【風】思いの行く先
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/06/23 01:35



■オープニング本文

「本当に、あの子には困ったものですわ」
 そう言うと老婦人は貴賓室で出されたお茶のカップをそっと口に運んだ。
 この婦人はジェレゾの中流貴族。バートリ家の女主人である。
 後継者がなく家名断絶の危機が続いていたが、近年紆余曲折の末、孫を迎え入れた。
 ほっと一安心、の筈であるがどうやらかなり機嫌が悪いようだ。
 ここに案内する過程で何度も従者を怒鳴りつけたり、ややヒステリックに係員を呼びつけたりする姿が見られた。
 新米では話にならないとベテランの係員がやってきて、使用人達を遠ざけて今、やっと一息ついたところである。
「しかし、バートリ家のユリアス卿と言えば民の間では名領主ともはや評判が高いようですよ」
 係員が機嫌をとるように宥めた。
 後継者となった青年貴族、ユリアス・ソリューフ・バートリはユーリと呼ばれた元吟遊詩人であったという。
 美しい外見に若い新領主を、ほぼほったらかしとされていた街の者達は大喜びで迎えた。
 平民であった為民の生活への関心が高く、僅かの間に領地の街は近年ない程に整備され、住みよくなり、人も多く集まっていると言う。
「下々の覚えがめでたくでも、何の意味もありませんことよ」
 機嫌は一向に直らない。
 いや、逆に悪化の一途を辿っているようだ。
「むしろ、そちらの方が始末が悪いですわ。民を甘やかせてちやほやされていい気になっているのでしょう。私の言う事も聞かず勝手ばかり。先だっては皇帝陛下に直接お目にかかる機会があったというのに具合が悪いと、ご挨拶さえろくにしなかったと言うのです。本当にあの子には困ったもの。せっかくの機会であったのに…何を考えているのか」
「それで、ご用件は?」
 いつまでも愚痴を聞いていてはきりがない。
 帳簿を開き、話題を切り替えた係員に、婦人もまたカップを置いて顔を上げる。
「開拓者にユリアスの身辺調査をして欲しいのです」
「は?」
 言っている意味が解らず目を瞬かせる係員に、もう一度婦人は言う。
「孫であり、現領主ユリアス・ソリューフ・バートリの身辺調査をせよと言っています」
「ユリアス卿は身内であり、お孫さんでしょう? 何故、身辺調査の必要が? しかも何故開拓者ギルドに依頼を出さねばならないのですか? 部下の方などもおいでになると聞いていますが?」
 事によっては依頼を受けられない、と言外に言う係員にわざとらしく大きくため息をついて婦人は言う。
「解りませんの? 先ほども申しましたでしょう? 身内であるからこそ、勝手な真似や不祥事の影を放っておくことはできないのです」
「勝手な真似、はともかく不祥事、ですか?」
 係員はさらに意味が解らなくなる。
 確かにユーリには実は先に南部辺境で発生した皇帝暗殺未遂に疑惑があると報告されていた。
 しかし、その件は依頼主の意向でまだ表ざたにはなっていない筈なのだ。
「ユリアスは現在、ジェレゾの館に殆どより付かず、領地の館で寝泊まりしています。
 それはまあ良いのですが、領地の仕事をしていると見せかけてあちらこちらで歩いているようなのです。時折吟遊詩人として街に歩き、他所の貴族家の悪事を歌ったり、自分の領地を賛美して歌ったりしていると言う噂さえもあります。貴族に悪事を為して領地を追われた者を領地に招き入れているとも。それが事実であるなら許されることではありません」
 ジルベリアにおいて、貴族を敵に回した一般人は確かに暮らしにくくなる。例え理由があろうとも、罪を着せられて処分されることも少なくない。
 それを救っているとしたら平民にとっては恩人であるが、貴族社会にとっては裏切り者とみなされるだろう。
「それに他にも何か、隠し事がある様子。平民や、旅芸人などと何か企んでいるのかもしれません。ですからユリアスの身辺調査を行い、企みを暴き出して欲しいのです。私の手の者を使えば身内の事。しかも使用人達を手なずけているようなのでユリアスに気付かれかねません」
 だから開拓者に頼むのだと言った。
 あまり趣味の良い話とは言えないが、特に断ることができる程の理由もない。
 依頼受理の手続きをする中、老婦人は静かに続けた。
「今、バートリ家の当主である我が夫は病の床に伏しています。そう遠くないうちにあの子が正式に爵位を継承することになるかもしれません。ですが、あの子の役割はバートリの家を守り家名を繁栄させる事のみ。それ以外の事はあの子には必要ないのです。早々に自分の立場とやるべきことを理解させる必要があります。頼みましたわよ」
 典型的な貴族の婦人。貴族であること以外を持たない女性はそう言って去って行った。

