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■オープニング本文 この世で一番怖いものは人の噂であると言う者がいる。 ほんの一つの流言飛語が人の人生を奪う事も、戦わずして戦争を決めることさえもあるという。 それに比べればこの噂話などは本当に小さな部類に入るだろう。 しかし、それがもたらす影響は少なくない。 特に戦乱からやっと立ち直った南部辺境と、その地を治める辺境伯 グレイス・ミハウ・グレフスカスにとっては…。 「天儀に出奔した兄が生きていて、打倒帝国軍を目指し天儀の後ろ盾を得てジルベリアに戻ってくる、と?」 最近上流階級を中心に流れているという噂の報告を受けた辺境伯は大きく息をつくと 「くだらない」 そう言って手を払った。 「そんなことはあり得ません。気にせず無視しなさい。実害があった場合は私が対応します」 堂々とした態度でそう答えたが、部下を下がらせ周りに人がいなくなったのを確認して後、彼はもう一度息を吐き出す。 さっきのは部下に見せる為のものであったが、今度は深い深い、本当のため息だ。 ジェレゾから戻って後、グレイスは甥であるオーシニィから彼が引き起こした事件について聞かされたのだった。 「ごめんなさい。叔父さん…。僕は…」 泣きじゃくりながら謝る甥を 「謝る必要はありません。全ての原因は私にあるのですから…」 グレイスはそう言って慰めた。 …オーシニィはどう思ったか解らないが、グレイスは、慰めの言葉として、それを発したわけでは勿論無い。 心から、全ての原因は自分にあると思っていた。 兄が失踪したのも、義姉を悲しませたのも、甥を追い詰めたのも、そして…もう一人の甥であろう少年の運命を歪めてしまうであろうことも。 グレイスは、当然天儀からジルベリアにやってきた冬蓮という少年が、兄の血を引く可能性を持つことに気付いていた。 妻であるオーシニィの母が気付いたように彼は兄に瓜二つであったのだから。 最高責任者として彼を国に帰すこともできたのだが、グレイスはそうしなかった。 下手に遠くにいてもらってもいつか火種になるかもしれないから監視の為に。というのは勿論言い訳だ。 本当は彼自身が知りたかったのだ。 国を出た兄の気持ちを。 そして彼が幸せであったのかということを…。 戸棚を開け大事にしまってある剣を取り出す。 十数年の時を経て戻ってきたグレフスカス家の家宝。 グレフスカス家を守ると言われている…。 「兄上…」 彼の声は誰にも届くことはなかった。 天儀からきた兄弟。 冬蓮と秋成は秋の公演を前に忙しくなった南部辺境劇場で忙しく働いていた。 「まあ、ジルベリアも悪くは無いな」 夏と秋、一番いい季節しか知らない秋成はそう言って背を伸ばした。 だが、いつまでもこうしてはいられない。 故郷の村は彼の力を必要としているのだ。 それに…ある決心もしないといけない。 「冬蓮。俺は少しだけ村に戻る。俺が留守の間勝手な事をしないで待っていろよ」 「村に?」 「ああ、ちょっと用事がある。理由を言えば辺境伯も許してくれるだろう」 「解った。劇場以外の場所にはいかないようにするよ。兄さんも気を付けて」 兄弟がそんな会話をしたのはほんの数日前であった。 一体、誰が予想しただろう。 「君が冬蓮君だね。少し、お願いがあるのだが…」 「はい。貴方は?」 「冬蓮さんが、行方不明なんです!!」 数日後、戻ってきた秋成は劇場の職員の言葉に手に持ったものを取り落し、呆然と立ち尽くしたのだった。 何の前置きも無く消えた冬蓮の捜索依頼は兄の秋成から出された。 「弟がいなくなった。だが、俺はこの国については不案内だ。探すのを手伝って欲しい」 「それはいいが行方不明、って何か手がかりはないのか?」 「ない。だが、かえってそれが手がかりかもしれない」 「? どういうことだ?」 首を傾げる係員に秋成は告げる。 「誰も冬蓮が消えた姿を見ていない。冬蓮は俺との約束で劇場と家以外の場所に行かないと言っていたし、行方が分からなくなったのは劇場で、だ。誰か顔見知り、もしくは劇場の関係者に連れ出された可能性がある。 それに脅迫状も、犯人からの連絡もない。あいつは以前、俺を恨む奴に誘拐されたことがあるが、その時は脅迫状が届けられていた。