【朱雀】ある日【新人歓迎】
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 易しい
参加人数: 16人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/10/21 20:26



■オープニング本文

 それは、奇跡の様に穏やかな秋のある一日。
 開拓者ギルドにはこんな張り紙が出されていた。

「ただ今、陰陽寮一般開放中。
 飾らない陰陽寮の一日を覗いてみませんか?」

 一年生が進級論文を提出し終え、二年生の卒業研究発表会が終了し、三年生が卒業試験として課された遺跡探索に出発する前のある日。
 二年生と一年生は三年生の招集を受けて講堂に集まっていた。
 何事かという顔の一年生。二年生はもしかしたらと思い当ることがあるようであったが黙って話を聞く体勢であった。
「急で悪いのですが、委員会交換会を行います」
「委員会交換会?」
 一年生にはなじみのない言葉であるが、二年生には覚えがあるので説明を補足する。
 次年度に向けて自分の所属する委員会を決める為に、他の委員会を見学する会である、と。
「そうよ。みんなも進級試験を失敗前提では受けていないでしょ? だから合格して後、進級した後の事をそろそろ考えて欲しいのよ。
 来年私達が卒業した後は進級したみんなが委員会を、朱雀寮を支えていくことになるんだから。
 特に来年度は表立っての一年生の募集が無いから本当にみんなが主となって委員会を支えて頂かないと長年続いてきた委員会活動と言う朱雀寮の伝統が消えてしまう事になるわ」
 そう語る調理委員長の言葉は少し寂しげで、二年生は互いに顔を見合わせながら静かに話しを聞く。
「委員会は基本一年交代なので、希望があれば今年の委員会から、別の委員会に代わってもかまいません。ただ二年、一年は人数が少ないので希望によっては委員会に空きが出てしまう事もあるかもしれませんが…まあそれは仕方のないことです。
 ただ、二年生の特に副委員長の称号を持っている人は原則委員会を動かないで頂きたいと思います。
 皆さんが一年の時に話した通り陰陽寮朱雀の委員会活動に置いて委員長は三年生が、副委員長は二年生が担当することになっていて原則として一年時、その委員会に所属した者の中から副委員長は選ばれることになっていますから」
 それと同じく二年間務めた者がいない場合を除いて委員長は同じ委員会に三年間務めた者がなることになっていますから」
 そこまで用具委員長が続けて後、体育委員長が前に立つ。
「悪いが、今回、三年生は委員会交換会については口を出さない事になるだろう。勿論手助けとか助言はするが俺達は通常業務に専念する。
 卒業試験の準備も忙しくてな。ほぼ交換会が終わった直後に出発なんだ」
 三年生は今年、卒業試験として魔の森の奥にある遺跡の探索を命じられていると言う。
 軽い口調で言っているが、かなり困難な課題であろうことは解っている。
「図書委員会は現在、副委員長が不在ですが二年生が二人いますので今回、話し合ってどちらが委員長になるのか正式に決めて下さいね」
「委員会活動の内容も二年生に任せる。と言っても年度末の通常委員会業務ということになるだろうけどな。
 その合間を見て希望者は他の委員会を見学してくれ」
 図書委員長の言葉を再度体育委員長が引き継いで、三年生達は後輩を見た。
「あとね」
 今まで黙っていた三年生主席が
「暫くの間、委員会活動の期間中は陰陽寮に興味のある人は見学自由、ってギルドに張り紙を出すみたい。
 表立った入寮試験はしないけど、陰陽寮に入りたいっていう人は受け入れるつもりらしいから、一般の人や入寮希望の人が見学に来たら優しくしてあげてね。
 あ、勿論知人、友人を誘ってもいいよ」
 ニッコリ笑って片目を閉じる。
「私達はもうすぐ卒業。卒業試験を失敗するつもりなんて勿論無いから。そして私達が卒業したらそれからは皆が朱雀寮を支え、作って行くの。
 私達がそうであったように自分で考えて自分達が目指し、望む陰陽寮朱雀を作って行ってほしいな。これは、そのはじめの一歩だから」
 そして最後に今まで沈黙を守っていた保健委員長が静かに告げる。
「失敗も、成功もそれを糧にできれば無意味なものではありません。肝心なのはどう生かすか。私達の後に皆さんが続いてくれるのを、その姿を見せてくれるのを、私達は待っていますよ」
 
 そうして三年生達から贈られたエールを胸に二年生、一年生達はそれぞれ立って未来を見つめた。
 もうあと僅かに迫る『その時』を…。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 蒼詠(ia0827) / 玉櫛・静音(ia0872) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 雅楽川 陽向(ib3352) / 比良坂 魅緒(ib7222) / ユイス(ib9655) / ネメシス・イェーガー(ic1203


