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■オープニング本文 三年生の朱雀寮の卒業試験が終わった、と一年生、二年生が聞いたのは十一月に入って間もなくのことであった。 未知の遺跡に突入し、奥で太古の陰陽師に憑依したアヤカシと戦い、勝利したのだという。 誰一人欠けることなく戻ってきた彼らは、その死闘について何も語ることはしなかった。 遺跡で発見した太古の資料を基に卒業研究や新しい術の開発研究を行いながら、のんびりとした日常を送る三年生達。 しかし、彼らの纏う空気はやはりどこか暖かく、そして切ない何かを感じさせた。 新年の祝いが過ぎた頃、式が設けられ彼らは卒業するという。 あと二カ月足らず。残りの時間は卒業研究と残務整理、そして進路決定に当てられるのだろう。 一年生、二年生もそれぞれ進級試験を終えている。 今年に関しては新入生の入寮保留と三年生の卒業延期があった為、猶予期間が設けられているが。三年生が卒業したら彼らも進級することになる。 今のように全員が朱雀寮に当たり前のように笑い、当たり前のように過ごす日々はもう残り僅かだ。 それをおくびにも出さず、いつも通り過ごす三年生を見て、ふと二年生達は思い出した。 昨年度末に自分達が、今の三年生と共に行ったイベントの事を…。 「三年生を送る会をせえへん?」 三年生には内緒で集められた一年生と二年生は二年主席となった少女と、その言葉をじっと見つめる。 「思い出したんやけどな。去年、今の三年生と一緒に当時の三年生だった先輩を送る会をやったんや。 色々と小物作ってプレゼントしたり、人魂飛ばせたり。先輩達は鳥人形舞わせたりしとった。 今思えばあれ、進級試験で作った人形やったんやね」 「あんまり堅苦しくなりすぎるのもなんだけど、今までおつかれさま〜、卒業おめでとう! ってお祝いしてあげるのはいいかもね。そう言えば図書委員会も、ちゃんと次期委員長決めないといけない、かな?」 「料理とかはお任せしても大丈夫ですか? 次期調理委員会委員長? 必要品の準備も。次期用具委員長?」 「勿論です。皆さんに協力して貰えるなら、全力で僕が出来る最高の料理を整えますよ」 「よっぽど特別なものでなければ、朱雀寮生には備蓄消耗品の使用はある程度自由に許可されてる。行って貰えれば用意する」 「まあ、皆も忙しいやろし、委員会活動やから無理に、とは言わへんよ。でも…、せっかく一年も二年も進級試験終わったんやし、皆でのんびりパーティするのもええと思うん。よかったら協力してくれへん? 桃音や予備生の子や、…他にも協力してくれる子がいたら招待しようと思うてる。 三年生には食事会、って招待状出しとくよって考えておいてな」 二年生達の言葉に一年生は頷いた。 しんみりは朱雀寮の性に合わない。 どうせなら、最後まで全力で元気に明るく駆け抜けるのだ。 そう思っていた。 かくして、寮長、寮生のバックアップを得て、 一〜二年生主催。 三年生を送る会は企画、実行されることとなった。 沈黙を守っていた…二年生の一人は一人寮長から預けられた「補習」を見つめる。 それは腕の中にある「進級申請書」に最低三年生二人を含む六人以上の署名を貰う事である。 署名は一年生でも二年生でも、三年生でも構わないが二年生だけに頼んで六人を達成することは禁止されている。 六人以上の署名を集めても構わない。人数が多い程、失った点数を取り戻せると聞いていた。 先輩や後輩達に自分のミスを告げ、進級を認めて貰えるように自分の意思を見せる。 それが、彼に与えられた進級の為の補習であった。 今回の件はその為の最適の機会だろう。 彼は手の中の署名用紙を決意と共に、強く、音がするほど抱きしめていた。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 蒼詠(ia0827) / 玉櫛・静音(ia0872) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 雲母(ia6295) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / アッピン(ib0840) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 雅楽川 陽向(ib3352) / クラリッサ・ヴェルト(ib7001) / カミール リリス(ib7039) / 比良坂 魅緒(ib7222) / 羅刹 祐里(ib7964) / ユイス(ib9655) |
