【南部】真実の彼方
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2013/11/12 03:43



■オープニング本文

 ここはジェレゾの罪人を捕える牢の中。
「アヤカシよ、離れなさい!」
 開拓者と、南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカス。
 そして貴族と数名の騎士や衛士が立ち会う中、武僧である開拓者が猿轡をかまされたままの男に『心悸喝破』をかけた。
 この男は元は貴族の一人であった。テイワズとしてそれなりの地位を持っていた。
 しかし、その強引な性格からグレイスの義姉にあたる未亡人リィエータに恋慕し、卑劣な手段をとろうとした為、貴族社会から追放された。
 その後、失踪。
 南部辺境に噂をばら撒き、その後、街道を行くキャラバンを襲うアヤカシとなっていた。
 まだ信じられない。信じたくないと言う顔で男を見つめる身内の前で、光に包まれた男は
『ぐ…、ぎゃああああ!!!』
 人の口から発せられたとは思えないような悲鳴を挙げると床に、ばったりと倒れ込んだ。
 ゆらゆらと揺れる靄のようなアヤカシはグレイスや、開拓者達に取り囲まれている事を知ると怨嗟の声を上げる。
『お、おのれ…。せっかく見つけた虚ろな器をよくも…』
「器よりも自分の心配をすることね。お前を逃がすつもりなんてないのよ」
 開拓者の一人がきっぱりと告げる。周囲を取り巻く開拓者達には一分の隙もない。
 顔など無いアヤカシであるが、もし人の顔をしていたらきっと怒りの顔をしていたのだろうと、解る。
「お前は指輪を媒介に人に憑依するアヤカシね。フェイカーとは違う種類だけど人に寄生するという意味で言うなら眷属なのかも」
 開拓者の調査と検証で、この男は指輪を填めた時点でアヤカシに憑依され、操られていたらしいことが判明する。
 指輪は今、男から取り外されて武僧の娘の手の上にある。
「一体、何がしたかったの? 噂を振りまいて、それで本当に復讐になると思ったの?」
『復讐はこいつの望みだ。単に利害関係が一致しただけに過ぎぬ』
 その時、開拓者はフッと、まるでアヤカシが笑ったように感じた。どこか諦めを孕んだような、そして転がる男を蔑むようなアヤカシの声に背筋が寒くなる。
『もう少し…時間が欲しかったがな。ゆっくりと、時間をかけて纏わりつき、その首を絞めてやりたかった。それがあいつらの望みであったのだからな』
「あいつら…?」
『これから奴がどう動くか見てみたかったが、それは後で闇の中からじっくりと見せて貰うとしよう』
 そう言った次の瞬間、黒い靄は手近の人間、一番無防備そうな貴族の男の元に飛ぶ。
 開拓者は素早く反応し、彼らをその身で庇うと影を袈裟懸けにした。
 と、同時媒介である指輪は一刀両断に砕かれる。
『ギャハハハハハ! ワハハハハハ!』
 高笑いと共に靄は闇に消えて行く。
 靄と笑い声が完全に消えた牢の中にアヤカシの残滓として残ったのは、人と思えぬほど痩せこけ、身も腐りかけた男の死体とそれに縋る身内たち。
 そして昏い思いと共にそれを見つめる開拓者と衛兵…そしてグレイスだけであった。


