【朱雀】去る者、送る者
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 15人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/07/16 13:29



■オープニング本文

【これは陰陽寮朱雀寮生用シナリオです】

●朱雀寮卒業式

 陰陽寮の入寮試験も終わったある日、朱雀寮生全員の元にそれぞれ、手紙が届けられた。
 それは手渡してあったり、人妖やカラクリ達を介したりいろいろではあったけれども、薄様の紙に丁寧な文字で綴られた文面はほぼ全員同じであったようだ。

『先だっての送る会では大変お世話になりました。
 皆様の優しいお心づかいに感謝の言葉もありません。
 心より御礼申し上げます。
 
 長いようで短かった私達の三年間もいよいよ終ろうとしています。
 今までお世話になった方への感謝の気持ちと、皆様御礼の気持ちを込めて謝恩会を行います。
 お忙しいとは思いますが、ぜひおいで下さい。
 精一杯のおもてなしをさせて頂きます。

 なお、この日は私達が皆さんへの感謝を表す日です。
 一切のお気遣いなく、お気軽においで下さい。
 
 心からお待ちしています』

 二年生達はふと、去年の事を思い出した。
 確か、昨年も卒業式の前日に卒業生主催の謝恩会が行われていた。
 皆で大騒ぎして、一夜を過ごし、卒業生たちを見送った日のことが昨日の事のように思い浮かぶ。

 あれから、もう一年が過ぎて、また別れの時がやってきたのだと思うと、少し胸が切なくなる。
 確か、卒業式に下級生の参加は認められていないので、この謝恩会が三年生と一緒に過ごせる実質的になる筈だ。
 今年の卒業生達は陰陽寮に残る者はいないという話だから、送りだしたら最後、再開は難しくなりそうである。
 ましてや来年は自分達が、送られる方になるのだと思うと…。
「先輩?」
 ふと横にいた一年生が、心配そうに自分の顔を見上げる。
「大丈夫。心配しないで」
 それに気づいた彼らは首を横に振り、一年生達に笑いかけた。
 そうだ。今は、そんなことを考えていても仕方がない。
 残された先輩達と過ごせる時は残りわずか。
 ならばその貴重な時を大切に過ごし、笑顔で彼らを送り出そう、と。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 蒼詠(ia0827) / 玉櫛・静音(ia0872) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / サラターシャ(ib0373) / アッピン(ib0840) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / カミール リリス(ib7039


■リプレイ本文

●贈る気持ち
「お帰りなさい」
 戦乱のアル=カマル。
 その灼熱の地獄から戻った寮生達は、寮を取り巻く初夏の緑と、柔らかく微笑む先輩達に出迎えられた。
「ただいま、帰りました…」
 そう答えた寮生達は思い考えた。
 ここはもう自分達の帰る場所になっているのだろうか。と。
 今、自分達を出迎えてくれた先輩達は、もう間もなくここから飛び立っていこうとしているのに…。

 明日は朱雀寮の卒業式。
 今日の夜は謝恩会と言う当日。朝早くから薬草園で動く影が一つあった。
「あら? 紫乃さん? 何をしているんですか?」
 同じく薬草園を訪れた玉櫛・静音(ia0872)は地面を蹲るようにして見つめている泉宮紫乃(ia9951)にそう声をかけた。
「あ、静音さん。おはようございます。静音さんは…ヨモギ摘みですか?」
 小さな籠を持ってやってきた静音はええ、と頷いた。
「今日の謝恩会。料理は先輩方が整えて下さるとのことですが、私達も何か添えさせていただきたいな。と思いまして。お茶にするヨモギはもう乾かしてあるのですが、もう一品、ヨモギ餅などを作りたいので新鮮なヨモギの葉を摘みに来たのです」
「私達?」
 と紫乃は問わない。
 彼女にとって最も親しい二人。尾花朔(ib1268)と真名(ib1222)が
「もう先輩と料理をするのは最後になるんだもの。料理勝負をしましょう!」
「いいですね。茄子、胡瓜、鮎など、旬の物を使って何が美味しかったかを皆さんに決めて貰いましょう」
 と張り切っていたのを知っているからだ。
「私も後で、お手伝いさせて頂きたいのですが…」
「ええ、よろしくお願いします。それで、本当に何をしておいでなのです?」
 控えめに言う紫乃に頷いて、静音は改めて問う。
 薬草園の薬草を摘んでいるようだったら、別に問わない。
 彼女は薬草の群生では無い、いわゆる雑草の草だまりで何かを探していたようだったから聞いたのだ。静音のように籠を持っている訳でも無い。
「…その、四葉のクローバーを探していました。卒業される皆さんの分…と思って」
 そう言って彼女は胸元から白いハンカチーフに丁寧に包んだ四葉のクローバーを差し出す。
「なるほど…。あと二つ、ですか?」
「いいえ、三つ。朱里さんの分もなんとか見つけられないかと…」
「解りました」
 微笑むと静音は自分も近くの草だまりに腰を下ろす。
「お手伝いします。用具委員会での和紙作りの時に使われるのでしょう? もうあまり時間はありませんから」
「あ、ありがとうございます」
 頬を赤らめてお礼を言う紫乃に静音は柔らかな笑みで答えたのであった。

