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■オープニング本文 五行の魔の森を長く支配していた大アヤカシ。 生成姫の消失が五行のアヤカシ達に与えた影響は大きい。 特に生成姫が消失した先の戦乱において彼女の側近たる強い力を持つ上級、中級アヤカシも多くが滅び魔の森は混乱した。 だから…生成姫の残した魔の森の後継者。 上級アヤカシ『山吹』の誕生に、知性を持つアヤカシ達の多くはそれぞれの思いを持ちながらも膝を折っていた。 今こうして上空から、とある屋敷を見下ろすアヤカシもそのひとり。 何事か思案し、ニヤリと笑ったアヤカシの体がぐにゃりと歪んで、全く別の姿を象り舞い降りる…。 『山吹様』 開拓者との戦いの消耗により、憔悴しきった上級アヤカシ『山吹』は生前の姿を取り、白螺鈿の屋敷、その一角にいた。 妹以外の者は払われている筈の人の館の二階。 人がいられぬ窓の外に感じられた人以外の気配。 既に人ではなくなっている彼に解らない筈は無い。 「誰ダ!」 声を上げる。 細く開いた窓から現れたのは無論、アヤカシである。 男の姿をしたそれは他の物より多少は力強そうではあるが、彼にとっては珍しくも無い存在だ。 だが男の「顔」に山吹は別の意味での見覚えがあった。 そこに有る筈の無い姿に目を見開く。 「お前ハ…」 その「アヤカシ」は山吹の前に跪く。 『私は、新たなる魔の森の支配者にして後継者。山吹様のお力になりたく思います。…『兄上様』。どうか、この『弟』にお役目をお与え下さい』 弟。 その言葉に山吹は小さく笑って首を振った。 「…今ハ、…おまエに構っていラれない。役二立ちたいと言うのなら…儀式の為の生贄を集めよ…。ただ、ここでの…私ノ邪魔は許さぬ…」 その命に彼は頷き、従うと誓った。 『はい、兄上様の為に上質の贄を集めて参ります。魔の…いえ常世の森の根城へ運び、準備を整えます。支度が済んだら呼びに参りますのでどうぞ、今、暫くお待ち下さい』 「人二見られるな。行ケ!」 『はっ!』 彼は闇に消え、その影を見送り、山吹はくくと笑って…思った。 アレが口ほどに役に立つとは思わない。 だが…もし万が一にでも役目を果たし儀式を為し終えることができたら呼んでやろうか、と。 弟、透…と。 その日も穏やかで楽しい一日になる筈だった。 楽器を持ち、差し入れを用意し五行国の一角にある牢屋にやってきた朱雀寮生達はそれらを取り落す。 目の前に広がる光景に驚きながら。 「これは…一体?」 意識を失った牢番、崩れた壁。折れた中庭の木、そして…倒れ伏す陰陽師。 「香玉先輩!」 寮生達は陰陽師に駆け寄った。幸い、心臓は鼓動している。 抱き上げとにかく治癒符をかける。 傷が大きすぎて、直ぐに効果は発揮しないが…それでも彼女は目を開け、そして…告げた。 「…大変、なんだ。桃音が…アヤカシに…連れ去られた」 「なんだって! どういうことだ?」 寮生達の悲鳴にも似た声が牢を貫き、響いていた。 ことは少し前に遡る。 五行国の牢に囚われている生成姫の子、桃音は寮生達の談判により罪人であり捕虜ではあるが、人としての生活を許されていた。まだ少女と言える年齢であることから女性陰陽師香玉が世話役に付き見張りと教育を兼ねる。とはいえ、最初はアヤカシに育てられた暗殺者としての凍るような目を見せるばかりであった。彼女が変化を見せたのは陰陽寮生との面会が許されるようになってから。 授業に依頼に忙しい中も足しげく通ってくれる寮生との面会と関わりの中で、桃音は最初とは明らかに違う顔を見せるようになった。最近は練力を封じる枷付きであるものの、中庭での散歩も許されるようになってきていたのだ。 「あ。花が咲いてる。綺麗ね」 暗い牢の中で過ごす少女にとっては雑草も美しい花に見えるのだろう。 「そうだね」 頷きながら香玉は空を見上げた。眩しい初夏の太陽がそこにある筈であった。 「え?」 だが、気が付けばそこには飛行アヤカシの群れ。人面鳥に鬼面鳥。そして鷲頭獅子と鵺。 『やれ!』 「桃音! 危ない!」 香玉は慌てて桃音に飛びつき、庇う様にして地面に転がった。 香玉の背に落ちる雷。奔る衝撃波は花を潰し、見張りの牢番達を切り裂いた。 白昼堂々の襲撃。 「なに? 何が起きたの? 香玉! しっかりして」 香玉の腕から抜け出た桃音は 『桃音。お前はそこで何をしているのですか?』 「えっ?」 不意をつかれ地獄と化した中庭に、降り立つ黒い翼のアヤカシを見て息を呑み込んだ。 「透…兄様?」 その男アヤカシは彼女の兄、透の姿をしていたのだ。 「透だと!」 寮生達は声を上げる。 生成姫の子 透は朱雀寮を卒業した言わば彼らの仲間であった。 母である生成姫の為に国と仲間を裏切った透は、最終的に寮生達の手によって捕えられ五行国の裁きを受け処刑された。 屍は焼かれ、骨も残されなかったことを仲間が見届けている。 だが、男はさらに彼女に、こう告げたのだと瀕死の香玉は言う。 『私は死して後、おかあさまの眷属となって生まれ変わったのです。我らの兄・山吹もお役目を果たして眷属となりました。おかあさまがお戻りになるまで代役をお勤めになります。 我らは今、再び集い、兄上様の元で働かなくてはならないというのに。お前は何をしているのですか? お役目も果たさず、敵の中でぬくぬくと」 一時喜びに輝いた桃音であったが兄の言葉に俯く。 「それは…お役目に失敗した私は…学び、力をつけないと…おかあさまのお役に立てないと…」 『言い訳は無用。常世の森へ帰って来きなさい。兄上様のお力になり、新しいお役目を果たすのです」 「キャ!」 桃音の枷が鵺によって砕かれ、桃音は自由の身になった。 『さあ、その者を殺し、我らが元へ』 意識はあるが身体が動かない香玉は死を覚悟した。 だが聞こえてきたのは 「で、できない!! 透兄様、私にはできない!」 そう泣き叫ぶ桃音の声。 『そこまで人に心を汚染されたのですか。まあいいでしょう。…言うことを聞かぬなら…こうするまで!』 