■リプレイ本文 ●贈られた言葉 「…ありがとうございました」 深くお辞儀をして部屋を出た蒼詠(ia0827)は大きくため息をついた。 「前途多難…でしょうか…。いえ、これも自分の行動の結果、受け止めて前に進まないと…」 丸くなりかけた背をまっすぐに伸ばすと蒼詠は胸の中に抱いた書類を胸に歩き出すのだった。 彼を見送った室内での会話。 「さて、仕事に戻りますか。サンプルは出来た、後はこれの改良と普及のし易さ…」 「いいんですか? 委員長?」 問いかける後輩達に青嵐(ia0508)は 「いいんですよ。これも、我々から贈る言葉の一つです」 作業の手を止めずいつもと変わらない様子で静かに答えた。 今、青嵐が追いだしたのは二年生の補習対象者である。副委員長であり、同級生である清心の心境は穏やかでは無い。 「でも…」 「心配する必要はありません。それよりいいのですか? やるべきことや借りたい物がある、と言っていませんでしたか?」 「あ、すみません。うちの準備は終わったんやけど、調理委員会が足りない皿とか貸してくれゆうてました。」 「はい。俺はまだなんで片付け終わったらちょっと出ます」 「かまいません。しっかりして下さいね。次期委員長、副委員長」 「あ…それから、来て頂けますか? 送る会…」 「ええ、参加させて頂きますよ。楽しみにしています」 嬉しそうに、でも慌てたように仕事に戻る後輩の背中と、部屋の扉を交互に見て青嵐は小さく唇の端を上げるのだった。 廊下を歩いていた蒼詠を見つけたのだろう。 「あ、蒼詠くん!」 向こうから駆け寄る様に走ってきたクラリッサ・ヴェルト(ib7001)が手を振りながら近づいてきた。 「どう? 署名の方は?」 覗き込む様に蒼詠の手元を見る。 「出だしは、今一つというところです。仕方がない事でもあるのですが…」 クラリッサに差し出した署名用紙にはまだ三年生の名前は一つしか書かれていない。 「保健委員会と用具委員会を回ったのですが、署名をして下さったのは保健委員長お一人だったので…」 蒼詠は俯き唇を噛みしめる。 進級試験の補習の為、彼に与えられた課題の一つが進級申請書に署名を集めることであったのだ。 保健委員長は黙って署名をしてくれた。 しかし、残る保健委員の三年生三人の言葉は厳しかった。 「…それで、どうしたいの?」 話を聞いて資料の山を横に忙しく何かを検討していた瀬崎 静乃(ia4468)は蒼詠に逆に問うた。 「…どう、って…、あの…進級試験の欠席は僕のミスで、深く反省をしています。それで、もし望んで貰えるのなら…署名を…」 返答を躊躇った訳では無いだろう。 ただ、微かに考え言いよどんだ蒼詠の言葉に静乃は 「ダメ。…悪いけど他の人を…当たって」 はっきりと拒否を告げた。 「…解りました。受け止めます。ありがとうございました」 そう言って彼は静乃の元を後にした。 続く保健委員の二人、尾花朔(ib1268)と泉宮 紫乃(ia9951)は蒼詠の訪問に互いに伺う様に視線を合わせた。 「誰に、どうして、そのような思いで頼んだのですか? 進級に向けてどのような覚悟がありますか?」 先に問い掛けたのは朔であった。 「…あ、はい。全部の三年生、二年生、一年生を回るつもりです。全員に自分のミスを告げ、その上で判断を仰いで頂こうと…。 覚悟は…皆と一緒に進級したい。その為にはどんなことでもやろう、と…」 「全員、ですか。言葉はいいですが闇雲にしか見えませんね。決められた数を名指しで御願いしたなら誠実さを受けますが…」 「こうして直接、言葉は悪いですがおしかけるのではなく、事前に手紙を出すとか、皆の前で反省や署名依頼をするとかするべきだったのではないかと思いますが、直接で大丈夫、十分だと思われたのなら、仕方ありませんね」 射抜くような朔の視線。紫乃の言葉も柔らかいが厳しい意見を蒼詠に告げた。 「…はい」 反論しようもなく俯いた蒼詠に紫乃は小さく息を吐き出すと続けた。 「全員を回ると言うのであれば、全員の判断を得てからまた来て下さい。一・二年生全員が賛成したら署名します。 これから共に過ごす皆さんの意見を尊重したいと思いますので」 「私は署名をしません。その意味を…考えて下さい」 紫乃と朔。二人の言葉を噛みしめて蒼詠は深くお辞儀をした。 「…解りました。ありがとうございます」 そうして、保健委員会を辞去してきたのだ。 「それから、用具委員会を回って、用具委員長にも同じことを言われました」 『必要なのは全員の署名ではなく、数名のものであるはずでしょう。 本当に朱雀寮にいる事を望むのであれば、その数名を確実に得られるように、個別にお願い等をする時間はあったはずですね? 厳しい言い方をしますが、貴方にとって陰陽寮の比重とはその程度でしかないと見ています』 「うわっ、本当になかなか厳しいね」 肩を竦めるクラリッサ。いつも冷静に見える用具委員長の声が聞こえてくるようだ。 「ええ。でも…その通りだと思いますから」 蒼詠は苦笑に近い笑みを浮かべる。 「そうだね。意地悪で言ってるわけじゃないものね」 「はい」 クラリッサの言葉に蒼詠は頷く。 拒否した先輩達の言葉もただ冷たいだけには聞こえなかった。 そこにそれぞれが告げる思いがあるからこそ、蒼詠は彼らの『言葉』を受け止めたのだ。 「静乃先輩は、招待はちゃんと受けてくれたから安心して」 クラリッサが微笑む。招待状、というのは一・二年生主催の三年生を送る会のである。 「…ん。