君という花
マスター名:
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/10/25 20:16



■オープニング本文

 雨が降っている。
 暑さを和らげてくれる恵みの雨、いつものこの季節なら歓迎して迎えるはずだが、男―― 荘介は困ったように空を見上げた。
 腕の中には様々な種類の草が、そっと抱えられている。山に入り採ってきたもの知り合いに分けてもらったもの、様々だが直接の水気には弱い繊細な草ばかりだ。この所々に穴の開いた使い古しの傘で走っていくのは、あまりにも頼りない。
 彼は町の片隅、山肌の近い場所で細々と薬草を売って生活していた。薬草作りの腕は確かだが人付き合いが苦手なため商売はうまくいかず、生活はいつも困窮している。
 だが、彼はそれなりに充実した日々を送っていた。早くから天涯孤独の身になった彼を助けてくれた薬や植物に関する知識――草に触れていられれば幸せだったのだ。
―― この時までは。
「‥‥?」
 飛び込んだ軒下からぼんやりやまない雨を見ていた荘介は、我に返ったようにハッと居ずまいを正した。
 ふわりと鼻をくすぐる、甘い香り。どこか懐かしい、花の香り。
「あ、」
 隣りを振り返った荘介は、思わず声をもらした。いつの間に立っていたのか、同じように雨宿りをしている女性の姿。
 青い花が描かれた涼しげな浴衣に、端正な白い横顔はどこか楽しげに空を見上げていた。どこかから走って来たのだろう、結いあげた髪から伝う雨の雫がきれいで、ぼんやり見惚れる。
 甘い香りは、この女性から香っているようだった。懐かしい、だけど胸が締め付けられるような―― まだ両親がいる頃に家の傍に咲いていた花と同じもの。
「あの‥‥」
 気づけば。勝手に手が、ボロボロの傘を差し出していた。
「え、」
「よかったら使ってください!」
 半ば押しつけるようにして傘を渡し、荘介は雨の中へと駆けだした。



 それから数日後、再び偶然出会った女性は、切れた鼻緒の草履を手に賑わう町の片隅に座り込んでいた。
 ひっそりと喧騒に隠れるように、けれど自然と荘介の視界にはまっすぐに映り込んで。普段なら掛けるはずもない言葉は、状況が状況だったため気負うことなく滑り出た。
「大丈夫ですか?」
 しゃがみこんで声をかけると、驚いたように目の前の頭が上げられる。前に会った時とは違う、ほんのりと朱がのった端正な顔。そういえば服装もよそゆきの華やかな着物を身に着けていた。
 それでもあの花の香りだけは変わらず、ふわりと女性を包むように漂っている。
 口下手な自分を久しぶりに呪いながら、できるだけ怪しげに見えないように草履を取り鼻緒を直していく。
 頭の上の辺りにじっと向けられている視線―― 緊張しながらもどうにか直った草履を、そっと履きやすいように地面へと戻した。
 ありがとう、と。初めて聞く涼しげな声。いえ、と短く返して背を向ける。
(覚えてるわけないよなぁ‥‥)
 会ったのは一度だけで、しかも顔もろくに見せずに傘を押し付けてきただけだ。
 淋しいと思う自分に気づくことなくそのときは仕事に戻っていった荘介だったが、意外と早くその女性のことを知ることになる。
 楽しげに雨を見上げ、困ったように座り込んでいた彼女は―― 遊郭お抱えの芸者だった。
 新しくできた遊郭のお披露目に、芸者たちが表に出て一斉に芸を披露する。荘介自身も、そのとき初めて彼女のことをしっかりと見た。
 美しい衣装に身を包み、透明な薄い布を自在に翻し踊る‥‥お伽噺でしか聞いたことがない天女は、きっと彼女のようなことを言うんだろう。そんな惚けた思考だけが、彼を包んでいた。
 名は雨月―― 彼女は、あっという間に名が広がるほどの舞い手だった。
 だが、割れんばかりの拍手を周りの客と一緒にしていた荘介は、目を凝らす。
(あれ‥‥?)
 店の中に下がる直前、かくんと微かに彼女の体が傾いた気がしたのだ。薬草を作っている分、怪我や病気のことに詳しくなくてはいけない。そんな意識に引っかかる、動きだった。
(足‥‥もしかして、鼻緒が切れたときに怪我を?)
 何日か続いたお披露目の中、注意して見ていると1度や2度のことではなく。段差でつまづいたり、交差するときに別の芸者とぶつかりそうになっていたり―― 些細な動きは、けれど荘介にしてみれば重大な出来事だった。
 あのとき足の怪我に気づいていれば。
 擦り傷か捻挫かわからない‥‥それならば両方に効く薬が良いだろう。
 北の山に世捨草という草がある。獣が多いためなかなか入れず途中までしか登ったことはないが、山頂付近にいけばあの珍しい草が手に入るかもしれない。そしたら手持ちの薬草と調合して、擦り傷にも捻挫にも効く薬が作れる。
「‥‥」
 行こう。薬草の知識が、少しでもあの人の助けになるなら――。
 少ないお金をかき集め、荘介が開拓ギルドの扉を叩いたのは、それからすぐの事だった。