 和紙を一から作るのは難しい。
 しかし、紙を漉きなおす事そのものはそう難しい話では無いのだ。
「いつもながら青嵐(ia0508)さんの準備の手際の良さには驚かされますね。ほらほら、劫光(ia9510)さんも手伝って下さい」
 朔はそう言いながら手元に集められた和紙を千切りながら指示を出す。苦笑しながらも劫光はそれに従い、アッピン(ib0840)達と一緒に紙の切れ端を水に浸していた。
『お褒めに預かり光栄ですが、それは探せば火薬や花火、日用雑貨に工作道具、何でもある朱雀寮の用具倉庫の品ぞろえに言うべきかもしれませんね』
 小さく笑って青嵐が答える。
『符を加工して装飾品とかできませんかね』『符そのものでなくて、和紙を使うとどうだろう? 符の裏は、朱花を家紋みたいにして…』
『じゃあ和紙でお花(朱花)のコサージュを作るのはどうかなあ』
 という会話の元、俳沢折々(ia0401)の提案で今、彼らは卒業生に贈る和紙のコサージュ作りに励んでいるのだ。
「確かに紙すきの道具まで揃ってるなんてね〜。場合によっては術符の紙も手作りしたりするのかなあ〜」
「まさか〜」
「でも、紙を頂きに行ったとき、『貴方達もですか?』と寮長がおっしゃっていたのですが…」
 そんなおしゃべりをしていると、がらり扉が開いた。
「おそくなって…すみません」
「大丈夫ですよ」
 息を切らせる紫乃に朔は作業の手を止めて微笑んだ。
 紙を千切り、新しい染料と一緒に今、丁度溶かし終ったところの様子。
「良かった。あの…お願いが、あるんです。これも漉きこんで貰えませんか?」
 ホッと息を吐き出すと紫乃は朔に何事かを頼み、朔も仲間達もそれに頷いた。
 彼女が差し出したのは四葉のクローバーだ。
「幸運を願うクローバー入りのコサージュ。ステキだよね。さあ、がんばろ〜! 夕方までに乾かして加工まで進めちゃわないといけないから」
「あ! 真名さんはもう調理に入ってるんですよね。急がないと…」
 和気あいあいと作業が進む中
『彼らは大丈夫ですかねえ〜』
 ふと、蒼嵐は用具倉庫で用意をしていた平野 譲治(ia5226)といつもとは違う思いつめた顔ですれ違った喪越(ia1670)の事を思い出しながら作業を進めるのだった。

