【弧栖符礼屋】想う心
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/02/28 22:57



■オープニング本文

 いつも思っていた。
 時が流れる早さはきっと同じではないのだと。
 彼と一緒にいられる時は時間が過ぎるのが信じられないほど早くて、そうでないときは驚くほど遅い。
 待つ時間が長ければ長いほど、一緒に過ごす時間が幸せであるからそれはそれでいいのだが…。
「でも、二年は長いよ〜」
 布団の上で、少女美波は枕を抱えて顔を伏せていた。
 少し前、久しぶりに五行から幼馴染がやってきた。
 冬蓮という名の彼は去年の冬から美波にとっては恋人という立ち位置であったと思っている。
 その彼が大事な話がある、というから会いに行ってきた。
 ほんの少しの期待を持って向かった先で、彼はこう告げたのだった。
「春からジルベリアに服飾を学びに行こうと思っているんだ。一年、ひょっとしたら二年、こっちには戻れなくなる。僕と、一緒にジルベリアに行かないか?」
 それは彼にとっての告白であり、本来なら彼女も待っていたものではある。
 でも…
「彼と一緒に行ったら、父さんと母さんが大事にしてきたこの店、潰れちゃう…」
 兄が頼りにならない、というわけではあるのだが、それ以上に美波はこの店が好きだったのだ。
 貸衣装の店、弧栖符礼屋。
 たくさんの人が衣装を借りに来て、楽しそうに笑うこの仕事が。
 仕事を捨てて彼と一緒に行くか。
 それとも彼と離ればなれになるか…。
「どうしたら…いいんだろう」
 いくら悩んでも考えても、答えが出ない事は解っている。
 こういう時は気分を変えて何かをした方がいいのも。
「あ、そういえばもうすぐバレンタインだっけ」
 壁に張った暦を見て思い出す。
 たしかジルベリアでは2月の中ごろにバレンタインデーって言って、日ごろお世話になっている人や、好きな人にプレゼントを贈る習慣があると聞いた。それを教えてくれたのも、彼だ。
「チョコレートを好きな人に贈ると、幸せになれる…だっけ」
 去年は皆でバレンタインにチョコレートパーティをした。
 皆で手作りチョコレートを作ってお茶会をして…その時の講師も…。
「あ〜! もう!! 何を考えても彼の事になっちゃう! もう皆で大騒ぎでもしないと頭が切り替わらないわ!」
 布団から飛び起きると、彼女は紙と色紙と筆と絵の具。
 たくさんの色を使って、思いっきり賑やかなチラシを掻き上げたのだった。

【バレンタインパーティ開催!
 お茶とお菓子とお料理で楽しいひと時を!

 バレンタインデーは大切な人に思いを込めたチョコレートを贈って、その気持ちを伝える日です。
 大事な人を招待して、美味しいお菓子をプレゼントしませんか?

 参加費 一人1000文、
 チョコレートのお土産、お菓子教室の受講料、パーティのお茶、貸衣装込。
 近くの食堂の厨房を借りてチョコレートのお菓子を作った後、それを皆で食べるパーティをします。
 パーティでご希望の方にはドレスや仮装用衣装も貸し出しします

 大好きな人と素敵な一時をどうか過ごしに来て下さい】


 ギルドに張り出されたそのチラシを見たある少年は何かを思うように頷くと、踵を返して走り出したのだった。


■参加者一覧
/ 礼野 真夢紀(ia1144) / 尾花 紫乃(ia9951) / シャルル・エヴァンス(ib0102) / 尾花 朔(ib1268) / 黒霧 刻斗(ib4335) / アルセリオン(ib6163) / 未姫(ib6460) / 月雪 霞(ib8255) / ポセイドン(ib8965) / 白面(ib8967) / 夜刀(ib8971) / きのこ(ib8975