今は暇だよ」 蒼詠が言ったより前か、後か解らないが湯呑を横に眉根を寄せいていた静乃は招待状配布にやってきたクラリッサをちゃんと見て応えてくれた。 そして、頬を緩ませ 「…ありがとう」 柔らかく微笑んでくれたのだった。 「先輩方の卒業を祝う為の席で自分の事をお願いするのは気が引けますし、こちらは早めに終わらせたいと思うのですが、焦って回るのも闇雲と思われますね」 「別にゆっくりでも大丈夫だよ。会場の準備もあらかたできてるし、自分の分担分はやってあるんだから」 「ありがとうございます」 柔らかく告げるクラリッサに蒼詠は静かに礼を言った。 『みんな一緒に三年生に。約束だからね』 既に貰った二年生達の署名が胸に暖かい。 「あ、そう言えばね。これから図書委員の先輩達に送る会の招待状を置きに行くから、一緒に行こう!」 「えっ! あ、あの…はい!」 クラリッサに手を引かれながら蒼詠は、決意を新たにまた、歩き出した。 ●届けたい思い 朱雀寮の図書室は閲覧資格によっていくつかに分けられているが、誰でも利用できるので一年生用の図書室が一番広くて設備が良くて、そして一番仕事が多い。 だから、予想通り探していた人物もそこにいて 「失礼します」 クラリッサは小さくお辞儀をすると、カウンターに近寄った。 ここは図書室、大声は禁止である。 「おかえり」 声をかけて来たのは図書委員俳沢折々(ia0401)。部屋を見回せばいるのは彼女一人だ。 「委員長は?」 「ん〜、なんか用事があるのかな?」 小さく小首を傾げて後、折々は目の前の後輩達をじっと見る。 「で、どうしたの? 一年生も二年生もちょっとやることがあるとか言ってなかった?」 「はい。用意がだいたい終ったので招待状をお渡しに」 「招待状?」 もう一度、はいと頷いてクラリッサは美しく描かれた薄様の封筒を差し出す。 中には 「なになに、本日、夕刻より一年生、二年生合同で一席設けさせて頂きます。 お忙しいとは思いますが、どうか足をお運びください…か。 おー。これって…もしかして、三年生を送る会?」 「はい。去年の先輩達に倣って準備しました。人数も少ないですけど精一杯行いますので…」 「ありがとう!」 クラリッサの言葉ににっこりと、折々は花のように笑顔を咲かせた。 「一、二年生がごはんを振舞ってくれるんだね。 えへへ、自分たちが招かれる側ってのは、なんだかくすぐったいなあ。 勿論、喜んで参加させてもらうよ。皆にも声をかけておくね。楽しみにしてる」 「はい。待ってます。では」 お辞儀をするとクラリッサは今まで後ろで沈黙を守っていた蒼詠を前に押しやるとポンと背中を叩いた。そしてそのまま退室する。 三年生主席と二人きり。 蒼詠は小さくつばを飲み込むと自分を見つめる折々の前に進み出て、署名用紙を差し出した。 「先日、僕は卒業研究発表会を欠席しました。言い訳はしません。留年も仕方ないところですが補習の機会を与えて頂き、その為の署名を集めています。…もし望んで貰えるならご協力を頂けないでしょうか?」 「ん、いいよ。貸して」 「えっ?」 三年主席がいともあっさりと、頷いてくれたことに目を丸くする蒼詠の前で折々は流暢な手で署名する。 「あのね………わたしも、二年生の課題の最後の方で失敗しちゃったんだよね」 独り言のように優しく呟きながら。 「あの時はあれが正解だったと思ったんだけどー 後で考えてみたら、ひとりで全部やろうとしてた、ってのも事実。 でもね、その失敗があったからこそ、気付いたことも多いんだ。 まずは大きく深呼吸〜、でもって周りを見てごらん。 だいじょうぶ。助けてくれる人は、たくさんいるから。 …それと同じように見守ってくれている人もたくさんいるよ。…はい」 差し出された署名とその言葉の意味。そして重さを、蒼詠は深く噛みしめる。 「がんばれ二年生。 ここまで一緒にやってきた友達は、何より大きな君たちの力。 頼って、頼られて、そして困難を乗り越えて」 「…はい、ありがとうございます!」 深く深く蒼詠はお辞儀をした。 「食事会は楽しみにしてるよ〜。じゃああとでね〜」 明るく手を振る折々に見送られて、蒼詠は廊下に出た。 と、そこで 「ん、うわっっち!!」 廊下を猛スピードで走ってくる大きな影があった。 まるで大猪のように一直線。ぶつかったら跳ね飛ばされる! 慌てて避けた蒼詠の真横でキキーッと音を立てて方向変換、その影は止まった。 勢いを完全に殺すことはできずに、転んで床に激突したけれど。 「いてててっ! よう! 蒼詠じゃねえか」 自分を認め、膝をついたまま軽く手を挙げたのは三年生 喪越(ia1670)であった。 「…何をしておいでなんですか? その大きな紙はいったい?」 喪越は腕に大きく細長い何かを抱えていた。それを潰さないようにと庇った為に受け身も取れずに転んだのだろう。 「いや、まあ、ちょっとな。暇だったもんで折り紙でもしようかと…」 「折り紙?」 「いや、まあそんなことはいいのさ。っと、そう言えば話は聞いてるぜ。二年生。補習くらって署名活動中、だってな」 にやりと笑って率直に言う喪越にはい、と蒼詠は頷いた。