 さて、二年生達が最後の贈り物作りに勤しんでいた頃、一年生達は図書室にいた。
 サラターシャ(ib0373)に良ければ手伝ってくれと頼まれたことがあったからだ。
「…ええっと、サラさん。璃凛。これでいいのでしょうか?」
 差し出された書物を受け取りながらサラターシャ(ib0373)はええ、と頷いた。
「入寮試験問題集。これを探していたんです。ありがとうございます。リリスさん」
 よかったと微笑むカミール リリス(ib7039)であるが、ふと横を見てあることに気付き…
「何をしてるんです? 璃凛。しっかりして下さい!」
 ぼんやりと外を見つめる芦屋 璃凛(ia0303)の前で手を振って見せた。
 本気で暫く気付いていない様子だった璃凜はハッと我に返ると
「あ、ご・ごめん。ぼーっとしてた。本探さないと…」
 と首を横に振った。
「それはもう見つかりましたから大丈夫です。ありがとうございました。でも、璃凛さん。どこか具合でもお悪いのですか?」
 心配そうにサラターシャは問うが、リリスは平然とした顔で手を振って見せる。
「大丈夫ですよ。サラさん。璃凛のはお医者様でも治らないというやつですから」
「まあ! 素敵ですね」
 楽しそうで嬉しそうなサラターシャとは反対に、璃凛はもう! と頬を膨らませる。 
「リリスの意地悪!」
 だがリリスは平然としている。意地悪心からか、興味からか助けようとはしない。
「璃凜…それは自分でどうにかして下さい」
 きっぱりと言い放つリリスに
「分かってるよ。本当は」
 ぷい! と璃凛は顔を横に向けた。
 そう、本当は彼女にも解っているのだ。
「それは良かった。もうじき謝恩会も始まりますからね。しっかり準備してきて下さい。では!」
 サラターシャの手を引っ張って退室していく二人。
 それを見送りながら璃凛はもう一度大きく息を吐き出したのだった。

●込められた感謝
 やがてやってきた刻限を待って、寮生達は会場となる食堂にやってきた。
 花や飾りに美しく飾られた食堂で待つこと暫し。
「えっ?」
 ふと彼らは聞こえてきた小さな音に耳を欹てた。
 まるで囁くようであったそれは徐々にはっきりとしたメロディーになり、音楽になり、やがて…歌になる。
「わあっ!」「凄い…」「これは…反則だよ」
 寮生達は物陰から現れた三年生達の、意表をついたパフォーマンスにそんな声を上げた。
 目頭を押さえる者もいる。
 三年生達が今までの感謝を表す為に選んだのは、術を使った何かではなく歌と楽器の演奏であったのだ。
 メインは用具委員会委員長、白雪智美のソプラノ。それに調理委員会委員長、香玉のアルトコーラスが深みを与える。メイン旋律を担当するのは図書委員会委員長、土井貴志のリュートで、伴奏を受け持つ体育委員会委員長、立花一平のハープと競い合う様に研を競い保健委員会の藤村左近が奏する横笛と見事なハーモニーを奏でていた。
 昨年の三年生は一人一人がどちらかというと天才肌であり、それぞれが個人で競い合い協力し合って高みに向かって行くタイプであった。
 今年の三年生達は、個々の能力で言うなら彼らには正直、届いてはいない。
 しかし互いが互いを補い合い、支え合って三年間を過ごしてきた。
 まさに、彼らが奏でるハーモニーのように。
 
