【南部】始まりの為に
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/04/28 01:49



■オープニング本文

 ジルベリアの大地から雪が消え、白いスノードロップの花が咲き、女性達が重いコートを脱ぎ始めるとジルベリアに春がやってくる。
 長い冬を知るからこそ、春の喜びを知るジルベリアの民達。
 そして、今年南部辺境の民達にとっては、さらに待ちわびた春がやってきていた。
 南部辺境が地域再建の為に総力を挙げていたメーメルの劇場が、ようやく完成したのだ。
 雇用を生み出し、人々に希望を与える劇場はひまわりと桜の花をシンボルとしている。
 白を基調とした美しい建物ではあるが、まだ今は箱でしかない。
 これから沢山の人々の手によって劇場へと生まれ変わって行くのだ。
 多くの人々がこの劇場の開幕へ向けて準備を始めている。

そして南部辺境伯、グレイス・ミハウ・グレフスカスの名においてジルベリアのみならず天儀全土にも告知がなされたのだった。

【メーメルの新劇場完成! こけら落とし公演に向けた出演者・スタッフ大募集!

 南部辺境の活性化とメーメルの復興を目的とした新劇場がこの程完成しました。
 大きな出し物を行う大ホール、少人数向けの小ホールの他、誰でも気軽に使える小さな野外劇場なども併設しており、老若男女、身分などを超えて多くの人に楽しんでもらえる劇場になったと思っています。
 こけら落とし公演は五月を予定していますが、それに向けた出演者、スタッフを広く一般から募集したいと考えています。
 歌、楽器演奏、劇、曲芸、手品等見る人を楽しませることができる技術であれば制限は設けません。オーディションの後、合格者は称号と正式な契約金を持って主演契約を結ぶことができます。
 我と思わん方はぜひ。
 お待ちしています】
 
 無論、この告知は開拓者ギルドにも真っ先に届けられたのだが、ギルドにはもう一つの依頼も届けられていた。

【現在、メーメルの劇場の出演者、スタッフを募集しています。
 ジルベリアだけでなく、広く天儀にも募集をかけていますが、これを狙って誰かが、何かを仕掛けてくる可能性は高いと思います。
 つきましては開拓者の皆さんには可能であるなら応募者として潜入し、怪しい者がいないかどうかを見て頂きたいのです】

 出演者としてのオーディションを受ける場合には正当な試験を行い、合格不合格を決めるが、裏方のスタッフとして応募する場合には開拓者は無条件合格とすると言う。
 これを一つの機会として南部辺境を狙う敵をあぶりだしたいという意図もあるのかもしれない。
 係員は告知と依頼、両方を掲示板に貼り出す。
 依頼の最後はこう結ばれてあった。

【間もなく南部辺境も花の季節を迎えます。
 復興を願って植えられた『サクラ』の木も根付きこけら落とし公演の頃には美しい花を咲かせるでしょう。
 メーメルや南部辺境、いいえ劇場を訪れる全ての人々の笑顔を生み出す、その始まりの為に、どうぞご協力をよろしくお願いします】
 
 と…。


■参加者一覧
氷海 威(ia1004
23歳・男・陰
アイリス・M・エゴロフ(ib0247
20歳・女・吟
アレーナ・オレアリス(ib0405
25歳・女・騎
ニクス・ソル(ib0444
21歳・男・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629
17歳・男・吟
シータル・ラートリー(ib4533
13歳・女・サ
アルバルク(ib6635
38歳・男・砂
キルクル ジンジャー(ib9044
10歳・男・騎