■リプレイ本文

●チョコレート色の思い
 そもそもバレンタインデーというものは、ジルベリアの前時代。
 神や聖人と言う者が人の心の支えであった頃、人々に施しを与え、慕われた聖者バレンタインを記念して、彼の亡くなった日に隣人に感謝を込めた贈り物をする、という習慣である。
 バレンタインと言う人物が、許されない恋をする恋人達の為に結婚式を執り行い、祝福を与えたと言う故事から恋人達の日と呼ぶ者もいるらしい。
「雪が降る中、チョコレートっていうお菓子を好きな人に贈ると、バレンタインという赤い服を着たおじさんが、互いの間に結ばれている赤い糸を結んでくれて両想いになれる。それを去年教えてくれたのは美波ちゃんだった筈なのに…ね」
 薄紅色や淡い、水色。美しく飾られた食堂に、整えられた台所。
 イベントの準備は万端だと言うのに
「はああっ…」
 それに似合わぬため息を今日の主催者貸し衣装屋、弧栖符礼屋の美波は零す。
 準備を手伝いながらシャルル・エヴァンス(ib0102)は浮かない様子の友に小さく肩を竦めていた。

 今回のイベントもなかなか盛況ではあった。
「受付は、ここか。ああ、参加費は俺が二人分払わせて貰うから」
 やってきた客を笑顔で美波は迎え、受け付けた。
「はい、解りました。こちらにお名前をお願いします。はい、黒霧 刻斗(ib4335)様。未姫(ib6460)様ですね」
「そうじゃ。すまぬの。刻斗。感謝するぞ」
 頷く刻斗に美姫は満面の笑みで笑いかける。
 刻斗は微かに赤くなった顔を未姫から隠す様にちょっと背けた。
「たまにはこう言うのもありだよな、うん。少し気恥ずかしい気もするが…」
「いやいや、楽しみじゃのお。刻斗」
 軽く刻斗に頭を寄せて後、未姫は美波の方を見た。
「さて、こちらでは変わった衣装を借りられると聞く。お菓子教室とやらが始まる前に服を借りることは可能かの?」
「はい。大丈夫ですよ。どんな服がお好みですか?」
「料理前に仮装? 何を着るつもりなんだ?」
 怪訝そうな顔を浮かべる刻斗であるが、未姫は悪戯っぽい笑顔を浮かべただけで教えることはしなかった。
「今はまだ、ないしょじゃ。では、これこれ、こういう服を頼む」
「はい、解りました。こちらへどうぞ」
「ちょっと、待っておれよ。刻斗…。…ん? アル? アルではないか!」
 別室に案内されようとして
「やあ、未姫」
 美姫は友人アルセリオン(ib6163)の顔を見つけて足を止めた。
「…む? アル、そやつは誰なのじゃ?」
 見ればアルセリオンの背後に静かに控える人物がいる。
 顔を隠してはいるが、美しい女性であることは見て取れた。
「月雪 霞(ib8255)と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「その…互いに共に有る風となろうと、誓った相手だ…」
 明らかに照れた様子であるアルセリオンをじっと見つめ
「そうか!」
 未姫は明るく笑い返す。
「ならば、今日は二組じゃな。霞、と申したか。よろしくな!」
「こちらこそ」
 こんな幸せな恋人同士が、次々と集まってくる。
 そんな彼らの為に忙しく働く主催者は、決していつもと大きく変わった様子はないのだが
「シャルルさん。美波さんはどうしたんですか?」
 やってきた礼野 真夢紀(ia1144)や泉宮 紫乃(ia9951)、尾花朔(ib1268)ら美波を知る者達は感じていたようだった。
「なんだか、悩みがあるみたいね…」
 美波の胸に宿るいつもとは違う、何かを。

