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■オープニング本文 「見せるのは一度だけ。皆、見逃さない様に…」 五月、一年生の合同授業の日。 集められた彼らの前で持ってきた箱を開いて筆をとると、朱雀寮寮長 各務 紫郎は前置きなくそれを始めた。 朱塗りの箱の中に入っていたのは白い紙と筆…そして宝珠。 訳もわからぬまま食い入るように見つめる一年生達の前で まず手に取った純白の符に朱の筆でさらりと鳥を描く。 美しい尾羽を持った朱雀。雛鳥、そして四隅の紫陽花の花。 下書きも何もなしに描いた見事な絵に見惚れる間もないまま彼は次に筆を持ちかえ紙の中央に黒の文字を書く。 寮生達には意味程度にしか解らない難しい文字。だが、今まで見てきた符や学んできた勉強でそれが意味を持つ呪であると彼らは知っていた。 そして最後に箱から取り出したのは不思議な色合いの宝珠であった。。 寮生達がいつも見ているそれとは違う色合いを放つ宝珠を寮長は、今、描き上げたばかりの符にそっと触れさせる。 「えっ?」 目を閉じた寮長の指が、宝珠に触れ、微かに動いたと思った瞬間、宝珠から何かが流れ出てくる。 「何これ?」 「まさか…瘴気?」 黒とも紫とも言えない流れが符を覆い、そして次の瞬間、 シュン! 「えっ?」 微かな音を立てて符に瘴気が吸い込まれていった。 今までただの紙の束、であった符が、力を帯び術符となって行く瞬間を目撃した寮生達は言葉もなく、その様子を見つめていた。 完成させた符を紫郎が手に取り、軽い呪文を唱えると符から不思議な七色の羽根が舞い飛んで見えたような気がした。 「七色の…羽根。あ、これが、私達の…?」 一年生達の驚きにあえて答えず、寮長は一年生達を見た。 「これが符の作成と、いうものです。 それぞれ専門家には自分なりのやり方がありますが、朱雀ではこのようなやり方で符を作ります。 とはいえ、本当に0から全て作るのにはもっと難しい手順があるのです。イメージする符に合う瘴気を集めるところから、符に瘴気を安定させる為の呪文の構成などは一年生には難しいし、教えていませんので、ある程度はこちらで整えました。 ただ、皆さんが考えた要望には合わせたつもりです。守護符「翼宿」。いかがですか?」 絆を示す紫陽花の花、雛鳥を守る朱雀。 紆余曲折があって決まった符が今、ここに一つの形となったのだ。 感無量、というのは大げさであるがやはり胸にこみ上げてくるものは、ある。 「一度、符の作成を始めたら作業を止めることは許されません。途中で投げ出してしまえば符の作成が失敗するばかりか、宝珠に封じられた瘴気が逃げてしまう可能性が高いからです」 目の前で見せて貰った流れは、ある程度思い出すことが出来る。 しかし、宝珠を動かす呪文、力のバランスなどを寮長はどうやっていたのか。 完全に再現しろと言われても無理のような気がする…。 そんな不安を一年生達が抱き始めたのをまさに見計らうようにして、寮長は彼らに宣告した。 「さて、これからが進級試験です。 第二義 皆に、符作成の為の瘴封宝珠を与えます。白紙の符の束と、道具も全て揃っています。 これらを使い朱雀寮で、自分達の符を完成させない」 試験開始は三日後。場所は講堂。 それまでに字と絵の練習をすることと寮長は言った。 「当日は試験開始後、符が完成するまで会場を離れることは減点対象となります。 私は慣れていますからある程度早くできましたが、皆さんはおそらく数時間はかかるでしょう。その為の準備なども整えておくように」 「準備ですか…?」 寮生の呟きにも似た声に寮長は首を縦に振った。 「そうです。練習、準備と言い換えてもいいかもしれません。 