「キャアア!」 「桃音!」 地面に桃音が崩れ落ちる音がした。彼女を抱える気配も。 異変を感じてやってきた役人や牢番達に再びアヤカシ達は攻撃を仕掛けると、空に飛び去って行った。 『裏切り者には最後のお役目を果たして貰わねば。山吹兄上様の為の贄としてその力となるという…。 私は先に森に戻り儀式の用意を始めます。お前達は兄上様の為に贄を集めるのです』 再び落ちる雷撃。 香玉もそこで意識を失った。 その後、目撃証言が入る。 五行の牢を襲撃したアヤカシの集団が北東の魔の森に向かって行った。 先頭に立つのは人の姿を取った黒翼のアヤカシ。鷲頭獅子には意識を失った少女が乗せられていたと。 「あの子を…桃音を、助けておくれ」 うわ言の様に香玉は繰り返す。 立ち上がり走り出す寮生達。 胸に溢れ彼らを動かすものが何か…それはもう言うまでもないことであった。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 玉櫛・静音(ia0872) / 胡蝶(ia1199) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 樹咲 未久(ia5571) / 鈴木 透子(ia5664) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / サラターシャ(ib0373) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 雅楽川 陽向(ib3352) / 寿々丸(ib3788) / 比良坂 魅緒(ib7222) / 羅刹 祐里(ib7964) / わがし(ib8020) / ユイス(ib9655) |
■リプレイ本文 ●追う理由 朱い目に脳を射抜かれた時、桃音の脳裏に思い出が過った。 里を出た桃音に、与えられた最初の役目は 「兄である透の力になること」 だが陰陽師であった雷太と違い、桃音は陰陽集団の中で信頼を得ている透の側に簡単に付く事は出来ず時を待つことになった。 そんな桃音を透は気遣い、よく声をかけてくれた。 人の世の知識として自分が学んだ学び舎、陰陽寮の話もしてくれたことも覚えている。 「世を知りなさい。それが、いつか貴女と貴女の大切なものを守る為の力になるでしょう」 優しく微笑んでくれた兄に憧れた。おかあさまの横に立つ透のようになりたいと夢見た。 それは、遠い日の記憶…。 高い上空を影が過る。 「アヤカシ! あれは、桃音さんと透…さん?」 その影を見上げたサラターシャ(ib0373)は信じられないというように呟き駆けだした。 いつものようにやってきた五行牢屋のまるで戦の後のような中庭。 驚き、走り寄る寮生達の前で 「あの子を…桃音を、助けておくれ」 陰陽師香玉はうわ言の様に呟いて目を閉じた。 「香玉先輩! しっかりして!!」 「大丈夫だ。真名(ib1222)。呼吸はしっかりしている。意識を、失っただけだ。だが…透、だと?」 劫光(ia9510)は腕の中に支えていた香玉を地面に横たえながらギリリと唇を噛みしめた。 透。 それはかつて彼らの友であり、仲間であった陰陽師。 大アヤカシ、生成姫に育てられた『アヤカシの子』であり仲間を裏切り、処刑された現朱雀寮生達の先輩の名である。 寮生達がその手で捕え、処刑台へと導いた…。 その彼がアヤカシとして生まれ変わり、牢屋を襲撃し桃音を連れ去ったと言うのだ。 治癒術を繰り返している泉宮 紫乃(ia9951)の手も震えていた。 「侵入経路は? どっちの方向に逃げたんや?」 生き残った牢番達に芦屋 璃凛(ia0303)は確認する。 役人や五行の兵達が香玉や怪我人達を安全な場所に移動させていくのを見送りながら 「ふざけた…ことを」 いつも穏やかな口調である尾花朔(ib1268)が明らかな怒りを漲らせた。 「生まれ変わっただと? 何も知らぬものが戯言を!」 ただでさえ朱雀寮生達の傷を抉る『透』の名。 加えてこの惨状に寮生達の怒りは燃え上がる。 「へぇ……我等が香玉ママンを傷つけ、透の名を騙り、桃音セニョリータを攫ったのか。笑えてくるぜ。こいつは遠慮のいらねぇ相手になりそうだな』 いつもと同じような軽い口調の喪越(ia1670)。 だがそこにもいつもと違う強い意思が感じられる。 「…先に行かせて貰うぜ。俺様の超カッコイイ滑空艇なら直ぐ出られる。迫り、捕えられるかもしれねえ」 「待て。喪越。俺も行く!」 先行しようとする喪越を呼び止め、劫光が振り返った。 「他の連中にも伝えて追って来てくれ。先に追う。時間が、足りない。急げ、と」 「解ったのだ!」 平野 譲治(ia5226)は桃音と一緒に遊ぶ筈だった楽器を抱き寄せ頷く。 「二人とも、お願いしま…!? 紫乃さん!」 「待て! 紫乃!!」 劫光と喪越、その横をすり抜け走って行こうとする紫乃の腕を劫光が掴んだ。 「離して下さい! 私はそのアヤカシをを許せない!」 普段の物静かで優しい紫乃からは想像ができない程に彼女は取り乱していた。 「紫乃! 落ち着きなさい! 透先輩を思うなら!!」 「紫乃さん、無理はだめです!」 同じように顕な怒りを浮かべていた朔も紫乃の様子に頭が冷えたのだろうか。彼女を静かに宥め止める。 「陰陽師が感情に流されるな!」 劫光の叱咤に、雷に打たれたように紫乃は動きを止めた。 「陰陽師は天敵の力の源を介して、力を行使する者。 故により強い自制が必要になる。 その陰陽師が感情に流されてどうする? 透がいたら失望する事の無いように…思い出せ…」 「透…先輩」 真名が親友の震える細い肩を強く抱きしめる。 「死の間際にも冷静で穏やかだった先輩…。今、感情に走って敵を追い、紫乃が傷ついたら彼は絶対に喜ばないわ」 「皆で追いましょう。直ぐに後を追います。お二人とも…お気をつけて」 紫乃が落ち着いたのを確かめて喪越と劫光は微笑し、指を立てる。 「おう! 任せときな。