 数日後、開拓者ギルドにやってきた人物に、係員は目を見開いた。
 自らカウンターに足を運び、開拓者に依頼の要請を行ったのは南部辺境伯グレイス本人であったのである。
 今まで、グレイスが開拓者ギルドに依頼を出したことは少なくない。
 いや、むしろ多いと言えるだろう。
 しかし、彼自身が依頼の為にギルドに足を運んだ事はといえばどれほどあっただろうか?
 確かに何度かはあったが大抵は部下や甥が名代として依頼を出しに来た筈だ。
「この度は開拓者の皆さんには、並々ならぬご協力を頂いた事、心から感謝申し上げます。
 正直な話、取るに足らぬと思っていた噂話が、まさかこのような事態を巻き起こすとは思いも及ばず、恥じ入るばかりです」
 苦笑に近い、でも明らかな笑みを浮かべたグレイスは依頼書を係員に差し出す。
「そして、なおご迷惑をおかけするようで恐縮なのですが、開拓者の皆さんにまたお力をお借りしたいのです。
 依頼の内容は…今回の件に関する調査報告書の作成です」
 確かに依頼書にもそう書かれてある。だが細かい事情の補足をと目で問う係員にグレイスは頷いて告げる。
「今回の事件はジェレゾの貴族階級がアヤカシに憑依され、人を殺めるという惨事となりました。
 勿論、最大の原因は本人にあるとご家族を始め皇帝陛下もご理解下さっているので、周囲に咎が及ぶと言う事は無いのですが、今後、同じような事が発生しないように今回の経過などを調書に纏め提出するようにとの下知を陛下より賜ったのです」
 しかし、と彼は続ける。
「恥ずかしながら私は今回の件について詳しい状況を知りません。
 リィエータ…義姉上が彼に言い寄られていた事や噂話が広まっていた事も後から、開拓者の皆さんに伺って知った事。解らないことが、あまりにも多すぎる。加えて、まだ我々に見えていないカードがあるように思えるのです。
 例えば…誰が彼に指輪を渡したのか…」
 開拓者の調査で、若い男性貴族が荒れていた男の元に訪れた最後の人間である事が判明している。
 でも、それが誰であるか男が死んだ今推察はできても確信はできない。
「なのでそのような事を含めて、皆さんには改めて調査をお願いしたいのです。今回の件に関連すると思われることを可能な限り調べて報告して頂けると幸いです。
 本来は私自身がするべきなのでしょうが、私が直接動いたり部下を動かすと目立ちすぎてしまいますし、本当に表面上の情報しか得られない可能性がありますので」
 確かにきめ細かい調査などに関しては開拓者の右に出る者はいないだろう。
「まもなくハロウィン。秋の収穫の祭りを兼ねて今年もリーガの街ではパーティを行う予定です。良ければご友人などお誘いあわせておいで下さい。オーシや母上、義姉上も皆さんにお礼を申し上げたいと言っていました。
 報告書は祭りの時にでもお声かけ頂ければ幸いです。では依頼を受けて下さることとパーティへのおいでを心からお待ちしています」
 貴族の礼で彼は深くお辞儀をするとギルドから去っていく。
 実はギルドには情報が回ってきていた。
 辺境伯は
「周囲に咎が及ぶと言う事は無い」
 と言ったが、今回の騒動で犠牲になったキャラバンの家族や関係者、そしてアヤカシに憑依された男の関係者達はやり場のない怒りを辺境伯に向けているようだと。
 勿論彼は誠実にそれらの事象に対応しているが、それでも心というのは難しい。
 そして…もしかしたらそれに乗じようとする者もいるかもしれない。
 彼の言う伏せられたカードが、動き出すかも。
「もしかしたら開拓者に望まれているのはそれかもしれないな」
 言いながら係員は思う。
 真実は明かされた。これから、何かが変わっていくかもしれない。
 特にあの青年貴族は。
 その先に何が待つのか。
 今はまだ解らないけれど…、それが今までより良いことであることを願って、依頼書は貼りだされた。
 


■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303
19歳・女・陰
龍牙・流陰(ia0556
19歳・男・サ
水月(ia2566
10歳・女・吟
フレイ(ia6688
24歳・女・サ
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
クルーヴ・オークウッド(ib0860
15歳・男・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629
17歳・男・吟
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
わがし(ib8020
18歳・男・吟


