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■オープニング本文 「また…噂?」 南部辺境メーメル城主 アリアズナは執務室で報告を聞きながら呟くように吐き出した。 かつて戦乱で崩壊寸前に陥ったなどと思えないほど、近年の南部辺境は順調な復興と発展を遂げている。 自分が治めるメーメルはその成功例と言えるだろう。 破壊された町並みは取り戻され新しい家々が立ち並び、人々の間に活気がある。 劇場が建設され観光客も増大している。開拓者の呼びかけで植えられた花はここ数年でさらに数を増やし、冬である今でこそ眠りについているが春、夏ともなればメーメルに花の都という鮮やかな名を添えるほどに美しく咲き誇る。 無論、細かい課題はまだ多いが、それでも日々発展していく領地には領主として彼女は誇りと喜びを感じていた。 だが、人々の生活が安定してきたから、であろうか。 ここ一年くらいの間にメーメルの街には「噂」 さまざまな流言飛語が飛び交う様になってきたのだ。 それが、劇場出演者のゴシップなどであればまだ害は少ない。 人々のささやかな娯楽であろうと流すこともできる。 しかし、その噂が領主の身辺の事となると事は娯楽ではすまない。 まして、それが自分や南部辺境の盟主に降りかかってくることとなれば…だ。 「この間の噂がやっと落ち着いたと思ったのに…」 数か月前、メーメルから広まった噂は南部辺境のみならず、ジルベリアの貴族社会をも騒がせた。 南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスの不義の噂である。 劇場建設の関係でグレイスは一時期、メーメルによくやって来ていた。 劇場の運営が軌道に乗り始めてからは、アリアズナの立場を考えてか来訪の頻度は減っていたが、そこを狙ったかのように噂は広まっていったのだ。 開拓者の尽力でそれがやっと収束したと思ったら今度はまた別の噂が広まりだす。 「辺境伯は注目の人だから仕方ないと言えば仕方ないけど…今回は前よりたちが悪いわね」 そう告げたのは彼女の横に立つ侍女である。侍女とは思えない口ぶりだがアリアズナはそれを気にする風は無い。 スタイルが良くて美人。お仕着せの服を纏っていてもどこか女優じみて見える女性アンナはアリアズナの自慢の乳兄弟であった。 侍女にして腹心、時に情報収集役も務める彼女は肩を竦める。 「ええ、アンナの言うとおりね」 そして、アリアズナも彼女の言葉に頷かずにはいられない。 なぜならその噂とは 『南部辺境伯グレイスが皇帝に叛旗を翻そうとしている』 というものであったからだ。 「南部辺境伯は神教徒の生き残りと接触し、彼らから影響を受けた」 「あちらこちらに武器弾薬を隠し反乱に備えている。開拓者も味方しようとしているようだ」 「教育を重視しようとしているらしい。皇帝におもねない独自の人材を育てるつもりなのではないか」 「グレイス辺境伯は第二のヴァイツァウとなるだろう」 などなど。 さらにたちが悪いのはその噂が南部辺境で好意的に受け止められている事だ。 元々南部辺境の民には神教徒、神教徒であった者、そしてヴァイツァウ家に好意を持っている者が多くそれは今も変わらない。 何と言ってもまだ指折り数えられるくらいの前の話なのだ。 ヴァイツァウ家の名の元に一番の発展を遂げていた南部辺境の黄金期は。 生きるか死ぬかの戦乱から立ち直り、人々が安定を取り戻してきた今、それを与えてくれた南部辺境伯への好意がヴァイツァウと重ねられるのは自然の流れかもしれないが…。 「辺境伯は…お困りでしょうね」 「事が本当なら、大したものだと思うけど…どうするの。アーナ?」 乳兄弟の問いにアリアズナは口をつぐむ。 言ってしまえばアリアズナ自身も、神教徒としての教育を受けているし、ヴァイツァウは親戚筋だ。 