■参加者一覧
檄征 令琳(ia0043
23歳・男・陰
水鏡 絵梨乃(ia0191
20歳・女・泰
西光寺 百合(ib2997
27歳・女・魔
マーリカ・メリ(ib3099
23歳・女・魔
シータル・ラートリー(ib4533
13歳・女・サ
遠野 凪沙(ib5179
20歳・男・サ
熾弦(ib7860
17歳・女・巫
御凪 縁(ib7863
27歳・男・巫


■リプレイ本文

「今回は、宜しくお願いしますわね♪」
 シータル・ラートリー(ib4533)が、前へ進み出るとにっこり微笑み挨拶をする。
 緊張で倒れそうになっていた荘介は、ここで引くわけにはいかないと開拓者たちに向かって勢いよく頭を下げた。
「あの、視界が悪いようなので、このような配置はどうかしら?」
 後衛の人を中央に、前衛で三角に囲う。広がる山を見上げ、シータルが提案した。
「いいんじゃないか。これならどこから攻撃されても対応しやすそうだ」
「そうですね。できれば戦いたくないですが‥‥」
 水鏡 絵梨乃(ia0191)と遠野 凪沙(ib5179)は頷き合うと、守るような形でそれぞれ前へ移動する。朗らかにシータルはお礼を伝え、殿へと下がり―― 一同は出発した。


