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■オープニング本文 「リーガの海に、アヤカシが出た?」 その報告に南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスは早速海岸に出向いた。 リーガの港からそう遠くない海岸にやってきたグレイスに 「あれです」 と地元の漁師が指差す。 沖合に白っぽい触手のようなものが数本、海面を叩いているのが見えた。 この距離から考えればかなりの大きさであることは容易に理解できた。 「クラーケン、ですか…」 頭を抱えるグレイス。 最近出現した巨大なタコのアヤカシは短時間であれば飛行も可能であるようで、海を行く船のみならず飛空艇も何艇か犠牲になりかかったこともあるという。 このまま放置して置くことは当然できないが、相手は海にいるアヤカシである。 退治は簡単にはいかない。 「解りました。開拓者に依頼を出しましょう」 「ありがとうございます…」 漁師たちは嬉しそうに頭を下げた。 彼らの様子を見ながらグレイスはふと、周囲を見回す。 弓なりに長く続く純白の砂浜。 快晴の空とそれを映して輝く水面はサファイアのように輝いている。 リーガの海岸は悪くない、いやむしろ美しいと呼べる景色を持っているとグレイスは思っていた。 しかし、周囲に人は皆無。 これはクラーケンが出現しているから、では勿論無い。 元々、ジルベリアで海遊びをする者は殆どいないのである。 理由は、勿論この気候である。 猛暑と言われる今年でさえ、南部辺境の気温は25℃を超えることはあまりない。 過ごしやすく、気持ちのいいジルベリアの夏は森も山も、街も、川も湖も全てが観光スポットであり、観光シーズンでもあるが、その分、海で身体を冷やしたいと思う者は少ないのだろう。 もったいないと、ずっとグレイスは思っていた。 この海をもっとアピールできないものか。と。 天儀では夏は海水浴をする人も多く、海は大人気の観光スポットであるという。 ジルベリアでは海水浴と言う概念さえ持たない人が少なくない。 無理に泳ごうとしても5分で水の冷たさと、波の高さに諦めてしまうものだ。 「あの…報酬は余り出せませんが…、退治して頂けたら獲れたての海の幸でおもてなしをしたいと思います…」 躊躇いがちに言う漁師に 「別にそんな事は…」 と言いかけてグレイスは言葉を止めた。そして、何事か思案するように考えると…。 「いいですね。開拓者にジルベリアの海の幸を存分に堪能して貰って下さい」 そう、ニッコリと微笑んだのだった。 依頼内容は「海魔 クラーケンの退治」 場所はリーガ近郊の海である。 報酬は十分な金額が出ているが、開拓者達の目を止めたのは添え書きに書かれた一文であった。 「終了後、海の幸でのバーベキューなどを振舞わせて頂きます。 また、もし良ければ退治後、ジルベリアの夏の海を堪能して今後へのご意見などを頂ければ幸いです」 「ジルベリアの海…ねえ?」 8月も中下旬。 間もなく、夏も終わるだろう。 あまり考えた事も無かった場所だが、だからこそ、もしかしたら新しい発見や楽しいことがあるかもしれない。 そんな事を考えながら、開拓者達は出された依頼を見つめるのであった。 |
■参加者一覧 / フレイ(ia6688) / フェンリエッタ(ib0018) / 雅楽川 陽向(ib3352) / ウルシュテッド(ib5445) / クロウ・カルガギラ(ib6817) / わがし(ib8020) / 海原 うな(ic1102) |