●甘い香りと切ない思い
 暫くして、お菓子教室が始まった。
 教室、と言っても今回は講師がいるわけでは無いので、お互いがお互いに教え合ったりしながら、チョコレート菓子を作って行くだけの事だ。
「でも、それが楽しいのですよね…」
 そう言いながら紫乃は
「ああ、未姫さん。チョコレートを直接火にかけてはいけません。チョコレートが分離してぱさぱさになってしまいますから」
 懸命にチョコレートをかき混ぜる未姫の手をとった。
「おお! そうなのか? 妾は料理をしたことが全くない故、手順が解らぬ。教えて欲しいのじゃ」
「はい。一緒に頑張りましょう」
 白いエプロンドレスにチョコレートの染みをいくつも作りながら、でも懸命に料理に取り組む未姫に紫乃はそう言って微笑んだ。
「可愛らしい方ですね。あれほど一生懸命にチョコレートを作って貰える方は幸せでしょうね?」
 くす、と笑って片目を閉じた朔の言葉の先が明らかに自分を指している事を刻斗は勿論気づいている。
「ああ、そうだろうな」
 だから顔を背けても、自分の頬が赤くなっているだろうと解っているし、そんな自分の気持ちに彼らが笑んでいることも解っていた。
 もちろん、それが暖かいものであることも。
「刻斗さんも一緒にチョコレートを作りませんか?」
 真夢紀も作業の手を止めて、声をかける。
 どこか手持ち無沙汰な様子が気になったのかもしれない。
「いや、細かい作業はどうも苦手でな」
「チョコレート菓子というものはそう難しくないですから、初めてでも手順を守れば失敗は少ないですよ。ほら」
 手を横に振る刻斗に朔は少し離れた卓を指差す。
 そこでは、恋人と二人
「大丈夫です。丁寧に教えますので分からなくなりましたらいつでもおっしゃって下さいね、アル」
「ああ。霞。よろしく頼むよ」
 チョコレート菓子作りに挑むアルセリオンと霞がいる。
 刻んだチョコレートを牛乳から作ったクリームに混ぜると少し柔らかく固まる。
「これを、小さく一口の大きさに丸めたものが、トリュフです。中に少しお酒などを入れても美味しいですよ」
「トリュフ…ああ、そう言うキノコがあると聞いたことがある」
「ええ、そのキノコに多分、形が似ているから名前がついたのでしょう…。アル、手際がよろしいですね」
「霞の手際には叶わないが…」
 口をはさむ隙もないラブラブクッキングだ。
「二人でこうして何か作るのも楽しいものだな」
 微笑みながら料理をする二人を見ながら刻斗はぽりぽりと頭を掻いた。
「…なら、俺も何か邪魔にならないように手伝わせて貰うかな」
「刻斗! 新しくチョコレートを刻みたいのじゃ。ちょっと足りなくなってしまっての!」
 丁度、未姫が彼を呼んでいる。
「ほら、呼んでいますよ。頑張って来て下さい!」
 朔はポンと彼の大きな背中を押して、未姫の方に押しやった。
「あ、ああ。これを刻めばいいのか?」
「そうなのじゃ。細かく刻むほど良く溶けるだと聞いた。後は、チョコレートを溶かす時、湯が中に入らないように押さえていて欲しいのじゃ」
「解った。できることがあれば言ってくれ」
 刻斗が未姫の手伝いに入ったのと入れ違いに、紫乃がこちらに戻ってくる。
「お疲れ様です。紫乃さん」
 朔は笑顔で彼女を出迎えた。
「いえ。とっても一生懸命でやる気がおありですから。少しコツを掴めばきっと美味しいチョコレートを作れます」
 未姫を振り返りながら優しく微笑む紫乃に、そうですね。と朔も柔らかく微笑んだ。
「そういえば、紫乃さんはさっき、何を作っていらしたんですか? チョコレートではないようでしたけど」
「えっ?!」
「あ、それですか? 甘いにおいがしますね」
 紫乃が目を瞬かせる。と同時、台の上のそれに桶を被せた。
 普段、のんびりしていることが多い、紫乃にしては素早い動き。
 明らかな動揺も顔に出ていた。
「?」
 朔が疑問符を顔に浮かばせかけた時
「あの、朔さん。そのお料理の腕を見込んで、ちょっとお知恵をお借りできませんか? 質問を受けたんですけど、私じゃ答えられなくて…」
 ふと、そんな声が彼を呼んだので、
「なんでしょう?」
 ととっさに振り返って、呼ばれた方に向かっていった。
「よ、よかった」
「何が良かったの?」
 息を吐き出す紫乃にシャルルが問いかける。
 それに答えたのはさっき、声をかけた本人。美波である。
「美波さん。さっきはありがとうございました。まだ、完成していなかったので…その、見せたくなかったんです」
 小さく俯いて、紫乃は被せた桶をそっと上に持ち上げた。
「わあっ! 可愛い。チョコレートケーキですか?」
 そこには小ぶりで可愛らしいチョコレートケーキがちょこんと、乗っていた。
 チョコレートクリームが丁寧に塗られたその上には、薄くハート形に切られたイチゴなどが美しく飾られている。
 美波の賛辞は決して世辞ではないのだが…
「ありがとうございます。でも…頑張ったのですけど、どうしても思っていた通りにはできなくて…」
 紫乃はしょんぼりと首を下げ、項垂れてしまった。
「飾りもちょっと歪んでしまっているし、イチゴの水分で、表面がちょっと汚くなってしまって…」
 そう呟いて、向こう側で、チョコレートつくりを真夢紀に教えている朔の方へと顔を向ける。
「チョコを使って、甘くないお菓子って、作り方ご存じありませんかね?」
「甘くないお菓子、ですか? チョコレートは意外にいろいろな料理に合うらしいので白焼ききした焼き鳥に付けてみたり、鴨のローストにミカンとチョコレートのソースをかけたりしてもいいかもしれません。あくまでお菓子で、と言うのであれば甘さの少ないチョコレートを塩味のプレッツェルをかけてみるとか」
「お姉様のお友達で、甘い物苦手な方がおられるんですよね。
 その人も、恋人からのチョコは受け取るんですけど…日頃の感謝で贈り物をしたいけど…今まではおかきとかおせんべいにしてたんですけど、何か良いものないかなあ、ってずっと気にかかってるんです。そのプレッツェルにチョコはいいかもしれません。教えて頂けますか?」
「いいですよ」
 仲間に教えながら、手元は止まることなく動いている。
 その手際はプロの料理人顔負けだ。知らず、顔が俯く様に下がって行く。
「朔さんは、本当にお料理が上手なのです。だから、このようなケーキは渡さず、持ち帰った方がいいのではないかと思うのですが…」
「…解ります。そのお気持ち…」
「えっ?」
 囁くような、蚊の泣くような、小さな声で発せられた美波の呟きを紫乃は聞き取った。
 顔を上げて改めて見つめた目の前の少女の顔に紫乃は驚いた。
 自分のように、いや、自分よりもっと泣きそうな顔を彼女はしている。
「私の好きな人は、私より料理だけでなく、家事も裁縫もずっと、上手なんです。一緒にいるとちょっと劣等感、感じちゃいます。でも…」
「でも、それでも一緒にいられたらそれで、良かったのに…」
「美波さん?」
 ハッと、自分の状況に気付いて美波は慌てて目元を擦っていた。
(今、目元に光っていたのは、…まさか、涙?)
「い、いけない!! 早くお土産用のトリュフチョコ作らないと…、お茶の時間になっちゃいますね。ごめんなさい。変なお話をして…」
 お辞儀をして、その場を離れようとした少女を
「美波さん!」
 紫乃は思わず呼び止めた。
 自分と同じ気持ちを知る少女を、このまま行かせてはいけないと思ったからだ。
「はい。なんでしょう?」
「悩み事があるなら誰かに相談してみてはどうでしょう。話すだけでも意外に気持ちが軽くなるものですよ。心配している方もいるようですし」
「ありがとうございます。紫乃さんは、大丈夫ですか?」
 自分の事よりも紫乃の方を心配する美波に
「ええ、お話を聞いて頂けて楽になりました」
 紫乃は精一杯明るく笑いかけた。
「このケーキはやっぱりお渡ししようと思います。勇気を出して。だから、貴女も…」
 勇気を出して…。
 最後の思いを言葉に出しはしなかったけれど、美波は返事をせずにお辞儀をして去って行ってしまったけれど、紫乃は信じることにした。
「何を見て笑っているのですか?」
「何でもありません」
 戻ってきた朔に紫乃は悪戯っぽく笑って見せる。
 もうすぐ、お茶の時間。
 紫乃の視線の先では、お茶とお土産用のトリュフを作る美波とそれを手伝うシャルルの姿があった。

