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■オープニング本文 他国では解らないが、五行国においては陰陽師は子供達にとって一番の憧れである。 志体を持って生まれた幸運な子の多くが陰陽寮を目指し勉強や修練に挑んでいる。 そんな国であるから両親なども大抵は子供が希望すれば、それを許し支えてくれる。 だからこういうのは意外に珍しいと朱雀寮長 各務 紫郎は思った。 「僕は、陰陽師になりたいんだ!!!」 男の子はそう言って目を輝かせて自分を見つめていた。 東房での調査を終えた朱雀寮生達。 一年生と二年生が寮に戻ったある委員会の日。 「みなさんにお願いがあります…。暫くこの子の面倒を見てやって貰えないでしょうか?」 寮生達は寮長にそう言って一人の男の子を紹介された。 「陸、です。どうぞよろしくお願いします」 陰陽寮に子供は実は少なくない。 卒業した3年生の中には最年少十歳で入学した者もいるし、桃音もそれと大して変わらない。 開拓者であればなおの事、優れた活躍をする子供も時に見かけることもある。 けれど、陸と名乗ったその男の子はどう見てもまだ彼等より年下に見えた。 「寮長、この子は? いくつなんですか?」 「入寮を希望している子、です。今年九歳になったばかりだと聞いています」 「僕は…、陰陽師になりたいんです! だから…家出してきたんです。ここに置いて下さい。お願いします!」 手を握りしめ、力を込める陸。 その姿に目を瞬かせながら寮生達は、珍しい困り顔で微笑む寮長と陸を見比べるのだった。 「僕の家は…五行の辺境の小さな村にあります。お母さんはいなくてお父さんは猟師。 村の皆に結構慕われているんです」 家出少年陸は寮生達に自分の生い立ちを語る。 「でも、開拓者は嫌いなんだって、陰陽師も。村が前にアヤカシに襲われた時に、誰も助けてくれなかったからって…。その時に母さんが死んだからって… 誰も伝えに行けなかったから、誰も解らなかったんだし…仕方ないって村の皆はいうし、僕もそう思うんだけど…」 物心ついた時から父親と二人暮らし。 村を支える勇士の息子として大事に育てられていた陸は最近、村を訪れた五行の陰陽師から自分が志体という特別な才能を持つ者であること。 陰陽師や開拓者という存在になって、村を守る事ができるのだと教えられた。 「でも、父さんは陰陽師になることは許さない。開拓者になるのもダメ。 村で猟師をやれって…。そして僕を家に閉じ込めて一歩も出してくれなくなったんだ。 隙を見て…窓から逃げて来たんだけど…」 ほぼ着の身着のままで山を降りた陸が空腹に行き倒れていた所を、たまたま見つけ拾い上げたのが朱雀寮講師の西浦三郎であった為、陸は朱雀寮にやってきたのだという。 寮長である紫郎にも、年齢がまだ幼すぎる事、親の了承も得ない家出少年を預かれない事、入学金がかかるという事。 入寮試験があるのだという事。 それらを諭され、家に戻るように促されたが陸は 「家に戻ったら、二度と村から出して貰えない! 陰陽師にも開拓者にもなれない!」 と寮の柱にしがみつく始末である。 「僕、何でもします! 掃除でも、洗濯でも、炊事でもなんでもします。やれます! 入学金が必要ならお金を貯めます。勉強もします。だから…どうかここに置いて下さい! お願いします!」 陸は地面に座り、頭を地面になすりつけるようにしてそう寮生達に言った。 けれど、寮長はこういう。 「既に陸の村には連絡を入れました。程なく父親が迎えに来るでしょう。 陸は確かに優れた資質を持った子供ですが、仮にも国の機関が保護者の承諾も無い家出少年を受け入れる訳にはいきません。 