■リプレイ本文

●秋の「ある日」
 その日、一人のからくりが朱雀寮の門を潜った。
 一瞬立ち止まり…大きな朱塗りの門を見上げそして、歩き出す。
 ゆっくりと、前を向いて…。

 一歩、台所に入った比良坂 魅緒(ib7222)は目の前の光景に思わず声を上げる。
 栗、梨、さつまいも、林檎、キノコ、小豆。…糯米とうるち米は新米だろうか。そして太くぴかぴかと背中が光るサンマ、そして大きな鮭。
「なんだ? これは?」
「うわ〜。凄い。これ、どうしたんですか?」
 感心したように声を上げる後輩達に真名(ib1222)は何やら書き物の手を止め嬉しそうに笑って見せた。
「あ、魅緒、彼方。いらっしゃい。待っていたのよ。
 それは、町の商店街の人が持ってきてくれたのよ。この間の秋祭りのお礼ってね。凄いでしょ」
 微笑む真名の前で魅緒がおそるおそると言った顔で秋刀魚に指で触れる。
 プルンと指を弾く様に身が揺れる。
「サンマというものはこれほどまでに大きく、光るものなのか? まるで太刀の身のようだ」
「まあ秋刀魚って書くくらいだものね。でも、ここまで大きいのは滅多にないわよね。鮭もイクラがいっぱい入っているの。
 ホント商店街の人も随分と頑張ってくれたと思うわ」
 そして、真名は後輩達の方を見た。
「今日の夕食は、これを使っての秋尽くし。さて、次期委員長。副委員長? これをどう料理しますか?」
「えっ? 僕、ですか?」
「妾も、考えよ、と?」
 二人の後輩達は顔を見合わせている。見事な食材の前で視線が泳いている。
「塩焼き! 秋刀魚は絶対塩焼きがええよ!」
 その時後ろから明るく元気な声がする。
「…陽向。どうした?」
 振り向いた魅緒は、そこにいた友に柔らかい笑顔を向ける。
「おじゃまします。ええ匂いがしたもんでつい。ついでに魅緒さんを委員会交換会に誘おう思うてな」
「ああ、そうか。今日は他所の委員会を見に行ってもいい日であると言うていたか…」
 照れたように笑い、頷きながら雅楽川 陽向(ib3352)は台所にそっと入ってくるとうっとりするような目で並ぶ食材を見た。
「こんな太い秋刀魚なら絶対塩焼きがお勧めやな。あっつあつの秋刀魚に大根おろしいっぱいかけてしょうゆをじゅっとかける。軽く柚子でもかければきっともう言う事無しや」
「かなり新鮮な秋刀魚ですね。身も太いし、刺身も行けそうなきがしますが…」
「ああ、刺身もええね。味付けしたから揚げとかもいけるやろうけど…やっぱりこれはシンプルに素材の味を生かした方がええと思うんやけど…」
「確かにね」
 くすくすと真名は笑っていた。
「鮭はね火を通すと割と早く固くなってしまうの。だから衣をつけると柔らかく仕上がる事が多いの。衣を薄く着けて焼くムニエルという料理方法もあるわ。ジルベリアの手法だけどね。梨はソースに使うとさっぱりしておいしいわよ」
「梨のソース! 想像がつかんわ。美味しそう!」
 食べることが大好きで
「食べ物は、人生の基本」
 が合言葉という陽向の幸せそうな笑顔は、見ているこちらも幸せな気分になる。
調理委員もけっこう向いていたのではないかと良く思うのだ。
「なるほど。なら栗はシンプルに甘煮か渋皮煮。さつまいもはふかしたままが美味しいであろうが、ここは芋餡作って餅団子と絡めてみるか。丁度小豆もある」
「あ! ええね。それ。凄くええと思う」
「林檎も半分はそのまま出して、残り半分は甘く似てみましょうか。梨はそのままか、酢の物にちょっと入れてみて、キノコは…やっぱりキノコごはんがいいと思います」
「いいわね。その調子でドンドン考えて、皆で下ごしらえしましょ。
 終わったら他所の委員会に興味がある人は行ってきていいわ」
「先輩。うちも手伝ってええ?」
「勿論。お願い。あ、でも手はちゃんと洗ってね」
「はーい!」
 そして
「あ、そこはこうした方がいいわよ?」
「先輩。こちらはどうですか?」
「えーとどれどれ…ちょっと味見せてね。うん、こんなものじゃないかしら。いい感じよ」
 賑やかになった朱雀寮の台所には、やがて明るい笑顔と、いい匂いが広がって行くのであった。

●変わるものと変わらないもの
 夏の頃に比べると秋の日差しは穏やかで優しい。
 風も今日は殆ど無いようだ。
「先輩。この本はこちらに並べておけばいいですか?」
 窓辺で目を細めて外を見ていた俳沢折々(ia0401)は自分を呼ぶ後輩、ユイス(ib9655)の呼び声に顔を向けうん、と頷いた。
「そう。その木陰の台の上に並べておいて」
 本を扱う手つきも堂に入ったもの。
 テキパキと動き、手際よく本を並べる後輩の姿を、折々は嬉しそうに見つめていた。
 本の虫干しはユイスに任せることにして、折々は図書室の蔵書整理をする為に本棚の中を歩いている。
「随分本が増えたよねえ」
 そう呟く声には微かに何かが滲む。
 二年、三年の特別書庫もあるが、ここ一年生の書庫は閲覧資格のいらない場所なので一番広く、蔵書数も多い。
 寮生、陰陽寮関係者は勿論、ごくまれに開拓者や外部の人も本を借りにやってくる。
 以前は専門書が多く、今もそれは変わらないが三年生が入寮してから本の種類は確実に増え、バラエティに富んでいる。
 料理の本や絵草子、紙芝居。楽譜や音楽の手引書もあるのだ。一年、二年、三年生が希望して揃えた本が多い。
「朱雀寮、そして陰陽四寮も少しずつ変わっていくね」
 本棚から一冊、折々は本を取り出した。
 薄い書物は笛の楽譜。それをそっと撫でながら折々は独り言のように呟いていた。
「陰干し終わりました」
 窓の外からユイスの声がする。
「早かったね」
 折々は顔を上げて外を見た。見ればユイスは一人では無い。
「陽向さんや魅緒さんが手伝ってくれたので…」
 どうやら仲間の一年生が委員会巡りに誘いに来たようだ。
「ご苦労様。じゃあ、興味がある委員会回ってきていいよ。夕方、本を取り込む頃には戻って来てね。
 夕ご飯は食堂で皆で食べよう!」
「はい。行ってきます!」
 一年生達は楽しそうに肩を並べて歩いて行く。
 思えば、自分達も一年前、二年前、ああだった。
 あの頃いた先輩はいなくなり、自分達が先輩になり…そして間もなくここからいなくなる…。
「人も、やり方も、その有様も、なにもかもが少しずつ変わっていって、来年も、その次の年も、今とはまた別の朱雀寮になるんだろうなー」
 感慨深げに折々は目を伏せる。笛の本を彼女はそっと開く。
「……だけど、そこにはきっと変わらないものもあって…」
 彼女は少しして顔を上げると本を閉じると本棚にしまう。
 そして、いつも通り席につき自分の仕事、図書委員の変わらない仕事を続けるのであった。

