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■オープニング本文 朱藩の片隅の、更に片隅の山間部にある小さな村。世間に知られる事もなかったはずの村が、知る人ぞ知る場所になったのは、ここ何年か前の事だという。 大した楽しみも娯楽もないその村の、唯一の楽しみ。火薬を加工し打ち上げる花火―― ほんの些細な楽しみで競い合ううち、その出来の見事さは少しずつ少しずつ外へ知られるようになっていった。 毎年夏の終わりにひっそり行われているため、時期が時期なのか大勢に知られる事はないまま今に至っているようだが、それでも毎年こっそり楽しみにしている者たちもいるらしい。 ● 夏祭り―― にぎやかな音頭、駆ける足音、色とりどりの光りが踊る…そこに広がるのは幻想的な、夢のような世界だった。 あれは、いつだっただろう?手を握っていてくれたのは、父親だった。暗い空、まったく知らない場所、それでも怖くなかったのは傍にいてくれる人がいたからだろう。 「おはよう、雨月さん」 薄暗い夜明けの中、煌々とあるのは遊郭・春香の灯り。仕事を終え裏戸から出て来た雨月へ、荘介は声をかけた。 「荘介さん。おはよう」 ほんの少し、疲れが滲む笑顔を見つめて、すっと息を吸い込む。 「雨月さん、花火…よかったら見に行きませんか?」 山に登って以来、ほんのり彼らの関係は変わって。雨月はともかく荘介からは、緊張からくる吐き気や挙動不審な動きは見られなくなっていた。 雨月の休みを見計らって「でーと」に誘ってみたりと、それなりに頑張っているらしい。 「花火?素敵ね」 少し時期外れですけど…と頬を掻くと、雨月はふるふる頭を振って微笑んだ。 意外と活発で物珍しいものが好きだったり歩くことが苦ではなかったりと、共に過ごす時間が増えると雨月の新しい面を知って。そんな彼女だからきっと喜んでくれるに違いないと思っていたものの、荘介はほっと息をついた。 「あ、でも夜よね?お店があるから…日にちは決まってるの?」 「あっ、そうですよね…確か5日後の夜って言ってました」 「そう…」 今までのでーとは明るい時間や、雨月の休みに合わせて誘っていた。それが自然な流れだったため、特に日付は気にしていなかったのだ。 途端に曇った表情に気づき、荘介もしょんぼりと肩を落とした、その時だった。 「花火、いいんじゃない?」 暗がりから、飛んできた声。酔っていい気分で出ていく客たちの喧騒に混じって、ころんと軽やかな下駄の音が響いた。 「ここにはお世話になったし、私達も貢献させてもらいます」 「小姐!」 姿を見せた、ふわりと荘介に頭を下げる女性に、雨月が驚いたようにその名を呼んだ。 数ヶ月前、どこからともなく現れてあっという間にこの界隈に根を張った遊郭・春香楼――女たちが慕い絶対的に従う支配人、春蘭。 おっとりとした雰囲気の美しい顔立ちの女性だが、あの手練れの女たちが従うのだ。実力は荘介などにはわからないくらい上のほうにあるのだろう。 「私も噂で聞いていました。花火をとても美しく咲かせる村があると」 す、と雨月が静かに頭を下げる中、荘介はぽかんと口を開けたまま、ぼんやりと朝の光りに浮かぶ美貌を見つめていた。…ようは、意味がわからない。 「もうじき夏も終わります。荘介先生のおっしゃったように少し時期は外れてしまいますが、夏最後のお祭りを開催したいのです」 お祭りの準備や村への対応は、こちらがします―― 先生呼びにもそっと居心地が悪そうに動いた荘介に気づいた風もなく、はんなり微笑んだまま春蘭はさらっとものすごいことを告げた。 「荘介先生もぜひ本業に力をお入れ下さい。人も集まりましょう」 ● 「へぇ、祭りかー」 楽しげに輝いた顔が魚にかぶりつき、途端にうぇっと曇ったのを荘介はぼんやり見ていた。 「すげぇ生っぽいんだけど…あ、イサザ。火遁で焼いてくれよ」 「先生が言ってた。こういうことにつかっちゃだめなんだって」 魚には目もくれず、ご飯を食べていたイサザは神妙な顔で頭を振って見せる。じゃあこれどうすんだよ…と悲しげに魚を見つめる疾風に、イサザは首を傾げた。 