入学金や、生活費の事も特別扱いはできませんから。 これは確実な事ですが二人が再会すれば、間違いなく修羅場になるでしょう」 と。 さらにこう続けた。 「丁度いい機会です。今まで伸び伸びにしていた進級保留者用の第二課題をこれとしましょう。 陸と父親の面会に立ち会い、問題を解決に導きなさい。 陸を諦めさせる。父親に息子が陰陽師になることを認めさせる。 どちらでも構いません。 二人が互いに納得した上で出した結論であるなら」 「ええっ! 家出少年と父親のケンカの仲裁が進級用課題??」 首を捻る寮生達に寮長は微笑む。 「事態の解決に必要なのは『開拓者とは、陰陽師とはどんな存在か』を二人が理解することです。 二人を理解させる為には、自分達が理解せねばなりません。 これも無用な課題ではありませんよ。 勿論、通常の委員会活動を疎かにせず、が条件ですけどね」 今、陸は朱雀寮に預けられている。 言葉通り、掃除や食堂の手伝いなど何でもやりながら。 その姿を見ながら寮生達は寮長の言葉を思い出す。 「本来課題になどする必要もないことですが、課題とすることで皆さんにも改めて考えて欲しいのです。 陰陽師とは、朱雀寮生とは、開拓者とはどんな存在かを…」 簡単なようで難しく、難しいようで簡単な課題が寮生達の前に開かれる。 一組の親子の、運命を乗せて…。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / 蒼詠(ia0827) / サラターシャ(ib0373) / 雅楽川 陽向(ib3352) / カミール リリス(ib7039) / 比良坂 魅緒(ib7222) / ユイス(ib9655) / ネメシス・イェーガー(ic1203) |
■リプレイ本文 ●それぞれに思う事 「陸。桃音も、準備運動はええか?」 晴れやかな青空広がる朱雀寮の中庭で、屈伸や前屈などで準備運動のように身体を動かしていた芦屋 璃凛(ia0303)は大きく伸びをしてから振り返ると、二人の後輩達にそう笑いかけた。 「うん、いつでも大丈夫だよ」 「ぼ、僕も大丈夫です」 すっかり朱雀寮での生活にも慣れ明るく笑う桃音とは反対に「陸」と呼ばれた少年の表情は硬い。 「そんなに緊張せえへんでええよ。まあ、ちょっと陰陽寮の姿を見て貰う為にやって貰う事もあるけど、気軽にな。それじゃあ、出発!」 元気に走り出した璃凛を桃音と少年は追いかけていく。 門を出ようとするとき、璃凛はふと横を見て手を振った。 本を抱えた図書委員二人はそれに小さく手を振ってこたえたのだった。 図書の整理をしながらサラターシャ(ib0373)は独り言のように呟いた。 「ちょっと難しいお話ですよね」 「陰陽師になりたくて家出してきた少年、ですか」 彼女の呟きは静かな図書室で作業をしていれば自然と耳に入って、カミール リリス(ib7039)も考えるように頷く。 「彼と追って来るであろう父親を説得すれば、サラの本復帰が叶うとなれば頑張らないといけませんが…」 「本復帰そのものはそれほど重視しなくても良いと思うのですが…」 そう静かに笑うサラターシャにリリスは小さく笑み返す。 「まずは、互いの思いを理解することが大切ですね。お父様ともお話を聞く機会があるといいのですが…」 「陸君は、どうだったんです?」 リリスの問いにサラははいと、答える。 「開拓者を志すならお父様を説得出来なくてはいけませんよ。 開拓者はそれ以上に難しい事件を解決しなくてはならないからです」 体育委員会のフィールドワークに出発する前、サラターシャは陸と二人で話をした。 