●未来へ向かう心
「ようこそ、保健委員会へ。保健委員会委員長 玉櫛・静音(ia0872)です」
 やってきた一年生達を静音は柔らかい笑顔と共に迎えた。
 保健委員会は三年生四人を擁する大所帯。
 委員長の横で瀬崎 静乃(ia4468)、泉宮 紫乃(ia9951)、尾花朔(ib1268)と先輩達も微笑んでいる。
「よろしくお願いします」
 元気よく頭を下げた陽向であったが
「あれ?」
 そのうちの一人の表情が冴えないことに気が付く。
「先輩、どうしたん?」
 二年生であり副委員長である蒼詠(ia0827)には明らかに元気がない。
「風邪でも引いたんか? 顔色悪いで?」
 心配するように顔を覗き込む陽向に
「大丈夫ですよ」
 声をかけたのは静音であった。俯く蒼詠の肩にそっと手を置いて。
「今日は皆さん、まず薬草園の手入れを手伝って頂けますでしょうか? それから簡単な薬草の調合や手当の仕方をお教えしますね」
 仲間達に向けた静音の視線に、静乃は黙って小さく頷いた。紫乃も何かを察したようだ。
「…手分けして、薬草園の掃除と…草むしり。冬に備えた肥料の補充…手伝って欲しい」
「冬に向けて、木々などに冬越えの為の準備をしないといけません。解らないことはお教えしますので、手伝って下さいね」
「はーい!」「はい」「解った」
 元気よく手を上げた陽向にユイスと魅緒も続く様に頷き、先輩の促しに従う。
「では、行ってきます」
 静乃と紫乃が一年生を連れ出し、朔は
「ちょっと出てきます。図書室と調理委員会に。すぐ戻りますので」
 一礼して部屋を出て、保健室は静音と蒼詠の二人だけになった。
「さて、仕事を始めましょうか…、まずはいつものように薬草の分類と、整理、調合の仕方から…」
「…はい」
 いつも通りの優しい笑顔の保健委員長。
 蒼詠はその顔を見ることが出来ず、俯いたまま顔を上げることなく、ただひたすらに仕事を続けていた。

 保健委員会の仕事は地味に沢山ある。
 傷ついた人の手当てを行うのは仕事の中心であってもいつもある事では無い。
 薬を作り、道具を揃え、手当ての知識を学び。
 保健委員の主たる仕事はいつか来る「その時」の為に準備を整えておくことなのだ。
 その仕事の大切さは解っている。
 だからこそ…
(……僕はもう、進級出来ないかもしれませんね…委員長になる資格なんて……)
 蒼詠は打ちひしがれていた。共にいる相棒翡翠は主のあまりの落ち込みように声をかける隙が無かった。
「蒼詠」
「はい!」
 自分を呼ぶ委員長の声に彼は顔を上げた。
 委員長は何も変わらない様子で
「こっちの棚は傷の手当て用の薬草です。そちらは内服薬。薬の種類も覚えなくてはならないこともまだまだあります。しっかり覚えて下さいね」
 優しく教えてくれる。蒼詠はそれに従っていたが
「焦る必要はありません、まだ時間はありますから…」
 そう言われた瞬間、顔にカッと熱が集まった気がした。
「先輩!」
「なんですか?」
「僕は…僕は…三年生になれないかもしれません。次期委員長になる資格など…もう…」
 肩を震わせる蒼詠を静音はじっと見つめていた。
「…話は聞いています。誰にでも事情はあり、どうしようもない事が起きることはあります。そのことを責めるつもりはありませんよ」
 蒼詠が落ち込み、静音が言うのは二年生の進級試験、進級論文発表会に蒼詠が欠席をしたこと。
 五行重鎮の前での発表会に欠席する。進級に関して蒼詠は少なくないペナルティを負ってしまったことは間違いない。
「……委員長にも、瀬崎先輩、藤村先輩、尾花先輩にも顔向け出来ません」
 言葉に後悔が滲み、その手は震えが止まらない。静音はそんな蒼詠を見つめた。
「そうですね」
 静音の言葉に俯いたままの蒼詠。だが、彼はふと顔を上げた。
 自分の手に重ねられた静音の手が蒼詠をそっと包み込んだ。
「でも、世の中に本当に取り返しのつかないことはそう多くありません。貴方はこうして生きている。そして後悔している。なら、大丈夫。まだ『とりかえしのつかないこと』ではありません」
「委員長…」
「人は過ちを繰り返して生きる者。大きな過ちに目の前が真っ暗になることは誰しもあります。でも…」
 静音は蒼詠の手を強く握る。
「そこで立ち止まるか、傷つき足を止めてしまうかで未来は大きく変わります。
 傷も、失敗も、後悔も、喜びも悲しみも、全て受け止め、自分の血肉にして前に進むこと。それができるなら例え一時足を止めることになったとしても、それは貴方を成長させる大きな力になるでしょう」
「…先輩」
 蒼詠は静音を見た。優しいが、優しいだけでは無い保健委員長。
 その言葉の一言一言が掌と眼差しを通し、心に、身体に沁みこんでいくようであった。
 やがてそっと手を放した静音は「先輩」の顔で蒼詠に向かい合う。
「寮長から伝言を預かっています。後で部屋に来るようにと。行きなさい」
「はい」
 蒼詠は立ち上がって目元をぬぐった。いつの間にか涙が溢れていたようだ。
「失礼します」
 立ち上がり扉を開け、一礼した蒼詠を
「待って下さい」
 静音は呼び止めた。
「はい」
「来年からの朱雀寮。楽しみにしていますよ。がんばって下さいね」
 微かな逡巡の後、それでも顔を上げて蒼詠は頷いた。
「はい!!」
 廊下を遠ざかって行く足音を聞きながら静音は目を閉じた。
 後輩の気持ちを確かめた今、残していく事に不安は何もない。
「先輩たちもこういった気持ちだったのでしょうか…」
 かつての先輩達の顔がまぶたの裏に浮かぶ。
「そうだと…嬉しいですね」
 そう言った静音の微笑みはかつての先輩達と同じ優しさと温かさを湛えていた。