少し俯く蒼詠の腕から 「貸しな」 と許可を取るより早く署名用紙を取ると彼は紙を横に置き、自分の名前をさらさらと書き記した。 「えっと、あの…いいんですか?」 「ん? 難しい話やセッキョーは他の連中に任す。目を見りゃ分かるさ。野暮な事は言うめぇ。後は頑張りな」 片目を閉じる喪越。 返された署名用紙を受け取った蒼詠ははいと頭を下げた。 「っと、やべえやべえ。じゃあ、また後でなあ〜!!」 立ち上がり紙を抱え直すと再び走り去る喪越。彼が廊下の向こうに消えるとほぼ同時。 「あ〜! 先輩、あかんって! 委員長に怒られるで!」 ひまわりのように明るい笑顔と声が廊下に響いた。 「陽向…さん」 「あ、先輩。こんにちわ。会場の準備も大体終わったで。後でプレゼントあるなら用意したって」 そう、鮮やかに笑ったのは雅楽川 陽向(ib3352)であった。 彼女もまた腕にいくつもの箱や大きめの紙を抱えている。 「ありがとうございます。でも、それは?」 「調理委員会から頼まれた食器や。凄いで〜。調理委員会だけやなくて皆で作っとるからものすごい量でな。食堂の皿だけや足りのうて、今倉庫から持ってきたところなんや」 陽向はそう言う。送る会の会場は食堂になる筈だからそちらに持って行くのだろう。 「手伝いますか?」 そう言って手を伸ばした蒼詠に、最初は 「ええよ。大丈夫…」 と言っていた陽向であるが、ふと、思い出したように顔を上げると 「やっぱ、先輩。ちょお、もっといて」 皿の入った箱などをひょいと蒼詠の手に乗せた。そして軽くなった手で彼の署名用紙を取る。 「えっと、一年生の所はここやね。ここ、名前書いたらええん?」 そして、蒼詠の返事よりも早く陽向は自分の名前を書きつけたのだった。 「っと、これで…ええ?」 「あ、はい。勿論。でもいいんですか?」 署名用紙と引き換えに荷物を引き取る陽向に蒼詠は問う。 「…先輩の名前の「蒼」は、「雲外蒼天」ちゅう言葉にも、使われとるんやってな♪ うち、好きやねん。頑張って、署名集めてな?」 そう告げて陽向は尻尾を振り振り去って行った。 『雲外蒼天』 厚い雲の外には青空がある。 困難を乗り越え、努力して克服すれば快い青空が望めるという意味だ。 同い年の後輩からのエールに 「ありがとうございます」 蒼詠は先輩にしたのとほぼ同じ気持ちで深く頭を下げたのだった。 さて、パーティを前にして朱雀寮の厨房はほぼ戦場に近い忙しさであった。 「副委員長。茶わん蒸しの火加減はいいのか?」 「…うん、大丈夫。このままあと五分」 「解った。こちらはスープに取りかかろう」 台所の指揮を執るのは調理委員会の二年生彼方と一年生比良坂 魅緒(ib7222)。 それを 「こっちの竃、使っていい? パイを焼きたいんだけど。アップルパイ」 「構いませんよ。暫くは大丈夫です」 「ボルシチは完成したから後は煮込むだけ。次の料理にかからないと」 華やかな色合いのジルベリア料理で手伝うクラリッサと 「雫、その野菜は少し大きめに切って鍋に入れて」 『かなり…大きいけどいいの?』 「ポトフは大きな野菜をじっくり煮て作る料理だから。…ですよね。先輩」 全体的な手伝いをしてくれるユイス(ib9655)がいる。 彼のからくり雫も決まった手順の仕事に関しては助手として申し分ない。 会場の準備はカミール リリス(ib7039)と羅刹 祐里(ib7964)、そして陽向と清心が整えてくれた。 「そう。洋風おでんみたいなものかな。もうかなり寒いし暖かくなる汁物を少し多めに作ろうかなと思うんだ。 後は大家さん直伝の茶わん蒸しメインに最後の秋のフルコース」 「良い塩鮭が手に入ったからな。塩味は控えめに素材の持ち味を前に出すのがよかろう」 魅緒の言葉に彼方は満足そうに頷いた。 入寮当初は料理をしたこともなかったという魅緒であるが、今ではもう慣れた台所でテキパキと『自分の料理』を作れるようになった。 調理委員会委員長であった真名(ib1222)の指導のたまものであるが、同時に彼女が努力したからだろうと彼方は思う。 頼もしい限りだとも彼方は思う。 「そういえば、確認だけど魅緒さんは調理委員会継続、で構わないんだよね」 鮭牛乳入りポトフの準備を終え、鉢に米粉と水を入れていた魅緒は彼方の問いに目をぱちくりと瞬かせた。 「何を今更」 顔にはっきりと書いてあったが彼女は続けてそう言葉で告げた。 「委員会チェンジ? そんなものするつもりなど毛頭ないが? 真名が示してくれた妾の道、違える事などどうしてあろう? 自分の手で誰かの笑顔を作れる…。それはなかなかに心地よいものだ」 「魅緒さ〜ん、先輩〜。ここ開けて〜な〜」 外から聞こえてきた声に跳ねるように魅緒は反応すると扉を開けた。 そこには両手いっぱいの荷物を抱えた陽向が立っていた。 「ああ、重かった〜。最初は大したことないおもっとったんやけど、だんだん重くなってきて…あれ、どっかにそんなアヤカシおらんかったやろか?」 「そんな事はよい。陽向、手伝ってくれるならば是非もない。早く頼むぞ」 荷物を引き取った魅緒は陽向にエプロンを差し出す。 