●幸せのティータイム
 最近、天儀ではコーヒーと言う飲み物も出回るようになってきている。
 しかし
「チョコレートにはお茶の方が合うと思うので…」
 今日は紅茶ですと、美波は言ってポットを暖めていた。
 メイド風の給仕ドレスでお客達を席へと案内する。
「うむ、チョコレート菓子には紅茶が確かに良く合うだろう。たのしみじゃな」
「未姫」
 嬉しそうに席に向かう未姫を呼び止めた刻斗は、指でその薔薇色の頬を軽く擦る。
 スーツ姿の刻斗は茶色いものがついた指を軽く舐めると片目を閉じて見せた。
「チョコレートがついている。せっかくの白いドレスだからな」
「すまぬの。刻斗」
 未姫はそう言うと蕩けるような目で隣を歩く刻斗を見上げていた。
 胸に、赤いリボンのかかった箱を抱きしめて。
 その後ろをアルセリオンが歩いていく。
 エスコートするのは蒼いドレスの霞。
 紺の礼服が、まるで空の蒼か、海の青にも似た霞のドレスを引き立てている。
「お姫様、お手をどうぞ?」
 騎士の正装を完璧に着こなして差し伸べる朔の手に、薄紅色のドレスを身に纏った紫乃はおずおずと躊躇いがちに自分の手を重ねたのだった。
「そんなに緊張しないで下さい」
「む、無理です。こんなに心臓がドキドキしているんですもの。…わあっ!」
 ドレスの裾を踏み、転びそうになった紫乃を朔は、しっかりと抱き留める。
「なら、ドキドキしていてもいいです。今は、私だけを見ていて下さい。私は貴方の傍にちゃんといますから…」
「…はい」
 やがて二人は、お互いを見つめ合って、しっかりと手を取り合って、一緒に歩いていく。
「ここから先は、変に声をかけるのも野暮ですよね」
「そうね。それぞれのカップルにお任せしておいた方がいいかも」
 そう笑みを交わして、美波とシャルル、そして真夢紀は少し、離れた所に自分達のチョコレートとお茶のカップを並べたのだった。
 恋人達のティータイムを邪魔しないように。
「いつもお手伝い下さってありがとうございます」
 美波はシャルルと、そして真夢紀に頭を下げた。
「いえいえ、今回は人間観察と、チョコレシピの追加に来ただけですから…。お菓子じゃなくて普通の料理にチョコレートを使うという発想は新鮮でした。今度実験してみるつもりです」
 手を振りながらそう言うと真夢紀は自分が作ったチョコレートかけプレッツェルに手を伸ばした。
 甘さ控えめの生地に、甘味の少ないチョコレートを絡めたものだ。
「う〜ん、まだ少し甘い様な気もしますが、これくらいなら食べて貰えるでしょうか…? あ、皆さんも良ければどうぞ」
 真夢紀が皿を二人の方に押しやると、交差するように別の皿が返ってくる。
「じゃあ、こちらも。手作りのチョコトリュフです。お土産分もありますが、こちらはシャルルさんが作ってくれたお茶用ですから、私のより美味しいと思いますよ」
「あら、そんなことないわ。最近美波ちゃん。最近、とっても料理が上手だもの。すっごく努力しているの、解るわ」
「ありがとうございます。でも、まだまだで…」
 そう言うと美波は俯いてしまう。彼女の心を落ち込ませているのが、チョコレートの出来栄えではない事はもうシャルルにも解っていた。
「一緒に来てくれないかと、言ってくれたけど、私が知らない土地で彼の役にはきっとたてなくて…」
 料理中に聞き出した、美波の恋人のジルベリア留学の話であるのだろう。
「それに、私は、この店や、この店で出会える人達が大好きで、仕事も続けたくて…」
 恋人と店、大事なもの二つに挟まれて美波は自分の気持ちを決めかね、また伝えられずにいたのだ。
「美波ちゃんは、自分の気持ち、伝えたの?」
「いえ。というより、まだ自分の気持ちが解らないんです。彼と一緒に行きたい。けど、ここにも留まりたい。私は一体どうしたら…」
「美波ちゃん」
 シャルルはくすっと小さく笑うと真っ直ぐに美波の目を見つめた。
「あのね、気持ちって言葉にしないと伝わらないものよ。今考えている事、ぜーんぶ冬蓮君に話していらっしゃい。
 二人のこれからのことでしょう? 一人で考えてどうするの。
 一緒に考えて、とことん話し合って後悔しない答えを出していらっしゃい。それ以外に道なんてないのよ」
「シャルルさん…」
 優しく笑うシャルルに美波が何かを言おうとした時
「美波ちゃん、口開けて!」
「えっ?」
 突然シャルルは何か手に取ると美波の口に投げ入れた。
「! 甘酸っぱい! これは、イチゴですか?」
 さっきまで一緒に作っていたトリュフの中に一体いつの間にこんなものを入れていたのだろう?
 少し疑問に思いながらも美波はそれを強く噛みしめた。甘酸っぱい果汁が口の中に広がって、彼女を覚醒させる。
「そ。少しは気分、スッキリした?」
「はい!」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
 どこへとも何も言わないが、自分を変わらぬ眼差しで見るシャルルに
「解りました! 後はお願いします」
「いってらっしゃい」
 そう頭を下げて美波は外に駆け出して行った。
「あ、もっと可愛いドレス着せて出してあげれば良かったわね。いっそ花嫁衣裳とか。でも、まあそれは後のお楽しみにしましょうか?」
 手を振りながら肩を竦めてシャルルが笑う。
 もう、少女の姿はどこにも見えないのだから。


