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■オープニング本文 『ご主人…さ…ま』 「凛! どうした? しっかりしろ! 凛!!」 陰陽寮朱雀の実技関連担当教官 西浦三郎が預かる人形『凛』が突然機能停止したのは、寮生達がある村に仲間を助けに行った最中であった。 今回は留守を守る形であった凛は、突然何の前触れも無しに三郎の手の中に崩れ落ちるようにして活動を停止した。 何が起きたか解らないまま原因究明にあたった三郎は、やがて今回の事件が凛だけを対象にした異変ではなく、天儀、ひょっとしたらジルベリアやアル=カマルなどこの世界の人形全てに起きた事件であるらしいと言う事を知ることができた。 クリカラカミ。 原因の一端であるらしいその存在になんとか辿り着いたものの、そこで調査終了、帰還を命じられた。 「何故ですか!?」 呼び戻されて後、三郎は寮長に噛みつかんばかりにくってかかった。 「凛はもはや大事な朱雀寮の仲間、いえ、私の家族です。放っておくなどできません!」 「無論、放っておくつもりはありません。ですが、今はまだダメだと言っているのです」 そんな三郎に陰陽寮寮長、各務紫郎は静かに答える。 「クリカラカミというのはまだ謎が多い。どこにいるか、正体どころか居場所さえ、はっきりしません。関係すると思われる遺跡の調査には朝廷の許可が必要です。我々五行に属する者が下手に動けばそれ自体が問題視される恐れもあります。事が国家の問題になってしまうかもしれません」 「ですが!」 「気持ちは解ります。ですが、今、我々ができることは多くありません。その時が来るまで貴方は、貴方の為すべきことしなさい。一年生の引率を頼みます」 「…解りました。凛をよろしくお願いします」 そうして、西浦三郎は一年生と共に出かけ、寮長は、彼を見送って後、腰を上げた。 そして寮長は二年生達に全てを話した上でこう告げた。 「凛の機能停止は個体の故障等ではなく、人形という存在全てに関わるものです。その点では安心と言えるかもしれません。原因が解決すれば速やかに元に戻ると思われるからです」 「なら、その原因を早く!」 三郎とほぼ同じ反応を示した寮生達に、だが寮長は三郎と同じ理由で首を横に振る。 「今は、まだ動けません。時が来るまで少し待って下さい。その時まで、皆さんにはやるべきことがたくさんあるのです」 そう言って彼は二年生達に一つの課題を指し示した。 「今、一年生達が進級試験の前段階の課題に挑んでいます。皆さんも覚えがあるでしょう?」 当然記憶にある。 先輩と共に瘴気を回収に向かったこと。 「それと似た形で皆さんには、進級試験の前段階としてやってもらう事があります。 実習に使う呪術人形。それを作る為の材料を取りに行って下さい」 「取りに行くって…どこへ? 森へ木を伐りにとかですか?」 「いいえ。アヤカシ牢。その中へ」 「えええっ?!」 驚きの声を上げる寮生達に構わず彼は続けた。 「皆さんの希望した人形作成に必要な材料を、現在、特別な箱の中に入れてアヤカシ牢の中に置いています。 何故そんなことを、という理由を問われればいろいろありますが今回は気にする必要はありません。アヤカシが雑多存在する場所を探索し、必要なものを見つけ出す訓練と思って下さい。但し、今回の訓練にもいくつか条件があります」 その出された条件に寮生達は息を呑みこんだ。 寮長が 「今回の実習に置いて牢内のアヤカシを倒すことを極力禁じます」 と言ったからだ。 「アヤカシ牢内のアヤカシは今は朱雀寮のもの。全部倒してしまえば楽でしょうが、一体倒すことによりその個人から減点していきます。勿論、逃がすのも厳禁です。現在アヤカシ牢内にいるアヤカシは約十数種百体ほど。皆さんには知らせませんが私は数を把握していますのでごまかしは利きませんよ」 つまりは周り全てが敵の中、敵を倒さずに目的の品物を見つけ出さなければならない訳だ。 「アヤカシ牢内の地図も与えません。種類ごとの個別牢と複数種のアヤカシが一か所にいる牢とがありますが、数、広さ共自分達で調べて下さい」 確か、アヤカシ牢自体は土蔵いくつかが繋がったくらいの広さであったが…。 