自分達に責任があるとはいえ、家族を結果的に滅ぼした皇帝に恨みがまったくないなどという事はできない。 もし、噂が真実であるならば大恩もあるグレイスの味方をしたいくらいの気持ちはあるのだ。 でもそうなれば折角平和を取り戻しつつある南部辺境が再び戦乱に巻き込まれる。それは何としても避けたい。 「まずは、辺境伯の真意を伺わなくては…。私達が勝手に思い込んで余計な事をすればより辺境伯の立場を悪くすることになりかねないもの」 「でも…どうするの? 事が事よ。正面から聞きに行って教えてくれるとは思えないわ」 「そうね…。でも…開拓者の中には知っている方もいるのではないかしら? それに正面からでなければ教えて頂けるかもしれないわ」 「どういうこと?」 「アンナ。頼りにしてるわ」 「えっ?」 アリアズナはスタイルのいい乳兄弟に悪戯っぽく微笑んだのだった。 メーメルの評判の高い春花劇場が冬の閑散期に、客寄せアピールを兼ねて巡業を行うのでその護衛を。 という依頼が開拓者ギルドに貼り出されたのは新年のイベントも一区切りがついたある日の事であった。 「出し物は小さな劇と踊り。そして歌や演奏ね。参加者は私、踊り子アリアーナを含め十数名。女性が多いから、護衛をお願いしたいんだけど…」 そう言ってアリアーナという女性は依頼書をギルドに差し出したと言う。 「巡業と言っても今の時期は雪が多いから今回はリーガとその近辺の村に行くのが主になると思うの。冬のこの時期は娯楽も少ないし喜ばれると思うのよ。うちの一座にはアンナっていう素敵な歌姫もいるしね」 派手な踊り子のドレスを身に纏ったアリアーナは楽しげに片目を閉じる。 「予定としてはメーメルから小さな村や町を巡ってリーガへ。リーガで三日くらい巡業してメーメルに戻ってくる感じかしら。 もし、歌や踊りが得意な人がいれば舞台を賑わせて欲しいわね。勿論、報酬は出すわよ」 護衛と出演者募集。ギルドの係員は頷きながら依頼を書きとめる。 「とにかく、賑やかに派手に行きたいの。リーガのご領主様も見に来たくなるくらいにパーッと派手に。だから、よろしくね」 だから、気付くのが遅れた。 「なんだこりゃ? 封筒? アリアズナって…メーメルの領主様じゃなかったっけ?」 テーブルの上に報酬と共におかれた封筒に。 『依頼を受ける方のみ開けて下さい。アリアズナ』 「まあ、メーメルの劇場の巡業なら領主が依頼してきても不思議はないか」 係員は封筒の依頼どおり、中を開けなかったのでそれを知るのは依頼を受けた開拓者だけである。 「グレイス様と内密にお会いし、噂の真相を伺いたいと思います。ご協力をお願いいたします」 この依頼の真の目的を…。 |
■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303)
19歳・女・陰
龍牙・流陰(ia0556)
19歳・男・サ
フレイ(ia6688)
24歳・女・サ
ジルベール・ダリエ(ia9952)
27歳・男・志
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
アイリス・M・エゴロフ(ib0247)
20歳・女・吟
ニクス・ソル(ib0444)
21歳・男・騎
クルーヴ・オークウッド(ib0860)
15歳・男・騎
マックス・ボードマン(ib5426)
36歳・男・砲
トラヴィス(ic0800)
40歳・男・武 |