試験ですので、基本、質問は受け付けませんがいくつかの注意点は与えましょう。 符の作成に重要なのは、呪文の書き込みと、瘴気の注入です。 字の上手下手はともかく、文字を間違えたらその効果が発揮されないので、気を付けて。 絵も同様。上手下手が出来栄えに影響はあまりしませんが、気持ちを込めて丁寧に描くことは大事です。 また、瘴封宝珠には符作成の為の瘴気が込められています。術を使うのと同様に呪文を唱えると瘴気が解放されます。通常であるなら解放された瘴気は散ってしまいますが、呪文を書いた符の上に置く限り瘴気を符に定着させることができるのです。一度宝珠から瘴気を解放させた後、場を離れたり瘴気を途中で止めることはできなくはありませんが、その場合、符の作成は失敗しますので、途切れない集中力が必要です。 練習をすることは自由ですが、与える宝珠は本番用ですので、無くす、壊す、失敗して瘴気を失ってしまったら符は作成できなくなりますからよく注意して下さい。 では、最後に宝珠から瘴気を開放する呪文と、瘴気を止める呪文を教えます。 自分の意志と、姿勢、そして思いをしっかりともって臨んで下さい。 以上」 多分、質問に答えてくれると言われても何をどう質問していいか解らなかっただろう。 それほど符の作成というのは一年生達にとって未知の領域であった。 しかし、これは進級試験。 三年生は勿論の事、今の二年生もこの試験を通り抜けていった筈だ。 一人一人に与えられた箱の中に入っていたのは紙の束と筆、墨と絵の具と宝珠。 そして符の見本となる文字と絵が描かれた紙。 同じ条件下で、それぞれの心と力が進級試験という形で今、試されようとしていた。 それは、言ってみれば毎年恒例、朱雀寮三年生の最後の仕事であった。 「ま、二年生はあと一年、こいつらと付き合っていかなきゃいけないわけだしな」 「一年の時、やられた時は恨んだもんだけど、やる方になってみると、こっちの方がいろんな意味で痛いもんだね」 「一番に確かめておかなければいけないこと。これを確かめておかないとっていうのは、十分に解っているつもりだけど…ね」 「最後のお勤めと思ってやるとしますか。智美、準備は…」 「ええ、いつでも行けます。私達は一年生を信じて、自分の仕事をするまでです。では、始めましょう」 そう顔を見合わせると一度だけ微笑みあい、そしてそれぞれの持ち場へと向かっていった。 そして、試験の最中。 朱雀寮を悲鳴が切り裂いた。 「キャアアア!!」 「ア・アヤカシだ!!!」 「アヤカシが寮内で暴れているぞ!!!」 |
■参加者一覧
芦屋 璃凛(ia0303)
19歳・女・陰
蒼詠(ia0827)
16歳・男・陰
サラターシャ(ib0373)
24歳・女・陰
クラリッサ・ヴェルト(ib7001)
13歳・女・陰
カミール リリス(ib7039)
17歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ●進級試験を前に 朱雀寮の入口に朋友待機場所がある。 多くは開拓者でもある寮生達が授業中龍などを置いておく場所である。 そこで 「ごめんね。もう少し我慢していてね」 相棒、駿龍ナハトリートに世話をクラリッサ・ヴェルト(ib7001)は優しく声をかけた。 カミール リリス(ib7039)の炎龍ラヒバもどこか退屈そうに見えるが 「明日で終わるから…」 呟いてクラリッサは手を握り締めた。 進級試験はいよいよ明日に迫っている。 彼女の思いが伝わったのだろうか。龍達は顔を上げ見つめる。励ます様に。 「ん、がんばるから」 クラリッサは頷いて走り出して行く。それをナハトリートだけではなく他の龍達も静かに見送ったのだった。 