「陰陽師になりたい! 強くなって皆を守れるようになりたいんだ!」 子供にありがちな情熱が先行し過ぎているのは間違いないが、彼は彼なりに真剣に考えての行動であるようだと思えた。 「大事な人を守れるようになりたい。それが彼の思い、ですからね。大事にしてあげたいと思うのですが…」 「先輩!」 その時図書室の扉がいつもより勢いよく開いて、息を切らせた図書委員ユイス(ib9655)が入ってきた。 「陸君のお父さんがお見えです。寮長が先輩達に…と」 「解りました。今行きます」 そう答えたのはリリスだった。 「サラ、先に行って話を聞いてきますね。説得はその後、よろしくです」 「解りました。お願いします」 図書室の扉が閉じられるとまた静寂が戻る。 「父親、か…」 何かを思いかえすように零れたユイスの言葉を、サラターシャはあえて拾わなかった。 彼がそれを望んでいないだろうと思ったからだ。 だから代わりに 「ユイスさん。こちらの図書の整理お願いできますか? 私も後から出かけますので。 この本は向こうの棚へ。一年・二年用の授業の参考になる本です。 あと、こちらは璃凛さんが記録した魔の森関係の調査資料」 何時もの通りに何時もの仕事を割り振る。 「はい、解りました」 図書委員の仕事にいつにも増して専念するユイスにサラターシャは心から優しい笑みで微笑むのだった。 トントン。 と扉をノックする音が聞こえて 「どうぞ」 書き物作業の手を止めた蒼詠(ia0827)は廊下に向けて声をかけた。 「ちょっと、頼みがあるんだけどいいかな?」 そう言って入って来たのは調理委員会の委員長である彼方だった。 同輩女子や開拓者達には敬語を使う彼だが、最近は自分にも清心と話している時のように素の言葉遣いをする。 「はい、何のご用ですか?」 自然に浮かんだ笑みで問う彼に彼方はうんと頷いた。 「ヨモギが欲しいんだ。草餅を作りたくて…。あとはタンポポ。保健委員会の薬草園になら新鮮なものがあるんじゃないかな、って思って」 保健委員会委員長でもある蒼詠はううん、と小さく考える。 「あるにはありますが…だいぶ丈が大きくなっていますからね。草餅などには新芽が一番いいと思うんですがそれにはもう遅いかもしれません。タンポポも、食べるなら若いものがいいですよね。既に綿毛になっているものもあるので…」 「そうだね。解ってはいたんだけど…」 「でも、ヨモギもタンポポも、葉っぱの先端の柔らかい部分だけを摘み取れば美味しい料理ができるのではないかと思います。ご案内しますね。どうぞ」 筆をおき立ち上がる蒼詠を追う様に彼方も立つ。 「ありがとう。でも…いいの? 仕事中だったんじゃ?」 「薬草園の世話も保健委員会の仕事ですからね。書き物は今後の為に、と思って仕事の内容が解るように書いてみようと思っただけですよ。 丁度手入れもしなければならないですからお気になさらず」 「じゃあ、お礼に手入れ作業手伝うよ」 「ありがとうございます」 連れだって歩く二人はふと、横を見た。 壁越しに聞こえる覚えの無い声は随分と苛立ちと怒りを孕んでいるようだ。 確か向こうは応接室。 「陸君のお父上がいらっしゃっているようですね。相手をしているのサラさん…いえ、リリスさんでしょうか? 随分と苛立っておられる様子…」 「そうみたいだね。これは、説得は大変かなあ」 二人はそれぞれに肩を竦め…そしてため息交じりの息を吐き出した。 「陸さんはなんだか幼い頃の自分を思い出しますね。力になれれば良いのですが、僕に何が出来るでしょうか……」 「右に同じ。僕も陰陽師になりたいとお師匠の反対を押し切って家を飛び出して来たクチだからね」 「正直、表だって関わると陸さんの方へ肩入れしすぎてしまいそうで難しいですね」 「再び同じ。