【朱雀】闇の中の希望
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 難しい
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/08/15 00:02



■オープニング本文

【このシナリオは陰陽寮 朱雀 二年生合格者対象シナリオです】

 朱雀寮では進級試験が行われる際、その前段階として準備の為の課題が行われるのは例年のことであるらしい。
 今、一年生はアヤカシ退治の課題を与えられている。昨年、自分達もやった課題だ。
 退治したアヤカシの瘴気を符の作成に利用するのだと後で聞いたが、今年は…
 定例講義に集まった朱雀寮二年生達は緊張の面持ちで、前に立って講義を行う朱雀寮寮長 各務 紫郎を見た。
 今回の講義は主にアヤカシについて、だ。
「…と、いう訳でアヤカシには様々な種類があります。便宜上様々な分類に分けていますが、解っているだけでも数百種のアヤカシが存在します。しかも、発見されたアヤカシから生まれたであろう亜種や新種なども次々と発見されておりその数は増える一方です」
 仮にと黒板に描かれた図表には
 屍人 屍狼 食屍鬼 蘇屍鬼 不死鬼 屍鬼 死竜 屍龍
 など、屍に宿り操るアヤカシの分類が記されている。
 これとは別に骸骨に宿るアヤカシもいるし、アイテムに宿る付喪神系もいる。
 本当にアヤカシというものはどれだけの種、どれだけの数がいるのだろうか…と思うと気が遠くなりそうだ。
 寮長の講義は続く。
「重要なのは、基本的にアヤカシという存在は発生した時に既に完成されており、多くの場合は進化、変化はしないとされているということです。屍人が進化、成長して食屍鬼になる、という訳では無く、屍人は屍人、食屍鬼は食屍鬼として生まれてくる。そして、それはアヤカシが消失するまで変わらないということです」
「…はい」
 と質問の手が上がった。
「以前、アヤカシが護大を狙って襲撃してきたことがありました。あの時の敵は護大を手に入れることで大アヤカシになることを目的としていたようですが…、アヤカシが進化しないというのであれば、あれはどういう事なのでしょうか?」
「多くの場合、と言っています」
 寮長は黒板に向かう手を止め、二年生達を見る。
「ごく稀にではありますが、瘴気を大量に集めたり、大量の獲物を獲得したアヤカシが別種のアヤカシに変化したようだという報告事例があります。これらを突然変異種と呼んでいますが、事例が少なくて系統立てられているわけではありません。中には今までの姿から別種の全く違うアヤカシに進化したという証言もあります。
 護大を取り込んだ上級アヤカシがまったく違うアヤカシとなったように、何らかの介入によってアヤカシが変化する可能性は多いにあると思います」
 神代の戦いを思い出しながら話を聞く二年生に寮長は苦笑に近い笑みで肩を竦めて見せた。
「要するに、アヤカシにはまだ解っていない点が多いのです。陰陽師としてアヤカシの根源である瘴気を操って見せても、瘴気そのものを生み出すことも浄化することも現在の陰陽師の知識ではまだできません。
 それすなわち、アヤカシの研究、瘴気の研究に終わりは無く、常に我々は研鑚、研究を続けていかなくてはならないということなのです」
 寮長の言葉に頷きながら二年生達はふと、あることを思い出した。
 陰陽寮にある研究の為の施設の事。
 あそこのアヤカシ達はその研究の為に囚われ使われている…。
 人を餌にするアヤカシの一番哀れな末路なのかもしれない。
「さて、そこで今回の皆さんの課題ですが」
 寮長は二年生達の思いを読み取ったわけで無かろうが、にっこりと笑って告げる。
「今、一年生が進級の為の前段階の課題に挑んでいるのは聞いていると思います。それと同じように皆さんにも進級の為の準備課題に取り組んで貰うことになっています。皆さんが人形を作る為の材料を取りに行って下さい」
「取りにって、どこへ?」
 二年生達は首を捻る。今回二年生は陰陽寮白虎の廃材を作って人形を作ると決めている。
 外部に取りに行く必要は無い筈であるが…。
「アヤカシ牢。その中へ」
「えええっ?!」
 驚きの声を上げた寮生達。けれど彼らの驚愕を気にせず寮長は続けた。
「皆さんの希望した人形作成に必要な材料を、箱の中に入れてアヤカシ牢の中に置きます。
 それを探し出し、持ってきて下さい。但し、条件があります。
 今回の実習に置いて牢内のアヤカシは極力倒してはいけません」
「ちょ、ちょっと待って下さい。アヤカシを倒さず、アヤカシの牢の中にある品を手に入れる? ですか?」
 あまりにさらりと告げられた条件に寮生達は驚く。
 そうです、とやはりさらりと寮長は頷き、答えた。
「牢内のアヤカシは今は朱雀寮のものです。
 全部倒してしまえば勿論、探索は楽でしょうが、一体倒すことにより減点していきます。当然ですが、逃がすのも厳禁です。現在アヤカシ牢内にいるアヤカシは十数種百体ほど。皆さんには知らせませんが私は数を把握していますのでごまかしは利きませんよ。アヤカシの本拠や、魔の森で捜索を行う、その実習だと思って下さい」
 つまりは周り全てが敵の中、敵を倒さずに目的の品物を見つけ出さなければいけないわけだ。
「どこにどんなアヤカシがいるかとかも…当然…」
「教えません。地図も勿論与えません。事前に自分達で調査し、準備が整ったと思ったら日時を申請の上、実施して下さい」
 アヤカシ牢はいくつかの土蔵が中で繋がったような、かなり広い空間であった。
 そこから箱を見つけ出さなくてはならない。
 しかも牢に囚われ、人に恨みを持つアヤカシの中を、アヤカシを倒さずに…。
 悩む寮生達の前に、寮長は鍵の束を置いた。
「アヤカシ牢内の鍵です。絶対にアヤカシに渡すことのないように。…以上。頑張りなさい」
 それだけ言うと退室してしまう。
 与えられた課題の重さ、難しさ、そして…責任。
 それらが全て結晶したような鍵束を、寮生達は黙って見つめるのであった。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / サラターシャ(ib0373) / クラリッサ・ヴェルト(ib7001) / カミール リリス(ib7039


