方から外れたその計画は皇帝、帝国への叛意と取られる可能性もある危険なものであった。 慎重に準備を重ねて後、皇帝の前で計画を告げたグレイスは、皇帝から一つの命令と言う名の課題を与えられる。 それが、南部辺境への新港建設であった。 ジルベリアにも多くの港があるが、それらと一線を画すのはその港が他儀との交易を中心に置くものだということ。 つまり、他の儀の文化、交流の最前線基地となり得るということなのだ。 この港の建設を成功させたあかつきにはその港を中心に自治計画を認めるという下知を得て、グレイスは春、開拓者への報告の後、本格的な計画始動に動き出した。 まず彼は南部辺境領主達に協力を求める。次いで専門家への相談を。 辺境伯は騎士であり為政者であっても町造りに詳しい訳ではない。 故に専門家に計画実現の為にどのような手順、準備が必要かの知識を専門家に求めたのだ。 幸い、グレイスの元には開拓者が事前に調査した候補地の概要報告があった。 それを見て専門家達は、実現は不可能ではないとした上で、現地の確認と測量がしたいと言って来たのだ。 かくして今回の調査が実行されることになった。 同行するのは経験と知識を兼ね備えた専門家達。 彼等は流陰が感じたようにたくましく、頼もしい男達であった。 グレイスや開拓者とも直ぐに打ち解け親しげに話をしている。 …ただ、その中で一人離れて行く者がいた。 ラスカーニア領主ユリアスである。 時折心配そうに声をかけるグレイスの配慮を断ってユリアスは最後方に近い所を歩く。 勿論、南部辺境領主の代表の立場にあるユリアスを本当の意味で一人にはできないので横にはからくりレディ・アンとマックス・ボードマン(ib5426)がいる。 (とうとう、この日がきちまったか。 どの面下げて行った物かと、さんざ頭を捻っちゃみたが、今日まで何も浮かばずじまいときたもんだ) マックスは時折伺う様にユーリを見る。ユーリもまた何かを告げたげにマックスを見る。 けれどもどちらも何も、言葉を紡ぐことができない。 付かず離れず、互いを意識しながらも何も語らず歩き続ける二人は、ずっと不思議な沈黙を纏っていた。 バササッ! ふと、遠く羽音が聞こえて開拓者達は身構える。 しかしアヤカシのそれではなかった音は、澄んだ声と共に開拓者の頭上に近付き響いた。 「周囲に敵影は今のところもう無いわ。どうする?」 空龍ゼファーと共に先行調査に出ていたフレイ(ia6688)の問いを受け後ろを振り返るグレイス。 その視線を受けて流陰は地図を確認し、空に向けて声をかけた。 「もう少し先に以前休んだ空き地があります。今日はそこで野営しましょう!」 気が付けば昼の休憩からかなり経つ。 周囲の空気はオレンジ色に染まりつつあってそろそろ夜に向けての準備が必要だろう。 日の長い初夏とはいえ、総勢20余名の野営。 早めに準備しておくに越した事は無い。 「先に降りて待っていて下さい。火の用意をしていて頂けるとそれを目印に迷わず進めると思います」 「わかったわ! 行くよ、ゼファー!」 軽く頭を下げフレイと龍は飛び去って行く。その背を見上げ彼女の残したウインクにグレイスは小さな笑みを浮かべていた。 ●夜の言葉 「前回、辺境伯の父上の依頼を受けた時もここで野営をしたな。よし、できた」 「そうね。そしてニクスのシチューを食べたわ。美味しかった」 鍋をかき混ぜるニクスの側で皿を並べながらフレイは微笑んだ。 あの時に比べれば今は暑くも寒くもなく良い陽気だ。旅をするには最高の時期と言えるだろう。 「ケモノもアヤカシも冬のあの時に比べれば殆どいないと言っていいくらいですね。ここまで戦闘は一回。モラルタを起動するまでもありませんでしたから。ケモノはこれから減るかもしれませんが…」 皿を受け取りながらクルーヴは考え込む。 今まで人が殆どいなかった地域に人が入る。 結果、変化は起きるだろう。良きにつけ、悪しきにつけ。 「今思うと、あの方は一般人も含めて行われるであろうこの調査の日程を逆算してあの時期に依頼を出してこられたのかもしれませんね」 「まったく、どこまでいっても陛下と父上の手の平の上、なのでしょうか」 「グレイス!」 フレイは振り返り声を上げた。今後の計画の確認に来たと言ったグレイスは少し、肩を竦めてみせる。 彼の言うとおり…現状からの推察でしかないが…ガラドルフ皇帝はグレイスの計画を告白前に察していたのかもしれないと思う。だから辺境伯の父であるエドアルドに事前調査を命じた。 