「わお! 茶わん蒸しに、ちらし寿司や。これに紅白饅頭でもあれば完璧やね」 「まだまだ、鯛のカブト煮と真鯛の焼き物だ。刺身は本職に任せた故、半身だけではあるがその分、美しく美味しく作りたいものよ。それから…もう一品…」 「うちは何したらええ?」 「団子を頼む。もう下ごしらえは終わっているから茹でて欲しい」 「みたらし団子! あ、うちの好物とちゃうけど…でも、ええんか? 料理の方手伝わなくて」 尻尾を左右に大きく振りながら言う友に、魅緒は静かに微笑んだ。 「よい。妾は妾で一年半の成果を見せなければの。真名に妾の気持ちを示さねば」 「解った。んじゃ、団子はまかせてえな」 腕まくりする陽向に頷いた魅緒は、その時はたと後ろから感じる視線に気付いて赤面する。 うんうんと頷く彼方。楽しげに笑うクラリッサにユイス。 「な、何を笑っておる!」 「いや、別に…。じゃあメインは任せたよ。前菜、スープ、デザートは任されたから」 彼方がぽんぽんと頭を撫でて笑った。 細身で小柄、身長も体重も、おそらく年齢も自分の方が上だろうに先輩の空気を纏うこの少年に、魅緒はどこか叶わないものを感じながら。 「ああ、任せておくがよい」 気合を入れて、包丁を握り直すのであった。 秋の日が落ちるのは早い。 既に太陽は山陰に顔を隠し始め周囲の輝きを吸い取って行く。 代わりに広がり始めた薄紫の気配の中、しかし 「送る会は驚いたけど楽しみね。料理も出るだろうと期待してるの」 廊下を歩く少女達の声は弾むように華やかであった。 「一年生も二年生も総出でかかってるみたいだから、きっと期待できるよ」 「ええ。嬉しいような…面はゆいような…不思議な気分です」 折々の言葉に静音も静乃も頷いた。 「ええ、でも、そんな時期だと思うと…素直に寂しくもあるのですが」 後ろを歩く紫乃の言葉に彼らはふと、足を止めた。 「もうじき…こうして皆で廊下を歩くこともなくなるのですね…」 「そうだね。一緒に研究することも、笑いあう事も…」 ここ数日、彼らはずっと卒業に向けた研究の纏めをしていた。 形になってきた研究もある。西家の遺跡で得た情報を元に新しい方法が見えたものもある。 成果が出せなさそうなものも、ある。 しかし、仲間達とこうして顔を合わせ、知識を出し合い、助け合ってきた日々は間違いなく楽しい日々であった。 卒業。 あえて考えないようにしていたその言葉が改めて実感として近づいている事を寮生達は気付き、少し声のトーンを落とすのだった。 その時、ふと気が付いた。 中庭。実技訓練の練習場で何かがぶつかり合うような音がしているのだ。 そちらの方に顔を向ける。 日は落ちかけているとはいえまだ、十分に明るい。 そこで誰が、何をしているかは簡単に見て取れた。 「劫光(ia9510)さん、芦屋さん」 朔の言うとおり、二人の体育委員会が組手をしていたのだった。 審判を務めているのは平野 譲治(ia5226)だった。横に講師 西浦 三郎もいる。 「何を…迷ってる! 璃凛」 劫光は鋭い蹴りを入れながら、それをギリギリで躱した少女に声をかけた。 「お前の方から願っての手合せだろう。もっと、本気で挑んで来い!」 膝をついた芦屋 璃凛(ia0303)は即座に立ち上がると 「はい! 委員長!」 再び劫光の懐へと飛び込んで行った。 その目にはさっきとは違う気迫がある。 正直、三年生二人の元へ手合せにとやってきた時の璃凛の目は今よりももっと揺れていた。 (主席…うちが…) 成績発表の後、璃凛は自分に課せられた主席という重責に少なくない重さを感じていた。 (何をしたらええ…、ええこと思いつかん。思いついてもなんか空回ってしまう。 主席なんや。それじゃあかんな…) 三年生を送る会を運営する立場になった時もそう思い悩んでいた程に。 それは送る会の事だけでは無い。これから自分が仲間達を、ひいては陰陽寮を引っ張って行かなければならない。 (ほんまの主席ならきっと気が回るんやろうけど) 陰陽寮を離れたあの澄んだ光のような仲間を思いだし、璃凜は目を伏せた。 その眼前に鋭く回る蹴りを躱すまで。 「璃凛! ぼーっとしている暇はないなりよ!」 譲治がそんな声をかける。その言葉が璃凜には小さな、でもはっきりとした激励に聞こえた。 「その通りだ。悩んでる暇も、卑屈になっている暇もない。自分にできることをただ、全力で行い前に進むのみだ!」 そして劫光の攻撃もまた悩み苦しむ璃凜にとっては一つの応援であった。 真剣な、でも解りやすい正面からの攻撃は相手を良く見れば読みやすい。 相手が何をどう思っているか。何を考え求めているか、それを考えれば自ずとどうしたらいいのかが解ってくるのだ。 それはつまり、現実も同じこと。 (仲間が、相手が、敵が、何をどう思っているのかを考え、それに沿って行動すること…) 自分を殺して相手に合わせろという訳では無い。 相手の立場に立って考え、その上で自分の信じることをすればいい。 間違っていたら、それを教え、支えてくれる人が、自分にはいるのだから。 