でも…早く来てくれな」 「行くぞ!」 走り出していく二人。それを見送りながら 「…ありがとうございます。真名さん、朔さん…」 紫乃は朔と真名に礼を言った。 既に譲治やサラターシャ、璃凛は仲間達への連絡と出立に向けて走り出している筈だ。 「大丈夫よ。絶対に奴を許したり、逃がしたりしないから…」 微笑みを作る真名の目にも、優しく見守る朔の瞳にも確かな怒りがある。 冷静に考えれば解る。相手が本当に透である筈は無い。 その姿を象り、真似ただけの偽物であるのは明らかだ。 寮生達にとって絶対に許せない相手。 だからこそ、感情に流されてはいけない。 「はい。…行きましょう」 深く深呼吸をして紫乃は友に告げる。 そうして彼らもまた走り出すのであった。 絶対の敵を追いかけ、倒す為に。 追撃の為の仲間は直ぐに集まった。 「またずいぶん好き勝手をしよるものよ。のお、皆」 比良坂 魅緒(ib7222)の言葉にユイス(ib9655)、雅楽川 陽向(ib3352)、羅刹 祐里(ib7964)もそれぞれに首を縦に振る。 寮に居合わせた朱雀寮生は勿論、事情を知り駆けつけてくれた玄武、青龍寮生達も集まっていた。 「白昼堂々、人攫いとは舐められたものね…後悔させてやるわ」 胡蝶(ia1199)は空龍ポチの手綱を握り締める。 「でも…本当に透さんが生まれ変わって来たのでしょうか? 死して、躯も無くなった者がアヤカシとなって生まれ変わる…などということが…」 「あるわけありません」 鈴木 透子(ia5664)の呟きにきっぱりと青嵐(ia0508)は告げる。彼の目に目立った怒りは見えない。 だが見えないからそれが無いわけではないだろう。 まして青嵐は透の死を見届け、その存在全ての消失を見届けた者だ。 「まあ、もし、転生してきたとしても何も変わりません。やるべきことも、目的もです」 「何にせよ、悪趣味で無粋な相手。遠慮は無用でしょう」 无(ib1198)の呟きにそうですね。と答えた樹咲 未久(ia5571)は俳沢折々(ia0401)を見た。 空龍うがちの準備を整え飛び立とうとする俳沢折々(ia0401)の顔は真剣な顔、暗い表情、決意の眼差しの多い中、…笑顔に見える。 「…折々さんは、随分と楽し…いえ、嬉しそうですね」 「あ…解る?」 折々は頷くと空を見上げた。手には形見として預かった透の笛が握りしめられている。 「こんな時だけどうれしいんだ。 桃音ちゃんが香玉先輩を手にかけなかったことが。 誇らしいんだ。そんな風に桃音ちゃんを変えることができたみんなのことが。 皆、少しずつだけど前へと進んでいる。ただその事実が、何よりも喜ばしいんだ」 ぎゅっと、手の中の笛が音を立てた。強く握りしめられた、それは決意の音。 「だからこそ、透先輩を騙ったと言うアヤカシは許さない。この思いは怒りじゃない。陰陽寮と仲間を貶める相手への侮蔑だと思うから…」 「こんな無礼があって良いわけはありません。絶対に」 玉櫛・静音(ia0872)も黙って頷く瀬崎 静乃(ia4468)も思いは皆、同じだろう。 「おしゃべりはここまでにしましょう。とにかく時間がありません。先行している劫光と喪越への負担も時間が経つごとに増えますから」 青嵐の言葉に彼等の会話はピタリと止まる。 そして…それぞれの思いで頷く。 敵は現時点では全て飛行アヤカシ。魔の森に入る前に捕えるなら空中戦が必須となる。 故に多くが飛行相棒を連れての急行を目指す。 細かい打ち合わせをしている時間は無いがざっと分担は決めた。 ただ… 「ウチは陸路を行きます」 璃凛は悩んだ末仲間達にそう告げる。 「罠よりも、アヤカシの行動が気になります。 飛行できるアヤカシばかりで攫ったけど、陸路にならんとも限りません 追いかけろと言わんばかりで、何か怪しい気がするし 人攫いは、慣れていているやろし地の利はあっちのもんや…もし、何かがあることを考えたら地上から行くのも有りかとおもうんです」 彼女の意見は決して手放しに賛成された訳では無かったが 「俺は、相棒が走龍しかいない。地上から魔の森を目指すしかないな」 「この奇襲…無策とは思えませぬ。何か…あるのでは?」 同行を申し出てくれた祐里と寿々丸(ib3788)により班としての形も整うことになる。 「追わねばなりませぬな…逃がしませぬ…!」 「ん〜、ならうちも地上から追うことにするわ。寿々丸さん。うちの駿龍に同乗してみん? 連れて行くのが人妖なら…スピードはちょい落ちるかもしれへんけど…なんとかなると思う」 「よ、よろしいのでするか? 雅楽川殿。大丈夫なのでしたら、是非乗せていただきたいですぞ」 寿々丸に笑顔で頷くと陽向は龍の背を叩く。 「琴、出番やで。なんや、アヤカシが出たらしいわ。急がんとあかん。 ほんで、連れ攫われた子は、歌の練習しよったんやって。歌好きの琴と気が合いそうやな♪ 早く、助けてやろうな」 陽向の言葉に琴は頷く様に高く首を上げた。 「目的を忘れるな。勝つ必要はない、奪われたものを取り返せ」 青嵐が静かに告げて彼は鋼龍嵐帝に跨る。 「つよ…っ!?」 譲治の相棒小金沢 強が頭をもたげる。 譲治が相棒の元に向かった時、既に彼は進化して待っていたという。 (…必要だろう? 少女を助けに行くには、さ) 相棒がそう微笑んだ様に見えて譲治もまたすぐさまその背に飛び乗った。 「…んっ!ありがとなりよっ!」 心の中で譲治は思う。 (折角の機会でありこれからの道を決断するときなりね なればその決断、迷いなくさせるのがおいらの役目と見たのだ) 「強! 頼むのだ!」 「じゃあ、みんな。行こうか」 「ええ、行きますよ、真心」 静音の言葉に鷲獅鳥は高く飛翔し 「風天、全速」 无の命令に龍は片目を瞑り意を返す。 「空…全速力でお願いします」 鐙に足を縛り手綱を手に巻きつけ、紫乃は駿龍に身を託して飛び立つ。 「行くわよ、クリムゾン!」 「急げよ。カブト」 折々の言葉を合図に寮生達は迷いなく敵の元へ駆け抜けて行った。 それを地上から見送る者が一人。 (英雄譚に終わりはない、ですね。 嬉しいですよ。こんなに温かい人達と共に在る事は。 今回もただ、見にきただけですよ。皆様の葛藤を…) 「…うちらも行こう。地上から行く分急がんと!」 からくりを連れて行く予定だったが時間が無かった。 甲龍風絶の背を叩き、飛び立とうとする璃凛を 「お待ちいただけますかな?」 見慣れぬ青年が呼び止めた。 寮生ではない。まったく見覚えが無いわけではないのだが… 「あんたは?」 「わがし(ib8020)とお呼び下さい。この度は吟遊詩人として、英雄譚を見届けさせて頂きたいと思い、参りました。どうか皆さんにご同行させて頂きたく」 彼は柔らかく微笑んで璃凛にそう言う。 「それは…ありがたいんやけど…うちらは完全な伏兵や。英雄譚を見たいと言うのなら先輩達の方へ行った方がええんとちゃうかな?」 不安げに顔を伏せる彼女に 「何を申されましょうか。人を想い、人の為に動く。そこに強き思いと願いがあるのならそれは立派な英雄譚です」 わがしはそう言って首を振った。そして真っ直ぐに璃凛を見る。 強い意思故に、時として人とぶつかり、異なる道を行く少女。 (理由はどうあれ、苦労するでしょうね。ですが良くも悪くも平野少年に影響をおよぼしてくれると…) 「な、なんやろか? うちの顔になんかついとるか?」 その視線に照れた様に璃凛は顔を逸らす。 「これは失礼。ですがお力になりたいと思う気持ちは真です。いかがです? お受け頂けますでしょうか?」 微かな逡巡の後、璃凛は決意する。 同行の者達は一年生と二年生とは言え年少の寿々丸である。 陸路と言う道を選んだ自分に付いてきてくれる彼らを守らなければ。 「おおきに。こちらからお願いするわ。うちらを、助けて下さい」 「無論。最大限の努力をさせて頂きましょう。その為に参ったのですから。では、行きましょうか。ようがし!」 先行する祐里の走龍を追う形で龍達が飛ぶ。 空と、陸を寮生達はひたすらに進む。 まだ見えない、黒き翼のアヤカシ。その影を追いかけて。 ●奪還の為の戦い 結論から言うと陸路の班を作った寮生達の判断は正解であった。 彼らの本来の目的とは外れていたかもしれないが、寮生達が陸路を選んだことによって敵のある重大な思惑が阻止されたのである。 「雅楽川殿! あれを!!」 いち早く状況に気付いた寿々丸が声を上げる。 魔の森に向かう街道沿いの村。 そこに上がる悲鳴と人面鳥の声。そして連れ去られようとする人の影。 「子供か! 追え! ダフ!!」 先頭を進んでいた祐里の走龍は高くジャンプすると子供を抱えた人面鳥に蹴りを入れた。 『ギギャアア!』 取り落された子供は下に回り込んだ陽向の龍の背に落下し寿々丸が受け止める。 「良かった。無事でございますな」 安堵の息を吐き出す寿々丸とは正反対に陽向は龍の制御に必死だ。 「わわっ! 琴、頑張れ! 寿々丸はん。ちょっと一回降りるで。落されんようにな」 「わ、解り申した!」 子供を抱きかかえて寿々丸は龍にしがみ付き、琴が地面に着くと同時に飛び降りた。 気が付けば周囲に人面鳥と鬼面鳥が集まってきている。 「こ、こやつらは一体?」 「! そう言えば!」 璃凛はハッと顔を上げた。香玉の言葉が脳を過る。 『お前達は兄上様の為に贄を集めるのです』 黒翼のアヤカシがそう配下に命じていた、と彼女は言っていた。 「子供をアヤカシの餌に、ですと!」 寿々丸は手の中の子供を強く抱きしめる。まだ赤子と言っていい歳だ。衝撃に意識を失っているが、確かなぬくもりがそこに有る。 「そんな、そんな事、許されませぬ!!」 ぎゅっと、子供を抱きしめ寿々丸は叫んだ。 「…寿々丸さん。そやな、絶対にそんな事させへん!」 璃凛とわがし、そして祐里も陽向の側に集まって敵を見る。 周囲をまるで禿鷹のように飛び回る敵の数は10体弱。 これを放置していたら、また子供を攫うだろうし、黒翼のアヤカシと合流すれば、桃音救出に向かった仲間達の邪魔をするだろう。 「皆! 先にこいつら倒すで! 仲間と合流しない様に。そして、もう子供を攫うなんて真似、させへんように」 璃凛が声を上げる。 「解った」「了解や」 既にわがしは歌を紡いている。騎士の魂、折れぬ心を与える歌。 「琴、援護頼むな。行け! 火炎獣」 「烏よ。奴らの目を射抜け!」 朱雀寮生達は敵に飛び込んで行く。その先頭に立つのは璃凛だ。 「悲恋姫を出す。巻き込まれんようにな!」 子供を胸に抱き留めたままの寿々丸は、小さな命をわがしに託し 「嘉珱丸。援護と回復を」 前に進み出た。 『寿々、無理は禁物ぞ?』 「解っておりまする。ですが…ここで退く訳には参りませぬ」 『そうだな。さて、共に舞おうか』 そして奇声を上げて飛びかかってくる鬼面鳥に躊躇いの無い白狐を放つのであった。 「うっ!」 「大丈夫か? 劫光!」 目を押さえた劫光に気付いた喪越は六尺棍で眼前の蜂を叩き潰すと、滑空艇を側に向けて旋回させた。 「だ、大丈夫だ。毒液が目に入っただけ。直ぐに、回復する」 目元を擦り劫光は痛む目を開けた。 眼前には似餓蜂の群れ。攻撃タイプの中に毒液の噴射や麻痺攻撃をするタイプも混ざっているのだろう。 一体一体であれば彼らの敵ではないが、数にものを言わせられると後手に回らせられてしまうこともある。 あと一歩で先行していたアヤカシに追いつけるかと思った所で、眼下の森から蜂達が襲い掛かって来たのだ。 「似餓蜂か。透も偶に使ってたな」 喪越が呟いた言葉は自分と、そして劫光にスイッチを入れる為。 「こんな雑魚に、いつまでも足を止めてなんかいられない。奴に馬鹿にされる」 劫光はキッと前を向く。 敵の目的は魔の森に辿り着く事。そしてその為に罠や伏兵を用意している事くらいは想定の範囲内だ。 「喪越。こいつらに構うのは止めだ。悲恋姫で穴を開けたら振り切って黒翼に肉薄する!」 「よーし。その意気だ。後の事は後ろの連中にお任せってことで」 「行くぞ!!」 喪越が自分と間を開けたのを確認して劫光は悲恋姫を召喚した。 