【朱雀】贈ることば
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 21人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/01/28 19:46



■オープニング本文

【これは陰陽寮朱雀 合格者優先シナリオです】

 最初にそれを考えるようになったのは、卒業試験を終え、卒業が決まったあたりだろうか。
「…謝恩会…何しようか?」
 例年、卒業式の前に三年生達が寮の職員や後輩たちに向けて謝恩会をやっていたことを思い出したのだ。
 主に部屋を飾り付けて、料理を用意し、出し物を見せる形であった。
 出し物は例年、歌や音楽の演奏が多かっただろうか?
 術を使って何かする、ということを選択した先輩はいないか…いたとしても少なかったように思う。
「謝恩会、というのは強制ではありません。やるもやらないも自由です。何かやりたいことがあるならバックアップはしますが、基本皆さんにお任せします。勿論、招いて頂けるなら喜んで参加しますからね。
 それから、家族や友人を招待したいというのも構いませんよ。
 三年間の寮生活を支えてくれた家族や友人にも感謝を贈りたいというのもあるでしょうからね」
 寮長はそう言って笑っていた。
 とりあえず、謝恩会をしない、という反対意見はないようだから実施する方向で進めるのは構わないだろう。
「料理は基本として、あとは何をしましょうか?
 笛などでの演奏でしょうか?
 かくし芸もいいですね」
「…笛などの音楽に合わせたかくし芸とか」
「何か、形に残る贈り物を残せたらいいんだけど…難しいかな」
「何より、心に残ることが大事ではないでしょうか?」
 そんな会話が寮生達の間で踊る。

 卒業に向けて日々を忙しく送る三年生達。
 …つい、昨日。
 封陣院と知望院への就職を希望した寮生達には正式に合格の連絡が届いた。
「雷獣符」「解毒符」は正式に術式が確立され、近日中に修練所での習得が開始されるらしい。
 遮蔽縄も市販化に向けて専門家の試作に入っている。
 技術や材料の問題から単価はかなり高くなるが、いずれ量産化の目途が立てば値段は下げられる可能性もあるだろう。
 そして、瘴気吸収という新しい術の開発も一つの山を越えた。
 いくつもの困難を乗り越え、いくつかの結果も残すことが出来た。
 勿論、寮生達の望む全て、努力全てが叶えられた訳では無いけれど。
「時間は、留まってはくれませんからね」
 三年間という短くない時を過ごしてきた寮との別れまで残り半月足らず…。


 そして一年生、二年生を始めとする関係者達に三年生達から招待状が届く

「三年生主催 謝恩会へのご招待」
  
 彼らは後輩達に、教師達に、そしてこの寮にどんな感謝のことばを届けるのだろうか…。
 


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 蒼詠(ia0827) / 玉櫛・静音(ia0872) / 玉櫛 狭霧(ia0932) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 雲母(ia6295) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / アッピン(ib0840) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 雅楽川 陽向(ib3352) / クラリッサ・ヴェルト(ib7001) / カミール リリス(ib7039) / 比良坂 魅緒(ib7222) / 羅刹 祐里(ib7964) / ユイス(ib9655


■リプレイ本文

●感謝を伝える為に
『本日貸切 夕方まで待ってね』
 朱雀寮の食堂の前にはそんな看板とおにぎり弁当が用意されていた。
 中からは賑やかで楽しげな声と、湯気といい匂いが漏れ出てくる。
「ああ、今日は謝恩会だね」
 昼食に訪れたユイス(ib9655)はからくりの雫と顔を見合わせた。
「今頃、先輩達は用意や準備に大忙しか…先輩達にもてなされる側になるとは不思議な気分だね」
 少し視線が空を仰ぐ。
「今は邪魔しちゃ悪いね。図書室で仕事をしていよう」
 弁当の一つを手に取りユイスは歩き出す。そこに
「あ! ユイスさん!!」
 元気に手を振り駆け寄ってくる者がいる。
「陽向くん」
 雅楽川 陽向(ib3352)は全開の笑顔でユイスに笑いかけた。
「丁度ええところで会えたわ。あんな。少し頼みがあるんやけどええかな?」
「頼み?」
「そうや。一つは、ちょっとうちと魅緒さん、図書館にいさせて欲しいいう事。
 今、用具倉庫も食堂も先輩らいろいろやっとるんよ。邪魔しちゃ悪いやろ。あ、勿論掃除や仕事は手伝うよって」
「それは構わないよ。でも、一つはってことはまだあるのかな?」
「先輩達の謝恩会でやりたいことやねん。魅緒さんがユイスさんも巻き込め言うてくれたんや。今、桃音さんや先生らにも頼みに行ってくれてる」
 一緒にというわりに比良坂 魅緒(ib7222)が同行していない理由を察し、ユイスはああと、頷く。
「解った。後で話を聞かせて欲しいな」
「おおきに。じゃあ、行こ!」
 尻尾を大きく降る陽向に頷き、ユイスは雫と共に歩き出す。
「どんな謝恩会になるのかな? 楽しみだね」
 そんな思いを胸に…。