■リプレイ本文

●やるべき事
 一人の友が朱雀寮を後にした。
 旅立つ者と残る者。
 嵐に立ち向かう様な決意と共に旅立って行く友を、残る寮生達はただ、静かに見送るのであった。

「やっぱり、本当にだったんですね…」
 カミール リリス(ib7039)は調べものをしにやってきていた図書室で、三年生達に挨拶をしていたサラターシャ(ib0373)と出会い声をかける。
「はい」
 頷くサラターシャ。
 二年生主席である彼女が休学を検討しているという話は噂には聞いていてもやはり目の前に突き付けられると、小さくないショックがある。
「一身上の都合で休学させて頂きます。戻りたい気持ちはあるのですが…いつ戻れるか、本当に戻れるかは…まだ解りません」
「そう…。寂しくなりますね」
 それはリリスにとっても本心であった。
 まして進級試験間近の今、休学すると言う事は一緒に進級できないと言う事。
 心に風が過る。
 再び共に学び、課題に挑むことはもうないのか…と。
「我が儘を申し上げてすみません。身辺整理が終わり次第、お暇を頂きます。今回授業には不参加となりますし学友の皆さんにはご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「事情があるんだろうし、気にしなくて大丈夫だよ」
 申し訳なさそうに言うサラターシャに
「クラリッサさん…」
 やはり図書室に用があったのだろうか。廊下の向こうから現れたクラリッサ・ヴェルト(ib7001)が静かにかぶりを振った。
 自分の思いを尊重し、笑顔で見送ろうとしてくれる友。
 その心に、思いに深く深くサラターシャはお辞儀をした。
「…ご挨拶は後ほどまた改めて。皆さんの授業の成功を心からお祈りしています」
 そう告げると二人にもう一度お辞儀をして、彼女は歩き去って行った。その姿が見えなくなったのを確かめて
「はあ…、解っていてもやっぱり辛いね」
 クラリッサは大きくため息をついた。同意するようにリリスも頷く。
 二年生の授業においてサラターシャが果たしてきた役割は大きい。
 彼女はある意味二年生達の柱であったのだから。
「…でも」
 クラリッサは頭を振る。自分に気合を入れるように。
「いつまでも落ち込んではいられないね。気持ちを切り替えないと、そして取り戻さないと!」
「そう、ですね」
 リリスもまた顔を上げる。時間と課題は待っていてはくれないから。
「それで、アヤカシ牢の調査の方はどうですか? 外面図の方はできました?」
「なんとか、ね。目分検討だけど。内面図の方は?」
「本当におおまかなものだけ。先輩方も先生も資料閲覧どころか口頭でのヒントも教えてくれませんでしたから。でも、見た目通りの広さではないようですよ」
「まあ、仕方ないよね。課題だし、アヤカシ牢に行く前に、皆で共通理解できるところはしておこうよ」
「解りました。図書館で埋もれている璃凜を掘り出して行きます」
「うん、私も彼方くんや清心くん、誘っていくから」
 二人はそんな話をしながら歩き出す。
「…頑張ろう。サラさんの分も」
「ええ」
 そう思いを交わし合って。

●足元を見よ
 鍵を開け、重い扉を押し開く。
「皆。早く!」
 全員が中に入ったのを確認して、芦屋 璃凛(ia0303)は扉の中に身を滑らせた。
 そして、扉を閉める。
 ふう、と誰からともなく吐息が漏れた。
「何度来ても、緊張するね」
 手に持ったカンテラに火を入れて彼方がそれを高く掲げた。