自らの人妖と良く似た幻影がその『声』を響かせる。蜂達の思考を静止させる『声』を。 ぼとぼとと落ちて行く蜂達。前方に空間が開いた。 そこを弐式加速で駆け抜けていく滑空艇には蜂達でさえ追いつけない。 追撃を諦めた蜂達は、さらなる仲間を呼び集め、程なくやってきた新たなる敵に、攻撃の矛先を変える。 怒りと共に。 それが全滅への道であると知る由もなく。 敵を逃がしたことによる恨みか、似餓蜂は後続となる本体を明らかな怒りと共に強襲してくる。 最短距離を直線で飛んできた彼らは驚くべき速さで敵の本体に迫りつつあったが、駿龍や鷲獅鳥達はその早さの分、防御に難がある。 敵の数や針の攻撃、毒の噴霧に僅かであるが足止めを余儀なくされた。 だが、蜂達に不運であったのは怒りの量を競うのであれば確実に寮生達の方が上であったということだ。 「玄冬硬質化。道を抉じ開けて固定しますよ」 未久の甲龍が硬質化した己の身体で体当たり。蜂を文字通り叩き落としていく。 後続となる甲龍と鋼龍が到着する頃には数をかなり減らしつつあったし、防御に優れる甲龍と鋼龍達が蜂達を食い止めようと動いてくれた。 「定石どおり配下で足止めね…後続のために道を開かないと。こんな雑魚配下に構ってられないわ。皆!」 胡蝶の声に陰陽寮生達、特に青龍寮の者達が呼応する。 眼前に飛ぶ照明弾は敵の位置と戦闘の開始を告げるものだ。 「貴方達は、先に進みなさい。今、道を切り開くから!」 「巻き込まれない様に下がって」 胡蝶の呪声、无と透子の魂喰に加え、 「吹きなさい『氷龍』」 未久の氷龍が蜂達に襲い掛かる。 相棒達の風焔刃を始めとする一斉攻撃が功を奏して、蜂の群れに再びの穴が開いた。 「行きなさい!」 胡蝶の声に寮生達は背を押されるように先に進む。 「まだ本当の敵には届いてない。こんな雑魚、さっさと片付けて行くわよ!」 「確かに。どうせ癇癪を当てるなら本命でないと」 「透子さん。先に行って彼らの援護を」 高い位置を飛ぶ透子は蜂達の射程からも遠い。 数も減った。この程度なら遅れを取りもしない。 「行くわよ! ポチ!」 胡蝶の高い意思と声が戦場に響き渡った。 彼らが戦場に到着した時に目にしたものは傷つき息を切らせながら 「目を覚ませ! 桃音!!」 声を荒げる劫光と喪越。 そして襲い来るアヤカシの群れのさらに奥に人型を取った黒翼のアヤカシが見えた。 「貴様! 誰に断ってその姿をしてるっ!」 滑空艇を操って必死に追い縋ろうとする劫光。 だがアヤカシの指先が踊る様に動くと人面鳥や鬼面鳥が体当たりを仕掛けてくる。 「劫光! 避けて!!」 真名が群れに向けて氷龍を放った。動きを止めた人面鳥に紫乃もまた氷龍を重ねる。 「あれが…」 零れ落ちる周囲の敵と、少女を背に乗せた鷲頭獅子の背後から人の姿をしたアヤカシはさらに敵を差し向けていた。 寮生達は援護の意味も含めて、一気に肉薄せんと勢いをつける。 だが、そうはさせじとアヤカシは逆に後方へと間を開けた。 劫光と喪越の眼前に鵺の雷撃が轟き、後ずさる。 それが結果として後続、本隊と彼らを合流させた。 「大丈夫ですか? 劫光さん!」 「ああ…すまない」 所々黒焦げた服。 その下の火傷に紫乃は治癒符をかけた。 「なんとか、敵に追いつき、いくらか数は減らしたんだが…、奴になかなか近づけない」 その間も寮生達は黒翼のアヤカシを逃がすまいと、隊形を作り…そして睨みつけたのだった。 目の前の敵を。かつての友の姿をした『アヤカシ』を。 「なんのつもりですか?『透』先輩」 ユイスの呼びかけには皮肉が混じる。 目の前に立つ黒翼のアヤカシは確かに彼らの良く知る透とよく似ていた。 『先輩…。何の事だか解りませんね』 手に持った鞭を玩びながら彼はニヤリと笑う。 同じ体系、同じ骨格をしているせいか声も良く似ているように思える。 『私は、おかあさまの眷属となり生まれ変わった時に、人としての余分な記憶も感情も捨て去りました。 ここにあるのはおかあさまと、山吹兄上様に忠実に仕えるアヤカシ「透」』 「その名を、その姿で、その声で名乗らないで!」 声を上げたのは紫乃であったが、それはその場にいる朱雀寮生全員の思いであったろう。 「無礼な!透先輩を騙るなど!!」 静音も嫌悪を露わにする。 『ほお。この姿、この声を見て私を透でないと言うのですか?』 クッとアヤカシが笑うのが聞こえた。 『余分な記憶は捨て去りましたが、貴方達の事は覚えていますよ。前の器の時、胸を切り裂き命を奪った痛みと恨みは今もはっきりと…』 一目、一言。 寮生達にとって確信を得るには、それで十分であった。 「愚かな…」 高き上空から気配を隠し、様子を窺う透子。 生前の『透』を彼等程は知らない彼女でさえ『解った』のだ。 あれは『透』ではないと。 「ねえ…。『透先輩』。桃音ちゃんを、どうするつもり?」 折々が声をかける。アヤカシは解りきったことを、と顔を上げる。 『我らを裏切り、心まで人に汚された者に神の子たる資格はありません。罪を償う方法はただ一つ、我らが長となる山吹兄上様の復活の為、その身を捧げて力になること。 さすれば兄上様とその命は一つとなることができるのです』 「そう…。よーく解った」 折々は陰陽刀「九字切」を構える。 「最初から解ってた事だけど、お前は透先輩じゃない。捕らえた子をアヤカシの贄にする、そんなことを、まだこの段になって言っている。姿格好を似せてはいても、進歩の無い発想と行動は似つきもしない愚鈍…」 彼女は断言しその刃をアヤカシに真っ直ぐ構える。 「透さんの言葉を覚えています。 『繋ぐ者になりたいと』 『叶うなら人として、もう一度、皆に会いたいと』 彼の想いを踏みにじる様な、こんな…。彼の姿で、彼でない言葉を語る事…許されませんっ!」 「人の心を弄びおって。透は最後まで兄妹達の身を案じておった。貴様等の下衆な奸計、相応の代償を払って貰うぞ…!」 「あなたは透先輩の想いと桃音さんの気持ちを踏みにじり、香玉さんを傷つけました。