■リプレイ本文

●希望の花咲く場所
 メーメルに建設された劇場。
 その正面にまるで紋章のように飾られているのは美しい花飾りであった。
 桜と向日葵の花が美しく意匠化されている。
 この二種の花はかつてメーメルや南部辺境を壊滅の一歩手前まで追い込んだヴァイツァウの乱の復興作業の折り、開拓者がこの地に贈ったものであった。
 それから二年。桜の木はしっかりと根付き、向日葵も最初の種の子、孫が増えていた。
 まだ向日葵が咲くには早いが、桜は間もなく固い蕾を開こうとしている。
「おう、この辺もズイブン変わったんだねえ……おっさんちょいと時の流れを感じてみたりしちまう」
 風に踊るマントの裾を少し気にしつつ独り言のように言ったアルバルク(ib6635)にそうですね。と横を歩く青年貴族は頷いた。
「変わらなければならなかった、というのが正しいのでしょうが…」
 少しさびしげに笑ってけれど、彼はその歩みを止めることは無い。
 劇場側に幾本も植えられた桜の花の下を潜りぬけ、辺境伯グレイス・ミハウ・グレフスカスは劇場に足を踏み入れる。
 劇場を見つめ何事か思っていた演者や、練習をしていた者達などが動き始める。
 今日はこの劇場の出演者オーディションの日。
「さて、行きましょう」
 彼は真新しい劇場の、その扉を開けたのだった。

 事は少し前
「待て、翔雲、俺は裏方への応募に来たのだ。なぜ出演者募集の列へ行きたがる!」
 オーディションが始まる少し前、辺境伯の名代で参加者の確認の為に劇場にやってきた少年は目を丸くしていた。
 劇場前の小さな花の広場。そこに龍が突然のしのしと歩いてきたのだ。
「この龍もオーディション参加希望?」
 少年オーシニィは後ろからやってきた氷海 威(ia1004)に小首を傾げて問うた。
 この少年は辺境伯の甥。威は頭を下げるが
「いや、面目ない。何やら興味があるようで…。こら! お前は例によって良いとこ見せたいのだろうが俺はどうすれば…って、おい!!」
 その間に気が付けば彼の龍、翔雲は劇場の前に集まっていた、出演希望者達に取り囲まれている。
「…仕方あるまい!! 来い! 翔雲!!」
 威は朋友を広い場所へと連れ出すと
「もう好きなようにやれ!」
 と背を押したのだった。
 主のお墨付きをもらってか『彼』は歌い(唸り?)、踊り(?)始める。
 ドタドタと翼や身体を動かしているだけかもしれないががその様子はとても楽しそうだ。
「あら、ステキ♪」
 それを見ていたイリス(ib0247)がスッと竪琴をとってジルベリアの明るい民謡を奏で始める。
 祭りのダンス曲。龍は勿論振り付けなど知らないが、リズムに乗ってさらに楽しそうに踊り始める。
「うん、面白そうだね。ゼーレも興味がある? 一緒に踊ってもいいよ」
 少し離れて見ていたアルマ・ムリフェイン(ib3629)が霊騎に笑って葦笛に口を当てた。
 気が付けば吟遊詩人たちが自分の楽器を取り伴奏を合わせ、歌い手達は歌を歌い、
「ボク達も混ぜて下さい」
 シータル・ラートリー(ib4533)やアレーナ・オレアリス(ib0405)ら踊り子たちも踊り始める。
 楽しげな祭りのような笑顔の輪が広がって行った。
 そしてクライマックス。
「うわ〜、キレイですね〜」
 キルクル ジンジャー(ib9044)がそんな声を上げた。
 虹色の綺麗な蝶が龍の周りをひらひらと飛びまわる
 まるで一緒に踊っているかのように。
 消えては現れ、現れては消える蝶は最後に急に高く飛び上がると、ゆっくりと落ちてきて、龍の指先に止まった。
 と、同時に音楽も止まり、龍も動きを止める。
 そして威は朋友の前に進み出ると丁寧にお辞儀をしたのだった。
「…お目汚し失礼しました」
 湧き上がる歓声と拍手。
 花のような人々の笑顔を受けて。