 それから、少し後。
 こんな手紙が開拓者の元に届いた。
『お願いします。奥方様ではなく、ユーリ様のお力になって頂けませんか?』
 名前のない手紙はギルドのポストに投げ入れられていた。

 風が生まれつつある。
 いずれジルベリアを大きく動かすかもしれない風。
 その風を留めるか、助けるか。
 風の行方は開拓者の手の中に…。


■参加者一覧
真亡・雫(ia0432
16歳・男・志
フェルル=グライフ(ia4572
19歳・女・騎
アイリス・M・エゴロフ(ib0247
20歳・女・吟
ニクス・ソル(ib0444
21歳・男・騎
クルーヴ・オークウッド(ib0860
15歳・男・騎


■リプレイ本文

●祈る思い
 ジルベリアを流れる風は涼やかで気持ち良い初夏の匂いを漂わせている。
 しかし、開拓者の足取りは決して軽いものではない。
「ユリアスさん…いえ、ユーリさんが…」
 キュッと唇を噛みしめたフェルル=グライフ(ia4572)を
『主…』
 側に控えるからくりウールヴは気遣う様に見つめる。その視線に気づいたのだろう。
「大丈夫です。心配をかけてごめんなさいね。ウルくん」
 そっと小さな頭に手を置くとフェルルはそっと微笑んだ。
「フェルルさん。いろいろおありのようですが、もし、お願いできるならご存知の事を教えて頂くことはできないでしょうか? 特に今回の蝶対象であるユーリさんという方について…」
 真剣で真っ直ぐな目でクルーヴ・オークウッド(ib0860)がフェルルを見た。
「うん、僕もできれば教えて貰いたいですね。ジルベリアの事変には関われていないことが多かったから…」
 荷物入れから顔を覗かせる人妖刻無の頭を撫でながら真亡・雫(ia0432)も問いかけた。
 事情が分からなければ的確な調査はできない。
 しかし…フェルルは一瞬、逡巡する様な仕草を見せると後ろを歩く二人を見た。
 イリス(ib0247)とニクス(ib0444)。
 事情を知る二人は顔を見合わせると黙って頷いた。
 話していい、と言う事なのだろう。
「解りました。ただ、私の主観と言うかも入っています。あくまで参考として下さい」
 そう言い置いて
「ユーリさん。今は貴族のユリアス卿と名乗っている方と私達が最初に出会ったのはジェレゾでのことでした。大事な形見の短剣を奪われたという青年を心配するある一家からの依頼で…」
 街道への道すがら彼女の知るユーリの話を仲間達に語ったのであった。
「なるほど…そんなことが…」
 噛みしめるように言うクルーヴに頷きながらフェルルは少し、遠くを見るように視線を彷徨わせた。
「ユーリさんは心優しい方。でも強い信念も持っている。互いの思い、信念、心…あの時はそれ故にすれ違ってしまった…」
 イリスとニクスも俯いている。
「でも」
 フェルルは視線を前に戻した。
「できるなら会って話をしたいのです。
 何より、真意を知りたい。やましい事はないのか。明確な志はそこにあるのか…」
「私も、心配なのです」
 イリスも顔を上げる。
「ユーリさんを思い出すと、ついあの方を連想してなりません…あのコンラート様を…」
 かつて人々の為を思い、武装蜂起した青年。その純粋な思いをアヤカシに利用されて、彼はその身を滅ぼしてしまった。
「ユーリさんの味方をしたいとそう思うけれど…彼の道がどこへ向かうのか…。コンラート様と同じ道だけは歩んで欲しくないのですが」
 祈りにも似たフェルルの言葉に、イリスの思いにニクスは考え込む様に軽く腕を組んだ。
「…気持ちは、解る。だが、一応今回の依頼主はバートリ夫人だ。そちらは尊重しなければならないだろう」
「…はい」
「でも、兄さんもどちらの味方かと問われればユーリさんの味方でしょう?」
「無論」
 即答に近い答えにくすりと雫は肩を竦めるように笑った。
「なるほど。でしたらやはり、一度ちゃんと話をする必要があると思いますね。悪事を為すというのなら止め、そうでないのなら…力になれるかもしれませんから」
 ええ、頷いて仕事の分担や作戦などを決めながらフェルルは仲間と共に視線の先に見えてきた、ユーリの街。
 バートリ家の領有する街へと足を踏み入れたのだった。