「ひょっとして地下があったり二階があったりするんですか?」 「それも今は言えません。現実にどこかで何かの調査にあたる時、事前に地図や地形を知れることは多くないでしょう。どんな状況下でも自分達で道を切り開く。今回はその実習だと思って下さい」 そして寮長は鍵束を主席に渡した。 「アヤカシ牢内の鍵です。絶対にアヤカシに渡す事の無い様に。頑張って下さい」 彼らは寮長が去ってしまった後、鍵を見つめる。 手のひらに載るほどの小さな鍵束なのに、重く感じるはきっと気のせいではないだろう。 凛のことは気になるが寮長は「今は」と言っていた。 つまり時が来れば向かわせてくれると言う事。 ならば、今は自分達に与えられた課題をこなすべきだろう。 進級試験まであと僅か。 二年生最後の実技実習が始まろうとしている。 |
■参加者一覧
俳沢折々(ia0401)
18歳・女・陰
青嵐(ia0508)
20歳・男・陰
玉櫛・静音(ia0872)
20歳・女・陰
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
瀬崎 静乃(ia4468)
15歳・女・陰
平野 譲治(ia5226)
15歳・男・陰
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
尾花 紫乃(ia9951)
17歳・女・巫
アッピン(ib0840)
20歳・女・陰
真名(ib1222)
17歳・女・陰
尾花 朔(ib1268)
19歳・男・陰 |
■リプレイ本文 ●決意と覚悟 今回の実習は陰陽寮内で行われる。 「真心。どうか他の龍達と仲良く留守番していて下さいね」 陰陽寮の朋友小屋で鷲獅鳥の頭を撫でながら玉櫛・静音(ia0872)はそう、囁いた。 周囲には青嵐(ia0508)の嵐帝や平野 譲治(ia5226)の小金沢 強などがのんびりと身を伸ばしている。 「早く凜を助けに行きたい。こんな事をしている場合なのか? とつい思うのですが…」 大きく欠伸をした泉宮 紫乃(ia9951)の忍犬の様子などを見ているとあまりにも穏やかで今の状況や、これから自分達の向かう先が嘘のように思えてつい本当の気持ちが口から零れ出る。 「でも、現実から逃げるわけにはいきませんからね」 言い聞かせるようにして唇を噛む静音の頭上で大きな音がする。 空を見上げるとアッピン(ib0840)が龍と共に降下してくるのが見えた。 「お疲れ様です。やわらぎさん」 龍を労ったアッピンは静音を見るとアラと笑って見せる。 「静音さん、いらしてたんですか? そろそろ時間ですよ」 「お疲れ様です。アッピンさん。はい。行きましょう」 連れだった二人廊下を歩き、講義室の扉を開ける。 既に中では仲間達が準備と下調べ、そして計画に余念なく動いていた。 「う〜ん、逃がしたら減点ですからね。絶対逃がしちゃ駄目ですよ? っつー寮長の言葉聞いてるとフリにしか聞こえねえんだけどさ…」 『気持ちは解らないではありませんが、集団行動の時は控えて下さい。それに事はそんなに簡単な話ではありませんよ』 「わーってるって! よう、お帰り!」 明るく笑って手を上げる喪越(ia1670)の変わらぬ軽快さに少し微笑んだ静乃に同じ保健委員会の紫乃と瀬崎 静乃(ia4468)が駆け寄ってくる。 「薬草、その他の準備は整えておきました」 「…救急箱とかも用意しておいた。本当は何かアヤカシの感覚を鈍らせる御香とかあればいいんだけど…」 「ありがとうございます。遅れてすみませんでした。何かお手伝いできることはありますか?」 「じゃあ、アッピンちゃんの持ってきてくれた牢の地図を写して。今、外観と何度か入った記憶で簡単な地図を作ってるから」 俳沢折々(ia0401)はそう言うと白紙の神と筆をはいと静音に差し出した。 受け取って彼女もまた仕事に入る。 「今回の課題はアヤカシ牢の中からアイテムを見つけ出す事。アヤカシを極力倒さないように、との条件付ですからね。簡単ではありませんよ」 尾花朔(ib1268)は書類から顔を上げていう。 難しい課題であるからこそ、できる限りの準備と調査はして臨むのが朱雀のやり方。 