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■オープニング本文 南部辺境伯 グレイス・ミハウ・グレフスカスは今日、届いたばかりのその書簡をじっと見つめていた。 手に取り、長い間凍りつくように動かなかった彼はやがて、静かに口にする。 「レナ皇女の御行啓…ですか」 それはジェレゾから正式に届けられた布告。 ジルベリア皇帝の娘、レナ皇女がメーメルを訪問すると通知であったのだ。 目的はメーメル 春花劇場で上演中の舞台の観劇。 あくまで私的な旅行を兼ねた訪問なので過度の接待、対応は無用、とあるが…。 「お忍びであるからと言われても、放置…と言うわけにはいきませんね。メーメルを始め、各領主にも伝えないと。 それに…」 グレイスは小さく目を伏せて呟いた。 「今、この時期に…皇女様のご訪問…流石に偶然、では…」 ジェレゾで修練を積んでいる甥、オーシニィの報告で現在、ジェレゾを中心に自分が謀反を企てているという噂があるということはグレイスの耳に入っていた。 出どころの解らない噂である以上過剰に反応しては余計に噂を広げる可能性があるので放置していたが…おそらく皇女殿下か、側近の耳にも入ったのだろう。 レナ皇女であるなら…真相を自分の目で確かめようと行動する可能性は十二分にある。 「できれば、もう少し時間が欲しいのですが…」 グレイスは机の脇に積み重ねられている書類に目をやる。 それらは南部辺境の現状報告書と、計画書、そして試算書。 皇帝ガラドルフとジルベリア上層部にグレイスが現在計画している南部辺境自治計画を報告する為の準備である。 グレイスの計画は南部辺境を特殊な自治区とし、天儀との自由交易と、ジルベリアの身分制度の枠組みから解き放たれた人材育成ができるようにすること。 だがそれは一歩間違えれば皇家への反逆、謀反としか思われないこともグレイスは理解している。 グレイス本人にはその意思は全くないが、切りだし方一つでグレイス本人のみならず、南部辺境全体が罪に問われる可能性さえあるのだ。 最悪の場合には家族、親族にまで影響が及ぶかもしれない。 恋も結婚も今は相手を危険に巻き込むと思うと慎重にならざるを得ない程に。 だからこそ、皇帝陛下を納得させる為に準備をする時間が欲しかった。 あと少し…。 けれど 「無い物ねだりをしても意味はありません。むしろこれは、逆に良い機会と思うべきなのかも」 グレイスは顔を上げる。 現在メーメル 春花劇場で行われている公演は 『愛と裏切りと…』 身分の差によって引き裂かれた恋人同士の物語。 傭兵と貴族の娘の恋に人気が高いが、このシナリオの作者は平民である。 立ち上げ公演や軌道にのるまで時には開拓者の力を借り、その理念は今も受け継がれている春花劇場では舞台上で、又はスタッフとして多くの平民が働いている。 舞台の素晴らしさを皇女が認めれば、民の才能と自由を促すという自治区構想の理念を解って貰えるかもしれない。 勿論、皇女の訪問を安全に成功させるのが絶対条件ではあるが…。 そして、グレイスは複数の書類と一通の依頼書を書き上げる。 決意と共に…。 開拓者ギルドに届けられた依頼は 「レナ皇女 南部御行啓の護衛」 である。 勿論、レナ皇女側は親衛隊を含めた護衛をつけているだろうが、それはレナ皇女の身を守るためのものである。 劇場側の護衛に求められるのは問題そのものを発生させないこと。 最低でも問題を皇女に気付かせないことだ。 襲撃など事件が発生、明るみに出てしまえば、例えそれが未遂に終わったとしても南部辺境の今後に傷をつけることになるだろう。 当日の公演、客席には一般観客もいる。 皇女の行啓を表ざたにし、貸し切り公演などにしてしまうとかえって騒ぎが発生する可能性が高いからだ。 皇女は特別なボックス席が用意されるので一般客と並んで観劇するわけではないが、観客の中に刺客が潜む可能性も少なからずある。 加えグレイスは皇女出迎え、観劇の案内、その後領主との夕餐会などの対応で護衛などに細かな指示を与えることは難しい。 メーメルを訪れる以上、宿泊場所や宴会の場所はメーメルになるであろうし、そうなればアリアズナもホストの側に回る。 