だからせめて美味しいものを作ってあげたくてさ。今頃調理場では魅緒が猪鍋の準備をしているんだ」 顔を見合わせて彼方はくすりと笑う。 「魅緒が言ってた。共に飯を食えば大抵の問題は解決するって。あの二人の問題も解決すればいい。その為の手伝いができればいい、って思うよ」 信頼する後輩である比良坂 魅緒(ib7222)の言葉を嬉しげに語る彼方に頷きながら、蒼詠は 「そうですね。僕もできる限りの事でお手伝いをしましょう」 「そういえばヨモギはともかくタンポポも薬草園にあるんだ? 自分で聞いといてなんだけど雑草だと思ったよ」 「タンポポは立派な食用草花ですからね。根っこで作ったお茶などは独特の風味ですよ」 友と共にまた薬草園への道を歩き出すのだった。 自分でできることをする為に。 ●父の言い分と美味しい言葉 さて、昼も過ぎた頃、朱雀寮に息子を迎えにやってきた父親であるが、実際、最初はこれはもう大暴れ。手が付けられないというありさまであった。 「息子はどこだ! 息子を返せ!」 出迎えた職員などに対しても怒鳴りつけ胸ぐらを掴むありさまであったという。 腕のいい猟師であると言うだけに恰幅もよく、力も強い。 一般の職員達には手も足も出ない相手であった。 だが、それは一人の人物の登場によって一変する。 「ようこそ、朱雀寮へ。陸君は今、少し出かけています。じきに戻ってきますから、少しお話しませんか?」 朱雀寮三年生の到着である。 リリスに、見るからに種族の違う娘にそう笑いかけられて、流石に手を上げることもできなかったのだろう。やっと応接室に入り、話を聞く体制に入ったのだった。 やがてそこにサラターシャも加わる。穏やかな優しい笑みを向けられては彼も手を上げられ無いようだ。 二人は父親の話を聞いた。 「…幼い頃、共に村を守ろうと約束した友は自分に志体があると解ると、あっさりと村を捨てて都会へ、五行に出てしまった。あげく五行の戦乱で死んだのだ。里には骨さえも戻ってこなかった!」 「妻も猟師で私の大事な相棒だった。村がアヤカシの襲撃を受けた時、倒しても倒してもつきないアヤカシから私の背をずっと守ってくれたのだ。命が尽きるまで」 「陰陽師だの開拓者だの依頼が無ければ何もしてくれない冷たい連中だ。そんな奴らと同じようになれば、陸もまた村に戻って来なくなる!」 父親にとっても多分不思議な程に彼の口からは尽きぬ思いが滝のように溢れてくる。 穏やかで優しい、菫色の夢見る瞳と美しい空色の瞳が彼の心を解きほぐしたのかもしれない。 「そうですね。それは本当にお辛いですよね」 「大切な人を失う悲しさは、私達には理解しきれないものかもしれませんが、解ります」 二人は辛抱強く、彼の思いを決して否定することなく、受け止めたのだ。 結果として父親は徐々に冷静さを取り戻して行ったようである。 「…すまない。君達に八つ当たりをする事では無かったな」 最後にはそう頭を下げてくれた父親にリリスとサラターシャは顔を見合わせて微笑む。 「いえ、父親がお子さんが心配するのは当然です。陸さんは良いお父さんを持って幸せですね」 そう褒められて彼はばつが悪そうな顔で俯く。 サラターシャは確信した。 今回の件は、お互いを思い合った結果のすれ違い。 『僕は、村を守れる人間になりたいんです。陰陽師になって母さんが死んだ時のような襲撃から村を守れるようになりたい…』 出発前に聞いた陸の思いと合わせても決して理解しあえない事は無いのだと。 「もうすぐ夕方です。今から戻っても帰りは遅くなってしまうでしょう。 