皆、下調べと準備に余念がない。彼も事前準備の為の書き物を終えた所だ。 「アヤカシ牢内にいるアヤカシはかなり種類も雑多です。覚えている限りと解る範囲の種類を書きだしておきましたので…後は実際に…?」 ふと、朔は声と手を止める。 どんな時でも朱雀寮の先頭に立つ人物が妙に生気なくぼんやりとしていることに気付いたのだ。 劫光(ia9510)は考えに耽っているので朔が目の前で手を振っているのも気が付かない。 倒れた凛のこと、そして 「アヤカシ牢、そして…アヤカシを殺してはならない…」 自分達に敵意を持つアヤカシの中に飛び込むと言う現実を前に彼は、古い記憶に囚われているようだ。 「…俺は…」 剣を握り締めて立ち尽くす彼の背中を 「なにやってるの!!」 バン! 勢いよく誰かが押し叩いた。その衝撃と声に劫光は二度瞬きして振り向く。 そこには腰に手を当てて立つ真名(ib1222)が立っていた。 「らしくないわ、しっかりしてよ? 頼りにしてるんだから」 「そうですよ。朱雀寮の先陣を切るのは貴方の役目でしょう?」 「どうか、一人で思い悩まないで下さいね」 朔、紫乃と自分を気遣う仲間達の声に劫光は、クククと口元を押さえて笑った。 いつもと同じ笑みを取り戻している。いつの間にか握っていた剣を持つ手から力も抜けていた。 「そうだな。…頼りにされたなら、しっかりしないとな! もう大丈夫だ」 真名の背を叩き直し、彼はさっきとは違う力で剣を握りしめる。決意を込めて。 「下調べもそろそろ終わり。後はジョージが来るのを待って…っと来たな」 「お待たせなり〜、足りない物借りて来たなりよ〜」 噂をすれば影、喪越が扉を開けると両手に紙や蝋燭、小麦粉の袋や道具などを運ぶ譲治がいた。 机の上に置いた荷物と一緒に賽子が転がり出る。 「あ、五。さっきと同じなりね」 彼の荷物を整理して、地図や資料の共通理解を図って、薬や装備を確かめて、これで準備は終了だ。 「凛ちゃんのことは気がかりだし、いろいろ思う事もあるけど、今はまず目の前のことから、だね。用意はいい?」 一人一人の仲間の顔を確認して、折々が言う。 全員の首が縦に動いたのを互いに確認し 「よし、行こう!」 寮生達は課題を果たす為に歩き出したのだった。 ●灯台もと暗し 「御心に感謝なり…」 譲治が手を合わせて後、重い扉を両手で引き開けた。 全員が蔵の中に入り、素早く戸を閉める。 窓のない闇の中、蝋燭やランタン、折々の鬼火玉の明かりに照らされて暗い部屋が浮かび上がる。 寮生達の両脇には鉄格子によって閉ざされた牢屋。 その中にいるのはアヤカシ達。 彼らの怨嗟の声を聞きながら彼らは闇に眼が慣れるのを待った。 見た目より広く見える空間は、今寮生達がいる廊下を中心に二つに分かれている。 そして奥の方には種類別のアヤカシが閉じ込められている個別の牢があるが、手前側、寮生達のいるほど近くは数種類のアヤカシが一つの牢に纏めて封じられていた。 「ここまでは、下調べの通り…。後はどこにあるかを確かめてから、ですね」 「じゃあ、主に二班に分かれようか。木箱を探す班とそれをサポートする班って、私は鍵も持ってるしサポートに回らせて貰うよ」 「探す班は捜索用のスキルを持つ朋友がいる奴がいいだろう。俺と、朔の双樹と槐夏、それから真名の紅印かな?」 「…僕は、サポートに回るけど、管狐の白房は…捜索に、回って貰う」 『へぃ。姐さん、あっしに任せて下さいやし♪』 「こら! 紅印。他の子にケンカ売っちゃダメよ」 そんな風に自然に班分けができる中、紫乃は少し思案した後、そっと朔の側に近寄ると彼の服の裾を掴んだ。 「お願いです。今回だけ一緒にいて頂けませんか?」 小さな囁きは、本当に小さな声であったけれども朔の耳にはちゃんと入る。 「紫乃さん、大丈夫ですよ? 一緒です」 震える手に包み込むように自分の手を重ね、朔は紫乃の指に触れた。 そんな二人に背を向けるように真名は奥に向けて歩き出す。 「…、じゃあ、私達は奥の方から調べて来るわね。狐の早耳、この中で通じるかしら?」 「大丈夫かと思うが、管狐や人妖の人魂は変化だから、気を付けないといけないぞ…」 「一か所ずつ中を調べて、地図に記載していきましょう…」 真名の後を捜索班が追いかけかけたその時、 「ああああああっ!!!」 