そして結果、南部辺境に新しい町と港を建設できる可能性があると解ったからこそ、グレイスに『命令』を与えたのであろう。きっと…。 グレイスは野営の中心を見る。 そこにいるのは既に酒と料理に盛り上がっている一般人達だ。 「あの方達は本当に優れた知恵と技術を持っています。志体を持たず身分もありませんが、それぞれの分野では私達など足元にも及ばない先駆者なのです」 目を細めて彼らを見つめたグレイスは開拓者達に向かい合う。 「命令という名の課題を与えてとはいえ、陛下は今までのジルベリアを否定しかねない思想をお許し下さった。陛下ももしかしたら、今のままではいけないと思っておられるのかもしれません。 だからこそ、今まで以上に強く思います。…この計画は、絶対に成功させたいと」 依頼の開始前、グレイスは開拓者達に改めて事情を説明し深い決意を語った。 「とにかく、これで辺境伯の考えた自治計画が多くの人の耳に入ることになりましたね。 きっと後押しする者も居れば、妨害する者や利用しようとする者も出てくるでしょう。 ここから先は、気を抜けませんね」 流陰は微笑した。 彼が差し伸べてくれた見えない手をグレイスはしっかりと握りしめる。 「はい」 強い決意と共に。 それを見届けたニクスは、傍に控えるフレイに微かに目配せしてスッとその場を離れた。 いつの間にか離れた仲間を追う様に。 人々の輪の中で 「オリーブ油入りのスコーンは如何? 希儀に移住した人々が作った人気の品よ」 男性達の憧れの視線を受け話を盛り上げているフェンリエッタと対極にいる『女性』の元へ、と。 人々からも、開拓者からも離れた木陰で 「ユーリ」 吐き出すようにマックスは一人きりの天幕から出て来たユリアス、いやユリアナ、ユーリに頭を下げた。 「済まない、力及ばずだ」 「…噂には、聞いていました。でも、貴方がおっしゃるのであれば、やはりあの方は亡くなられたのですね」 静かに問うユリアナにああ、とマックスは頷く。 「私がその場に着いた時には総ては終わってしまっていた。 誰かが意図的に情報を親衛隊に漏らしたのか、 それとも親衛隊が自ら潜伏場所をつきとめたのか、その辺も確認出来ずじまいだ」 ユーリがあの方と言うのはアルベルト・クロンヴァール。ジルベリアに対して武装蜂起した叛乱の首謀者にして皇女 ユリアナの数少ない理解者であった。 アルベルトはこの春に死亡した。潜伏先で開拓者によって発見、斃されたとされている。 されている、というのはその死の瞬間を語る者がいないからだ。それはマックスも例外では無い。 マックスが見たのは死後、既に切断されたアルベルトの首だけだ。 「…マックスさんのせいではありません。…ただ、友として、同志として…彼を救えなかったのが、心残りなのです」 ユーリの前にマックスはそっと立った。女性にしては背の高いユーリの頭はマックスのそれとほぼ同じ位置。 合わせた目線の先で彼女は必死に何かを堪えているように見えて、マックスは静かに受け止め頷いた。 …そして告げる。 「さて…これからどう生きるね」 「…どう…ですか?」 問うユーリにマックスは頷く。 「どうやら「力」以外の手段で国を変えることが出来そうな流れが出来つつある。 それに乗るか、このまま進むか…だ」 「…解りません。今は…まだ」 精一杯振り絞ったユーリの言葉に、そうだな。とマックスはもう一度頷く。 「このまま進むにしても戦力不足は深刻だ。 手を差し伸べてくれる相手がいるかもしれんが、 それは悪魔の誘惑かもしれないと常に疑ってかかるべきだろう。 もっともそれは全てに言えることかもしれないが」 さっき、流陰も言っていた。 『後押しする者も居れば、妨害する者や利用しようとする者も出てくるでしょう』 と。 「君は決めなければならない。 彼を失ったがために、それ以外の選択が無い状況に追い込まれたと言えるかもしれん。見ようによっては、だがね」 「…少し、時間を下さい」 マックスはユーリの言葉に頷いて一礼し、去って行く。 そして、天幕に戻ろうとしたユーリを 「ユリウス」 静かな声が呼び止めたのだった。 ●無垢なる未来 旅は恙なく進んだ。 旅の間三度アヤカシの襲来があった。 主に怪狼に剣狼、人面鳥などの下級獣アヤカシが主であった為、数こそ多かったものの歴戦の開拓者達にとって敵とはならなかった。 「狼アヤカシの襲来、ですね。どうしますか?」 「まずは一般人達の安全確保を!」 揺るぎない辺境伯の方針に ニクスのエスポワールと、クルーヴのモラルタ。