■リプレイ本文 ●ジルベリアの海 「海や、海や! 琴、海やで!」 ぶんぶんと尻尾を振って仔犬の様に海辺で少女がはしゃぐ。 龍と一緒に砂浜を駆け回る雅楽川 陽向(ib3352)を見ながら 「ロマンチックできれいな海じゃない…ホント、勿体ないわよね〜」 フレイ(ia6688)はそう言いながら肩を竦めた。 「ジルベリアの太陽は優しいな。気持ちいいくらいだ」 空を見上げるクロウ・カルガギラ(ib6817)が目を細めた。 晴れ渡った高い青空。 その青を映すかのように冴えわたる蒼い海、白い砂浜。 「夏の海ってのも良いもんだな。太陽を反射してキラキラしててさ」 彼の言うとおり、絵に描いたように美しい風景である。 陽州などに比べると少し控えめな太陽の輝きも、なかなか魅力的ではある。 「ふむ、砂質は…悪くないが鳴き砂ではないか…」 さらさらと手元から落ちる白い砂を眺めながらウルシュテッド(ib5445)は周囲を見回す。 本当であったらこの輝きも海岸の美しさももっとたくさんの人が堪能する価値があるものだろうと思う。 だが今、周囲に人影は自分達開拓者だけ。 この光景を独占と思えば気持ちがいいが、開拓者達の思いを嘲笑うかのように眼前の海には鈍い赤黒に蠢く影が見える。 砂浜から人気を払う理由の一つ。 海魔クラーケン。 「此度の件、皆様にお任せしてよろしいでしょうか?」 依頼人である南部辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスと漁師達が開拓者を見つめる。 「勿論。ふふふふふ…私の前に姿を現したのが命とりだということを思い知らせてあげよう!」 海原 うな(ic1102)が銛を高く掲げた。 「どうか、皆様。よろしくお願いします…」 祈るような眼差しで浜の漁師たちが深々と下げる頭に 「大丈夫。任せて!」 うなは心からの笑みで答える。 彼等とうなは同じ海と共に生きる者。 大事な、そして美しい海と浜を海魔などに渡すわけにはいかない。と彼女は強く意気込んでいた。 「その為に力を貸して欲しいこともあるんだけど…」 「なんなりとお申し付け下さい」 無論、それは開拓者達の思いの多くと同じでもあった。 「それから、帰ってきたらバーベキューを御馳走してくれる約束よね。…用意をして待っていて。必ず退治してくるから」 軽い打ち合わせの後、フレイは漁師たちにそう告げると、グレイスにも躊躇いの無い笑みで笑いかける。 「無事、依頼が終わったらグレイス伯もバーベキューご一緒にいかが?」 「喜んで。私からもささやかですが差し入れを持ってまいりましょう」 「そうこなくっちゃ! じゃあ、頑張って来るわ」 フレイとグレイスの会話を静かに見つめていたフェンリエッタ(ib0018)は微かに目を伏せ、そして上げる。 グレイスを見つめるその眼に浮かべた笑顔と、決意の眼差しと共に。 「…行きましょう。皆さん。あの海魔から海を取り戻す為に」 「フェン…」 姪の表情と思い。そして歩き出す背中を複雑な思いで見つめるウルシュテッドがいる。 漁師たちと打ちあわせるうなに駿龍と共に真っ直ぐに敵を見つめる陽向。 銃に弾を込めるクロウ。怒りを冠する剣を、強く握りなおすフレイ。 「潮風に誘われて生を受けたのでしょうか〜。海と空の敵となるアヤカシよ。そしてそれに向かう開拓者達」 共に戦いに向かおうとする者達の、それぞれの思いを、物語を 〜〜♪〜♪ 「何にせよ、僕にできるのは支援と見届ける事、ですよ」 わがし(ib8020)は琵琶を爪弾きながら静かに見つめていた。 ●海魔 クラーケン クラーケンに真っ直ぐに突き進んでいく舟があった。 かつて、天儀に出現した同種のアヤカシは全長六丈程もあり、中型飛空艇さえも沈める力を持っていたという。 それに比べればこのクラーケンは大きさで言うなら半分ほど。 しかし、ぬらぬらと動く足の動きがその大きさを倍にも錯覚させる。 かの魔物の前に立てば、小舟など海に落ちた木の葉に等しい。 だが、その船の舳先に立つうなは一歩も怯もうとはしなかった。 「ふっふっふ、巨大なタコと聞いて私が行かない筈がない! アヤカシなのが残念だよ! さあ、かかってくるがいい!」 啖呵と共に銛を構えた。 その口上を理解する頭がこの蛸にあったとは思えないが、うなに気付いたクラーケンはその足を高く、高くもたげた。 