■リプレイ本文 ●旅芸人の一座 真冬。 雪多いジルベリア。 しかし、その日、村は滅多にない喜びと笑顔に溢れていた。 シュン! 微かな音を立て弓弦から矢が放たれる。 舞台上空を真っ直ぐに飛んだ弓は梁の上に結ばれた薬玉を見事に射抜き、春色の紙ふぶきを散らした。 わあっ!! 満場の歓声と拍手が沸き起こる中、見事な弓芸を見せた射手は優雅におじぎをして見せた。 「皆様、弓の名手、ジルベール(ia9952)に大きな拍手を! さて、間もなくお待たせ、我が一座の花形舞姫 アリアーナの登場です。 準備の間に道化師のジャグリングと見事な剣舞をご覧下さい」 司会者の声に派手なメイクを施した小柄な少女が飾り付けられた棒や傘をくるくると回して見せる。 手つきはどこか危なっかしく、でも、それが道化師らしく面白く、観客達はけらけらと笑いながら惜しみない拍手を贈る。 次に現れた紅い髪の女性は一礼して剣舞を披露する。無駄のなく、美しく、それでいて派手な動きは見る者を惹きつけていた。 そんな様子を舞台端からそっと覗きながら龍牙・流陰(ia0556)は 「どうやら上手くいっているようですね。流石、です」 小さく微笑むのだった。 ここはリーガからそう遠くない宿場の村。 興業を終えたキャラバンの奥の奥で 「つ、疲れたああ。暫く踊ってないとダメね。身体が鈍ってるわ」 ぐったりと、椅子に身を投げ出す踊り子に 「お疲れさま」 と歌い手の娘が冷えた茶を差し出した。 「あ…ありがと。アーナ」 だらしなく飲み物を受け取る踊り子。だが 「こら、アンナ! 姫様に何をさせている!」 座長の厳しい怒鳴り声に慌てて背筋を伸ばした。 笑いながら座長を宥める歌い手。 控えめな彼女がメーメルの領主だとは聞かれないと解らないだろうと芦屋 璃凛(ia0303)は差し出された茶を飲みながら頷いた。 「変わった領主も、居たもんやな」 「まあ…昔に比べれば明るい笑顔になったか?」 ニクス(ib0444)の呟きに 「そうですね。少し肩の力が抜けられたようで安心しました」 イリス(ib0247)も嬉しげに頷いた。 「ご無理を申し上げてすみません。またお会いできてうれしかったです。イリスさんの歌声、ステキでした」 そう言いながらアーナと呼ばれた娘は他の参加者や開拓者にも飲み物を差し出す。 受け取った木のカップの暖かい飲み物が身体と心を暖めてくれるようだった。 「久しぶりです。アリアズナ。アンナも元気そうで何よりだ」 騎士の礼をとって挨拶をしたニクスは 「フレイ(ia6688)・ベルマンよ。はじめまして、よろしくね」 と挨拶したフレイと違い、姫の知り合いと見て、璃凜はニクスに問う。 「アンナとか、アリアズナとか、アーナとか、アリアーナとか訳わからなくなりそうや。どういう関係なんやろ?」 確かにややこしい。 他にも知りたい者もいるだろうとニクスや流陰達が改めて説明してくれた。 メーメルの領主にして姫はアリアズナ。その乳兄弟にして侍女がアンナである。 アンナはアリアズナの事をアーナと呼んでいる。 そして一時身分を隠していた頃、旅芸人として一緒に旅をしていた。 その時の芸名をアリアズナはアンナ。アンナはアリアーナと名乗っていた。 名前を交換する形に近い芸名は、アンナがアリアズナの影武者の役目も担っていたからである。 「なるほど、それでこんなこと考えたんやな」 うんうんと、納得する璃凛と一緒に話を聞きつつ 「それで、明日にはリーガに到着しますが、最終的にはどうすることになったんです?」 御者の役目を担っていたクルーヴ・オークウッド(ib0860)が仲間達に問いかける。 彼らの目的は興業の成功ではない。アリアズナを極秘に南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスと会談させる事なのだ。 ここまでの旅は順調。 時折襲ってくるケモノやアヤカシも開拓者の敵では無かった。 「今、フェンさんが先行して、リーガ城に招かれる手はずをつけてくれてる筈なんや。城に入ったら極秘の会談を城の中で行う予定やから、もう少し待っててくれな。お姫さん達」 「はい。