【南部】真実の果て
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 9人
サポート: 2人
リプレイ完成日時: 2013/10/27 02:32



■オープニング本文

 それは、遠い昔の話。
 今から40数年は前の話になる。
 若き騎士エドアルドは戦場で親友とある約束を交わす。
 いつか互いに子供が生まれたら結婚させて真の血縁になろうと。
 果てるともない戦いの中での、それは夢のような話であったが彼らにとっては生き抜く支えにもなった約束である。
 やがて二人の間に子供が生まれる。
 エドアルドには前妻と後妻の間に一人ずつの男子、親友には跡取りの他に娘が一人。
 思い出された約束はまだ幼い二人を生まれながらの婚約者にした…。

「噂はほぼ真実です。全て…ではないのですが」
 彼女はそう言うと寂しそうに微笑んだ。佇む南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスと一度だけ目を合わせて。
「私と夫ヴェスナーは生まれながらの婚約者でした。
 そして、私とグレイスさんは同じ年に生まれた幼馴染。本当に姉弟の様に過ごしました」
 リーガの城の一角で貴婦人リィエータは開拓者に語る。
 側には義母のサフィーラと、息子のオーシニィがいる。
 噂の裏に隠された真実の話を開拓者達は、黙って静かに聞いていた。
「ヴィスナーは優れた人でした。志体こそ持ちませんでしたが優しく、頭がよく、そして努力家でした。
 彼の母上の御身分が高くなかったこともあってか、人一倍の努力をしてグレフスカス家の長子に相応しい存在になろうとしていたのです。
 私は、その姿に恋をしました…」
 思い出を抱きしめるようにリィエータは語る。
「生まれながらの婚約者と言う事もあり、私はあの人の妻になる。それに疑いを持った事はありませんでした。
 あの方も私を大切にして下さり、正式に婚約し、そして結婚したのです」
「ただ、ね。その結婚には反対もあったの。別にリィエータがどうのとか、ヴィスナーがどうのではないわ。
 リィエータの実家が有力な貴族で、リィエータにも志体があって…そしてグレイスが生まれていた。
 リィエータとの結婚はヴィスナーではなくグレイスとするべきではないか、という親戚がいたのよ」
 自嘲するようにサフィーラが肩をすくめた。
 エドアルド自身も決して高い身分の生まれでは無かった。下級の騎士の家からガラドルフと共に戦場を駆け抜け、自身の力で今の地位を築いた。
 その地位をもっと高める為に、志体を持つ子供が生まれる確率を上げる為に。
 そんな下世話な考えが周囲の者にあったのは間違いない。
「でも、夫も私も、リィエータも誰もそんなことは気にしなかった。でも、気にしていた者がいたのよ。誰でもないヴィスナー本人と…」
「私です」
 今まで沈黙を守っていたグレイスが、静かに告げた。
 覚悟を決めたように彼は一度だけリィエータを見ると、開拓者に向かい合った。
「私は幼馴染であったリィエータの事が好きでした。彼女は私より僅かですが先の生まれで、私の事を弟のように思って、兄一筋であったことは解っていましたが、それでも私は彼女が好きだった。
 そして、愚かな子供であった私は、いつしか兄を疎む様になっていました。兄の事は嫌いではなかった。むしろ尊敬し、大好きであったからこそ兄というだけで全てを手に入れていると思ってしまったのです。
 兄さえいなければ、そう思う事もありました…」
 やがてリィエータは兄の妻となり手の届かない人になった。二人は幸せに生活しやがてヴィスナーはその才を認められ天儀に留学を許されることになる。
「身分と志体。両方を持たない兄が、持つ私に後ろめたさを持っている事も感じていました。そして、私は人として最悪の事をしようとしたのです。リィエータの元に忍んで思いを遂げようと…」
「彼の名誉の為に言いますが、誓ってグレイスさんと私が一線を超えることはありませんでした。
 私にとってグレイスさんは大事な家族であり、弟。それを守ってくれたのです」
 リィエータはグレイスを庇う様に言うが、グレイスは唇を噛みしめていた。
「ですが、兄はリィエータの部屋から出てきた私を見ていました。
 そして…私は兄の抱いたであろう誤解を否定しなかった。兄が彼女を疑い、嫌えば彼女も私を受け入れてくれるのではないかと、はっきり拒絶されてなお思ったのです。
 さらに、もしかしたら、兄が身を引いてくれるのではという甘くて愚かな事も考えました。
 やがて兄は留学先で失踪、行方が分からなくなりました。
 国の留学生の、しかも貴族の長男の失踪は私の想像を遥かに超える不祥事、大騒動となったのです。
 私は情けなくもその時、初めて自分の愚かさが招いた事の重大さを知りました。自分が心の底で願っていた事の筈なのに手足が震えました。
 貴族の後継者の立場になってその責任の重さ、立場の意味、そして兄がどれほど日々努力していたか、どんなに家族を思っていたかも知ったのです。
 私は父母に全てを告白し、その日から一切の甘えを捨て去ると誓ったのです。
 それが兄にできる唯一の償いだと思いましたから…」
 グレイスはそう、静かに語った。

