【朱雀】向かいあう者
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/11/07 20:10



■オープニング本文

 十月の合同授業。
 一年生達にとっては進級試験が行われる日である。
 緊張の面持ちで集まってきた一年生が講義室に入って来た時には、どうやら準備はほぼ終わっていたようだった。
 部屋の真ん中には小さな壺と何かが入った朱塗りの箱。
 筆、墨、そして紙。
「寮長、これで全部でしょうか?」
 準備の手伝いをしていた桃音と彼女をご苦労様、と労う朱雀寮長 各務 紫郎がいた。
「皆さん、集まったようですね。では、始めます」
 寮長は、寮生達の到着を確認すると、彼らを講堂の中央に呼び、前置きなくそれを始めた。
「なにを?」とか「なんで?」と確認している暇はない。
 寮生達は寮長の側に集まり、その作業を注視する。

 まず、手に取った白い符の右上と左下に墨を含ませた筆で黒い鳥を描く。
 それに朱の筆で赤い影をつけると符の周囲を線で囲んだ。
 下書きも何もない状態でさらさらと、無造作に描いているように見えるが、書かれる文字の一つ一つ、絵の配置にも意味がある事を感じ寮生達は、寮長の手元に集中して見入っていた。
 意味を持つ呪の並びと配置によって符はその個性を示す。
 そして、寮長が箱から取り出したのは不思議な色合いの宝珠であった。
 今まで開拓者として見たり、触れたことのある宝珠とは違う種のものだ。
 これを一年生の中で見たことがあるのは、一人だけだろう。
「見ていて下さい」
 目を閉じた寮長の指が、宝珠に触れ、唇が微かに動いた。
 そして次の瞬間、宝珠から何かが流れ出てくる。
 寮長はそうなった宝珠を符に押し当てる。
「何や?」
「これは…瘴気ですか?」
 黒とも紫とも言えない流れが符を覆い、そして次の瞬間、
 シュン!
「えっ?」
 微かな音を立てて符に瘴気が吸い込まれていった。

 文字が描かれるまではただの紙であったものが術符となる瞬間を目撃した寮生達は無言になる。
 それは、例年、どんな一年生も同じであった。
 小さく微笑んで完成させた符を紫郎が手に取って呪文を唱えた。
 符から緋色の影を持つ黒い烏の幻影が見えて、寮生達はさらに声を失った。
「死霊符 告死鳥 これが貴方達の符です」

 そう言って寮長は一年生達を見た。
「これが符の作成です。
 それぞれ専門家によって自分なりのやり方を持っていますが、朱雀ではこのようなやり方で符を作ります。
 無論、0から符を作るのは簡単ではありません。符に能力を組み込む計算、それを符に安定させる為の文字の配置、適した瘴気の選定と符に込める瘴気量のバランスなど、それそのものが専門的な知識を必要とするものですから、それは在学生である皆さんには教えません。今回はこちらで計算し整えました。皆さんの希望は容れたつもりですが」
 知覚と練力を底上げする死霊符。
 死を告げる告死鳥。
 自分達が考えた符が形になるのはやはり特別な思いがある。
「一度、符の作成を始めたら作業を止めることはしてはいけません。途中で止めた場合、符の作成が失敗するんおは勿論、瘴気注入に入っていた場合は封じられた瘴気が逃げてしまいますから」
 手順は思い出すことが出来る。
 寮長は解りやすく見せてくれていた。
 しかし、始めて描く難しい字と絵。
 そして宝珠から瘴気を開放するバランスとそれを符に込めるタイミング。
 自分達にできるだろうかと、顔を見合わせる一年生達に寮長は宣告した。 