 自分達がいるのは見た目より広い土蔵の入口。
 目の前にあるのは闇の奥まで続く一本の廊下。
 そして左右には固い鉄格子の中、無数のアヤカシが人の気配に唸り声を上げていた。
「見ていてあんまり、楽しいところでもないからな」
 清心が吐き出す様に呟くと左右に目をやる。
 入口近辺にいるのは知性を持たない動物系アヤカシが多い様である。
 だが、そんなアヤカシ達で見て、さえはっきりと『解る』ほどに彼等は人間への恨み、憎しみをその目に浮かべていた。
「アヤカシって人を襲い、喰らう事で空腹を満たすことができるけど、補給で身体を維持している訳じゃないから、延々空腹の時が続くって聞いたことがあるよ」
 松明を持つ手を上げながらクラリッサは呟く。
 つまりここにいるアヤカシ達は実験に使われ、滅ぶまで飢餓の苦しみを味わいながら閉じ込められるのだろう。
 自分達を捕え、ここに閉じ込めた人、陰陽師を恨みながら…。
 どこまでも続く暗闇はまるで陰陽術の陰。陰陽師が否応に向き合わなければならない心の闇の様に思えて、寮生達はなかなか身体と心を次の行動に移せずにいた。
 キュッと小さな音がする。
「…へん」
「璃凛さん?」
 音の方に彼方がカンテラを向けた。
 そこには唇を噛み、手を握り締める璃凜がいる。
「恨みの声になんて負けへん。うちは、菊羅玲比女を倒すんや、せやから…ここの闇も心の闇も、恐れへん」
「まあ、ね…」
 璃凛の言葉にはきっと色々なものが込められていると寮生達は『解った』
 自分自身を奮い立たせる決意であり、誓いであり…、恐怖や思いに押しつぶされそうになる自分への精一杯の強がりでもある。
「倒したアヤカシの恨みになんて負けてられないからね」
 クラリッサは肩を竦めながらも璃凛に微笑む。
 その強がりは今は、虚勢かもしれない。でも偽りでも貫き通せばそれはいつか真実になる。
「それ、『これを終えたら』が抜けてますよ。まずは目の前の課題に集中、です」
 リリスが笑い、璃凛に片目を閉じて見せた。
「うん。解っとる」
 璃凛も笑顔を返す。昏い闇の中だからこそ、笑顔を忘れず歩き出さねばならないのだ。
「よし、行こう…」
 そう言って璃凛は歩き出し
「クラリッサ、確か外面図見せてくれた時、平屋じゃなさそう言ってへ…うわっっち!」
 大きくコケた。
「璃凛!」
「どうしたの?」
「な、なんか足元に変な段があって…」
 蹴躓いたのだと璃凛は立ち上がりながら言うと足元を見た。
 彼らの足元は石造りの平らな床であるが、見れば確かに一か所盛り上がっているところが見える。
「あ…れ? まさか? 彼方くん、清心くん」
「解りました。清心!」
「ああ…」
 二人の男子が盛り上がっている石の塊に手をかけ、力を入れて持ち上げる。
 するとそこには木でできた何かが埋められていた。
 それは掘り出すと箱だと解った。そして…恐る恐る開けると
「木材…だね。新品の木じゃない。どこかの建物の木材っぽい。ということはこれが寮長が言っていた…箱?」
 あまりにもあっさり見つかった箱を二年生達は見つめる。
「その一つでしょう。おそらく。…前を見るのも大事だが時に立ち止まり足元を見よ、ってことかもしれません?」
 苦笑しながらリリスは仲間達を見た。
 寮長らしい謎かけである。
「寮長はいくら聞いても課題のヒントを下さいませんでしたが、箱は一つではないとは教えてくれました。あと、いくつか箱がある筈です。頑張って探しましょう」
 頷きあった彼らは、いよいよアヤカシ牢の探索へと本格的に挑むのであった。