「かつて天儀に現れた大蛸入道は短時間ではあるが、空を飛び、煙幕や墨を吐き出す能力があるらしいの。あれも同様の力を持っていると思った方がいいと思うわ」 フェンリエッタが知らせた情報に、開拓者達は頷く。 「短時間なら飛べるってのがすげえな。タコの癖に」 「ええ、海に潜った部分には攻撃がし難かったり逃げられ易い事を考えると、空中に牽制できるといいかもね」 「私は龍になるから空戦ね。『咆哮』でひきつけてみるわ」 「空から取り囲む様に攻撃するのがええかもね?」 「私は、皆様を歌で援護いたします」 「それなら…」 配置と攻撃の方法を打ちあわせて後、一人うなを海に残して、開拓者達はそれぞれの相棒達と空に舞った。 そしてうなは海から真っ直ぐに敵に向かって行ったのだ。かなり危険な行為。 本人に、そのつもりがあったかどうかは解らないが結果としてうなの行動はクラーケンの目視を集める格好の囮となった。 それだけに集中攻撃も受ける。 クラーケンが身体を動かす度、足が動く度、大波が立ち、小舟が揺れた。 このままでは船の転覆も時間の問題だろう。 うなは操舵手に告げる。 「私が船を離れたら、気にしないで安全な場所に避難して!」 「でも…」 漁師は心配そうに小柄な少女であるうなを見つめるが 「大丈夫!」 うなは軽やかに笑うと、銛を握り締めた。 そして彼女は足を掲げ、まるで鞭のように振り下ろして来たクラーケンの、その足へと飛び付いたのである。 深々と銛が突き立てて! クラーケンはのたうつように身を揺らして暴れた。 立っていることもできない程の揺れに負けずうなは、しがみ付く様に銛に力を込める。 「このお!」 だが、うなにできた攻撃はそこまでだった。 「うわああっ!」 瞬間、別の足がうなの細い身体にぐるり巻きつき、強く締め上げたのだ。 「は、はなせ!!」 なんとか逃げようともがくが吸盤に身体を吸いつけられ、さらに自分を締める強すぎる力にゆなは身動きがとれなくなった。 だが、気が遠くなりかけたその時聞こえた空気を震わす声。 と、同時に響く射撃音。衝撃! うなを掴む足と吸盤の力が、フッと弱まり彼女を取り落す。 「あわわ!」 水面に落下したうなは、なんとか体勢を立て直し、立ち泳ぎしながら上を、見る。 気が付けば、クラーケンは空中に浮かびあがっていた。 上空から自分を狙う開拓者達を倒す為に…。 きっとクラーケンは自分を狙う羽虫のような開拓者達を襲う為に浮き上がったに違いない。 クラーケンは気付いていないだろう。とウルシュテッドは思った。 奴を海から引き離す。それこそが開拓者達の狙いであったことに。 ほんの少し前、うながクラーケンをひきつけていた丁度その時。 「蛸が空を飛ぶんじゃ、無いわよ!」 唸り声にも似た咆哮を響かせ、さらに高くとったポジションからフレイは愛龍ゼファーと急降下する。 「彼の者の歩みし道標。向かうは他ならぬ我々です! 参りましょう!」 舟で近付いたうなに気をとられ、締め上げていたクラーケンは完全に虚を突かれた形となった。 振り返る仕草のクラーケンは攻撃してきたフレイを足先で払いのけようとした。 だがその足先の一本がクロウの短銃で吹き飛ばされる。 フレイの攻撃は勢いを殺されたが、それでもぬらりとしたクラーケンの身体に一刀を入れる。 『グギャア!』 そんな悲鳴とも音とも言えない声がした。 もし、クラーケンが人の顔と表情をしていたのなら、怒りに身を震わせていたのだろうか。 うなを取り落すとクラーケンは足先から墨弾を周囲四方八方に向けて乱れ打ち始めた。 「皆! 回避だ!」 駿龍ヴァンデルンで高速回避したウルシュテッドは不知火で攻撃しつつ仲間達に声をかける。 だが、そこを逆に接近、踏み込む者がいた。 「琴! 頑張ってや!」 墨弾の一発が高速飛行で近付く陽向の龍の眼前を掠める。 ぎりぎりの回避が成功したのは幾度、幾重にも歌われ開拓者達に力を与え続けてきたわがしの歌の効果だろうか。 