二体のアーマーは迅速起動、鉄壁の壁となって一般人を守り、フェンリエッタ、流陰が敵を片付ける。マックスの文字通り援護射撃で減らされ傷ついたアヤカシの多くは大した抵抗もなく瘴気に還る。 一度、一匹だけ、囲みを抜け剣狼がユーリとグレイスに迫ったこともあったが 「レディ!」「フェラン!」 相棒達が足止めをしてくれればグレイスとて開拓者に遅れは取らない。 だが、その剣よりも早く咆哮が、轟き朱の光が煌めいた。 「グレイス! 敵は近づけないから」 自分達に任せろ、とそういう意思を込めたかのように立ちふさがったフレイはグレイスを見てニッコリ微笑む。 狼は彼女の決意と思いを前に、瘴気へと戻って行った。 開拓者にも技師達にも怪我は殆ど無く、僅かな怪我は流陰の人妖瑠々那が治癒してくれる。 かくして森を踏破した一行は 「おおっ!!」 ほぼ予定通りに目的の場所。半島の向こうの入り江に辿りついたのである。 「こりゃあ…海の港としても申し分ないな…」 まず入り江の深さ、状態などを注意深く調べていた船大工が声を上げる。 「今回求められているのは海を行く船の港ではなく、飛空船の港だろう? 必要な施設をどの辺りに建築するか、建築資材はどこから調達してくるかが問題になると思うね。…幸い周辺は森だ。木材を切りだすのにはそう不自由はなさそうだが…」 「確かにそうですが、切り出した木材の運搬などにはやはり川を使いたいところですから水場は重要です。…やはりこの入り江のあたりに第一ドッグを作って…」 「なるほど」 建築家などと本気で測量と開始する。彼らの求める情報が得られるようにマックスが護衛を兼ねて側に付いた。 農地開墾の視点から植物などの調査に入る専門家もいる。 「前回までと大きな差は、ないようですね」 草地の様子を見ながらクルーヴは呟く。大きく踏み荒らされた様子もなく、植物はさらに成長している。冬の終りに見たクローバーやレンゲ、イラクサに加え野イバラや野イチゴなど前には見られなかった植物も増えている。 正直に言えば人の入らない平原は草ぼうぼう、雑草も身の丈に迫るものであるが… 「これも大地の恵み豊かな表れかもしれません。ここまでの場所は私も初めて見ました」 とかえって感心しているようだ。 喜々として調査、測量に動き出す技師達の横で、それぞれの表情、思いを込めて目の前の光景を見つめる者がいる。 ユリアス、ユーリであった。 「世の中には…まだ私の知らない世界が広がっているのですね」 静かに呟くユーリの頭の中では野営の夜、ニクスに語られた言葉がぐるぐると輪を描いて回っている。 「辺境伯のなし得た、否、なし得ようと第一歩を踏み出した血を流さぬ改革。 これにどんな思いを抱き、これからどうするつもりなのかな。君は」 全ての始まりは自分の私怨であることをユーリは理解している。 自分の存在を知らない父に認めて欲しかった。 何も知らず幸せに生きている妹が羨ましかった。 民の為、不公平を強いる皇帝を打倒する。そんな思いもレナとの邂逅とアルベルトの死後、驚く程に萎んでいくのをユーリは自覚していたのだ。 そんな自分の前にグレイスが、開拓者が導いた大きな可能性。 「辺境伯の覚悟は、確かめさせて貰った。己が民の為に身体を張る、一番人を治める者として必要な思考をもっている事を。だから俺は彼を信じる、その一方で更なる流血を生む結果となるならそれを止める。そうはならないように、全力を尽くす。領地は無くても俺は騎士だ。 力を持たぬ人の為に、友の為に、俺は信じる道をいく」 開拓者に信頼を受けるグレイス、グレイスを、友を信じる開拓者。 アルベルトを失ったばかりのユーリにとってニクスの言葉と目の前の光景はあまりにも眩しかった。 「ユリアス」 「フェンリエッタさん」 ふと振り返った先にユーリを見つめ佇むフェンリエッタがいた。 「貴方に、告げておきたいことがあったの。…私は貴方が嫌い。境遇を言い訳に人を利用するから」 責めるでもなく、怒るでもなく彼女は静かに言う。 キュッと唇を噛みしめ俯くユーリの肩にそっと手が触れた。 「でも彼女は…レナは大切な友達だから。彼女は貴方にいいえ、貴女に惹かれている」 レナ。 その名にユーリは顔を上げた。 フェンリエッタは微笑むと… 「…いつかありのままの姿で向き合えるよう願ってる」 祈るような口調でそう告げ 「フェンリエッタさん! こちらを手伝って貰えますか?」 呼ぶ声に手を上げて戻って行く。 「その時は私も友達になれるかもね」 静かな言葉を残して。 ユーリは逃げるようにその場を離れ木陰で膝を抱えた。 