 さて、用具倉庫では
「う〜ん、やっぱり、ちゃんとしたものを作ろうと思うと難しいねえ」
 俳沢折々(ia0401)が、机の上に並んだ品物を見て息を吐き出す。
 間もなく始まる三年生主催謝恩会。三年間の感謝を伝える宴。
 そこで三年生からのお礼として木製の携帯できる印籠を作り渡す。持ち歩いて役に立てるものを。
 そのアイデア自体は秀逸であったのだがその準備は、今までになく大変であった。
 ため息交じりの言葉に青嵐(ia0508)は
「それは仕方ありませんよ。本来印籠はそれぞれの専門職人が木地、合わせ、蒔絵などを担当する工芸品ですからね。素人がいきなり作ろうとするのは大変でしょう」と肩を竦めて見せた。三年間の、数多くの道具、用具と向き合ってきた用具委員長。
 言葉に説得力がある。
「うん、やってみて解った。ホントに大変だった〜」
「でも、なんとか形になるまで頑張ったのは大したものです。数を作るのも大変でしたでしょうに〜」
 アッピン(ib0840)は筆を励ますように置き微笑む。
「みんなが助けてくれたからね。アッピンちゃんも、青嵐くんも。ありがとう」
「いえいえ。委員会の過程で知り合った木工職人を紹介しただけです。術具や道具を使う為にも作る為にも、職人の協力は欠かせませんからね」
 さっき届いたらしい荷物を開封しながら青嵐は小さく笑った。
「本当に、みんなの力があってこそですねえ〜」
 確かに一人では無理だったと折々は思う。
 委員会ごとに紐を変え、寮長や職員には少し凝った朱雀の根付を付ける。
 中に入れるのは保健委員会の薬草園で採れた薬草で作った丸薬や傷薬だ。
 この辺の準備は保健委員である泉宮 紫乃(ia9951)や尾花朔(ib1268)達が協力してくれた。
 数週間かけて考え、準備をし、仲間や専門職人の助けも借りて用意した黒檀の印籠に朱雀を描くのは本当にギリギリになってしまったがそれも今、全て完成。
 今日の謝恩会に間に合わせることができてホッとして、ふと安堵の思いが零れたのだ。
「後は乾かして、薬を入れるっと」
「大体めどがついたようでしたら、私も料理のお手伝いをしてきますね〜」
 アッピンは立ち上がってニッコリ笑った。
「うん、ありがとう。ごはん、楽しみにしているから。後で会おうね」
 手を振る折々に手を振り返しアッピンが扉を開けようとしたその時。
「わっ!」
 そこに立っていた人物に気付きアッピンは後ずさった。
「…あ…ごめん」
 両手に荷物を抱えた瀬崎 静乃(ia4468)とぶつかりそうになったのだが、なんとか事前回避できたのは流石の反射神経。
「静乃ちゃん! できた?」
「…うん」
 折々は彼女を出迎え荷物を預かった。
「凄い。丁寧に縫ってあるね」
 折々の声に覗き込んだアッピン、青嵐も同意する。
 素直な賛辞に照れたように静乃は微かに頬を赤らめた。
 彼女が用意したのは無地無柄の巾着である。大きさは小物が幾つか入るくらいのものであるが二重の布で本当に丁寧に縫われている。
 表地は青みの強い紫色の布。裏地は桃色の布。裏地の方が分厚く丈夫な布なのは中に物を入れることを考えての事だろう。これも謝恩会で渡す贈り物だ。
 巾着袋を預かると折々は静乃と一緒に箱に並べていく。
 完成した印籠と重ねるようにして丁寧に入れ終るとよし、と頷いた。
「これで、渡すプレゼントの方の用意は完了!」
「ああ、いけない。では後ほど」
 駆け出していくアッピンを見送ってのち
「ねえ」
 折々は呟いた。
「謝恩会、ずっとなんで三年生がやるのかなーって思ってた。
 普通は卒業する側がおもてなしを受ける側で、招待する方に回ることってないよね」
 独り言のような言葉に青嵐も、静乃も返事はしない。静かに聞いている。
「だけど……今ならわかる気がするんだ。
 ただ、ありがとうって言いたい、感謝の気持ちをみんなに伝えたい。
 大切な場所と、仲間と、離れることになって、気持ちがどんどんあふれ出して。
 そしてもうどうしようもないから、こうやって形にするしかないんだよ」
 折々は言いながら窓の方に顔を向けた。青嵐と静乃からは彼女がどんな顔をしているのか見えない。
 何を言うでも声をかけるでもなく、二人はそっと窓辺に近付いた。
 ぽん、と肩に触れた手が言葉よりも確かな思いを折々に伝える。
「うん」
 折々は頷くと
「よっしゃやるかー!」
 寂しさを振り払い、揚々と声をあげるのだった。