譲治が信じられないような大声を上げた。 「な、なんだ?」「どうしたんですか?」 慌てて駆け寄ってくる仲間達に 「こ、これ!! 見るなりよ!!」 譲治は扉近くに置いてあった箱を指差した。それは古びた木箱。中を開けると…。 「宝珠…ですか?」 その通り、いくつもの宝珠が柔らかい布に包まれ並べられていた。 『これは、どこにあったんですか? 譲治君?』 「そこ、入って直ぐの入口の横なり!」 寮生達は顔を見合わせた。 「入口の横って…、確かにアヤカシ牢の中ではあるけど…」 「全然、気付きませんでしたよ。前ばかり見ていたせいですかね?」 「おいらも念の為、と思って後ろを振り返ったら見つけたのだ!」 「じゃあ、これで終わりか?」 「でも、ここには宝珠だけで人形の材料はないなりよ」 肩を竦める喪越に譲治がほらと箱を見せる。 『確かに。今回の人形は竹や紙、木で作ると提出してありますから、最低でもそれらの材料はないとおかしいですよね』 「多分、瘴気を呪術人形の材料に染み込ませるという意味でアヤカシ牢に置いてるのかも知れませんね〜。だったら、他にもあるかもです」 「寮長も箱の数が一つだとは言っていない、と言ってたなり。だから、多分、まだどこかにあると思うのだ」 「後ろを振り向かないと見つけられない。そして、これで見つけたと思って安心して戻ってしまうとまだ残っていたと怒られる。うん、朱雀寮のやりかたっぽいよね」 『多分、こんなことではないかと思ったんですよ』 青嵐がクスッと小さく笑った。 「?」 疑問符を浮かべる静乃や仲間に青嵐は自分の考えを説明する。 『寮長は「極力アヤカシを倒さない事」と言いました。それは、「私達でもそれが可能な手段はちゃんとある」と言う事だと思います』 「ああ、なるほど」 アッピンがポンと手を叩いた。 「屋根裏とか、秘密の裏通路とかアヤカシを倒さないで牢を捜索したりする道があるかもしれないってことですねえ〜」 『おそらく』 「解りました。箱の捜索と一緒にそういう場所もないかどうか探してみます」 かくして寮生達は改めてアヤカシ牢の捜索に入る。 ただ、第一の捜査目的は少し変わる。 秘密の通路、もしくは屋根裏、隠し部屋の捜索へと。全部の部屋をくまなく。 実は、それが正解であった。 ●闇より暗い影 アヤカシが人を襲うのは何故か。 それは空腹を満たす為である。人の肉や魂を食らうことによってのみアヤカシはその空腹を癒すことができる。 では、空腹を満たすことができないアヤカシはどうなるのか。 結論から言えばどうにもならない。 人と違って補給によって身体を構成するわけではないから、ただ空腹な時が続くだけである。 それによって弱りもしないし、餓死もしない。 ただ、それだけと言っても空腹が延々と死ぬまで続く。 餓死もできず弱りもできない。複数種のアヤカシが同居するところでも、共食いさえできず、アヤカシの多くは互いに苛立ちをぶつけ合うか、怨嗟の声を上げるだけであった。 「ある意味、地獄かもしれねえな。こりゃ」 喪越はそんなことをぽつりと口にする。 アヤカシ達は人間が通ると恨みと空腹からか一様に手を伸ばすが、本当に絶妙なところで攻撃を受ける事の無いように牢は設計されているようだった。 そして調べればあちらこちらに一方通行の抜け道や仕掛けがしてあり、観察や捕獲が容易にできるようにされていた。 「う〜ん、粘泥さんの身体を作るのに水分とかはあんまり関係ないのでしょうか? これだけたくさんいるのに違いが全然判りません」 「瘴気で形作られているから、進化の過程でスライムとシュラムに分かれても形作られてからの変化ってないのかもね」 そんな会話をするくらいの余裕はできる。 と、気付ければ事は簡単である。人魂での調査を続ける中二つ目の箱はその仕掛けの一つ。巧みに隠されていた屋根裏への通路がありそれを使って登れる場所のほど近くの天井に釘で打ち付けてあるのを発見することができた。 「よーし、双樹。周りを良く見てくれ」 「下からの攻撃に気を付けて。