「♪…思い出が広がる たんぽぽの花畑
 美しく どこまでもどこまでも
 思う限り広がって行く
 幸せで、楽しくて、いつまでもこのままでと思うけど

 小さな種が いつか花になるように
 思い出の欠片が いつか明日に花開く

 花が散る
 風に乗って
 花びらが 空に舞っていく

 種が飛ぶ
 風に乗って
 大地に 別れ告げて

 寂しいけれど 
 でもそれは 
 明日の花を咲かせる為

 土と水とお日様にありがとうを言って空に飛び立っていこう
 
 思い出の種もって いつか新しい花畑作ろう…」

 歌い終えた智美が優雅にお辞儀をすると、会場全体から割れんばかりの拍手が響く。
 こうして謝恩会は最高の形で幕を開けたのだった。

●交差する想い達
「さあ! いっぱい食べておくれ。調理委員会と料理自慢達の料理勝負だ」
「その結果は皆の舌で確かめてね」
 乾杯の後、次から次へと運ばれてくる料理に寮生達の歓声が上がった。
「今回のテーマは旬の食材です。茄子に胡瓜、鮎。茄子の煮浸し、揚げ茄子の出汁寒天寄せ、胡瓜の梅汚し、小鮎の天ぷら、甘露煮、せごしなどなど。いっぱいありますよ〜」
「枝豆ご飯のおにぎり。トマトとチーズ、フレッシュバジルのサラダ。とうもろこしの天ぷら。冷たいナスの南蛮漬けどうぞ」
「いんげんにオクラ、冬瓜のスープ。ピリ辛の冷麺もお勧めよ」
『デザートによかったら私のお菓子も食べて下さい。チョコレートケーキです』
「摘みたてのヨモギ餅もあります。お茶と一緒にどうぞ」
 朱雀寮が誇る調理委員会と、朔に紫乃。静音に人妖の双樹まで料理自慢達が腕を振るった料理の数々だ。
「美味い!」「おいしい…」「最高!」
 賛辞以外の言葉は殆ど出てこない。
「こりゃあ、料理勝負は引き分けかねえ」
 少し離れた所から苦笑したように肩を竦める調理委員会委員長香玉に、ううん。と真名は首を横に振った。
「いつだって、先輩の勝ち。皆、それは解ってて、でも最後に一緒に料理がしたくてあんなことを言い出したの…」 
 真名は香玉の作った料理を見つめる。
 オクラと牛肉の水晶豆腐、カボチャの冷製スープ、太刀魚のフライに、鯵のなめろう、冷や汁、冬瓜のスープ。
 デザートに冷えた杏の砂糖漬けと杏入りの春巻きパイ。
 冷たいもの、暖かいもの、バランスのとれた料理は食べる人の事を考え、見栄えも美しく作られている。
「この水晶豆腐も、冬瓜のスープも、本当にキラキラしてキレイ。南瓜のスープは星が散っているみたい…」
 一つ一つ香玉は丁寧に真名に作り方を教えてくれた。
「大丈夫。あんたが全部覚えてくれたから、安心して朱雀寮の台所、任せられるよ」
 目元がまたじんわりと熱くなるが、真名は大きく首を横に振った。
 もう今日は泣かないと決めている。
「いつか紅玉先輩の故郷に遊びに行くからね! そしたらまた今日みたいに一緒に作りましょう。約束!」
「ああ、ゆびきりげんまんってね!」
 細い指と太い指が絡み合って互いの気持ちと体温を交差させる。
「元気で!」「ああ、ありがとう」
 そして、二人は
「早く、こちらに来て下さい。…美味しいものを食べて、食べさせて貰って笑顔でお別れを」
 仲間達の待つ場所へ戻って行った。

(う〜ん、なんだろう。この気持ち)
 解っている、とさっきはリリスやサラターシャには言ったが正直、璃凛は今も自分の気持ちを持て余していた。いつもの元気はどこへやら、だ。
 身支度に時間がかかるし、なんだか胸がもやもやする。
 その気持ちは会場に来ても治るどころかさらに、不思議に湧き上がってくるのだ。
「先輩!」
 沢山の人に囲まれていた体育委員長立花一平が、一人になったほんのわずかな隙をついて璃凛は彼に声をかけた。
「おや? 今日はなんだかいつもと雰囲気が違うな」
 からかう様に、でも首飾りや髪紐、腕輪で飾って身支度に時間をかけた様子に気付いてくれたことを嬉しく思って璃凜は真っ直ぐに一平の顔を見た。
「あの、異性を好きになるって…。どんな気持ちなんですか」
「ん?」
 思いもかけない質問に驚いたのか、一瞬動きを止めた彼は、直ぐに微笑して璃凛を見つめ
「嬉しくて、悲しくて、切なくて…でもその人の笑顔の為にできることをしてあげたいって思う、かな? 自分だけを見て欲しいとか、そういうのじゃないから恋とか恋愛っているのとは違う、かもしれないけどね…」
 そう答えてくれた。
「うち、今度入ってくる修羅の男の子夢を支えてあげたい。って思ってます。…先輩のこと、尊敬して、…多分、好きだったと思うけど…きっと先輩が言うならこれも恋じゃないんだと思います。だから…」
 少し、俯いて、そうして璃凛は顔を上げた。真っ直ぐに一平を見つめ返す。
「うちはうちなりに一生懸命頑張ります。だから、先輩も頑張って下さい! 応援しています!!」
 深くお辞儀をして後、踵を反して走り去って行った璃凛。
 それを見送った一平は、いつしか後ろにやって来ていて
「三年間お疲れ様だ。どうだい?」
 酒を差し出した劫光と無言で杯をうちあわせたのだった。