 話が終った。沈黙が広がる部屋の中で
「…それじゃあ、僕は…」
 話を聞いていたオーシニィが震える声で問う。
「紛れもなく、グレフスカス家長男ヴィスナーの子ですよ」
 孫に優しく微笑みかけると、サフィーラは開拓者達を見る。
「これが、今回の噂の真実です。
 でも、あえて言いふらす必要は無いことであると、私達は考えていました。
 グレイスがリィエータと肌を合わせていない事も、オーシがヴィスナーの子であることも、ヴィスナーの思いも、失踪の理由も証明せよと言われて証明できることではありません。
 弁解すればするほど、疚しいところがあると思われる。
 だから、私達は今まで噂に関わらずに来ました。でも、今回の件に彼とアヤカシが関わっているという事であれば、そうも言っていられないでしょう。…決着をつけなくてはなりません。
 犯人も皆さんのおかげで解った。…皆さん。私からの依頼を受けては頂けないでしょうか?」
 そう言って、彼女は頭を下げた。
「母上」
 息子を手で制してサフィーラは言う。
「皆さんの手で逃亡した彼を、見つけ捕えて下さい。
 可能なら生かして捕えて欲しいですが、最悪の場合があっても構いません。
 アヤカシの介入があるとしたら、生かしての捕縛も難しいかもしれませんから。
 何かあっても責任は我々がとります」
 サフィーラの言葉に決心したようにグレイスも頷いた。
 キャラバンの人間を操って逃亡したことを考えると、アヤカシに憑依されたり操られている可能性は十二分にある。
 後にこの依頼が正式にギルドに出された時には、リーガの町外れで行方不明になったキャラバンがいくつかあったという。
 急がなくては。
 開拓者達は依頼と真実を見つめ、その拳を握りしめた。


 闇の中で声がする。
『お前の最期の願い、かなえてやるさ…。あの男との約束でもある。グレフスカス家に滅びを…』
 昏いその声に応える者はいない。


■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303
19歳・女・陰
龍牙・流陰(ia0556
19歳・男・サ
フレイ(ia6688
24歳・女・サ
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
クルーヴ・オークウッド(ib0860
15歳・男・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629
17歳・男・吟
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
わがし(ib8020
18歳・男・吟
紫乃宮・夕璃(ib9765
20歳・女・武


■リプレイ本文

●過去と未来
 南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスは現在のジルベリアにおいて低くない位置に立つ貴族である。
 皇帝の信任も厚く、戦乱に荒廃した南部辺境を立て直した実力は誰しもが認めるところであった。
 だが彼は不思議な程、光の中に出てこない。ただ職務に向かい続ける日々。
 一途な愛を向ける開拓者もいた。
 しかし頑なにそれらから背を向けてきた男。
 彼は一つの過去を、後悔を背負い続けていた…。