「ようよう、兄ちゃん。ずいぶん楽しそうだったじゃねえか!」
 アルバルクにポンと肩を叩かれて威は深いため息を吐き出した。
「まさかあそこまで大騒ぎになるとは、翔雲の祭り好きにも困ったものだ」
『いいんじゃない? 皆楽しそうだったし、出演者の皆もいい具合に力も抜けたんじゃないかって思うよ』
 楽しそうな彼の羽妖精リプスが笑う。
 確かにオーディション前ということで皆、どこかぎすぎすした感じがあったが、あの件の後は笑い声もでていた。
「少しは役に立ったと言うのなら良しとするべきか」
「そうだね。皆、とってもいい雰囲気になってる。あれ? さっきの龍君は?」」
 ため息まじりの苦笑を吐き出した威に明るい声がかかる。
「オーシニィ殿」
 威は現れた少年に丁寧にお辞儀をすると空を指差した。今は上空で警戒させている。という意味だろう。
 その間に初対面のアルバルクはオーシニィと呼ばれた彼をじっと見る。
「え〜っと辺境伯の甥ご殿、だったか」
「そう。どうぞ宜しく」
 アルバルクに頷くとオーシニィは二人に向かって
「そろそろ叔父上が着くから配置について貰えるかな?」
 そう言うと配置と仕事を指示した。彼は辺境伯の名代も務める従卒。
 彼の言葉は辺境伯の指示でもある。
「了解した。行くぞ」
『まってよ。おじさん。でも、そのマント、ちょっと辺というか派手だってば』
 躊躇わずアルバルクは進んでいく。
「では私も…」
 後に続き歩きかけた威はふと、何かを思い出し足を止めて振り返った。
 そしてオーシニィの方を見る。
「何?」
「後でちょっとお時間を頂きたく。お伺いしたいことがあるのです」
「いいよ。後でまた」
 頷くオーシニィにもう一度礼をして彼は、自分の仕事へと向かっていったのだった。

●オーディションに集う者達
「やれやれ、遅くなった」
 息を切らせてニクス(ib0444)がやってきた時には、丁度ある吟遊詩人の歌が終わったところであった。
 長い髪が美しい、長身のその女性は見事な竪琴とアルトで歌を歌い終えると辺境伯にお辞儀をしていた。
「あれは、まさかユーリ?」
「義兄様、お疲れ様です。私も間違えて名前を呼んでしまったのですが、彼女は紛れもなく女性です。リリーさんとおっしゃるそうですわ」
「そうか…」
 ユーリを気にしているせいだろうか苦笑しながらどうだ? とニクスはイリスに問うた。
「私は終わりました。一番に、と促されまして…」
 イリスは既に以前、合格している。今回は皆と歩調を合わせる意味での参加ではあるのだが
「なるほど。イリスくらいの実力は必要なのだ、と参加者に知らしめるということか…」
「そのようです。…次がアルマさんの番。それから…気になる方が何人か。あのリリーさんに、あちらで顔を隠したドレスの女性…」
 囁くような会話を交わす二人の前で優雅にお辞儀をしたアルマがバイオリン「サンクトペトロ」を肩に当てる。
 奏でられた演奏は楽譜「精霊賛歌」のアレンジ演奏。
 弦の一音一音から花の芽吹く春、人の顔が綻ぶ時、大切な人たちの笑顔が浮かんでくるようだ。
 イリスは親友である彼の言葉を思い出していた。

『吟遊詩人は声が、旋律が武器。僕の持てる唯一の力。
 どんなものでも力だから、傷つけることもある。
 でも僕らは、それだけで在りたくないんだ。
 笑ってほしいんだ。僕らの力を添えて笑って貰いたい。
 …優しく幸せに、心を凍らせずにいてほしい。
 これが僕がずっと音に込める心』