「ヨモギのお茶です。如何ですか?」
 お盆に乗せた茶器と餅の小皿。
 人ごみから抜け、ふうと息を吐き出していた保健委員長藤村左近は、そう言って差し出された優しい気持ちを
「ありがとう」
 笑って受け取った。
「先輩、本当にありがとうございました…って先月も言いましたよね」
 苦笑しながら皿を差し出した静音はふと、左近の手元を見る。
 一枚の紙がそこにあって、彼はそれを見ていたようなのだ。
「それは?」
「一年生がくれた僕達が入寮した時の試験問題。もうあれから三年が過ぎちゃったんだなあって…」
 昔を懐かしむ様に彼は目を閉じる。
 まだ十数年しか生きていない彼にとっても過ぎた三年は決して短い時ではなかったろう。
「もし良ければ…左近先輩の話をお聞かせ願えますか? 昔のお話、とか」
「つまらない、話だよ。でもそれで、いいんなら」
 彼はそう言ってぽつぽつと昔のこと、を語ってくれた。
 家族をアヤカシの襲撃によって失ったこと。偶然、その場に居合わせた開拓者に勧められて陰陽寮を目指したこと。血のにじむ思いでお金を貯め自力で入寮したこと。
 そこには同輩にも話したことのない事や、思いも込められていたことを静音は知る。
「…先輩」
「一時は五行の重臣になって、国を変えたいとか思ってた。でも戦場に行ったのはきっかけ。僕の適性はやっぱり人を救う方に向いてたんだよ。だから、もうこの道に迷いはない…」
 発した言葉は誰より自分に向けているのだと、静音には「解った」。だから
「先輩」
 静音は左近の手に自分の手を重ねた。微かな手の震えを包み込む様に。
「また…会えますよね?」
 一瞬の逡巡。死を覚悟した戦場に向かう少年は、しかし
「うん。必ず、戻ってくるから」
 年上の後輩にそう答えた。この二年で静音は知っている。彼は嘘をつかないし、守れない約束はしないと。
「ありがとうございます」
 そうして二人は互いにまた他愛無い話を楽しむ。時には仲間達の元に戻って。
 交わした小さな約束。
 けれど、それがこの少年の命をいつか救うことになると今は、まだ知る事は無いけれど。

 間もなく深夜を回ろうと言う頃、
「少しいいですか…」
 発せられた智美の声を聞いた会場は、さっきまでの喧騒がウソの如く、驚く程の静寂に静まり返った。
「謝恩会は日が変わっても、終わるまで続くのが常。ですから私達にとって最後のこの日、お世話になった皆さんに、最後のお礼の気持ちを伝えさせて下さい」
 智美がそう言うと、いつの間にか集まっていた三年生達は一人一人に小さな包みを渡していく。
 術を使わず、一人一人に手渡しで。
「今日、いない人にも渡してあげて下さい」
 全員にそれが行きわたり、袋を開けた彼らが見たものは小さな、手のひらに乗る様な折鶴であった。
 守護の術符で作られたそれからは微かだが、守りの力を感じる。
 かつて三年生が一年の進級試験で作った符は守護符であったという。
 それを染め直し、丁寧に折ったのだろう。
 赤、青、黄色、白、黒。
 小さな五色の折鶴達に込められた願いと祈り。
「皆さんの未来に、幸多からんことを。いつか高く飛び立っていけるように…」
「先輩」
 一歩前に進み出た青嵐がかけた声に三年生達は、ふと瞬きした。
 二年生は何度か見ているが、普段人形を介してしかしゃべらない青嵐がこうして彼らの前に自分自身として立つのは初めてかもしれない。
 彼ら、二年生にとっては一番付き合いの長い先輩達。彼らの前に二年生を代表するようにお辞儀をし白雪の前に立った。
(あるがままに、良き未来を祈りましょう)
「御武運を。貴女の行く先に良き風が吹きますように」
「先輩達。さっきの歌じゃないけど、ここが終わりじゃないからね」
 明るく笑った折々が、その横に進み出た。
「陰陽寮に入って、先輩やみんなと出会って、そして分かったのは、人は、陰陽師は、氏族の垣根なんて超えて仲良くできるっていうこと。
 五行はひとつになれるんだ、って思ったんだ。全ての陰陽師が手と手をとって歩いて行ける未来こそが、わたしの理想。
 だから先輩たちとはこれでお別れなんかじゃないよ。
 それぞれの進む先で、鍛えて、偉くなって、でもってわたしの理想に付き合ってもらわないと。
 朱雀寮の卒業生が五行を変える。ここが始まりなんだってね」
 片目を閉じた折々の言葉に一年生も、二年生達も頷き、拍手する。
「青嵐さん、折々さん…、皆さん…」
 満場の拍手を受けながら頭を下げた三年生達は、それからも寮生達の笑顔と思いに包まれて陰陽寮最後の日を過ごしたのだった。