(それが辺境伯の背負い続けてきた過去、ですか)
 グレイスとその義姉リィエータの話を聞いていた龍牙・流陰(ia0556)は心の中で静かに呟いた。
 兄嫁であるリィエータに思いを寄せ、兄を苦しめ結果、出奔においやったという事実。
 話を聞く開拓者達も今は沈黙している。
 それぞれが、それぞれに心の中で今聞いた話を噛みしめているのだろう。
「真実を話して頂けたこと、嬉しく思います」
 わがし(ib8020)が丁寧にお辞儀をしてグレイスを見た。
「物語と言うのはすれ違いで歌い継がれるもの。歌い手はせめて、登場人物を雄弁に語りましょう。そこの想いは違わぬよう」
 グレイスは秘密を明かして晴れ晴れ、という顔は勿論していない。
 唇を噛みしめて己の行動に悩む顔だ。微かに下を向いてさえいる。
 おそらく今回のような事が無ければグレイスが自らこの真実を語ることはなかったのだろう。
 本人の事以上に義姉であるリィエータの名誉に関わる話。
 母サフィーラが言ったように潔白を知るのは互いだけ。証明せよと言われてできる話ではないのだから。
(バカバカしい!)
 そんな辺境伯の態度にウルシュテッド(ib5445)は明らかな苛立ちを隠さなかった。
 ちらりと横目で姪とさらにその向こうにいる女性を見た。
 フェンリエッタ(ib0018)とフレイ(ia6688)。
 彼女らはどんな思いでこの話を聞いたのだろうか。と
「グレイス様」
 フェンリエッタは一歩進み出ると深く、わがしのそれよりもさらに深くグレイスとリィエータにお辞儀をした。
「心の痛みを言葉にするのは尚つらい事。
 勇気をもって話してくれたリィエータさんとグレイス様を私は尊敬します」
 フェンリエッタの言葉にグレイスの肩と顔が微かに上がった。
 己の行為に尊敬と言う言葉が出るとは思わなかった、という顔だ。
「でも…」
 彼女はグレイスに向かって一歩進み出て静かに言葉を続ける。
「皆さんは今まで、心から幸せでしたか?
 こんな事が無ければ沈黙のまま贖罪を続けたかもしれない。
 ヴィスナー卿の本心を知ってさえ変わらずに…では誰なら貴方を許せるの?」
 フェンリエッタが言うとおり、現時点で出奔したグレイスの兄、ヴィスナーのその後の消息は判明している。
 天儀で巫女であった女性と出会い、子と家族を設けていた。
 アヤカシから村と家族を守るために斃れたというその最期は決して安らかなものでは無かったかもれないが、彼が遺した遺言と剣は既にグレイスの元に還っている。
 …ヴィスナーは最期の手紙にさえ、一言たりとも弟や妻を責める言葉は残していなかったのである。
 ウルシュテッドが苛立つ思いもそこにある。ギリリと微かに歯を噛む音と共に彼は声を上げた。
「兄の手紙を読んでいなかったのか?
 当の兄すら責めていないのに償いと称し、己の幸福を他人の心ごと切り捨てる。
 それが家族への愛情を遺した兄を貶め、その想いを踏み躙る罪の上塗りだとなぜ気付かない。
 本当に償う気があるなら、さっさと償いなどやめてしまえ」
 グレイスはその言葉と思いに目を伏せる。だがそんな彼にフェンリエッタは笑いかけた。
「グレイス様、貴方の理屈から言えばどんな事情であれ命を手にかけてきた私に生きる資格はないという事。私は命で贖わなくちゃ」
「それは! それは…」
 晴れやかな笑みのフェンリエッタに彼は何を告げるつもりであったのか。
 そこで止まった彼の言葉の代わりに今まで沈黙していたフレイが彼と彼の母サフィーラを見る。
「サフィーラさん。依頼を受諾するわ。例の男の捜索と捕縛に全力を尽くします」
 思う事は山ほどある。でも、今はやるべき事が先。
 そう目で告げるフレイに開拓者達は頷いた。
「僕は行方不明のキャラバンを捜索します。グェスで広範囲を調べた方がいいですからね」
 クルーヴ・オークウッド(ib0860)の提案と共に、開拓者達は思考を事態解決の為の行動に切り替えた。
「他にも協力者を仰ぎましょう。友人などにも協力を仰ぐつもりです。今回に関しては人手がいりますから」
「ギルドにも正式に依頼を出して構いませんね」
「無論です。グレフスカス家は全面的に皆さんに協力も致します。どんなことでもおっしゃって下さい」
「協力をお願いすることもあるかもしれませんが、それは後程…」
 手早く役割を分担して、動き出す開拓者達。
 その途中、ふとフレイが足を止めた。真っ直ぐにグレイスを見つめる。
「思う事、言いたいことはいろいろあるけど後にするわ。でも…一言だけ言わせて」
 一度だけ深呼吸の様に息を吐き、
「貴方が好き。私の思いは変わらないわ」
 告げるとフレイは彼の返事を待たず、部屋を出る。
 そこにはフェンリエッタが立っていた。
 彼女をフレイは強い眼差しで見て、そして微笑んで言う
「裁かれる事の無い己の罪を、自分で何年も何年も責め続けて来たのでしょう…それでも頑張ってきた人はやっぱり報われないとね」
「…ええ」
 フェンリエッタも彼女の思いに応えるように頷く。
 肩を並べ走り出す二人をウルシュテッドは静かに見守り、後を追うのであった。