大切な仲間達を傷つけた事、後悔していただきます」 サラターシャ、魅緒、紫乃と続けられた怒りの籠った思いは、最後に青嵐に結ばれた。 「例えアンタが誰でも、朱雀寮(うち)の「身内」を浚った落とし前をつけて貰う。それだけだ。行くぞ!」 戦端を切ったのはどちらであったか。 「桃音は返してもらうわよ、偽物!」 かくして寮生達にとっての一つの、奪還の為の戦いの幕が開いた。 ●決別の時 敵の主力は人面鳥と鬼面鳥。 ほぼ同数で二十体に少し欠ける程。 一体一体であるならそう怖い敵ではないのだが、複数で 「間合いを取れ。敵に接近させるな!」 しかも指揮をとり的確な命令に従う相手であることが僅かに開拓者を苦戦させた。 距離を開けて呪声を響かせる。 直接脳に響く声に、前線に立つ紫乃は顔を歪めた。 「こ、これくらい! 透先輩の無念に比べたら!!」 雷閃、氷龍。感情に任せて敵に向かって術を放っている様に見える。 「紫乃! 落ち着いて…」 心配し呼び止めようとした真名を 「真名さん!」 首を横に振った朔が静止した。 振り返る真名は朔の視線と紫乃を見やって 「解ったわ」 そう頷いた。 そして紫乃と動きを重ねるように火輪でまずは雑魚を減らしていくことにする。 静乃もまた氷龍で確実に一体一体を仕留めて行く。 時に、朔の雷閃とタイミングを合わせた攻撃は数羽を一気に落す事もある。 それに気づいたアヤカシ達は数体ずつ纏まって寮生達に攻撃を仕掛けてくるようになり上空は完全な乱戦、空中戦の戦場となっていた。 「静乃さん!」 「…解った。氷龍!」 「轟け! 雷閃!」 敵は少しずつ数を減らしていくが、なかなか奥までたどり着くことができない。 目的は最奥の黒翼のアヤカシ。 だがその周囲には鵺が、鷲頭獅子とアヤカシを守る様にこちらをけん制してくる。 衝撃波を放つ鷲頭獅子。 その背には未だ意識を失った桃音がいる。 今、目覚められてもかえって危険だが、彼女の安全が第一である。 「なんとか、あいつらを引き離さないと…? 朔!」 真名が状況の変化に気付き、朔に声をかけた。朔は真名の視線の方向を見やり、頷く。 「解りました。…一気に攻め入りましょう」 心配なのは数を減らしたとはいえ雑魚に背後を取られること。だが、それは 「風牙! 人面鳥の前へ」 人面鳥の群れに飛び込んだユイスがにっこりと笑う。 「行って下さい! 先輩! 大龍符は効きませんが…こちらはどうです? 火炎獣!」 彼が言う様に、仲間が、後輩が止めてくれると信じる。 「…タイミングは…」 既に状況の変化に気付いている仲間も多い筈だ。最初の一石。 そこからの流れが全てを決める。 高き空の、さらに上を朔は見上げた。眩しい太陽がある。そして、そこから降りてくる一直線の影。 『何!!』 今まで完全に気配を隠し、機会を伺っていた透子が頭上から 「蝉丸! 急降下!」 龍と共に隕石の如く降下する。黒翼のアヤカシを狙って。 「皆さん!」 響く声に寮生達の意識が集結し 「ここで、決めるぞ!!」 劫光の叫びが空に轟いた。 寮生達の一斉攻撃。 そのタイミングを決めたのは似餓蜂の足止めを終えて再度の合流を果たした青龍寮の援軍である。 「あの鵺は私が引き受けるわ。雑魚は任せて急ぎなさい!」 「感謝する!」 「スザク、ゲンブ、ビャッコ……セイリュウ。雷よ退け!」 九字護法陣をかけて遠雷を防いだ胡蝶はポチの高速飛翔で一気に鵺と間を詰めて、その意識を引きつける。 「…援護する。文幾重…。お願い。行くよ…朱夏!」 鋼龍の背から高速で鳥人形を静乃は操った。 「絡みなさい『呪縛』」 未久の呪縛が鵺に絡みつく。 …鵺は強敵である。 完全に倒すのには彼らだけではおそらく苦戦するであろうが、寮生達はもう振り向かなかった。 彼らと仲間が明けてくれた道を抜けて、奥。 黒翼のアヤカシと桃音を捕える鷲頭獅子への攻撃を強行したのだ。 透子はドラゴンダイブの直前、アヤカシに向けて黄泉より這い出る者を打ち込んでいた。 『ぐ、ぐああっ!』 唸り声を上げながらもアヤカシは透子の龍、蝉丸の爪が彼を裂こうとする寸前、 フッとかき消す様にその姿を消した。 「透子さん! テレポートです。そう遠くには行けない! どこか近くに移動してくるはずです! 気を付けて!」 サラターシャが声を上げたことで、透子は背後に感じた気配に振り向いた。 なんと透子の後方、事もあろうか彼女の龍の背にアヤカシは現れその首筋に手を当てたのだ。 「えっ!」 透子の脳をアヤカシの視線が射抜こうとする。 魅了の術。その朱い瞳に自分の意思を手放してしまいそうになる。 だが 「蝉丸!」 『なに?』 透子は自分の力でその魅了を振り払った。龍に更なる降下を命じてアヤカシを振り切る。 そこを狙って青嵐の鋼線が飛んだ。 『くそっ!』 逃れながらもバランスを崩し舌を打つアヤカシ、その懐を今度は空龍うがちと共に折々が狙った。 黄泉より這い出る者を放ち、動きを止めた所で攻撃を仕掛ける。 透子と同じコンボである。 再びテレポートされる可能性もあるが、そう何度も連続して使えはしないだろう。 と、そこまで折々は計算していたわけでは無い。 だが 「こんな馬鹿げた真似は私達には二度と通じない。それは、解って貰わないと!」 強い意思の全てを込めて折々は陰陽刀の一閃を、黒翼のアヤカシ。 その翼を狙って放つ。 再びのテレポートをもしかしたら行うつもりだったのかもしれない。だが 「逃がすものですか! 行きなさい!!」 静乃が放った眼突鴉がそれをさせなかった。サラターシャも呪縛符をかけ動きを封じる。 『くそっ!』 透子も体勢を立て直しまた術で援護した。逃亡のタイミングを完全に殺す為だ。 そして、朔のマスケット銃が右翼を、折々の一刀が左翼を同時に奪い取る。 『ぎゃあああ!』 黒翼の羽根が舞い散って、その殆どが瘴気に帰す。 『お、おのれ!!! こうなったら!』 恨みの籠った目で寮生達を睨んだアヤカシは大きく手を振りかざした。 周囲にどす黒い霧がまき散らされる。 「これは、毒? 皆、下がって!!」 折々が口元を抑えながら声を上げる。 