【陰陽寮】最期の時【神代】
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
EX
難易度: 普通
参加人数: 18人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/05/08 13:17



■オープニング本文

 裏松の里を出てからの孤独な日々。
 お役目を果たす為、機会を待つ時は長く、苦しかった。
 そんな時、見る夢はいつも同じ。
 地獄のような日々から救い出してくれたおかあさまの夢だ。

『そなたは何も悪くない。
 悪しきは、そなたを利用しようとした愚かで悪どい人間どもなのだ。
 そなたは選ばれた特別な子。神の子としてこれより生まれ変わるのだ。
 透。
 透明な心で、我に仕えよ…』
 
 その優しい声が、暖かい腕が生きる支えだった。
 自分は彼女の人形で良い。命と身体の全てを捧げると誓っていた。

 …だが、何時の頃からだろう。
 おかあさまの夢を見なくなった。
 代わりに見るようになったのは他愛も無い、当たり前の日々の夢。

「お前、名前は? 透? 苗字はないのか? …じゃあ、七本松の所で出会ったから七松ってどうだ。七松透!」
「三郎。それは単純すぎやしないか?」
「そっか? 松って縁起のいい植物だし良いと思うけどな。なあ透? お前は嫌か?」

「この笛、やるよ。お前の笛、大事なモノなんだろ? 俺、お前の笛が好きだ。暖かくて、優しい気持ちになれるんだ。また聞かせてくれよ」

「なあ。陰陽寮って知ってるか? この国一番の学府で、たくさんの事が学べるんだって。たくさんの人とも出会えるって。
 一緒に行こう! 透!」

「古きが滅するは世の必定。しかしだからこそ、その摂理に抗いたくなる――ヒトが時に過去にこだわるのは、神の定めた運命に対する抵抗のように思えるんだわな」

「本気で戦って下さって、ありがとうございます。貴方の継ぎへと続く者として…貴方の「後輩」として、俺はこの戦いを忘れません」

「朱雀寮のこと、ずっと覚えていて下さい。
 今日のことも、今までのことも、わたしたちのことも、出会った全ての人達のことも。楽しい思い出ばかりじゃなかったかも知れないけど。それでも…」
「当たり前だ。我々は巣立っても心はいつも皆の側に置いていく。ここは、私達の故郷だから‥‥」

「ずっと…側にいるよ。忘れない…」


 バシッ!
「なにを、ボーっとしてる! こっちを向け!!」
 背に打ち付けられた鞭の響きに透は顔を上げた。
「夢を…見ていました。とても幸せな、天国の夢です」
「! 拷問の最中、居眠りか? いい度胸だ!!」
 刑吏は鞭の柄で透の顎を持ち上げた。
「大体、天国なんてものがあったとして貴様、自分が天国に行けるとでもおもってんのか! この大罪人が!」
 そのまま頬を平手打ちされ身動きのできない透は床に転がった。
 勿論、思っていない。
 天国への扉は永遠に開かれる事は無いと解っている。
 身体を苛む痛みど大した事は無い。指を折られても、爪を剥がされても。
 自分の半分を失ったあの時の喪失感と、胸の痛みに比べれば…。
「いい加減に吐け! お前の知っていることをしゃべるんだ!」
 透は目を閉じ、絶えることなく襲う苦痛から静かに心を切り離した。


「生成姫の子 透の処刑日時が決まった」
 久しぶりに陰陽寮に戻ってきた寮生達は、学舎の掃除をし、委員会の活動に集まり、いつもと変わらぬ日常を、だが落ち着かない思いで過ごしていた。
 そしてある日の夕刻。
 朱雀寮長各務 紫郎からの極秘の招集と呼び出され集まった朱雀寮生達の前に現れたのは、寮長ではなく五行国警邏隊総指揮官 矢戸田 平蔵であり彼の言葉に寮生達は唾を呑み込んだのだった。
「…それは、決定なんですか?」
 振り絞るような寮生の一人の問いに決定だ、と平蔵は答える。
「前にも言ったがあいつは五行国始まって以来の大罪人。アヤカシの手先として国を裏切り、人を殺め、アヤカシを操って国に反逆した。それはどんな境遇、どんな理由があろうと罪を減じる理由にはならない程のな」
「でも…」
「加え国としては一刻も早く、この戦乱を終わらせたいという思惑もある。その為に首謀者の処刑は絶対に必要だ。お前達が奴を捕え、引き渡した時点で奴の処刑による死は決定している、数日の時間をおいたのは尋問を行う為にすぎない。まあ、結局何もしゃべらなかったがな」
 平蔵の宣告は冷静かつ、正論で寮生達に反対の言葉を告げさせなかった。
「死刑執行は五行の上層部のみの立会いで極秘に行われる。公開処刑も考えたが生成の子やアヤカシが奴を奪還に来る可能性がある為、邪魔されないように非公開と決まった。無論、お前達も例外では無い。死刑執行まで何人も透への接触は禁じられている。これも前に言った通りだ」
「そんな…」
「その代りと言ってはなんだが奴の死と共に、今回の件は一応の終わりとみなされる。裏切り者を出した朱雀寮、西家共に処分なし。捕えた生成の子供にも徐々にだが面会が許されるようになるだろう」
 彼の言葉を吉報と思う者は少ないようだ。泣き出しそうな顔で俯く少女、手を握り締める少年、唇を噛みしめる青年達。
 彼らを見て
「だがな…」
 ふうと、息をついて平蔵は寮生達を見る。それはさっきまでの警邏隊総指揮としての顔とは違う、見守る様な優しい眼差しであった。
「個人的には奴の境遇を不憫に思わなくもないし、見知った仲間の死にお前達が思うものがあるのも解らんでもない。だから、お前達が望むなら二つ、機会をやろう」
「え?」
 平蔵の思わぬ言葉に寮生達は顔を上げた。全員の視線を受けて彼は指を折る。
「一つは処刑前夜。三名のみ、牢越しであるが奴との面会、会話を許可する。時間は夜。十分程の短い時間になるだろう」
「…もう一つは?」
「一名のみ、朱雀寮生の処刑場への立ち入りを許可する。どちらも立場上は俺の部下としてになるからそれなりの変装はしてもらうがな」
 寮生達はざわめいた。それが喜びか戸惑いか、平蔵は解らない。知ろうとも思わなかったろう。
「朱雀寮生は前にも言った理由により上層部に警戒視されている。だからお前達が望まないならこの話は無しだ。俺も危ない橋を渡らずに済む。だが、もし望むと言うのなら言え。…奴の最期の思いを拾ってやるがいい」
 話はそれだけだ、と平蔵は踵を返し、部屋を出た。
 そこで声をかけられる。
「矢戸田殿」
「各務…」
「ご無理を聞いて頂きありがとうございました。感謝します」
 深く頭を下げる朱雀寮寮長に、足を止め平蔵は照れた様に頭を掻いた。
「…礼を言われることじゃない。お前らの熱意と想いに負けただけだ…。奴を不憫と思うのも嘘じゃない…」
 紫郎に、西家の三郎、おまけに長治にまで頭を下げられ、泣きつかれ、説得され、結局口説き落された形になったが。
「奴は死ぬ。だが、連中に何かが遺るのなら…後で俺が何か罰せられたとしてもそれは、意味のあることなのだろうさ」
 小さく笑い歩み去った平蔵にもう一度深くお辞儀をして、紫郎は空を見つめ緋色の鳥を手の中に紡ぐ。 

