【紅嵐】救いの手
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: やや難
参加人数: 16人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/29 05:16



■オープニング本文

 神教徒蜂起!
 アルベルトが呼応し帝国に攻撃を開始しようとしている!
 その情報を耳にした時、ユーリが思わず叫んだ言葉は
「バカな! まだ早い!」
 であった。
 ユーリが望む未来、目的の為にそれは勿論絶対に必要な事であったが
「まだ準備が足りない。時間も、力も…」
 せめて後半年あれば、決断するだけの準備が整ったかもしれないのに。
 唇を噛みしめながら手を握り締める。
 自分達は彼等とは違う。
 神の力と祈りだけではあの巨大な城は崩せないことは解っている。
 目的の為には命を賭けることは必要だ。
 けれど、それは命を捨てることと決して同意ではないのだ。
「どうなさいますか? ユーリ様」
 全てを知る腹心の部下の一人がそう問う。
 今ユーリの周りにいる者達の多くは体制や帝国に恨みや反発を持つ者達。
 共に戦おうと言えば、おそらく戦ってくれるだろう。
 しかし…その結果は目に見えている。
「今はまだ、動かない…。絶好の好機を潰すことになるが…、皆を無駄死にさせることはできない」
「しかし…」
「いいから! 今は動くな。周辺の情報だけは抜かりなく集め続けること」
「…はい」
 退室した部下の足音が遠ざかって行くのを確かめて、ユーリは胸元に手を重ねた。
 祈るように空を見ながら。。
 逃した機会を待つことは苦では無い。
 だが…彼を失う事は避けたかった。絶対に…。
 そして、ある決意と共にユーリは足早に部屋を後にしたのだった。


「今回の神教徒の蜂起に伴い、戦地に赴き、傷病者の保護と治療をするチームを作成、派遣したいと思う。ついては彼等の護衛と、治療の手伝いをしてくれる開拓者を募集したい」

 そう開拓者ギルドにユリアス・ソリューフという領主の名で依頼が出されたのは戦乱がいよいよ本格化しようというまさにその時の事であった。

「参加者は医者や看護に志願した者達十数名。吟遊詩人や女も混ざっている。帝国軍には衛生兵もいるだろうが、女子供もいるという新教徒達を治療するとは限らない。敵味方問わず傷病者を助けると言う趣旨で彼らは赴くが、戦地では医者であろうと看護婦であろうと無事は保障されない。彼等を護衛し、一人でも多くの貴重な命を助ける為にご協力を願いたい」

 依頼書はそう告げ、少し多めの報酬が添えられていた。
 領主が無許可で他領に人を派遣し、皇帝に反旗を翻した新教徒を助けると言えば、あまり良い顔はされないだろうが…命を救う事に変わりはないから、おそらく黙認されるだろうと言う見込みはある。
 ユーリが多少の護衛を付けてはいるが、場所は戦地である。
 彼らだけではおそらく目的を果たすことはできまい。
 人命救助。
 依頼を却下する理由は何もない。
 しかし…このユーリと言う人物は確か…。
『一体何を考えているんだ?』
 開拓者達は顔を見合わせた。
 この救出作戦にも何か、依頼書には書かれない目的があるのだろうか…。

 帝国を揺るがし続けたフェイカーの紅い影。
 そしてそれを巡る人々の思いは今、一つの節目を迎えようとしていた。


■参加者一覧
/ 真亡・雫(ia0432) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / フェルル=グライフ(ia4572) / フェンリエッタ(ib0018) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / ファリルローゼ(ib0401) / ニクス・ソル(ib0444) / クルーヴ・オークウッド(ib0860) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / 桂杏(ib4111) / ハティ(ib5270) / マックス・ボードマン(ib5426) / ウルシュテッド(ib5445) / ディラン・フォーガス(ib9718) / 祖父江 葛籠(ib9769