■リプレイ本文

●表と裏と
 今日はリーガの街の秋祭り、ハロウィンの日。
 南部辺境伯、グレイス・ミハウ・グレフスカスの部屋にはその日、開拓者達が集まっていた。
 祭りまでに今回の事件のあらましを纏める手伝いをして欲しいという依頼があったからである。
「辺境伯はどちらに?」
 からくりグラニアを伴ったクルーヴ・オークウッド(ib0860)は茶を運んできてくれた女性に問う。
「ジェレゾに用があると。本日中にはお戻りになるとの事です」
「そうですか」
 と頷くわがし(ib8020)の向こうではフレイ(ia6688)が調書の確認をしていた。
 同じように書類を見つめるフェンリエッタ(ib0018)は微かに顔を上げたアルマ・ムリフェイン(ib3629)やウルシュテッド(ib5445)と情報交換をしているようだ。
「大丈夫か? ミーティアで移動した俺よりも疲れがたまっているだろう?」
「ありがと、ウルちゃん。大丈夫。僕のしたい、すべき事だから。それに、あの人が来るとは思わなかったしね」
「遅くなりました。少し遠方まで調査に行っていたもので」
「流陰さん」
 遅れてやってきたのは龍牙・流陰(ia0556)の報告を聞くうち芦屋 璃凛(ia0303)とからくり遠雷も入ってきた。そして…
「お待たせして申し訳ありませんでした」
 南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスがやってきた。
 開拓者達は立ちあがって迎える。
 礼をとろうとする彼らを制してグレイスは逆に彼らに頭を下げたのだった。
「この度は私達の騒動で皆様にご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
 貴族にしては腰の低いグレイスに彼らは小さく顔を見合わせると席に戻り、さっそく本題に入った。
「調査のご報告をします。まずは今回の事件のあらましについて…」
 クルーヴはこの依頼を受けた事情から全体の流れについて説明する。
 小さな噂がやがて思いもかけぬスピードでジルベリア全体に広がって行ったこと。その経緯を。
「じゃ、次に事の流れの整理、はじめましょうか?」
 次いでフレイがオーシニィからの依頼と事件の経過を説明する。
 フェンリエッタからは隊商関係者からの聞き取りとウルシュテッドが行った貴族社会の噂の上書きについて。フェンリエッタは戦馬パルフェを駆使して広範囲に散らばるキャラバンの関係者や遺族の元に向かい話を聞いた。その報告も行う。
「噂は現在、収束に向かったのですか。噂の歌の上書きにも成功したようです何よりです」
 わがしは静かに微笑む。
 元々、人々の興味を昏く煽っただけの噂。より興味の沸く話が出てくれば人はそちらに目が向いてしまうもの。そこを狙った噂の上書きという開拓者の作戦は十分に功をそうしたと言えるだろう。
「ただ、それだけに敵の目的が解りません。失脚させるのが黒幕の狙いというのは違う気がします…。件のアヤカシも復讐は亡くなった貴族の望みで手段として利害関係が一致しただけと吐いていました」
「そうね。何の目的を持ってこんな事件を引き起こしたのかしら。解らないわ」
 彼らは誰が、とは言わない。
「今回の事件の発端が『彼』であることはほぼ間違いないでしょう」
 流陰は既に仲間達に告げていた事を繰り返す。
 鋼流穿牙でフェルアナまで出かけていた流陰はアルマとウルシュテッドの犯人の貴族館での聞き込みと合わせて現地での調査で犯人に、アヤカシの憑りついた指輪を渡した人物をほぼ突き止めていた。
 アルマ達も頷く。時の蜃気楼が一瞬見せた人物は変装さえもせずに彼の前で微笑んでいた。
 フェルアナ領主ラスリール。
 アヤカシさえ手玉に取り、志体持ちとそれらが支配するジルベリアを恨む彼は事あるごとに暗躍を繰り返している。今回も彼が起こした事件であることまでは推察はできたのだ。
 だが今回の事件を起こした『理由』や『目的』は解らない。
 指輪を贈ったことが判明しても罪に問えるかというと難しい…。
「ラスカーニアのユーリは今回の件とは無関係とみていいでしょう。動きは目立ったものではないとハティ、仲間が報告しています」
「ラスリールは現在外出中とのこと。今回の祭りにも来ないそうですから手を伸ばしてくるとしたら今後、でしょうか?」
「辺境伯にはこれから情報収集に力を入れて頂きたいですね。これで終わりとは思えませんからできる限りの備えはして頂きたいのです」
「調書はここに纏めてあります。陰陽寮の資料も合わせたアヤカシの考察もここに」
 開拓者達の報告を聞き、璃凛が差し出した調書を受け取った辺境伯は
「ありがとうございます。情報収集、その他の対策は全力で講じるとお約束します。ただ、できれば今後も、どうか力をお貸し下さい」
 もう一度深くお辞儀をした。
「間もなく祭りも始まります。どうか楽しんで行って下さい」
 この時期に祭りというのは彼らへの感謝の意味もあるのだろう。
 開拓者達は頷き立ち上がり部屋を出た。
 部屋には最後に二人、グレイスとフェンリエッタが残った。
「…報告書については後程。…隊商の関係者に約束してしまったこともあるので…御検討下さい」
 そして、静かに問う。
「お兄様の手紙、リィエータさんには渡したの?」
「はい」
 答えたグレイスにフェンリエッタは微笑んでみせる。
「幸せになっていいんですよ。そうでなくちゃ人である甲斐がない」
「…フェンリエッタさん…」
 グレイスにはその笑顔が、涙を堪え苦しさを胸に秘め、それでも優しさを込めて作られた…とても美しく切ないものに見えた。
(私は自由を愛してる。信じた道に全力で進むのが私らしい生き方だから、命懸けで人を愛する。もっと経験を積んで助けを求める人々に手を差し伸べに行くの。そうして貴方が必要とする時さえ傍に居ない、薄情な人間だ)
 ぐるぐると心の中で色々な思いがフェンリエッタの中で渦を巻く。
(生き方の違う者同士、一緒に歩いて行けたら良かった。でも命懸けの私に応えられないと敢えて仰った時、2月の約束は終わったのだと思う。
 だから貴方には何の責任も無い…。私が…死んだとしても)
「後は貴方の心次第…望むままに、自由に生きて」
 そう言うと彼女は部屋を出た。
 暫く立ち尽くしていたグレイスは大きく息を吐き出し外に出る。
 そこには一人の青年が待っていた。
「流陰さん」
「グレイス辺境伯」
 彼は静かに、だがはっきりとグレイスに言葉を、想いをかける。
「これから貴方がどのような道を進むとしても、僕はその選択を支持するつもりです。
ただ、一つだけお願いがあります。どうか心を偽らず自分が本当に望む選択をして下さい」
 長く、辺境を支えてきた開拓者の言葉。それを噛みしめるように聞いたグレイスは
「ありがとうございます。貴方のおかげで決心がつきました」
 深々と頭を下げ、微笑むグレイス。
「えっ?」
 流陰は目を見開いた。そして少し嬉しく思ったのだ。
 この人はこんな笑顔もできる人だったのだ、と。