マックスのからくりの気配がするが、気にせず一人泣きじゃくる。 「お母様…アルベルトさん、…レナ…父上…」 あふれ出る涙を堪えることはもう…できなかった。 目の前に広がる無垢な大地。 それに言葉を失ったのはグレイスも同じであった。 自分の領地でさえ知らない場所がある。こんな無垢な大地が広がっている。 …だとしたら、世界はどれほど広いのだろうか。 自分達はそのどれほどを、知ることができるのだろうか? 草原に立ち、前を見つめるグレイスの足元でざわり、影が揺れた。 「グレイス!」 フレイの声にグレイスはとっさに身を翻す。 さっきまで彼がいた場所に風の刃が閃いた。 「今のは…」 「皆! 気を付けて! 雑草の中にリッパーグラスが混ざっているわ!」 フレイはそうあちらこちら散らばる仲間や職人達に声をかけると、足元で蠢くそれを踏みつぶした。 リッパーグラスはそう珍しくも強くも無いアヤカシだ。 ありふれた雑草を装ってケモノや人を襲ってその血を啜る者。 「貴方が戦うまでも無いわ。私達に任せて!」 決意を込めてフレイはグレイスを真っ直ぐに見つめる。 (そう、彼がこれから戦うのはもっと大きなもの。 ケチな争いや陰謀じゃなく、こんな雑魚との戦いでもなく、もっと大きな舞台で真価を見せる事になる) 「貴方は前だけを見ていればいい、堂々と」 フレイは笑って見せた。 (足元の石を払い、草を刈り、彼の未来に影が差さぬ様に照らすのが、私の役目と思ってる) 「いいえ、私の望みだわ」 太陽の様に艶やかに、鮮やかに。 ●約束と告白 調査団の一行が無事にリーガに戻り着いたのは出発から十日を経ての事。 「よう! ありがとな」 「いい天幕のおかげでゆっくり眠れたよ。楽しい旅だった」 「また一緒に飲もう!」 「フェンリエッタさん。希儀のキャビア。いつか絶対に輸入して、ジルベリアで食べさせてやるよ」 解団式、と改まった訳では無いが仕事を終えての解散の前、技師達は開拓者、特に親しく声をかけてくれた流陰とフェンリエッタには格別の笑顔で手を振った。 「流石に辺境伯が選んだ専門家達の中には…潜り込めなかったようですね。良かった」 主語の無い呟きであったが流陰の言葉の意味を全員が理解している。 小さく微笑んで既にやる気満々で検討に入る技師達をグレイスも見送った。 今回得られた資料と計測などを基に必要な資材や、物資の計算に入り、移住希望者を募って開拓計画を実行に移す。 まだ始まってもいないがグレイスの目指す未来への、そして新しいジルベリアへのこれが第一歩である。 「では、私もこれにて」 ユリアスも開拓者と辺境伯にそう告げ馬頭を返す。 一度だけ、マックスを見つめた立ち止まったユリアスに 「ユリアス」 ニクスは呼び止めた。 「…願わくばその道が交差せぬように、同じ道行きとなる様に願ってやまない」 深くユリアスが残した一礼と何かを決意したような眼差しの意味を開拓者達は、今はまだ、推し量る事はできないでいた。 「彼らの調査結果から計画を纏めその概要が決まり次第、正式に私は計画を民に発表しようと思います」 開拓者達もそれぞれが帰路について後、残った女性二人の前でグレイスはそう告げた。 胸に手を当て誓う様な彼に 「相変わらず身勝手で慇懃無礼。 でも懸命な人は誰もが格好良い」 フェンリエッタは静かに、微笑んだ。 「もっと様々な人の目に映る様々な自分を知って下さい。 省みる機会は自立した大人にさせてくれる。 だから開かれた港は貴方の為にもなる筈。 そして精一杯築き上げたものにお兄様と同じ春の名をあげるといい。 決別と始まり…自立の象徴として」 一言、一言を噛みしめるようにグレイスに語るフェンリエッタ。 「貴方は過ちを罰せられず守られた子供のまま時間が止まってる。 本当の意味で償いも親離れもしなくちゃ。 それ位の公私混同ならきっと許されるわ」 「ありがとう…ございます」 その言葉を零さないか為のように、胸に手を当てると 「フェンリエッタさん」「フレイさん」 二人の名を呼んでグレイスは跪いた。 「もし叶うなら、発表の場に二方もお立合い頂けないでしょうか。 民への告白、その前に…私はお二人に告白します。一人に許しを、一人に愛を…。 強制はしませんし、できません。ですが…お待ちしています」 二人それぞれの手をとり騎士の礼とキスを捧げて去っていくグレイスを、二人は自身の思いと愛と共に見つめ、見送るのだった。 新しい第一歩を踏み出した者達はそれぞれに決意を固める。 南部辺境を、ジルベリアを揺るがす告白の日まで、あと僅か…。 |