■リプレイ本文

●命を救う為に
 帝国がその版図を広げるまでジルベリアの民の多くの心の支えになっていたのは宗教である。
 神と祈り。
 多くの民が今を生きる為にそれを捨てたとしても、心の奥底にそれらは強く残っている。
 だから、であろうか。
 ユリアス・ソリューフが城下、近隣の民に戦乱の救護活動への協力を願い出た所、十数名の一般人が名乗りを上げたのだった。
 後は護衛を兼ねた吟遊詩人が数名。
「これほどの人数が自らの危険も顧みず…」
 集まった医者や女性達を見て祖父江 葛籠(ib9769)の口から思わず零れたのは笑みと、彼らに対する賞賛であった。
「志体を持たない人が、陣営を問わず、全ての人の命を救う為に戦地へ…。凄い…」
「ええ、確かに」
 眩しげに彼らを見る葛籠に真亡・雫(ia0432)も小さく頷く。
「あたしたち開拓者と違って、力を持たない彼らだけれど。死の恐怖を押し潰して、ただ救いたい、という崇高な志の元、行動する…とても勇敢で、素晴らしいことだと思うの。
 そんな医師団を、あたしは…必ず守り通す…!」
 彼女のように躊躇いなく口には出せないけれど、気持ちは同じであるからだ。
 いや、ここに集まった開拓者達は皆、同じ思いである筈だ。
「戦場の様子は…今、話した通り。非戦闘者こそいないもの立てこもり抵抗を続ける神教徒達を殲滅せよと兵は命令を受けているようです」
 依頼人であるユリアスが現在の戦場の様子を説明した。
「殲滅」
 その声に小さなざわめきも起きる。
「やれやれ。押さえ付けるから反発する。それをまた力で捩じ伏せる。ジルベリアは、あの頃のまま…変わらない、か」
 肩を竦めるディラン・フォーガス(ib9718)の声をフェンリエッタ(ib0018)は噛みしめるように聞いていた。
 彼女は帝国側の陣営でこれから、直接敵と戦いもするのだ。
「それでも…このような依頼が出ることには…多少救われる部分はある。依頼主の、裏の目的等は知らないがね。
危険を顧みずに救護に向かう者達の想いは本物ということだろう…」
 ディランの呟きを聞きながらフェンリエッタが胸に抱く思いを知ってか知らずかユリアスは話を続ける。
「今回の派遣は公式の許可を得ている訳ではありません。ですが、領主であるガリ家に救助隊が行く旨の使者は立てました。今回の目的は一つでも多くの命を救う事。それは神教徒も、帝国軍もなく、間に合う命、助かる命があるのなら、私は、助けたいと思います。…その手を掴んでくれるかどうかは解りませんが、手を差し伸べたいのです。皆さんにお願いしたいのはその為の助力と護衛。どうかお力をお貸し下さい」
 そして深く頭を下げた。
「もっと精霊に近づきたくて、もっと役に立ちたくて…転職したの。いまだ不慣れで、微力だけれど…私は尽力したい」
「お姉様達の友人に神教徒の人で天儀に逃げてきた人いましたし、命に変わりはないです」
 柚乃(ia0638)や礼野 真夢紀(ia1144)の言葉に微笑むユリアス。
(助かる命の全て…)
 彼の瞳と言葉を見つめたフェンリエッタは確認するように問いかける。
「ユリアス…さん。神教徒の過激派の多くは仲間以外、敵。と認識している者も少なくありません。そういう連中から医師団を守るのが私達の務めと解っていますが、もし医師団に危険が生じた場合はどうしますか? また帝国軍から引き渡しを要求された場合には?」