誘拐されたのに、家族に何の連絡も要求も無いのなら、犯人の目的はあいつ自身となのではないか、と思う」 なるほど。仮にも現役の開拓者だ。 捜査、推理の基本は押さえている。 「とはいえ、俺はこの国の事が本当に解らない。だから関係者と言っても誰が、どういう関係で何をしているのか、さっぱりだ。劇場の手伝いも少ししてたが職員も数が多くて名前も覚えきれていない。まさか、例の辺境伯とその甥が関係しているとまでは思わないが…父さんに関連していることかもしれないとは…思う」 そうして彼は懐から一通の封筒を取り出しテーブルに置いた。 かなり古くて黄ばんだその封筒は…。 「これは、俺が父さんから死にぎわに預かったものだ。中は知らないがいつか冬蓮が自分の事を知りたがった時に開けろと言われていた」 そう言って彼は目を一度閉じ、そして開いた。 「冬蓮が無事見つかったら、この手紙を開封し、俺が知る限りの事を話すと約束する。それが、おそらく辺境伯やその甥が知りたかったことだと思う。だから、力を貸して欲しい」 彼の決意がそこに示されていた。 救いは犯人の目的が冬蓮であるのなら、直ぐに危害を加えられることは少ないだろうということ。 だが安全を補償するものはない。 一刻も早く見つけ出さなければ。 開拓者達が入った彼の仕事場には、秋、冬の公演に向けた衣装の為の美しい布が並べられていた。 |
■参加者一覧
氷海 威(ia1004)
23歳・男・陰
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
アレーナ・オレアリス(ib0405)
25歳・女・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟
ウルシュテッド(ib5445)
27歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●狙われた少年 『愛しい我が子よ この手紙を見る時、私はお前の前にはいないだろう。 私はお前を心から愛している。 だから、私は告げなくてはならない。 私の罪と、お前に背負わせてしまう重荷を…』 故郷に置いて彼はどこにいても目立つ存在であった。 父親譲りの髪と瞳は彼の人懐っこい性格と共に穏やかな自然と、黒髪の人々の中では一際映えたものだった。 だが、このジルベリアではありふれた外見の少年に過ぎない。 実際、共に劇場で働く者達は彼が行方不明と聞いて顔を見合わせる。 「あの子が、どうして?」 知らない者にとってはごく普通の子供でしかない少年は、だが大きな秘密をその小さな体に持っていたのだ。 「冬蓮殿が、行方不明?」 アレーナ・オレアリス(ib0405)にフェルル=グライフ(ia4572)はええ、と小さく頷いた。 「事故か、それとも事件かはまだ解りません。ですが、嫌な予感はするのです」 ぎゅっと、手を握り締めるフェルル。 「秋成さんがおっしゃる通り、この件。本人狙いであることは間違いありません。しかし、ただの衣装係の少年を危険を犯してまで攫う必要もない。ならば彼がいなくなった理由は一つしか考えられません」 その理由をフェルルは言葉に出すことはしなかったが、ここにいる開拓者達は皆、知っている。 「皆さんだから言ってしまいますが、私はこの件、十中八九ラスリールの手によるものだと思っています。噂の件も含めて」 今は何の証拠もない。予感レベルの話だが、フェルルは確信に近いものを感じており、仲間達もそれを肯定した。 「確かに。その可能性は高いと思います。最近、サロンなどで辺境伯家の変な噂が流れていると聞いています。それと重ねあわせると…少々急いだ方が良いかも知れません」 アレーナの言葉に全員が頷く。 「ただラスリール殿辺りが裏で糸を引いているかも知れませんが、直接動いているというよりも何者かを唆した感じでしょうか。唆されて噂を流した人物や、知らずゴシップをばらまいた人物はいるのではないでしょうか? このまま噂を広げさせる訳にもまいりませんわね」 だから、と優雅にアレーナは微笑んだ。 「私、ジェレゾに参りましてサロンなどで噂の出どころを探って来たいと思いますの。こちらの調査をお任せしてもよろしいでしょうか?」 