安堵の息を吐く間もなく、陽向は息を呑み込み掲げた符から術を解き放つ。 「毒蟲連発や。足に…錆壊符効くかどうか解らんけど、考えてる暇ないしな」 クラーケンに肉薄した、その巨大な頭に向けて毒蟲を連発させる陽向。 その時、ぶわりとクラーケンの身体が宙に浮かんだ。 「あっ!」 逆に距離を詰められた陽向の眼前、ほぼ0距離に足が迫った。 襲うであろう衝撃に陽向は思わず身を固くする。 だが 「危ない!!」 陽向にかかった衝撃は軽い炸裂音と、肉片の散る微かな衝撃のみ。 「早く離れて!」 「あ、おおきに! 琴!」 フェンリエッタの精霊砲に救われた陽向はとどめ、とばかりにもう一度錆壊符をかけて間をとる。 その背に向けて墨が吐き出された。 それはさっきの墨弾ではなく、煙幕。 クラーケンの周囲は黒い靄で覆われる。 すでに数本の足を失いながらも、まだ退却の意思はないようだ。 「ここで、足を止めない方がいいかもね」 愛馬プラティンの手綱を握りながらクロウは武器をシャムシールに持ち替えた。 「そうね。海に潜られてしまってはかえって攻撃がしづらくなる。むしろ、空に上がって来てくれた今だからこそ…」 フェンリエッタは左右を見る。フレイとウルシュテッドが意図を汲んだというように頷く。 「攻めに行くわ。援護をお願い」 「解りました」 「お任せを。誇り高き勇者の唄を今ここに!」 武勇の曲を背に受けてフレイは旋回した駿龍の背で、一際高い咆哮を上げる。 煙幕の中からまるで鞭のように一直線に足が、フレイを狙い撃ってくる。 「来るわよ、ゼファー!」 ぎりぎりまで引き付けた攻撃を回避すると、フレイはそのまま駿龍と共に煙幕に向かって突進した。 道しるべは自分を攻撃してきた足! 相手との距離を一気に詰めて、すれ違いざまに払い抜ける。 渾身の一撃は、見事にクラーケンの足の根元。 顔に近い所を切り裂いた。 「―――――!」 音にならない悲鳴が轟き、クラーケンが海に落下する。 その落下地点の側には、うなと小舟が… 「危ない!」 だが舟は幸い、直撃地点から逃れていた。 「うなさんは?」 陽向が首を傾げた直後、クラーケンが再び悲鳴をあげてのたうつ。 バシャン! 荒れる海面に顔を出したうなが、息を切らせながらも銛を高く上げて空に向けて叫ぶ。 「敵を沈める海坊主とは私の事である! 今、目を潰したから!」 うなのことは漁師が船を回して拾いに行っている。 「御武運を。ジルベリア屈指の兵站、その存在は心強しと伝えられるのです!」 わがしがうな達に向けて騎士の魂を歌うのとほぼ同時、空の仲間達は最後の攻撃へと向かっていた。 おそらく開拓者達を見る余裕も無くなったクラーケンが、海に逃れようとした瞬間。 動きが止まり、一際大きい絶叫が響いた。 一斉に開拓者達が懐に飛び込んで行ったのだ。 伸ばした足は陽向の火炎獣とフェンリエッタの精霊砲に砕かれてもう殆どまともに動かない。 うなに潰され、さらにウルシュテッドの影によって抉られた眼は、さらにクロウのファクタ・カトラスによって切り裂かれもう機能を失っているのは明らかだった。 意識というものがもし、残っていれば最後の力を振り絞ったのだろう。 クラーケンはゆらゆらと宙に浮かぶ。だが 「ここまでよ!」 フレイが最後の咆哮と共に加速。その身を渾身の力で流し切る。 タイミングを合わせて白梅香を込めたフェンリエッタの光輝の剣がその身に触れたクラーケンの身体を瘴気へと化す。 「―――――!」 クラーケンは最後の力を失い、海面に落下した。 一際大きな波しぶきの音と重なる断末魔の悲鳴。 海は冠を掲げて揺れ、波打ち、泡立ち…瘴気となったクラーケンを溶かす。 漂う黒い瘴気もやがて薄れ、海は静かな水面へと戻って行った。 「…やった」 開拓者の声もまた溶けて消える。 蒼い海と空へと…。 ●慰労会、そして… それから暫くして、白い砂浜に煙と、楽しげな笑い声が上がった。 「ほら! 琴。バーベキューや! 魚に貝にエビもあるで!」 両手に串焼きを持って陽向は嬉しそうに相棒に笑いかける。 