●祭りの影に
 宴は明るい音楽と、天儀で民を守った英雄の歌から幕を上げた。
 次々と集まってくる人々の多くが楽しそうに笑っている。
「いらっしゃいませ。どうぞ。美味しいパイやおみやげもご用意していますよ。こちらにどうぞお名前を」
 魔女の服装で人々を迎えたフレイア(ib0257)は笑顔で来客者に記名を促した。
 自由参加のパーティであるが警備の関係上ということで何か所かの入場入口に記名所を設けたのだ。
 仮面を身に着けた一団が少し躊躇って後、名前を書き記す。
「…はい。ありがとうございます。どうぞ」
 一瞬考え込んだ後、フレイアはやってきた家族を会場へと促す。
 その様子を遠巻きに見ていたのだろう。
「どうしたん?」「何か、あったんですか?」
 やってきた璃凛や水月(ia2566)にフレイアはええと頷く。
「せっかくの祭りだと言うのに、暗い顔をした方達だな、と。名前も…偽名かもしれませんしね」
 記帳された名前は確かに綴りが間違えられ、震えた手で書かれている。
「皆に声かけて注意しとくわ」
 駆け出す璃凛を遠雷が追う。
『スカートで走るのはよくないがマスターも、レディーなんだ。いつも通りにしたらどうだい?』
「ドレスで、なんて初めてなんや、緊張するやない」
 二人を見送った美月も
「パーティは楽しくなくちゃ……なの。行こう。コトハ」
 フレイアに頷いて彼らの後を追いかける。
「お願い。フクマト」
 管狐を放ったフレイアは胸に手を当てて呟く。
「人の欲望。人の恨み。人の心の闇に巣食い取り付くアヤカシ…。
 指輪とグレフスカスに恨みを持つ男がつけた傷口が広がらないよう最善を尽くしましょう」
 と誓う様に。