「元々俺はこちらで調査や聞き込みをするつもりだったから問題ない」 「じゃあ、僕もこっちで調査をするよ。そっちは頼むね」 氷海 威(ia1004)とアルマ・ムリフェイン(ib3629)が請け負った時、それまで黙っていたフェンリエッタ(ib0018)が口を開いた。 「私もご一緒してもよろしいでしょうか? アレーナさん」 「フェンリエッタさん?」 「フェルル。可能性は低いと思いますが私は「他の線」の方もあたってみますね。例の噂が上流階級中心にというのも何か意図を感じるし…。その噂によって動きそうな人、ヴィスナー卿や冬蓮に会いたいと思う人に心当たりがないか、その最近の動向について。辺境伯や縁者に訊いてみたいと思うのです」 「なら、俺の行動はフェンの手伝いだな。プライベートを装って貴族達が集まる場所に顔を出し噂を確かめる事になるだろう」 「叔父様…ありがとうございます」 頭を下げるフェンリエッタにウルシュテッド(ib5445)は小さく笑って手を振った。 そして呟く。 「あの子は波乱を望む輩には利用する駒。辺境伯と家の立場や南部を守りたい者には危険な存在。冬蓮自身を案じるのは身内だけ、か…守らないとな。冬蓮や家族、南部の未来も全て」 暫くの後、二手に別れて開拓者達は動き出す。 「せめてラスリール卿や反乱側じゃなければいいな…彼自身もそうだけど、何か吹き込まれたりしたら。…十分な火種になる」 小さな、声に出すか出さないか程のアルマの呟きは誰も聞くことなく風に溶けて行った。 ●遠くて近き話 『私は貴族の息子として幸運にも生まれた。 私の母は召使の一人であったのに、その子は貴族としての地位を与えられたのだ。 …ずっと、私は思っていた。 自分がここにいてはいけないのではないか。と。 私の母は早くに亡くなったが、父も、後妻であり正妻となった義母上も、そして生まれた弟も自分の事を認め、受け入れ、愛してくれた。 だからこそ、…私は故郷を離れたのだ。 優しすぎる皆にとって、自分はいない方がいいと。弟が跡を継いだ方が家の為にもいい、と しかし、今思えばそれは言い訳に過ぎない。 要は逃げたのだ。 私自身の責任から』 ジェレゾにやってきたアレーナはさっそくサロンへと足を運んだ。 アレーナの出で立ちはクローバーヒール、純白の手袋、水晶のティアラ、ドレス「白百合」とどこから見ても最高の貴婦人。 その美しい外見と時折さりげなく使用する士道も相まって、彼女は直ぐにサロンの花となった。 この日、同じように美しい花として人々の注目を集めている女性はもう一人いた。 「お初にお目にかかります。フェンリエッタと申します。どうぞお見知りおき下さいませ」 叔父を付添いに貴婦人たちに挨拶をした彼女は、初々しいと皆から可愛がられることとなった。 「偶には社交界に顔を出すようにとこの子の母親が言うのでね。俺は姪に悪い虫をつかせぬ為の番犬役って訳だ」 「どうぞよろしくお願いします」 そう微笑むフェンリエッタに若い貴族の男性は興味津々のようであった。 情報収集は思った以上に早く進んだ。 そして三人がサロンでの噂話を聞く中でいくつかのことが解った。 ヴェスナー卿の噂は最近、サロンの女性たちの間で昔のロマンスとして話されていた。 ただの悪意のない摘み話を、悪意を持って広めた者たちがいる。 『私には敵が少なくありませんからね…』 フェンリエッタが心当たりを問うた時、寂しげに辺境伯が語ったように、若くして辺境伯と言う地位を得た彼を妬む貴族たちが、根も葉もない噂話を広めていたのだ。 「辺境伯と言っても所詮、罪人を生んだ家ですから、知れたものですよ」 高笑いする男達にフェンリエッタは見えない所で手を強く握りしめていた。 「口は災いの元。真偽はどうあれ、そんな噂をする者こそ叛乱を望んでいるように聞こえるぞ。万一親衛隊の耳にでも入ったら…」 彼らは調子に乗っていてウルシュテッドがやんわり諌めてもなかなか耳にも入らない様子だ。 加えて…南部辺境からの客人の話しが説得力を加える。 「やはりラスリール卿…」 「どうやら、そのようです。彼は辺境伯を羨む者達にヴェスナー卿の話をしたと聞き出しました。終わったスキャンダルであっても評判を下げたり、流言飛語として噂の種にするには丁度良かったのかもしれません」 顔を見合わせた三人は考える。 