「身勝手なようですが最悪の事態になった場合は、どうか医師団を優先して下さい。ただ、思いは通じると信じています。…引き渡し要求に応じるかどうかもまずは命の危機を脱してから、と。その後の現場での判断は…皆さんにお任せします」
「最悪、処刑される為に命を助けることになっても?」
「それでも。身勝手とは思いますが…」
 様子を見ていたハティ(ib5270)は息をつく。その横には妹を心配そうに見つめるファリルローゼ(ib0401)姪を案じるウルシュテッド(ib5445)もいる。
 見つめ合うフェンリエッタとユリアス。その交差する視線の先で互いは何を思うのか…。
「戦乱の最中ですが我々の目的は、戦いを鎮めることではありません。私が用意した護衛が吟遊詩人なのは非戦闘員であることを強調する意味もあります。その分、皆さんにご負担をおかけしてしまうかと思いますが、どうぞよろしくお願いします…」
 ユリアスはその後、用事があると去って行った。彼自身は医師団に同行しないと言う。
 領主の立場で非公式の医師団を指揮していくことはできないのだろう。
 フェンリエッタは家族や友に後を頼んで先に戦場に向かった。
 その後の事だ。
「フェルルさん。お手紙、ありがとうございました」
 出発の準備を進めていたフェルル=グライフ(ia4572)は呼び止められた声に振り向く。
 彼女を呼んだ護衛役と言う吟遊詩人は
「ユーリさん!」
 旅立ちの準備を勧めていたイリス(ib0247)はニクス(ib0444)と顔を見合わせ思わず声を上げる。
「やっぱり、と、いうことかな?」
 アルマ・ムリフェイン(ib3629)は肩を竦めクルーヴ・オークウッド(ib0860)は礼を取るようにお辞儀をする。
 ユーリとは依頼人、ユリアス・ソリューフの仮の姿であるのだ。
 事情を知っている者達は勿論、知らない者達もなんとなく理解する。
 依頼人であるユリアスはその正体を隠してユーリとして同行するのだろう。と。
「ユーリさん。貴方は…もしかして」
 フェルルはあることに思いあたってユーリを見た。
 彼女がある人物と戦い、対峙し、捕え…その逃亡を知ってからまだ幾日も経ってはいない。
 演技することに慣れたユーリの表情に隠された思いは見えない。
 あの手紙を見たとユーリはいい、彼が消え、そして今自分もユーリも戦地に向かおうとしている。
 そこに何か思惑があるとすれば…
(どんな思惑が渦巻いていても、目の前で苦しむ人がいる以上、今やる事は決まってる)
 フェルルは首を横に振った。
(それに医師団が一人でも欠けたり、逆にどんな事情であれ敵対者を撃退すれば、この儀にとって火種になる。いつか必ず大きな炎になり、多くの人が苦しむ。
 だから私はこの目に映る人全てを死なせない。フェンやたくさんの心強い仲間がいる。やってみせる)
「私は、信じています。貴方が私の言葉を覚えてくれていることを。ユーリさん。今回はよろしく、お願いします」
「こちらこそ」
 ユーリはそう言ってその場を離れ、フェルルは準備に戻った。
 だから、気付いたかどうかは解らない。
「ユーリ」
「お願いします。私の一番の目的に、どうか力をお貸し下さい」
 ユーリの言葉と彼女の側に寄り添う様にして立つマックス・ボードマン(ib5426)と桂杏(ib4111)の二人に。