 やがて日が変わり、一年生も、二年生も静かに会場を離れていく。
 
 そして…
「土井先輩。いいんですか? 喪越君が智美先輩を誘って行きましたけど…」
 宴の終わり、リュートを爪弾く図書委員長にアッピンは片付けをしながらからかう様に声をかけた。
「いいさ。彼はきっと僕らの同類だ。智美に変な手を出すわけじゃないのは解るからね」
 平然とした様子で彼は答える。
「でもリリスちゃんも言ってましたでしょう? 私達はどっちかというと先輩達を応援してるんですよ〜」
『何か出来るわけでは無いですが、ボクは、応援しますよ。それなりに安定していますし、先立ってしまう恐れは無いですよね』
「多分、まだそういうのじゃないんだよ」
 後輩の真っ直ぐな思いに彼は小さく肩を竦めて答えたものだ。
「僕達は智美が幸せに笑っていてくれれば、それでいい。その先にあるものがきっと恋になったり愛になったりするのかもしれないけど、今はただ、彼女が大事。それでいいんだ…」
「前途多難ですねえ…。何がって自分の御心が、ですよ」
「勿論、このままじゃいないけどね。いつか彼女に相応しい男、彼女をどんなものからも支え守れる男になる。その時は遠慮せず彼女の隣に立つさ」
 白雪智美を巡る、恋、と言うより不器用な愛の人間関係。
 立花体育委員長と自分の委員長。ついでに喪越。
 となれば応援する相手は決まっている。
「いいんちょ!」
「もう僕はいいんちょうじゃな…!」
 後ろからかけられた声に振り返った貴志はそれ以上の言葉を封じられた。
 唇に重ねられた柔らかいぬくもり。それはホンの一瞬のアッピンからのエールであった。
「寂しいですけど、こころからのありがとうで。応援してますから頑張って下さい!」
 顔を真っ赤にして俯く先輩をコロコロと明るい笑みでアッピンは見つめたのだった。