『一般兵などに指示を与えつつ、独自の行動と視線で行動してくれる開拓者を願います』 という依頼にもあるように辺境伯の全幅の信頼と権限を与えられての行動になるだろう。 南部辺境の未来を左右する、絶対に失敗できない依頼が今、始まろうとしていた。 レナ皇女、行啓。 南部辺境伯の名においてその文書と、レナ皇女を迎える夕餐会への参加要請は各領主に届けられた。 ある者は驚き、準備に全力を注ぎ、ある者は楽しげに笑い、そして…ある者は静かに自らの胸に手を当てる。その手には一本の短剣が握られていた。 「レナ…私の…」 愛と、憎しみと…悲しさと。 それら全てが入り混じったように響く声は誰の耳にも届かず静かに闇に溶け、消えて行った。 |
■参加者一覧
龍牙・流陰(ia0556)
19歳・男・サ
フレイ(ia6688)
24歳・女・サ
ジルベール・ダリエ(ia9952)
27歳・男・志
アイリス・M・エゴロフ(ib0247)
20歳・女・吟
クルーヴ・オークウッド(ib0860)
15歳・男・騎
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
宵星(ib6077)
14歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●特別ないつもの舞台 その少女は涙ながらにイリス(ib0247)の手をとって告げた。 「お願いします。イリスさん。…なんで、こんな日に…盗賊なんかに…。こんな機会…二度とないかもしれないのに…なんで…」 (どれほど無念だったことでしょう…) 彼女は思いながら客席を見る。 いつもより賑やかな客席の最奥のボックス席。 今日の舞台は特別。ジルベリア皇女レナ姫の観劇の日だ。 この日に起こったあの事故は、偶然かもしれない。 けれど…、予想し、考えていた事とは違う形になったけれど。イリスは手を強く握りしめ舞台に立つ。 「皆さんの思いが籠ったこの舞台、必ず守って見せる…。いつもと同じ舞台を」 そして開幕のベルと共に上がった緞帳から、彼女は舞台の中央に進み出るのだった。 その日、メーメル 春花劇場はいつもと同じ上演が行われていた。 演目は「愛と裏切りと…」 悲恋であるがそのドラマティックな展開に特に女性ファンが多い作品である。 「…なんか、警備が厳しいわね」 カバンのチェックと軽い身体検査まで入る入場確認。加えてくんくんと足元では犬が鼻を動かしている。 「すみません。現在警備強化キャンペーン中なんです。グラニア。ご婦人方の検査は失礼の無いように」 『はい』 「最近天儀の劇場で騒ぎがあったらしく、こちらでも気をつけることになったんや。大目にみたってな」 愛嬌のある笑顔で告げるジルベール(ia9952)に女性達はいいのよ、と笑って入場していく。 客が切れたタイミングを見計らったのだろう。 「どうですか?」 愛らしい足取りでやってきたのは狼 宵星(ib6077)。 主の気配に気が付いたのだろう。テーブルの下からひょいと顔を出した猫又の織姫が 『今の所、こっちに怪しい気配は無いみたいね』 彼女の足元にすり寄った。 「ええ、一般の観客の皆さんも説明すれば素直に受けて下さいますから。勿論、こちらから怪しい人物が入ることの無いように警戒を続けます」 背筋を伸ばすクルーヴ・オークウッド(ib0860)に彼のからくりグラニアや警戒の兵士達も頷く。 「キャンペーン中だけど怖い顔や雰囲気はダメ。ここは劇場ですから。ニッコリと笑顔で、ね?」 宵星の言葉と笑顔に張り詰めていた空気がふわりと緩む。 「わいは、も一回イリスさんの手伝いに行ってくる。舞台袖に待機しとるわ。こっちと見回りは頼んだで。ゆきたろう。また後でな」 預かった忍犬の頭を撫でてジルベールは駆け出していく。 彼とすれ違う様にまた新しい客がやってきた。もう開演まであと僅か。 「ようこそ。春花劇場へ」 開拓者もスタッフもいつもと変わらぬ笑顔で客を出迎えている。 同じ頃、劇場の奥にある貴賓室で 「代役?」 開演前の静かな時間を過ごすレナ皇女は頭を下げる南部辺境伯に問いかけた。 