●アヤカシ牢での攻防
 二年生達は慎重に調査を続ける。
 松明やカンテラで一つ一つの牢屋を照らし、その中を確認しながら。
 灯りによって照らし出されるアヤカシ達の様子は清心が最初に言った通り、どう見ても楽しいものでもない。
 人が側を通ろうとすると、鉄格子まで近寄って来て、手を伸ばし恨みがましいうなり声を上げるのだ。
 だが、おそらく計算されて作られた通路を歩く限り、彼らにアヤカシが触れ、あるいは危害を加えることは無かった。
「この天井の高さ…。外見の高さと結構差があるね。おそらく二階があるんじゃないかな?」
「建物の面積と部屋の配置からして、隠し部屋かなんかもありそうや」
 クラリッサや璃凛の推察は当たっていて、慎重な調査の結果、牢の中には巧妙に隠された通路や隠し部屋がかなりあることを、二年生達は知ることができた。
 そして程なくアヤカシ達を調べる為の裏部屋、その一つに箱があるのを彼等は見つけることができたのだった。
「中身は…宝珠ですね。でも、なんか変な感じがしませんか?」
 リリスがつんつんと宝珠をつつき、そして手に取った。
 触ってみても、手に取ってみても、宝珠に見られるべき筈の力の流れを感じられないのだ。
「もしかしたら、偽物ってこともあるから、とにかく油断せずに全部の部屋を確認しよう」
 人魂を手分けして放ちながら彼らは、全ての隠し部屋や屋根裏を捜索する。
 結果複数の箱を発見したのである。
 ある箱は屋根裏に打ちつけられ、ある箱は
「あれじゃないでしょうか?」
 アヤカシ牢の中で、一番数が多い入口近くの牢の真ん中にあった。
 その牢の中にいるのは殆どが人喰鼠と苔鼠。そして天井近くの梁には吸血蝙蝠と夜雀が蠢いていた。その数十数匹。
「強敵一匹の方がやりやすいんだけど…仕方ないよね」
「うちが囮になるから、その隙になんとか箱を取るんや」
 巴をかけた璃凛と呪縛符で敵の動きを鈍らせたリリスや彼方達の功を無駄にせず、クラリッサは結界術符『白』で作った道を迷いなく駆け抜け、箱を手に入れたのだった。
 牢の全体をほぼ調べ終わった時点で、入手した箱の数は計五個。
「でも、どうやらいくつかは偽物のような気がするね。例えばこれとか…」
 そのうちの一つをクラリッサは苦笑交じりで突く。
 屋根裏にあった箱の中にあったのは猫のぬいぐるみであった。
 途中の通路に置いてあった箱には白紙の帳面と墨と筆が入れられており、符作成の課題であるならともかく、今回の人形作成に使うものとは思えなかった。
 必死の思いで入手したアヤカシ牢の中の品まで偽物であったら脱力するところであったがその中にはおそらく本物であろう糸や符などが入っていたのでホッとする。
「まだ…あるのでしょうか?」
 彼方がそう呟いた時
「こっちだ!」
 清心が牢の奥で声を上げた。
 二年生達はその声を追って走り、息を呑んだ。
 牢の最奥に近いその場所に閉じ込められていたのは薄く漂う女性の幽霊であったのである。
「あれは…泣き幽霊…いや、恨み姫、かな?」
 彼方が記憶の中のアヤカシの資料を捲りながら思い出す。
 悲恋の果てに死んだ女性の怨念から生まれたアヤカシであり、呪声や錯乱、恐慌などの『声』を使った呪いで自分を裏切った相手や、命あるモノを死に追いやるのだと。
「こちらには、まだ気が付いていないようですが…」
 二年生達は改めて牢を見た。かなり広い部屋の最奥に幽霊がいる。
 そしてその中央に箱が一つ。
「この部屋が最後みたいだ。他の部屋に箱らしいものは無かったよな?」
「ええ」
 頷くのはリリスだ。
「人魂で調べても、目で見ても。これ以上見つけられなかった隠し部屋とか隠し階段とかがあれば別ですけど…」
「最後の戦いってわけだね。どうする?」
 クラリッサは璃凛に問いかけた。
 さっきの雑魚と同じ戦法という手もある。囮で敵を引き付け別の一人が箱を掴む。
 だが、今回は一対一だ。
 ならば…
「うちが行く。一直線に走って、箱を掴んで戻ってくる。皆…、援護してくれへんか?」
 僅かの沈黙は逡巡であったのか、それとも…。
「それが、一番かもしれないね」
 クラリッサが静かに笑った。璃凛にかかる負担は大きい。
 でも璃凛一人を戦わせるつもりは勿論ない。
「全力で走って下さい。全力で、援護しますから」
 彼方の言葉に、仲間達の信頼に
「任しとき」
 璃凛は力強く、頷いたのだった。