●ままならない思い
 リーガの街外れ。
「龍牙!」
 その一角で芦屋 璃凛(ia0303)は待ち合わせた人の名を呼んだ。
「芦屋さん」
 駆け寄ってきた流陰は璃凛と彼女の側に影の様に控えるからくりに軽く手を上げた。
「どうでしたか?」
 問う流陰に璃凛の顔は少々うかないものがある。
「消えたキャラバンのことなんやけどな現時点で三つ。小規模のものが多いから総勢で10数人くらいっちゅう感じらしいんやけど、消えたのは殆どふつーの、何の能力も持たない商人らしいんや」
「そうですか…やはり」
 流陰の調べた情報とも合致する。
 荷物の多くを放置して消えたキャラバンの人間達、武器などは失われていたが食料などはそのままであった。
「人間が生きる為には食べ物がいる。人を連れて行ったというのに食べ物を持って行かなかったということは…、それほど長く生かすつもりは無いと言う事なのでは?」
「人間なんて盾かなんかくらいにしか思ってないのかも。人を操る能力を持つアヤカシは時に人に憑依したりすることもあるらしいから」
「10数人の人の盾、ですか。やっかいですね。これ以上敵が人数を増やさないうちになんとかしないと…」
 そして流陰は考える。
「幸い、リーガの街、近辺にはもういないようです。ラスカーニア方面を調べて下さっているクルーヴさん達と合流して、向こうまで到達していない時はリーガとラスカーニアの間に調査範囲を絞っていきましょう」
「解った。ラスカーニアとやらまで急いで行くよって」
「フレイさんやフェンリエッタさん達と合流してきて下っても大丈夫ですよ」
「了解や」
 流陰は潜ませていた相棒穿牙に跨って言う。そして彼は空へと飛び立った。