「祭りって、なに?」 泰の村から出て来た疾風と偶然の出会いをし、行くあてのない疾風を荘介が引き取ったのはごく自然な流れだった。 出会いも出会いだったせいか年も近い疾風とイサザはあっという間に距離を縮め、毎日道場に通っては外で遊びまわる日々を送っている。 「あー、祭りな。なんだ…うまいもんがいーっぱい食えるとこ、かな」 山育ちのイサザが祭りを知らないなら、田舎村育ちの疾風が詳しい祭りを知るはずもなく……へぇとおもしろそうに輝いた瞳に、はたと、ようやく荘介は我に返った。 「…祭りって言っても、遅い時間だからなぁ」 すっかり行く気満々の子供たちに、苦笑する。 先生にはとてもお世話になっています。その腕をうちが独占するのも勿体ない話ですから―― そう微笑み去って行った春蘭。 実力を認められているのか、単に邪魔をされただけなのか……結局、雨月は祭りに向けての舞をする事になり、荘介はいつも通り草を売る方程式が出来上がってしまっていた。 花火を見るどころか、もしかしたら一緒に過ごすことさえ叶わないかもしれないのだ。 「…まぁ、いいか」 たまに抜け出して、雨月の姿を少しでも見られるのなら。 祭りを盛り上げるためにと、荘介が懇意にしている開拓者たちがいることを何故か知っている春蘭から、依頼料も預かっている。 彼らならイサザと疾風の面倒も見てくれるだろう。 「あんまりはしゃぎ回らないようにな」 嬉しそうに上がる歓声に目を細めて笑うと、荘介は生焼けの魚にかじりついたのだった。 |
■参加者一覧
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫
御凪 縁(ib7863)
27歳・男・巫
一之瀬 戦(ib8291)
27歳・男・サ
音羽屋 烏水(ib9423)
16歳・男・吟
ナシート(ib9534)
13歳・男・砂 |
■リプレイ本文 「夏も終わりますねぇ」 高く広がる空を見上げる長谷部 円秀(ib4529)は吹き抜けていく涼しい風に目を細めた。 「久しぶりだなー!元気にしてたか?」 ばさっと翼を揺らし、声を上げたのはナシート(ib9534)だ。 「げんきだったよ!」 「そっちも元気そーだな」 集まってくれた顔馴染みの開拓者たちを、イサザと疾風は嬉しそうに出迎える。 「うむ、善哉善哉!」 イサザと疾風、その雰囲気に音羽屋 烏水(ib9423)はべべんっと満足そうに三味線を鳴らした。 「時期外れの花火、か。なかなか面白い考えね、人の心を楽しませるのに時期が悪いということもないでしょうし」 盛り上げの役に立てるかもしれない。里で祭事に関わっていた熾弦(ib7860)は頷いた。 「三人とも元気そうで何よりだな」 再会のわしわし撫でくりをイサザたちに施していた御凪 縁(ib7863)が笑う。そして、がしっと荘介の肩を抱え。 「で?どうなってるんだよ、その後」 その後、つまりは雨月との進展を言っているのだろう。物言わぬ、じっと答えを待つ熾弦の視線にも、荘介はうぐと詰まり。 「じ、実は…」 雨月を花火に誘った事から始まり、それなりに頑張ったんですよをアピールしながら、荘介は数日前の出来事を話して聞かせた。 「自分から誘ったって…荘介さん吐き気なくなったんだ」 随分進歩したんだなぁと千代田清顕(ia9802)は、しみじみ感心する。微妙なとこを感心されて微妙な顔する荘介に構わず、縁はからかいつつも嬉しそうだ。 「それじゃあ早く売って、雨月さんに会わせてあげないとね?」 顕が振り返った先には、西光寺 百合(ib2997)の姿。 「…えぇ、そうね」 花火ってどんなものかしら…?見たことがない百合は花火に思いを馳せながらも、その言葉にしっかり頷いた。 「香草袋なんてどーだろ?そしたら持ち歩いて宣伝もできるし」 「おっ、いいねぇ。女が好きそうなやつな」 ただ薬という形で売るのではなく、健康だったり美容だったり…女性が好むものに視点を向けて。 羽喰 琥珀(ib3263)が提案すれば、女を口説くにはよさそうだと一之瀬 戦(ib8291)はにやり笑い合いの手を入れる。 