夏帯「絽彩」と夏着物「涼紗」を身に纏い、笑顔も涼やかだ。 「琴はどれ食べる?」 だが、ぷいと相棒は顔を逸らせる。 陽向の尻尾がへにょりと下がった。 「まだ、機嫌悪くしとるの? 汚れた所は海で洗ってやったやろ? そろそろ機嫌直して〜な」 しょんぼりとした陽向に、もしかしたら人間であったら軽く肩を竦めたのかもしれない。 陽向の駿龍は軽く頭をもたげ、下を向いた陽向の頭にちょんと、自分の顔を寄せると魚を一匹ぱくりと口に入れた。 「琴!」 機嫌を直した相棒に嬉しそうに抱きついて陽向は顔を摺り寄せる。 「よっし、いっしょにいっぱい食べて、遊んで、「ばかんす」しような? でも…ばかんすってなんやろ?」 くすくすと微笑む仲間達。 「バカンスっていうのは嫌な事を忘れて、思いっきり遊ぶ事よ。仕事も終わった事だし、めいっぱいバカンスしましょ?」 ぱちりと片目を閉じてフレイも笑う。 手にはグレイスが差し入れた上等の酒のカップが握られている。 着替えにと辺境伯が用意してくれた天儀の浴衣は、暑すぎもせず寒すぎもしないジルベリアの海風を適度に孕んで流してくれる。 宝石を溶かしたような蒼い海。 用意された新鮮な海の幸に、山の幸、野菜山盛りのバーベキューと相まって、開拓者達に楽しい「バカンス」を贈ってくれる。 クロウは空を見る。 海が空を映すのか、空が海と溶けるのか。 輝く太陽に乾杯するように杯をそっと掲げて笑う。 「ジルベリアに来ると、太陽も良いもんだと思えるよ。故郷じゃ、太陽なんて鬱陶しいだけだからな」 静かな波音に耳を傾けながら、酒杯を傾け、美味しい料理に舌鼓を打つ。 クロウの言うとおり、これはこれで悪くはない。穏やかで静かな、大人のバカンスだ。 「これで、もうちょっと暑くて泳げると最高なんやけど〜」 …まあ、その分子供には少し物足りないのかもしれないが。 その時、海がざばりと音を立てた。 「たっだいまあ! たいりょう、大漁! ってね」 素で泳ぐには冷たいジルベリアの海をものともせず、潜りに行っていたうなである。 皆の前のテーブルに肩に担いだ網から収穫物をドン、と置き広げる。 中にはウニやホタテ、貝などが詰まっていた。 「うわ〜。凄いなあ〜。これ全部うなさんが獲ったん?」 目を輝かせる陽向に照れたようにうなが頭を掻く。 「まあね〜。あんまし、素潜りで漁ってしないのか、たくさんいたのだ。寒いしくらげにも閉口したけど…。ちょっとは退治して来たよ。 はい。おじさん達。これも焼いて。みんなで一緒に食べよー」 「うわっ! これクラーケンの子供? これも食べるの? それにこの黒くてとげとげだらけのも…食べられるの?」 クロウが網のなかでうねうねと動くものを見つけて声を上げる。 砂漠育ちの彼にとって海の幸は、見た事の無い、珍しいものが多い。 特に彼が指差したそれは正しく開拓者がさっき倒したクラーケンのミニサイズであった。 「クラーケンじゃなくて、それは蛸。で、こっちはウニ。けっこう美味しいんだよ」 「うなさん! うち、たこ焼き食べたい!」 「う〜ん、道具がないからどうかなあ? 似たもの作れないかやってみようか?」 「ホントに食べるんだ…」 楽しげな笑い声が響く中、 「フェンリエッタ」 ウルシュテッドは戻ってきた姪に声をかけた。 向こうでは 「あ、辺境伯や。おかえり〜。どこ行ってたん?」 「楽しんで頂けていますか? どうかゆっくり疲れを癒して下さい」 開拓者達に微笑むグレイスがいた。 「どうだった?」 とウルシュテッドは声をかけはしない。 浴衣に着替え、静かに笑みを作るフェンリエッタを黙って、見つめていた。 ●優しい太陽の下で 「私も、後で一緒に散歩にお付き合いいただけるかしら?」 輪の中に戻ってきたグレイスに、フレイはそう微笑みかけた。 「ありがとうございます。でも、私は貴女のお誘いを受ける資格はおそらくないかと…」 グレイスは振り返りフェンリエッタを見た。 「あら? そう?」 