こうして本気で立ち会ってくれる劫光、譲治、そして今も戦いを真剣に見つめている蒼詠のように。 署名を求めに来たのだろうに彼は自分の立会いを邪魔せず、待ってくれている。 「少しは…落ち着いたか?」 間をとった劫光がにやりとわらう。 「…はい。すみません。別れを告げる為なのに、なんかまた教えてもろうたのかも」 「それでいいのさ。物や言葉では言い表せないこともこの世にはたくさんある」 それこそが璃凛が劫光達に戦いを挑んだ理由でもある。 「じゃあ、行くぞ!」 「はい!」 お互いに向き合った二人が最後に組み合った。 璃凛は劫光の蹴りを咄嗟に躱し逆に懐に踏み込もうとする。 だが、それは劫光には読めた動きであった。 足を素早く戻し、懐に入ってきた璃凛の襟元を掴んでそのまま勢いのついた足で払う。 「わっ!」 踏み込みを殺された璃凛はそのまま地面に叩きつけられた。 「そこまで!」 「…やっぱり、叶いませんでしたか」 「当たり前だ。そう簡単に追いつかれてたまるか。俺達はお前達の前を行く。追いつけるようについてこい!」 「はい。ありがとうございました!」 立ち上がって尻の埃を払うと璃凛は劫光と譲治に深く頭を下げた。 二人はそれぞれに璃凛を優しく見つめている。 ぱちぱちぱちと控えめな拍手が見ていた三年生達から上がったことに気が付いた璃凛はハッと顔を上げた。 「あ、あかん。もう時間や。先輩方。すぐ一緒に来て下さい」 「は?」「どうしたなりか?」 目を瞬かせる三年生二人の手を璃凛は強く引っ張るのだった。 結局、解った事。迷っている時間は無いのである。 ●三年生を送る会 食堂は朱雀寮生達にとっては宴会場とほぼ同意語である。 「送る会…か?」 劫光は側に立つ双樹と会場を交互に見つめ、そう呟いた。 「そういえば、時期的にそういう時期か…自分達もやったから当然記憶にはあるが、送られる側になると実感できないものだな…」 「おいら、すっかり忘れてたなりよ!」 事前に教えられていなかった体育委員会二人は目を丸くせざるを得ない。 この日も食堂は既に三年生を送る会の会場として、三年生達が訪れる頃には完璧な準備がなされていたのだ。 勿論、季節は晩秋。野の花なども少なく飾り付けは夏や春に比べればやや華やかさに欠けるかもしれない。 けれと色紙で作った花や飾り、赤い実を付けたヒイラギ、残り咲の小菊などが丁寧に場所を考えて配置されており、部屋の前には 「おめでとう!」 の大きな文字と小さなメッセージの書かれた垂れ幕が下がっていた。 よく見ればやたら達筆な「お」の字に比べ「う」の字は子供が書いたようである。 でも添えられたメッセージを見ればその理由が解る。 『貴方達を迎えられたことを誇りに思います 各務』 『みんな、だいすき 桃音』 寮長や桃音、もしかしたら三郎や凛や朱里などが一文字ずつ書いたのかもしれない。 それは本当の意味での寄せ書きの「送る言葉」であった。 そして、机の上には溢れんばかりの御馳走が並ぶ。 メインは花が咲いたように美しく飾られたちらし寿司。 赤飯や白米のおむすびに、白身の鯛の刺身、カブト煮、鯛の焼き物。潮汁。 前菜にはサラダと野菜の炊き合わせ。肉じゃが。銀杏や野菜の串焼き。 そしてすの一つも入っていない茶わん蒸しが眩しいほど艶やかに光っている。 ミルク味のポトフやボルシチの湯気も暖かい。今が旬の冬瓜とカボチャもそれぞれ煮込まれ美味しいスープにその身を浮かべていた。 ぐつぐつと煮えるカキの土手鍋には野菜とうどんが添えられている。 鯵のなめろう、冬瓜のスープ。麻婆豆腐。 デザートには杏の甘煮にアップルパイ。みたらし団子にずんだ団子。 そしてドンとでっかい紅白まんじゅう。 「季節外れですけど、先輩達の旅立ちを祝って…」 丁寧に作られた桜餅は塩漬けの桜の葉と共に甘い香りを会場に広げていた。 「おおっ! 皆、こんなに準備してたのだっ!? んっ!流石朱雀の皆なりねっ!」 嬉しそうな声を上げる譲治に 「はい、どうぞ。先輩」 ユイスが飲み物を差し出した。乾杯用のジュースである。 全員に杯が届けられたのを確認してリリスに突かれて璃凛が垂れ幕の下に立つ。 「え〜っと、今日は、ささやかですが先輩達をお祝いし、感謝する会を用意しました。 この…うちらにとっては二年と半年。一年にとっても一年以上、本当にありがとうございました。 心から、感謝します」 言葉にすると当たり前のことしか出てこない。けれど…心を込めて一言一言を璃凛は紡いだ。 「皆さんのこれからを…心からお祝いします。 うちが言えることやないかもしれんけど、…どうか、元気で頑張って下さい。乾杯!!」 璃凛の言葉に高く掲げられた杯と声が唱和した。 外はもう薄暗く、吹きすさぶ秋の風の音が聞こえる。 けれど、この部屋の中は春よりも温かい思いと優しさに溢れていた。 「うわっ! この茶わん蒸しおいしい! 銀杏も鶏肉も三つ葉もたっぷり!」 「こっちには何も入ってない茶わん蒸しもありますよ」 「なるほど、卵本来の味を楽しむならこちらの方がいいですかね」 「ちらし寿司もいいね。いくらのしょうゆ漬けがいいアクセント出してる。