さて、試験前の一年生用図書室は騒がしい、とまではいかないが勉強に励む寮生達で賑わっていた。 「リリス! 符の呪文がまとめられた本ってなかったっけ?」 「ああ、これですね。はいどうぞ」 「ありがとう…。もう! 時間が全然足りないよ!」 「そうですね。やればやるほど不安になる感じです」 真剣にページを繰り、符の観察や呪文の模写をしている芦屋 璃凛(ia0303)の傍では 同じように本を横にした蒼詠(ia0827)がため息とともに頷いている。 二人は連日図書館に入り浸っての勉強に余念がない。いや、正確には二人、ではない。図書室の扉が開いてクラリッサが入ってきた。 「ただいま!」 リリスは作業の手を止めて顔を上げ答える。 「おかえりなさい」 こんな会話が出てくるくらいには彼らは図書室に居ついているのだ。 「あ、符の文字調べているの? だったら、この本も見て。今まで作られた符の解説も載ってる」 「ありがとう。助かる!」 クラリッサは本を璃凜に差し出した。 「じゃあ、今見てた本今度は僕に貸して下さい」 「僕ら、だ。次はこっちに回せよ」 奥から彼方と清心の声がする。 「解った」 「難しい物ですね…。意味を理解していても発動できなくては意味が無いのですからね」 互いに助け合い、教え合う。 進級試験は明日。今日はいわば最後の追い込みである。 「う〜ん? あれ? サラは?」 ふと気が付いたというように璃凛は声を上げた。気が付けばサラターシャ(ib0373)がいない。 「サラさんなら気分転換に裏の森で散歩してくるって」 彼方の声にふと、考え事の手を止めた璃凜は少し逡巡すると 「うん! ちょこっとウチも気分転換してくる!」 立ち上がって散らばった道具を手早く片付けた。 「すぐ戻ってくるからこのままにしておいてね」 行ってらっしゃいと手を振ってその背を見送って後、 「疲れてるのかな?」「何か、悩んでるみたいですけど…」 一年生達はそんな言葉と視線を交わし合ったのだった。 「ねえ、風絶…」 朋友達の待ち合い場。自分の龍を前に璃凜は溜息のように小さく呟いた。 「この顔の傷を負った事を、また、やってしまうかもしれない。みんなの迷惑も考えないで飛び出して…」 進級試験を前に勉強に集中しようと思っても時折どうしても考えてしまう。 これで、いいのか…と。 勿論甲龍風絶は言葉で返事を返しはしない。ただ、真っ直ぐに璃凛を見つめている。 その澄み切った迷いのない目にすうと何かが溶けて行くような気持ちを璃凛は感じていた。 「そうだね。迷う理由なんて無いよね。自分の思いは止めたくない」 自分に言い聞かせるように璃凜が呟いた時、後ろから 「レオ。お腹は空いていませんか? もうすぐ夕食ですからあと少し我慢して下さいね」 春の陽だまりのような柔らかい声が聞こえてきたのだった。 『マスター。いちいち世話をやかないで欲しい。主の心配や世話は従者がするものだ』 楽しげに歩いてくる二人は… 「あら。璃凛さん。こんにちは。璃凛さんもお散歩ですか?」 「サラ。それと…」 「カラクリのレオです。レオ。ご挨拶は?」 『よろしく』 人をどこか斜めに見たような少年だが、人間でいうなら少し照れたような印象を受けて璃凛は微笑んで頷く。 「気分転換に来たの。机の前に座ってると煮詰まっちゃいそうだから」 「そうですね。あ、璃凛さん。ちょっと」 手招きするサラ。小首を傾げ璃凜は言われるままに近付いた。 サラの手がふと璃凜の手を握り手のひらに小さな花を乗せた。 「あれ? 紫陽花?」 「はい。薬草園に咲いていたんです。まだ本当に早咲きですけれど委員長にお願いして分けて頂きました。皆さんの分、あるんですよ。