 ちりん、ちりん。マーリカ・メリ(ib3099)が借りてきた、獣除けの鈴の音が響く。
(気が弱くとも、心優しい青年の恋物語、か。お伽噺としてはよくある形だけれど、流石に放っておいては物語のようにはいかないでしょうね)
 柄ではないけれど、後押しさせてもらいましょうか―― 慣れた環境のせいか、少しだけほっとしたように強張った表情を緩めている荘介を眺め、熾弦(ib7860)は心中で頷いた。
 逆に全く緊張に気づかないマーリカは、うっとりと目を閉じている。
「どこかで誰かがひっそりと想ってくれるなんて素敵‥‥」
「っと、危ねぇよ」
 当然な流れか伸び放題の草に足を取られたマーリカの腕を、伸びてきた手がぐいっと引っ張り起こした。
 慌てて顔を上げた先に、人懐こい笑みを浮かべた御凪 縁(ib7863
「わっ、ごめんなさい!」
「おう。楽しそうで何よりだが、とりあえず目は開けといたほうがいいぜ?」
「そ、そうですね。気をつけます‥‥うん」
 照れくさそうに笑い返して、何となくその流れで行く手を阻んでいる草を刈る。もちろん他の薬草を傷つけないように、気を遣って。
「世捨草の効能や他の薬草との相性、教えてもらえないかしら」
 天儀の薬草には詳しくないのと、西光寺 百合(ib2997)の言葉に、もちろんですと荘介が頷いた。
「擦り傷や打ち身、外傷になら何でも効きます。煎じて飲めば、風邪にも有効ですね」
 控えめな声音で伝える姿は、どこか嬉しそうだった。こんな風に好きな事を語れる相手は、今までいなかったからだろう。
「それにしても悲しい名前ね?何か由来でもあるのかしら」
 世捨草―― 獣の住まう山の頂上にひっそり生える、万能草。
「僕も詳しくは知らないんです。でも父が教えてくれた物語は覚えてます」
 昔々、人に絶望し俗世を捨て山へと篭った1人の人間。修行をして仙人になったその者は、やがて薬草へと姿を変え眠りについた。
「不思議ですよね、絶望して人を捨てたのに‥‥姿を変えたのは、人を救うための薬草なんです」
 荘介は、小さく苦笑して。
「僕も何も知らずに草のことだけ、考えていられれば」
 それでも、知ってしまったから。惹かれる想いは止められず、あの人のことが頭から離れない。
「分かる‥‥っ」
 ふいに、がしっと手が取られた。何だかふるふる震えている、百合だった。
(そういえば、夫も少し口下手でしたわね♪)
 ごめんなさいっと、ぱっと手を離す百合。つられてあわあわしている荘介に、シータルは笑みをこぼす。
 手助けをしたかったのは、夫に似ているからなのだと気づいて。
(どうやれば背中が押せるかしら)
 そんなことを考えて辺りを見渡した、そのときだった。
 横の茂みが揺れ、ぬっと顔を出す3体の大きな狼。さっと、荘介を庇うように開拓者たちが前へ出る。
「退いて、くれそうかな?」
「抵抗しなければ、みなさんに免じて命までは取りませんよー」
 威圧するように視線を外さず絵梨乃が小さく呟き、檄征 令琳(ia0043)は陰陽槍「瘴鬼」を構えた。獣ごとき殲滅してしまえば良いと、本音が覗く。
 ぴく、と動きを止めていた狼たちだったが、じりじりと体を動かし唸り声を上げ始める。
「難しいみたいですわね」
 絵梨乃に応えるように小さく返し、シータルは発気を放った。狼の動きは素早い、先に仕掛ければ分がある。1匹は怯み足踏みしたが、2匹が勢いよく飛び出してきた。
「ま、そうでしょうね。彼等の縄張りに入っているのは私たちなのですから」
 回復スキルは使わない方が良いのでは無いですか?こっそり軽口を叩き、令琳が待ち受けるように槍を振るう。
 ひらりと軽く身を翻した絵梨乃の転反攻を発動させた蹴りが、狼の横腹に勢いよく吸い込まれていった。憐れな声を上がり、1匹が地面へ転がる。
「少しでも威嚇して追い払います!」
「人間は怖いって教えれば無闇に襲いかかってこなくなるかしらね」
 マーリカが荘介を庇うように武器を構え、百合もまた怯えさせる程度の加減をしてストーンアタックを発動させた。
「あぁ、狩りが目的ではないからなっと」
 たとえ時期柄獣が肥えて美味そうではあろうと―― 心の中で付け足し、縁は狙いを定め空間を歪ませる。フォローするように駆けた凪沙の隼人が、加減を加えた一撃を撃ち込んだ。
「よし、っと。こんなもんで大丈夫かな」
 逃げていく3匹の狼たちに、絵梨乃はほっとしたように息をつく。倒しきることにならなくてよかった。
「今のところは、ね。仲間を呼ばれても困るから、急ぎましょう」
 潜んでいるものはないか注意していた熾弦の言葉に、怪我人がいないか確認されると、再び山頂への道を歩き始めた。


「この辺りで昔、見つけたんです」
 ここまで登ったのは一度きりで‥‥と見渡すのは、広々とした視界の開けた場所だった。だが人の手が入っていないため、至る所に草が生え地面を隠している。
 その姿が草の中へと隠れたり現れたりすること少し―― きりがないんじゃないかと思えた世捨草は、意外にも早く見つかった。
「あった‥‥!」
 嬉しそうに上がる声、草に埋もれるように伸びている手の中には確かに草が握られている。
 大人の手のひらに、すっぽり隠れてしまう大きさ。すっと透った葉の先が、小さく輪のように丸かっている。
「よかった‥‥みなさんのおかげです、ありがとうございました!これを薬にして渡してもらえば‥‥」
 はしゃぐ荘介の肩を、ぽむっと絵梨乃が叩いた。何だか良い笑顔。
「なに言ってるんだ。薬は荘介が、彼女に渡すんだぞ」
「‥‥えっ!?」
「薬草の詳しい処方の仕方はボク達では解りませんし、実は別の怪我という恐れもありますわ」
 シータルも、にっこり笑う。
 当然のように当てにしていた荘介の頭を、がしっと豪快に縁が抱え込んだ。
「何、娘連中が稽古つけてくれるってよ。心配いらねえよ。それに開拓者まで雇って何とかしてやりてぇ相手なんだろ?」
 完全に楽しんでいる顔が、くくっと笑い。それに、と続けた。
「お前、世に珍しい修羅の開拓者に会ったんだぜ?運はお前の味方だって」
「は、はぁ‥‥」
 なぜか自信満々の縁を見上げる、髪に隠れるように少し覗いている角。‥‥元気づけてくれているのは、何となくわかった。
「さ、始めるか。選んでもらってもいいけど、数やった方が少しは緊張もしなくなるだろうし」
「ボクでよろしければ、練習台にしてくださいまし♪」
 そうして―― 相手を変え台詞を変え、噛むは何を言っているのかわからないはの散々な結果は、ツッコミや笑い声に包まれて終了となった。