 それから間もなく医師団と開拓者は出発する。
 血と叫び、怨嗟の広がる戦場へ、と。

●戦場の中にあるもの
 医師団が到着した時には既に戦線は開かれる寸前であった。
 事前にディラン達が選定してくれたコースが思う以上に早く到着する近道となったからである。
 帝国側の衛生兵よりもやや早く到着した彼らは戦場となるであろう丘の礼拝堂から、少し離れた森の入口にキャンプを張った。周囲になるべく危険がなく、戦場に近い所と葛籠が探り、見つけてくれた場所である。
 ちゃんとした許可を得る前にやってきたことに本陣の一部は動揺を見せていたようだが、今まさに戦端が開かれようと言う時に彼らを責めている時間は無い筈だった。
 想像どおり彼らは前線に出てこない事をきつく指示こそしたものの、その行動を止めよとは命じては来なかった。
 間もなく戦端が開かれるであろう。
「義兄様、後をお願いします」
 そう言って戦いに向かったイリスが、今神教徒達を説得しているらしいが、果たして…。
 小高い礼拝堂はかつての神の住居。
「この地を、赤く染めてはいけない。
 戦で生じた負の感情は、餌となってアヤカシを呼び寄せ、人を喰らい尽くす…」
 丘を見つめ柚乃は呟いたけれど、彼女の願いとは裏腹に簡単なテントを用意してほどなく炎と大筒の音が戦の始まりを知らせた。
 そして直ぐに兵士達が何人も運び込まれて来る。後方に戻るよりこちらの方が治療には早いと見たからだろう。
「奴らの銃に腕をやられた。見て貰えるか?」
 医師団の主目的は神教徒の救出。しかし怪我人を差別する理由はどこにもない。
「直ぐに、こちらへ!」
 誘導したイリスの側にユーリと白い布をその腕に巻いた医師たちが駆け寄ってくる。
「弾は抜けていますね。止血と、傷の消毒。そして治療を行います」
「…術で、直しては貰えないのか?」
 辛そうに身を起こしながら怪我人は訴えた。
 周囲に開拓者がいて、向こうには治療に当たる巫女もいる。
 直ぐ傷が治る、と思っていたのかもしれない。
 しかし、
「ゴメンね」
 柚乃が答えたその時だ。
「た、頼む!! 出血が止まらないんだ!!」
 キャンプに仲間を背負った男が飛び込んできた。
 背中は仲間の血で真っ赤。運び込まれ降ろされた人物の顔は真っ白で、今にも命がその身体から飛び立とうとしているのが解った。
「いけない! どなたか、生死流転が使える方はいらっしゃいませんか?」
「私が!」
 走り寄ったフェルルが渾身の術を怪我人にかける。魂を繋ぎとめられる時間は多くない。
 その間に蘇生させなければ。
「真夢紀さん。術をお願いします。アルマさんも…」
 フェルルの願いに真夢紀は頷いて祈りを捧げた。白い光が優しく怪我人を包み込んだ。
 そして同時にアルマがバイオリンを奏で始めた。
 さらには柚乃も横笛を口に当てている。
 重ねた精霊の歌。命の祈りが、聞く者の心と体に沁みとおって行くようだ…。
「う…ん」
 生死流転が切れた直後、呻き声を上げて目を上げた兵士に周囲から歓声が上がる。
「すみませんでした。我が儘を言って…」
 笛を下ろした柚乃に白い布で腕を吊ったさっきの兵士が頭を下げる。
 柚乃は首を横に振ると
「…どうぞ。甘くて美味しいですよ」
 キャンディと、それより甘くて優しい笑顔を差し出したのだった。

 こうして帝国軍の兵士達の治療はほぼスムーズに行われた。
 だがある時期から治療を受ける者達の数と質が一変する。
「何だ! あの音は!?」
 外の様子を注意深く伺っていた雫が、今までの戦闘の音とは明らかに違う地響きにも似た音を聞きつける。
「あれだ! フェン…」
「イリス…」
 ウルシュテッドが振り絞るような声で崩れ落ちる礼拝堂を見つめる。
 今までの戦闘が静かなものに聞こえる程の大崩壊は、どれほどの人間を巻き込んだことだろう。
 あの中にフェンリエッタは、イリスはと心配する二人であったが、彼女らは無事に脱出してやがて医師団に合流した。そして、それとほぼ時を同じくして、大量の怪我人が発見され、運び込まれることとなる。
「触るな! 異教徒の治療など受けぬ!!」
 真っ赤に染まった衣服と、印。
 既に立っているのも限界である筈なのに男はそう言って、差し出された手を払いのけた。
 彼らは…神教徒達であった。

●願い、通じる時
 礼拝堂の大崩落。
 その時点で多くの神教徒達が小さくない傷を負っていた。
 男女関係なく、彼らは預言者の言葉と己の信じる神の救いを信じて自分達と比べると圧倒的な力を持つ帝国軍と開拓者に躊躇うことなく挑んでいったからだ。
 イリスの説得やフェンリエッタの呼びかけにも殆ど耳を貸すことなく
「怨は死なぬ!」
 そう言って命を捨てて行ったテイワズ達。
 残った神教徒達も、そのままであれば全滅、玉砕の道を辿っていただろう。
 皮肉にも礼拝堂の大崩壊というきっかけが、彼らに
「逃亡」
 という選択肢を与えたのだった。
「周囲に怪我人がいたらこちらに運んで下さい」
 自ら探しに行きかねないユーリや医師団を止めてクルーヴやハティ、ファリルローゼ達。そして戻って来たイリス達が戦場に出た。
 前線には近づくな、という命令であったが、戦闘は掃討戦の様相を経て森の周囲、キャンプのあたりまで広がっている。
 と同時にキャンプの周囲にも力尽きた神教徒の亡骸が多くみられるようになっていた。
 その亡骸の山の中にごくまれにまだ、微かに息がある者がいる。
「いた!」
 積み重なる死体を除けて精一杯彼女はその身体を引っ張った。
「しっかり! もう少し、頑張って!」
「大丈夫か?」
 必死の葛籠にディランはそっと手を貸し中へと運んだ。
「必ず、皆が助けてくれるからね」
 返事は返らなかったけれど葛籠の声は神の国への扉を開けようとしたその人物の魂を、地上に引き留めることには成功したようであったという。
 必死に包囲網を潜り抜けたものの、もう立つ力さえ残らず開拓者達の前でよろめき倒れた者もいる。
「かなりの、重傷ですね。…武器だけは預からせて頂きますよ」
 そう言ってクルーヴはその女性をそっと抱き上げたのだった。

