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■オープニング本文 陰陽寮。 それは五行国の首都、結陣にある陰陽師の育成施設である。 通常6〜7月に入寮試験を行い、その後3年間の過程を経て、卒業となる。 無論、1年ごとに進級試験もあるし、卒業に際しては卒業研究と卒業試験を課せられる。 入寮も容易くはないが、卒業も進級も簡単ではない陰陽師の最高学府である。 さて、その陰陽寮は今年度に関しては入寮試験を行わないことを決めていた。 理由はいろいろあるが今年の冬、陰陽寮がアヤカシの大襲撃を受け、白虎寮が壊滅に近い被害を受けたからということが一番の理由であろうか。 陰陽寮朱雀在学中の寮生達に、戦乱などにより滞っていた授業が再開されたのは最近のこと。 年度の終りの授業は試験の為の準備期間になることが多い。 少しずつ、だが確実に彼らにも卒業、進級への準備が始まっていた…。 「来月、皆さんの進級論文の発表会を行います」 8月の定例授業の日。 朱雀寮寮長 各務 紫郎は集まった二年生達に向かってそう告げた。 「進級論文…って、確か年度の初めに決めた…ものですか?」 「そうです。術の応用やアヤカシなど、それぞれに決めた筈ですね」 と頷いて寮長は手元の資料を見ながら二年生達を見回した。 提出された紙は七枚。 今、ここにいるのは六人。 寮生にも、寮長にも胸を、心を微かに過るモノがあるが、それを口に出すことない。 寮長は二年生達に静かに説明を続ける。 「今年は色々と忙しくて、研究について考えることが出来る機会があまりありませんでした。 よって今回はそれを補う意味を込めて、進級研究発表会に向けての準備期間とします。図書室で資料を調べるもよし、術の実践研究に取り組むのもいいでしょう。寮内で使用可能なものは何でも利用して構いません。 図書室でも三年生用の書庫以外は閲覧を許可します」 「使用可能なものは…って、いうことはもしかして…」 「無論、必要であるならアヤカシ牢への立ち入りも許可します。アヤカシの実験、観察を行う事も可能です。 まあ、全てのアヤカシが牢の中にいる訳では無いので役に立つかどうかは解りませんが…。 ああ、それから注意点が一つ。朱雀寮内の資料は一部を除いて閲覧自由ですが、他寮や外部の資料は今回は使用しない事。 準備期間中、原則として単独で外に出ることを禁止します。外出の際は許可を取って複数で出る事」 小さく笑うと寮長は寮生達の前に鍵の束を差し出す。 「進級論文発表会は、例年五行上層部の方々が観覧します。 昨年は王や大臣などもいらっしゃいました。採点も私ではなく、観覧者の方々が行うことになるでしょう。 甘い研究は自身のみならず、この朱雀寮全体の評価にも関わるので心して取り組んで下さい」 そう言うと、寮長は去って行ってしまう。 寮長は鍵を寮生に預けることが多い。 鍵、というのは閉ざされた扉を開ける為の物。信頼の証。 新しい何かへの入り口でもある。 残された寮生達は託された鍵をじっと見つめながら、いよいよ間近に迫ってきた「最上級生への進級」という現実に背筋を伸ばし歩きはじめるのだった。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / 蒼詠(ia0827) / クラリッサ・ヴェルト(ib7001) / カミール リリス(ib7039) |