夜道は腕の良い猟師さんでも危険です。 買い出しとフィールドワークに出かけた陸さんもじきに戻ると思います。 今夜は朱雀寮に泊まって行かれませんか? 陸さんと一緒に食事をして話し合って…それからご一緒に帰られた方がいいと思うのですが…」 「陸を…返してくれるのか?」 サラターシャの唇から紡がれた柔らかい言葉に父親は少し目を見開いた。 彼の中では陰陽寮が息子を誘惑し、囲い込んでいるという事になっていたのかもしれない。 「勿論です。彼が将来、陰陽師の道を選ぶにしてもそれはやはりお父様の許可を得ての事でなくては…」 「入寮試験も、入学金もありますからね。どちらにしても直ぐは無理ですよ」 そう告げられて彼も本格的に頭が冷えたのだろう。 「すまない…感謝する」 父親は二人に本格的に頭を下げた。その様子に二人は顔を見合わせ、静かに微笑みあったのだった。 夕刻。 朱雀寮の食堂にはいつも通り、いや、いつにも増して美味しそうな匂いが漂っていた。 「今日は山菜と猪肉で猪鍋じゃ。それにウドのサラダ。蕨のおひたしにたんぽぽとウドの天ぷらもあるぞ」 「デザートはヨモギ団子。あんこときな粉の二種類があるから好きな方をどうぞ」 「水のゼリーと、水ようかんもあります」 ネメシス・イェーガー(ic1203)がお盆を運んで来るとわあっ! と歓声が上がった さっそくの食事会。賑やかで楽しい声が食堂に木霊する。 「ほら、陸。いっぱい食べなあかんよ。フィールドワーク。一生懸命頑張ったもんな」 そっと労う様に皿を差し出す璃凛から陸は恥ずかしそうに目を逸らす。 「…頑張ったなんて、そんな…」 陸としては僅かに持っていた自信を喪失させるに十分なフィールドワークであったのだ。 かなり手加減してくれていると解るゆっくりとした走りにもまったくついて行くことができず、自分とそんなに歳の変わらない桃音に気遣われる有様。 少しでも役に立てたのはウドや山菜の確保だけであった。 自分が何もできず、何も知らない子供であることを改めて思い知らされた気分であったのだ。 気が付けば部屋の向こうには父親が来ている。 寮生達が色々と話しかけているようだ。陰陽師嫌いの筈の父が静かに会話しているのを見て陸は少し驚いていた。 自分を睨みつけるその様子が怖くてなるべく遠い席にと座ったが、ここに来たばかりの時、寮長や寮生達に真っ直ぐに告げたほどには「陰陽師になりたい」と言えなくて陸はずっと俯くしかなかったのである。 「どないした? おとんを説得するんやなかったんか? サラが言うてたけどあのお人も話の分からん相手やなさそうやで…。息子を心配して迎えに来てくれたんやろ」 「…でも」 ぎゅっと手を握りしめる陸に璃凛は小さく呟く。 「うちには、おとんの記憶ないしうらやましいで」 「えっ!」 委員会の時からは想像できない声音に陸が顔を上げたとほぼ同時 「はい、どうぞ」 桃音から目の前に椀が差し出された。花模様の美しい器に醤油仕立ての猪肉が正に花のように咲いている。 「猪鍋って…僕の村では味噌仕立てが多いんですけど…」 雅楽川 陽向(ib3352)から椀を受け取った陸はそれをくんくんと匂いを嗅いで汁をごくりと啜る。 「あ、美味しい」 いつもの味噌仕立ての猪鍋は濃厚で身体が芯から暖まる気がする。 でもこれはとてもさっぱりと食べられる。うっすらとショウガも効いていて味噌鍋とは別の形で身体も暖まってきた。 「こういう食べ方もあるんだ…」 感心しながらも同時に父親が作ってくれる猪鍋の味も思い出した。 しっかりと自分を支えてくれるような強い味も。 「喉が乾いたら、こちらもどうぞ」 ネメシスが白いゼリーを差し出した。 