 透の死によって、合戦は一つの区切りを迎える。
 終わりの先に何があるのか。
 それが希望であり、未来であることを、紫郎は祈るのであった。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 玉櫛・静音(ia0872) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 鈴木 透子(ia5664) / 雲母(ia6295) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / サラターシャ(ib0373) / アッピン(ib0840) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 雅楽川 陽向(ib3352) / 比良坂 魅緒(ib7222) / ユイス(ib9655


■リプレイ本文

●忘れえぬ日
「明日だ」
 朱雀寮の大門の前にやってきた男はそう告げた。
「矢戸田殿」
 人の気配と俳沢折々(ia0401)の言葉を聞きつけたのだろう。集まってきた朱雀寮生達を前に矢戸田 平蔵。
 五行国の警邏隊総指揮を勤める男は腕組みをしたまま続ける。
「生成の子、透。奴の尋問は今日で終わり明日の昼、刑が執行される。お前達の気持ちは変わらないか?」
 寮生達の無言の眼差しを肯定と取ったのだろう。
「解った。今日、出る者については夕刻、迎えに来る。明日出る者は早朝、俺の屋敷に来るように」
 それだけを告げ彼は去って行った。
「平蔵さん!」
 彼を門の外で呼び止める人影が見えるが、朱雀寮生達は追わなかった。
 門の入口には部下を使わず、自身で運んできたのだろう風呂敷包みが残されている。
「…明日、か…」
 包みを見つめる折々の背後からスッと手が伸びた。
「青嵐(ia0508)くん…」
 彼は包みを取るとそれを、後ろで見ていた三人の少女達に手渡す。
 泉宮 紫乃(ia9951)、真名(ib1222)、サラターシャ(ib0373)へと。
 風呂敷包みは四つあり、そのうちの一つはそのまま彼の手に残された。
「尋問…。処刑が決まって、何もしゃべらねえって解ってんのにまだやってたのか」
 けっ、と吐き出す様に喪越(ia1670)が呟いた。
 いつも飄々とした様子を絶やさない彼にしては珍しく顕な怒りが見て取れる。
 彼らも子供では無い。
 平蔵の言う「尋問」が言葉通りの意味ではない事くらい察していた。
 口を割らない容疑者に対し、尋問と言う名の拷問が行われることは聞く話だ。
 非人道的なその行為を肯定するつもりは欠片も無いが、国の決定を止める権利は彼等には無かった。
 アヤカシの子。
 一時でも大アヤカシの横に立った闇の内を知る男を前にして、生成姫が最期に残した捨て台詞と謎に慄く陰陽師達が加減などする筈もない。
 透の受けている尋問が苛烈なものであることは容易に想像がついた。
 それはきっと、あの戦場で死んだ方が幸せであったと思える程に。
 風呂敷包みを抱く紫乃の手が震えていた。
「透の悪行が許されねぇなら、その悪人を裁く為に手段を問わねぇ五行の罪はどうなるんだろうな? ……愛が無ぇ。どいつもこいつも愛が無さ過ぎるぜ、ったく……」
 その言葉に応えられる者も無く、重苦しい空気が場に広がった。
「それが『決定』です。後を、頼みましたよ。喪越」
 風呂敷包みを手に青嵐はその場を離れ、
「…私も、やることがあるので失礼します」
「ちょっと待って。私も行くわ。紫乃!」
 紫乃は踵を反して走り出し、真名はその後を追う。
「…先輩方、何か伝えることや聞きたいことはおありでしょうか?」
 一人残ったサラターシャの問いに折々は、玉櫛・静音(ia0872)や瀬崎 静乃(ia4468)、アッピン(ib0840)と顔を見合わせる。
「ん、ありがと。ある時は出る前に伝えるよ」
「はい」
 一礼してサラターシャも去って行く。
「さて、私達はどうしようか。何時もの通り、委員会活動をする、でいいかな」
「そうですね」
「…うん」
「うち、透さんに治癒符使ったことは、後悔せんで」
 喪越を見上げ雅楽川 陽向(ib3352)は彼に、そして自分自身に言い聞かせるように言う。
「思いは、あのとき全部言うたねん。それに未来の可能性があるなら、捨てとうなかった。過去の上に、今がある。今の上に、未来がある。
 あ、文句言われたら、多少は反省するかもしれんけど…」
 俯く頭を喪越は大きな手でぽんぽんと撫でた。
 微笑む仲間達。それを見てアッピン(ib0840)は少し考えて折々に声をかける。
「折々さん。私はちょーっとやりたいことがあるのです。今回の委員会はお任せしていいですか〜」
「あ、いいよ。行ってきて」
「ありがとうです〜♪ あ、用具委員さん。ちょっと頼みがあるんですけど〜」
「なんだ? 用具の貸し借りなら向こうで話を聞くぜ」
「お! 喪越委員長の誕生や! 一年間に二人の委員長が誕生する瞬間を、こら、見逃したらあかんな! ってあた!」
「こら! 茶化すんじゃねえ」
 場を明るくするように明るく笑う陽向を小突いて喪越はアッピンを手で促す。
「久しぶりの委員会活動やね。今日も張り切って、きっちり仕事するで♪ あ、でも掃除やろ、整理やろ…どれだけ埃が積もったんか、考えたくないな…」
 尻尾を振りながら後を追う陽向をユイス(ib9655)や比良坂 魅緒(ib7222)も微笑んで見送る。
「あ…そろそろ、先輩達との約束の時間です。行ってきます」
「行ってらっしゃい。そっちの方も頼んだね〜」
 折々は走り出すユイスに手を振ると
「さっ、行こうか」
 仲間達に声をかけ歩き出す。
 陰陽寮のありふれた、でも忘れられない日が始まろうとしていた。