側には親衛隊と護衛の開拓者が控えている。 一方のグレイス側にも三人の開拓者。護衛と警備を担当する者であると皇女は紹介を受けていた。 「はい。主演を務める俳優の一名の怪我により代役が本日の舞台を勤めます。皇女には失礼かとは思いますが代役も決して主演に負けな実力の持ち主。必ずやお楽しみ頂けることかと」 「そうか。解った」 深く頭を下げたグレイスに代わり、今度はメーメルの姫アリアズナが前に出た。 「この度はメーメルにおいで下さいましてありがとうございました。 メーメル復興の拠点とも言えるヒカリノニワに皇女殿下の行啓を賜りましたことを心から嬉しく思います。では、本日の演目につきまして私の方から…」 そのタイミングに合わせ開拓者の内二人は静かに部屋を辞した。 「何とか、無事にお入り頂けましたね」 緊張の息を吐き出すのは龍牙・流陰(ia0556)とマックス・ボードマン(ib5426)だ。 「こちらは貴族専用の出入り口らしいから警戒も容易だ。問題は観劇中と…夕餐会、だな」 彼等は開幕2時間前。 他の客より一足早く貴賓入口から劇場にレナ皇女が入るまでの事前準備と調査を全力で行っていた。 劇場への下見、来場コースの事前調査と兵士の配置。そして劇場内での襲撃が無いかどうか、も…。 「穿牙で見て回った限りは周囲にアヤカシの気配も無いようです。勿論憑依型のアヤカシが出る可能性もあるので油断はできませんが」 「まあ、今回に限っては疑わしきは捕縛、でいいだろう。私はレディとこっちのエリアの警戒を続ける」 「確かに…しかしこの状況、辺境伯はどうするつもりなのでしょうね…」 「辺境伯以上に一連の筋書きを書いてる奴の意図が解らん。まあ奴にしてみれば、事の成否は関係なく、ただ皇女の身に危険が及ぶ事態がおきれば十分で、後はお得意の噂で伯が仕組んだ事にすればいいんだからな」 「それに、あの件…、偶然と思うのは楽観が過ぎますからね」 「ああ…」 今は考えても答えの出ないことを思案している時間は無い。 「では、僕は観客席の方を他の皆さんと警戒しています。皇女の側近くは皇女の護衛とフレイ(ia6688)さんにお任せしましょう」 頷きあった二人はそれぞれに持ち場へ分かれ歩き出す。 その時…マックスは足を止める。 「…ユーリ」 彼の目の前を進もうとしていた一人の貴族はその声に振り返り、深く頭を下げるのだった。 ●愛と裏切りと… 春花劇場 冬演目『愛と裏切りと…』は若い傭兵と貴族の娘のロマンスを美しい歌と演技で語る物語である。 若い傭兵ヴィクトルはある貴族に雇われていた。 民を守ると言えば聞こえはいいが、その内実は正規兵に税を集めさせ傭兵にアヤカシ退治を丸投げするというもの。 「…まあ、貴族なんてこんなものか」 ヴィクトルが毒づいて村に戻った時 「お疲れ様です。お怪我はありませんか?」 花のような笑顔の娘が彼を出迎えた。 「私はイリーナと申します。この度は我が領地の為にありがとうございます」 領主の娘である彼女は領地の村を回って人々の様子を見ているらしい。 「これだけが私に許される外、なんです」 イリーナは寂しげに笑う。 「ヴィクトル様は外の世界の事をご存じですよね。どうかお話し下さいませんか?」 求められるまま彼は冒険の話や他国の話を聞かせた。そして目を輝かせる彼女を、民を愛するイリーナを…いつしか愛するようになった。 彼女もヴィクトルの愛に応え、二人は密かに結婚を誓い合う。 母の形見の短剣を渡し、ヴィクトルはイリーナに告げる。 「イリーナ。俺はしがない傭兵だが身分を手に入れて必ず君を迎えに来る。その時まで待っていてくれないか?」 イリーナは頷く。 「はい。お約束します。私は貴方だけを永遠に愛し続けると…」 その後、ヴィクトルは傭兵を止め騎士としてジルベリアに仕えた。最下級の騎士見習いからの辛い日々。けれどイリーナの約束と笑顔を支えに彼は少しずつ地位をあげていった。 だがある時、戦乱が発生。村の守護に派遣されたヴィクトルの騎士団は戦場に取り残された。 アヤカシの群れに取り囲まれたのだ。 指揮する筈の騎士団長は逃亡。村と部隊は壊滅した。 