 〜♪〜〜♪〜♪
 美しいソプラノに人々は聞き惚れている。
 祭りは最初の盛り上がりを迎えていた。
 今、水月が披露した歌が終わり満場の拍手が湧き上がったところである。
 再び舞台に上がったのはわがしであった。
 既に南部辺境で彼は真実の歌い手としてその名を示しつつある。
 現に祭りの始まりに語った英雄譚には多くの者達が心を奪われていた。
 彼は深く一礼すると水月に合わせるように明るく楽しい舞踊曲を奏でる。
 人々はそれに合わせ、恋人や、友人同士、あるいは知らない人間と手を取り合い踊り始めたのだ。
「ミハエル」
 領主として別席ながら人々共に祭りを楽しむグレイスにそんな声がかかったのは舞踏曲も半ばを過ぎた頃のことだ。
「踊って頂けます? グレイス様」
 手を差し出した純白のドレスのフレイの手を
「喜んで」
 とグレイスは恭しくとった。
 始まりは広場の端から。しかし、軽やかで優雅なステップはやがて二人を広場の中央へと送り出していく。
「…いつかダンスをって約束、果たす時が来たわね、ミハエル」
「はい」
 二人の間は賑やかな音楽やざわめきの中、驚く程静かであった。
「人を思う事に資格なんてないの」
 フレイは自分の前に立つ青年にそう微笑む。
「昔は知らない。今、目の前にある人は多くの人に慕われ思われる素敵な男よ」
「仮面を被った臆病な男に過ぎないかもしれませんが?」
「仮面であろうと被り続ければいつか本物になることもあるわ。そうあろうとした貴方の全てが作り出した今、でしょう?」
 苦笑するグレイスにフレイは微笑み、風のようにさらりと告げた。
「貴方が好きよ。貴方が自分を責めるなら、傍にいて支えたい。
 貴方が自分を許せる様になるまでね。
 私は本気よ。
 貴方が誰かを選ぶまで、想いは変わらないわ」
 真っ直ぐな視線と思いにグレイスは心からの思いで告げる。
「…ありがとうございます」
 曲が終わり、グレイスはフレイをエスコートしながらそっと囁いた。
「お願いがあります。聞いて…いえ、見て頂けますか?」
 と。

「御婦人…」
 ウルシュテッドは祭りの賑わいを見つめながら
「どうすればいいんだろうな。貴方ならどうする、どうすれば救えると思う?」
 横に立つ一人の女性に静かに呟く。
 問われた女性は静かにその言葉を受け止め目を閉じる。
「子の悩みの前に親は無力なものです。百の言葉をかけても千の思いで抱きしめても立ち上がれるかどうかはその子次第…。助け、力を貸しながらも最後は、信じて待つしかないのだと思います。彼らの強さを…」
 辺境伯の母、サフィーラの言葉をウルシュテッドは答えず静かに立ち尽くしていた。
 目の端を銀と茶色の影が過るまで。