あのラスリールが、そんな浅はかな相手を悪事のパートナーに選ぶだろうか。 なら結論は一つ。ここには冬蓮はいない。 「急いで戻りましょう」 頷きあう二人の前に貴族の青年達がやってくる。さっき話をしていた『噂をばら撒いた』貴族達であった。 「良ければお相手を」「踊って頂けませんか?」 「申し訳ありません。急ぎますの」「またの機会に…」 あっさり断ってサロンを出ようとする娘たち。 呼び止めようとして伸ばされた手を、軽く払った者がいた。 「長年出奔していた一貴族に何が出来るか…口で言うほど戦は簡単じゃないよ」 そう諌める様に、言い聞かせるように青年達に告げるとウルシュテッドは先に進んだ娘たちの後を追いかけて行ったのだった。 『留学の機会を与えられた先で、彼女と…お前の母である女性と出会ったのはほんの偶然でしかないできごとであった。 アヤカシに襲われた彼女を助け、彼女を見つめるうち胸のうちから、言葉にできない思いが溢れた。 今までの自分は、貴族として求められる自分でしかなかったと気付かされた。 彼女といることで、生まれて初めて『自分自身』であることができたように思えたのだ。 当時私には妻がいた。 グレフスカス家の当主夫人となるべく約束された妻は私を慕ってくれていたし、私も彼女を愛おしく思っていた。 しかし、それとはまったく違う愛を彼女に感じた。 離れることができなくなった。 そして、私は国を離れ彼女と共に生き、そして…お前が生まれたのだ』 くんくんと鼻を鳴らしながら劇場内を忍犬が歩いていた。 劇場内を歩き回り、そしてある場所までたどり着くと困ったように顔を上げてフェルルの顔を見る。 「そうですか。やっぱり。ありがとう。ちび」 ウルシュテッドから預かっていた忍犬は褒められるとそれは嬉しそうに尻尾を振って見せた。 「どうしましょうか? 秋成さん」 その顔とは裏腹に、フェルルとその横に立つ剣士の顔は曇っていた。 ジェレゾに向かった仲間を見送って後、残った開拓者達は劇場内での捜索を開始したのだった。 勿論ここにいないのは解っている。しかし、何か手がかりは残されているかもしれない。 そう思っての調査であった。 「丁寧に並べられた布。 これは仕事をしようとしていたのか…否、誰かに見せようとしていた?」 部屋の調査をしていた威は争った形跡もないその部屋の様子を見て思っていた。 「置き手紙もなく争った形跡もないとなると、冬蓮殿はすぐ戻るつもりでついていき、そのまま拉致あるいはどこかに止め置かれているのかもしれないな」 「案外、本人は拉致されている自覚は無いのかもね」 「アルマ」 威に軽く片手を上げたアルマは 「どういうことだ?」 と目で問う威にうんと頷いて答えた。 「僕は劇場内での人に聞き込みをしてみたんだよ。そしたら、冬蓮ちゃんがいなくなった丁度その日、ラスリールがこの劇場の視察に来てたんだってさ」 『冬蓮ちゃん見てない? 僕デザインをお願いしたいんだけど』 『さあ、数日前から見ていませんけど。えっ? 行方不明? あの子がどうして?』 『最後に来た日、何か変った事は無かった?』 『今は、まだ公演が始まっていませんから特に変わったことは…。ああ! フェルアナのラスリール卿が視察に訪れていました。馬車でお見えになって我々に差し入れを下さって、それから館内を視察して、お帰りに…』 『どんなところを見て行ったの?』 『それは…フェルアナ出身の者が案内していましたので…』 「なるほど。俺の調査結果とも一致するな」 威もまた館内での聞き込みで確認してある。 つまり、ラスリールがやってきた日から冬蓮の行方が分からなくなった。ということだ。 これが無関係であるとは思えない。 そして夕刻。宿で二人の話を聞いたフェルルは 「私も、やはり同じ意見です」 と頷いた。 「忍犬の調査でも冬蓮さんの匂いは門の外で途切れていました。これは誰かの馬車に乗って行った可能性が高いと思いますから」 「つまり、そのラスリール、という奴が弟を連れて行ったんだな?」 ここまで黙って話を聞いていた秋成が口を開く。 「はい。その可能性は高いと思います」 隠しても仕方がない。 フェルルははっきりとそう答えた。 「そいつの家はこの近辺にあるのか?」 