だが命からがら帰り着いたヴィクトルを待っていたのは、彼達が我が身可愛さにアヤカシに村を売り逆に利用されたという汚名の噂と、騎士団長がイリーナと結婚するという話であった。 「あいつ! …イリーナ! 私を裏切ったのか!」 ヴィクトルは怒りに身を燃やし剣を握りしめていた。 舞台は結婚式の日へ。 「…本当に貴方と結婚すればヴィクトル様達の汚名を晴らして下さるのですね」 イリーナは夫となる騎士に問う。 「ああ。彼らは本当は勇敢だったと語ります。上司である私の言葉があれば彼らの名誉は取り戻せます」 高い身分の騎士からの申し込みを家が断れず、その約束もあってイリーナは結婚を一度は承諾した。 (でも、これでいいの…?) やがて式が始まる。 騎士の横に立つ白いドレスのイリーナに立会人が問う。 「貴女は彼に永遠の愛を誓いますか?」 「…誓いません」 ざわめきの中、イリーナは決意を胸に微笑んだ。 「私はヴィクトル様に永遠の愛を誓いました。 あの方が死に…生きていても結ばれぬ運命なら、私は死んであの方の所に行く事を選びます!」 彼女は隠し持っていたヴィクトルの短剣を自分の胸に突きたてた。 白いドレスが血に染まる。 「イリーナ!」 参列者の中から影が飛びだした。 「ヴィクトル…さま!」 驚きに目を見開きながらもイリーナは嬉しそうに微笑む。 「良かった…。生きて…おられたのですね。貴方を…一時とはいえ裏切ろうとしたことを…お許し下さい。…愛しています…心から…」 ヴィクトルの腕の中でイリーナは幸せそう微笑みこときれた。 「お前! なぜここに!」 ヴィクトルを見た騎士の震える顔を見て彼は察する。イリーナを手に入れる為にこの男は邪魔な自分を殺そうとしたのだろう、と。しかしヴィクトルはもう男を一顧だにしない。イリーナだけを見つめる。 「イリーナ。詫びを請うのは俺の方だ。俺は貴女を疑ってしまった。 でも、もう…貴女は俺の詫びの言葉さえ聞いてはくれないのだな…」 ヴィクトルは彼女の胸の短剣を抜き、 「俺は…きっと間違っていた。 貴女から離れるべきではなかったのだ。もう、間違えない。二度と…離れはしない。愛している…永遠に」 愛しげに言って自分の胸に突きたてた。二人は重なり、動かなくなる。 周囲の声が溶けるよう遠ざかって行く中、二人は立ち上がり抱き合い、そして手を取って闇の彼方。遠い彼方の光へ向かって進んでいく…。 幕が下りた瞬間、割れんばかりの拍手が広がった。 そしてカーテンコールの幕が開き、主演の二人は手を取り、ボックス席へとお辞儀をした。そして舞台上のイリスは見たという。 ボックス席の皇女が惜しみない拍手を送ってくれた事を。 舞台袖でジルベールも見る。皇女とは反対に恨みの籠った目で舞台を見る女の顔を。 ●宴の陰で その日の夜。夕餐会の会場…。 「芝居とはいえ顔を見てやっと安心したわ。2人共死ぬことなぞ考えてはならぬぞ」 主演の二人に語りかけるレナ皇女の姿があった。丁寧におじぎをしてイリスは微笑む。 「私が代役を勤めさせて頂きました。本来の主役には及ばぬ演技、お許し下さいませ」 遠巻きに、けれど周囲に警戒の網を張り巡らせながらその様子を開拓者達は見つめている。 側には開拓者側の護衛と共にフレイがドレス姿でぴったりと側に付く。 扉近くに控えて入退場者の監視と確認をしているのは流陰である。 夕餐会は立食形式で、南部辺境の主要都市リーガ、メーメル、ラスカーニア、フェルアナの領主の他、地域の有力者なども招かれていた。 「南部の繁栄とジルベリアの繁栄を。そして我が父ガラドルフ大帝に永遠なる…」 一息おいて 「そして我が父ガラドルフ大帝に永遠なる忠誠を」 締められたレナ皇女の乾杯を合図に宴が始まった。 流陰は注意深く領主や貴族達を見つめる。 まずにグレイスが挨拶に向かい、次いでアリアズナが今日の舞台の主演を伴って近づいた。 真顔で心配してくれたレナの優しさをイリスは嬉しく思う。 「今日の舞台はいかがでしたか?」 アリアズナは微笑みかける。 「噂と言うものは怖い。そんなお話でしたわね。今日の舞台でも噂がイリーナを追い詰めなければ、彼女ももっと冷静に時を待つことができたのではないか、と思います。 