 巴を自分自身にかけた璃凛は軽く伸びをすると鍵を持ったリリスに頷いた。
 リリスもまた頷き返し、静かに扉を開ける。
 術で封じられていたのか、命の気配を感知したのか、扉を開けた次の瞬間、恨み姫は中に飛び込んだ璃凛の存在に気付く、璃凛に向けて迫りながら大きな『声』を上げた。
 恨みの籠った『呪声』に微かに璃凛の足が伸びを失う。
 だが、それ以上に恨み姫はその身体を前に運べずにいた。幾重にも重なる呪縛符に加え暗影符がその存在を包み込む。
 頭に響く呪いの声を振り切り、璃凛は全力疾走し、部屋の中央にある箱を抱えた。
 幸い重さはそれ程でもない。
 踵を反し、また全力で走り戻る璃凛。
 身体を縛る呪縛に抵抗しながら恨み姫は再び声を上げようとした。
 だが、その声は紡がれる前に眼前に現れた白い壁に遮られ、怨み姫は弾き飛ばされる。
 とほぼ同時、璃凛が扉に文字通り転がり込む。リリスは素早く扉を閉めた。
「ふう」
 大きな息を吐き出したのは誰であったか。
 時間にして僅か一分にも満たない攻防であった筈なのに、まるで何時間も戦ったような気がする。
 だが、勝利したのは二年生達だ。手の中にはその勝利の証である箱がある。
 中に入っていたのは紛れもなく本物の宝珠。
「やりましたね」「ご苦労様」
 二年生達は互いの健闘を称え合うように手を上げると、パンと音を立ててそれを会わせたのだった。