「いえ。どうやら彼は自分の領地に帰ったようだとききました。ここからそう遠くはありませんが」 「そうか」 スッと彼は立ち上がった。 そして部屋を出ようとする。フェルルは慌ててそれを引き留めた。 「待って下さい。どこへ行くつもりですか?」 「そいつの所へ。冬蓮を取り戻す。止めても無駄だ」 「別に、止めはしないけれどもう夜は遅いよ。それに場所は解らないんじゃない?」 「それは…」 冷静に止めるアルマの言葉を受けて、立ち止まる秋成。 代わりに動いたのは威であった。 「なら、俺が先行しよう。いなくなった日数からして他領に連れて行かれたとしたらもう到着している筈だ。幽閉などされているのなら危険であり冬蓮殿の身は心配だが、先走ると事の本質を見誤るやもしれない」 「ジェレゾのフェン達もこちらに戻ってくると連絡がありました。急がねばならない状態になってもフィー、スヴァンフヴィードで移動すれば急行できます。皆で合流してから行きましょう」 右も左も解らない異国である。秋成は大きくため息をついた。 「仕方ない。頼めるか?」 「ああ。任せてくれ」 「何かあったら直ぐに知らせて。イルマにも頼んで大急ぎで行くから」 駿龍翔雲と共に空に飛び立っていく威を見送りながら、彼らは少年の無事を心から祈るのだった。 ●正体と招待 『秋成とお前、そして香蓮と過ごした天儀での日々は幸せで満ち足りたものであった。 しかし、時折冷たい風が自分を呼ぶように胸を過るのもまた事実だ。 でも、私が出奔したことで父にも、養母にも弟にもどれだけ迷惑をかけたか解らない。 そして、何より残して来てしまった妻と子はどれだけ辛い思いをしただろうか? それを思うと故郷に戻りたいという事を口にする権利は私には無いのだ。 お前にはできるなら天儀で幸せになって欲しいと思う。 だがお前は私の血を受け継いでいる。お前の半分にはジルベリアの血が流れているのだ。 いつか、遠い故郷がお前を呼ぶことがあるかもしれない。 もし、そんな時が来たら、どうか私の代わりに伝えてはくれないだろうか?』 フェルアナ領主館の前。 シュンと風が巡る様な音を立てて二匹の管狐が戻ってきた。 「お疲れ様でしたわね。ディン」 「中の様子はどう? カシュカシュ?」 管狐の主、アレーナとフェンリエッタはそれぞれの朋友を労いながら偵察に放った管狐達の報告を聞いた。 「冬蓮君は確かに館の中にいるようです。それらしい少年を確かに見たと。そして、ラスリール卿も」 「こうなると、強硬手段はとらない方がいいかもしれません」 「何を言っている。早く冬蓮を取り戻さないと!」 弟が心配なのだろう。秋成は落ち着かない様子を見せるが… 「だから、大丈夫だって。下手に忍び込んだりするよりここは堂々と行こうよ」 アルマは秋成を宥め仲間達の方を見た。 「確かに。こちらには衣装係を取り戻す。という大義名分がある」 それぞれはそれぞれの役割を理解したように頷く。 「では、参りましょうか」 一団を代表してアレーナが門番に正式に取り次ぎを頼むと、驚く程にあっさりと彼らは館の中へと招き入れられた。 応接間に通されて程なく 「やあ、いらっしゃい。お久しぶりですね」 館の主にしてこの街の領主ラスリールが満面の笑みを顔に浮かべて現れた。 「こいつ!」 飛びかからんばかりの秋成をフェンリエッタは手で制した。 その間にフェルルやアレーナはラスリールに正式な礼を取る。 「お久しぶりです。ラスリール卿。さっそくで恐縮なのですが、こちらに冬蓮という少年はおりませんでしょうか? 春花劇場の衣装係の少年なのですが」 「間もなく劇場の秋公演が始まりますの。衣装係がいないと困るので探しに来たのですが…」 「次の公演で冬蓮ちゃんに新しい衣装を作ってもらう約束をしていたんですよ。お兄さんである秋成ちゃんも心配しているので、そろそろ帰って来て貰いたいんだけど」 ニコニコと笑いながらも、目には相手を射抜くような強さを乗せて、アルマはラスリールを睨むように見た。 彼だけでは無い。フェルルも、アレーナも、フェンリエッタも。 威やウルシュテッドは軽く腰の武器に手を当ててもいる。 『全てわかっているから冬蓮を返せ』 開拓者のそんな圧力を一身に受けてもラスリールは平然とした顔である。