●飛び立つ朱雀達
 翌朝、寮生達が目覚めた時、既に三年生達の痕跡はもうどこにも残されていなかった。
 片付けられた部屋、運び出された荷物。
 飛ぶ鳥、後を濁さず、と言う言葉があるがその言葉通りに広がる朱雀寮と言う水面にはもう、寮生達の影はどこにも映っていない。
 残されているのは手の中に残された術符の折り鶴と夢のような時間の輝きのみ。
「…先輩」
 誰ともなく胸に手を当てて名前を呼んだ。
 返事は返らないけれど、水面に波が立つように胸の中に沢山の思い出たちが蘇って行く…。
 ゴーーン。
 滅多になることのない朱雀寮の鐘の音が響く。
「この鳴り方は…そうか!」
 滅多に音で時を告げない朱雀寮の鐘が響く時。それは…
 二年生達は駆け出していく。一年生達もその後を追いかけた。
 行先は朱雀門。そこに…寮生達が思ったように彼らは、いた。
 指揮を終えた三年生達。胸元には寮生達が贈ったコサージュが付けられている。
 寮長や教師に見送られ門を潜ろうとする先輩達に近付くことができず、寮生達は足を止めた。
 その時、彼らの後方で
 パーン! パンパン!!
 明るく、乾いた大きな音が鳴る。先に行く卒業生達も足を止めて振り返った。
 視線の先には大きく、全身で手を振る譲治の姿がある。その目元に小さく光るものは…涙であろうか。
「譲治くん…」
 彼は目元を手で軽く擦ると
「さてっ!」
 腰に手を当てた。かつてここで去り行く友を見送った。そして今、先輩達を送る。
 あの時と違うけれど、贈る気持ちは同じ。
 旅立つ人達に幸せがあらんことを…。
「しんめりは嫌いなりよっ! 壮大に門出を祝おうっ! なのだっ! さて…行くなりよっ!」
 譲治が頑張って調達した昼の花火に、後輩達を見つけたのだろう。卒業生たちは顔を見合わせると、こちらを向きそれぞれが口元に手を当てて
「「「「「ーーーーー!!」」」」」
 何かを叫んでいた。
 距離があるし、音もある。
 言葉そのものをはっきりと拾う事は流石の寮生達にも難しかった。
 しかし、彼らの心と共に、その思いははっきりと捕まえられる。
「ご、ごめんなさい。 朔さん。ちょっとだけ、背中をお借りしても良いですか?」
 紫乃はそう言うと黙って背を向けた朔の背にしがみ付き涙した。
「先輩! ありがと〜」
「どうか! お元気で!!」
 泣かないと決めていた一年生、二年生達の間にも涙ぐむ者は多く、歩き出す卒業生に精一杯の思いで手を振る

『ありがとう。みんな、大好き!』

 最後に残された言葉を心に噛みしめながら…卒業生達を見つめている。
 彼らの姿が朱雀門の外に消えても長く、いつまでも彼らは手を振り続けてていた。

「ふぃ〜。別れにも独りにも慣れたつもりだったが、緊張するもんだな」
 喪越は譲治とはまた違う少し離れた所から卒業生達を見送った彼は大きく伸びをした。
 そして無意識に右手を見る。
 思い出すのは昨夜の夢にも似た一時。
 深夜の陰陽寮で月明かりだけが見ていたあの『告白』
「全てに恵まれていながら、世界に背を向けて逃げ出したあの日。死ぬ事も出来ずに、悪夢はずっと続いている。
 このまま年老いて野たれ死ぬだけかと思っていたんだけどな。……感謝を。あんたのお陰で俺は救われた」
 月下に真っ直ぐに立って彼女は何も言わずに喪越を見つめっている。
「何度だってやり直せる――そんな当たり前の事を当たり前に、真っ直ぐな心で俺に言ってくれた時は驚いたもんだ。笑い飛ばすのも忘れるくらいにな」
 彼女があの言葉に込めた思いを、喪越は『知らなかったけれど知っている』
 だからこそ、彼女を尊敬し、敬愛した。純白の姫。
「用具委員長、いや白雪先輩」
 もう先輩ではなくなる白雪智美に彼は最上級の礼で頭を下げた。
「だから今は、さよならを。あんたに相応しい男になったら、もう一度こうして、今日言えなかった言葉を言うよ」
 それだけ言って去ろうとした彼はふと、動きを止める。
 自分の手を取る細く、白い指。
 そして彼女は喪越の手にそっと頬を寄せ口づけた。
「白雪…!」
「感謝を。貴方が私をキレイなものと見てくれるから、私はそうあることができたのかもしれません。人は一人では望む自分にはなれない。いつか…またお会いしましょう」
 月下の約束は彼女の歌声と共に喪越の中にそっとしまわれた。
「さ〜て、約束だ。早くいっぱしの男にならねえと!」
 彼は気合を入れて寮へと力を込めて歩き出していく。その後ろ姿はいつも通り。

 そんな様子を影からそっと見つめ
「う〜ん、土井先輩も大変ですねえ〜。ライバルがまた増えて…」
「そうですね。でも、まあ先輩なら何とかしてくれるんじゃないですか?」
 笑いあう声もまたいつも通り。


 かくして朱雀寮の一年がまた終わった。
 そして新しい一年が、今日、この時から始まろうとしている。
 三年生達が卒業していったこの瞬間から、一年生は二年生に、二年生は三年生になったのだから…。