 だが、神教徒達の多くは彼らに簡単に身をゆだねてはくれなかった。
「触るな! 異教徒の治療など受けぬ!!」
 全身を血で赤く染めながらも剣を振り回す男がいた。
「帝国に捕えられ、捕虜となるくらいならいっそ殺すがいい!」
 そう言って高笑う者達もいた。
 それどころか治療の最中
「神教徒でないものは全て敵だ! どうせ死ぬならせめて我らが怨みを思い知らせて!」
 丸腰の医師達の首を閉めようとする者達さえいたのだ。
「危ない!」
 治療に集中していた医師たちは無防備で背後から掴みあげられる。
 だが、気づけば逆に男の首にニクスの剣、その鞘が当たっていた。
「今は引け。ここにいる者達は、少なくともお前の仲間や友を助けようとしているのだ」
「この場では命の重さは皆同じであること。…しっかり見詰めて下さい」
 実力行使しようと思えば、彼らは簡単に神教徒達を倒すことができる。
 しかし、一度、力に打ちのめされた神教徒達に、開拓者達の多くは力でではなく、言葉で思いを伝えようとしたのだった。

 剣を振り回していた神教徒は死を恐れはしないつもりであった。
 仲間以外は敵、そう信じていた。
 しかし
「…歌?」
 彼は聞こえてきた歌に、瞬間、剣を持つ手を動かすことを忘れた。
 目の前の女性は自分を見つめ、何かを歌って…いる?
 その歌声に彼はハッとした。
 戦いの最中、熱病のような思いの中にいた時は気付かなかった、心の中にまるで風が吹き抜けたような錯覚を感じたのだ。
「フェン様!」
 ハティが彼女の歌に合わせて竪琴を奏でる。
 優しい小鳥の囀りを。
 祈りを込めて。
(唯一絶対という神の教え、譲れぬ信念。
 それぞれに妄信が齎すものは、他者を容れぬ独善的で頑迷な心。
 だがただいっときでもいい、耳を傾けて欲しい。
 この世界は、人の想いが奏で合う、美しい音楽で満ちている)
 籠手払いで武器を払う事も、当て身で戦う力を奪う事も彼女達は簡単にできた筈だった。
 しかし、フェンリエッタはそうせず両手を前にして訴える。
「大丈夫、誰も敵じゃないわ。
 お願いだから生きて、自分の命を救ってあげて」
 その真っ直ぐな瞳が彼の目を見つめた瞬間、チャリン、地面に剣が落ち神教徒は崩れるように意識を失った。
 二人はその身体を慌ててしっかりと支える。
 板挟みの思いの中、彼らに身をゆだねる為に自ら意識を手放したのだろうか、と思うのは都合がよすぎるかもしれない。
 けれど、彼女らの前にはまだ失われていない、命がある。
 そのぬくもりを守る為に、走り出したのだった。

「帝国に捕えられ、捕虜となるくらいならいっそ殺すがいい!」
 目の前で諦めたような高笑いと表情を浮かべる神教徒を見つめファリルローゼは唇を噛みしめた。
 フェイカーが蒔いていった狂気の種が、こうして人の心と命を今も奪おうとしている。
 ファリルローゼには目の前でフェイカーが高笑いをしているようにさえ聞こえていた。
(フェイカー、お前がどれだけの命と心を弄ぼうが我々は絶望しない。お前が奪おうとするのなら守るのみだ…!)
 強く握りしめた手をやがてファリルローゼは神教徒に差し伸べる。
 攻撃ではなくその手を強く、抱きしめて。
「えっ?」
 彼女の耳にはフェンリエッタの歌声と心が聞こえている。
「こうして助かった命を無駄にするな。
 ここには敵も味方もない。
 君の命を尊び守りたいと思う者ばかりだ。
 だから安心してその命を、心を委ねてくれ」
「もし、死ぬつもりなら無かったものと思って、ほんの少し、我らに預けてみないか」
 ウルシュテッドの説得に神教徒が抵抗を止め、従ったのは夜春のせいだと思えば思えなくはない。
 でも話を聞いた開拓者達は思っていた。
 信じたい、と。
 神教徒との間にも思いは通じたのだ、と。