お世話になります」 「頼んだわよ」 態度が対照的に違う二人を、開拓者はくすくす笑いながら見つめている。 そんな中、ふと。 「どう思う?」 ニクスは少し離れたところからアリアズナ達を見る人物に寄り声をかけた。 「どう、とは?」 そのまま戻ってきた答えにニクスは少し頭を掻きながら 「例えば噂について。だ」 言葉を選んで再び問う。 「そもそも辺境伯が俺たちに語った件は外に漏れる筈がない。 噂の根拠があの話であるかどうかはわからないが、内通者の存在も疑わないとならないだろう。 あの件はアリアズナの耳に入れば今回の様な行動に出る事は、事情に通じた者ならわかり得る事だ。 一体、噂を流した人物は何が目的なのか。どう思う? マックス」 「ふむ、そうだな…」 マックス・ボードマン(ib5426)は少し考えて答える。辺境伯の計画については既に聞いている。 「黒幕が例のラスリールだとしてだ。依頼人その人を己の意図に沿う形で動かす為に噂を流したとは思えんね。 恐らくは誰でも良かったんじゃないか? 南部の領主でさえあれば」 「なるほど…」 ニクスは頷いている。 (ユーリも狙いの一つで会った可能性もあるな。奴はおそらくユーリの正体もかなりのところまで掴んでいるのであろうし) という思いはマックスは内に秘めていたのだが。 (ユーリの読みが正しければ、次に流す噂も奴なら用意していると見るべきだろう。全く別の見方をするなら、親衛隊あたりがカマをかけてきてるかだが…) 「とにかく今回の目標は「辺境伯が一定の地位のある人間と会った」という情報を外に漏らさない事だ。あまり奇をてらったことはしなくてもいいような気はするが、疑いが持たれにくい作戦があるというのならそれでいいだろう」 「トラヴィス(ic0800)さんが、外から怪しい者を見張って下さるそうです。我々は内側から舞台を守りましょう」 「そうね。とりあえず、進めましょう。会見はリーガ城で」 流陰の言葉にアーマーケースの中のハイルンスターを撫でながら、フレイはさりげなく頷く。ニクスのエスポワールと共に今回はアーマーの出番はないだろう。 (今頃、どうしているのかしら…ね) 先行している仲間の「手はず」。 それを少し切ない気持ちで思いながら。 ●ざわめきに紛れ リーガ城内は突然の来客に密かにざわめいていた。 その女性は開拓者フェンリエッタ(ib0018)。 又鬼犬、フェランを伴って彼女の訪問そのものは別に騒ぎを求める様な事では無い。 ただ、今回、彼女はいつもの開拓者としてではなく訪れたのだ。 そして顔見知りの門番達に 「プロポーズに来たの、グレイス様に」 優美に微笑んで告げたのだった。 「はあ?」 唖然とする彼等。だがフェンリエッタは照れたような笑みと共に 「依頼があるとゆっくり話せないから…取次をお願いします」 重ねて謁見を求める。 慌てた門番たちが駆け転ぶようにグレイスに取り次ぎ、謁見が実現したのは彼女が信頼を受けている開拓者であることを差し引いてもそうとう早かった。 「フェンリエッタさん。ようこそおいで下さいました」 いつものような開拓者と依頼人の仕草では無く、レディに対する騎士の礼をとって彼女をこの城の主にして、南部辺境伯グレイスは出迎えた。 その後人払いは行われたし、部屋の外で立ち聞きをする様な行儀の悪い使用人は基本、この城にはいないが、人の口に扉は立てられない。 折しもリーガにやってきた旅芸人たちの話題もそこのけに 「フェンリエッタさんがプロポーズ?」「辺境伯はお受けになるのかしら?」 噂に城中がざわめく中、グレイスと一室を与えられたフェンリエッタの様子は驚く程、静かであった。 一方でリーガの町は久々に活気づいていた。 名高い芸術都市メーメルからのキャラバンの来訪である。宣伝パレードの後広場にテントを張ったキャラバンには翌日から多くの客が足を運んでいた。 