「さて、進級試験を開始します。
 第二義
 朱雀寮で、自分達の符を完成させなさい。
 符作成の為の瘴封宝珠、白紙の符の束と、道具も全て揃っています。
 試験開始は三日後、場所はこの部屋。それまでに字と絵の練習をする事」
 そして、寮長はさらに続ける。
「私は慣れていますから、早めにできましたが皆さんは数時間かかるかもしれません。
 だから、練習、準備をしておいて下さい。
 符の作成に重要なのは、呪文の書き込みと、瘴気の注入です。
 字の上手下手はともかく、文字を間違えたらその効果が発揮されないので、気を付けて。
 絵も同様。上手下手が出来栄えに影響はあまりしませんが、その符を象る大切な要素です。手は抜かないように。
 また、瘴封宝珠には符作成の為の瘴気が込められています。
 術を使うのと同様に呪文を唱えると瘴気が解放され、解放された瘴気はやがて散ってしまいますが、呪文を書いた符の上に置く事により、符に瘴気を定着させることができるのです。
 但し一度宝珠から瘴気を解放させた後、場を離れたり瘴気を途中で止めた場合、その符の作成は失敗しますので、途切れない集中力が必要です。
 練習をすることは自由ですが、与える宝珠は本番用一つのみ。中に入っている瘴気もそれほど多くはありません。
 宝珠を無くす、壊すは勿論、練習に失敗して瘴気を失ってしまったら符は作成できなくなりますからよく注意して下さい。
 では、最後に宝珠から瘴気を開放する呪文と、瘴気を止める呪文を教えます。
 しっかりと練習し、本番に臨んで下さい。
 以上」
 そう言うと、寮長は桃音に再び荷物運びを手伝わせると部屋を出ていってしまった。
 残されたのは一年生達と、符の材料。
 そして寮長が作って見せた見本の符のみである。

 進級試験であるので、寮長は質問にはおそらく答えてはくれないだろうと寮生達は解っている。
 だが、正直な話、符を作るという事自体が初めてのことだから、自分は何が解らないのかも解らない。
 だから同じ事だと開き直るしかなかった。
 そう、これは進級試験。
 現二年生も三年生も通ってきた課題なのだ。
 今、寮生達の心と技が試されようとしていた。


■参加者一覧
雲母(ia6295
20歳・女・陰
雅楽川 陽向(ib3352
15歳・女・陰
比良坂 魅緒(ib7222
17歳・女・陰
羅刹 祐里(ib7964
17歳・男・陰
ユイス(ib9655
13歳・男・陰


■リプレイ本文

●朱雀寮 一年 進級試験
 それは、寮生達の作業が終盤を迎えた頃に起きた。
 まず、最初に微かな響きが聞こえた。
「ん? 何かしら?」
 一年生達の作業を魅入る様に見つめていた桃音はふと、横を見る。
 死霊符作成用の瘴気が入っているという壷が微かに揺れている。
 そして…小さな空気を切る音と共に
「えっ?」
 パリンと微かな音を立てて壷が割れた。
「な、なにこれ? キャアア!
 思わず悲鳴にも近い声が上がった。
 作業中の寮生達の邪魔をしないように必死に声を絞るがそれでも近付いてくる黒い影に桃音は迫りくる恐怖を押さえる事ができなかった。

「ふむ、やっと実技か。いい加減図書を読むのも疲れた所だ」
 説明を聞き終え、雲母(ia6295)が微かに口元を上げた。
 緋色の影を持つ黒い烏。
「死霊符 告死鳥…僕達の符だね」
 寮長の残した見本を手にとりユイス(ib9655)はまんべんなく見つめ、目を閉じ、感じた。
「僕達がこれを作るんだ」
 抱きしめるように言うユイスの言葉に、
「ああ」
 と羅刹 祐里(ib7964)が頷いた。
 一年間、自分達が積み重ねてきたことの集大成が進級試験であり、この符の作成であるのだ。
「ん〜、やっぱり絵を描かなあかんのやな…真面目に練習しよ」
 尻尾を下げる雅楽川 陽向(ib3352)の背を比良坂 魅緒(ib7222)がポンと叩く。
「気に病むな。一緒に練習するか?」
「ん、おおきに。でもなんとかやってみるわ」
 そうか、と明るい顔に戻った友を見ながら魅緒は道具を見つめる。
 生まれた時から陰陽師を志していたこの身にも知らないこと、できないことが多くあった。 
 それを、この陰陽寮で学んできたのだ。
「大丈夫。必ず皆作れるよ」
 ユイスは手に持った符を卓に置くとそう言って仲間達に微笑んだ。
 できるか、じゃなくて。作る。
「入寮してからここに至るまで一切手を抜いた事は無いつもりだ。皆だってそうだよね。必ずできる」
 ユイスは仲間達を見つめ、そう言った。彼の目に一切の疑いは無い。
「必ず受かるさ。ボクは、いやボク達はその為にいるんだから」
 フッと笑みが零れた。ユイスが戻した符を魅緒がもう一度手に取る。
「大丈夫、作れる、か。ユイスがそう言うと本当にできる気になってくるから不思議じゃ」
 魅緒は目を細めてユイスと符と、そして仲間達を見た。
「いや…そうよの。落ちる事など想像してどうするか。
 五人で進級しようぞ。やる事はまだまだあるのじゃからな」
 真っ直ぐに前を向く魅緒の言葉に三つの首が前へと動く。
 動かなかった残り一つも、眼差しは魅緒と同じものを見つめていると解る。
「よし。後はそれぞれ練習だ。本番、頑張ろうぜ!」
 祐里の声に頷いた彼らはそれぞれ、自分の道具を手に取り練習に向かうのであった。