一つの噂が彼らのように人の運命を左右してしまう事も、些細なことで諍いがあったのではと噂が広がって戦乱の元になってしまうことも…あるでしょう。 噂が広まるのはそれなりの原因があるから。でも真実と歪んで伝わることも多い筈。 何が真実で何がそうじゃないのか、姫様もよく見極めてくださいませ」 アリアズナの言葉にレナは 「つまり…この地に関わる噂もその目できちんと確かめよ、と?」 直球で返した。 「失礼を…」 頭を下げ退こうとする彼女にレナは更に口を開く。 「乱の後、かような劇場を設け、町を築き領地を繁栄させるには並々ならぬ苦労が必要であっただろう。私はそのことに敬服する」 その言葉にアリアズナは扉の方を見て、流陰に微笑んだ。彼女が言葉を伝えてくれたと流陰は知る。 「ありがとうございます。メーメルは皇女様をお迎えできたことを誇りに思います」 笑顔でアリアズナを見送った皇女であったが次にやってきた凛々しく涼やかな顔立ちの長身の青年に何故か声を失っている。 「初にお目にかかります。ユリアスと申します」 アルトの声でユリアスは姫にお辞儀をした。 ユリアスは特に特別な話をしたわけではない、軽い挨拶のみで返事も待たず早々に去って行った。 けれどもレナ皇女はユリアスを目で追っていたようだ。 「育った境遇の違う『きょうだい』と会うってどんな気持ちだろう…。どうするのかな」 周辺を術視しながら警戒していた宵星は静かに思っていた。 「お久しぶりです。レナ皇女。ご機嫌麗しゅう」 親しげに近づいてきたラスリールよりはよほど何かを感じていたようだと流陰は見ている。 逆にラスリールは不機嫌なようだ。 一見しては解らないが微かな仕草に苛立ちを感じる。 「ユーリさんの素性は謀反を後押ししちゃいそう。噂で皇女様を呼寄せた黒幕は暴露したいのか。誰に何をさせたくて事件を起こす…」 宵星の言葉を頭に入れつつ開拓者達は警戒を続けていた。 (流石にこの場で直接仕掛けるようなことはないでしょうが…、何か仕掛けてはいるのかも…) 今回の夕餐会にあたり開拓者は厳重以上の警戒をしている。 その警戒の甲斐あって宴は滞りなく終わろうとしていた。 「では、そろそろお開きと致したいと思います。最後にレナ皇女から一言を賜れれば…」 グレイスの促しに皇女が前に立つ。挨拶が終れば外に出てくるだろう。 フレイはお辞儀をすると先だって流陰に挨拶をすると外に出た。 ふうと緊張と共に息が零れる。 (あの人は、何を考えてるのかしら。色々考えている様だけど、まだ、時間が必要な筈…心配よね) そんな事を考えているうちに皇女の護衛が出てきた。確か親衛隊のスェーミ。 ならば、そろそろ皇女が出てくる…。 そう思ったその時だ。 「どうやってここまで来た?」 「私は舞台の出演者です。ご招待を受けているのです。通して下さい」 「いや、君は通せない、怪しいと報告を受けているのだよ」 通路の向こうで争う声が聞こえた。走り出すフレイ。横のスェーミも。 曲がり角の向こうでマックスとクルーヴ、二人のからくりが数名の者達ともみ合っている。 武器や…銃を持っている者もいて… 「下がって!」 フレイはドレス姿のまま覚悟を決めて踏み込んだ。 (ここで何かあったら本格的にグレイスが危ないじゃない!) 銃を構えた一人をクルーヴがスタッキングで懐に飛び込み武器を奪う。 ナイフを構え、飛び込んでくるのは女。 「こんなことで、あの人の夢は邪魔させたりしない!」 まだ正しいかはわからない。けど、今終わって良い筈もない。 「ーー!」 フレイは低く抑えた猿叫で女を怯ませると強力で武器を取り上げた。 戦闘そのものは数分にも満たない攻防。攻撃者は全員開拓者に捕えられた。 だが…その先にあったのは開拓者も予想していなかった彼らの行動。 「何かあったのか?」 会場から出て来た皇女にスェーミは小さく頷きながらも先へと促す。 彼女の歩く道にはもう何もなく、ただ静かに頭を下げて道に控える開拓者が待つのみであった。 ●決意と共に 「どうして…自殺なんて」 ハイルンスターの入ったアーマーケースを撫でながらフレイはあの夜の事を思い出す。 