 今回は人手が足りないとフェンリエッタは思っていた。
 アヤカシ発見の為の調査と実際に起こりうるであろうアヤカシとの戦闘に向けて人手はいくらあっても足りない。
 だから
「アル! 来てくれて…ありがとう」
 駆けつけてくれた親友にフェンリエッタは歓喜に近い声を上げた。
「お礼や挨拶は後にしよう。消えたキャラバンやその男は、まだラスカーニアを通過していないようだ、ということだったね」
 静かに微笑んだアルマ・ムリフェイン(ib3629)にフェンリエッタは頷いた。
 事情と状況を手早く説明する。
「ええ。辺境伯は複数のキャラバンが消えた時点で暫く出発を差し止めるように通告を出しているの。だから、新しい犠牲者はまだ出ていないわ。ラスカーニア方面からも新しいキャラバンは来ていない」
「つまりはリーガからラスカーニアに向かうどこかに彼らが潜んでいる、ということだね?」
「ええ」
 もう一度フェンリエッタは頷く。
「でも、周囲はかなり広い森。こうして人が増えた今でも、全てを捜索することはできないわ。…だから」
 そこまで言いかけた時、頭上を過る二人は羽ばたきに顔を上げた。
 鷲獅鳥と駿龍。二匹の相棒は二人の存在を見止めるとそう遠くないところに舞い降りた。
「茜 ご苦労様」「ゼファー。すぐ戻るわ、待っていて」
 相棒に声をかけて走り寄ってくる二人を、
「フレイさん」
 フェンリエッタとアルマ。二人は迎える。
「配置と用意、できたわ。そっちの方は、どう? あ、こっちは私の友人 紫乃宮・夕璃(ib9765)」
「武僧、紫乃宮・夕璃。友誼により参りました。よろしくお願いいたします」
「ありがとうございます。叔父様が間もなく出発できると言ってきました。こちらも協力に駆けつけてくれた仲間です」
「アルマだよ。よろしく」
 彼らは軽く挨拶をして情報を交換する。
 依頼を受けた仲間達の総力調査でどの町にも『彼ら』がいないことは判明している。
 今はその調査は町の外に拡大していて『いない』と判明した場所は縮まっているのだ。
「この人数では細かく絞りきれない。だから、彼の作戦を支持するわ。上手くいかなかったら改めて調査をし直せばいい」
 フレイの言葉にフェンリエッタは頷く。見つからないのなら出て来て貰えばいいのだ。
「形振り構わぬ命懸けの復讐。地位財産名誉、命や未来の可能性…全ての破滅。キャラバンを襲う事が手駒の入手にしても、他の理由にしても…餌が少なくなった今の状況なら釣れるかもしれません。危険かもしれませんが」
「…了解。直ぐに駆けつけるから」
 視線を交わし合うと二人は小さく微笑みあい、そしてそれぞれに動き出す。フレイと夕璃。二人が空に舞ったのを確認してフェンリエッタとアルマも自分達の相棒に跨る。
「お願い。パルフェ。行きましょう。アル」
「うん」
 アルマも霊騎 プロメスの背を叩いた。
「…アヤカシの好きそうな歌だ。…どうするのかな」
 小さく友の背中を見ながら呟く。
 人の心、思い。
 自分のものであっても一人のものではない、ままならない力。
 だからこそ…問わなくてはならない。彼本人に。
「行こう!」
 手綱を叩いて彼らは目的に向かって駆け抜けた。

●襲撃者の先
 薄暗くなりかけた夕暮れ
 空を飛ぶウルシュテッドの顔は不機嫌であった。
 彼の眼下には一台の馬車が見える。計画は予定通りだ。
「…あいつめ」
 苛立ち混じりの声は馬車に向けられている。
 馬車の中にいるのは護衛対象であるオーシニィとリィエータ。
 オーシニィは
「君の役目は母親を護る事だ。悪意は君らに向かってる。何か感じたらジルに相談してくれ」
 ウルシュテッドの言葉に真剣以上の眼差しで
「はい!」
 と答えていた。危険を承知で提案を呑んでくれた二人にいう事は無い。
 そして、二人を守る為に駆けつけてくれたジルベールと狼 宵星。彼らにも不満などあろう筈がない。
 ただ、それでも彼は馬車を睨みつける。まさにその時であった。
 馬車が動きを止めた。
「ウルシュテッドさん」
 側を駿龍ようがしで飛んでいたわがしが声をかけた。
 既に、同じように空を飛んでいたクルーヴは地上に急降下、敵と向かい合っている。
「ああ!」
 預かった狼煙銃を高く打ち上げると、ウルシュテッドも
「ヴァンデルン。地上に降りたら側で援護だ」
 わがしらと共に降り立つのであった。