●進級試験の開始
 そして進級試験の日。
 それぞれが緊張の面持ちで講堂に入ると、中には準備を整えた朱雀寮長 各務 紫郎が待っていた。
 その側には準備を手伝う桃音が小さな笑顔でそっと手を振っている。
 板と布で間仕切りされた部屋には墨や紙、筆などが整えられていた。
 一人一部屋に促されて入ると寮生達は与えられた瘴封宝珠をそっと取り出す。
「以降、全ての質問は受け付けません。自分の責任において行動しなさい」
 寮長の声に寮生達の背筋が伸びた。そして静かな、だが鋭い声が彼らの耳に響いた。
「では、進級試験を開始します!」
 宣言と同時に彼らは符の作成に向かい合った。
「落ちついて…いっぱい練習したんやさかい」
 陽向はひとり言のように口にする。文字を紡ぎ絵を書き記す。
「片腕と言うのが一番難しいかもしれんなぁ」
 口調は明るいながらも雲母の目も真剣そのものだ。眼帯は外され煙管も今はしまわれている。
「意思と、集中力…」
 成功をイメージし魅緒は思いの全てを符に乗せた。
「雑念を振りきって集中。殺意を持ち、それを符に…」
 ユイスは丁寧に書き上げた符を机に置くと宝珠を手に取った。
 ここからが一番肝心なところ。瘴気を符に込めるのだ。
 強く宝珠を握り呪文を唱える。
 宝珠から瘴気が流れ出てくるのが寮生達にも解った。
(思ったより、勢いが強い!)
 瘴気の力に振り回されないように、寮生達が意思を振り絞ろうとする、正にその時であった。
「な、なにこれ! キャアア!」
 彼らの背後から桃音の悲鳴が響いたのは。

「桃音?」
 そう叫んだのは誰であったか。寮生達は全員がその意識を一瞬後ろに向けた。
「悲鳴? なぁ、今の悲鳴やろ、どこや!?」
 と同時、宝珠の瘴気が強く暴れだす。
「くっ!」
 小さく呟いて意識を宝珠に戻す。だが後ろと前、両方に意識を集中させることはできそうになかった。
「! 桃音ちゃん?」
「ふっ」
 最初に宝珠に呪文をかけ瘴気を止めたのは雲母であった。
「後ろで喚かれてるのが一番鬱陶しく集中できない」
 そのまま立ち上がり走り出す。
 ほぼ同時、ユイスも宝珠の発動を停止していた。
「試験は大事だ、でも彼女はここにいる皆と同じく仲間だ。
 助けを求める悲鳴なんか聞いたら、振り返るしかないじゃないか!」
 ほぼ一緒に部屋を飛び出す祐里はユイスを横目に見ながら小さく微笑む。
「保健委員として捨て置けない案件だ。誤報なら、ソレで良い…、作成に心配事を持ち込まずにすむ。
 それに、集中力を欠いた状態では、上手くは行かない。ただでさえ、死霊符だ。制御できなくなったら最悪だ。まずは後顧の憂いを断とう」
 陽向は宝珠と符を一緒に持ち出せないかと試そうとしたが諦めたのだろう。
「試験やん後やねん」
 宝珠からの瘴気を止めると机に上に符を残し部屋を出た。
 一番遅かったのはと順番を付けるならそれは魅緒であったかもしれない。
「くっ、こんな時に…!」
 彼女は逡巡した。
(異常事態故、試験のやり直しを認めてくれるじゃろうか…。流石にその考えは甘いか…? …じゃが!)
 だが、それはホンの一瞬の事であった。
「!! ええい、妾は何を考えておる、こんな時に…!」
 魅緒は宝珠を止めると自分の頬を軽くパチンと叩いた。自分に気合を入れる為だ。
「試験なぞ知るか! 落とすのであれば好きにせい!」
 彼女が部屋を飛び出した時には、既に仲間達全員がそこにいて、桃音を取り巻く黒い影を睨みつけていた。