 朱雀寮の自習室の一角。
「はあ…」
 大きくため息をついた尾花朔(ib1268)は
「朔さん」
「! 紫乃さん! 真名さん」
 自分の名を呼ぶ声に慌てて顔を上げ、見ていたものを後ろに隠した。
 そこに立っているのは風呂敷包みを抱えた紫乃と真名。
「何を…してたの?」
「なんでも…いえ、これです」
 二人に隠しても仕方ないと思ったのだろう。朔は隠したものを差し出し見せた。
 それは寮長を経由して届けられた五行国上層部からの手紙。
「遺髪を貰えないか…問い合わせたのですがダメの返事です。西家からは衣服などで良ければ送る、と言って貰えましたが。あの戦場で折々さんが拾った笛も取り上げられてしまいましたしね。遺品として貰えないか、と願い出ているのですがまだ…」
「そうですか…。朔さん」
 風呂敷包みを抱える手に力を入れて、紫乃は朔を見た。
「今晩、私達は透先輩の所に行きます。何か、伝えたいことはありませんか?」
 気丈に顔を上げてはいるが紫乃の手は震えている。彼女に頼むのは酷かもしれないと解っているが
「あります。ぜひ、伝えて欲しいことが…」
 朔はその目をまっすぐに見つめた。
「何でも言って下さい。…伝えます」
 紫乃の答えに頷いて朔は静かに自分の思いを彼女らに託したのだった。

 待ち合わせの場所で
「悪いけど、そういうことは辞めてくれへんか!」
「ちょっと待って、落ち着いて欲しいな。先輩達」
 ユイスは言い争う二人の間に割って入った。
 これから囚われた生成姫の子、桃音の面会に行く。
 その時に生成姫の死を伝えるかどうかで言い争いになったらしかった。
 芦屋 璃凛(ia0303)と平野 譲治(ia5226)はユイスを間に間をおく。
 けれど
「やっぱり、おいらは生成のことを話すことにするのだ」
 譲治は自分の気持ちを変えないと宣言したのだ。
「冷静になって欲しい、うちなんかと違って責任の意味も分かるやろ」
「いずれ解ることなのだ。生成の事を話さずして得られた「信頼」は「偽物」と言われても否定できない。もし、桃音が「この信頼は偽物、利用されていた」と考えてしまったら、もうどうしようもないのだ」
「先輩も、後輩も、失わせないで欲しい。雷太みたいな事は嫌や!」
 震える声で璃凛は劫光を見る。だが劫光は
「感情に流されるな」
 二人に静かにそう告げた。
「いずれ告げるべき事だ。譲治の気持ちも解る。だが、桃音が事実に耐えられないようならば言うな。ここで面会が認められなくなる様なことは避けろ。全てはこれからなのだから…」
 委員長の言葉に二人は頷いて、寮生達は揃って桃音の元に向かう。
 その牢では懐かしい人物が彼らを待っていた。
「香玉…先輩」
「待ってたよ。さあ、おいで」
 彼女はそう言って少女の元へ続く扉を開いた。

 夜。
 平蔵に伴われたった一つのカンテラだけを共に少女達は闇の中を進む。
 漆黒の闇の中。
「これは…夢、ですか? 夢だとしたら最高の夢ですね」
 透はそう言って少女達に微笑んだのだった。