 襲撃してきたのは武器を構えた男が数名。
 そして甲高い怪音波をまき散らす鬼蝙蝠が数匹。
「アヤカシも、一緒とは…!」
 剣を構えたクルーヴは鬼蝙蝠に向けて剣を閃かせる。人と違って遠慮は無用。
 大柄な割には素早い蝙蝠は直撃を避けるようにひらりと躱すが、その羽根はクルーヴの攻撃に捕えられる。
『ギャアアア!』
 不快な響きが脳を捕えるが
「その魂はここにあります。愛しき者を守る鋼の魂が!」
 わがしの調べが折れそうな心を奮い立たせる。微かに鈍った動きを見逃さずクルーヴは蝙蝠を今度こそ袈裟懸けにした。
「大丈夫か!?」
 駆け寄ってくる璃凛に
「大丈夫です。ありがとう」
 とクルーヴは笑って見せる。実際に怪我はしていなかったからだ。
 街道を行く幌馬車の前に奇声を上げた男達が奇襲を仕掛けてきたのはほんの数刻前の事である。
 徒歩で同行していたのはからくりの遠雷を連れた璃凛のみ。
 しかし、襲撃してきた最初の攻撃を二人の御者が退けて後は、戦馬と霊騎で駆けつけてきたフェンリエッタとアルマが敵と向かい合う。
「ジルベールさんは二人の側に!」
「解った!」
「シャオに任せて下さい」
 幌馬車の中にいる二人を庇うようにジルベールと宵星は武器を構える。彼等は護衛とサポートに専念する。
「僕も…」
 護衛対象の一人、騎士の少年オーシニィは共に戦いたいと武器を握りかけるが、
(君の役目は母親を護る事だ)
 ウルシュテッドの言葉を思い出し、母をその背に庇う。その様子に微笑みながら宵星は目を閉じた。
 瘴索結界…。蝙蝠アヤカシの反応のさらに先に大きな瘴気の反応がある。
「森の奥に…大きなアヤカシの気配が!」
 宵星の声を聴いたと同時アルマはフェンリエッタと刃を交わしていた襲撃者に向けて夜の子守歌を歌った。
 崩れ落ちるように二人が地面に倒れる。武器を取り上げて縛り上げようとするアルマをさらに別の襲撃者が襲いかかる。
「大丈夫か?」
 アルマを狙う敵を昏倒させたのはウルシュテッドであった。
「ありがとう。大丈夫。でも…」
 頷くアルマはフェンリエッタを見た。まだ、敵は多いが…
「森の奥に奴がいる。行って!」
「ありがとう! パルフェ!」
 戦馬が地面を蹴り、襲撃者たちの頭上を飛び越えたと同時、
「フレイさん! 夕璃さん!」
 二陣の風もまた森の奥へと吹き抜けていった。