●旅立つ者と残る者
 サラターシャが返却すると差し出した朱花を寮長は受け取らなかったらしい。
「これは、返すには及びません。退学ではなく、休学なのですから」
「…解りました。お心遣い、ありがとうございます。いつも慈しんで見守って下さり、ありがとうございました」
「貴女の前に、いつでも朱雀寮の門は開かれています。戻って来て下さるのを心から待っていますよ」
「…はい。では、失礼いたします」
 課題の終了報告にやってきた二年生達は、朱雀寮長 各務紫朗の部屋の前で今まさに旅立たんとするサラターシャと出会い、立ち止まった。
 魔術師の服に、杖。旅装の外套と手荷物を持っており、直ぐにも出立できる様子ができている。
「…本当に、行ってしまわれるんですね。止めることは、できないのでしょうか?」
 俯きながら問う彼方にはい、と困ったような表情を浮かべながらもサラターシャは
「はい」
 そう迷わずに答えた。
 出立の準備を終え、このまま寮を去ると言うサラターシャの後を、全員が見送りについていった。
 寮長への報告は後でもできる。
 だが、サラターシャの見送りは今しか、できないのだから。
「二年…長いようで短い時間に沢山の事がありました。沢山の思い出があります」
 思い出の数々を抱きしめるようにサラターシャは微笑む。
 今まで共に駆け抜けた沢山の戦場や、課題。
 苦しいことや辛いこともたくさんあったのに、それら全てが輝いて見える。
 かけたい言葉、思いはたくさんあるのに言葉にならず、寮生達はやがて辿り着いた朱雀門を誰ともなく見上げた。
 二年前、この門を共に潜った彼らの始まりの場所。
 そして別れの場所でもある。
 旅立つ者と残る者を分ける、それは境界線だ。
「嬉しい事も、悲しい事も、楽しい事も、辛い事も胸に抱きしめて、今は一時のお暇を頂きます。
 また、お会い出来る事を祈って」
 柔らかく、優しく微笑むと
「では…」
 お辞儀をしたサラターシャは静かに踵を反し、朱雀門を外へと潜りと歩み去って行った。 
 嵐に立ち向かう様な決意と共に旅だって行く友を、残る二年生達は見送る。
 言葉無く、静かに、彼女の未来へ、祈りと思いを込めて…。

 課題については勿論、合格の判定を得た。
 最終的に得た六個の箱の内、三個が二年生達の思う通り偽物であった。
『得る』ことだけに満足せず、常に自らの結果について考えること。
 それこそが今回の課題であったのだろうと、後に二年生達は思ったのだった。
 ぼんやりと空を見上げながらクラリッサは友に問うた。
「サラさんが図書委員長をどちらかに…って言って行ったけど、どうしようか? やってみてもいいかな、とは思うんだけどね」
「私も引き受けることはやぶさかではありませんが…、焦らず二人でよく相談してから決めて下さいと寮長の言葉、ですからね。後でゆっくり話し合いましょうか?」
 そんな会話をしながら去っていた友を想い、彼らは空を見る。
「どちらがやるにしても」
「うん。サラさんの分まで頑張ろう。いつか戻ってきた時、笑顔で迎えられるように」
 誓いと、祈りと…想いを込めて…。

 八月の空は悔しい程に、悲しいほどに、高く、青く、美しく晴れ渡っていた。