「差し支えなければ、祭の始まりを彩らせて頂いてもいいかしら?」 町を歩き祭りの開始を告げて、舞を披露して楽しい一夜の始まりの合図にできればと。熾弦の申し出に、異論は出るはずがない。きっと春蘭も同じだろう。 香草袋、薬草茶に香草茶…試飲もできるようにと、準備は素早く行われ―― 子供たちの懐にはしっかりと香草袋が入れられた。 「さぁーて!更に友誼の輪を広げる為に、共に祭りを楽しもうではないかっ」 鳴らされる三味線の楽しげな音。琥珀の屋台全制覇の掛け声に、子供たちは揺れる提灯の明かりの中へ飛び出して行った。 「餓鬼共は元気だねぇ。女口説くついでに、あいつらの保護者でもしてやっかね」 しっかり宣伝もしてきてやっから、心配すんな。ひらりと香草袋を振ると、戦もその後を追って行った。 軽やかな口笛が、涼しい風に乗って運ばれてくる。ふわりと裾を翻し、喧騒に満ちた屋台に囲まれた道を熾弦はゆっくり歩いた。決して大きくはない祭りの開始を告げる声は、だが口笛と共に軽やかに響いて人々の心へ届く。 やや開けた場所に辿り着くと、バイラオーラを発動させた。身軽く大地を踏み、羽衣を着た天女は舞う。 夏の終わりを、楽しい一夜を思いながら。 ● 「すみれ草、はこべです。どっちも、気分がよくなる効果があって、香りもいいんですよ」 用意していた薬草は、雨月にあげたハーブの花束の効能を参考にしたものだった。 「女性客を取り込むのは悪くないと思うわ。荘介さんは花街で仕事をしているし、女性からの信頼も得られるかもしれないわね」 これからの寒い時期だと、神経痛が気になる年配の人も増えるかもしれない。 季節によって発症しやすいもの、それに合った効能の薬草選びを百合が、天儀の薬草知識を荘介が、それぞれ伝え熱心な勉強会は続く。 「私もお手伝いするわ。薬草関係の扱いは慣れているから」 舞を終え戻った熾弦は、熱のこもった雰囲気に目を丸くして、微笑った。 売り手が多いほうが、売れ行きは早い。祭り開始の合図を告げた者がいれば尚更だろう。 (少しでも早く売って、自由な時間を作らないと、ね) 荘介や、いい感じの百合と清顕のために開始の舞を引き受けたのはもちろん秘密だ、お節介は黙っておくほうが華だから。 ● 「祭りは美味いもん食えるだけじゃねーんだぜ」 最初は動くのに邪魔にならないものから攻略していくのが祭りのやり方だ。にっと笑い琥珀は二人へ、杏飴を差し出した。 賑やかな掛け声が響き、美味しそうな香りがあちこちから漂ってくる。 「迷子になった奴ぁ俺目印に帰って来いよー?探すのとか怠ぃからそもそも逸れた奴はシバくんで宜しく。あと、軍資金なんざ期待すんなよ?」 戦はきらきら見上げてくるいくつかの眼差しに釘を刺す。 「お前ぇ等も一端の開拓者なんだし、偶にゃ大人の真似事で豪遊すんのも良いんじゃねー?」 わかりやい不満声に、くくっと笑うとさぁ遊んで来いとばかりに手で追いやった。 「あれ、なに?」 何段にもなる棚にずらりと並べられている物に、イサザが声を上げる。 「射的かー。あ、勝負しねー?そっちのほうが面白そー」 「おっ、いいな!射的なら負けねぇからな!」 「天儀の祭りを知らん者には易々と負けんぞぃ!特にナシートにはのっ!」 琥珀の提案に、ナシートは腕を振り上げる。大の仲良しの少年同盟を結成しているナシートと烏水も、ここはお互い譲らない。 「魚釣りじゃ疾風に負けたけど、祭りの遊びに関しちゃ負けねーぜ」 「…今度も俺が勝ってやる」 ふと湧く懐かしい思い出、琥珀の言葉へ疾風は笑い返して、玩具の空気銃を構えたのだった。 「よっしゃ、俺の勝ちーっ」 がくり、と膝をつく疾風を、もふらやらうさぎやらのぬいぐるみを抱えたイサザがぽんぽん叩いた。 驚くほど当たらない玉、逆にイサザは呆気なく何となく当てて、ナシートと良い勝負をしたりして。叩かれながら、ふと目の先に飛び込んできたもの。あれは故郷でも見たことがある。金魚掬いだ。 「なあなあ、烏水。次は少年同盟で勝負しようぜ!」 ナシートは親友を振り返る。ぽん、と琥珀も疾風の肩を叩いた。 「祭りは一年に一度、一日だけなんだから、楽しまなきゃ損だろ?」 