■リプレイ本文 ●紫陽花の蕾 ここに白い紙がある。 発表用の論文を記す為の紙がある。 まだ何も、一行も記されていない白紙。 だが、やがてここに自分が記した文章が、五行王を含めた人々の前で発表され、陰陽寮に書物として残されることになる。 そう考えると手が震えた。 何をどう考え、どう記すべきか…。 筆を持つ手は、なかなか進まなかった。 一年生は実習中、三年生もいない陰陽寮の図書室は驚く程に広く、そして静かだ。 「はあ〜〜っ」 その静寂の中、蒼詠(ia0827)が吐き出したため息は、本人さえも驚く程、大きく部屋の中に響き渡った。 ため息は幸せを逃がすと言われているけれど、蒼詠は本から顔を上げてまた、ため息を零す。 無意識に探してしまう貸し出しカウンターの笑顔。 だが、そこに彼女の…二年生主席の笑顔は…ない。 「紫陽花の花が一つ減り…」 言いかけて蒼詠は大きく首を横に振った。 「いえ、蕾になっただけですね。きっとまた咲いてくれるはず…」 自分自身に言い聞かせるようにして、彼は机の上に重ねた書物に目を戻す。 その時、静かに図書室の扉が開き、失礼しますと言う声と共に誰かが入ってくる気配がした。 顔を上げた蒼詠はその人物に安堵の笑みを乗せて挨拶をした。 「カミールさん。お疲れ様です」 蒼詠の声に、カミール リリス(ib7039)はニッコリと微笑みを返し会釈する。 「調べものですか。精が出ますね。どうです? 纏まりそうですか?」 軽い気持ちで言った言葉であったのだが、蒼詠の表情は急激に落ち込んで暗くなる。 まるでズーンという擬音が聞こえてきそうな程だ。 「あれ? どうしました?」 「いえ、何でもありません」 リリスに問われて蒼詠は慌てて手を振るが、その表情は冴えないまま。 「僕は瘴気回収がテーマだったのですが……新事実を知っていくにつれあまりの先行きの見えなさにちょっと…」 現三年生の中にも瘴気回収をテーマに研究を組み立てている者もいるが、瘴気回収と言う術はその名に反し「瘴気を回収」するわけではないということが陰陽寮で学ぶうちに解って来たのだ。 「上手く作用させれば、瘴気障害の患者の体内から浴び過ぎた瘴気を回収もしくは浄化出来るのではないか、と思っていたのですがどうも難しい様で…」 言いながら蒼詠はふとまたカウンターに人影を探してしまう自分に気付き、またため息が出そうになる。 論文の課題提出の時、できれば同じ研究を組む彼女と共同研究できればと思っていた。 しかし、彼女は旅立ち、自分は残された。 二年生次席という立場と共に…。 (この一年、僕は次席と言う立場を果たせたのでしょうか? 陰陽寮の大事にも…) 振り返るとどう考えても次席という名前に疑問符が付く自分自身の状態。 考えれば考える程、先の見えない闇というか泥沼に沈んで行きそうになる。 また去って行った彼女のことを思い出してしまう。凛として強く、二年生の柱であった美しい花。 自分達はちゃんと花として咲いているのだろうか? まだまだ蕾のような気がする。 「いっそ僕も…」 彼女の様に…、言いかけてそれは、その思いは首を振って降り払う。 「…弱気の虫は追い払わないと。彼女が戻ってきた時に顔向けできなくなります」 「色々煮詰まっているようですね」 ふむと、蒼詠の様子を見ていたリリスはポンと手を叩いた。 「先が見えないのなら少し、気分転換しませんか? ボクの研究の手伝いをして貰えると助かるのですが…」 「え?」 蒼詠はリリスを見る。そして瞬きした。 「カミールさんの研究は、確かアヤカシ研究シアナスネーク、でしたよね。まさか、希儀まで?」 「いえいえ、アル=カマルにもいますよ。ただ、シアナスネークは捕えるにはでっかいので今回の所は蛇アヤカシの類、ツモクや怪蛇、できれば小雷蛇なんかを探せればと思っています。なんでも五行の西近くでも目撃証言があるとかで…」 そう言って、彼女は両手を広げる。 「研究テーマを少し広げてアヤカシの生態と進化で発表してみようと思うんです。 