「これは、寒天に近いですが、ゼリーのような食感になるのです」 猪鍋というのは食べているとけっこう喉が渇く。食後には早いが思わずゼリーに手を出してしまった陸にネメシスは別に小さな盆を指し示した。 きなこや黒蜜や白みつ、果実を煮詰めたジャム数種類。 それを少したらしたゼリーを口にした陸は目を見開いた。 「…美味しい」 「元は何の変哲もない味も無い水のゼリーです。でも、出会い、加えるもので大きく味わいは変わって行く。 どんな物も、思い一つでは、無いでしょうか」 無表情なからくりの娘の言葉を噛みしめるように陸はゼリーを静かに呑み込むのだった。 ●少年の思いと寮生達の言葉 陸にとって修羅場を覚悟していた食事会は驚く程あっさりと、賑やかにでも、静かに終わって父は何も言わずに寮生の促しと共に食堂を出て行った。 「今日はお父さんも、朱雀寮に泊まっていく言うてたで。 陸さんもうちのらの仮眠室に泊まり。あ、で片付けも手伝ってくれるとうれしいな」 陽向にそう誘われて、勿論陸には異論は無かった。彼女は確か朱雀寮の用具委員会。食器の準備の時にそう聞いていた。 宴会と言ってもいいくらいに用意された料理の片づけはなかなか大変である。 用具委員会、調理委員会だけではなく、手の空いている者は皆、手伝っている。 「用具委員は、道具の整理と片付けが仕事や、陸さんが家を掃除するんと、なんも変わらんで。ほい、これ今日使った食器な。春らしゅうてええやろ♪」 運んでと差し出された花の器を見てはいと、陸は頷いた。 見慣れた食器には山野草が美しく描かれておりじっと見つめてしまう。 「なあ、陸さん」 そんな陸に陽向はそっと声をかける。 「陰陽師になりたいって、大そうなことなんかいな? うちは茶店でみたらし団子食べて、美味しかったから陰陽師になったんよ。 理由聞いた人、皆が目を丸うしとったな。 団子作る人、材料作る人、食べる人、皆の笑顔守りたい思うたねん。 何も、特別な事はない。急ぐ必要もない。本気で陰陽師になろう思ったらいつでもなれると思うんよ」 「うん、僕らの先輩の先輩には子育てが終わってから陰陽師になるって朱雀寮に入って来た人もいたしね」 「ユイスさん」 台を拭く手を止めて相槌をうつユイスの頭には角があり、日向の頭には耳がある。 最初に会った時実はびっくりしたのだが、話をしてみれば何も他の誰とも変わらない普通の少年であり少女だった。 「開拓者は人を守るもの。 請け負う依頼は多種多様にある。 父親くらい説得できなくちゃお話にならない、とボクは思う。 陰陽師は他の職業よりも危険な力を扱う、より責任が求められる職だ。 だからこそ、人と人との絆はより必要になるし、ね」 「うむ、家から出る気概は立派じゃ。 だが、親の承諾なしで陰陽師にする訳にはいかぬぞ」 台所から出てきた女性はそう言って、陸を見下ろした。 「あ、魅緒さん。今日の料理も美味しかったで」 「鍋も美味しかったけど、山菜とタンポポの天ぷらも良かったね」 「あれは、日向のアイデアじゃからな。春らしくて美味。山暮らしというものは羨ましいものよ。見よう見まねだが陸の父上も褒めて下さって一安心よ」 「ヨモギ団子もな。薬草園はヨモギやタンポポも良いものがあるんやね〜」 そう仲間達と楽しげに話した魅緒はその笑顔を切り替えて陸を見る。 「なんでもやると言うたの。ならば父を説得してみい。 熱意が本物なら妾にも父にも本当の意味で逆らってみよ。 逃げても道は切り開けぬぞ」 「うちは、うちはお父さんの猟師の技を継承するんが、今は一番やと思う 開拓者は未来でもなれる、学ぶんに遅すぎる年齢はあらへんよ。 でも親は、いつまでも生きとらん。