「あれは…怨霊?」
 桃音に覆いかぶさるように怨霊は襲い掛かる。周囲に寮長は見えない。桃音だけだ。
 必死でもがき、怨霊から離れようとする桃音であったが形を持たない煙か霧のような怨霊相手では鋭い蹴りも役には立たない。
「桃音さん!」
 陽向が怨霊に向けて呪縛符を放った。微かに動きが鈍くなる。
 そこを狙って
「来い!」
 祐里が怨霊に飛び込み桃音の手を掴むと強く引っ張った。
 飛びだす桃音を後ろに庇った祐里。
「良かった。無事だね」
 ユイスは胸を撫で下ろすと同時、目の前の怨霊を睨んだ。
 既に雲母が夜から続く打剣を打ち込んでいる。
 その鋭い太刀筋に、怨霊はもう消失寸前である筈だが…その時、ユイスはあることに気付いた。
 弱まり、消える一方だった怨霊の黒い影が大きく、膨らんでいくこと。これは…
「危ない! そいつは自爆を狙ってる!」
「何?」
 雲母は慌てて怨霊と間をとった。
「誰か、攻撃術持ってる?」
「任せろ」
 タイミングを合わせてユイスと、魅緒が斬撃符を放つ。
 二筋の風は空を切り、まるで膨らんで破裂寸前の風船のようだった怨霊を切り裂いた。
 パン!
 風船の割れるような音がした次の瞬間、怨霊は消失する。
 桃音も怪我は無いようだ。
 戦闘の終了。それは寮生達に安堵とほぼ等しい重さのため息を吐き出させた。
「やっちゃったな…」
 その言葉が寮生達の心境を全て物語る。
 試験を放り出してきた。
 ルールに沿う以上、それは許される事ではないのだ。
 失格、落第と言われても仕方ない状況。
「まあ、な。…でも悪い気分ではない。桃音が無事じゃったのならな」
 そう言って魅緒は桃音の方を見て笑う。
「ごめんなさい。わたしのせいで…」
「桃音さん」
 肩を震わせる桃音の前に陽向は近寄るとスッと膝を折った。
 どこから出したのかみたらし団子と朱花を前に差し出すと笑いかける。
「みたらし団子、うちが開拓者になったきっかけや。
 それから朱花、…うちはこれ持っとった透さんを間近で見たことある。
 怪我しとったから、治癒符かけたねん」
「えっ?」
 桃音は目を見開いた。自分も知らない兄を見た少女を見つめるように。
「うちは朱雀寮も陰陽師も辞める覚悟で治療したんや。
 五行ちゅう国としては、褒められるよりも、責められる行為やったやろな。
 今んところはお咎めなしやけど…。
 もしお咎め来たら、すぐ朱花返して、寮も陰陽師も辞める覚悟は、今も持っとるよ。
 お偉いさんが「責任」の文字を掲げるんやったら、うちは「生きざま」ちゅうて返したる。
 だから、今日の事もうちらは絶対後悔なんかせえへんよ」
 真っ直ぐに言う陽向の思いを全員の心が支える。
「符が無くても、陰陽術は使える。人助けたい思うだけで、陰陽術は使えるんや」
 回り道をしても、その志さえあれば。
 そう、だから寮生達の心に後悔は無かった。
「…それにしてもお主ら…。失格は妾だけで充分じゃというに。
 …どういう事かの、妾が落ちるよりもお主らが落ちる方が残念じゃというのは…」
 魅緒が肩を竦めてみせる。
「――もし誰も見ておらぬのであれば、妾が暴れて皆の符を目茶目茶にしたと言うのでもよいのじゃが…」
「魅緒さん!」
 頬を膨らませる陽向を宥め魅緒は告げる。
「む、怒るでない。こうなった以上一人でも多く受かる事を考えるのは至極合理的な考えじゃぞ」
「…そんな心配はない」
「え?」
 冷静に言い放つ雲母に寮生達は首を傾げる。
 周囲に散った筈の瘴気。それが気が付けばほぼ失せていた。
「出てこい。寮長」
 シュン! シュウ〜!
「な、なに?」
 驚きに目を見開いたユイスであったが、背後から微かに聞こえた音に振り返る。
 そこには…さっき割れた壺と同じ壺を持って涼やかに立つ寮長がいた。
 驚く寮生達の前で彼は、部屋の中、全ての瘴気を壺に込めた。
 そして封をして元あった場所に壺を戻すとこういったのだ。
「進級本試験、終了」
 と。