意気投合しているナシートと烏水、疾風はイサザと顔を見合わせる――2回戦目の開始だ。 戦は子供たちを視界の端に入れながらも、女性のことを忘れていなかった。 「お姉さん等ツレ居ねぇの?ならさ、俺と一寸お喋りしてくんね?」 どこか艶のある微笑みに、ふわりと香る香草の匂いは確かに女性受けは良いもので。束の間、美人との時間を楽しんでは、戦はちゃっかり香草袋の宣伝もこなす。 「やぁ、順調かい?」 「当然。美人の客が多いだろ?」 気配なく聞こえた声に振り返り、ふふんと笑ってみせる。露店で購入したおにぎりや串焼きを両手に抱えた清顕は、そうだねと笑って。それじゃ、と雑踏の中へ消えて行った。 円秀はひとり、気ままに屋台を巡っていた。漂う人々の熱気があっても尚、吹き抜けていく風や感じる温度は涼しいもので。 夏に惜しみながらも別れを告げ、秋を迎え入れる準備をする時期なのだろう。 「後は色々皆さん考えているようですし、少し後押しを…ですね」 もうすぐ雨月の舞の時間が来る。その前に自分は少しでもこの祭りの場を楽しませる事ができたら。幸せを感じられるときは、目一杯の幸せを感じられれば良いと思う。 力強さを込めた演武がほんの少し和らいだ喧騒の中響いた―。 縁は子供たちから見通しがよさそうな場所を選んでぶらつきながら、土産を物色していた。祭りは十数年前に故郷を出て以来行った事がない。天儀らしい祭りの物でもあれば良いのだが。 「お、面か…面、これは駄目だ」 「おー…。なんか、天儀の人って仮面好きだよな?なんでだろ?」 ひょいっと覗き込んでくる後頭部に我に返る。気づけば子供たちがお面を興味津々に覗き込んでいた。首を傾げ、ナシートは烏水の頭に乗っかっている面へちらっと視線を向ける。 「…あんま離れると戦にどつかれるぜ」 さっとナシートが頭を引いて。琥珀は、思い出したようにあっと声を上げた。 「もうすぐ雨月の舞の時間だ」 ● 通りすがり重なり合う瞳が、微笑む―― そうして呼び込まれた客は多い。 そんな百合の説明は熱心だった。使用方法や効能、調合の仕方、専門的な用語まで……とりあえず一般人には理解し難い知識まで、それは熱心に語って。 「だから、ね…何が言いたいかというと――」 「このお茶を飲んだらもっと綺麗になるよ」 ってことだよね?―と、隣りから降ってきた声に、百合は驚いて顔を上げた。差し入れを両手に抱えた清顕が、笑って立っている。 どこか困ったように話を聞いていた女性の客は、ほっとしたようにわかりやすい言葉に頷いて。 「ちゃんと真面目にやってるだろ?」 君に怒られるのは悲しいからね―― 気の効いた談笑にすぐに売れていった香草茶、何でもないことのように言って清顕は笑って見せた。 ふわりと外からの空気が流れ込んでくる。遊び尽くした子供たちを引き連れた縁、円秀ものんびり戻って来た。 「そろそろ雨月の舞の時間だろ?あとは、俺たちに任せとけ。御二人さんもな」 にっと縁は笑い、ひらひらと手を振ると荘介と百合を追い出す仕草をする。 烏水は早速べけべんっと三味線を鳴らし、通りゆく人々の視線を集めて。荘介が少しでも雨月といられる時間を作れるように。 「…は。あ、ありがとうございます…!」 「えっ、わ…私も?」 売ることに集中していた荘介は、はっと気づいたように辺りを見渡す。喧騒は少しだけおさまり、祭りの終盤を知らせていた。 御二人さん、と名指しされた百合はちらりと清顕を振り返り― 荘介をじ、と見つめる。 「すごい、なぁ…荘介さん。自分からお誘い出来るなんて」 初めて会ったときとは別人のようだと、百合は思う。恋愛のことは苦手なのに何とか背中を押したくて…今まで関わってきた、けど。 「どうやったらそんな風になれたの?私は…無理、かな…。色んな事、考えちゃって」 青い瞳が伏せられ、ぽつんと消え入りそうな声が呟いた。 「僕は…変わってないですよ。ただ傍にいたいから、必死なだけです」 そんな百合を心配そうに見返し、荘介は苦笑する。今でも緊張しないわけじゃない、でも―― 出会った頃より強く、傍にいたいと思うのだ。ただそれだけだった。 ふいに、ひょいと背中から差し出される紙と匂い袋。 