「まったく!」
 カミール リリス(ib7039)は腰に手を当てると
「璃凛、どうして悩んでいるんです? 後悔したいですか」
 またしてもどこか低空飛行の芦屋 璃凛(ia0303)に声をかける。
「ごめん…解ってるんや。でも…」
 せっかくの謝恩会。落ち込んでいては良くないことは解っている。
 けれど、せっかく見かけ、話をしたいと思った相手がするりと姿を消してしまったことは浮上しかけた気持ちを低下させ、さらにマイナスに追い込んでしまったようだ。
 後に続く者の責任、学年主席としての責任。
 三年生がいよいよ卒業となるとそれがいよいよ重く圧し掛かってくる気がする…。
「ほら! シャンとして! あれ見て下さい!!」
 丸めたままの璃凛の背中をぐいと押してリリスは前を見させた。
 そこには
「謝恩会、開く側になったなりねぇ。んーっ!全力全開っ!行くなりよーっ!」
 大きくて重そうな荷物を小さな両手に抱えながら寮内を元気に駆けまわる平野 譲治(ia5226)がいる。
「ほいほい! やっと届いたのだ〜!」
「ねえねえ、それなあに?」
「まだ秘密なりよ〜」
「ケチ〜」
「随分大荷物だな。手伝うか?」
 側にいるのは劫光(ia9510)と桃音。
「おいらの方は大丈夫なのだ。他の手の足りない所を手伝って欲しいのだ!」
「ん〜。それじゃあ、料理か飾りつけの方に行くか。…こういうのは双樹の方が強いんだが…ん? 誰か来たぞ」
「お客なりか?」
「客と言うより…ああ!」
 客を出迎え、準備に向かう。その道行で気付いたのだろう。二人と桃音は璃凜に大きく手を振っている。
「璃凛!」
「後で待ってるなりよ〜!」
 彼らの暖かい笑顔に璃凛の胸が小さな音を立てるようだ。
「お二人は何も言わないでしょう? 信頼しているんですよ。後に続く者達のことを…、貴女の事を」
 璃凛の返事は無い。リリスはそれでも言葉を紡ぐ。
「誰も璃凛に責任を押し付けたりしませんよ。一人で、背負う必要もありません。
 相談してもいいし、時には押し付けたっていいんですよ。周りを見ない事と、自分を信じないのは辞めにしません?」
 贈られた言葉を胸に、璃凛は何かを強く、握り締めていた。

●謝恩会の始まり
 冬の日が落ちるのは早い。
「うわっ、もうこんな時間なのね。そろそろ、みんな集まってくるかしら」
 気が付けば、周囲はもう朱色から紫色に変わりかけている。窓の外を見た真名(ib1222)は
「紫乃。朔、アッピン。料理の進み具合はどう?」
 仲間達にそう声をかけた。
 三年生主催の謝恩会。その目玉の一つはやはり料理だろう。
『さて、それでは腕によりをかけて作りましょうか』
『どんなものにしましょうか? 目新しいお料理となると難しいですね』
『せっかくですから、いろんな国の料理を作ってみたいですね〜』
 謝恩会の料理を預かる調理委員長のと頼もしき助っ人たちはそれぞれに腕を振るってくれている。
「こちらの方は準備が出来ました。もう少し火にかけてはおきたいですが」
「七輪を用意して頂きましたから机の上において温めておけると思いますよ。…こちらも用意できました。暖かい薬草茶やお酒、おつまみも抜かりなく」
「ピロシキの方は完成です〜。ボルシチはあと少し煮込むだけ。天儀風の煮物と焼き物は祝い膳を意識してみました。後は軽くつまめるお菓子はジルベリア風とアル=カマル風ですかね」
 本当に頼もしいと真名は笑顔になる。
「流石、みんな! 大好き♪ じゃあ、後はこれを運んで最後の仕上げを…」
 腕を捲った真名の背後でトントンと扉を叩く音がした。
『あ!』
 焼き菓子を作っていた人妖双樹が主の気配に声を上げる。
 真名も振り返り、
「わあっ! 来てくれたのね!」
 歓声に近い声を上げた。
「お、いい匂いだな」
 と入って来たのは劫光。その後ろからは
「用意ができたものから運んでいくなりよ〜」
「私も手伝うよ〜」
 元気な譲治の声もする。桃音も側にいるのだろう。
 しかし、真名が見つめていたのは二人のさらにその後ろ。
「お客さんが来てたから連れて来たぜ」
「ご招待ありがとうございます」「やあ」
 微笑む二人の来訪者であった。
「アルーシュ姉さん。狭霧さん。…ようこそ。朱雀寮へ」
 謝恩会は協力者、家族などを招待してもいいと聞いて真名は招待状を出していた。
 大切な人。
 アルーシュ・リトナ(ib0119)と玉櫛 狭霧(ia0932)。
 そして彼らは来てくれた。
「これはお土産です。良ければ飾って下さいね」
 真名は笑顔を咲かせている。差し出された赤いスイートピーに勝るとも劣らない美しさで。
「来てくれて…とっても嬉しい」
 受け取った花束を抱きしめる。
「姉さま?」
 馴染んだ言葉を耳にしてか、桃音が真名を見上げている。真名は
「そうよ。私の姉さん」
 と頷くと桃音をアルーシュの前に押し出した。
「アルーシュ姉さん。この子が桃音。私の一番新しい仲間よ」
「そうですか…」
 アルーシュは膝を折って桃音に視線を合わせると
「桃音さん初めまして。真名さんからお話は聞いてます」
 そっと微笑みかけた。無垢でありながら深い輝きを放つ瞳の少女。
 アルーシュはこの瞳とよく似た目をした子供達を知っている…。
「どうか迷う時は寮の皆さんと相談してご自分の道を歩んで下さい。誰も貴女を見捨てませんから」
「?」
 小首をかしげる桃音にはアルーシュの言葉の意味の全ては理解できていないだろう。
「ありがとう。真名さん。彼女と会わせてくれて」
 アルーシュも今、それを語るつもりはなかった。
「真名さん。そろそろ謝恩会が始まります。お二人を席にご案内しましょう。お話は後でゆっくり」
 朔に声をかけられて
「ええ、そうね」
 真名は慌てて背筋を伸ばし直す。
「狭霧さん、会場へどうぞ。多分、向こうで静音が飾りつけをしていると思うから。姉さんも」
「ありがと。とはいえ、少し緊張するなぁ。兄妹水入らずで話をする事も、あまりなかったし〜」
「はい、では、参りましょうか」
 片目を閉じて答えた狭霧と優雅に頷いたアルーシュを
「ご案内します。どうぞこちらへ…」
 紫乃が会場へと促していく。
 間もなく刻限。
 譲治と桃音は手際よく料理を運んでくれているし、紫乃は二人を案内した足で後輩達を呼びに行ってくれるだろう。
「いよいよね」
「いよいよですね」
 真名の呟きに朔と
「何だかんだでここまで来れましたけれど、こうして会を開かれる立場になると嬉しくもあり、寂しくもあります。もう最後ですからね〜」
 アッピンの声が、想いが重なる。小さく伏せられた目は直ぐに真っ直ぐ前を向いた。
「…だから、この会を成功させましょう。皆さんを楽しませて、私達も楽しんで」
「みんな〜。まだ運ぶものはある? 手が足りないのなら山頭火を手伝わせようか〜」
 仲間達の声と、会場に増えてきたざわめきに
「大丈夫! さあ、行きましょう!」
 力を入れて答えると真名も、朔もアッピンも顔を合わせ頷いて料理を運ぶのであった。