●チョコレート味の恋
 部屋にいつしか、チョコレートの甘い香りがいっぱいに漂っている。
 その中で刻斗は差し出された箱から一つ、チョコレートを取り出して口の中へ自分の口の中へと放り込んだ。
「刻斗、味はどうかの…?」
 心配そうに自分を見る恋人に、答える返事は一つだろう。
「あぁ、すごく旨いぞ。有り難うな」
「それは良かった!」
 ホッと胸をなでおろした未姫は花のような笑顔を咲かせる。
「思ったより、手順が難しくて、何度か失敗してしまったのじゃ。生まれて初めての菓子作りはやはり、思ったようにはいかないものじゃの…」
 小さく自分に言い聞かせるように未姫は呟く。
 確かに最初、チョコを直火にかけてしまい焦がしたり、水が入ってしまったりと大変であったようだ。その度、チョコレートを刻み直しながら、刻斗はそれでもめげずに未姫が頑張っていたことを知っている。
「刻斗のためにも、たとえ幾度と失敗しようともちゃんとした物をあげたかったのじゃ!」
 手を握りしめる未姫が、その思いが愛しくて、刻斗は強く彼女を抱きしめた。
 小さな体からふんわりとチョコレートの香りがする。目を閉じて
「ありがとう…」
 刻斗は未姫の耳元にそう囁いた。
「楽しかったな」
「ああ。そうじゃな」
 刻斗の腕の中に身を任せて、未姫も目を閉じる。
 甘いチョコレートと紅茶の香りが二人を優しく包んでいた。
 