 その後、数日の間、医師団のキャンプは戦場での治療を続けた。
 周りには数百に及ぶ神教徒の亡骸が、今も布をかけられただけ、もしくは土をかけられただけで残っている。ほぼ全滅と言ってもいいかもしれない。
 ただ、帝国側でも神教徒は殲滅すべしという意見と、やりすぎるべきではないという意見に分かれていたと後で、怪我をした兵士の一人が治療の恩にと教えてくれた。
「だから…なのかな」
 夜更け、アルマは松明を手に周囲を警戒しながらキャンプに横たわる怪我人たちを見ながら思った。
 彼らは運が良かったのだ、と。
 殲滅はやりすぎと思う兵士達は、包囲網を突破した後の神教徒達を追撃しなかったという。
 それによって開拓者が差し伸べた手が間に合い、助かった命が彼らであるから
「とはいえ、命が助かったからって、手放しで喜べは、しないんだろうけど…」
 一角にはどうしても抵抗を止めずに猿轡と縄で縛られている者達もいる。
 帝国軍から引き渡しの要請も来ているらしい。
 帝国に反旗を翻した彼らの命運を思えば気持ちは暗くなるが…
 今は、それを口にする時ではないだろう。
「おや?」
 耳を澄ませると横笛の音が聞こえる。
 柚乃の『安らぎの子守歌』だろう。傷病者たちが少しでも安らかな気持ちでいられるようにという彼女の思いやりが音に乗って聞こえてくる。
「僕も手伝おうかな?」
 小さな笑みと共に遠ざかっていく灯。
 それとすれ違うように闇の中に溶けて、消えた影達があることをこの時、気づいた者は殆どいなかった。

「そこに、鳴子があります。気を付けて」
 影の一つが指差した先を、慌ててその後を追う影は飛び越した。
 これは味方が仲間を守る為にしかけたもの。壊すわけにはいかない。
「約束して下さい。ユーリさん」
 影が影に声をかける。
「決して焦らない事。暴発してはいけません。
準備が整わぬうちに十二使徒に目をつけられると、今回のアルベルトさんと同じ道を辿ることとなるのですから」
「はい。お約束します」
 キャンプを抜け出した影は三つ。
 ユーリと桂杏、そして…
「覚悟は良いかね?」
 先にキャンプを抜け出ていたマックスは迎えに来た二人にそう、声をかけた。
「はい」
 ユーリは迷いのない目で頷く。
 松明の明かりもない暗闇の中、それをマックスは見ることはできなかったろう。
 しかし、ユーリがどんな表情で頷いたかを彼は確信していたから彼は
「行こう。こっちだ」
 前に立って歩き出したのだった。

●真の目的
 そして、ユーリは辿り着いた。
「お迎えに来ました。アルベルトさん」
 暗闇の中に声をかけると明らかに驚いた声と共に、ユーリがある意味一番助けたいと思っていた人物が、姿を現す。
 アルベルト・クロンヴァール。
「どうしてここに?」
「聞こえたのです。貴方の声が。場所は…彼が、教えてくれました」
 ユーリの背後に、闇に潜む様に佇むマックスがいる。
「アルベルトさんの現状なども全て、聞きました。だから、助けに来たのです」
 あの時、見逃してくれたマックスがアルベルトを助ける為にユーリをここに連れてきたと言うのか。
 その側にはシノビの気配を纏う桂杏がいる。
 アルベルトは再び問いかけた。
『意味が違う。どうして、ここにやってきた? 危険であることは、解っているだろう?』
 解りきったことを。そんな目をしてユーリは答える。
「貴方を助ける為に。貴方は私の大切な友。失うわけにはいきません」
「馬鹿だな、お前は」
「ええ。貴方の友ですから」
 アルベルトの嘆息にも似た言葉にそう、頷いてユーリは用意した荷物と馬、そしてある場所への地図を差し出した。
 とりあえずの隠れ場所になる筈の所であった。
 その先、彼がどうするかは彼が決めること。
「でも、できるなら無理はなさらないで。もう少し、時を待って下さい。そして、どうか共に…」
 彼女の言葉にアルベルトは答えず去って行く。
 最後に
『お前はただ信じる道を歩めばいい。やれるさ、お前なら』
 という言葉と微笑みを残して。