で、遠回りな気は、するけれど風習や伝承の面などからも蛇アヤカシの事について調べるてみる。どこにでもいて、それでいて色々とバリエーションの多いアヤカシですからね。蛇アヤカシは」 それらを研究することで、アヤカシの発生や進化の鍵を探れないかということらしかった。 「凄いですね…」 蒼詠は感心したようにリリスを見る。 「でも、先が見えないし、アヤカシ牢にも普通の怪蛇しかいないのでツモクや蛇羽とか捕えて、比較してみたくて。ただ一人では外出許可が出ないので、協力して貰えるとありがたいのですが…」 どうですか? とリリスが小首を傾げる。 蒼詠は少しだけ目を伏せて考え 「良いですよ。お手伝いします」 笑って答えた。 「いいんですか? 助かります」 思ったより簡単に見つかった同行者にリリスは蒼詠の手を取り笑顔で跳ねる。 (まだ先が見えないのなら、せめて誰かの手伝いをしてみましょう。その先でもしかしたら何かが見つかるかもしれない。それに…) 「実は僕もちょっと訪ねて話を伺いたい人がいるのです。帰りでいいので寄ってもいいですか?」 蒼詠は積み重ねた本を閉じると立ち上がった。 「勿論です。宜しくお願いしますね」 「はい」 リリスの笑顔にさっきまでよりも、少し軽くなった心を実感しながら。 トントン。 「失礼します」 ノックの音と共にゆっくりと扉が開き、二人の寮生が寮長の部屋へと入ってきた。 「あれ? クラリッサ?」「清心もいる」 入ってきたのは芦屋 璃凛(ia0303)。後ろに付き添う様に彼方が立っている。 二人は先客に瞬きした。 寮長と話をしているのはクラリッサ・ヴェルト(ib7001)。その横には清心がいる。 「ひょっとして、二人もアヤカシ牢の使用許可?」 「って、ことは二人もなんだ」 くすっと笑ってクラリッサは肩を竦めてみせる。 「アヤカシを使って術の実験と練習をしたくてね。目的のアヤカシがいるかどうか聞きに来たんだ。でも一人じゃ何が起こるか解らないからって言われたんで彼に声をかけてきたってわけ」 「ああ、だからうちが誘いに行ったときいなかったんか?」 「僕の研究は呪縛符だからね。璃凛さんを狙って来るアヤカシの足止めをしながら練習しようかと」 「俺は吸血鬼。そう簡単に探せる相手じゃないから屍に憑依するって意味で共通点が無いかと思って、屍人の観察をしようと思ったんだ」 「ってことはクラリッサの目的のアヤカシって屍人? クラリッサの研究って治癒符じゃなかったっけ?」 寮生達の会話を聞く寮長も小さく笑っている。 「先ほどアヤカシ捕縛の為の外出をするとカミール・蒼詠組が申請していきました。 二人と、二人と二人。まあ丁度いいのではありませんか?」 そして一冊の資料が差し出された。 「アヤカシ牢の中にいるアヤカシの数と種類が記してあります。 実験で『使用した』アヤカシについて記録しておくこと。 必要であるなら何体使用しても構いませんが…くれぐれも心して取り組んで下さいね」 二組四人の寮生は真剣な顔で互いを見つめ、寮長に向かい合い 「「「「はい」」」」 そう頷いた。 ●アヤカシの進化 五行西域の山間地帯。 「あ、いましたね」 緑に茂った木影から蒼詠は弾んだ声を零した。 水面をゆらゆらと泳ぐ蛇がいる。普通の蛇では無い。前進を羽毛で覆われた蛇。ツモクだ 「やっと見つけました。ツモクは冬には目撃証言が多いけど、春や夏にはあまり見ないというからダメかと思いました」 リリスもホッとしたように胸を撫で下ろす。 「でも、安心するのはまだ早いですね。捕まえないと」 「そうですね。今までと同じ作戦で行きましょう。ボクが引きつけますので、呪縛符をお願いします」 「解りました」 蒼詠の頷きを確認して、リリスはスッとアヤカシの方に向かって行く。 