●過去と未来の囚人
「桃音。お客さんだよ」
 香玉が牢の中に呼びかける。
 窓もあり、明かりもある部屋には生活道具が一通り揃っていて、牢とは思えない程清潔にされていた。
 その片隅で退屈そうに壁に背を預けていた少女は
「元気にしてたなりかっ!? 病気になってないなりかっ!?」
 譲治の明るい呼び声に顔を上げた。
「あ! 開拓者!」
 立ち上がり牢の入口まで走ってくる。
「自己紹介は、はじめましてかな。ユイスというよ」
「うちは璃凛や。よろしゅうな」
「桃音。元気そうだな?」
 劫光の笑みに桃音は肩を竦めて見せた。
「元気は元気よ。でも退屈で身体が訛って死にそう」
「それじゃあ、お手玉でもどうやろ? うちが教えてやるさかい」
 はっ! ほっ! とくるくるお手玉を回す璃凛を楽しげに見て拍手をして後
「開拓者」
 桃音は射抜くような目で寮生達を見た。
「おかあさまと、戦ったのでしょう? おかあさまを殺したの?」
「あっ…、それは…」
 いきなりの指摘に璃凛は口ごもる。子供とは言え徹底的に鍛えられた暗殺者。状況を推察する力はあるということか。
 振り返った視線の先で劫光は無言。譲治は一歩前に進み出た。
「…契約を果たしに来たのだ。二度と、生成姫…おかあさまの口から直接聞くことは出来ないなり。
 故、おいらと桃音の契約は不成立なのだ。…これが、おいらができる最大の「信頼の証」なり」
 俯き告げる譲治の言葉を桃音は開拓者が思うより冷静に受け止めたようだった。
「そう…お隠れになったのね。貴方達が手を下したの?」
 開拓者を睨む桃音に首を横に振りながらも
「憎むなら俺を憎んでもいい」
「桃音、うちの事は、どう思ってもええよ」
 劫光と璃凛は異口同音で答えた。
「ただ、死だけは選ぶな。お前はまだ、道を選べるんだ」
「何があっても生きる事だよ。何をするにもそうしなければ始まらないんだからね。キミのお母様はそう教えてくれなかったのかな?」
 そして、劫光とユイスも同じ思いを告げる。桃音が絶望し命を絶つことだけが心配だったのだ。
 だが桃音は
「何言ってるの? 死んだりなんかしないわ!」
 そう答える。思いもかけぬ返事に開拓者達は瞬きした。
「おかあさまはいずれお戻りになる。お役目を果たせなかった弱い私は、今おかあさまのところに行っても生まれ変われない…。だから強くなりたい! もっといろんなことを知らなきゃいけない! 透兄様のように」
 驚く程に桃音の目は涙をいっぱいに浮かべているが、力を帯びている。
 逃げない、負けないと全力で言っている。
 特に璃凛は目を丸くした。絶望の悪夢に落ち込むかと思ったのに。
「ははは…」
 劫光は笑う。桃音は思っていた以上に弱くない。そして…手強い。
 ただ守られるだけの少女ではないのだ。
「今はそれでもいいさ。いろんなことを学べ。そして選べ…」
 その果てにあるのはまた…戦いかもしれないけれど、今度は透とは違う道があるかもしれない。
「おいらのこの身は桃音の物なのだ。桃音の為に力を貸すなりよ」
 この少女はアヤカシには絶対渡さない。
 寮生達は同じ思いを胸に秘め、
「私の知らない事を教えて! 会いに来て!」
 未来を見る少女に頷いたのだった。

 透の牢には物と言えるものが何もなかった。
 灯りさえ無い、漆黒の闇の中。
 冷たい石の上で静かに正座していた透は、少女達の呼びかけに顔を上げると驚いた顔を見せ、それから嬉しさと困り顔が入り混じったような表情をした。
「どうして…貴方達がここに?」
「平蔵様の…お心遣いです。最期の面会を…と」
「そうですか」
 紫乃は言いながら、微笑む彼に息が詰まった。
 戦場でのあの日からまだ数日。
 だが透の外見は日々の尋問に寄るものだろう。驚くほど様変わりしていた。
 髪に隠した目と顔には火傷が見える。
 破けた獄衣には鞭の跡。爪も剥がされ指も砕かれ曲がらなくなっているようだ。
 なのに…彼は変わっていないと感じる。
 強さも、賢さも…微笑さえ、何一つ。
 零れそうになった謝罪を紫乃は飲み込んだ。
(あの場で終らせていれば受けなかった筈の痛み。それでも、最後は人として終らせてあげたかった。譲れなかった、私の我侭…)
 紫乃の様子に気付いたのだろう。
「このくらいの痛みに怖気ていてはアヤカシの子は務まりません。貴方方が気にすることではありませんよ」
 優しく告げた透は苦笑いに近い顔をする。
「貴方方に会えたのは嬉しい。ですが…困りましたね。私は明日、死ぬ身。今、話せば余計な重荷を貴方方に追わせてしまうというのに」
「その為に来ました。どうかお話し下さい。私達は知らなくてはならないのです。貴方が何を思い、苦しみ、考え、なぜ道を誤らなくてはいけなかったのか」
「…先輩達の強さも、知識も、何より互いを深く信頼し、笑いあう姿は私の憧れで、目標でした。今でもそれは変わりません。先輩の想いを、きかせていただけませんか? 愚痴でも、思い出でも、伝言でも、何でもかまいません。先輩の言葉で、先輩の気持ちを聞きたいのです。どうか…どうか、お願いします」
 頭を下げる紫乃の肩を抱きながら真名は透を見た。
「ねえ、先輩。先輩にとって、私達はなんですか?」
 さらりと告げられた問いに透の答えは即答に近く早かった。
「私の、生きる理由の半分でしたよ」
「残りの半分は…生成姫?」
「そうです。あとは弟妹達と夢、ですね」
 透は頷いた。
「透子さんに口を滑らせてしまったこと、聞いていますか?」
「ええ、聞いたわ」
 戦乱の後、鈴木 透子(ia5664)が透の過去を聞いたと後に朱雀寮生に教えてくれた。
 悪人達に育てられていた透を救い出してくれたのが生成姫であったと。
「私は人が嫌いでした。子供である私を利用して奴らは優しい家、裕福な家を狙って悪事を働いていたのです。無論、人間というのが奴らのような悪人ばかりでは無いことも知っていますが、そういう善良な人ほど弱く簡単に悪人の餌食になった。その手伝いをさせられる中、私はこの世界に、人に何より、自分自身に心底絶望していたのです」
 そんな中、おかあさまが手を差し伸べてくれたと、透は言う。彼らを殺し、透を救い上げてくれたと。
 多分、志体を持つ子供を攫う為で、透を助けようと思っての事ではないのだろう。今の透はそれはきっと解っている。
 それでも絶望の中、差し伸べられた手は唯一の生きる支えであったのだ。
「里で私はアヤカシや兄弟達と共に過ごし、アヤカシと選ばれた自分達がこの世を導く事を夢見ました。
 そして、里を出て…西家で、陰陽寮で私は新しい夢を見つけたのです」
「どんな…夢ですか?」
 サラターシャの問いに透は微笑む。
「七松透、というのは私にとって偽りの姿。でも、信じて貰えないかもしれませんが、その言葉に嘘は殆どなかったのですよ。サラターシャさん。貴方に告げた言葉も、です」
「私に?」
 サラターシャは思い出す。共に歩んだ旅の中で透は言っていた。
『繋ぐ者に、なりたい』と。
「中央と西家、ではありません。私はアヤカシと人が共に生きる世界を夢見たのです。そして二つを繋ぐ者になりたいと願った…」
 アヤカシは人を苦しめ、喰らう。だが、十分な力があれば逆に倒す事もできる。
 知性のあるアヤカシは無駄に人を殺すばかりでは無い。
「おかあさまの後ろ盾があったから、でしょうが、けっこう話のできるアヤカシも多かったのですよ。例えば…」
 雑談の様に語る透のアヤカシの話には今まで知られていなかった中級アヤカシの特性や弱点などが散りばめられている。静音にも頼まれていた事。サラターシャはそれを聞き逃すまいと心に書きとめた。
「おかあさまが世を導き、アヤカシと人がしのぎを削り合い、認め合い、高め合う世界。その実現が私の夢でした。
 まあ、そこに無力で弱い志体を持たない者は入っていないのでアヤカシの子の戯言と思って貰っても構いませんが」
 透はそう言うと肩を竦め自嘲するように笑う。
「私はその理想と、おかあさまの為の人形で良いと思っていました。ただ人形で有る筈の私にもいつしか心が生まれていたようです。
 自分でも解らない心が…。最後の戦いは、私の我が儘です。
 おかあさまの為に戦って死にたかった。できるなら貴方達の手で…逃げであることは解っていましたけれどね。今は、これで良かったと思っています。
 あの時死んでいたら、今、ここで…貴方達に会えなかった」
「もう時間だ」
 平蔵が告げる。
「最期に…何か寮長や三郎先輩に届ける言葉はありますか?」
「この場にいない人に何か伝言無い? 桃音にでもいいから」
 紫乃と真名の問いに透は頷いた。
「寮長と長治殿には裏切ったことへの謝罪を。許して欲しいとは言いません。ただ詫びていたと伝えて下さい。
 そして…私が最後の戦いに持ってきて、無くしてしまったものがあります。それがもし皆さんの手に渡ることがあれば三郎に渡して下さい。そして、すまなかったと。彼には、それで解る筈です。
 桃音や兄弟達には…広く世を知りなさいと…。そして可能であれば皆さんの手で導いてやって下さい」
「必ず」
 三人は頷き、深く頭を下げた。
「…後は任せて下さい。ありがとうございました」
「朱雀寮を卒業したら身寄りのない子供たちの学び舎を作ろうと思います。
 人と共に生きて行ける様に。同じ悲しみを繰り返さない為に。
 貴方の事を…忘れません」
「朔さんからの…伝言です。…人としての死を願ったと。それは、私も…そして皆も同じです。きっと…」
 最後の言葉を残し、去ろうとする三人を
「皆さん」
 透は立ち上がり静かに呼び止めた。
「私達は死んだあと神の子、アヤカシとして生まれ変わると教えられています。まあ私は、皆ほど死後の再生を信じてはいませんが、でも、もし生まれ変わることができたら、もう一度…貴方達と出会いたいと思います。叶うならアヤカシとしてではなくそう…やはり人として…。
 アヤカシの子である私がそう思える程、貴方達との時は幸せなものでした。これも嘘ではありませんよ」
 透はそう言って三人に微笑んで見せる。
「…さようなら」
 彼女達はもう一度頭を下げ…牢を出た。
 平蔵に礼を言い自分達を待つ友の元へと帰る。
 止めどなく流れる涙はそのままに、振り返らず歩いていく。
 最後に笑顔を渡してくれた透先輩の思いを皆に、伝える為に…。