孝行したいときに親は無い。 陸さんがいっちゃん、よう知っとるはずや。 うちの料理も親から習ったんやで」 陽向の言葉に陸はハッとする。さっき、食堂でも璃凛もぽつりとこぼしていた。 『うちには、おとんの記憶ないしうらやましいで』 「…ボクは説得は必要なかった。 したくても出来なかったというのが正しいけれど」 そう言ってユイスは陸と目線を合わせる。 「君はお父さんが嫌いなの?」 そして真っ直ぐにそう問うて来た。 「ほんとうに?」 「嫌いだ」 と、陸は答えなかった。目を逸らし俯く。 それだけで、二年生達には解った。 陸が父親を大事に思っている事を。 「だったなら、大事な相手には納得してもらわないと…後悔するよ?」 ユイスの、そして開拓者の言葉は、重く、深く、陸の心に静かに積もって行くのだった。 そして、陸は朱雀寮の廊下を歩く。 一番初めに話を聞いてくれたサラターシャの言葉を思い出しながら。 『開拓者を志すならお父様を説得出来なくてはいけません。 開拓者はそれ以上に難しい事件を解決しなくてはならないからです。 お父様は貴方の身を心配して反対しています。 気持ちを考えるのも開拓者として大切です』 奇しくも寮生達は皆、言葉は違うが同じことを陸に告げた。 難しくて理解しきれないこともあったが、大事な事なのだろうと彼はそれだけは理解する。 だから、用意された寝場所を出て、やってきたのだ。 勇気を振り絞って、ここへ…。 陸が部屋の前にやってきた時、 「失礼しました」 丁度部屋から誰かが出て来たところであった。 「あら、陸さん」 薄暗がりの中、手に持った燭台に映し出されたのはサラターシャであった。 「お父様と、お話をしにいらっしゃったのですね。どうぞ。中にいらっしゃいますよ」 サラターシャはスッと身を避けて食台を渡すと部屋の前を開けた。 そうなってしまうと陸はもう後戻りもできず、大きく深呼吸をしてノック。 「父さん…。僕だよ」 「…入れ」 部屋の中に入って行った。 それを見届けてサラターシャは静かに部屋の前から離れた。 もしケンカになるようなら止めようと思ったが、さっきの夕食の時の様子を見れば大丈夫なのではないか、と思う。 「…いくら言葉を尽くしても、結局、陸さんの未来を決められるのはお父様と陸さんだけですからね。ご多幸をお祈りします…」 小さく、胸の前で祈るように手を組んで…。 ●少年の帰還 翌日、陸は集まった寮生達の前で深く、頭を下げる。 「お騒がせして…申し訳ありませんでした」 陸の後ろから父親も同様に頭を下げた。 「この度は本当に皆様にはご迷惑をおかけた」 「結局、うちに帰ることにしたんやな?」 「はい」 陽向の問いに陸は頷く。 「父さんは本気で陰陽師になりたいのなら、認めてもいい…って言ってくれたんですけれど…」 陸の視線を受けた父親は、どこか苦笑に似た笑みを浮かべている。 昨夜、寮生達は陸と同じように彼にも説得を行った。 『今連れ帰ってもその内またくるぞ? ならばここで心ゆくまで話し合え』 『陸さんを心配する気持ちは分かります。ですが、無理に押え付けては反発してしまいます。 頭ごなしに否定せずに、陸さんのお父様や村の方々を守りたいという気持ちをどうか分かって下さい』 「まあ、ここで学ぶと言うのなら認めてやってもいいと思ったのだが…」 「僕は…当たり前だけど、子供だって解りました。アヤカシの名前も解らないし、字も文章も上手に書けない。体力だってない…。だから…父さんに教わってまずは勉強します。 森の歩き方や、武器の使い方。字も計算も。 そして、ちゃんと大人になってから、…また来ます」 「ちゃんと、ご自分で答えを出されたのですね」 サラターシャは穏やかに微笑むと、読み書きの為の教則本を差し出した。 