符のイメージでもありますからお守りに」 青紫の紫陽花の小さな花が璃凛の手の中で小さく揺れる。 「紫陽花は小さな花が集まって一つの花になります。私達も皆で、誰一人欠けることなく合格して二年生になりましょう」 サラターシャの言葉に璃凛は一度だけ目を伏せて、まっすぐ顔を上げると頷いた。 「うん! 必ず!!」 二人が顔を見合わせた瞬間 ぐるる〜。 なんとも言えない音が鳴った。 璃凜の腹の虫の音だ。 「あぁ、もう様にならないなあ〜」 見ればくすくすと笑っているサラターシャ。風絶もため息をついているかのようだ。 ふと向こうから声が聞こえた。 『お〜い! そっこの人〜!』 手を大きく上げて呼ぶのは小柄な人妖だ。 「確かあの子は蒼詠さんの人妖翡翠さん」 『そろそろご飯にしないかってそーえーが呼んでるよ』 「ですって、行きましょうか? 璃凛さん。レオ」 「うん」『了解。マスター』 そして彼らはまた同じ目的を持つ仲間の元へと戻って行くのであった。 食堂で皆一緒に夕食を食べて、大部屋に戻る少し前。 星空の下で交わされた会話。 「ありがとう。翡翠」 『どういたしまして。でもそーえーの方こそ大丈夫?』 「やれる事は全てやったと思います。あとは今までここで学んできた事の総決算という気持ちで全力を尽くすのみです……」 『まあ、ボクにできることはないけど応援はしてるよ。がんばってね〜』 「…ありがとう」 最後の夜、特に示し合わせた訳では無いが、皆、寮で同じ一夜を過ごした。 教え合い、励まし合い、共に過ごし、そして夜が明けた。 ●進級試験開始 翌朝、一年生達は全員で試験会場である講堂へと向かう。 緊張しながら講堂に入った一年生達は、いつもと全く違う講堂に少し、目を見開いた。 見なれた場所はもう『試験会場』になっている。 板と布で簡単にではあるが間仕切りされ、一人一人が入るようにと促された。 勿論、他の部屋の仲間の様子は見えないようになっている。 「中に準備は全て整えてあります。以降、全ての質問は受け付けません。自分の責任において行動しなさい」 静かな声に背筋が伸びる。そして 「では、進級試験を開始します!」 宣言と同時、彼らは符の作成という試験に向かい合ったのだった。 純白の符に幾度も練習を繰り返した呪文を紡ぎ、絵を描く。 丁寧に一つ一つ工程を踏み、いよいよ最終段階へと進んでいく。 ほぼ全員が符を書き終え、宝珠から瘴気を開放する呪文を唱え終った、まさにその時。 ドン!! 鈍い音共に悲鳴が朱雀寮を切り裂いた。 「キャアアア!!」 「ア・アヤカシだ!!」 「アヤカシが寮内で暴れているぞ!!」 その声は講堂の中にいる寮生達の耳と心にもはっきりと届いていた。 即座に立ち上がったのは璃凛、蒼詠、そして彼方であった。 彼らは悲鳴と同時術を中断し、部屋を飛び出して行く。 「みんなごめん先に様子を見に行ってくる!」 璃凛は走りながら思った。 (まさか、ウチらが倒した三体の鬼? 誰も、怪我したりしてませんように!) 試験を中断したことに躊躇いは無い。 「例え間違った判断だったとしても、助けられたことを手遅れには、したくないもん…。アヤカシはどこ!」 悲鳴に向かって、自分のやるべき事に向かってひたすらに走って行く。 蒼詠の逡巡は一瞬も無かった。 (進級はしたい。でも!) 部屋を飛び出すと扉の傍に寮長がいる。 小さく一礼して彼は試験会場を出た。 「助けを求める声を無視はできない。どうせ後悔するなら行かずに後悔するより行って後悔する方を選びます…」 既に開いている扉と走り出した仲間の影に少し安堵して、蒼詠は現場と 「翡翠!!」 自分の人妖を探したのだった。 彼らの後にサラターシャ、クラリッサも続く。 「璃凛さん! 蒼詠さん! 彼方さん!」 