 涙が出そうなほど強くて、それでいて優しい音に聞き惚れる者も多い。
「これは、きっと合格だな」
 演奏が終わった瞬間、満場の喝采を受けてアルマは優雅にお辞儀をしていた。
「さて、次はボクです。…では、行きましょうか。イリスさん♪」
 呼びに来たシータルに頷いて
「では、行ってまいります」
 とイリスは竪琴を持って前に進み出た。
 先に演じるのはシータル。彼女はスカーフをきつく巻きなおすと
「踊り手のシータルといいます。宜しくお願いしますわ♪」
 演じる前に辺境伯や審査を行う者達ににっこり、と笑顔を浮かべお辞儀をした。
 大きく深呼吸してから一拍。
 完璧なタイミングでイリスの手から奏でられるのは鮮やかなアル=カマルの舞曲。
 それに合わせるシータルのダンスは見事な剣舞であった。
 右手に持った曲刀を見事に駆使し、時に優雅に、美しく、時には勇ましく操る。
「あれはただのアル=カマル風ではありませんね」
 後に辺境伯は彼女をそう評したという。天儀の神楽のステップを取り入れた即興のダンスは打ち合わせを重ねたイリスでさえも驚かせるものであったが、イリスは見事にダンスについていき、シータルはその伴奏に完璧に合わせる。
 誰がこの踊りが即興のものだと、信じるだろう…。
 ♪!!
 一際高い音と共にシータルは剣を上から下におろし膝をつく。
 アルマに勝るとも劣らない満場の拍手が場に広がった。
「見事でしたね。シータルさん」
 イリスの笑顔に満足そうな笑顔でシータルはお辞儀をする。
「ありがとうございました♪ とても楽しかったですわ」
 それは自分の全力を出し切った者だけができる笑顔だった。
「皆さん、すごいです! でも負けないです!!」
 両手を握りしめて感動を表したキルクルは、彼女の名前が呼ばれた時
「はい! 外に出てもいいでしょうか?」
 元気に手を上げた。
 アーマーで演技をしたいからという彼女の要望に応えて辺境伯が立ち上がった時、幾人かの開拓者達はあることに気が付いた。
 そして辺境伯の後ろに着いていく数名の参加者と共に、そっと後を追って行ったのだった。

●乱入…そして
「見習い騎士キルクル、グレイス辺境伯の御為に踊るのですー」
 彼は今回の応募に真っ先に応じた一人である。
「心から大帝様を尊敬しているのです!!」
 そう力説する彼は
(グレイス辺境伯の為に働く→辺境伯の利益になる→臣民の利益になる→大帝の利益になる→中略→キルクル偉い!)
 という結論に達したらしい。
「アーマーのレイピアで踊ります!」
 とぺっこりお辞儀をするとキルクルはアーマーに乗り込んだのだ。
「アーマーでダンス、ですか」
 アレーナはどこか感心したような驚いたような声でキルクルを見守る。
 自分のヴァイスリッターやニクスのシュナイゼルは今回のような時は出番がないと思ったのだが。
 羽根飾りや布飾りをつけ、前掛けも付けた可愛らしいアーマーでのダンスが始まる。
 伴奏がついてもそれは先ほどの龍と同じ。『踊っているように見える』というものにでしかない。芸というにはあまりに微妙。しかし
「まあ、楽しそうではあるな」
 アルバルクは楽しそうに腕を組んで笑う。キルクルとアーマーの動きには人の心を温める効果があるようだ。
『僕も見たいんだけどぉー』
「芸なら後で見れるっての」
 その時、バッタリとアーマーが倒れた。
 練力切れかそれとも転んだのか。きっとその両方だったのだろう。
 ハッチを開けて出てきたキルクルはてへっと笑って飛び出る
「代わりに私が踊るのですー」
 皆が、その一連の流れに笑みを浮かべた弛緩の瞬間。
 キルクルの上に怪しい影が伸びた。
「ん? 誰です?」
「危ない!!」
 踏み込んだ威がキルクルをアーマーから引っ張り出し、強く引いて逃れた瞬間。
『−−−!!』
 人の声とは思えぬ信じられないソプラノが、その場に鳴り響いた。
 外に出てきたオーディション参加者達の何人かは倒れ、何人かはぼんやりと立ち尽くしている。
 それを為したのは、キルクルの後に歌うはずの白いドレスの女であった。
『辺境伯よ。私に合格はいらぬ。ただ、その命を我に捧げよ』
 グレイスに手を差し伸べるその女。
 只ならぬ瘴気にアルベルクは辺境伯をとっさに背に庇った。
「やっぱりアヤカシが紛れ込んでいたな! リプス!!」
『はいよ! おじさん!!』
 白刃を閃かせて羽妖精は女…いや、アヤカシに切りかかった。
 アヤカシは余裕の表情を浮かべている。
 しかし
「貴方の正体は、察していました。だから、他の参加者の皆さんは避難させていたことに気付かなかったのですか?」
 自分を包むような呪縛を、取り囲み、挑んでくる開拓者に徐々にその顔色が変わる。
 いや、アヤカシを動揺させたのは実は開拓者では無かった。
『何故だ! 何故来ない!!』
 無論開拓者はその理由を知らないし答えるつもりもない。
「貴方が何を為そうとしたか、知りませんし知るつもりもありません。人々に笑顔をもたらす劇場に、アヤカシなど不要なのです!」
 アレーナが宣告し剣を抜いた時、遠くから獣の足音が聞こえてくる。
『やっと来たか! 早くこいつを! ! うわああ!!』
 嬉しそうに振り返ったアヤカシは、なぜか悲鳴と共に地面に押し倒されていた。
「ゆきたろう!!」
 イリスの忍犬が生み出した隙を、勿論見逃すような開拓者ではない。
 リプスが、ニクスが捕縛に動くが
「えっ?」
 それより早く、どこからか放たれた矢が、女アヤカシの眉間を打ち抜いた。
 アヤカシは直ぐに動かなくなり、そのまま瘴気へと戻って行く。
「今の攻撃は一体だれが?」
「それに一体で忍び込んでくるなんて…」
 一般参加者達を庇っていたイータルは噛みしめるようにそう言うがアルマは違うと、感じていた。
(あの様子からして、本当は援軍か何かが来る筈ったのだろう。だが、来なかった。裏切られた、いや捨てられたのかもしれない…)
 言いようもない『何か』が支配する。
 だがそれを白薔薇のごとき女性がふわり、遮った。
「辺境伯。どうぞ中にお戻りを。申しおくれました。私はアレーナ。歌劇団に属していたこともございます。どうかお目汚しかと存じますが私のダンスと演技も見て頂きたいのです」
「確かに。何かある前に戻ってくれ」
 優雅で美しいアレーナとアルバルクの促しに頷き踵を返そうとした辺境伯を
「お待ち下さい!」
 アルマは呼び止めた。
「何です?」
 辺境伯は振り返る。
「笑顔を」
 アルマは微笑んで彼に告げたのだった。
「此処を訪ねる人々が南部の人々が、心から楽しめるように。どうか、笑顔をお忘れなく…。我々も微力を尽くしますゆえ」
 辺境伯は一瞬瞬きをして、そしてまた歩き出して行った。
 自分の仕事へと。
「ありがとう」
 その言葉を残して…・