護衛の開拓者の鋼龍穿牙や戦馬などが出迎える中、テントに入ると集まった人たちの熱気で今の季節も忘れるほどに暖かくなる。 演目は主に歌や劇、踊りなどが中心であるが剣舞やジャグリング、弓の曲撃ちなどがあって観客を飽きさせない。 無論、名高い踊り子アリアーナの舞は人々を魅了する。彼女の舞を引き立てる澄んだ歌声は誰もが聞き惚れるほど。 そしてゲストでもあるリーガの歌姫と呼ばれるイリスが現れ歌う頃には、客席は熱狂にも近い興奮に包まれるのであった。 「レディ。怪しい者はいたかい?」 『いえ、こちらには今のところは』 手分けしての警戒を強める開拓者であるが、幸い、興業の中、目立って怪しいそぶりを見せる者は殆どいなかった。 「ふむ、警戒しているのか…それとも…」 表側から、裏側から、外側から内側から舞台を守る彼らに密かに支えられ、三日間の興業はあっという間に過ぎて行った。 そして、最終日。 キャラバンが惜しまれつつ撤退の準備を始めた頃、彼らの元に一人の人物が訪れた。 「私は、南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスの遣いです。リーガでの興業お疲れ様でした。その慰労と、できますれば辺境伯と城の者達と、賓客の為にその舞台をお見せ頂けないかとの仰せなのですが」 領主からの依頼にどうやらキャラバンは応じたようだと町の人達は噂した。 実際、撤去を速めたキャラバンの者達はその日の昼のうちに城に移り、中庭でその演技を辺境伯と城の者達と彼の賓客の前で披露した。 見事な演技に喜んだグレイスは芸人達を賓客として城の一角に招き入れ、宴を催し、大いにもてなしたという。 『マスターの趣味は、解っていたつもりなんだが…何か怖いぞ』 「うちが、女にしか興味が無いのは知っとるやろう? 遠雷。べっぴんさんにするさかい、怖がらんでええで。タッパもあるからアンナさん風の踊り子にな」 「グラニアはアリアズナさん風にお願いします」 そんな声は賑やかな喧騒に紛れ…、キャラバンはその日、城に宿泊し、翌日の昼。賑やかに城を町を離れていった。 「またきてね〜」 町の住人達の声にキャラバンの者達は馬車の中から、あるいは馬上から手を振って答えていたらしい。 やがて、キャラバンと共に熱狂にも似た騒ぎが静かに去っていくと、リーガの街も城も静寂に包まれた。 住人達も城の者達もいつもより早く眠りについた夜。 辺境伯は一人、静かに廊下を歩いていた。 廊下の先、気配に気づいたであろう又鬼犬が微かな唸り声を上げるが、 「ゆきたろう」 それを手で制すると 「お待ちしておりました」 部屋の前で待っていた侍女が頭を下げた。 扉をノックし、そっと開ける。 中に入った辺境伯は、薄暗がりの中、認めた女性に騎士の礼で頭を下げた。 「お待たせいたしました」 「ご無理をお願いして申し訳ありません」 鈴のなるような声で告げた女性。 それは、背後に侍女と開拓者を伴ったメーメル領主、アリアズナであった。 ●会談 「それでは、やはり噂は真実ではないのですね」 「はい。ですが、現在私は南部辺境を自治区として、自由貿易とジルベリアの法に囚われない場所にすることを考えています。それを、皇帝陛下の御意志にはむかう事と言われれば…その通りかもしれません」 二人の会談は続いている。 ここはリーガ城内。賓客として迎えられているフェンリエッタの居室である。 キャラバンの演技とその後の喧騒に紛れ、アリアズナと侍女アンナ、そしてフレイは城に潜んでいたのだ。イリスも使用人に紛れ密かに場を整える。それは全てフェンリエッタがプロポーズと言ってやってきた面会に紛れて打ち合わせられた計画であった。 リーガの城の中であれば辺境伯がどこに来ようと不思議はない。 万が一に、女性の部屋に男性が来ることが見咎められたとしても、朝から具合が悪いとしていたフェンリエッタのイリスは看病、辺境伯は見舞いとすれば言い訳は付く。 