霧に紛れ鋭い鞭の一閃が唸りを上げる。 その攻撃は寮生達を直接狙ったものでは無かった。 毒霧と同じく足止めと牽制の為。 アヤカシは身を翻し、目的のモノを手に入れようとしたのだ。 狙いは勿論、人質、桃音。 彼らが桃音奪還の為にやってきたのなら、その命は絶好の盾になると思ったのだろう。 だが、アヤカシは驚愕の表情を浮かべる。 『な、なんだと…!』 呆然自失のその手元を狙い放たれた銃に、最後の武器である鞭が落ちた。 そこにアヤカシが見たものは…瘴気に還ろうとする鷲頭獅子と寮生達。 人面鳥は既に一羽も残っておらず、鵺も姿が見えない。 孤独な空であった。 そして、彼の盾、唯一の希望で有る筈の桃音は、譲治の腕の中、真っ直ぐにアヤカシを見つめていた。 アヤカシ討伐よりも、何よりも寮生達が優先したのは桃音の奪還であった。 黒翼を狙い、攻撃すると見せかけてそれ以上の手が、桃音を背に乗せた鷲頭獅子に向かう。 「風天、当たり掴め」 再度の合流を果たした无は空龍に体当たりを命じた。 ウィンドチャージを込めた突撃は僅かに鷲頭獅子への直撃を逃すが敵の体制を大きく突き崩す。 ただでさえ背に意識を失った少女を乗せている。鷲頭獅子の動きは通常のそれよりもかなり鈍いと感じた。 「―逃がしませんよ」 畳み掛けるように无が攻撃を仕掛ける。桃音の落下も問わないという鋭い動きだ。鷲頭獅子が完全に回避と逃げに回っている。それを狙って 「自分の大切なものを追い掛けるのに理屈がいるかい? それが女なら尚更だ。四の五の言う前に走って、とっ捕まえて、抱き締めりゃいいんだ。そう言うわけで行くぜ!!」 喪越が滑空艇ごとの強襲をかける。 ほぼ渾身の体当たりに鷲頭獅子はその力の全てを艇からの回避に使用する。 結果、 「捕えた!」 真下からの青嵐の攻撃を回避する事無く受けることとなったのだ。 足に絡みつく鋼糸。青嵐と鷲頭獅子の引き合いが始まった。 その時である。鷲頭獅子の背に伏せていた少女が目覚めたのは。 「桃音!!」 気付いた劫光が渾身の声でその名を呼んだ。 「キャアア!」 己の状況に気付いたのだろう。桃音は悲鳴をあげて鷲頭獅子にしがみ付く。 真下に遠い森が見える。落下したら確実に転落死。 状況の把握よりも先に迫る前置きの無い死への恐怖が桃音を襲う。 だが 「桃音! 俺達を信じろ。人である事を選ぶか! 戻るのか…お前が、今、決めろっ!」 「えっ? 劫光?」 劫光の声が桃音の胸に響いた。その時、彼女は見たのだ。 自分の周りを取り囲み、集まる寮生達を。 「劫光さん!」 手に食い込む鋼糸に掌を赤く染めた青嵐が目で、告げる。 「解った」 劫光は滑空艇を躊躇わず加速させた。それにタイミングを合わせて喪越、无も再度の体当たりを強行する。 糸に動きを封じられた上の三方向からの突撃を避けられるはずがない。鷲頭獅子は己の運命に抗うかのように暴れた。背中の子供など意にも止めず。 「桃音! 俺達を信じろ。飛べ!!」 劫光の声とほぼ同時、暴れ獅子の背から桃音は飛び降りた。 糸を放した青嵐が蛇神を獅子に放つ。動きを完全に封じられた獅子は三方向からの攻撃に 『グギャアア!!』 悲鳴ごとその存在をすり潰され…消失した。 悲鳴と、衝撃。空を落下する感覚に桃音は目を閉じる。 時間としてはほんの僅かであったのだろうが、彼女には永遠にも思えた。 走馬灯のように思いが、過去が過る。 里と、兄弟達と、おかあさまと呼んだアヤカシの優しい顔…。 そして、胸に残る透の声。 『世を知りなさい。それが、いつか貴女と貴女の大切なものを守る為の力になるでしょう』 それらが通り過ぎた時 ドサッ。 「大丈夫なりか!」 微かな衝撃と共に、桃音は目を開ける。 「…真名…譲治。…みんな」 真名の龍が桃音をその背に拾い上げていたのだ。 心配そうに譲治も横を飛ぶ。 「桃音!」 「良かった。無事なりね。怪我はないなりか?」 真っ直ぐな笑顔と自分を包むぬくもりに、桃音は涙を零す。 そして、それを隠す様に桃音は 「あわわっ!」 譲治の胸に飛び込みその顔を埋めたのだった。 「あなたの大きなミスをお教えしましょうか?」 鵺が胡蝶達の下に消え去り、人面鳥や鬼面鳥も殲滅された。 両翼を奪われ、既に半死半生であろうアヤカシに、ユイスはニッコリと笑って見せた。 「透先輩の死因は五行国による処刑、斬首です。 戦場で胸を切り裂かれて死んだわけでは無い。それを知らないあなたは、おそらく護大防衛の時にいた夢魔かなにかではありませんか?」 「死の直前、透先輩が語ってくれたことがあります。夢魔の中にもテレポートなど特殊な力を持つ者がいると」 透が最期に残したサラターシャの知識が、あの時、透子の反応を助けたのだ。 アヤカシは答えない。ただ、悔しげに顔を伏せる。 そんな姿を透子ははっきりと見下した。 「透さんの外見を真似て何をするつもりだったのかなど、私は解りません。ただ、そんなことをしても無駄であったろうと言っておきましょう。貴方は透さんと似ても似つかない」 折々が言ったように姿は似ていても、仕草も、行動もまるで違う。 何より目が違う。と透子は思った。 漆黒であった透の目が今は朱い。でも、そんなことではない。 あの時見た哀しみと愛しみが混ざったような、人として生まれ、アヤカシの子として生き、どちらも愛し、どちらも裏切れなかった『透』の瞳。 もし、あの瞳で『魅了』されていたら振りほどけたかどうか…だが簡単に、あの瞳が、思いが真似などできよう筈がないのだ。 「桃音、解るな? あいつは、透じゃない」 「…うん」 劫光の声にアヤカシはフンと鼻を鳴らした。 『…当たり前だ。人が真実、アヤカシになれる筈などあろう筈がない。死した者が蘇ることもない。そんな当たり前の事に気付かぬ姫様の子達が滑稽でな。からかってやろうと思っただけだ』 透の姿のまま、アヤカシは笑って見せる。 それは、子供達にとって心の支えであった、死後の再生を完全に否定する一言。 自分が信じてきたものの崩壊に、桃音が苦しむのではないかと寮生達は桃音を見るが、桃音の表情は驚くほどに静かであった。 