●敵と味方
「依頼を受けて頂けるなら、私は別に文句はありませんのよ」
 ニッコリと笑って女性はそう言った。
 言葉だけ聞いていれば穏やかに聞こえるが、口調と表情を組み合わせるとそれは棘のあるものに変わる。
「開拓者の皆さんがどちらかと言えばユーリ寄りであったことは存じておりますわ。でも、たった一人の思いと永く受け継がれてきた貴族家の栄光。そして皇帝陛下の御命。どちらが真に優先して守るべきものか解って頂けると言うのであれば、私はそれ以上何も申し上げることはありません」
 足の横で隠した握り拳をクルーヴはギュッと握り締めている。
 その様子を軽く横で見て
「そうだな」
 ニクスは小さく頷いた。
 あえて敬語は使わずにワザとらしく肩を竦めて見せる。
「こちらとしても仕事を貰えるなら、とやかく言う事は無い。ただ成果の為には依頼人には必要な情報と十分な報酬。その両方は出して貰わないと」
「あら、必要経費に出し惜しみは致しませんことよ」
 互いの出方を窺うようなやり取りを終え、部屋を出たニクスはクルーヴの前でふうと大きなため息をついて見せた。
「ご苦労様です」
「…本意ではないけどな」
 会話はそれだけ。でもまだ相手の警戒区域内だ。微かに目を見合わせて歩きはじめた。
 暫く歩き、庭に出る。その隅にはニクスの霊騎アンネローゼとクルーヴのアーマーヴァンブレイスが並んで待っていた。
 周囲に人の気配がないのを確かめて、やれやれともう一度クルーヴは大きく息を吐き出す。
 あまり仲良くなりたくない種類の人間だと思ったのだ。
「あのご夫人は典型的な貴族の方ですね。自分の価値観でしか物事を計れない…」
 最初はクルーヴの事を侮っていたが、アーマーを出して見せると少し話を聞く気を見せた。
「何でも自分の思い通りになると、できると思って来たのだろうな。貴族というものはそういうものだ」
 勿論全てでは無いが、と続けてニクスは寂しげに笑った。
『ジルベリアにおいて、人も物も全て皇帝陛下のもの。でも、本来自分の人生は、自分と自分を取り巻く人々のものである筈です。私は、それを皆に思い出して欲しいのです』
 彼の脳裏にユーリと『別れた』時の言葉が蘇る。
「俺は…ユーリの味方でありたいと思うのだがな…」
 囁くような言葉はクルーヴ以外に向けたつもりはなかった。だが
 かさっ。小さく揺れた草の音に二人は咄嗟に振り返る。
「誰だ!」
 そこにいたのは…一人の少女であった。
「…君は、どこかで…」
 おぼろげな記憶に足を取られたニクスはそれ故に駆け出した少女を追い損ねる。
 代わりに駆けだしたクルーヴがその少女の腕を取ると
「も、申し訳ありません!」
 怯えた顔で必死に頭を下げる。その声にニクスはあること思い出した。
「君は、もしかして火事の時の…」
「火事?」
 首を捻るクルーヴにニクスは簡単に説明する。
 ある貴族館で火災が発生したことがあり、開拓者が助けたのだがその時、火事の責任を取れと責められていた娘である、と。
「どうして…ここに?」
「…ですか?」
「えっ?」
「貴方達はユーリ様の敵ですか?」
「わっ!!」
 強く手を払われてクルーヴが一歩下がるとその隙に少女は逃げ出した。
「待って!」
 追いかけたが相手の方がこの館に土地勘がある。草陰に紛れられて見失ってしまった。
「ニクスさん…。今の彼女は、ユーリ様の敵に…と」
「ああ、どうやらこの館にはユーリの敵と味方がいるようだな」
 二人はそれだけ言うと黙って顔を見合わせたのだった。