良く注意して下さい」 『はい』 牢の外側から朔が己の人妖に指示して箱を外させ、屋根裏で待機していた喪越と青嵐、譲治へと何とか渡すことに成功した。 「やった! 糸とか紙とかが入ってるなりよ」 牢の一つ一つを確認し、手分けして地図を作りながら進んでいく。 通った目印に小麦粉などを落としながら。 けれど闇の中を歩くその過程で毒気に当てられたように暗い思いに囚われる者は実は少なくなかった。 (そんな目で、私達を見ないで下さい…) 鉄格子の向こうから屍人がどろりとした憎しみの籠った目で紫乃を見る。 ギャアギャアと悲鳴を上げる鬼達。威嚇の声と共に何度も鉄格子にぶつかってくる怪狼。 それがかつての自分に見えて紫乃はその思考がどんどん負の方向に流れて行くのを感じていた。 (今の幸せは全部夢で、本当の自分はまだ閉じ込められているのではないでしょうか) その時、ふと、手に感じたぬくもりに紫乃は顔を上げる。そこにはまるで自分の不安をかき消すかのように優しい朔の笑顔があった。 「あまり悩まないで下さい。さっき、劫光さんにも言いましたでしょう? 大丈夫。皆、一緒ですから」 差し出された手に感じるぬくもり、優しさ。紫乃は明るい所に引き戻された気持ちで頷いた。 「皆! 来て!」 やがて真名の声が廊下に響き、寮生達が駆け寄ってくる。 皆が集まったのを確認して、 「あれ、そうじゃないかしら?」 と彼女はある一点を指差したのだった。 剣狼数匹が蹲る個別牢の最奥。 そこに確かにそれらしい箱があったのだ。今までの箱に比べるとかなり大きい。 「アヤカシは、あそこに二匹、後、今は見えないけど、その奥に三匹、いるみたい。」 『一回り見やしたが、それらしい品物はありませんでした。おそらくあれが最後であると思われますぜ。姐さん』 「ご苦労様」 管狐を労って後、静乃がどうする? と折々に、仲間達に目で問うた。 時間をかけて探せば、あそこに辿り着ける秘密の抜け道が見つかるかもしれない。 けれど、剣狼数体であるのなら、皆で力を合わせれば捌ききれるだろう。 それに…。 剣狼の牢に保存食や肉などを投げ込んでいた折々は、それを踏みつけにして自分達に向けて唸り声を上げる剣狼をじっと見つめた。 「よし、こうなったら一気に行こう! 私達がアヤカシを足止めするから劫光君達は中に突入して箱を取って戻って!」 「了解だ」 「よし! 行こう!」 牢の鍵をがちゃりと開けると、寮生達が中へと飛び込んでいく。 中で敵を足止めする者、先に進んで箱を取ろうとする者、逃がさないように外で扉を守る者…。 さっそく襲い掛かって来た狼に喪越が瘴欠片を打ち込んだ。 一瞬動きを止めた隙をついて、寮生達が中に突入する。大龍符で威嚇する静乃。 剣狼達の攻撃は並の怒りが込められたモノではないが、寮生達も呪縛符に蠱毒、ありとあらゆる術で敵の動きを封じようと向かい合った。 先に踏み込んだ捜索、回収の劫光達は 「結構、重いな…。朔、手伝ってくれ」 「解りました」 なんとか箱をふたりがかりで持ち上げ、急ぎ戻ってくる。 だが、そこで、彼らは信じられないものを見た。 「お、折々! な、何やってる! 譲治!」 箱を投げ出すように仲間に任せると劫光は眼前の剣狼を蹴り飛ばし折々を引っ張った。 「わっ! 誰か! すみません!!」 「おう! 任せろ!」 仲間達も状況に気付いているので文句は言わない。 タイミングを合わせて譲治がさらに襲いかかろうとする剣狼を体当たりで押し倒すとアヤカシと折々の間に結界術符『黒』を発動させる。 モノリスの影に隠れて 「馬鹿!!」 譲治は折々の服を捲り上げる。そこにはくっきりと剣狼の牙の跡。 折々は己の手を剣狼に噛み付かせていたのだ。 「何やってるんだ! 本当に!」 「劫光さん! 早くこちらへ…」 静音の呼び声に頷いて劫光は折々を抱き上げるに近い形で部屋から連れ出した。 全員と朋友と箱も廊下に出たのを確かめて、青嵐が鍵を閉める。 『鍵を預かってというから、何かと思えば…、一体なんであんなことをしたんですか?』 「すぐ手を見せて下さい!! 早く!」 「あ、治癒符は使わなくていいかも…普通の手当てにしておいてくれる?」 治癒符と薬草で治療を始める静乃に手を差し出したまま、ほぼ全員の怒りに近い感情をぶつけられながら、折々はあははと頭を掻いた。 