「桃音…」 「何にせよ、その外見は悪趣味です。もう、覚悟はできていますね」 无が手の中に術を紡ぐと同時、朱雀寮生達も攻撃術を発動させる。 もう逃亡も反撃も無駄だと悟ったのか、アヤカシはニヤリと透の姿のまま笑い、桃音を見た。 『…呪われよ。人に生まれしアヤカシ共。貴様らに安住の地は無く、生涯をアヤカシと人の裏切り者として追われることになるだろう』 「まだ言うか! 消え去れ! 亡霊!!」 寮生達の一斉攻撃を受け、透の姿をしたアヤカシは、外見を変えることなく、本当の姿に戻ることなく、笑みを浮かべながら瘴気と化し消失する。 「さようなら…透兄様」 「桃音…」 その様子を、呪いを受けてなお桃音は最後まで、瘴気の全てが空に溶け、消えるまで…目を逸らすことなく見続けていた。 ●未来を見る少女 それから間もなく本隊は、地上組を発見し合流した。 「助けにいけんと…すまんかったな」 陽向は始めて合う桃音に微笑みながらも、シュンと耳と尻尾を伏せる。 「いいえ。もし、貴方方が地上に行くと言う選択肢を選ばなかったら、敵はさらなる人質という駒を得てしまい、私達は勝てなかったかもしれません」 サラターシャはそう言って地上組を労った。 死闘の末、彼らが救出した子供達は無事、家族の元に帰り、そこでやっと今回の戦いは終わったのだ。 「今回は、本当に……慣れない戦い方も、演技も…疲れました」 座り込みそうになりながらも怪我人達の手当てをする紫乃に、そうね、と真名は笑う。 地上、空、地面に降り立ち、座った途端立てなくなる程、誰もが疲労しきった戦いの終わり。 彼らの手の中には、アヤカシから奪い取り、勝ち取った勝利の証があった。 傷ついた寮生達の手当てを、保健委員達と一緒にする桃音である。 「桃音…。本当にいいなりか? 人としての世とアヤカシとしての世…そしてその間の世…後悔はしないなりね?」 譲治は桃音に問いかける。 寮生達の周囲の空気がシンと音を立てるかのように消えた。 その静寂を割り、桃音ははっきりと答える。 「私は…人の世を選ぶ。後悔は…するかもしれないけど、今の私には、こちらに大事なものがあるの。香玉や皆…そして知らない世界。 おかあさまも、透兄様もいないアヤカシの世には、もう…戻らないわ」 告げる桃音の目からは涙が溢れている。 母親、兄弟、家族。自分の人生の大半を占めてきた世界との決別は口で言う程、簡単なことではないだろう。 けれど。 「そっか」 譲治は心から嬉しそうに笑う。もし桃音がアヤカシの世界を選んでも、ついて行くつもりだった。 でも桃音が自らの意思で人の世を選ぶと言うのなら… 「なら、一緒に行くなりよ。広い世界を見て、いろんな事を知るのだ」 手を差し伸べる。そう決めていた。 「透さんは、言っていました。広い世界を知りなさいと。 桃音さん。皆さんと一緒に探しましょう。ただ傷つけ合うだけでない未来を!」 小さく頷く桃音を愛しげにサラターシャは見つめる。 兄弟達を導いて欲しい。それが透の遺言であり、交わした約束である。 守りたいと思った。約束を。この少女を。 心から。 「よーし。いい子だ」 劫光は桃音の髪をくしゃくしゃと撫で、 「桃音さん、お腹減っていませんか?」 未久は懐から月餅を差し出した。 「あ…」 その甘い匂いにぐう〜〜と、桃音のお腹が鳴る。 朱色に染まった桃音に未久は笑いかける。 「お腹が空くのは体が生きたいと言っている証拠です。私は…」 かつて、抵抗するなら手足を吹き飛ばしても、殺めてもしかたないと思っていた少女を前に本当に優しく笑う。 「香玉さんを殺すことが出来なかった貴方の変化が嬉しいですよ」 照れを隠す為か、差し出された月餅を手に取り、ぱくりと頬張る桃音。 「もう、桃音はアヤカシの子じゃないわ。人間なんだからね。絶対にアヤカシのところになんか返さないからね」 後ろからぎゅうと、真名は強く抱きしめた。 「わわっ!」 「真名さん!!」 月餅がのどに使えたのか、桃音は目を白黒させている。 「あっ! ゴメン、大丈夫?」 「だ、大丈夫」 胸に閊えたものを飲み込んだ桃音は大きく深呼吸をすると寮生達に微笑みかけ、花のような笑顔で告げた。 「みんな。助けに来てくれて…ありがとう。大好き」 と。 桃音の声は決して大きくなかったけれど、寮生達の耳に、強くはっきりと響く。 勝利の歌声として。 その光景を見届けて、わがしはそっと場から姿を消した。 望んだ英雄譚と、少年と少女の約束を見届け、その心にしっかりと焼き付けて…。 さて、寮に戻ってからの寮生達の活躍もまた目覚ましいものであった。 襲撃の事故処理。 何よりも桃音の弁護に彼らは全力を注ぐ。 「桃音が牢を出たのは浚われた故。そして彼女はその際に敵に抗いました。彼女は人間です。自身の行動でそれを証明したのです」 静音は強く主張し 「さて、不思議な事ですね。 誰もアヤカシが牢へ向かう姿すら見ていないとなれば、「襲撃から何も学んでいない」という事になりますが…? どうなんです?」 青嵐は厳しく五行の現状と問題点を指摘する。 「桃音は、自分の意志でアヤカシと決別したんだ。もうアヤカシの子ではない」 劫光らの意見を五行上層部がどう取ったかは定かでは無い。 だが、今回の襲撃に関する正式な処理は後程下されるであろうが、桃音が脱獄の罪に厳しく問われることは無いだろうと寮長は微笑んで寮生達に告げたという。 牢に戻ってから、桃音は長く伸ばしていた髪を切り落とした。 里を出てから切ったことのない髪だ。 「ごめんなさい。おかあさま」 それは彼女なりの決別の証。決意の表れであった。 「透兄様…。私は皆と人の道を行く…。どうか見ていて…」 桃音の胸の中で透は、あの黒翼のアヤカシとは似ても似つかぬ優しい笑顔で微笑んでいた。 彼はきっと、この選択を許してくれるだろう。 そう桃音は信じて未来を見つめていた。 かくして、少女は過去と決別する。 自分の選んだ未来に向かって、大切な者達と歩む為に…。 |