 美しい薄様の紙に書かれた達筆な招待状は学年主席の手であろうか。
「『皆様を謝恩会にご招待致します…。
  どうか私達の感謝ともてなしの場に足をお運びくださいませ』
 私たちは今回はもてなされる側かぁ。
 …もう終わりなんだよね」
 会場に向かうクラリッサ・ヴェルト(ib7001)は人形を手に、足元に相棒を伴って謝恩会場となる食堂への廊下を進んでいた。
『寂しいのか?』
 招待状を手で玩びながらも声に微かに滲んでいたのだろう。
 相棒に指摘された思いにうんと、彼女は頷いた。
「多分ね。でも…せっかくのご招待だし、しんみりし過ぎるのもなんだし、今日は大人しくもてなされておこうかな。
 今までの感謝を込めて…」
 三年生達がどんな謝恩会を用意しているのかは解らない。
 でも、招待を受けたのならそれを楽しむのが招待客の役目だろう。
「…一緒に騒ぐだけが楽しいことってわけじゃないと思うし…ってあれ?」
 見えてきた食堂の入口。
 そこで身を重ねるようにして中を伺う一年生達。
「何をしてるの?」
「わああっ!!」
 絶妙のバランスを崩された一年生達のタワーが崩れ、横開きの扉が勢いよく開かれた。
「あっ!」
 驚きに後ずさったのは、玉櫛・静音(ia0872)。
 そして彼女の前に立っていたのは陰陽寮生達には見慣れない青年である。
 彼は扉と、後輩達と、そして静音を見つめるとくすりと小さく笑って見せた。
「じゃあ静音。僕は席に行くよ。…後で、また」
「…はい。兄さん…」
 そう言って手を振りながら用意された席に向かう彼を、静音はじっと見つめている。
「兄さん。静音先輩のお兄さんだったのか」
 腕組みをする羅刹 祐里(ib7964)。彼の側では
「ほら、見るがいい。だから言ったであろう。きっと大事な家族であると…」
「言うてへんで、魅緒さん」
「まあ、余計な詮索をするのもヤボだよ」
 一年生達が楽しそうな笑みを浮かべている。
「何をしてるの? 一体?」
 首をかしげるクラリッサ。
「いや、あの人、狭霧さん、言うらしいんやけど、そろそろ時間やから中に入ろうとしたら静音先輩が、狭霧さんとな…」
 多分陽向は説明をしてくれようとしたのだろうけれど
「な、なんでもありませんよ。さ、さあ! お客様は早く中に入って下さい!」
 状況に気が付いたのか、頬の赤みが抜けないまま慌てたように言う静音と
「遅くなってすみません!」
 息を切らせて飛び込んできた蒼詠(ia0827)に追われるようにして彼等は席に着いた。
 元は食堂である謝恩会会場。
 そこに設えられた席は少なくは無い。
 後輩である一年生、二年生。
 狭霧達招待客。
 三郎や凛は陰陽寮の講師、教師席にいるし他にも食堂の料理長や営繕の職員などにも席が用意されているようだった。
 その席がほぼ埋まり、満員となった頃。
「遅くなり、申し訳ありません」
 静かな声と共に入ってきた朱雀寮長 各務 紫郎と、桃音が席に着いた。
 紫郎は最上座。桃音が一年生達の隣に座ったのを確認すると、壁沿いに控えていた三年生達が前に進み出た。
 ざわめいていた会場がシンと静まり返る。
 その中で
「今日はお忙しい中、お集まりくださいましてありがとうございます」
 一歩、前に出て声を上げたのは主席、折々である。
「私達は間もなく卒業します。今までいろいろありましたがなんとかやってこれたのは、ここにいる皆さんのおかげです」
 彼女は朗々とした声で三年生を代表するように口上を述べる。
「沢山の思いがあります。けれど今、ただ、ひとついえることは、皆さんに感謝したい。その思い」
「今日はそれを表す為に、ささやかながら宴を用意しました。どうか、たくさん食べて、飲んで、楽しんで下さい」
 図書委員長、アッピンに続いて調理委員長である真名が言うと同時、三年生達が客に飲み物の器を配り始めた。
 全員の手に杯が渡ったのを確かめ、前に立ち、己の杯を掲げるのは用具委員長青嵐である。
 それに応じるように三年生も、一年生も、二年生も全員が立ち上がり、杯を高く上げる。
 会場に集まった全ての者に告げる
「長らくお世話になりました」
 彼は静かに、自分の声で、はっきりと思いを述べる。
「心からの感謝と、皆さんへの想いをここに…乾杯」
「乾杯!!!」
 杯と杯、心と心が重なる音が響いて、広がって行く。
 こうして、朱雀寮生三年生主催、謝恩会の幕が開いたのだった。