正面から敵として向かって行くのではなく、さりげなく迷い込んだような仕草で敵に気付いていないかのように歩いて行くリリスに気付いたのだろうか。 水面からかなりのスピードで地上に上がってきたツモクは濡れた羽根も乾かない間に身を大きく、リリスに向けて伸ばした。 電撃を放つ構えだ。 周囲に小さな稲光が跳ね、一つに紡がれリリスに向けて放たれた瞬間 「リリスさん!」 蒼詠の声に、リリスは身を翻した。周囲に放っていた人魂で敵の攻撃タイミングは解っていた。 それに合わせて反転、一気に蛇の懐に飛び込んだのだ。 雷撃が微かに身体の横で弾けるが、足は止めない。 一気に踏み込んでその首元を鉄爪で切り裂いた。 と同時、蒼詠が呪縛符を重ねかけしながら持ってきたロープをリリスに渡す。 じたばたと大暴れするツモクに同じようにリリスも呪縛符をかけながら全身に渾身の力でロープをかけた。 体長2mはある蛇を捕えるのは大仕事であったが、なんとか傷だらけになりながらも箱に入れることに成功した。 逃げないように箱にも何重にもロープをかけて、やっと息をつく。 「先手必勝。でも、この人数だとツモクにも一苦労ですね。攻撃術も持ってきませんでしたし、この辺が限界…でしょうか」 「そうですね。龍の二人乗りでは空中戦は危険ですし、小雷蛇は運よく出会えたら、考える、でいいかもしれません」 これで今回の調査で出会い捕えた蛇は三種、三匹だ。 蛇羽、アヤカシ蛇、そしてツモク。 「同じ蛇アヤカシでもなぜ、こう外見や能力が違うのか。何故身体の一部を変化させ、体内に隠し持った刃、強靱な鱗、飛行能力と帯電能力を手に入れたのか。興味深いですね」 「でも、アヤカシは生まれてから進化するのではなく、その外見で最初から生まれてくるということですよ。進化、成長しない訳でもないとも聞きましたが…」 「そうだとしても、「その外見で生まれてくる」理由はあるのではないかと思うのです。 アヤカシは瘴気から生まれ、瘴気に還る。でも瘴気が形をとる時にその「形」が選ばれるのは何故か。 発生する土地の気候や風土が関係しているとか…? まあそれをはっきりと証明する為にはもっと時間をかけた調査が必要だとは思うのですがね」 でも今の段階でもこれらを比較することである程度の仮説を立てることはできるだろう。 その仮説を今後さらに発展させていけばいい。 「そういえば、西家に寄るのでしたよね?」 「はい。お願いします。瘴気治療手の方にお会いしたいのです。寮長が話は通して下さっているそうなのですが」 「解りました。行きましょう。ラビバ」 アヤカシを積み込んだ荷車を龍に引かせて彼らはゆっくりと山を降りたのだった。 ●アヤカシ牢の中の実験 アヤカシ牢には何か所か、小さな牢ではない部屋がある。 「隠し部屋のように思っていたけど、こういう実験に使う部屋だったのかもしれないね」 言いながらクラリッサは床に横たわる屍人を見た。 牢の中から連れ出した一体。 呪縛符で動きを鈍らせた上で、足も砕いてあるから逃げられない。 芋虫の様に転がる屍人に何も思わないようにしながら、クラリッサは紙と筆を横に置いて手の中に術を紡ぐ。 斬撃符。 「…そろそろいいかな。清心君。ちょっと押さえててもらえると嬉しい」 「解った…いいよ」 清心が屍人を起こして支えたのを確認し、クラリッサはその腕に向けて空気の刃を放った。 ごとっ。 鈍い音を立てて屍人の腕が床に落ちる。 屍人には痛覚が無く、腕が落ちても暴れようとしないのはせめても、だろうか。 クラリッサはその腕を拾い上げて、良く見た。ぐにょりと不快な感触と嫌な匂いがする。 正常な身体では無い。壊死し腐った肉の匂いだ。 「これに治療符をかけたらどうなるのかな?」 治癒符をかけてみるが…まったくの無変化だった。 