傍へ――
マスター名:
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/06/22 23:47



■オープニング本文

 ぼた、ぼた、と真っ赤な水滴が頬を伝い地に落ちる。
「そう…か。この体が欲しいんだね」
 真っ暗な闇、じくじくと痛む左目があった場所。そこにはきっと、もう目玉はない。
「それなら来ると良い。全部あげる、お前のものだ」
 少女は呟き、笑った。


 この耳は要らぬ。
 ―― お前の声が聴こえないなら。
 この口は要らぬ。
 ―― お前と言葉を交せないなら。
 この目は要らぬ。
 ―― お前が見えないなら。

 この命は要らぬ。
 お前が側にいないのに、どうして私だけが生きられるだろう。
 それでもまた、お前と出逢うために。私はまだ、この世界に留まっている。


+++


「―― もうすぐだ」
 僅かなぬくもりも感じられない部屋、開け放たれた戸から差し込む月明かり。その声に応えるように、ぼんやりと小さな影が浮かび上がる。
「もうすぐ、会える」
 吐息のような声音であっても、その言葉は抑えきれない喜びに溢れていた。その声の主、女はやはり嬉しそうに月を見上げる。けれどその瞳に月の光りは映らず、女の眼はとうに見るという機能を終えていることを示していた。
「10年、か。長かった……これで、私は…ようやく――」
 死ねる。
 ぽつ、と独りごとにように呟かれた小さな声。抑揚のない声音が唯一、感情を帯びる時を知っている。自分の死を言葉にする時だけ、喜びを示すのだ。心底安堵するように。
「……」
 小さな影はそれには答えず、視線を伏せると、やがて闇の中へ消えていった。


 ぱちりと火がはぜる音、仄暗いが温かさのある部屋。
「―― そうか」
 白髪混じりの男が、受けた報告に深く息を吐き出した。少し離れた正面に座り垂れた頭を起こしたのは、女の元にいた小さな影だ。
「あれから10年…やはり、本当に来るのだな」
「はい、利光様。悠理はそう確信しているようでした」
 利光と呼ばれた男は疲れたように、深く皺の刻まれた顔を更に歪める。
「あの子は……喜んでいるのだろうな。天理」
 それは問いかけのような、それでいて独り言のような無意識から零れた掠れた声。
 だが、小さなその影は伏せていた視線を、すっと上げた。
「いいえ、利光様。ぼくは天です」
 まっすぐに向けられた眼に、利光はハッと息を呑んだ。あぁ、そうだったと頭を振る。
 幼い面影、だけど似ているわけではない。呼んでしまうのは、胸に巣食う罪と後悔のせいだと彼は知っていた。
「……とても、嬉しそうでした。これで最期にするつもりだと」
 死ねる…ぽつ、と零されたどこまでも嬉しそうな声を思い出して、小さな影の主・天―― 人妖の少女は唇を噛みしめる。
「最期にするわけにはいかない。これが私の我儘でも」
 だからそんな顔をするな、と。表情を緩め、その小さな頭をぽんと撫でた。
 もう誰も死なせない―― 強い意志を宿した声が、ぱちんと火のはぜる空間へと零れて消えた。