 秋晴れの中、身体を動かすとじんわりと汗が滲んでくる。
 ふう、と腰を伸ばしながら陽向は、保健室の方を見た。
 魅緒やユイス。一年生達も蒼詠の事情はなんとなく耳にしていた。だから心配だったのだ。
「蒼詠先輩、大丈夫やろか」
「静音さんに任せておけば大丈夫ですよ。心配しないで」
 紫乃の横で静乃がこくこくと頷く。
「あなた達は一人ではありませんから。困った事があれば先生方や友人に相談したり図書館で調べたり方法は沢山あります。
 ゆっくりで良いんですよ」
 もう一度、静乃がこくこくと頷いた。
「…そうだな」
 自分の横を、前を、周りを見て魅緒は微笑む。
 彼女の言葉は実感できる。今、草木に自分が与えた水の様に心に沁みこんでいく。
「まだ、我々には時間がある…な」
「皆と一緒に少しずつ、進んで行けたらいいね」
 ユイスも頷いた。
「みなさん、仕事に区切りがついたら、休憩しませんか?」
 朔が仲間達にそう声をかけた。彼の手には大きな盆が用意されている。
「わ〜い。お茶や、一服や、休憩や。先輩。ええ匂いがするけどお茶請けはなに?」
「温かい緑茶と栗鹿の子です。調理委員会から少し材料を分けて頂きまして。休む時間も大切ですよ」
「やった!」
 濡れた布巾で手を拭い、さっそく一つを頬張る陽向は幸せの声を上げた。
「おいしい!! 栗がおっきくて甘くて。中はサツマイモ餡や、甘さ控えめでふんわりしとる。栗と交じり合うと…う〜〜ん、最高や」
「このお茶も美味しいですね。薬草茶ですか?」
「そうですよ。医食同源ということばもありますし、美味しく食べる事は何より健康的ですからね」
「先輩が持っているのは薬草茶のレシピ…ですよね?」
「ええ。陰陽寮でいろいろ試して好評であったものを書き記してあるんです。こっちは、季節ごとに楽しめる、体に優しい料理レシピ」
「良ければ、それ図書室にも残して頂けませんでしょうか?」
「えっ? まあ、いいですが…」
「ありがとうございます!」
「しかし、陰陽寮の図書室に残すというのは…少し照れますね」
「でも…ステキだと思いますよ。その味が本を読んだ人に伝わって行くんですから」
「うん、この味、また食べたいと思うし」
「ふむ、ならば妾も読ませて貰って覚えるとするか」
 外でのお茶には少し、寒い季節になっている。
 でも、寮生達の間に溢れるぬくもりは寒さなど感じさせないようであった。
 