●謝恩の宴
 まず、宴会会場には小さな火鉢が2〜3個ずつテーブルごとに運ばれた。
 そして、その上に鍋が乗せられる。
 もう完璧な下準備が済んでいたのだろう。鍋はどれもくつくつと柔らかくて暖かい音と香りを立てている。
「今回の料理は、寒いこの季節に身体が暖まって、皆でわいわいと楽しめるようにと鍋を用意したわ。おでん風煮込みとフォンデュね」
「この溶けたチーズに好きなものを付けて食べて下さい」
 調理委員長である真名が説明する横で、朔が平らな皿をテーブルに添えていく。
「お好きなものをお好きなだけ、ですね」
 皿の上には小さく切ったパンだけではなく、茹でた人参、芋、下茹でした大根や鶏肉なども乗っていて、用意された串にそれらを刺し、トロトロに溶けたチーズをつけて口に運んだ陽向から
「うわっ! これうまいで!」
 と歓声が上がった。やがてその声は会場中に広がって行く。
「こちらの鍋は巾着鍋です。中に何が入っているかは食べてみてのお楽しみですよ」
 片目を閉じる紫乃の微笑みに
「じゃあ、これを一つ頂こうかな…」
 ユイスが透明なスープがぽこぽこと音を立てる鍋から油揚げの巾着を一つ、取り出した。
 ふうふうと息で冷ましてから一つに噛みつくとじゅわりと溢れるいっぱいの肉汁。
「あつつっ! これは、鳥のつくね…かな。油揚げの味がつくねにいい味をつけてる」
「こっちは、チーズとハム…? トロトロのチーズがハムに絡んで美味しいよ」
 へえ、とクラリッサの声に璃凛も箸で一つをつまみ上げる。
 中に入っていたのは太めのうどんである。味が染みていてしみじみ美味しい。
「これもキツネうどん、やろか?」
 どうやら油揚げ袋の中身は全部、とまでは言わないがいろいろあるようで思わず楽しくなってしまう。
 材料と油揚げの味が染み出たスープもなかなかに味わいが深い。
「これは先輩が作ったんですか?」
 ナッツとパイ生地を重ねた揚げ菓子をリリスが一つ手に取る。
「見よう見まね、というか〜、聞きかじりで作ったものですけどどうですか〜?」
 サクリと軽い音を立てたリリスの顔をアッピンは覗き込む。
「…はい。懐かしい感じの味がしますね。アル=カマル風にできていると思います」
 良かったと微笑むアッピンにリリスも笑いかける。リリスにとっては故郷を思い出させてくれる味だ。
 他にもジルベリア風、天儀風と料理はどれも食べて美味しく、そしてどこか楽しくなるようにと趣向を凝らしてくれているのだと、見るだけで解っていた。
 三年生も一通りの給仕を終えると、食事の輪の中に入って行く。
 同じ鍋を囲んで一緒に食事をすると、心も体も暖かくなるのは万国共通だろう。
「今までありがとうございました」
 と声をかけ、酒や飲み物の酌をしている者も多い。
 そんな仲間達の様子を嬉しげに会場を回り、料理の補充などをしていた真名は
「あら?」
 ふと、黙々と料理を食べる魅緒に気がついた。
 賑やかに鍋料理を囲む者が多い中、一人、レンゲと皿を持ち魅緒が食べているのは今回は料理の端に置いていた麻婆豆腐。
「それは、超激辛麻婆豆腐なの。普通の人だと辛くて食べられないみたいなんだけど…大丈夫?」
「確かに辛いが、美味い…。癖になりそうだ」
「そう…ありがとう。魅緒」
 懐かしい言葉を交わし、真名は魅緒を見つめた。
 魅緒もまたレンゲを置き、真名を見つめる。
「不出来な弟子で済まぬの。真名」
 魅緒は静かにそう告げた。これを逃せば別れを言う機会は無いかもしれない。
 そう思ったのだろう。真剣な目だ
「結局まだ料理の腕は半人前じゃ。彼方にも迷惑をかけてゆくと思う。
 じゃが、お主から受け継いだ調理委員の心は絶やしはせぬぞ。
 それだけは誓っておこう、お主より預かりしノートに賭けて…な」
「ありがとう…魅緒」
「うわっ! 真名?」
 気が付けば、魅緒は真名の両手に強く優しく抱きすくめられていた。
 魅緒はそのぬくもりに抵抗することなく、静かに目を閉じたのだった。