 その街は賑やかな街だった。
 税が安いし領主は話が解ると、周辺から人も集まって来ていて初夏の日差しと相まって熱気で暑ささえ感じる程に。
「刻無、大丈夫?」
『大丈夫。マスターこそ気を付けて』
「ありがとう」
 変装用なのでコートは脱げない。
 滲む汗を手で拭きながら、雫はある酒場へと足を踏み入れた。
 ユーリという吟遊詩人はここの店長と懇意らしいと聞きこんだからだ。
「おや?」
 店に入った雫は小さく声を上げた。
 中には若い吟遊詩人が一人、お客達のリクエストに応えて歌を歌っている。
 そして酒場の中央から少し離れた所で、フェルルがその吟遊詩人をじっと見つめているのだ。
 別行動ではあったが調査対象が同じであるなら、こうして出くわしてもおかしくは無い。
 声をかけるのを控えて雫は、さらに少し離れた場所に陣取った。
 吟遊詩人の歌声を聴きつつ、彼を見つめるフェルルを見つめた。
「ユーリ。次の曲を頼むよ!」
「はい。何がいいですか?」
 どうやらあの青年がユーリと呼ばれる吟遊詩人のようだが、フェルルは彼と目を合わせようとしないし表情を変える様子も見せない。
 そして…
「?」
 歌の途中で立ち上がるとフェルルは従者であるカラクリを伴って酒場の主人の元に行き、何事か話し、店から出て行ってしまったのだ。
「フェルルさん?」
『どうするの? マスター?』
 迷ったのは一瞬。
「人魂であの青年をつけて。できるだけ話も聞いて…できればどこの誰かを確かめて欲しい」
 できる? と目で問う主に頷くより早く荷物の中で鼠に変化した刻無は走り出し、酒場の影に消えた。
「気を付けて」
 それを確かめて後、雫は急いで外に出たのだった。
「フェルルさん!」
「! 雫さん。いらしていたのですか?」
「うん。でも…いいの?」
 店を振り返る雫にはい。とフェルルは頷いた。
「あの方は『ユーリ』さんではないですから」
「えっ? 本当?」
 驚く雫にええ、と頷いてフェルルは路地裏に入った。
「ちょっと見は似ていますが、別人です。ただ…服装や竪琴などが同じであるので完全に無関係とは思えませんが…」
「それで、酒場のマスターに何か話しかけて…?」
「はい。手紙と…あとちょっとしたものを渡しました。返事が来るかどうかは解りませんが…」
 ちょっとしたもの、と呼ぶには『重い』ものであるのだが、とりあえず今は秘す。
「後、もう少し聞き込みを致しましょう。私は、裏町の方を調べてみます。ユーリさんはジェレゾでゴロツキと関係を持ったことがありますから。それにニーチェ…」
「解った。こっちは吟遊詩人の事をもう少し調べてみるよ。別人だけど似ていると言うのなら何か関係もあるかもしれないし」
 はいと頷いてフェルルと雫は後での合流を約束して別れた。
 …その後、かなり夜が更けてから戻ってきた刻無は
「ご苦労様」
 労う雫の腕の中で、こう言ったのだった。
『あの人は、この町の領主の館に入って行ったよ』
 と。