肩を竦めたフレイにグレイスは詫びるように微笑みながら頭を下げ、目を伏せる。 フレイに返した返事は、さっきグレイスがフェンリエッタにも告げた言葉であった。 「手合わせ願います。 教えて下さい、貴方を。すべて受け止め応えてみせますから」 フェンリエッタはそう言って、グレイスに頭を下げた。 グレイスを慰労会開始前に砂浜に誘った彼女は、慰労会から見えない、離れた一角を見つけると剣を胸に真っ直ぐにグレイスを見つめ、そう言ったのだ。 本当は一緒に歩いているだけでも幸せを感じる。 でも彼女は同時に思っていた。 (種を育てもせず『いつか』に期待した自分が腹立たしい) 自分自身に微かに憤りながらもフェンリエッタは微笑んだ。 (人は色々な理由で本心を封じ込めちゃう。 拒絶され関係が壊れるのも怖くて 時に相手を傷つけたくないという思い遣りさえ言い訳にするの) 彼も、きっと同じ… 首に微かに残る絞め痕に触れ (それでも) 彼女は顔を上げた。 (たとえ弱く醜くとも貴方だから愛したい。 想いを押し付け困らせてなお伝える事もやめられない…私は我侭でずるい。だから) せめて正面から向かい合おう。そう決意したのだ。 「…解りました」 グレイスは腰に帯びた剣に手をかけ、頷く。 フェンリエッタもまたクラーケンを倒した剣を握り鞘から抜き放った。 その「戦いは」合図もなく始まり、やがて打ち合わされる鋼の音と、砂を踏む二人の呼吸音だけが誰もいない砂浜に響く。 二人の剣の腕はほぼ、互角。 開拓者としての豊富な実戦経験と腕を持つフェンリエッタと、グレイスは互角に戦って見せる。 その剣筋にフェンリエッタは仕事に追われながらも決して騎士としての誇りを鈍らせることはしないという、グレイスの決意を見た気がした。 そして、同時に気付く。 自らの心と、彼の心に。 グレイスの剣筋に迷いは無い。 ただ、何か秘めた思いを孕んでいるように感じたのだ。 「私には、貴女の思いに答える資格は、おそらくないのですよ」 強く、踏み込んだフェンリエッタの攻撃を流してグレイスは間をとる。 フェンリエッタは自分を見つめるグレイスの眼差しに、あるものを感じていた。 それは後悔や、贖罪に似た…寂しい瞳。 (貴方は優しくて、弱い人。 だからやり場のない想いを抱えたまま、今も独りなんですね) 手に握る剣の柄に力を込めた。ここで踏み込むか、それとも、今は待つか…。 (全て、教えて欲しいと言った。なら、今は彼の答えを…) グレイスもまた剣に力を入れているのが解った。 踏み込み、勝負を決めに来る。そう思い、剣を受けに構えた瞬間 「えっ?」 彼の姿は眼前。だが、いつまでも来ない衝撃にフェンリエッタは瞬きした。 「申し訳ありません。今の私にできるのはここまでです」 フェンリエッタの剣と数センチのところで自分の剣を止めていた彼は自分でスッと剣を引いたのだった。 「私は、貴方が嫌いではありません。むしろ好意を持っている部類に入ると思います。 ですが、命を賭けた貴女の思いと心に、命を賭けて応えられる程、愛しているかと問われれば、今は否と言うしかないのです。お許し下さい。 私は人を愛する資格の無い者ですから…」 剣を鞘に納め、グレイスは頭を下げる。 「貴方は何を胸に抱いておいでなのですか? それを教えては頂けないのですか?」 フェンリエッタは問う。彼の剣筋に迷いは無く、フェンリエッタに真っ直ぐ向かい合っていた。 あの剣が彼の心であるのなら、彼の過去になにかがあったとしても、もう乗り越えている筈なのに…。 「それを話す為には…もう少し時間を頂けませんか? 貴女との間の種を育てる時間と共に…」 真っ直ぐフェンリエッタを見つめた彼の、それが精いっぱいの答えだと、思いだと解ったから 「はい」 フェンリエッタも剣を収め静かに頷いたのだった。 思いが、言葉がウルシュテッドの喉元までせり上がる。 「あの男でいいのか? それでいいのか?」 と。 フェンはいつもと変わらぬ様子で笑顔すら見せるが、思い詰めた気配は強くなるばかり。 