 町を見下ろす高台で、長い髪の女が劇場の広場を見つめていた。
 南部辺境の新しい劇場のオーディション。
 引っ掻き回す役に使うつもりで送り込んだルサルカはあっさりと倒されてしまったようだった。
 ルサルカが歌ったら、それは辺境伯を殺めるチャンス。
 アヤカシの援軍を招いて欲しいというルサルカの願いに彼女は頷いた。しかし、結局それをせず使い捨てた。
 それはオーディション会場に見知った顔を見つけたからだ。
「せっかくいい位置に動ける駒を失うわけにはいかないものね。しっかり頑張って頂戴」
 彼女はそう言うと高台から飛び降り、姿を消した。

●合格者発表、そして…
 アヤカシの襲撃というトラブルはあったが、オーディションそのものはほぼ予定通りに終了した。
 そして数刻後、合格者の氏名が貼りだされたのだった。
「あ、ありましたよ。イリスさん! ボクの名前も、イリスさんのも」
 嬉しそうにシータルが声を上げ、傍のイリスと手を取り合って喜んでいる。
 良かった、と思いながらアルマは周りを見回した。
 オーディションの会場というのはまさに悲喜こもごも。
 喜びに輝く顔もあれば、悲しみにぬれる顔もある。
 美しい容姿と演技で目を引いたアレーナも勿論合格。
 彼女の演目は素晴らしい喝采を受けをこけら落としの演目にと打診も受けているそうだ。
 アーマーのダンスで失敗もあったが可愛らしい動きを見せていたキルクルは見習い合格となった。
「おや、あの子も合格したようだ」
 イリスが誰かと間違えて名を呼んだ娘も歌い手として採用されている。
 出演者は全体的に女性がメインだ。
 男性は自分とキルクルと…
「おや?」
「どうしたんです? アルマさん?」
 自分が怪訝そうな顔をしたのが解ったのだろう。心配そうに顔を覗き込むイリスにアルマは発表の紙を指差した。
「ニクスの名前が見えない。彼は落ちたのか?」
 騒動の後、彼もオーディションを受けていたのに。
 彼の剣舞もシータルのそれとは違うが大喝采を受けていたのに。
 イリスは首を横に振るとそっと囁く。
「義兄さまはいざという時両方に動ける役をと、直々に頼まれたのだそうですわ。普段は裏方をしながら時に舞台の上から守るという形で」
「いざという時の為…か」
 アルマはオーディションの時の事を思い出す。
 『あの』アヤカシが本気でオーディションを潰しに来ていたら、事はあの程度では済まなかっただろう。
 「いざ」という時。それはいつかおきるかは解らない。
「そんなことは無いに越したことはないのだが…」
 不吉な思いが胸に沸き起こる。
 しかしアルマは首を降ってそれを振り払った。
 今は友と同じ舞台に立てることを喜ぼう、と。