●言葉に出せない思い
 街の領主館を訪れたイリスとニクスは
「お久しぶりですね。ユーリさん」
「はい。皆さんもお元気そうで何よりです」
 執務室に現れたユーリ、いや領主のユリウス卿に向けて柔らかい笑みを浮かべた。
 以前と何も変わらない優しい笑みにどことなくホッとしたのだった。
「確かにお綺麗な方ですね。女性と言っても通じそうです」
 クルーヴも感心したように頷く。
 長身に映える銀の髪も、一度切ったと聞いていたがかなり伸びてきているようだった。
「開拓者の皆様、奥様からのご紹介とは言え、ユーリ様は午後もスケジュールが詰まっておりますのでどうか手短にお願い致します」
 側に控える秘書らしき男性が厳しい目で言うが
「シュミット。少し外してもらえませんが」
 ユーリの言葉に対して素直にお辞儀をして下がるあたりは忠実なのかもしれない。
 そんなことを考えていた二人に
「それでご用は何でしょうか? お祖母様からのご紹介と伺いましたが」
 先に切り出したのはユーリであった。
 その言葉にクルーヴがまず深くお辞儀をするとこう答える。
「確かにバートリ夫人からのご依頼で参りました。でも、ここに来る前に僕達はフェルルさんのお話を伺っています。僕達はユーリさんの力になれると思います」
「あの時の想いに変わりはないか? 今はなにをしている?」
「私達はユーリさんのお味方のつもりです…。今、目的の為にユーリさんがどう動こうとしているのかを知りたいのです。話して頂けませんか?」
 ニクス、イリスと繋いだ言葉と思いのリレー。
 しかし、ユーリは小さく微笑すると首を横に振って答えたのだった。
「私の目的は、以前と何も変わりません。その為に命を捧げようと言う思いも何一つ。でも、それを私が口に出すことはできないのです」
「僕達を信用しては頂けないのですか?」
 クルーヴが微かに声を荒げた。しかし、ユーリは再び首を横に振る。
「そうではなく、私にも責任があると言う事です。うかつな行動は私を信じてくれる沢山の人を裏切ることになってしまいますから…」
「俺達を信じると言う事はうかつな行動なのか?」
「いえ。でも今ここで全てを明かすことはできないのです。皆様はお祖母様のご依頼で来たわけですし」
「それは、ご夫人に知られては困ることがあるととっても構わないのですね?」
 彼らの会話を聞いている者がいるとすれば、段々に開拓者の声が荒げられていくと感じただろう。
「…解りました。帰りましょう。義兄様。クルーヴ様」
 椅子が動く音が大きくして、やがて三人は執務室から去って行ってしまった。
「宜しいのですか?」
 外で控えていたのだろう。秘書の問いにいいのです。とユーリは頷いて見せる。
「あの方と、私は立場が違い過ぎます。袂を分かった方がきっとご迷惑をかけずにすみます」
 そう言って手の中に小さな紙を握り見送る寂しげな視線を、秘書は表情の無い顔で見つめていた。

 そして…

●ホントウの言葉
 ジルベリアの街並みを初夏の風が吹き抜けて行く。
『主』
 横を歩いていたウールヴがふと足を止めた。
「何ですか?」
 心配そうに問うフェルルにウールヴは周りを少し見て答える。
『この街は…前向きな街ですね』
「…そうですね。たくさんの笑顔があって思いがある。これを損なう事なく自由で幸せな未来に繋げていきたいものです」
 昨夜の会談を思い出す。
『私の敵は皇帝陛下と貴族社会全てです』
 ユーリの真意は解った。
 でもまだ何も終わったわけでも変わったわけでも無い。
 これからが始まりなのだ。


「そう言うわけで、ユーリ本人からは話を聞くことができなかった。だがその後の仲間達の調査で色々わかったことがあったので報告させてもらう」
 バートリ家の応接間でそう言うとニクスはいく枚かの書類を差し出しながら言った。
「ユリアスは街の活性化に力を入れようとしている。ただ、力を入れすぎるあまりに色々とギリギリな手段を使っているようだな」
「他所の方の領地で悪い評判の歌を歌ったり、ゴロツキどもが裏町を作ったりするのを黙認したりですか…。困ったものですね。厳しく叱っておかないと…」
「しかし、結果から見れば領民は増えているし、ゴロツキ達が裏を纏めているので無秩序な混乱は発生しないですんでいる。歓楽街からの税も発生しているから不利益ばかりではないな
…それから…」
 二人の話の補足を手伝いながら聞いていたクルーヴに
「失礼します。どうぞ」
 入ってきた少女が茶を差し出した。
「ありがとう。この間は怖がらせてしまって。許して欲しい」
 先日、館の裏庭で出会い、手を掴んでしまった少女だ。
「いえ。あの時は失礼を…。私も勘違いをして…こちらこそ許して頂けますか?」
 勿論、頷いたクルーヴに少女は花のような笑顔を咲かせたのだった。