 料理の区切りがついた頃、三年生達の何人かが相棒と共に前に進み出る。
 物陰に隠してあった琴を引き出す紫乃。手伝う人妖桜の手には精霊の鈴が握られている。
 劫光と朔は笛の音を互いに合わせ、折々も笛を取り出す。
 楽器を持たない者も楽譜を見ながら発声練習をしていた。
 歌を歌うのだろうか、と来客達が思った頃、
「ほら、菖蒲も付き合いなさいよ?」
 躊躇いがちな相棒を引き出した真名が二人で場に入ると
「皆。改めて。集まってくれてありがとう」
 ニッコリと微笑みながら、劫光が笛を手に前に立った。
 少し照明が落とされる。
 その中で場に居合わせた、皆。一人一人の顔をゆっくりと見回しながら彼は言う。
 ふと、魅緒と目が合った。小さく笑って見せる。
「あんた達のお蔭で俺達は今、ここにある。ここにある事を俺は誇りに思う。ありがとな」
 恩師、先輩、同輩、後輩。
 朱雀寮でなくても知っている顔、または知らない顔もある中で、それでも全員に心からの思いを込めて彼は告げる。
「これから皆で、ささやかだがお礼の音楽を奏でる。…どうか聞いて欲しい」
 劫光の言葉を合図にそれぞれが楽器を構えた。
「〜〜♪…思い出が広がる 学び舎の空」
 第一声は静音。兄が手を振る様子に頬を微かに赤らめながらも心を込めて歌を響かせていく。
 普段、もの静かな彼女の唇から紡がれる歌は美しく、澄んだ響きで聞く者の心を震わせる。
 最初の歌は、去年二年生達が謝恩会に歌った感謝の歌。

「〜美しく どこまでも限りなく
 輝かしく、楽しく
 いつまでも、いつまでも、このままでと願い、思うけど〜」
 
 そのアレンジバージョンであった。
 メロディラインは同じ。
 しかしその言葉は紛れもなく、三年生の感謝を唄う。
 寄り添うように真名の声が歌に重なった。
 歌に合わせて踊るのは静乃。管狐が襟巻のように巻かれた首元でその尻尾をふわりと振る。
 緩やかに、優しく組んだ手を静音は空に掲げた。

「♪けれど、私達は飛び立つ〜。
 地面を蹴り、高い空へ〜」

 歌う自分を見守ってくれる姉の眼差し。
 そして沢山の人の思いを受けて二人の声が高く、響く。
 いつしか周囲に舞い踊る夜光虫達の輝きと共に。
 
「人と人との出会いは 一つの奇跡
 その輝かしさが 私達に力をくれる。
 感謝を胸に 空へ飛び立つ〜
 大地を蹴り 広い空へ〜

 小さなヒヨコが いつか空に飛び立つように。
 高く 羽ばたこう〜」

 サビの部分からは相棒達の声や少年の声も重なった。
 彼らの歌と演奏、その一音一音から伝わってくるのは未来への思いと感謝の気持ちであることが聞く者達には「解る」。

「未来と言う空に向けて〜
 いつか 続く誰かの為に…♪」

 歌と演奏が終わると同時、満場の会場を割れんばかりの拍手が溢れ、揺らした。
 静音と真名は静乃と手を繋いで頭を下げる。
 奏者達もそれに続く。
 拍手は本当に長く、長く鳴り止むことはなかったのだった。

●贈ることば
 演奏の後は本当に無礼講。賑やかなお祭り騒ぎになった。
 誰もが知っている童謡や古謡から、即興アレンジの音楽を朔と紫乃が楽しげに盛り上げていく。
 踊り始める者もいる中で青嵐は来客達全員の元へと足を運んでいた。
 寮長や三郎、料理長などは勿論、事務職員、営繕の職員から配達の見習い少年に向けてまで。
「本当にお世話になりました、ありがとうございます」
 彼は飲み物を手向け思い出を語り、そして感謝の思いを届けた。
「どうして…僕のようなものにまで?」
 不思議そうな配達の少年に青嵐は静かに笑うと懐から小さな包みを取り出した。
「あ、それは…」
「これは、遮蔽縄。新しく開発されたアイテムです。一応の製作者は私ですが、これも一人では為しえなかった。西と情報交換を行い、職人の方と検討を繰り返し、そして何よりそれを届けてくれる人がいたからこそ、今日、今、完成品として私の手元にあるのですよ」
 少年は頬を赤らめる。彼ら下働きの者にとっては陰陽寮生というのは高みの存在。それが自分の行動を評価してくれたことが、本当に嬉しかったようである。
「皆様の力添えがあって漸く此処まで来られたのだと思っています。
 寮長もそうですが、我々の活動を支えてくれたのは五行という国であり、寮で働く多くの人々であり、結陣の民なのですから。
 我々は決して独力で此処まできた訳ではない」
(それを噛みしめ、自らに刻み込む為に)
「私は貴方達一人一人に、お礼を言いたいのです」
「確かに。人との出会いはそれそのものが1つの奇跡。
 この中の誰が欠けてもこの場は作れなかった」
「劫光…」
 振り返った青嵐に軽く片目を閉じてみせると劫光は手に持った飲み物の瓶の中身を青嵐と少年に注ぐ。
「「心からの感謝を込めて」」
 合わせられた盃の音と卒業生からの言葉は少年にとって、一生の宝、誇りとして胸の中に輝くだろう。

 あいさつ回りをしていたのは二人だけでは無い。
 次々に回ってくる三年生達から注がれる飲み物で客の杯は乾く間もない。
 中には調子に乗って飲みすぎてバッタリ倒れ
「…気分はどう? 薬調合しようか?」
 と静乃に介抱される者まで出る始末である。
「こうして全員にご挨拶していると沢山の人達に助けられてきた事を実感しますね。
 ……本当に、夢のような三年間でした」
 朔と一緒に歩く紫乃は抱きしめるようにそう告げ、朔もまた頷く中。
「やっほーい! 窓の外を注目! な〜のだ!」
 譲治の一際元気な声に、寮生達は思わず顔をそちらに向ける。
 と、ほぼ同時。
 ドーン!!
 威勢のいい音が窓の外に響いた。そしてすっかり紫紺に染まった空に季節外れの花が咲く。
「うわっ! 花火?」
 思わず璃凛は声を上げる。もしかして譲治が一生懸命運んでいたのはこれだったのだろうか、と思いながら。
「誰かさんの二番煎じなりがね」
 照れたように譲治は笑うが手配は大変だった筈だ。
 招待客は勿論、三年生達も光と音の饗宴に静かに見入っていた。