「全部あげちゃうわけにはいかないけど、飢えたアヤカシがどれくらいの血肉で満足するのかなって、調べたくて。どうやら、殆ど意味なかったくらいみたいだね。思ったより痛かったよ。噛み切られなくて良かった。ハハハハ」 「笑い事じゃありません!」 珍しく声を荒げる紫乃。アッピンも目が怒っている。 「心配かけて、ごめん」 素直に頭を下げたうえで、折々はでも、と言葉を続けた。 「今回、課題の内容を決めた段階で、この痛みだけは避けちゃいけないんだ、ってずっと思ってたんだ。空腹で、死にそうな状況が延々と終わることなく続く残酷さ。それを自分達はアヤカシとは言え生き物に強いている。…感傷じゃなくて、同情なんかでもなくて、ただ決意の証」 包帯を巻かれた右腕を抱きしめるように。 「お気持ちは解らなくもありませんが、でも、どうかもう止めて下さい…。皆、本当に、心配するんですから…」 涙ぐむ紫乃を慰めながら真名も譲治も、静乃も、皆が頷いて折々を見た。 「目の前で、何かを失うのはもう御免だ。頼むから、もうしてくれるなよ」 静かに諌める劫光の言葉に、皆の心配に折々は 「解った…。本当にごめん」 心からの思いで頭を下げたのだった。 ●前に進む為に 無事、三つの箱をアヤカシ牢の中から見つけ出すことに成功した寮生達は、それを寮長の元へと運んで行った。 「これで、全部でしょうか? まだ残っていますか?」 静音の問いに寮長は首を横に振る。 「いえ、三つだけです。よく全部見つけられましたね。合格です」 品物を確認して後、寮長はそう彼らを労ってくれた。 「気付いた通り、今回の観点はどうやったら戦わずに目的を成し遂げられるか、戦って倒す以外の方策があるかなどを考えることにあります。牢の中には観察や投入用の通路がいくつかあるのですよ。全て見つけられたかどうかは聞きませんが…」 既に作った地図は頭に入れた上で廃棄した。外に出すわけにはいかない情報であるからだ。 「でもまさか、一つが入口のすぐ横にあるとは思わなかったなりよ」 三つの箱は途中の天井と最奥の部屋。そして事もあろうに入った扉のすぐ横に置かれていた。 もし、必死に探し回って疲れ切った帰り間際に見つけたりしていたら、やられたと思った事だろう。 先に見つけられたからこそ、笑い話にできるのだが。 ちょっと頬を膨らませる譲治に小さく笑って寮長は答えた。 「進級を間近にした今だからこそ、足元を見て、着実に、確実に進むことも大事だと言う事ですよ」 前を見て一直線に進むことももちろん大事だ。 けれど、時に基本に立ち返り、足元を見て、後ろを振り返る。 自分達の学んできたこと、築きあげてきたものがそこに在ると解る時、支えてくれる人がいると知る時、人はさらなる高みに足を踏み入れられるのだろう。 言いたいことはよく解る。 「はい。ありがとうございました」 腕の包帯に力を込めつつ、代表で頭を下げたのは折々であったけれども、それはそこに立つ寮生全員の思いでもある。 それを受け止め微笑すると寮長は 「来月からは進級試験です。準備と勉強は怠らないように」 先生、として注意を与え退室を促した。 うへえと言う声や笑い声の聞こえる中、 「寮長…、お願いがあるんです」 真名は一人残って寮長へ頭を下げた。 時に、人は大切なものの苦しみを前に無力感を噛みしめることがある。 「凛…」 真名は静かに目の前に横たわる人形の名前を呼んだ。 今は単に機能停止しているだけで人の眠りと同じであると言う事は解っていた。 返事が返らない事も理解している。 でも耳の中には 『真名様? 何かご用ですか?』 そんな柔らかく静かなアルトの声が聞こえてくるようで真名の頬から意識せず小さな雫が零れた。 「待っててね。凛。…起こしてあげるから。絶対」 頬を撫で、さらりと手櫛を通した真名は髪を指から落とすとそう告げた。 自らに誓うように。 進級試験や、これから起きるであろう試練を前にどうしても約束しておきたかったのだ。 小さくお辞儀をして扉を開けて外に出る。 そこには… 「みんな…」 仲間達が待っていた。きっと同じ思いを持って…。 こうして彼らは仲間達と、また新たな一歩を踏み出したのである。 |