「さあ、二人でチョコレートを食べましょうか?」
 朔はテーブルの上いっぱいに作ったお菓子を並べる。
 チーズを使ったチョコレートチーズケーキに、ガトーショコラ。チョコレートを溶かして果物を浸したものもある。
「うわ〜。どれも美味しそうですね〜。あら?」
 紫乃はテーブルを見回してある一か所に目を止めた。
 テーブルの中央が何故かぽっかりと空いている。
「ここには何も置かないのですか?」
 首を傾げる紫乃にああ、と朔は当たり前であるというように
「そこは、紫乃さんの作って下さったケーキの場所です」
 そう言って笑いかけた。
「えっ! でも…」
「勇気を出して、下さるんですよね?」
 美波から聞いたのだろうか? 朔は自分がケーキを作ったことを知っているらしい。
「…不格好なので食べなくてもいいですから」
 そう言って隠してあった箱をテーブルに置くと紫乃はそっとリボンを解いた。
「素晴らしいです。さっそく頂いていいですか?」
「でも…」
 紫乃が言うより早く、もう朔はケーキを切り分けている。そして
「紫乃さんが、想いを込めて作って下さったチョコが美味しくないわけ有りません。頂きます」
 一切れを口の中に運んだ。
「今まで食べた中で一番美味しく、幸せなチョコですよ。ありがとうございます」
「わっ!」
 思わず紫乃は後ずさった。朔が紫乃の手を取りそこにそっと口づけたからだ。
 ほんの一瞬の事で、別に跡も残ってはいない。
 けれど、手の甲に残る甘い香りは、紫乃の心にいつまでもいつまでも残り続けたのだった。