『聞かなかった事にしてあげる…。それが僕の精一杯の助力だよ』
「どうしたものだろうか? ニクス殿」
 オーディションが終わった劇場の裏。打ち明けられた事の重さにニクスも直ぐには答えを口にすることはできなかった。
 威はオーシニィにずっと気になっていたことを問うたのだ。
「ジルベリアから他国に移住した者は子孫にも咎が及ぶ…か」
 吐き出した言葉と共に二人共通の少年の顔が頭に浮かぶ。
『他国に出奔した者やその子孫がジルベリアに戻ってきて、過去が発覚したら罪を問われると思う。一般の者はまだしも、それが貴族だったら…国における責任を放棄したということで投獄や幽閉もあり得る。何より残された者との人間関係が辛いね。国を捨てるような者が家から出たら、家名断絶や地位の剥奪だってあり得るから…』
『そんな事例が?』
 オーシニィは唇をきつく噛みしめただけでそれ以上は答えなかったが、様子からしておそらく遠くない関係者にそんな事例を知っているのだろう。
『話は聞かなかった事にしてあげる。もしそんな人物を知っているなら、ジルベリアに戻ることを考えるな、と言っておいてあげて。天儀にまで人を送ってまで探す事は無いけど国に戻ってきたらタダじゃすまないから…』
「秋成殿の心配が現実のものとなるか…」
「だが、冬蓮の決心は固い。気を付けるように伝えておこう。何か困ったことがあれば呼ぶように、と」
 胸の上を知らず握り締めていた。小さな花飾りと共に。
「ユーリ。フェイカー、ラスリール…、そして冬蓮。南部辺境は不安要素が多すぎる。考えすぎならいいのだが」
 オーディションの時以上に胸に、湧き上がる言いようのない暗い思いをニクスも威もその後長いこと押さえる事ができなかった。

 オーディションが無事に終わり、開拓者達は劇場前の広場に集められた。
 柔らかい春の風の中、ある品物が全員に渡されたのだった。
 劇場スタッフ、出演者全員がそれを辺境伯の手から受け取る。
「おや、オレもかい?」
 護衛役まで一人残らず。
「これは…」
 それは美しい金のブローチだった。向日葵と桜が意匠化されたメーメルの劇場の紋章とを象っている。
「希望の花飾り、と我々は呼んでいます。メーメルの劇場を共に作って行く者、その印と思って下さい」
 そこまで言って辺境伯は皆の前で深く、頭を下げた。
「劇場と言うのは作った時点ではただの箱に過ぎません。出演者とスタッフ、そして観客が揃って初めて夢と感動を生み出す場所となるのです。どうか、皆さんの力をメーメル、南部辺境、いえジルベリアの為に貸して下さい」
 心からの言葉、真っ直ぐなその思いに
「オッケー! 任せて!!」
 キルクルが、イリスが、アレーナが、シータルが、アルマが上げた手はやがて、全員の心と重なって青い空を貫く。
 劇場の輝く未来を作り、護る為に集った者、ほぼ全ての心が一つとなった瞬間だった。

 かくしてメーメルの劇場は感動を生み出す場所としての歩をまた、一歩進めた。
 その歩みの先に待つものをまだ知る由もなく…。