 枯れないうちに、と山を降り荘介の家へ向かう。
「さて、申し訳ありませんが私は恋の成就までは付き合っていられませんので、この辺で失礼させていただきますよ」
 途中、ひらり手を振り、去っていく令琳。
 マーリカと熾弦もまた、別行動をとり雨月の店へと足を運んでいた。時間帯のせいか、客はおらず遊郭は静かに佇んでいる。
「芸者さんなんですよね。簡単に会ったりできなさそう‥‥でも障害があればあるほど、」
 店を前に気分が高ぶってきたのか、ほわんと妄想へと旅立ちかけるマーリカを、穏やかな声が呼んだ。いつの間にか店の中へ入っていた熾弦が、手招きしている。
「あれっ?」
「雨月君、呼んでくれるみたいよ」
「‥‥あ、そうなんですか。何か簡単に会えそうですね、あはは」
 熾弦は苦笑して、ガックリ肩を落としているマーリカの背をぽんと叩いた。
「雨月はわたしですが‥‥」
 遠慮がちにかけられる声に、はっと2人は顔を上げる。仕事前の飾り気のない姿、化粧も最低限しかされていないのかどこかあどけなさの残る女性が立っていた。
 穏やかで落ち着いた雰囲気だけが、年相応なものを伝えてくる。
「突然ごめんなさい。私達はある人から依頼を受けて、貴方を迎えに来たの」
「え‥‥?」
「傘と鼻緒の人を覚えている?足が悪いようなら、と薬を用意しているんだけど‥‥」
 傘と鼻緒―― その言葉に戸惑いの空気は消えて。気づいた熾弦は窺うように言葉を区切り。
「歩くのが大変なら肩も貸すから、少し出られない?」
 小さく微笑み、雨月は頷いた。
「肩は大丈夫です。手を‥‥引いてもらえますか?弱視なんです」


 夕暮れの陽が部屋に差し込んでいる。
 その日のうちに渡したいとは思えど、散々な練習を思い荘介の手は止まりがちだ。薬作りを手伝っていた百合が、それに気づく。
「‥‥怖く思う気持ちとか、不安だったり、私も同じ気持ち」
 気づくと目で追い、心で想ってしまう、想い人への想い。優しくて人気者で、それが自分だけじゃないとわかっていても、声をかけられるだけで嬉しくて。
「叶わないって諦めてる‥‥荘介さんもそれは同じ?」
 自分自身に苦笑する、消え入りそうな声。
「でもね。私、思うの。たとえ伝わらなくても、相手に別の想う人がいたとしても‥‥それはとても辛いけれど、自分に出来る事をしてあげたいなって」
 諦めている、きっとまた覚えていないだろうと。でも心配で、何かできたらと、そう思ったから‥‥今ここにいる。
「もう一度ありがとうって、好きな人の声、聞きたくない?」
 ありがとう―― 耳の奥によみがえる、涼しげな声。
「そう、ですね」
 覚えていなくてもいい、お礼じゃなくてもいい。またあの声が聞けるのなら。
 百合は表情を緩めると微笑んだ。差し込む陽が淡い笑みを優しく照らす。
 心を決めれば慣れた作業、想いをこめて治りますようにと―― そうして薬は完成した。