でんぶも甘い!」 「鯛のカブト煮ですか。このえらの下や目の周りが美味しいのですよね。あ、鯛の鯛見つけました!」 「刺身に焼き物、潮汁か〜。鯛を余すところなく使ってるね。うん、美味しい」 「アップルパイも優しい味がしますね」 「作り方を教えて貰ったらどうだ。双樹」 『そうですね。ぜひ。作ってあげたいです』 「先輩先輩。このみたらし団子も食うて。美味いで!」 「ホントに美味いなりよ。おいらお勧めなのだ!」 「露音も頂いたら。美味しいですよ」 賑やかな歓声と共に、料理はどんどんはけていく。 その中で… 「ねえ、これを作ってくれてのは…二人?」 調理委員長真名は二人の調理委員に聞いた。桜餅に肉じゃが、冬瓜のスープ。そして麻婆豆腐。 「はい」「そうだ…」 「そう…」 真名は一口一口、大事そうにしっかりと噛みしめる。 桜餅と冬瓜のスープはどこか懐かしい味がした。 そして麻婆豆腐はとても良く知った味がする…。 「私の為に作ってくれたのね」 真名は皿を置くと二つの肩を飛びつく様に抱え、抱きしめた。 懐かしい先輩の味、そして自分の味。 受け継いでくれる人がいて、続いて行く。 かつて自分が見送った先輩も同じ気持ちだったのかな、と胸が熱くなった。 「ありがとう…」 二人の間に挟み込んだ自分の顔が、今二人に見えないことを感謝しながら真名は静かにそう告げたのだった。 宴は美味しい料理と尽きない話で盛り上がって行く。 最初は遠慮していたらしいが、三郎や凛、桃音も招かれて場に加わり料理に舌鼓をうち、思い出話に花を咲かせていた。 場を賑やかすのは祐里とその相棒の提灯南瓜、ジャッカスである。 「お二方…これを」 ずっと、宴の中でも寄り添う様に並び立つ朔と紫乃に祐里はそっと夫婦の湯のみを手渡した。 「あ、あの…これはどういう意味でしょう?」 頬を紅くする紫乃にしれっとした顔で祐里は笑う。 「あんなに、良い雰囲気していたら察すると思いますが」 『そうだぜ。ご両人できたてのパンプキンパイみたいだぜ』 「おい、静かにしろカボチャの煮物にするぞ」 朔がツッコむより早くジャッカスと祐里の漫才が始まってしまって止める間もない。 「末永くお幸せに」 とクラリッサなども囁いて行った。 「ホントはお祝いも計画してたん…でも…」 もごもごと陽向は口を押えられていた。どうやら二人の仲はけっこう知れ渡っていたようである。 「やれやれ…」 そんな中 「…なにこれ?」 いつの間にか自分の周りに寄っていた不思議な猫に、寮生達は目を見開いた。 猫は良く見れば人形だと解る。黒猫だったり銀猫だったり、白虎に似た色だったりするけれど、それぞれが違う顔を形をしていた。 「あ、これ、もしかして二年生の?」 抱き上げた折々の言葉に人形を使っていたリリスが頷いた。 「守護猫人形「昴宿」(まもりねこにんぎょう すばる)です。私達が作りました」 そう微笑んで告げるとリリスは人形の糸を再び握った。 ひょいと折々の手から飛び出した人形は小走りに走ると前に向かう。 そこにはやがて六体の猫とそれを操る二年生達が集まっていた。 大きな灯りが落され舞台の様になったそこで、微かな光の中、踊る猫達は可愛らしく、そしてどこか幻想的であった。 鈴や楽器で音を添えるのは一年生達だ。 そして、踊り終えた最後に猫達は輪の形に集まると、高く高くジャンプした。 くるりと一回転してお辞儀をすると三年生達から拍手が上がった。 「どうか、皆さんに幸せが訪れますように」 最後のポーズは片手を上げた招き猫のポーズ。 大爆笑と大拍手の中、二年生達は照れたように微笑むのだった。 賑やかでは楽しい大宴会ままだまだ続いている。 「はい! 注目!!」 今までどこか大人しかった喪越がじゃじゃーん! という効果音と共に前に進み出た。 何やら白い大きな布とそれが包んだ何か、が後ろに置いてある。 「今回は俺らが送られる番なんだろう。それはとってもありがたいが、そうは問屋が下ろし金。 やられたら倍返しだ!」 ドヤ顔で大きく胸を貼ると喪越は背後の白い布を勢いよくはぎ取った。 「うわっ! でかっ!」 「これ…折鶴?」 「はーい。そうです。きっと今も美しいであろう白雪先輩を見習って、術符の折鶴を作ってみました。どだ!」 人が乗れるほどでっかい折鶴。これだけの紙で術符を作ったらいったい何枚分になるのか? 「―スケールでっかくイこうぜ、意味も無く! 二年生、一年生諸君! これが俺様からのエールだ。盛大にお見舞いしてやるから、心して食らいやがれ! フハハハハー!」 その折鶴を紙飛行機の様に飛ばそうと言うのか大きく頭の上に持ち上げた喪越を 「止めなさい」 いつものように止めたのは青嵐であった。耳を引っ張りツッコミを入れる。 「まったく、あんな大きな紙を持ち出して何をするのかと思えば…」 「はい。ごめんなさい。ホントの術符じゃありません。ただの紙です。でも、思いは籠ってます」 「当たり前でしょう。あんな大きな術符は流石に陰陽寮と言えどありません」 鮮やかな笑い声が響く食堂。 その騒ぎに紛れるように 「こちらへ来い」 そっと魅緒はある人物の手を引っ張った。 