●真実の告白
「な、なんですか? 一体?」
 自分を今も強く引っ張る手に微かな抗議の声を上げながらフェンリエッタは目の前を行く大きな背中を見つめた。
「お話が、いえ、お願いがあります」
 無人の部屋で一人佇んでいた彼女はいきなりやってきたグレイスに半ば強引に手を引かれて彼の後を歩いているのだった。
(死にたい訳じゃない。助けて欲しい
 でも、誰にも救えないと解った。
 心を歪めてまで生きて、これ以上苦しむのは御免だもの)
 彼と自分の想いに別れを告げる為、
(春は待たない、雪解けと共にゆく。20年悩んだ答えに悔いはない…
 ほんのひと時、確かに幸せだったから)
 自分に言い聞かせるように泣いていた彼女を置きかけたコートごとグレイスは引っ張っていく。
 まだパーティも途中であろうと言うのに彼はどこに自分を連れて行くのだろうか、と。
 やがて解放された場所で彼女は周りを見回す。
 そこはリーガ城の内庭であった。
 固く踏み固められたその場でフェンリエッタと向かい合ったグレイスは深く騎士の礼をとった。
 差し出されたのは一振りの剣。
「どうか、お手合せを願います」
「手合せ?」
 剣を手に瞬きするフェンリエッタの前でグレイスは剣を抜く。
 意味が解らないまま、フェンリエッタも彼の今まで見た事の無い様な迫力に押される形で剣を抜いた。
 そう、彼は今まで見たことの無い顔をしていた。
「行きますよ!」
「!」
 言葉と同時、一気に距離を詰めてきたグレイスはフェンリエッタの懐に飛び込んでくる。
「スタッキング?」
 もう半瞬呆然としていたら、腹か攻撃を入れられていただろう。
 とっさに後方に避けたフェンリエッタにさらに彼は踏み込んでくる。
 騎士剣を片手で高く掲げると無造作に彼女の眼前に剣が振り下ろされた。
「くっ!」
 意味は解らないが呆然としている暇はない。泣いている暇もない。
 フェンリエッタは剣を握り直し身構えるとそこに攻撃が飛んでくる。
 キン! と打ち付けられた鋼が澄んだ音を立てる。
 鍔迫り合いに近い形でグレイスと視線が交差する。
 その時フェンリエッタは改めて気づいたのだ。
(こんな顔…初めて見る)
 笑顔で剣を奮うグレイスは戦いを楽しんでいる様に見えた。
 開拓者としてはともかく剣士としては彼が明らかに上。フェンリエッタは程なく押され始める。
 そして…
「!!」
 グレイスは身を低くすると一気にフェンリエッタの懐に飛び込んだ。
 と同時に襲う激しい衝撃に弾き飛ばされるようにフェンリエッタは尻餅をつく。
 跳ね上げられた剣は空を舞い、地面に突き刺さっていた。
「スタッキングからの流し斬り? まさか…」
 やがてグレイスは剣を収めるとフェンリエッタに手を差し伸べ立ち上がらせる。
 そして
「これが『私』です」
 静かに告げたのだった。
「本来私は典型的な前線騎士です。後方で策を考えたりするのは得意では無い。強い相手と直接戦い剣を交える事が何より好きなのです。地位なんて重いだけ。
 兄がいた頃からそれはずっと変わりません。
 陛下に見いだされたのも戦場での戦いぶりを認められての事。それが戦場から遠ざかるきっかけになろうとは思っても見ませんでしたが…」
 肩を竦めるその仕草には苦笑が入り混じる。
「己の愚かさから兄を失い、その償いに良き貴族の後継者、領主たろうと私はずっと仮面を被ってきました。無論、今となってはその仮面も私自身であるのでしょうがそれでも『本当の私』ではない。そんな思いがずっと私を苛んできました」
 言外に告げる。だから今までフェンリエッタの、いや誰からの思いにも向かい合う事をせず躱し続けて来たのだ、と。
「私を助け、支えてくれた多くの開拓者の方々。
 貴女との出会いや邂逅、そして今回の事件を経て私は本当の自分に戻りたいと思いました。仮面を外す為のきっかけを与えて下さったことに…感謝します」
 グレイスはそしてフェンリエッタの前に膝をついた。
「直ぐに、全てを変えられるわけではありません。兄が、皆さんが許してくれても私の中の罪は消えません。立場も、責任も理解しています。
 けれど、これからの私は今までの私とは違う『私』であるでしょう。そうありたいと…思っています」
 その手に軽く口づけしグレイスは言う。
「真実の私を知ってなお貴女が…皆さんが私を信じて下さるか、ついてきて下さるか。全ては皆さんに託します」
 答えを待たず立ち上がって一礼したグレイスは、フェンリエッタの肩にコートをかけるとパーティへ戻って行った。
 南部の未来を変える告白が終わる。
 …二人を、いくつもの視線がそれぞれの思いと共に静かに見守っていた。