彼は 「フッ」 と笑うと 「確かに冬蓮君はこちらにいますよ。今、呼びましょう」 平然とそう答えたのだった。 程なく冬蓮が応接室にやってくる。 「兄さん! 開拓者の皆さんも、何故ここに?」 冬蓮は応接室に入った瞬間に目を丸くする。だが、次の瞬間、 「冬蓮!!」 秋成が発した怒声はその驚きなどをかき消すほどの大声であった。 「何故って! お前いったいここで何をしてたんだ! 何も言い残さずに消えたから心配したんだぞ!!!」 「えっ? ラスリール様に頼まれて、ここの織物で新しい服のアイデアを…でも、ラスリール様?」 小首を傾げて冬蓮はラスリールを見る。その視線を受けて、ラスリールは 「おや?」 ワザとらしく肩を竦めて見せた。 「おかしいですね。彼に仕事を依頼する旨、彼の上司に報告し、冬蓮君から預かった書き置きも彼の机の上に置いてきた筈ですが? ああ、もしかしたら後を頼んだ職員がうっかり忘れたのかもしれませんね。困ったものです」 開拓者達は思い、確信する。 これは故意だ。間違いなく意図してラスリールはこの状況を作り出したのだ、と。 でも、証拠はない。今追い詰めても逃げられる。 「じゃあ、冬蓮ちゃんを連れて行くよ。いいよね?」 ならば今は、冬蓮の保護が優先だ。と開拓者達は判断した。 そして絶対にラスリールが断らないだろうと言う確信があった。 「勿論です。ご心配をおかけしたようで失礼しました。冬蓮君。良かったらまた来て手伝ってくれるとありがたいな」 「こちらこそありがとうございます。ごちそうを頂き、美しい織物を沢山見せて貰ってとても楽しい仕事でした。良ければまたぜひ」 小さくお辞儀をして少年は兄の、開拓者達の元に戻ってきた。 「おかえり。冬蓮ちゃん」 そう迎えた開拓者達は冬蓮の背中越しに見る。 ラスリールの怪しいまでに楽しげな笑みを。 ●過去からの手紙 戻ってきた冬蓮に、家で秋成が最初に見舞ったものは力いっぱいの拳骨だった。 「馬鹿! 大人しく待ってろってあれほど言ったのに!!」 「…ごめんなさい」 素直に頭を下げた冬蓮はしょんぼりと下を向く。 自分が興味から受けた仕事がまさか、失踪だの誘拐だのに発展していたとは思いもしなかったのだろう。 その俯いた背を、秋成は、今度は大きなその手でしっかりと抱きしめた。 「心配したんだぞ。俺も…開拓者の皆も…」 「うん。…ありがとう」 互いの目にそれぞれ銀の雫が浮かぶ。 微笑する開拓者達が見守る中、感動の再会を果たした兄弟は改めて開拓者達に向かい合い礼を言った。 「皆さんに、こんなにご心配をおかけしていたなんて僕、全く気付かなくて…本当に申し訳ありませんでした」 「まあ、いいけどね。お兄ちゃんとの約束は守らないとダメだよ。冬蓮ちゃん」 コツンと指で頭を突いたアルマにはい、と冬蓮は照れた顔で頭を下げたのだった。 「少し、向こうに行ってろ。仕事もあるだろう?」 「はい」 兄の言葉通り、冬蓮は一礼して部屋を出て行く。 「あいつは知らない筈なんだ。俺と血がつながっていない事。だから、教えたくなかったし、できるならこの手紙も渡したくなかった。いや、今も渡したくはない」 足音が遠ざかったのを確かめて後、秋成は開拓者達に報酬と 「これが、約束のものだ」 一通の古びた封筒を差し出した。 「辺境伯に渡すつもりで持ってきたが、どうするかは皆に任せる。…父さんはずっと、自分は重い罪を犯した。心さえも戻ることはきっと許されないと、言っていたから…どんな結果でも、きっと許してくれる」 封筒をフェルルは受け取って震える手で開いた。 中には手紙が入っており、表書きには 『親愛なる我が息子へ』 と書かれてあった。 「…どうしたの? フェルルちゃん!」 心配した開拓者達が集まってくる。 返事もできぬまま、読み進める彼女はその手に感じる震えを止めることはできなかった。 『…何を言っても言い訳であると解っている。 自分の行動がどれほどに家族を苦しめたかも。 けれど私は家族を、家を、弟を、そして妻を愛していた。 それだけは嘘偽りない、真実だ。 だから、もし、お前がジルベリアに戻る日があれば伝えて欲しい。 昔も、今もこれからも、私は皆を愛している。と…』 遠い過去からの手紙は開拓者に、一人の青年貴族の家族に向けた祈りにも似た思いを伝えたのだった。 |