そしてイリスは廊下の外で様子をゆきたろうと共に伺い、フェンリエッタとフレイを護衛として二人の密かな会談は続けられたのだ。 「いずれお話ししなければとは思っていました。私の理想を実現する為にはリーガ、クラフカウだけでは説得力が足りない。せめてラスカーニア以南。南部辺境が一致団結して事にあたらなければ難しいと思います」 「確かに。かつてヴァイツァウの神教徒のように、攻め滅ぼす為の口実として使われかねませんね。…辺境伯」 アリアズナは一度目を閉じ、また開いて静かに問うた。 「戦を起こさず、血を流さず、辺境伯の理想を実現することは可能と思われますか?」「陛下は理と利を判断することができるお方です。それが国を乱すことなく、またある程度の益が認められるとあれば、条件は厳しくても許される可能性はある、と見ています」 はっきりと答えた辺境伯の返事を受け取り、アリアズナは立ち上がった。 「解りました。協力への即答はできませんがそれでもメーメルはリーガと辺境伯の敵にはならないことをお約束いたします」 「ありがとうございます」 心からの感謝を述べた辺境伯に微笑むとアリアズナはフェンリエッタに頷いて見せた。彼女がカーテンを開けると、さあっと窓辺にジルベールの戦馬とトラヴィスの炎龍ヴェリタが舞い寄ってアリアズナとアンナを背に乗せる。 「では、また」 二人が開拓者と共に姿を消すと、フレイも小さく笑って扉に手をかける。 「私も、戻るわ。イリスと一緒に城の周辺に怪しい奴らがいないかどうか見ていくから」 そう言っての去りかけ。 「ねえ、貴方の理想と名分は民と共にあるの?」 フレイはグレイスを振り返り、そう問いかけた。 実現可能なのは解った。それを助けたい思いもフレイにはある。 グレイスは自分の理想を我侭と言ったがそれでも理想の中心となるのは民である筈だ。 「それを考えて」 彼の返事を待たずフレイはイリスの後を追い部屋を出て去って行った。 ●噂の彼方 空に消えたアリアズナ達と、城を去ったイリスとフレイを見送って後 「今回もお手数をおかけし、申し訳ありませんでした」 ただ一人、残ったフェンリエッタにグレイスは深いお辞儀を捧げた。 「謝る必要なんて…」 答えながらフェンリエッタはグレイスを見つめる。彼が今、ここにいる理由を感じたから、である。 フェンリエッタは今回の作戦にあたり南部辺境伯にプロポーズをすると言って入場。そして真実それをした。 『私は、ありのままの貴方と一緒に歳を重ねて、生きていきたい。 急ぐ貴方の重石となり、背を守り、翼になって…グレイス様を愛しながら、ずっと。 だから美しいと言ってくれた白鳥の翼を癒す場所を作って欲しいの。 私の為に、貴方の手で』 注目を集め会談を影に隠す為の作戦であったが、求婚と告白は彼女の真実の言葉である。 「貴女は私にプロポーズを下さった。 女性にそのような事をさせるふがいなさはともかく、真実の思いに私も、真実の言葉でご返答しなくてはならないと思います」 張りつめた空気が場に流れる。 「私は、今は貴女のお気持ちに答えることはできません」 はっきりと彼はそう告げた。 「貴女は私に『ありのままの貴方と一緒に歳を重ねて、生きていきたい』と言って下さった。しかし、私は貴女にありのままの私など殆ど見せてはいません。 今の私は、こうして立っていてさえ仮面を被っているのです。ずっと私を見つめて下さった貴女は、もしかしたら、真実の私を私より知っていて下さるのかもしれませんが…」 寂しげに彼は笑う。 「貴女の事を愛しく思う。その気持ちに嘘はありません。捧げられる深い愛に感謝し、その優しさと思いを癒し、大切にしたい、守りたいと思う気持ちも真実です。 ですが…それと同じほどに私に陽光のような思いを与えて下さる方もいます。