●捕えられた男
 街道の襲撃地点から離れるにしたがって周囲の様子は地獄絵図と化して行く。
 武器を持った人間が襲いかかってくるのはまだいい。
 夕璃の一喝で動きが止まったところで意識を刈り取ればいい。
 だが、奥に行くに従い「死体」が目につく。
 恐怖に歪んだ顔で死んでいった人間の重なり倒れたその奥に、その『男』は立っていた。
 痩せこけた頬。骨ばった身体。眼と指輪だけがギラギラと光っている。
「フレイ」
 夕璃の呼び声にフレイは頷いた。
 あの『男』を「救う」事は不可能だと見れば解る。それが放つ尋常ではない瘴気はもはや人間の持つモノではない。
「貴方がラスリールの新しいお友達? それとも…?」
 フェンリエッタが鎌をかけるが『男』はニヤニヤ笑うのみだ。
 周囲に斃れた犠牲者たちと共にもう、救えないのだと解るのだ。それでも
「それでも…必ず生きて捕らえたい」
 誓う様にフレイは言う。
(死んでもやむを得ないっていうのは、私達への配慮。口封じが疑われるような事態にはさせない)
『男』であったアヤカシはニヤリと笑ってこちらを見ている。周囲に舞い飛ぶ鬼蝙蝠の群れが彼の背後や周囲を守る様に飛ぶ。
 ちらりと後ろを見やり小さく笑うとフレイはその只中へと飛び込んで行った。
「私が相手よ! かかってらっしゃい!」
 フレイの気合が込められた咆哮が大地を震わせる。蝙蝠達はフレイに引き寄せられるように近付き、そして屠られていく。
 そのタイミングに合わせてフェンリエッタの戦馬が大きく空へと踏み切った。
 空中から『男』の懐に突撃に近い勢いで踏み込む。
 同時に夕璃も地上から天狗駆で『男』に肉薄しようとする。
 当然『男』はそれを回避しようと試みた。慌てて剣を抜き、牽制を試みようとした。
 しかし
「逃がしませんよ」
『男』の身体はそれを既に許さなかった。
 静かな声がして初めて『男』は自分の腹に刃が撃ち込まれていたことに気付いたのだ。それは峰打ちであったけれど、まだ人としての形骸をしていた身体はがくりと崩れかけている。
 踏み込んだフェンリエッタによって足の腱を切られ、夕璃が武器を取り上げることに成功したのはそれからすぐの事であった。
「皆さんが前に進みたいと願った時に望んだ道に進めるように、その妨害をするものを取り除く…それが僕の役割です」
 今まで完全に気配を消し、伏兵に徹していた流陰はフレイが敵を引き付けている隙に相棒穿牙で逃亡の先を塞ぎ、このチャンスを狙っていたのだ。
『き・貴様ら…』
 組み伏せられた男はここで初めて荒い声を上げた。
 人間のとは違う声音に夕璃はアヤカシの憑依を確信し猿轡を噛ませると『心悸喝破』を試みようとする。…が
「ちょっとまったあ!」
 場に響く声に動きを止めた。
「芦屋…さんと…」
 駆け寄って来た璃凛をフェンリエッタは見た。
 彼女の背後にはアルマやウルシュテッド、わがし、クルーヴらがいる。
 襲撃者との戦闘をひと段落させて来たのだろう。彼らの援護を得てフレイも引き付けていた鬼蝙蝠の群れを殲滅させたようだった。
 彼らと共にやって来た人物にフェンリエッタは目を見開く。
「グレイス様」
 ジルベールと一緒に御者に扮し戦っていたのは…南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスであったのだという。
「皆さんに感謝します。彼を生かして捕えてくれたことを…」
 グレイスは深く頭を下げた。
 囮としてオーシニィ達を使う作戦を聞いた時、彼はオーシニィ達にも告げず密かに御者して同行していたらしい。
 ウルシュテッドは知っていたのか苦い顔をしている。
「…あ、それで止めたのはなぜ?」
 夕璃の問いに璃凛は答えた。彼女は陰陽寮朱雀の寮生でもある。
「憑依された人間は多くの場合憑依された時点で死んどるんよ。同化、とか操られたくらいなら解放される可能性もあるんやけど、この場合は…もう無理やろ」 
 周囲を見て璃凛は拳を握りしめる。行方不明になったキャラバンのうち護衛や戦える者は開拓者への肉の壁として使われ、残りは『喰われて』いる。
「もしアヤカシの介入を証明する為に生かして捕えたのなら、術かけるのは他の人らの前でないと…」
「その場で死んでしまう、ですか…。アヤカシというのは…本当に」
 苦しげにクルーヴが呟く。
「指輪はどう? 壊してもいいかな? かなり瘴気に溢れてるみたいだけど」
「二択やと思う。この指輪がアヤカシの本体か、それとも触媒か。万が一を思うなら触れない方がええかも?」
「では、このままジェレゾに搬送しましょう。夕璃さん、皆さん、申し訳ありませんがもう少しお付き合い下さい」
 グレイスの言葉に夕璃は頷き、開拓者達も従った。
 襲撃に使われた者達は全員生存していた。幸い馬車もあるから乗せて行けばいい。
 ジェレゾに向かって動き出す開拓者達。
「辺境伯」
 その帰路、わがしがグレイスを呼び止めた。
「愛と言うのは形が無い物です。貴方からの感情だけではないはずです
 周りを見るというのも良いかも知れません。後悔と贖罪に生きるのなら、それは死んで良い物のはずですから」
「思いは一人の物じゃないから、傷付け合いもするけど。一人の物じゃないから、温かくもなるんじゃないかな。
 元の、貴方の願いは何だっただろう?」
 アルマもグレイスに問う。戦いの結果と開拓者。そして何よりその中に立つ親友を見て。
「これを見た上で貴方達の答えは。隣に立つ人を、信じて向き合える?」
 結果で言えばアルマの『質問』に答えは返らなかった。
 ただ、グレイスは静かに顔を上げ答えた。
「私は私として歩いて行きます」
 と。
 今まで見た事の無い様な晴れやかな顔で微笑んで。

 その後、アヤカシに憑依された貴族によるキャラバン大量殺人は晩秋の大事件としてジルベリアを駆け抜けていった。