戻ってきた様子から見ても、思い詰めた末の手合わせの結果にあの男が、フェンリエッタの望む答えを与えなかったであろうことは明白であった。 そして、この場に戻って来てからは終始笑顔で開拓者や漁師たちを労っている。 だがその笑顔こそが、辺境伯の『壁』なのではないかとウルシュテッドは思う。 人当たりのいい笑顔の下に、誰も踏み込ませぬ閉ざした扉を持つ男。 (扉が閉ざされたままでは向き合うも何もあったものじゃない。 真実、向かいあうようになってきたのだとしても、つまりそれは、今まで向かい合っていなかったということ。 悩み、苦しんできたフェンの思いは彼には伝わっていなかったということではないのか? そして、ようやく扉が開いてきたとしても…) 辺境伯の隣で微笑むフレイの姿が見える。 最終的に彼の心を変えるのが、彼の横に立つのがフェンでないとしたら…。 怒りにも似た苛立ちは止まらなかった。 (…だが) ウルシュテッドはフェンリエッタを見る。 精いっぱいの笑顔を作り、仲間達と辺境伯と笑いあう姪。 それでも。 握り締めた拳をゆっくりと開く。 フェンリエッタがあの男がいいと望むのなら。 どんなに苦しくても彼との未来を夢み、望むというのなら…ウルシュテッドにできること、言えることはきっと多くは無いのだろう。 「土地に属さぬ開拓者の身で、壁を越えるのは困難だというのにな」 本当の問題は、そんなことではないと解ってはいるが。 彼の吐息は潮騒の音に隠れ、誰の耳にも届かず、消えて行った。 賑やかで楽しい慰労会の終わり。 落ちる夕日に朱く染まった海で、開拓者達はそれぞれ、穏やかに時を過ごす。 うなと陽向は気があったのだろうか。龍も一緒になって水遊びを楽しんでいる。 時折琵琶を奏で、場に賑わいを贈るわがし。 ウルシュテッドはもてなしは固辞し、フェンリエッタと静かに潮騒に耳を傾けていた。 クロウは穏やかな太陽を肴に海の幸に舌鼓をうつ。 「このウニ…最初はちょっとビックリしたけど、焼いてみるとけっこう美味しいかな? たこ焼きは…どうしようか」 そして 「あのね」 フレイは宴会の輪から離れ、海を見つめるグレイスの横に立ち、顔を見上げ 「人を想ったり、愛したりするのに資格なんていらないと思うわよ」 そう言って鮮やかに笑って見せた。 「フレイさん…」 「人の心や、思い。本当に人を愛しく思う事は、そんな理屈じゃないもの。 そう思うのなら、今は本当の恋でもないし、愛でもないんでしょ」 (生真面目…なのよね。…もっと彼を本気にさせたいけど、今は、これでいいかしら) ジルベリアの太陽はクロウのいうとおり、穏やかだ。 人々を見守り、優しく輝いている。 夕日の中で美しく微笑むフレイの横で、彼は黙って共に海を見つめるのであった。 わがしは夕闇の空に歌う。 愛や、優しさ、恋や思い、そして悩みや葛藤。 生あるが故に生まれる人々の物語を見守りながら。 〜〜〜♪ 〜〜〜♪♪ 「人の、出会いと思いが紡ぐ物語は数知れず… その行く先は誰知らず…」 かくして、アヤカシ退治とそれを為しえた開拓者達を労うパーティは、盛況の中、幕を閉じた。 豊富な海の幸と美しく穏やかな海を、開拓者達は満喫してくれたようだと漁師達に聞き、グレイスは嬉しそうに笑う。 ジルベリアの海は、第三者である開拓者達から見ても守る価値のある、豊かな海であり開拓者達は色々と今後に向けたヒントも与えてくれた。 今後、大人向けの避暑地として整えてはどうだろうか、とか。 期間限定で海開きをし、それを売りにして人を集めれば賑やかになるだろうとか。 清掃、整備活動を地元の民と行って郷土愛を育てるとか。 グレイスが一人では思い浮かばなかった提案を、民と共に今後生かしていくのは、また少し後の事となる。 だが来年はもしかしたらこの優しい太陽の下、海に、浜に人々の笑い声が木霊するかもしれない。 いや、そうなればいい。 開拓者達は思いながら、夏も終わるジルベリアの海を後にするのであった。 |