 そして、弧栖符礼屋の中庭で
「あら、西門さん」
 シャルルは予想通りの人物の予想通りの行動を見つけていた。
「その方は?」
「ああ。白面(ib8967)とか言っていたか。店で暴れようとしていたので捕えておいた」
 倒され、縛られ転がされている男に、さしたる興味も示さずシャルルは
「西門さん」
 と目の前の人物を見上げ、名を呼んだ。
「なんだ?」
「美波ちゃんと冬蓮さんのこと、どう思っているの?」
 ずっと聞きたかったことであるが、彼が返事をくれるとはシャルルは思っていなかった。
 彼はいつも沈黙する。決して何かを思っていない筈はないのに、それを語ってはくれないのだ。
「判ってると思うけど、あなただけじゃお店が潰れると思って迷ってるのよ。美波ちゃんの迷いの原因は貴方にもあるんだから!」
 それがもどかしくてシャルルは珍しく声を荒げた。
「美波ちゃんにも言ったけど、気持ちは言葉にしないと伝わらないのよ。
 黙ってる以上、あなたの事情も考えも判らない。だから、私は美波ちゃんの味方をするわ。判らないものは考慮しようがないもの」
「それでいい」
「えっ?」
 シャルルはいつの間にか自分の方を見ていた青年の顔を見る。
「奴にはこれからもおそらくいろいろあるだろう。それに寄り添おうとする美波も巻き込まれていくことがあるかもしれない。だから、お前達は美波の味方をしてくれればそれでいい」
「…まったく、素直じゃないお兄ちゃんね」
 小さく笑うとシャルルは彼の手に小さな紙包みを握らせた。
「これは、バレンタインデーのプレゼント。これからもよろしくね」
 それだけ言って手を振って彼女は、会場の片付けへと戻って行った。
(あのチョコレート、どんな顔して食べてくれるのかしらね。唐辛子入りのチョコレート♪)
 くすくすと笑いながら戻った彼女は、会場の外で見かけた二人を見ないふりをして通り過ぎて行ったのだった。

「ああ、美味しかった。霞のチョコレートはとても美味しかったよ。ハッピーバレンタイン、だな。教えて貰いながらだったから、大丈夫だと思うが僕の作ったものの……味はどうだった?」
「とっても美味しかったですわ。始めてとは思えないできだったと思います」
「それは良かった。ホッとしたよ」
 二人は話しながら互いを見つめ、微笑みあった。
 会の終わり間際、二人はそっと会場を出て人気のない所にやってきていた。
 知人もいて、楽しい会ではあったが、二人きりになりたいとどちらからともなしに場を離れたのだった。
「こうして、二人でいられるのが一番幸せかな」
 そう告げるアルセリオンに頷いて
「アル」
 霞は小さく、恋人の名前を呼んだ。
「何?」
 アルセリオンは瞬きする。目の前に差し出された小さな包みとそれを差し出した霞を見て。
 包みはおそらくクッキー。そして側に添えられているのは祈りの紐輪。
 今日作って用意したものではおそらく、ない。
「実は、その…こっそり作っていたのです。…受け取って、いただけますか」
「ああ、ありがとう。凄く、嬉しい…」
 そう言うとアルセリオンは包みごと、荷物ごと彼女を強く抱きしめた。
「これからも一緒に同じ時間を過ごせる事を楽しみだよ。常に傍に在る風となろう」
「ええ。何時までも共に在る事が出来ますように。聖なる甘い日に、感謝と愛を…」
 二人の上にやがて、ちらちらと白い雪が降ってきた。
 二人をまるで祝福するように…。

 優しい思い、熱い心。
 他にも沢山の思いがこの日、生まれ出でる。

 小さな祭りは人々の思いがチョコレートの形を取る日なのだろう。

「いらっしゃい!」
 数日後、弧栖符礼屋を訪れた客をいつもと変わらない看板娘の笑顔が迎えてくれた。
 ただ、彼女の左手、薬指には小さな指輪が光っていたと言う。