「何だ? 魅緒」 食堂を抜け体育委員会の中庭へ。 寒々とした冴えた空気の中 「劫光、手合せをしよう」 魅緒はそう言って劫光の前に立った。 「手合せって言っても…って、おい!」 突然に近く殴りかかって来た魅緒の攻撃を劫光はそれでもさらりと躱す。 さっきの璃凛との手合せに比べれば開拓者同士とはいえ、子供を相手にするようなものだった。それは、きっと本人にも解っているのだろう。 「貴様と妾では勝負にならぬ事もわかっておる。 それでもーー朱雀寮生活の成果をお主に見せたいのじゃ」 魅緒はそう言うと劫光に蹴りかかった。 呪縛符も使う。自分のできる精一杯で魅緒は劫光に挑んでいった。 「お主は自身の事には楽観的じゃが、他人の事には心配性じゃからな。 それが杞憂という事をなんとしてでも見せなければならぬ」 目元が滲んで相手が見えにくくなる。魅緒は目元を擦って正拳を打ちこんだ。 渾身の力を込めたそれは、あっさりと片手で止められる。 ここまでだと、思いながら魅緒は劫光に背を向けた。 「さあ、安心して、どこへなりとも消えてしまえ!」 家から連れ出され、北面に行き、そして陰陽寮に来て…いろいろなことがあった。その始まりの男の旅立ちに魅緒が言える事、できる事、そして告げられる事はここまでだと、思ったのだ。 フッと、小さく笑われた気がした。 「何を…!」 気が付けば背を向けた筈の男はいつの間にか魅緒の前に背を向けて立っていた。 「まだ宴会は終わってない。行くぞ!」 「あ、待て劫光!」 にやりと笑って走っていく劫光を魅緒は追いかける。 今までのように。何も変わることなく。 ●未来へ…綴る 楽しい時間と言うのは、あっという間に過ぎ去ってしまうものだ。 間もなく日も変わろうと言う時間。 「先輩方…今まで本当にありがとうございました」 部屋の前方、垂れ幕の前にユイスが立った。 集まった一年と、二年生。 彼らの想いを代表するように彼は続ける。 「一年と少し、感じるよりも短い間でしたが、いろいろな事がありました。その中で先輩達が語らずとも示してくれた朱雀寮生の誇り。汚さぬ様に受け継いでいきたいと思います」 「…まぁ私たちは開拓者やってるから、割とすぐに再会できる気がするけど。少しでも楽しんで、先輩たちが心残りなく飛び立っていけるようにできたのなら幸いです」 クラリッサがそう微笑んで後に続ける。 「先輩達に教わったことを、次に繋げて行きます…そして」 場を見回したユイスはある一点に目を止めた。 三年生を含む皆の視線がそれを追った。 そこにいたのは…桃音である。 彼女に向けて微笑むとユイスは三年生達に向けて改めて向かい合った。 「護っていく、そう約束するよ」 その言葉と共に深くユイスはお辞儀をした。 彼に続いて一年生、そして二年生も頭を下げる。 後輩達からの誓いと約束、その言葉を受け止めて三年生達は彼等に心からの拍手を送るのだった。 「なかなか、良い宴でしたね」 静音は宴の後、仮眠室に集まった仲間達に茶を入れて配った。 ここにいるのは三年生達だけだ。一年、二年はきっと片付けをしているのだろう。 ふんわりと暖かい薬草茶は、蒼詠がくれた匂い袋とどこか似た香りがする。 「そういえば、紫乃さんは蒼詠さんに署名をしたんですか?」 「ええ。いろいろ考えたのですが…約束ですし」 『大分、むさ苦しくなりますが保健委員会は次期委員長と、次期副委員長の我で支えていくので』 そう言った祐里の言葉と共に一年生、二年生達を信じることにしたのだ。 「…頑張って欲しいものですね。陰陽寮の三年生というのはやはり簡単なものではありませんでしたから」 朔が噛みしめるように呟く。 いつも懸命で、どこか空回りしがちなあの新二年生主席に自分の声は、届いただろうか。 「あいつらなら、大丈夫。そう信じるしかないさ」 布団に寝そべり天井を見上げた劫光はそう告げ、三年生達は頷いた。 自分達はもうすぐここから去る。 それはもう変えられないことなのだから。 「あれ、譲治君、なにしてるの?」 折々はふと仮眠室の一角で机に向かう譲治に声をかけた。 「日誌、書いてるのだ。今までの事、思いついただけ色々」 譲治はノートを差出し、答える。この三年色々な事があった。 「とても、書ききれないなりけどね」 確かにとても思い出しきれない程、書ききれない程だ。 「…大丈夫」 静乃が譲治の肩をぽんと叩いた。 「…後は、きっと皆が書いてくれるから」 そう、陰陽寮の未来はきっと彼らが続けて書き記してくれるだろう。 蒼詠は紙に綴られた名前をそっと、指でなぞる。 芹沢折々、喪越、玉櫛・静音…規定人数以上の署名を集めることができた。 一年生の名も、二年生の名も、ここに無い名前も彼にとっては宝石のようであった。 後悔はある。 でももう後ろは向かない。彼等にかけて。 「がんばれ二年生。 ここまで一緒にやってきた友達は、何より大きな君たちの力。 頼って、頼られて、そして困難を乗り越えて…」 先輩から贈られた言葉と、強い意思と勇気を持って、彼は、彼等は未来への一歩を歩き出すのであった。 |