護衛のスェーミを、おそらくは皇女を襲撃しようとした四名の襲撃者達。 その一人は女で春花劇場の出演者であった。 と言っても代役。本来なら主演の女優に何かあった時に代わりに役を務める者である。 今回、公演の直前、主演女優が襲われて怪我をした。 イリスは舞台そのものを壊そうとする人物がいるかもしれないと出演を申込み、非常事態という事で代役を託された。 もしあの代役が予定通り板に上がっていたら…。 開拓者の予想通り板の上で話を変えられたり、変な事を叫ばれていたかもしれない。恐ろしい話だ。 でも、本当に恐ろしかったのはその後の事。 彼女らは口の中に毒を仕込んでおり武器を取り上げた開拓者の一瞬の隙をついて全員が自殺したのである。 「いずれ皇家を滅ぼしてやる、ヴァイツァウの後継者と南部辺境に栄光あれ」 そう言って彼等は死んでいった。 現在彼らの身元や背後関係をグレイスが探っていると言うが…手駒に自害を命じる様な者が背後にいるなら、情報を残しているとは考えにくい。 「あー、もう解らない! でも、いいわ」 フレイは迷いを振り切るように立ち上がる。 「迷いはあるけど皆が納得する形が見えるまで、あの人の夢は私が守り抜く。そう誓うわ」 自分自身に、そう強く誓って。 青い空に戦馬と甲龍が並んで飛ぶ。 眼下の街道を馬車が静かに進んでいく。 「どうやら皇女様は無事にお帰り…か。帰るで。ヘリオス」 踵を返したジルベールの戦馬を追う様に流陰も龍の頭を戻した。 「無事、とは言い切れませんが」 小さな吐息が零れる。 事は起きてしまった。そしてそれは皇女も知るところとなった。 「この状況、本当に辺境伯はどうするつもりなのでしょうね…」 「さてな。どうやら皇女には何ぞ言ってたみたいやけどな」 皇女が南部にどんな印象を持ったのか。 アリアズナに流陰が託した言葉をどう思ったか。 戻って皇帝に何を告げるかは解らない。 どうあれ…また南部は動くだろう。 その先に何があるのか。まだ開拓者には見えなかった。 「あの子がレナ…私の妹」 思い出すたびに胸が痛い程強く鼓動する。 ユリアス、いやユリアナは短剣を手に目を閉じるとマックスの言葉を思い出していた。 『「今」このタイミングで伯が動くべきと考えているのかね? これは言うまでもないだろうが、世継ぎは未だ決まらず、 レナ皇女は複数いる皇子皇女の中の一人にすぎんよ』 あの言葉が無かったら自分は冷静でいられたろうか? 恵まれた妹、自分が得られなかった全てを持った妹。ずっとそう思って時に恨み続けてきたのにあの無垢な瞳を思い出すだけで息が詰まるのはなぜだろう。 『ユリアス殿。今日はあまり話しもできなかったが…できれば其方にはもう一度お会いしたい』 『…機会があれば…ぜひ』 そう答えてしまったのは何故だろう。 ジルベリア皇家を打倒する。 その願いと夢を追ってしまえば…あの子も 「私は、間違っているの? どうしたら…」 この場にマックスはいない。ユリアナの叫びにも似た声に応えてくれる者は誰もいなかった。 グレイスはあの夜の事を思い出して目を閉じる。 『私は、ある計画を胸に抱いております、それが纏まりましたらぜひ説明を聞いて頂けませんでしょうか? 噂にあるような叛意は一切無いと誓います。我が忠誠は変わることなく皇帝陛下の御前に…』 『計画?』 「レナ皇女のご様子からして陛下に何も伝わらないということはあり得ませんからね。どこで…何をどう告げるか…」 迷うグレイスの胸に 『傘を、覚えてますか』 宵星の言葉がふと、響く。花の宴で傘をさしかけた少女。 『貴方の望みの危険も承知で皆さんここにいる筈…。 でも一緒に雨に打たれてる皆さんの覚悟に目も向けず、自分だけ降られてるつもりみたいです。 そうして冷たい雨に燃え尽きてった人達に、見捨てられたと思うなんて…かなしいです、とても…』 「私は…今も迷っている。自分を恥じ逃げている。それでは何も変えられないというのに…また…」 皇女や皇帝の前で、そして何より 自分を支えてくれる大切な人達。彼らの前で誇り高く顔を上げられる自分で有らなければ。 そして、グレイスは決意と共に前を向く。 もう時は…動き出したのだから。 |