●大きな背中 
 中庭の一角に運動場を兼ねた小さな広場がある。
 秋晴れの空の下、そこにも今日は元気な声が響いていた。
「璃〜凛!! 行くなりよ!! 用意はいいなりか?」
「はい! 先輩!!」
 大きく手を回し、屈伸。準備運動をしている平野 譲治(ia5226)の側に芦屋 璃凛
ia0303)は駆け寄った。
 一緒に腕と背筋を伸ばし、足を曲げて。
「…!短距離走っ! しようなのだっ! 全力で行くなりよっ!」
「はい!!」
 身体の筋肉を曲げ伸ばして二人は位置に着く。
「どっちも頑張れ!!!」
 明るい声で芝生の上に座った陽向が応援の手を振っていた。
「位置について!」
 体育委員長 劫光(ia9510)が赤い旗を高く上げる。
 二人は両手を地面に付け、高く腰を上げた。
「用意…ドン!!」
 合図と共に二人は正しく、二陣の風の様に広場を駆け抜けて行く。そして
「よっし! おいらの勝ちなりね!」
 嬉しそうに譲治が手を上げる。
「あ〜。また負けた〜〜。先輩のスタートダッシュに叶わんのは悔しいなあ」
「まあ、一年前、二年前に比べれば確かに実力は上がってる。それは確かだ。安心しろ」
 悔しげな璃凛の頭をぽんぽんと、劫光は撫でた。そして
「体育委員会のトレーニングはキツイだろ?」
 芝生の上の一年生二人に声をかけて劫光は笑った。
「よし、じゃあ稽古つけてやるか!」
 と劫光は陽向と魅緒に手加減なく容赦なくいつもどおりにアヤカシの見回りと退治を兼ねたランニングから、組み手まで一通りやって見せた。
 勿論、一年生二人にもやらせて。
「確かに…な。もうバテバテやったで」
 戻って来たばかりの陽向は耳も、尻尾もぐったりと下がっていた程だ。
「でも、それが体育委員会だからな。仲間達を守るために自身を磨く。ハードなトレーニングも毎日繰り返す事で確実に自分の身になるんだ」
 そう鮮やかに言う体育委員長を魅緒も陽向も、そして璃凛も見つめる。眩しそうに。
「ほら、次は組手だ。来い! 璃凛!!」
「はい!!」
 璃凜は跳ねるように劫光の前に立ち、身構える。
 彼女は気付かなかったろう。その姿を実は劫光も眩しいモノとして見つめている事に。
(基礎を欠かさず、二年間付いてきた、璃凛は昔に比べてできるようになったんじゃないかと思う。それでなくとも今年は色々あったしな…勉強する事もあったろ)
「ハッ! ヤアッ!!」
「随分、楽しそうじゃの」
「どうだ、止めるか?」
「まだまだ!!」
 魅緒は劫光の気持ちに気付いているようだった。
 そして、ほんの少し璃凛を羨ましく思う。
 彼にあれだけ認められ、信頼されていることを…。
「よしっ! ここまで!!」
 疲労がピークに達する頃を見計らって劫光は、終了告げた。
「ありがとうございました!!」
 深く頭を下げた璃凛の肩を劫光はすれ違いざま、ぽんと叩く。
「璃凛、後は任せる。俺にできたんだ、お前にもできるさ」
 璃凛は劫光が触れた肩に自分の手を振れると、もう一度、劫光の背に深く、深くお辞儀をしたのだった。
「カッコつけおって」
 肩を竦める魅緒であったが、彼女の目から見ても劫光体育委員長の背中は、強く、大きく見える。
「劫光! おいら、ちょっと出かけて来るなりね! 少しやりたいことがあるなりよ。だからこっちは頼むのだ。後で、桃音が来るっていってたなりからね!」
「解った。任せておけ」
 劫光だけでは無い。
 自らが培ってきたものを、これからを、後輩に託す三年生達の背は誰もが大きく、そして優しかった。

●見守る道具と感謝の心
「用具委員会の仕事は年度末の大掃除です。しっかりと手伝って貰いますよ」
 にっこりと告げる用具委員会委員長 青嵐(ia0508)の元で
「はい」
 と副委員長清心は答え、陽向もその横で尻尾を振った。
 魅緒はそろそろ支度があると調理委員会に戻り、ユイスも保健委員会で薬草レシピを学んだあと図書委員会に帰った。
 用具委員会に参加した一年は魅緒一人だが、代わりに璃凜が手伝いに参加している。
一年生は中の道具で取り扱いや名称の判らないものがあれば積極的に二年生に聞く様にして下さい。
 二年生は答えられるように頑張って下さいね」
 後輩に優しい用具委員長は、だが、やるべきことはしっかりとやらせ、間違ったことは注意する厳しさも持っている。
 だから彼の前では自然に伸びる背中をさらに伸ばして陽向は告げた。
「先輩! うち、ちょっとやりたいことがあるんですけれど」
 陽向の提案の概要書を見て
「いいでしょう。やってみなさい。副委員長、手伝ってあげるように」
「解りました」
 青嵐は笑って頷いた。それは、とても優しい笑みであった。