 ユーリ達が戦列を離れたのはそう長い時間では無かったが、気付いた者は当然いた。
 勿論、気付かなかった者もいたし、気付いた者達の中にもあえて問い詰める者はいなかった。

 神教徒の乱は帝国軍と開拓者の圧倒的な勝利で幕を閉じた。
 暴徒の殆どが降伏の勧告にも従わず『行動』し、殆どがその場で命を彼らの神の国へと帰した。
 礼拝堂の大崩落の後、生き残ったのは二割にも満たない。
 生存者の多くは包囲網を突破し逃れたほんのごく僅かを除き、死にも近い重傷から医師団に救われた者。
 そして開拓者の説得に応じた者達であった。
 継続的な看護が必要な一部の重傷者以外の神教徒達は要請を受けて帝国軍に引き渡された。
「敵に処刑される為に助けたのか?」
 と悪態をつく者もいたが、
「数日でも生きながらえさせてくれたことに感謝する。あの歌は死ぬまで忘れない」
 そう微笑んでくれた者もいて彼らとの別れは開拓者達の心に、忘れられない何かを刻んでいた。
 さらに数日後、医師団はキャンプを閉じて故郷へと帰路に着く。
 その道を徒歩でいくユーリは、ほんの小さな声で呟いた。
「結果的に開拓者の皆さんを騙したことになるのでしょうか」
 それを聞いたのはマックスと、おそらく桂杏だけ。
 答えなどきっと必要としていまいが
「さてね」
 肩を竦めてマックスは答えた。
 アルベルトの救出が成功して後、ユーリは二人にだけ、自分の真実の思いを話したのだ。
 それは今回の戦場での救出活動の目的であった。
 失われるはずの命を一つでも多く救うという目的に嘘はない。
 ただユーリの一番の目的はアルベルトの救出であった。
 そして真の目的は消える筈の命を救い、自分の味方とすることであったのだ。
 神教徒達の多くは命を救われたことに感謝するだろう。
 いずれユーリが挙兵する時、同じ皇帝という敵を持つ彼らはユーリの力になってくれるかもしれない。少なくとも敵に回らずにいてくれる筈だ。
 帝国軍の兵士達もそう。
 命を救われたことで、情報を教えてくれた兵士がいたように、いつか戦いになった時、その敵にならないでいてくれるかもしれない。
 失われる命を救いあげ、未来の目的の力とする。
 それこそが今回の活動の真の目的であったのだった。

 医師団の一人一人はユーリの意図を知らない。
 命を救い、護ると言う強い志で参加したのであるが、ユーリが医師団を組織し依頼を出した理由は無償の慈愛などではけっしてないから、彼らの事も騙したと言えなくもない。
 借り受けた品、提供された品、全て弁償して報酬を払っても償いにはならないだろう。
「でも、どんな理由であろうと失われた命は戻らない。だからこそ、失われる前に救って未来への可能性を繋げたかったのです」
「まあ、それでいいんじゃないかな? 自分の信じる道を行ったのなら言い訳はしないこと。実は私は楽しみにしているよ」
(この国に、君達と言う国のありようさえ変えてしまう風が吹く日がくる事を)
 楽しそうなマックスの笑みに桂杏はため息を一つ吐き出すと、指を一本唇の前に立てた。
「今は、自分にできること。それを精一杯やるだけです。結果はその後で」
「そう…ですね」
 ユーリはそう言って前を見ると、歩く開拓者達の背に深く、深く頭を下げたのだった。

 今回の乱における死者は三百人以上と後に報告された。
 殆どが神教徒達であり帝国側の死者はごく僅かである。
 神教徒側の生存者は百名にも満たない。

 しかし、その百名の命の影に開拓者と、医師団の尽力があったことは報告書の数行の記載以上に人々の心に残ったのであった。