「じゃあ、これを身体に戻すことはできる?」 切断面を屍人の身体に合わせ、再び術を行使してみる。 だがこれも変化なし。微かな手ごたえも無く腕はまた地面に落ちる。 「やっぱりだめか…。死体の腕は無機物扱いになるから効かないのかな…他の生物系だったら効くこともあるのかな…」 研究の結果を書きとめながらクラリッサはため息をついた。 「うーん……纏まらないなぁ。というか、すごい迷走してる感じ…」 クラリッサのテーマは治癒符。だが、何をどうしたら良い研究になるのかが掴めないし纏まらない。 だからとりあえず、治癒符で何をどこまで回復できるかを試したかったのだが…。 「仕方ない。とにかく今、できることをやってみよう。…そういえば、清心君はいいの? 自分の実験」 顔を上げたクラリッサに清心は、小さく笑って大丈夫、と答える。 「こうして付き合うのも無益じゃないから。気にしなくていいよ」 「そう…ありがと」 男の子の優しさに柔らかく頷く。 その思いや、今、目の前にあり、いずれ消えるアヤカシの「命」それらを無駄にしない為にも 「で、次は?」 「それじゃあ…」 クラリッサは自分の研究に集中することにした。 今、自分にできる全力で。 同じようにアヤカシ牢の中で全力を尽くす者がいた。 クラリッサとはまったく別の形であるが。 「璃凛さん! 後ろの怪狼が狙っています。前の化猪にばかり気をとられていないで!」 牢の外から聞こえる彼方のアドバイスに頷きながら璃凛は舌をうつ。 「ちっ! やっぱり獣系のアヤカシは力強いし、素早いしこういう時はやっかいや!」 そう言いながら視線は目の前の敵から離さない。 璃凜はアヤカシ牢の中に自ら入り、敵と睨みあっていたのだ。 本来であるなら志体持ちであるとは言え相手は獣。 素早さやパワーでは人間の及ぶところでは無い。 だが、璃凛はその攻撃をなんとか躱し続けていた。 彼方の呪縛符の援護と、自身の巴によって。 相手の攻撃の気配を察知し、ギリギリで躱す。 陰陽術には自己強化の術もいくつかあるが、相手の気配を察知することで己の回避を高める巴をさらに高めて相手の攻撃予測や更なる自己強化に持っていけないか。 その為にアヤカシの瘴気に可能な限り触れ、見極めようとしたのだ。 だが、自己の限界ぎりぎりまでアヤカシ牢の中で敵と見つめあう時間は璃凛の予想以上に精神と肉体を疲労させる。 「あっ!」 ぎりぎりの所で躱した猪の突進に璃凛は足を滑らせて膝を付いた。 そこを見逃すまいと横から飛びかかってくる怪狼。 「危ない!」 彼方が繰り出してくれた斬撃符がぎりぎりの所で狼の爪を止め弾き飛ばす。 その一瞬の隙をついて璃凛は陰陽刀「九字切」と守護符「翼宿」を十字に持ち術を発動させた。 瘴気の霧。 陰陽武器からぶわりと発した瘴気の濃い霧が周囲に広がりアヤカシ達を混乱させる。 動きが止まったアヤカシ達に気付かれる前に、間近に迫って退路を塞ぐ敵に璃凛は蹴りを入れると 「こっちです!」 彼方の呼び声に向けて走った。扉を開け、潜り、そして閉じる。 璃凛はなんとか牢を逃れることができたのである。 「ふう〜〜。危なかったあ〜」 鍵をかけた牢の向こうで怨嗟の声を上げるアヤカシを見ながら璃凜は壁に背を付けてそのまま腰を下ろす。 「無茶し過ぎですよ。殆ど休みなしじゃないですか?」 彼方は気遣う様に声をかけてくれるが、璃凛はそれに答えず、座り込んだまま自分の持つ武器と手を、見つめていた。 今、自分が使用した術、瘴気の霧。 陰陽師の使用する瘴気は、たいていが瘴気を込めた陰陽武器から発せられるらしい。 瘴気の霧もその例外ではなく、一度武器を媒介に展開された後は、一種の結界となって周囲の瘴気を利用して広がって行く。