●最期の日
 その日は、暖かく、澄み切った青空が広がる文句の付けようのない美しい、春の日であった。
 青嵐は早朝から姿を消している。
 今日が透の処刑の日。
 最期の日だ。
 昨夜から、ほぼ一睡もできなかった者も多く、普段の様に委員会活動を行いながらも気はそぞろ。
 そんな様子が見て取れた。
「もう少し、楽譜を充実させたいよね〜。笛の吹き方の本とか無いかな?」
「いい加減にしろ! どいつもこいつも、辛気臭くてうっとうしい!」
 イライラと本を閉じる雲母(ia6295)は本棚の整理をする折々に向けて、そう怒鳴った。
「あれ? 辛気臭い? ごめんね」
 折々は作業の手を止め、笑って答える。否定しないあたり本人も自覚してるのだろう。
 煙管を吹かしながら雲母は息を吐き出す。
「そもそも処刑されようがどうなろうが知った事ではない、そいつ自身が決めた事に茶々を入れる方が無粋だ」
「うん、その通りだね」
「いつまでたっても引きずるのか、背負うのか、どっちを取るかが重要だろう」
「確かに。でも、人の心ってそう単純でもないんだ。だから、今日だけは我慢してあげてよ」
 そう言って折々は懐からフルートを取り出した。
「私、ちょっと外に出て来るね。本を借りる時は言って」
 そう言い部屋の外へと続く扉を開き、去って行った折々を雲母は小さく舌打ちして見送ったのだった。

 図書室の外で折々は笛を手にして立つ。そして吹き口をそっと唇に当てた。
 笛を始めてみようと思ってまだ数日。微かな音が鳴るがそれは曲と言うにはあまりにも拙い。
 戦場で、あるいは卒業の時に聞いた透の笛の音とはあまりにも違い過ぎる。
 だが
(まだ全然下手っぴだけど、それでも、信じているから。
 遠く離れていても、この音が届くって。
 聞こえているかな。
 貴方の音にはまだ遠いけれど、一歩一歩、進んでいくよ。
 だから…せめて心を込めて吹こう)
 折々は思いを込めて笛に息と心を込めるのであった。

 その日、アッピンは五行の下町にいた。
 知り合いの子供達などに声をかけて工作大会だ。
 噂に聞いたことがある気球という宝珠を使わない飛行遊具を自作できないかと用具委員と一緒にやってみたのだ。
 思う以上に構造などが難しく、小さなものを一つ作るのが精いっぱいであったので、子供達は凧を作っている。
「今回の戦乱で亡くなった人たちの慰霊の為に…」
 そう呼びかけると様々な絵が描かれた凧ができた。紙気球には朱雀の絵を描いてみる。
「皆さん、上手にできましたね〜」
 嬉しそうに見せにくる子供達に笑いかけながら、
(もうすぐ、育ての親を裏切れず大切なものに牙を剥いたそんな男の一生が、終わる…)
 アッピンは空を見上げたのだった。