●彼方の未来
 祭りの終わり、グレイスは舞台に立った。
「この度の我が一族の騒ぎに皆さんを騒がせた事を心からお詫び申し上げます」
 ざわめきの中、グレイスは民に告げる。
 しんとした空気は領主の声を聞こうとする領民の心の現れ。グレイスはさらに言葉を続けた。
「ヴァイツァウの乱から間もなく4年。戦で荒廃した南部がここまで復興したのも皆さんのおかげです」
 そして彼は観衆の前に自ら膝を折る。貴族が、領主が民の前にはっきりと膝を折る。
 とても稀な事であった。
「ですがやっと戻って来ただけ。これからさらに南部をより良くしてく為に皆さんのお力をどうかお貸し下さい」
 拍手が上がった。最初は小さく、そして大きく…やがては会場を埋め尽くすくらい大きなものになっていく。
 その光景を見ながら
「彼を…辺境伯を信じては貰えませんか?」
 クルーヴは振り向き後ろに声をかけた。そこには数名の女子供がいる。
 中にはナイフを手に持った女もいた。震える彼らをフレイアと水月、璃凛、アルマ。そして彼らの相棒達が優しく見つめていた。
 会場警護の最中、水月が見つけた一団は思いつめた顔をしていた。
 フクマトに監視させていたフレイアがクルーヴらと連絡を取り合い彼らを監視した。そしてカバンや荷物の中に武器を隠し持ってた事を知って騒ぎにならないように移動させたのだった。
「辺境伯は貴方方にも誠意を尽くすと言っていました。その連絡はもう届いているのでしょう?」
 無言はおそらく肯定の意。フェンリエッタがした約束とは別に辺境伯からも謝罪の言葉は届いていた筈である。
 とはいえ人の気持ちはそんなに簡単ではないのだ。
「辺境伯は今回の件を無駄にはしないでしょう。同じような被害が及ばないように全力を尽くしてくれる。それを信じては…貰えませんか?」
 その時クルーヴの言葉と重なるように歌が聞こえた。
 わがしの歌う鎮魂の歌である。
 静かに響くその歌声に彼らは涙を流し、膝を落す。
 嗚咽する女性の肩をフレイアは優しく抱きしめてる。
「せっかくのお祭りです。一緒に美味しいモノ食べましょう」
 俯く子供達を水月とコトハ、璃凛と遠雷が手を引いて祭りに連れ出す。
「…お姉ちゃん達…キレイ」「私達も…なれるかな」
「なれるで。きっと…」
 照れたように笑いながら、璃凛は子供達の頭をそっと撫でるのだった。

 かくして祭りは賑やかに終わりを告げた。
「僕はこのあたりでお暇致します。
 僕の目的はある程度果たすことができました。皆様のご協力のお陰です。
 僕はまた気の向くままに詩を紡いでまいります。ありがとうございました。
 ご縁があれば、また」
 わがしはそう一礼して相棒ようがしと南部を離れて行った。
 キャラバンの関係者達のうち望む者にはリーガでの住処や保護が与えられ、新たな生活を歩むことになる。
 …彼等とすれ違う様にアルマはジェレゾに戻っていた。
 グレイスと共に。
 誰もいない牢屋の中
「いいの? 辺境伯?」
 アルマは問いかけた。
 滅んだ犯人の家に自ら足を運んだグレイスは家族の罵倒を一身に受けていた。だからこそ
「誰をも怨むなとは言いません、責任があるのは確か。でも憑き殺した魔を忘れないで
奴らは狡猾だ。悲嘆や怨嗟を食い、殺します。僕らは微力です。それでも手を尽くしたいのです
 無辜の人々を襲う不幸と希望を断つ悲劇。防ぐ為に力をお貸し頂けませんか。
 貴方達しか、ない。貴方達を、彼を、教えて下さい」
 家族はアルマの言葉を受け入れ協力してくれたのだろうから。
「はい。私自身も見届けたいのです」
「ん、解った」
 側に控えたカフチェに頷くとアルマは竪琴を爪弾き精霊の聖歌を奏でた。
(貴方達の激情も、お前の怨みも、貰う。そして…僕達は前に進むんだ)
 決意と思いと共に、その調べは静かに流れていった。

 去りゆく者、変わろうとする者、それらを全て包み込んで南部辺境は、ジルベリアは間もなく冬を迎えようとしていた。