 外へ出た荘介を待っていたのは、凪沙だった。そっと握られている小瓶に気づく。
「人の手が入っていない、獣が目撃されているという山の頂上まで、開拓者の手を借りてでも行きたいと思ったのは勇気ある事だと俺は思います」
 穏やかに紡がれる言葉、向けられる青い瞳はまっすぐで真摯だ。
「自信を持つまでには時間が必要かもしれない。でも少しずつ積み重ねていけば、きっと」
「はい‥‥少しずつ、前に進めればと思います」
 前に進みたいという思いも、抱きかたさえ知らなかった。
「荘介さん!」
 マーリカが駆けてくる。来た道を指差し、雨月が待っている事を伝える。
「いきなり告白じゃなくて、薬草売りとしてゆっくりお近づきに‥‥そのゆっくりの過程がまた、」
 途端に緊張する荘介を励まそうとして、勝手にしゃべりだす口を慌てて塞いだ。こほん、と咳払いして。
「愛想よくなくても真面目に自分に向いてくれるってすっごく安心しますよね。この人の言うこと素直に聞けるってとっても幸せです。色々勘ぐったりしなくていいんですもの」
 妄想ではなく本心を、年相応な少し大人びた表情で―― だから、荘介さんのままでいいんです。
 どん、と背中を押されて。自然と笑顔で振り返り、荘介は頭を下げた。

「檄征さん‥‥?」
 別れたはずの令琳がふらりと現れ、思わず驚いた声を上げる。
「自分が幸せになるだけでも大変なのに、他人のことまで面倒みるなんて馬鹿げていると思いませんか?」
 それには答えず、淡々とした雰囲気は、何を思っているのか読み取れない。
「ですが‥‥こういうのも悪くは無いと思います」
 そう言葉を区切り、向けられた表情。荘介は黙って見返した。
「第一、玉砕していただかないと、相手のいない私はあなたより情けないって事になってしまいますからね」
 苦笑して、小瓶を差し出す。みんなが協力してくれたから手に入れられた、もの。
「ここまでされるなんて、僕も思いませんでした。でも、嬉しかったです」
 嬉しかった―― ありきたりな表現しかできない、でもそれが心の底から言葉だった。



 そこは、空き地になっている静かな場所だった。ひっそり佇む女性は遠目からでもわかる、雨月だ。
「‥‥こんな場所まで来てもらって、すいません」
 震える声を自覚しながら、お守りのように握りしめる小瓶。
「足の具合は、どうですか‥‥?」
「大丈夫。少し捻っただけだから、もう普通に動けるのよ」
 ほっとして顔を上げた先、花のような微笑みが見えた。それだけで、何だかもう充分な気がして。
「よかった‥‥でも作ったので、これ。外傷になら何でも効きますから」
「わたし、貴方のこと覚えているわ」
 薬さえ渡せればと―― 小瓶を渡して回れ右をする勢いだった荘介は、その言葉にぽかんと口を開けた。
 重さを感じさせない動きに空気が揺らぎ、気づけば視界いっぱいに彼女の姿。目を閉じ、す― と息を吸い込むような仕草をした。
「陽を浴びた、草の香り」
 悪戯っ子のような笑みが広がり、甘い花の香りが荘介の鼻をくすぐる。
「わたし、ね。弱視で、視力が弱いの」
 生活や踊りには支障がないんだけど‥‥、そう言われて初めて、雨月の瞳を見返した。よく見なければわからないが、確かにぼんやりとした視線。荘介の顔もあまり見えていないのだろう。
「傘の時も鼻緒の時も、同じ人なんじゃないかって思ってた。だって、あたたかい香りがしたもの」
 けれど、雨や人の喧騒は彼女にとっての大切な感覚を惑わせて、教えてもらうまで確信が持てなかったのだと。
 また会えてよかった―― そう微笑む雨月を、深呼吸して荘介はまっすぐ見つめて。
「‥‥ずっと、忘れられませんでした。花の香りの、あなたのことが」
 夕暮れの陽が、空き地に佇む彼らを柔らかく照らしていた。


「―― と、言うことです」
 一方、仲間と合流し、ちゃっかり人魂を使って、やり取りを生中継していた令琳はそう締めくくった。
「香り、ねぇ。感じなかったけどなぁ」
 自分をくんくん嗅ぎながら、絵梨乃が首を傾げる。
「お互いにしかわからない、というものかしら♪」
「この先もうまくいきますよ!私、荘介さんのこと押しておきました」
 ぐっと拳を握りマーリカ、雨月を案内するときに薬草売りとして荘介を紹介していたらしい。
「んじゃま、からかいに行くか」
 ちょっとはマシに見えるだろ、と角や顔の傷を隠す布を被りにやりと縁が笑う。
 飛び出していく仲間たちを見送り、令琳が呟いた。
「悪くない。こういう気持ちも、本当に悪くない」
 その瞳は遠く、彼らをいつまでも見つめていた。