 少女達は誰からともなく、保健室に集まっていた。
 静音は
「多分、今日は仕事になりませんから」
 とお茶を入れて窓を開けた。
 昨夜、面会に行った者達が持ち帰った透の言葉、その一言一言が胸に残っている。
「透先輩が死を持って償うことで朱雀寮がこれ以上罪に問われることは無いと、寮長は言っていました。先輩は、きっとそれを解って最後の戦いに望んだのでしょうね」
 静音は仲間達にそう言う。
「全てが演技だったのだと、そう割り切れたら…。
 先輩は、七松透は偽りの姿であったと言いました。けれど、私達の知っていた先輩は偽りではなく。一つの大きな隠し事をしていただけだと、そう思えてならないのです」
「既知の友を捨てて生みの親の為に戦う。妾はわからぬ、それほど強く何かを想った事があったろうか…。透の事さえ「ああ、そうか」と思うだけじゃ。全く薄情な事よ」
「それでいいのよ。魅緒。透先輩はきっと泣いて惜しんで欲しいと思っているわけじゃないから…」
 お茶を飲み干して真名もまた空を見る。
 処刑の刻限はもう間もなくに迫っていた。

 崩壊した白虎寮。まだ残るがれきの山の側に佇む人影に
「王!」
 透子は声をかけた。
 昨日、朱雀寮で見かけた平蔵を追いかけて、王と話ができないかと問うた。
 そして透の処刑前に彼がここに来ることを聞き出したのだ。
 透子の声に天禅は振り返り
「お前か」
 抑揚のない声を上げた。
「青龍寮の者にも今回は世話をかけた。戦乱の始末が終ったら青龍寮の方も片をつけるつもりだ」
「そうではなく…いえ、そちらの方も大事なのですが」
 透子は息を整えると天禅を見て頭を下げる。
「与治ノ山城でのことで直にお伝えしたい事があります」
 そして透と話した事を全て伝えたのだった。
 護大を本気で狙ってなかったこと。
 最後の襲撃は危険なアヤカシを処理し、仲間や兄弟、さらには五行を今後の危険から守る為であっただろうこと。
 不死王の逃走を妨害したのは多分彼であることも。
「全ては自分を犠牲にして仲間を救う為であったと考えます」
 天禅の反論がないことからさらに透子は透の生い立ちも話した。
「そのことを語る彼の目は、寂しそうな悲しそうな眼でした。
 もし、五行国が、あるいは開拓者が彼を助けていたら、透さんはきっとアヤカシの子などにはならなかった。…彼は悪かったのでしょうか?」
「…奴の処刑は今日だ。判決は覆らぬぞ」
「解っています」
 天禅の言葉に透子は頷く。
「透さんの邪魔はしたくはありません。
 助命はもう無理で、もう弔いしかできないのかもしれません。朱雀寮の皆さんも覚悟を決めておられるのでしょう。…だけどせめて」
 透の遺志を守りたい。
 命をかけて救おうとした、守ろうとした弟妹達だけでも
「彼らはもう迷い子です。受け入れてあげて下さい」
 透子は顔を上げ訴えた。
 天禅の表情は変わらない。そのうちに護衛兵が駆け寄ってくるのが見えた。
 気付いた天禅は
「刻限だ。行く」
 去っていった。
「王!」
「検討はする。だが全ての子は救えぬ。救われる子の影に救われぬ子は必ず生まれる。それは忘れるな」
 王としての答えと忠告を残して。
 それを透子は強く、胸に刻むのであった。

「そろそろですかね〜」
 アッピンは子供達と共に、凧や気球を空に飛ばした。
 ここから透に見えるとは思ってはいない。
 ただ、心で祈りを捧げる。
(全ての亡くなられた方に哀悼を。
 道を違えた方には、来世では真っ直ぐ生きれることを願って…)
「では!」
 たくさんの思いが空に舞った。

 朱雀寮の中庭。
 膝を抱えて蹲る影に
「らしくないな。三郎」
 劫光は声をかけた。
 三郎は返事をせず空を見る。
「私は、処刑場に入れないんだ。面会も一切禁止。…正しいよ。もし私が透に会えたら一発殴って、それで許してしまう。どこかに逃げろと言ってしまう。
 今も、あいつともう一度笑いあえる日を夢見てる」
「先輩はそのままだった、そうおもいます。
 アヤカシと人、二つの狭間で、それでも朱雀を忘れなかったと思っています」
 朔は笛を手に取って、三郎に笑いかけた。劫光もそして、途中で出会った少女も…
「…聞いていて。透の代わりに…最後の歌を」
「伊織…」
「悲しい思いは足かせとなり、地に縛り付ける、楽しい思い出は背を押し天へと…先輩として、友として…人として。送りましょう」
 そうして彼らは二人の観客の為に葬送の歌を紡ぐのだった。



 処刑場は陰陽寮からそう遠くないある場所に設けられていた。
 髪を染めた青嵐が平蔵と共に場について間もなく、五行の重鎮が入場し席に着いた。
 兵士の護衛と監視の中、西家の長治と寮長も、一角に立つ。
 そして五行王、架茂天禅も到着し席に着いた刻限。
 門が音を立てて閉められた。
 透が刑場に引き出されてきたのだ。
 囚人服ではない狩衣を纏い、尋問の時の怪我も治療して貰っているように見える。
 手は後ろに縛られているが、彼は自分の足で刑場の真ん中、斧を持って待つ役人の元に進み出たのだった。
 押さえようとする役人の手を払い、彼は膝を付く。
 目の前には処刑用の断頭台。
 透は一切の抵抗をせず、台の上に自ら頭を置いた。
 役人の手で髪が横に流され、首筋が露わになる。
 透に最期の言葉を残す暇は与えられてはいない。
 故に処刑の準備はここに全て整ったのだ。
 その様子を青嵐は静かに見つめていた。
「己すら駒として、五行の古きアヤカシを屠らせた知恵者の最後…」
 口から零れた言葉は、もしかしたら平蔵には聞こえたかもしれないが彼は何も言わなかった。
 鬻姫、そして生成姫。
 どちらも五行に深い影を落とした上位のアヤカシであるが、討ち果たした。
 その陰には、透の干渉がある。
 生成姫についてはその消失を彼が望んでいた訳ではないだろうが、もし、透がいなければ結果は別の形になっていたかもしれない。
 加え、護大警護の時の野心を持つアヤカシ達。
(人が、術でも封具でもなく言葉のみでアヤカシを誘導したのだ)
 人として生まれ、アヤカシの子として生き…アヤカシすら操って五行の命運を変えた「陰陽師」の最期を青嵐は目を逸らさず見つめていた。