 用具倉庫の大掃除。
 埃だらけになりながら、すすを払い、はたきをかけ、床を磨き、道具をキレイに整頓した陽向と清心は次の作業に移る。
 陽向が提案した「一覧表 作り」である。
「思っとったんや。この倉庫の中、呪術道具ばっかりやなくて、日用品もいっぱいある。
 ほら今は、なんや仕事の都合で、倉庫から貸し出すとき、一々道具全部聞いてから出さなあかんやろ?
 せやけど、一回体験したったら、これが必要やって、予想つくやん。
 調理委員会は、これ。保健委員会が薬使うのにこれ使う、っちゅうのが。
 作業別に必要なもんを紙とかに記して、一覧表つくるんや。そしてそれは取り出しやすいとこにおいとく。
 一年かけて「どの季節にこれが要る」ってちゅうて微調整していったら、なお良しや♪」
「なるほど。いいアイデアだな」
 頷き、清心は呪術道具と普通のアイテムを並べ分けることにした。陽向が一覧表を作りやすいように、だ。
「なぁ、清心先輩?」
 作業の途中、陽向の呼び声に清心は振り向く。
「なに?」
「入試のとき、うちを案内してくれたん先輩やろ? 先輩はなんで、用具委員会に入ったん?」
「入寮試験…か」
 陽向に問われ、思い出す様に清心は目を閉じた。
 不思議な事に、陽向と会った入寮試験の事も、自分達の入寮試験の事も、そしてその前の事も昨日の事の様に思い出せるのだ。
「…俺は、さ」
 飾らない本音の言葉が出る。
「元は白虎寮にいたんだ。両親は商家で、志体持ちに生まれた俺に期待して甘やかして育てた。そして陰陽寮に入ったけど天才、天才と呼ばれて育った俺なんて陰陽寮の中ではいいところ中の下でしかなかったんだ」
 白虎寮がパワフルな実践陰陽師が多かったこともあり、清心は徐々に馴染めなくなっていった。
 そんな中、図書館で古い書物を見つけた。
 それはアヤカシを自分の配下にする研究で、これこそ自分の力を優秀さを周りに認めさせる方法だと思ってその陰陽師の元に弟子入りしようとした。
 そこに彼方がいたのだ。
「俺は彼方が邪魔に思ってイロイロ悪さをした。でも開拓者に怒って貰えて、彼方に許して貰えて…自分の愚かさに気付いたんだよ。
 その頃丁度白虎寮が修復工事の為休寮になることもあって、彼方と一緒に朱雀寮に入寮しなおした。でも…ちょっと不安で寂しかった。
 用具委員会に入ったのは、ここが実家の蔵とにていたからかなあ」
 清心は恥ずかしそうに頭を掻く。
「でも、今はここに入って良かったと思ってるよ。用具や道具は自分の事を認めて欲しいなんて自己主張しない。静かにそこにあって必要な時、助けてくれる。
 そんな人間に自分もなりたいと思う様になったから…」
「…そっか。先輩も大変やったんやね」
 陽向は頷く。二年生も三年生も、それぞれがそれぞれの過去を抱き、今を生きている。
「それに、ステキな後輩もできたしね」
 片目を閉じた清心に照れたように陽向は頬を赤らめた。下を向く陽向の尻尾は左右に揺れている。
「用具委員会は道具を扱うものです。道具がなければ、どんな優れた陰陽師も大したことはありません。その逆も然り、ですけど」
「「先輩」」
 二人は振り返った。そこには青嵐が佇んでいる。
「道具のような人間になりたい、というのは悪くありませんね。自分一人ではできることに限界がある。力を合わせることで互いの力は何倍にもできる。
 それを、その気持ちを忘れないで下さい」
「「はい!」」
 元気よく答えた二人に頷いて、青嵐は微笑む。
「手が止まっていますよ。璃凛さんを見習って仕事はしっかりお願いします。もうじき暗くなります。早めに仕事を済ませてしまいましょう。
 調理委員会のおいしい夕食が待っているのでしょう?」
「「はい!」」
 そうして二人は仕事に戻る。さっきにも増して真剣な眼差しで。
「先輩おらんようになる分、管理が効率化できたらええかなって思たねん。うちの下、いつ入ってくるか分からんし
 一覧表あったら、しばらく間が空いても、参考資料にはなるやろ」
「そうだね。知らない人が見ても解りやすいように、表の作り方は工夫した方がいいね」
 そんな二人を頼もしげに見つめながら青嵐は
「璃凛さんも区切りがついたら、一緒に夕食に行きましょう」
 璃凜に声をかけ自分の仕事に戻った。
「遠雷、えらく嬉しそうやね」
『後輩だからな、立場が違うとしても』
 そんな璃凛と相棒の声を聴きながら小さく笑い、テーブルの上に広げられた書物や道具を見る。
 卒業試験の準備。
 委員会が終わり、卒業試験が終われば自分達は朱雀寮を後にすることになる。
「長かったような、短かったような。そんな感じですかね」
 言いながら彼はぐるりと倉庫の中を見回した。
 封縛縄や封印壷、他にもたくさんの道具が並んでいる。
 いつか、誰かに使われる日を待って。
「私がここに来る前からあった道具も少なくない。彼らはこれからも長く陰陽寮の寮生達を見つめ、そして守って行くのでしょうね」
 静かに伏せた目が何を思うのか。
 知る者は無い。
 けれど、再び上げられた蒼い瞳に昏い思いや迷いは欠片も浮かぶことは無かったのだった。

 つるべ落としと呼ばれる秋の日は、すでに周囲を薄紫のカーテンで包んでいる。
 すっかり暗くなった倉庫の中に委員長の声がする。
「そろそろ、終わりにしましょうか。璃凛さん、そこの雑巾を洗ってきて下さい」
「解りました」
 桶を手に持って外に出た璃凛は
「あっ」
 小さく声を上げた。
 そこには譲治がいた。廊下を手すりを窓を、小さな体で丁寧に掃除している。
「んっ! 感謝の心忘れずっ! なのだっ!」
 心を込めて磨かれた廊下は飴色の光を放っている。
「…先輩! 手伝います!!」
 璃凛は手に持った雑巾を大きく振って駆け寄って行った。