走り去っていく足音から場を離れた友に気付いてサラターシャは声を上げた。 呼び止める効果が無いのは勿論解っているが。 「宝珠は?」 他者の部屋を覗くことが減点の対象になるかもしれない事を承知の上で、サラターシャは仲間達の部屋の状態を確認する。 皆瘴封宝珠を止めて行くことはして行ったようだった。 「良かった」 そう思うと同時にサラターシャは飛び出していく。 少し出遅れたとはいえ彼女にも迷いは無い。部屋を振り返ることももうしなかった。 (私達が作ろうとしているのは『守護符』守りの為の力。アヤカシに脅かされている命を投げ出して、守護符を作る事はありえませんもの) この騒ぎを聞きつけてきっとレオも来てくれるだろう。 彼女は真っ直ぐに仲間達の後を追いかけて行った。 クラリッサが少し遅れていたのは考えていたからだ。 「陰陽寮に…アヤカシっ!? 先生や先輩たちが詰めているこの寮にアヤカシが出るなんて考えられない!」 あ、でも。と直ぐに彼女は考えを巡らせる。ここは陰陽寮。 (いや、研究中のアヤカシが逃げ出した可能性もあるのか。前に玄武であったらしいし…朱雀でもそういう実験はしてる…よねたぶん。私達が知らないだけで) さらに続けて考える。 (本当にアヤカシだとしたら、寮長は試験よりも万一の自体を考える筈。試験はまたできるけど、何かあってからは遅い…って考えで通達はするよね。でも、試験中だから行け と命令はしない。そう考えれば、この事態は不自然じゃない…ま、まさか!) ふとある結論が頭に浮かんだ。 (まさか、そういう試験? 試験中にわざわざアヤカシが出たことを知らせるってことは…それに対しての反応を見る為…? 符を優先するか、アヤカシ対処を優先するか) それしかないと気付いた。では、どちらが正解なのか。 残る事か、それとも…。 (自分の気持ちはどうでもいい…正解は?) 結論を出すまでの時間はとても長く感じたけれど、きっとほんの僅かな時間であったのだろうと、後にクラリッサは思う。 彼女が部屋を出た時、まだサラターシャの背中が見えたからだ。 「…ダメ。私は、ここで見て見ぬふりをするなんてできない…!」 机の上の小さな紫陽花がその背を押した。独り言のように呟いて彼女は走り出す。ふと誰かの声が耳の奥に聞こえたような気がして苦笑する。 『術師は常に冷静でいろ』 「ダメだなぁ私」 でも後悔はしない。 どんな結果であろうとも自分の気持ちに嘘はつきたくないから。 「もし落ちちゃったら、来年の学費は自分で何とかしよう。自分の判断で迷惑はかけたくないし」 そしてもう考えず悩まず真っ直ぐに前を向いて走って行った。 床に転がった道具を拾ってリリスは目の前に立つ寮長の前にゆっくりと進み出てそれを渡した。 「これ、多分璃凛のものだと思います。預かって頂けますか?」 「構わないが君は何故ここにいるのですか? 符の作成は止めたようなのに」 「この試験何かあるのではと、勘ぐって、いえ気がついてしまったもので」 笑みでは無い表情で自分を見る寮長にリリスは少し肩を竦めて見せた。 「符にも、表と裏があるならば物事にもある訳で、この試験にも表と裏がある。それだけのことでしょう?」 そして深く礼をして彼女は寮長に背を向けた。そして仲間の元へと向かう。 「この行為が正解でも不正解でも…」 答えを出すのは結局自分自自身なのだ。 自分が後悔しない正しいと思う答えを選べばいい。 中庭で暴れていたのは剣狼が数匹であった。 冷静に対処すればそう難しい敵では無い。 アヤカシを退治した寮生達を驚愕させたのはアヤカシではないもの、だった。 最後に清心がやってきた時には中庭は静寂を取り戻していた。 集まった一年生の前に三年生達と寮長が立っている。 