 あの日、喧嘩別れのように領主館を出てきた開拓者は深夜、フェルル達と合流するとユーリから差し向けられた使者の後についてある場所にやってきていた。
 営業を終えた酒場の一室で待っていたのは、それは美しい銀髪の女性が一人。
 見覚えのある顔。イリスは思わず知っている名を呼んだ。
「リリー…さん。何故ここに?」
「いいえ、ユーリさん、なのですね?」
 フェルルは手の中に握った希望の花飾りの感触を確かめながら言う。
 花飾りと一緒に吟遊詩人『ユーリ』に託した手紙にフェルルはこう書いていた。
『あなたの気持ちを聞かせて下さい。
 互いの信念を交え、そこにやましい事が残らなければ、私はあなたの力になりたい』
 やがて酒場の店主がよこした手紙の返事は、ユリウスの領主家を訪れた時、開拓者が筆談で指示された場所に一緒に来て欲しい、と記されていた。
 添えられた一言と花飾り。
『私も…希望の花を持っています』
 雫の人妖が教えてくれた情報とこの言葉にフェルルは目の前の光景を確信していた。
「私の本当の名はユリアナと言います。これはオリガ達も知らない事。知っていたのはメイアだけです」
「どうして男装なんか…?」
 ユーリを知らないが故に驚きも少ない雫に理由はいろいろありますが、と前置いて彼女は答えた。
「女所帯が物騒であったこと、女の子供が独り歩きするのが危険であったことがあります。でも、一番の理由は…兄です」
「亡くなったユリアス、か…」
「母にとってユリアスは心から愛した人のただ一人の子でした。それを目の前で失うことになって心を病んでしまったのです。母を慰める為に、私は兄の名を借りたのです」
「でも…それは…」
 どこか泣き出しそうなイリスの言葉には答えずユリアナ、いやユーリは開拓者達を見た。
「私は志体を持たない者であるので、情報や人脈が命を握るカギになります。今は、何人かに正体と想いを明かして協力して貰っています」
 側に控える少女と偽ユーリ。何人か、と言ったのできっと他にもいるのだろう。
「でもまだ敵の方が多い。…もし皆さんが彼ら伝えて下さったように私の味方、と思って下さるのなら…どうか力を貸して頂けませんか?」
「ユーリさん。貴方は『敵』と言う。何と戦おうというのですか?」
 クルーヴの真っ直ぐな問いに彼女は、揺るぎ無い目と心で答えた。
「この国の体制と。私の敵はジルベリアの皇帝陛下と貴族社会全てなのです」

 その密談を目の前の女性は知る由もない。
 ただ本人も言った通り、多くの人が関わること。
 だから夫人に、ユーリの敵に伝えることは避けようと皆で決めた。
 今ニクスが話しているのは、真実を交えた当たり障りのないユーリの弱点だ。
「では失礼します。これからイリス様のアーマー、アマリリスを拝見させて頂く約束なのです。雫様の刻無さんも…。私、朋友というものを間近で見るのが初めてで。あの時も興味があって必要以上に近付いてしまったんです。失礼しました」
「今度時間があれば僕のアーマーもゆっくり見せてあげますよ」
「楽しみしています」
 少女はそう言って下がって行った。
 彼女はユーリの味方。でも、夫人の手の者も少なくはないという。これから時間をかけて調べ、注意していかないといけないだろう。
 誰が敵か、味方か。
 ユーリの味方をするのであればなおさらに…。

 昨夜ユーリは言った。
『この国において、人も物も全て皇帝陛下のもの。でも、私はそれは間違っていると思います。本来自分の人生は、自分と自分を取り巻く人々のものである筈。私は、それを皆に思い出して欲しいのです』
 それはかつてコンラートが掲げた打倒皇帝の宣言とほぼ同じ。
 本気で為そうとするのなら流血や争いは避けられないだろう。
 ユーリは筆談した時に、ニクスが残した言葉が書かれた紙をまるでお守りのように握りしめている。
『ユーリ、俺は君の友として動く。できれば流血の無い未来を』
 それにはそう書かれていた。
「いつか、戦いは覚悟しています。でも、ニクスさんもおっしゃる通り、流す血は少なければ少ないほど意味がある。だから、できる限りの手は打つつもりです。人を集め、人脈を作り、情報を集め…叶うなら帝国を内部から切り崩したいと…思っています」
 ユーリの決意を止めるか、助けるか。
 それは今後のジルベリアの命運さえも大きく動かすモノであるので、今、簡単に結論は出せない。
 だが…。
「皆さんには今後もユーリの手綱を握って貰わねばなりませんね」
 と調査にとりあえず満足したのだろう。夫人は言う。ニクスは彼女の信用を得る為に頷くが
「まあ出すモノを出して貰えれば問題は無い。できる限りの事はしよう」
 気持ちはユーリの方にある。そしてそれは…クルーヴも同じ。
「僕も力になると…約束しましたからね」
 クルーヴは噛みしめるようにそう言って窓の外、初夏の青空を見上げる。

 風が緩やかに楽しげな笑みや歌声を運び流れて行く。
 いつか来る嵐を予感させながら。