これで勉強してほしいと言う思いを込めて。 「ありがとうございます」 受け取った陸の手の中にはもう一冊の帳面が抱えられている。 「璃凛さん」 陸は璃凛の前に駆け寄るとお辞儀をする。 「僕、貰った宿題、ちゃんとやります。村の周りのアヤカシがどんなだったか調べて…。だからこれが完成して、大人になったら…また来ていいですか?」 伺うような陸の目線に璃凛は 「当たり前や。待っとるで!」 照れを隠すように笑うと、くしゃくしゃと陸の頭を撫でた。 「目指せ! 猟師もできる陰陽師、やな?」 ハハハハハ。 明るい笑い声が波の様に場に広がって笑顔の花を咲かせる。 それを、少し離れたところから朱雀寮長 各務 紫朗は静かに、満足げに見つめていた。 「お疲れ様でした。良い結果を導いて貰えたようですね。やはり、皆さんに任せて正解でした」 親子が帰ったのを見届けてから紫郎は寮生達に微笑みかけた。 「約束です。今日をもってサラターシャさんの三年復帰を正式に認めます」 寮生達がサラターシャを囲んで歓声を上げる。 「…まあ、手続き上の事だけですけれどね。皆さんにとって彼女が大切な仲間であることはもう言うまでも無い事ですから」 「ありがとうございます。寮長先生。そして…皆さん。これからもどうかよろしくお願いします」 サラターシャは深く仲間達にお辞儀した。 顔を上げた時に彼女を迎えたのは、全員の花のような笑顔。 「よし! これからサラさんの復帰祝いのパーティをしよう! まだ昨日の猪肉が残っているんだ。あれで、焼き肉でもしようか?」 「それよりも陸の父君が教えてくれた料理がある。水煮というらしいがな、これがなかなか美味そうじゃ。後は煮込みもいいかもしれぬな。塊ごと焼いて焼き豚にするのも…。うむ、腕が鳴るぞ。彼方。ネメシス」 「じゃあ、僕は薬草園のハーブを持って行きますよ。臭み消しにハーブを使ったらきっと美味しいですよ」 楽しげに笑いあって、戻って行く仲間達の後ろを守るように璃凛は最後まで立って彼らを見送り小さく肩を竦めた。 「どうしました?」 背後から急にかけられた声に背筋を伸ばした璃凛は恐る恐る振り返る。 「! なんだ…リリスか」 「なんだ、とはご挨拶ですね。あ、今回はお疲れ様でした。陸君の世話も大変でしたね。それで、どうかしましたか?」 「別に、大変な事やない。やることを、しただけや、来て欲しい相手になんも、手を打てへんけど」 軽く息を吐き出す璃凛にリリスは 「璃凛、対人関係は、書物で良くは、成りませんよ。陸君のように人と関わって考えて、そして覚えていくもの、なんですからね」 思いっきり明るく笑いかけて見せた。 そして璃凜の返事を待たずに、リリスは歩き出す。璃凛の手を引いて。 「さあ、行きましょう。彼方君が特製ケーキを用意していてくれている筈ですから」 「ケーキ? なんで?」 「さて、なんででしょう?」 歩み行く彼らの前に金の蝶がひらりと踊っていた。 振り返りサラターシャは小さく囁く。 「これが…私の陰陽師になった理由…」 と。 そして、少年は故郷に戻る。 陰陽師という夢を叶える為には遠回りだが、目的の為にはそうではない。 彼の目的は開拓者になることではなく、故郷を、家族を守れるようになることだから。 矢を番え、獣に狙いを付けながら思い出す。 『陸君、ボクは、汚れ仕事もしましたし、家業も嫌いでした。 けれど、見えてくる物も有りますから、廻り道もありですよ』 「いつか、あの人達にまた会えるといいなあ。その時の為に、頑張ろう!」 そう言いながら矢を放つ。 夢に向かう為の一矢を。 |