「綺麗だね…」
 空を見上げそう呟いた狭霧の横で
「はい」
 と頷いて後、少し恨めしそうな顔で静音は兄の顔を見上げた。
「…さっきは、ビックリしました」
『やぁ。来ちゃった』
 会場で料理を並べていた静音は何も言わずにやってきた兄に
『は? え? に、兄さん!? な、な、なんで?』
 狼狽し慌てて料理を取り落すところだったのだ。
 真名が呼んでくれたと知るまで、いや知っても彼女の胸の鼓動は収まるどころか高鳴る一方。
 静音はこの実の兄に恋をしているのである。
 マトモに顔も見れない程、狼狽えながら…でも嬉しく思い、できるだけ側に寄り添う静音。だが当の狭霧はと言えば料理に舌鼓をうち、仲間達と話し…とても楽しそうであった。
 それもまた嬉しくもあり、別の思いもあった…。
「ははは。ごめんごめん」
 そう笑って、狭霧は静音を見つめる。
「ついこの間朱雀寮に入ったと思ってたのに、もうすぐ卒業とは…。時の流れは、本当に早いものだねぇ。寮生活は大変だったかい?」
 兄の言葉に、微笑みに、静音の胸には何かがこみ上げてくる。
 委員長として、陰陽寮生として今日の日を普通に過ごそうと思っていた。それができると思っていた。
「…今まで、ちゃんと向き合えてなかったからね。ここで過ごして、感じてきた事、静音の口から聞いてみたいかな」
「はい…、とても楽しく…充実していました。友にも…師にも…恵まれたと思っています」
 だから…、自分の頬にこんな熱いモノが流れるとは思っていなかった。
「そうか…。よかった。確かに、ここは良い所だったみたいだ。見れば解るよ」
 指でそっと静音の涙を拭うと狭霧は周りと空を見回し、微笑んだ。
「卒業、おめでとう…。
 就職先は…知望院に決まったのかな? 今までずっと家にいたから、どうなる事かと思ったけど…いやはや。
 もうすっかり越されてるなぁ…って静音?」
 今度は狼狽するのは狭霧であった。大粒の涙を流す妹を前に狼狽しない兄は少ないだろう。
 小さく息を整えた狭霧は静音の頭を自分の胸にそっと寄せた。
 そしてその頭を優しく撫でながら、上がる花火を静かに見つめるのだった。

 澄み切った空に上がる花火は夏と違う風情があって美しいと真名は思う。
「た〜まや〜」
「が〜ぎや〜、だっけ?」
 譲治と桃音は窓辺に並んで楽しげに花火を見ている。
 そんな二人の後ろ。
「姉さん」
 見守るように微笑んでいたアルーシュに真名は静かに呼びかけた。
「真名さん。お疲れ様です」
 笑顔で答えるアルーシュの手には、さっき真名が渡した菓子の皿がある。
 姉の為に好物で設えた特別な品。
「どうかしら?」
「とても、美味しかったですよ。腕を上げましたね」
「よかった。…姉さん、来てくれてありがと」
「あらあら、さっきも伺いましたよ」
 空になった皿を横に置くとアルーシュはクスリと笑うが真名は首を横に降る。
「ううん、本当に嬉しいの。おめでとう、の一言を誰より言って欲しい人だから。
 だから…」
 そう言うと真名は、アルーシュのその胸に抱きついた。
 子供のようだと思いながらも繰り返す。
「ありがとう…本当にありがとう」
「真名さん」
 アルーシュはその頭をそっと抱き寄せ、撫でながらもう一度、優しく、その名を呼んだ。
「卒業、おめでとう。優しく情熱的な心。
 次に目指す道もその心で多くの人の心を動かせます様に」
 心からの祝福を贈る澄んだ声は、静かに真名の心と身体に染み込んで行くようだった。

 挨拶を終え、少しの気分転換にと外に出た青嵐は
「先輩!」
 呼ぶ声に振り返る。
「どうしましたか? 陽向さん?」
 薄暗がりの中でも鮮やかな茶色の髪の少女は同じように鮮やかな笑顔で
「先輩、卒業おめでとうございます♪」
 ぺこりと青嵐に頭を下げた。
「まだ卒業したわけでは、ありませんよ」
 そう返した青嵐であったが
「確かに、まだやけど、委員会は最後やん! それに…先輩に言うておきたいことがあったん」
 真っ直ぐな思いを感じ、陽向の方に身体を向けた。
「先輩、委員会勧誘祭の言葉。覚えてはる? うちは覚えてるん。
 人の下に立ち、他の人を支える。
 今のうちは実行できとると思わんな。うちは自分の思うとおり、好き放題動いてしまうもん。
 逆立ちしても先輩みたいには、生きられそうもないで。それは先輩に謝らんといかんかと思うくらいや」
 耳を伏せながらも、陽向の尻尾はピンと立っている。
「でも、陰陽術は人を幸せにする術や、心得一つや。
 もしうちが卒業する日が来たら、一度、神威の森に帰る思うで。
 先輩達が新しい陰陽術を作ってくれたもん。
 先輩達みたいに研究する者がおるんやったら、広める者も必要やから」
 青嵐はふと思い出す。かつての「この日」自分がある先輩に問うたことを。
『陰陽師になって、この寮で学び。貴方はどんな自分を目指したのですか?』
『貴方は、それを見つけられそうですか?』
 先輩にそう問いかけられたことを…。
 この後輩は既に答えを見つけている。
 青嵐は小さく微笑んだ。
 続く者の心が確かめられ、後を託して行けることの喜び。
 かつての先輩ももしかしたら同じ気持ちであったのだろうか、と。
「そうですか。ありがとう。貴女の道に光あらんことを」
「はい。先輩も!」
 二人は頷きあって、おそらく最後の、一際大きな朱色の花火が上がるのを肩を並べて見つめていた。