●終わりの始まり
 夜。周囲は既に漆黒の闇に閉ざされている。
 涼しいと言う言葉も似合わなくなってきた秋の宵。
 しかし、食堂に灯った灯りとその下の笑顔は、そんな涼しさ寒さを吹き飛ばす程明るく、そして鮮やかに輝いていた。
「は〜い。お待たせ。秋刀魚の刺身、タタキ、塩焼き、酢の物の秋の秋刀魚フルコース完成で〜す!! 大根おろしと柚子もあるわよ〜。七輪で焼いてるのでアツアツをどうぞ〜。あとは鮭のムニエルね」
 調理委員会委員長 真名が大きなお盆を運んでくる後ろでは、副委員長である彼方が大きな鍋を持ってきていた。
「白みそでとっぷり煮込んだ鮭のアラの三平汁はいかがですか? 野菜たっぷり、暖まりますよ〜」
 料理が一つ一つテーブルに並ぶたび、おお! と委員会を終えて集まってきた寮生達から歓声が上がる。
「白飯もたくさん焚いてあるが、こちらの土鍋はシメジの炊き込みごはんだ。心して食うがいい。デザートには栗と林檎の甘煮。芋団子。梨もあるので胃袋は開けておけよ」
「開けておきたいけど…その難しいかもしれへんな。う〜ん、どれから、どれだけ食べよ」
 真剣に悩んだ顔の陽向がいる。そんな彼女の顔を笑顔で見つめながら
「いただきま〜〜す!」
 寮生達はそれぞれ料理へと手を伸ばした。
「う〜ん。秋刀魚の塩焼き、最高。皮はパリパリで、身はしっとりふっくら。しかもこの脂身! こんなに厚いの!」
「刺身も美味しいよ。脂がのってとろける感じ」
「あ〜! 味噌味の三平汁が染みる〜〜。鮭って味噌味と合うね〜」
「イクラもあるって言うてへんかった」
「今しょうゆ漬けにしているから。それは明日のお楽しみってことで」
「うん! いっぱい動いて、いっぱいお腹を空かせて良かったのだ! どれも美味いなりよ」
「…にいやもどうぞ。…炊き込みごはん…美味しいから」
 寮生達の賛辞に調理委員会達も幸せな笑顔を浮かべている。
「本当に美味いな。桃音、ちゃんと食べてるか?」
 劫光の質問に桃音は頷く。
「…陰陽寮のごはん、本当においしい。香玉のごはんもだけど…凄く、優しい味がする」
 しみじみと噛みしめながら食べる桃音。
 今日一日、桃音も体育委員会や用具委員会の手伝いをしていた。譲治の言う通り働いてお腹は空いているだろうが、きっとそれだけではない。
「それはあいつらが、食べる人に喜んで貰いたいって思って作るからだろう」
「うん…。それに、一人じゃなくて皆で食べるから…もっとおいしいんだと思う」
「そうだな」
 桃音の頭をくしゃくしゃと乱す様に劫光は撫でた。頑張ろうとする姿。そして人といることを嬉しいと思う心に目を細めながら。
(ああ、ここはお前の居場所になったんだな、と…)
 ほんの半年前、刃のような目で自分達に切りかかってきた少女はもういない。
 それが劫候には嬉しかった。
「お、やってるな!」
 明るい声が食事に夢中になっていた寮生達の上にかかる。
「あ、さぶろー。朱里も凛もいっしょなりか?」
 もぐもぐとご飯を飲み込んだ譲治が声の方に振り返る。
 さっき、譲治は寮内の掃除に入る前
「ななっ! さぶろーの課題ってなんだったなりかっ!?
 おおっ! 朱里と久しぶりに会った気がするのだっ」
 彼らに会いに行っていた。暫くゆっくり話す間も無かった彼らと出立前に話をしておきたかったのだ。
 今日の夕飯はご馳走らしいと声をかけておいたのだ。だからやってきたのかと思ったのだが
「あり? さぶろー、その子、誰なりか?」
 譲治は目を瞬かせる。
 陰陽寮講師 西浦三郎とそのからくり凛、そして陰陽寮のからくり朱里の後ろに一人のからくりが立っていたのだ。
「ネメシス・イェーガー(ic1203)。陰陽寮に入寮希望を出してきた新人だ。正式な入寮まで桃音と同じ待遇で予備生として朱雀寮で預かる事になる。皆、よろしくな」
「よろしく、お願いします」
 譲治は子、と言ったが彼女は身長170cmのからくりである。
 からくりらしく、無表情でお辞儀をするが、次の瞬間
「ネメシスさん。一緒にご飯を食べよ!」「こちらへどうぞ。からくりに補給は不要かもしれませんが、食べない訳や味が解らないわけじゃないですよね」
「こちらに甘味もある。甘いものは嫌いか?」
 一年生達に席に引きこまれていた。とことこと果物の皿を持ち桃音まで近づいていっている。
「新しい子か…ちょっと嬉しいね」
 折々の言葉に三年生達は頷いた。
 自分達が抜けた後、朱雀寮の人数は半減する。新一年生の入寮も無いことから少し心配はしていたのだが、桃音や新しい子が続いてくれれば朱雀の志も受け継がれていくだろう。
「あのさ」
 独り言のように折々は呟く。
「先輩たちが、卒業を控えた時期になっても、あまり焦った感じがしないのはどうしてなんだろうー
 って、ちょっとだけ不思議に思ってたんだ。
 本当ならそわそわしたり、落ち着かない感じがしても、おかしくないハズなのに」
 一昨年の先輩の背中を見つめ、手の中の笛を握りしめ折々は続ける。
「だけど、今ならなんとなく分かる気がするよ。
自分たちの後を継いでくれる子たちがいる、ってのは、こんなに安心するものなんだって」
『来年も図書委員会で活動します』
 ユイスは迷いなくそう言ってくれた。
 図書委員として他の委員の仕事を知っておくのは悪くないと、他の委員会とさらに連携していきたいと考えてくれているのは、かつての自分の思いを継いでくれているようで嬉しかったのだ。
 そして、新しい子が入ってくれる。
「うん、大丈夫。安心して任せていけるよ」
 後輩達を見ながら三年生達は頷いた。
 明日から、彼らは卒業試験に臨む。
 失敗する気は勿論無い。けれど、命がけの課題にはなるだろう。
 だから、後輩達の存在が、笑顔が思いが、彼らには心強かった。
「卒業試験、頑張ろうね」
 折々の言葉に彼らは杯を掲げ合わせる。
「ああ、必ず皆で生きて戻る」「そして再びここに戻って来ましょう」
 朱雀と後に続く仲間達に誓って。