 不思議なものだと、透は思う。
 目を閉じると、様々な事が目の前を流れて行くのだ。
 まず敬愛するおかあさまの姿が浮かぶ。
 だがそれが不思議な程に遠いことに彼自身驚いていた。
 代わりに近くに感じるのは、自分が裏切った筈の仲間達の面影。西家や陰陽寮での日々。
 手を伸ばせたら触れられそうな程に。
 透は微かに目を開け、首を上げる。
 もう、目の前には白い壁と、土と、僅かな空しか見えないが、恐怖や不安は何もなかった。
 元より死などは恐れていない。
 おかあさまへの誓いと、裏切った仲間たちへの償い。
 生き残った兄弟達への最後の助けがこの命と引き換えに叶えられるなら、誰からも祝福されずに生まれてきたこの命にも少しは価値があったのだろうと思える。
 遺すべき言葉と思いは昨夜、少女達に託してきた。
 そして今、寮長、長次。青嵐が彼を見ている。
 彼の最期を見届けようと。
 親友も、後輩達もおそらくは彼を思ってこの時を迎えてくれている。
 自分は一人では無い。
 透にとってはそれで十分であった。
 この思いを抱いて死ねる。
 雷太や戦場で、あるいは役目の中死んでいった兄弟達に比べれば自分はよほど幸運であると言えよう。
 聞こえる筈は無いと解っているが呟く。
「ありがとう…。大好きでしたよ」
 それが透がこの世に残した最期の言葉であった。

「ここに生成の子、透を国への裏切りと、アヤカシに与し戦乱を巻き起こした大罪により死刑に処す!」
 高く宣言の声が上がり、無表情の首切り役人が斧を高く持ち上げた。
 次の瞬間、広場に響く鈍い音。
 骨と肉、そして命が断ち切られる音を青嵐は聞いた。
 石と鉄がぶつかり、透の首が切り落とされたのだ。
 跳ね飛び、転がる首が回り、そして止まった。
 身体から吹き上がった血が、彼が「生きていた」最期の証となって処刑台を真紅に染める。
 地面に落ちた首が拾い上げられ改められ、高く掲げられた。
 拍手も歓声も、恨み言も非難の声もない静寂の中、立ち会った者達は顔を逸らすことなく、透の首を見つめる。
 寮長も、長治も。勿論青嵐も。
 彼の顔は不思議な程に安らかで、微笑んでいるようだった。


 その時、朱雀寮生達の多くが羽音を聞いた。
 ある者は窓を開け、ある者は空を見上げる。
 気が付けば朱色の鳥が高く寮の上空を巡り飛んでいくのが見て取れた。
 その瞬間彼らは確信した。
 今、透が死んだのだ、と。

 ちりん、ちりん、ちりん。
 保健室で降霊の鈴が、三度鳴った。
 鳴らした静乃の方が震え、手から鈴が落ちた。テーブルに水の滴が数滴落ちる。
「先輩…」
 小さな嗚咽を共にいた静音は聞こえないふりをした。彼女もまた目元にいっぱいの雫を貯めて空を見つめている。
「…真名さん!」「紫乃!」
 二人もそれ以上の言葉を紡ぐことなく、互いの肩を抱きしめあい、泣く。
 その様子を見つめながら
「終った…か。お主は満足できたのかえ…透…」
「さよならや。先輩…」
 魅緒と陽向は空を見上げる。そこには眩しいまでの青と、蝶が見えた。
「知っていますか? 蝶は死者の魂を表し、親しい人の元を訪ねて来るそうです。貴方の戻る場所が、どうかここでありますように…」
 サラターシャはそう囁いて蝶を空に放つのだった。

 朱色の鳥は旋回し、さらに寮内を回る。
 図書館の窓際を旋回した鳥を見て、部屋の中から雲母が煙管を噛みしめる音がした。
 折々は空を見上げ笛を再び口元に当てる。
(――届け)
 遠くから聞こえる調べと歌に合わせるように静かに、優しく…。

 伊織の歌う歌と、朔と劫光の奏でる笛の音を、三郎は膝を抱え、黙って聞いていた。
 その頭上を朱色の鳥が舞う。
「! 透!」
 歌と調べが一瞬途切れた。立ち上がった三郎が拳を握りしめたまま声を上げた。
「! う…うああああっ!!」
 怒りと悲しみ、切なさと愛しさを抱え轟く声と涙を包み込む様に、伊織は歌い続ける。
 劫光と朔の笛もそれに続き、飛び立った魂を送る調べはその後、長く途切れることなく続いたのだった。

 桃音のいる牢には小さながら窓があり、陽が差し込む。
「桃音、今日は何しようかなのだ?」
 面会に訪れた寮生達の上にも。
「お話して。何でもいいから」
「そっか。ならなりね〜」
「お話なら俺に任せておきな! むかしむかしあるところに、おおきな桃がお椀の船にのってどんぶらこっこと流れてきて…」
「先輩、なんだかまざってませんか?」
「そうなの? でも、面白いからいいわ。もっと、いろんな事を聞かせて」
「いい…!」
 その時鳥の影が陽を横切った。
「先輩!」「あれは!」
「? どうしたの?」
 小首を傾げる桃音の前で、譲治の背中をぽんと叩いて喪越は桃音に答えた。
「鳥が、空に飛んでったのさ。きっと今頃は自由に行きたいところに行ってる。な? そうだろ? ジョージ?」
(「悪夢」なんかじゃない。「現実」なのだ。その悲しみは誰にも侵されない。
 …けれど、その悲しみは皆と共有が出来るのだ。いつか、少しずつ時間を掛けて)
 譲治は目元を袖口で擦り、桃音に笑いかける。
「…うん。きっと…」
 ――アディオス、アミーゴ。
 もう、影だけになった朱色の鳥と、空を見上げながら喪越は心の中でそう呟いたのだった。