自身から発するものではない。 それは実感している。 アヤカシが使用したり、魔の森で発生するそれとは違い、瘴気の霧は人がコントロールすることで精霊力や特殊な何かが混じるのかアヤカシにとっても異質な霧であるらしい、とも寮長は教えてくれた。 だが、人が瘴気を結界と言う形を取ってとはいえ広げることができる。 そのことを思う度、何よりアヤカシを見つめる度思うのだ。 瘴気を操り、人が恐れるアヤカシさえも捕え、傷つけ、利用する陰陽師。 「なんか、うちもここの一員にと思うで」 自分達は人よりもアヤカシに近いのでは、などという考えも頭を過る。 もしかしたら、いつか… しかし… 「大丈夫ですよ」 ふと聞こえた声に璃凛は顔を上げる。 そこには…光が見えていた。 ●闇と光の中に咲く花 研究と言うものは一朝一夕に完成するモノでは無い。 長い間積み重ね、試行錯誤を繰り返しながら形にしていくモノなのだ。 「その点で言うなら私達の研究は初歩の初歩ということになるのかもしれませんね。あ、やっぱりまだ鍵が開いてる」 捕えてきたアヤカシ蛇を牢に入れる為、牢の扉を開けながらリリスは自嘲するように呟いた。 「そうかもしれません。こうして調べたり、試したり色んな人に聞いてもなかなかこれだ、という感覚は掴めませんから」 蒼詠も苦笑しながら頷く。 アヤカシ捕縛に出た二人は帰路に西家に寄り、瘴気障害の治療者との話を聞いた。 瘴気障害の治療者はいわゆる巫女に属する精霊力の使い手である。 現在の時点で精霊術を使わずして「瘴気を減退、もしくは除去」する方法は無いのだと言う。 術の応用についてはいろいろ研究も進んでいるようだが…。 「陰陽術では瘴気を減らしたりコントロールしたりすることはできない。先輩達もさらにその先達も研究し続けて為しえなかった事。一朝一夕で僕達が成果を出す事は難しいのでしょうね」 だが…報告に行ったときの寮長の言葉を噛みしめるように思い出しながら、彼はしっかりと顔を上げる。 「でも、寮長はそれでいい、とおっしゃっていました。二年生の研究が完成したものである必要は無い、と」 自分達の身の周りにあることに疑問を持ち、考え、問題を提起する。 それこそが彼らが陰陽寮で学び、研究し発表する意義なのだと。 「後、一カ月。完全には纏まらないかもしれないですけど、なんとか頑張ってみようと思います」 「そうですね…。あ、やっぱりみんないるみたいですよ。おーい!」 リリスは頷きながらアヤカシ牢の奥に向けて手を振っていた。 ふと璃凜は顔を上げた。 仲間の声が聞こえたからだ。 瘴気とアヤカシに溢れた暗い部屋の中、明かりも特につけていないのに仲間達がいるのを見ると何故か、不思議にそこだけ明るく見えた。 「璃凛さん」 彼方が笑いかけている。 「少し休憩しましょう。皆さん、戻って来たようですし、食堂でお茶でも入れますよ。ついでに情報交換とかもできるといいですね」 アヤカシ牢の中とは思えない明るい口調と誘い、 「大丈夫ですよ。僕達は。一人じゃないんですから」 そして、励ましとウインクに一瞬ぽかんとした璃凛は… 「うん、直ぐ行く」 笑い、頷いていた。 立ち上がり前を見る。そこはまだ暗いアヤカシ牢。 だが、直ぐ近くには彼方や仲間達がいる。 「…うちは、うちらは、だいじょうぶや」 独り言のように拳を握りしめて璃凛は言う。強く自分に言い聞かせた。 間もなく進級試験が始まる。 寮生達は手の中の符を見つめた。 これを乗り越えれば、自分達は陰陽寮の最上級生になる。 そうして筆をとる。 まだ、迷い、悩むかもしれないけれど…この符に描かれた紫陽花の花の様に、必ず美しく咲いて見せる。と心に誓って…。 それぞれに迷い、悩み、考えながら進んでいく。 闇の中を、光に向かって…。 |