そして寮長が手を叩いて告げた。 「進級本試験、終了」 と。 ●『試験』の意味 「えっ? どういうこと?」 首を傾げる璃凛にリリスが苦笑しながら説明した。 「つまり、この騒動が進級試験だったんですよ。手が離せない状況で、何かが起きた何を選択するか。人の命か、それとも陰陽師として使命か…」 「それで! どっちが正解だったんですか? ここに来る方? それともひたすらに命令を守る方ですか?」 温和な彼方が珍しく苛立ちを隠さない口調で問う。その質問に寮長は小さく目を伏せて 「どちらが高得点かという問いであるのなら試験を中断してここに来る方です。もし残っていた場合外に出るよりより大きな減点が課されます」 「僕達を、試していたんですか?」 微かに震える声の蒼詠にはい、と寮長は頷いた。 「戦場を体験した貴方達なら解るでしょう。陰陽師に分かれ道はつきものです。二つ、いえそれ以上の選択肢があり、そのどちらを選ぶか瞬時に求められる時が多々あります。そこにかかるのは命。この試験はその為のものです。命令か、信じる道か。進級か命か。朱雀寮を守ろうという思いがあるかどうか…」 「あ〜、趣味悪〜い」 璃凜が脱力したが他の一年生達も気持ちはきっと同じだろう。 正解であればまだいいが、自分の信念に従った結果が不合格ではやりきれない筈だ。 「趣味が悪いのは承知しています。ですが、人生はそんな究極の選択が溢れています。その時に少しでも後悔しないように、選択の経験を積ませることが試験の大きな目的ですから。恨むならとりあえず私を恨んで下さい」 「恨むなんて…そんな」 手を横に振るサラターシャに寮長は笑顔を返し パン。 手を叩いた。 「では、全員講堂に戻り、符の作成の続きを。今度は集中を欠かさず完成させて下さい」 「え? やり直し、できるの?」 「中断した後、やり直しはできないなどとは一度も言ってはいませんよ。ちなみ制限時間もつけていない筈です」 そして彼らは再び符に向かい合う。 それは自分の心と向かい合う事だった。 「よし、できた!」 符を完成させた璃凜はしかし部屋を出ず自分の符を見つめながら、全員の符の完成を待ち続ける。 「この一年で得たことを出し切った。どんな結果が出ても後悔しない」 机の上の小さな花と同じ色にした符の紫陽花が彼女の気持ちに答えるように咲いていた。 大きく深呼吸して、目を閉じる。 感じるのは森で感じた生命の息吹、自然の力。 思い起こしながら解放の呪文を唱える。 乗せる思いは命の美しさと尊さ。そして友や、人への思い。 (親鳥が雛鳥を守り慈しむ様に私も「翼宿」を通して、出会う人々を守り慈しめる様になりたいです) その気持ちは一つの符へ結晶していった。 (落ち着いて、確実に) 幾度も繰り返した言葉を呪文のようにまた呟いて、クラリッサは符に瘴気を込めた。 符に流れ込んでいく力と共にこの一年の事が思い出されていく。 これが最後の総仕上げだ。 「みんなとここまで来れて、よかった」 やがて符が命を宿す。 その時彼女には目の前の符がまるで光を放ったかのように感じられたのだった。 (どうしてもまだ自分に自信は持てないけれど) 「でも全力を出しきりました」 それにだけは自信を持てる、と蒼詠は思っていた。 完成させた符の紫陽花。意識した訳では無いが小さな花は七つ描かれている。 「これからも、皆さんと一緒に歩んで行けますように」 祈りと願いを込めて彼は完成した符を見つめていた。 符に全てを込める。 自分の気持ちと仲間への思い。一年間の成果を全て。 (勇気を出しここに入れた事は、間違いでは、無かった) リリスはそう確信していた。 仲間や先輩という家族の絆や信頼の為、せっかく本試験に合格したのにここで失敗しては元も子もない。 