優しく、時として厳しく、でも静かに私を支えて下さる方…。彼女に救われたのもまた事実なのです」 赤い髪の女性の影が二人の間を陽光のように過って行く。 「お許し下さい。あの方のいないこの場で、優柔不断と謗られても「今」「どちらかを」「この場で」を選ぶことは私にはできないのです」 そして彼女の前に膝を折る。 「この会見を経て、私は一つの結論に至りました。隠し続けていてはいつか暴かれる。そして隠していたことそのものが弱みとなってしまうと。そう遠くないうち、私は計画を民と陛下に告げようと思います。…遅くともメーメルの桜が消え、ヒマワリが咲く頃までには。 無論、簡単な話ではない。けれど正面から試練に立ち向かうつもりです。そして…その時までに結論を出します。 私と共に歩いて頂きたい方に私から、膝を折り、求婚を請い願います。 こんな返事しかできない私を、見捨てて頂いても構いません。けれど、もう一度、種を育てる時間を頂くことはできませんか?」 向けられる辺境伯の答え、真実の想いをフェンリエッタは暗闇の中、静かに見つめていた。 「求婚、うまいこと言えたかなあ」 「求婚?」 「いや、なんでもあらへん。こっちの話や」 暗闇の中、風を切るように飛ぶ戦馬ヘリオスの背でジルベールは自分を見つめる娘に苦笑に近い笑顔を浮かべると手を振った。 大切な友の幸運を願う気持ちは深いのだが、こればかりは彼が助けになれることは多くない。 「寒いかもしれんけど、もう少しやからな」 「はい」 腕の中で娘は静かに頷いた。揺れる南部辺境。その中でこの小さな肩の娘が背負うものも少なくないだろう。 やがて、リーガから程遠くない森の側で待つキャラバンにジルベールは彼女を無事送り届けた。仲間達の出迎えを受け大地に降り立ったアリアズナは真っ直ぐに立っている。炎龍ヴェリテから侍女アンナを降ろしたトラヴィスは彼女に静かに告げる。 「『恩や血の縁も大事だけど、アーナが愛する皆と歩む、光の道を忘れないで』と。辺境伯の許にいた彼女からの伝言です」 「はい。解りました。皆様の誠実に誓って…」 微笑み、一礼と共に戻って行くアリアズナ。彼女はもう旅芸人ではなく、領主の顔をしていた。 「聞いてもいいか? 君は…どう思った」 会談を終えメーメルに戻る馬車の中、ニクスはアリアズナにそう問うた。 「私は、悪くないお話と思いました。南部辺境を戦乱に巻き込まないという前提付きですが、実現可能であるのなら協力してもいいと思っています」 「やはり、な…」 ニクス静かに頷いた。アリアズナの本質は、理想主義にある。だから恩人その他を差し引いても彼女ならそう言うのではないかと感じていたのだ。 辺境伯の計画にメーメルが加わるなら成功率は上がる。けれど、それは民を巻き込む危険度も上がることになるということ…。 「俺は見極める。そしてそれが無謀であるならば、止める」 「僕の思いは以前も伝えた通りです。ただ…どちらにしても姫にはお願いしたいことがあります」 自分達を心から心配してくれるニクスと流陰の言葉をアリアズナは静かに受け止め、頷くのだった。 それから、数日の南部辺境にはまた噂が広がる。 「南部辺境伯とメーメルの姫との間に諍いがあったのではないか」 と。 それはまだ根拠のない微かな噂であったが、静かにそっと南部辺境に広がっていくのであった。 さて今回、まったく動かなかった男は闇の中でほくそ笑む。 噂の真相を確かめる為、メーメルの姫が動いたらしいという事を彼は察知していた。どうやらグレイスとの会談を求め果たしたらしいということも。 だがその結果には彼は興味を持っていなかった。既に、彼は次の目的の為に動き出していたからである。 噂を蒔いた目的は南部辺境の『時』を進める事。 「さて…次は…あちらにお出ましいただきましょうか?」 怪しく微笑む声を誰も知る由もない。 |