「みんな、色々楽しんでいるみたいだね」
 はしゃぎ騒ぎ合う者達、静かに語り合う者達。
 そんな後輩や同級生たちの姿をクラリッサは静かに見つめていた。
 図書委員の先輩達と話もしたが、楽しんでいる仲間達を見るのも、また楽しいのだ。
「こういうのもいいかもね」
 自分の盃を持ち上げながら呟くクラリッサだったが、その静かな時間は、そう長くは続かなかった。
「あ! いたいた。先輩。最後にちょい力貸してえな!」
「なに? ちょ、ちょっと待って!」
 突然、後輩に手を引かれというか引きずられたからである。
 でも、クラリッサはそれもまた、楽しいと思う。
「これが、やっぱり朱雀寮…かな」

 謝恩会が間もなく終わろうかという頃、祐里と蒼詠は、集まる三年生達――特に保健委員会の四人の前に並んで立つと、用意した香り袋を差し出して深く頭を下げた。
「今生の別れなんてことでは無い訳ですが、ありがとうございました」
 祐里が調合した香り袋は、朔には落ち着きと疲れを和らげる物。紫乃には清潔感のある微かに香るもの。静乃には、睡眠へと誘えるものとそれぞれに考えて作っているようだった。
「先輩方、今まで本当にお世話になりました」
 普段静かな蒼詠は三年生達に告げる。強い心と眼差しで。
「僕は皆さんに迷惑ばかり掛けてきた自覚があります。でもそんな中、先輩方には本当に沢山色々な事を教えて頂きました。
 先輩方に教えて頂いた事全てを良き糧とし、最上級生としての最後の一年を先輩方に恥じる事の無い、実りのある充実したものに出来るよう頑張っていこうと思います。本当に、ありがとうございましたっ」
 勢いよく下げられた頭。
 と、同時。
 バサバサバサと羽音が会場全体に広がった。
 赤い小鳥。たくさんの小さな朱雀が翼を広げ、会場に飛びだしたからだ。
 蒼詠と示し合わせたわけではない。けれどそれが後輩達からの、そして、多分教師や小さな仲間からの贈り物であると気付き三年生達は顔を合わせ、微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
 ユイスも一年生を代表し、深くお辞儀をする。
 感謝の意を表すのに、今は他の言葉が見つからない気分だ。
「なんか、まるで送辞を貰ったみたいだね」
「ええ、嬉しいですね」
「じゃあ、謝辞じゃないけど、私達からも。月並みなんだけど、心からの感謝をこめて…贈ります」
 その言葉を合図に三年生達はそれぞれ、小さな包みを一人一人に手渡していく
「…ふん、お主の顔もこれで見納めか…。
 よい、どこへなりとも言ってしまえ!
 全く、清々するわ」
 拗ねたように、照れたように劫光から顔を背ける魅緒。
 その頭をぽんぽんと、劫光は優しく撫でる。
「ありがとう」
「心からの感謝を」
 言葉と共に贈られる贈り物。
 そして、折々は皆に語りかける。想いを抱きしめるように。
「…これから、みんな楽しいこともあると思う。辛いこともあると思う。
 それは全部、みんなの力になる大切な思い出だから。
 ひとつ残らず忘れずにいてね。
 もちろんわたしも忘れたりなんかしない。それはもう絶対!」
 輝かしい約束と掲げられた手に、劫光の言葉が重なる。
「バトンタッチだ。任せたぞ!」
 その瞬間、わきあがった拍手は互いの心と思いの現れであったろう。
 長く、消えることなく響いていた。

●心に刻んで
 謝恩会の夜が明け、気が付けば一年生と二年生達は大部屋の布団の上にいた。
 会場であった食堂は既に昨夜の面影がどこにも見つからない程に片付けられており、来客もいない。
 職員たちもそれぞれの仕事に戻っていた。
 あの輝かしい時は夢ではないかと思える程にいつもの日常がそこにある。
「でも、夢じゃない…」
 ユイスは自分が握りしめていた巾着と印籠を見つめる。
 丁寧に磨かれて朱雀が描かれた印籠には薬も入っている。
 三年生達の優しさが伝わってくるようだ。
「ああ、夢じゃないな」
 祐里も魅緒も、陽向も璃凛も、リリスも、蒼詠もクラリッサも昨夜の思い出を、言葉をしっかりと覚えている。
「…言葉は胸に刻んでおこう。お礼はすぐに出すよりも、次のぼくらの番までとっておく。
 何しろまだ彼らの時間は終わりじゃないのだから。それまで温めておこうと思うよ」
 ユイスは仲間と先輩を振り返り告げる。
 それは自らにも言い聞かせる言葉でもあった。

 そして彼らは戻る。
 あと、本当に残りわずかになった朱雀寮の日常へと。