「花火見る時は肩くらい抱きなよ」 紙の中身は露店の位置が簡単に記してあるもので。こそっと耳打ちする清顕は、お言葉に甘えてと百合の手を取ると、あっという間に夜の明るさの中へ紛れて行った。 ● 遊郭・春香楼の前に設置された舞台の前はすでに多くの観客がひしめいていた。 「あ…」 横笛を奏でる琥珀の姿がある。ヴェールを被った雨月が、鮮やかな布を翻し舞う。彼女の舞を見たのは、これで2度目だ。初めて見た時も思った、きっと天女がいたならこんな感じなんだろう、と。 「きれいでしょう」 そっと、隣りから聞こえた声。いつの間にか春蘭が佇み、舞を見ている。火に照らされた白い横顔は、美しいのに無表情だった。 「荘介先生―― 貴方に、あの子の手を取ることができますか」 「春蘭さん…?」 琥珀の奏でる笛の音が過ぎ去る夏を思い、どこか物悲しく、秋の夜へと吸い込まれていった。 ● 大気を震わせる音が、響く。 「おー、始まったか」 客との雑談に花を咲かせていた縁は、暗い空を仰いだ。たった今、最後の香袋が売れた。 「せっかくです、行ってくるといいですよ」 薬草図鑑を閉じると円秀は、ずっと店番だった熾弦に声をかけた。あとは荷物を見ていればいいだけだ。 「ありがとう。お言葉に甘えさせていただくわ」 明るくなった空を見上げ、熾弦は外へと消えて行く。 「お疲れ様でした」 「おう、そっちもな」 どうですか、と差し出されたのは酒瓶。いいもん持ってるじゃねーのと、縁はにやりと笑い。 男二人、花火の音に上がる歓声に、夏の終わりを感じながら杯を傾けるのだった。 「わぁ…」 昇る光りの華。暗い空が一気に明るくなり、その輪が広がり消えて行く。 「たまやーかぎやー」 見惚れるイサザと疾風の横で、烏水が確か天儀人の心意気だと聞いた言葉を空に放る。 「また一緒に祭り行こーな。約束だぜ?」 お祭り、花火…おいしくて楽しくて、暗い空に咲く明るい大きな華。楽しい、場所。 約束、と。琥珀の言葉に二人は大きく頷いた。 「花火って空に打ちあがる、のよね?見た事ないけど」 そわ、と辺りを見渡す百合の手をちゃっかり握り、やっぱりちゃっかり見つけておいた特等席へと清顕は案内していた。 百合は周りの心待ちする空気に感化されたように、一心に空を見上げている。 やがて。 「――!」 どんっ、と空に大きな華が咲いた。 「あら…」 見事に咲いた大輪の花を見上げていた熾弦は、視線を下げくすくすと笑った。 場所は、木の上。ナディエの跳躍力は、あっという間に彼女を特等席へと案内して―― 明かりに照らされた地上には、ちらほら見知った顔が見える。 ふるふる木の陰に隠れる百合と、そんな百合を苦笑して落ち着かせるように手招きしている清顕。花火の音は、大きな音恐怖症の彼女をすっかり怯えさせてしまったらしい。 楽しげに声を上げ、見入る人々の笑顔。木に背を預けると、やっぱり良いものねと熾弦は微笑んだ。 背を押され、荘介はハッと我に返った。 舞が終わったら抜け出すわ。そう悪戯っぽく笑った雨月を待って、手を取り人混みの中へ繰り出した。 混み合う喧騒。ぼんやりしていたら人混みに押され、気づけば手のぬくもりが消えていた。 「雨月さんっ?」 慌てて戻り、見つけた雨月は――人混みの中ぽつりと立っていた。困る風でもなく探す風でもなく、ただ静かに。 ―― 貴方に、あの子の手を取ることができますか。 思い出す、春蘭の言葉。ぼうっとしていたのは、彼女の言葉が気になったせいだ。 「…雨月さん」 踏み込んで、手を取った。少し驚いたように瞠られた瞳、引き寄せて自分の腕を掴ませる。 「危ないから…掴まっていてください。僕も、離しませんから」 夜の華の咲く音がする。見上げることはできず、目の前の戸惑った表情をただ、見つめる事しかできなかった。 店へ戻る子供たちを見送り、戦はふらりと歩いた。あそこは色恋を応援する場所―― 今の自分には関わりたくない場所だ。 どんっ、と空に華が上がる。 「花火なんざ所詮、刹那の情景にか過ぎねぇのにな。…なんでこんな、綺麗なんだよ」 自嘲に歪んだ微笑みを、刹那の華が照らしていた。 |