「みんなと出会えて、本当に…よかった」 思いと願いの符を手に彼女は部屋に小さく一礼して、仲間の元へと戻って行った。 「できました」 差し出された七枚の札を確認して 「朱雀寮 進級試験 全過程終了です」 寮長の声が試験の終了を告げたのだった。 一つの終わり、そして新たな始まりを一緒に告げて。 ●進級試験の意味 朱雀寮内、寮長室。 各務 紫郎は進級試験の採点を行っていた。 進級試験、とは陰陽寮の二年生に進む資格があるかどうか。 資質、覚悟、能力を問う適性試験である。 とはいえ知識などは普通に授業に参加し、あるいは依頼を受けていれば自然に身についてくる。 朱雀寮の進級試験において主に問われるのは心、なのである。 陰陽寮というのは五行の国に属する。 今年のように陰陽寮生は時として五行代表の役割を課せられることもある。 また二年になればより深くアヤカシと関わって行くことになり、陰陽師の『闇』と向き合う事となる。 その過程でやりきれない思いをすることもきっとある。 だからこそ確固たる自分の意思を持てるか。 自分のやるべきことをちゃんと理解できているか。 その前向きな心を確かめるべく、毎年の一年生には同じ課題が課せられているのだ。 さて試験結果を点数で付ける時、多くの人間は百点を満点と思う。 しかし陰陽寮の試験において満点など存在しない。 事前説明に置いて合格ラインは『八十点』であると寮長は告げた。 実習、委員会の参加点において既に最高点者は七十点を得ている。 欠席がある者でも六十点近い。 また小論文試験の最高点者は四十五点、最下位の者でも三十点ある。 そして今回の実技試験。 符の完成によって与えられる点が十点。 試験時間中の外出には減点五点が課せられた。 もし外に出なかった時に課せられていた減点は三十点である。 今年の一年生にそのマイナス三十点を課せられた者はいなかった。 故に全員が合格の資格を得ている。 点数も接近していた。 その中で順位をつければ主席はサラターシャとなる。 授業欠席無し。どんな場でも一年生を穏やかに引っ張って行く姿が評価されている。 次席は蒼詠。 同じく授業欠席無し。小論文試験の最高点者でもある。 彼はこの一年で大きく成長していると理解していた。 より全体を把握し指揮する能力や、少女達を守る強さを(決して腕力ということではない)見せてくれればと思う。 三位は彼方とクラリッサがほぼ同じ点数であるが、今回寮長はクラリッサを上位におく。 論文試験も優れていたし、強い意思や的確な判断力を保持しておりその上で朱雀寮生の心も持っている。伸び代はかなり大きいと見ていた。 彼方は下地が良すぎる分かえって不安定なところを感じさせる。 朱雀寮のムードメーカーであり、進んで先鋒を務める璃凛は本来であるなら次席に近いところまで行ける能力と心を持っている。 惜しむは数回の欠席があったことだろう。 リリス共々、欠席以外のマイナス要因は基本的にない。 リリスは悲鳴が上がった時点で今回の試験のカラクリに気付いていたようである。 冷静な判断力は今後に大きく役立つだろう。 見事な合格であった。 唯一心配と言えるのが清心。彼は最後まで悩んだ末 「皆が行くから…」 と部屋を出た。人に流される性格には不安が残る。 「皆さんには期待しているのですよ。頑張って下さいね」 小さく呟いて彼は筆を取った。 数日後、朱雀門に試験結果が貼り出された。 緊張の面持ちで紙を見つめる寮生達。 『朱雀寮一年生 進級試験合格者発表 主席 サラターシャ 次席 蒼詠 クラリッサ・ヴェルト、彼方、芦屋 璃凛、カミール・リリス、清心』 朱雀寮の一年が終わる。 彼らの前にもうすぐ、新しい門が開こうとしていた。 |