●罠の意味
「やっぱり、罠だったんですか?」
 ユイスの問いに寮長ははい、と頷く。
「? どういうこと?」
「つまり…この騒動が進級試験だったんだな? 桃音を助けるか、試験を続けるか。命と使命、どちらを選ぶか」
「その通りです」
 祐里に向けてもう一度頷く寮長。
「で、どっちが正解だったのだ?」
「今までの経験上、このまま見捨てるという選択肢は限りなく間違いだろうな」
「その通り。見捨てる方が助けに出るよりも多くの減点が課されます」
「うわっ。えげつなっ!」
「助けるという選択肢は陰陽師よりも開拓者としてあるべき姿だろうが…一歩間違えたら惨事だったかもしれんのは、いただけんなぁ」
 寮生達は桃音と寮長を交互に見た。間違いなく桃音には知らされていなかったのだろうから。
 勿論寮長の事だから、万全の体制はとっていたことに間違いはないが。
「非難されて然るべきと解っていますよ。それでもこれは必要な事であると思って下さい。
 世の中にはもっと厳しい状況下で、もっと厳しい選択を迫られることもある。…解っているでしょう?」
 寮生達の無言は、一つの返答でもあった。
「これはそんな状況下で、自分の為すべき事を為せるか。雲母さんの言った通り、陰陽師としてよりも開拓者として人として正しい判断ができるかを問うものです。恨まれても、まあ仕方ありませんがね」
 肩を竦めた寮長は空気を換えるように手を叩く。
「では、作業に戻って下さい。今度こそ集中を絶やさず符を完成させること」
「あれ? やり直していいん?」
「ダメだと言った覚えはありませんが」
 微笑む寮長に寮生達は顔を見合わせ、肩を竦めて見せた。

 桃音が寮生達を見ている。
 寮生達は知らず背筋を伸ばしていた。
 自分達の後ろに続く者。
 彼らに見せる背中は真っ直ぐなもので無ければならない。
 かつて、自分達が見てきた背中が、そうであるように。

 切り裂くような殺気を、意思を、願いを込めた符はやがて瘴気を吸い込み一つの形となった。

「進級試験、終了!」

 彼らの手の中には一枚の符が完成、握られていた。
 未来への思いと共に…。

●進級試験の結果
 朱雀寮内、寮長室。
 各務 紫郎は進級試験の採点を行っていた。
 進級試験は陰陽寮の二年生になる資格を問う試験。
 知識、能力と共に心を問うのである。
 二年になればより深くアヤカシと関わって行くことになり、いろいろな陰陽師の『闇』と向き合う事となる。
 そんな苦難の中、確固たる自分の意思を持てるか。一番大事な事を解っているか。
 それを確かめるべく、毎年の一年生には同じ課題が課せられているのだ。

 事前説明でも言ったが陰陽寮の進級試験に満点は無い。
 今年は授業期間が長かった。
 実習、委員会の参加点において既に最高点者はそれだけで七十点を超えている。
 最低点でも五十点以上である。
 また小論文試験の最高点者は五十五点、最下位の者でも四十点ある。
 そして今回の実技試験。
 符の完成によって与えられる点が十点。
 符の作成を止めたことで減点五点が課せられた。
 もし作成を止めなかった時に課せられていた減点は三十点である。
 今年の一年生にその減点三十点を課せられた者はない。
 故に全員が合格の資格を得ていた。
 主席はユイス。
 授業欠席ほぼ無し。
 穏やかに、仲間を気遣い、けれどやるべきことはやる、そんな強い心が評価されている。
 次席は雅楽川 陽向。
 三位の比良坂 魅緒とは僅差だが出席点で上位に立つ。
 一年のムードメーカーであり影なる柱だ。
 魅緒は安定した成績を常に保っている。優れた素地をこれからに生かして行けばさらに伸びるだろう。
 羅刹 祐里にも全体を引っ張る力がある。視点をもっと広げ全体を把握する力を育てられれば優れたリーダーになれると紫郎は感じていた。
 雲母は個人の能力がずば抜けている。
 今回の成績は『朱雀寮一年生』として求められる行動が当初できていなかっただけの事。
 後期には仲間との連携や桃音を守る姿も見られた。
 何より彼女自身が朱雀寮生であろうとしている。
 今はこの位置でも来年はトップに戻る可能性は十分だ。

「がんばりなさい。朱雀の未来を創る者達よ」
 小さく微笑みながら寮長はそっと筆をとってそれを書き記した。


 数日後、朱雀門に試験結果が貼り出された。
 緊張の面持ちで紙を見つめる寮生達。

『朱雀寮一年生 進級試験合格者発表

 主席 ユイス
 次席 雅楽川 陽向

 比良坂 魅緒、羅刹 祐里、雲母』

 朱雀寮の一年が間もなく終わる。新年の訪れと共に彼らは二年生となるだろう。
 新しい扉は静かに寮生達の訪れを待っていた。