「そう言えば…朔と紫乃はどうした?」
「あ〜、探すのは止めといたほうがいいなりよ」
「? どうして」
「先輩。馬に蹴られたくはないやろ?」
「????」

 朱雀寮の門の下から空を見上げる。
 美しい月が空に輝いていた。
「キレイですね」
「ええ」
 横に立つ紫乃に朔は静かに頷いた。
 朔は月から視線を紫乃に移す。そして
「紫乃さん」
 真っ直ぐに彼女を見つめた。
「なんですか? 朔さん」
 紫乃もまた真剣な目で朔を見る。
 朔はその目に自分の卒業後の進路を、決意を語った。
「私は、卒業後…国に仕えることを止めるつもりです。…西家に行きたい、そこで陰陽師として人々の役に立ちたいと思っています」
 西家の長、長次は受け入れると言ってくれた。
 たくさんの陰陽師が集う中、陰陽寮生でなくなった自分がどこまで、何ができるか解らないが…そこでできる限りの事をしたいと朔は思っていた。
「だから…」
 大きく深呼吸をして朔は紫乃の手を取る。そして決意と共に告げた。
「一緒に行ってくれませんか。そして…何れは結婚して欲しいのです」
 紫乃は小さく、だが、はっきりと頷いた。
「紫乃さん!」
「実は、西家に一番近い村に治療所を開く許可を頂いたんです。私は欲張りですから。
朔さんと共にいる事も、自分の夢も両方叶えたくて」
 月光の中で微笑む紫乃はまるで金のヴェールを被っているように朔には見えた。
「紫乃さん…」
「だから、…これからも、よろしくお願いします。その…できれば、末永く…」
「紫乃さん!」
 強く、朔は紫乃を抱きしめる。
 二つの影が重なり一つになるのを静かに、月光だけが見つめていた。

 蒼詠に課せられた進級試験欠席のペナルティは二つ。
 進級論文の完成提出。
 そして後日、三年生を含む六人以上に進級申請書に署名を貰う事。
 一年生でも、二年生でも、三年生でもいい。
 勝負を挑んで勝って貰うでもいい、普通に頼むでもいい。
 とにかく六人以上が彼の進級を望むのであれば進級を認めるという。
 ラストチャンスとして与えられた申請書を蒼詠は知らず胸に強く抱きしめていた。

 ネメシスは陰陽寮の一員として迎えられることになった。
 当面は予備生であるが先輩と共に授業を体験し、学ぶことになるだろう。
「解りません、突然可能性の大海原に放り出されてしまって」
「義憤と求道なのです」
 入寮の希望動機を聞かれた時の答えは、正直自分でも言った通り解らないところがあり、迷いもある。
 しかし、信じられないほど、明るくおおらかに自分を受け入れてくれた朱雀寮生達の笑顔が今も彼女の無い筈の心に浮かぶようだ。
「…きっとなんとかやっていける」
 ネメシスは自分に言い聞かせるようにそう言ったのだった。

 今日、三年生達は委員会活動の傍ら卒業試験の準備をしていた。
 出立は明日であるとユイスは聞いている。
 卒業試験が終われば三年は卒業。
 来年は一気に人数が半減することになるだろう。
(寂しくなるなとは思うけど、それ以上に今までよりも自覚をもっていかないと行けなくなるな) 
「頑張ろう」
 まるで呪文のようにユイスは繰り返す。
 仲間の為に。それが自分の為になるのだから。
「ここは大好きさ。ボクの居場所だからね」
「後は任せたよ」
 ユイスは先輩の言葉と朱雀寮その両方を抱きしめるように手を広げ、にっこりと微笑んだ。

 明日の出発は早い。
 仮眠室で休もうとやってきた譲治はふと、先客に気付く。
「何やてるなりか? 真名?」
「あ、譲治…。ノートを書いているの。レシピノート」
 そう言って真名は作業の手を止めてノートを譲治に指示した。
 その中には色々な料理のレシピが、今日のムニエルの作り方も…書かれてあった。
「先輩から教わった事、自分で作ってきたもの、気づいたことなんかを纏めて書き写してるの。私が卒業するまでこのノートにメニューを埋めていくわ」
 そして、卒業の時、委員会に残していくつもりだと真名は微笑んだ。
 後に心残りは殆ど無いのだとも。
「彼方。私が卒業してもお願いね。大丈夫、貴方ならね」
「はい。必ず先輩達の心の味を、思いを引き継いでいくつもりです」
 後を託す後輩はそうはっきりと言ってくれたのだから。
「さて、そろそろ寝ないと拙いわね」
 真名はノートを閉じる。まだ書きかけのようなのにいいのか? と譲治が目で問うと
「いいのよ。戻ってきてまた続きを書くから」
彼女はニッコリと微笑んだ。
「そうだ! ノートと言えば」
譲治は部屋の片隅に置いたノートを思い出してがたごとと探る。
 それは入寮して間もなく、譲治が交流用にと用意したものである。
 既に数冊目になっていた交流ノート。
その一冊を手に取り、一番最後のページを開き譲治は筆をとり、少し考えてこう書き記す。
『必ず帰ってくるなり。おいら達のうちに』

「さて、行こうか」
 そして三年生達は出立した、卒業試験に向けて。
「それじゃあ、行ってくるね。」
 一年生や二年生、そして三郎や凛、朱里の見送りを受け旅だって行く。
 間もなく、残された寮生達の最終進級試験も始まるだろう。
 卒業、進級と言う終わりと始まりの時は、もう彼らの目の前に迫っていた。