 朱色の鳥は寮を巡り、街を飛び、空に飛ぶ気球に口づけてやがて、薄紫に染まった夜に溶けて消えていった…。


●心の故郷
 翌日、朝。
「三郎先輩、ここでいいですか?」
「ああ。頼む」
 寮生の多くが集まった中庭の一角に朔は穴を掘る。
「遺髪は…やはり?」
 振り返る朔に青嵐は頷いた。
「ああ。…だが、代わりに彼が死後、アヤカシに利用される事は無いことを見届けてきた」
 知らず手を握り締めた青嵐。
 彼は処刑後の遺体の「処理」まで立ち会ってきた。
 可能なら自身の手でという願いは果たされなかったが、平蔵の部下として(もうここまで来れば一緒だと自棄になったのか許可してくれた)平蔵と共に透の亡骸が文字通り髪の毛一筋さえ遺さずこの世から消失するのを青嵐は最後まで見届けて来たのだ。
「…お前は、奴を憎んでいたのか?」
 片時も目を逸らさず燃え上がる炎を見つめていた青嵐に平蔵はそう問いかける。
「結末を見届ける為に来た、それだけです」
 青嵐はそれだけ答えた。
 そう見えてもいい。
 真実も思いも、胸(ここ)にあればいい。
(貴方は満足なままで逝かれた。だから、もう誰にも、アヤカシにすら貴方を利用させはしない。永劫に)
 胸に抱く思いは誰にも告げる必要はない…。
「それでも遺品が帰って来たのは平蔵殿と王の慈悲だ」
「まあ、アヤカシとして処刑されても、人としての墓をつくってはならない、なんていわれてませんからこれくらいは…ね」
 応えて朔は西家から届けられた彼の衣服と遺品の上に、そっと布で包んだ朱花を乗せて穴の中に入れた。
 見守る折々の手には透の笛が。そして三郎の手には朱雀の根付が握られている。
 透が捕えられる時まで持っていた笛は捕縛の時、五行国に取り上げられたが死後、危険がある品ではないとして朱雀寮に戻された。
「この品をどういたしますか?」
「…平蔵に渡せ」
 五行王はそう告げ、平蔵は
「処分は任せた」
 と部下に…青嵐に下げ渡したのだ。
 透の最期の願いの通り、品は三郎に返却され、そして三郎はその笛を
「お前達が持っていてくれ」
 折々に託した。
「勝手な思い込みかもしれないけど、透が最期まで持っていたこの品は透の心だと思う。だから、お前達に持っていて欲しいんだ。あいつの知らない世界に連れて行ってやって貰えると嬉しい。俺も、透を連れて行くから…」
 三郎はそう言って根付を指でくるりと回した。
 その様子を見て透子は静かに言う。
「透さんは、その誓い通り命と身体の全てを生成姫…おかあさまに捧げたのだと思います。でも、彼の言葉に嘘がないのなら、心は彼の望む場所にあるのではないでしょうか?」
 三年生達は思い出す。
 遠い誓い。彼らの卒業の時に約束した言葉。
『朱雀寮のこと、ずっと覚えていて下さい』
『今日のことも、今までのことも、わたしたちのことも、出会った全ての人達のことも。楽しい思い出ばかりじゃなかったかも知れないけど。それでも…』
『当たり前だ。我々は巣立っても心はいつも皆の側に置いていく。ここは、私達の故郷だから…』
『ずっと…側にいるよ。忘れない…』
 朔は最後の透の心の欠片。朱花に土をかけ埋めた。
 透は最後まで自分の運命から逃げることなく、その責任を果たしたのだろう。
 そして、人として…死んでいった。
 青嵐から透の最期を聞いて、寮生達はそう信じたいと思ったのだ。
「透先輩は、どこまでも透先輩でしたね」
 膝の土を払い立ち上がった朔は墓に手を合わせると空を見上げた。
 空は昨日と同じようにどこまでも青く、高く、美しい。
 涙が出る程に。
「なあ、先輩。皆。お花見せえへん?」
 陽向が明るく言った。
「うちら一年は全然知らんもん。
 先輩達の先輩のこと、知りたいねん。先輩たちが「先輩」ちゅうて、慕っとるやん?
 うちが二年と三年生を「先輩」呼ぶんと、同じ感覚なんやろうな。お花見しながら聞かせて欲しいねん」
「かまわない。「七松・透」の話なら、知る限り話そう」
「ん、よいんじゃないか? 三郎…西浦についてなら俺がある程度は話してやれる。桜は終わったが、まだ花はいろいろ咲いてる。思い出話をするにも悪くない陽気だ」
「おい。変な事一年生に教えるなよ!」
 伊織の肩を抱いて反論する三郎を無視して、皆は盛り上がる。
「花見か。じゃあ、何か美味い物を作るとするか。真名」
「そうね。紫乃も手伝ってくれる?」
「…はい。何にしましょうか?」
「石鏡風の料理を用意しましょう。あとはお酒を」
「では、保健委員は薬草茶を用意しますね。お酒は控えめでお願いします」
「う〜ん、お菓子とお花、桃音に差し入れていいなりかね?」
「…透子さんも一緒に…」
 そして寮生達は墓の前で告げる。
「おかえりなさい。先輩」
 備えた花は紫乃が用意した感謝の花言葉を持つ風鈴草。
 深くお辞儀をすると彼らは輪を作りいつものように笑い、集い、語る。

 やっと故郷に帰ってきた仲間と共に…。