 開拓者ギルドへ1つの依頼が舞い込んだ。
「アヤカシの退治と、娘を助けて欲しい」
 奥に通された男は蓑居利光と名乗り、出されたお茶に礼を言って口をつける。そして、ゆっくりと詳細を語り出した。
 アヤカシは憑依された息子、息子と娘は双子の兄妹だった。
 蓑居は古くから続く陰陽師の家系――古いしきたりを遵守し、陰陽を占い、ある者は開拓者になり戦いの中を生きてきた。
 そんな家に26年前、双子は生まれた。男女の双子、陰陽の世界では災厄をもたらす存在、忌み子――。
『男は跡取りに、女は生まれなかった事に』
 周囲に知られることなく殺せ、それが親族からの暗黙の圧力だった。もちろん、そんなものに従うはずはない。天理と悠理、ただ可愛い子供たちだ。
 初めてしきたりを破り、周りを押さえ6歳まで育てたあの日―― 天理が姿を消した。
 数週間後、利光が見たのは天理が母親の首筋に噛み付いている光景。衣服は消えた日のまま、けれど雨風に曝されたようにボロボロで、小さなその体には黒い霧のようなものが纏わりついていた。
 よく知る、間違えようもない、瘴気だった。
「妻は目の前で息子……だったモノに殺され、私もこの通り片腕を失いました」
 右手がもう片方へと伸び、左腕を通す裾を持ち上げる。そこに通されているはずの左腕は、なかった。
 首筋を食われながらも、愛おしげに我が子だったものを抱きしめていた妻……アヤカシだとわかっていても、攻撃できるはずがなかった。
 妻を目の前で食い殺され、自身の左腕も食われ―― 天理が身内によって攫われ手に掛けられた事実を突き止めたとき、彼は悠理を連れ家を捨てた。
 天理は殺されたあと放置されていたのだろう、そのときに瘴気が入り込みアヤカシとなった。
「妻が殺されたのが20年前の6つのとき、そして娘が視力を奪われたのが10年前の16歳のときでした。―― 今、娘は26です」
 台風のように襲ってきては、あっという間に消えていくアヤカシ。その間隔は10年と、なぜかはっきりしているという。そしてもうじき、奴は現れる。
「視力を奪われた日から、悠理は力をつけました。刺し違えても倒すつもりでいます」
 いや、もしかしたら刺し違えたいのかもしれない。あの日、殺されるはずだったのは自分だと、ずっと思っている悠理を知っている。
 同じ血肉に特別なモノがあるのか、どういうわけか狙われるのは身内だけだ。そしてきっと、双子であった悠理の前に現れるだろう。悠理がその到来を感じているように。
「10年前は、何とか私が追い払いました。奴の執着は恐ろしいほどです、でも――」
 そう言って、利光は僅かに目を伏せる。
「悠理も病的なほど、天理を……いや、アヤカシに執着しています。倒すのは自分だと」
 開拓者たちのことを知れば、邪魔な存在として攻撃すらしてくるかもしれない。
「それから天という悠理の世話をしている人妖がいます…この子も悠理と共に戦いに参加するでしょう」
 死なせたくない、けれど―― 悠理の望むまま、傍で戦うだろうと。
「娘は最期にするつもりです。でも、そんなことは認められない」
 どうかこの戦いを、終わらせてほしい。深く深く、利光は頭を下げた。



■参加者一覧
玖堂 羽郁(ia0862
22歳・男・サ
天宮 蓮華(ia0992
20歳・女・巫
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
レビィ・JS(ib2821
22歳・女・泰
月雲 左京(ib8108
18歳・女・サ
高尾(ib8693
24歳・女・シ


■リプレイ本文

●想い、願い
「悠理には会わないほうがいいよ」
 利光と共に現れた天は、開拓者たちにそう告げた。
「邪魔をするつもりはないんだ。俺たちも共に戦って、悠理さんを援護したい」
 玖堂 羽郁(ia0862)の言葉にも、天は頭を振る。それならなおさら、会わないほうが良いと。共闘を申し出た時点で、邪魔な存在だと認識され攻撃されかねない。それほど悠理の中の想いは強く根深い。
「…それならせめて、そうお伝えください」
「約束しよう。あの子に伝わるかわからないが…」
 複雑な表情を見せる天に代わり、利光が答えた。ひたすらに強さを求め心を閉ざしてから、もう10年になる。誰の言葉も娘には届かない。
 辛い事を思い出させてしまって済まないと、御凪 祥(ia5285)は詫びて。
「天理殺害の動機は何だったかを訊きたい」
 動機がわかればアヤカシを知る要素になるかもしれない。なぜ男子である天理が狙われたのか、もしかして悠理の身代わりで変装をしていたのだろうか―― そんな疑問を持つ天宮 蓮華(ia0992)も利光の返答を待つ。
「古き陰陽の理も古きしがらみも変わらない。動機と言えるなら恐らく、六という年のせいだろう。六は魔の数、不吉なものとされていた」
 六の年まで育てられたのは、周囲に許されたわけではない。災厄をもたらす忌み子である事はずっと変わらず、そして訪れた六の年。
 変えたつもりで、何ひとつ変えられていなかった―― 吐き捨てる声は家へ、何より利光自身に向けられているようだった。
「…それで、あなたは何を望んでいる?」
「ただ生きてくれれば良い。生きて……生きたいと思ってくれるなら」
 望むのは、大切な娘の事だけだ。死を覗き込む日々から、生に目を向けてくれたら。
「それならお願いします。この戦い後、立場や罪悪感を振り切って裸の心で悠理様と向き合うと」
 約束してください―― 伏せていた視線を上げ、蓮華は利光と天を見つめる。
 悠理をこの世に留めるには『自分は必要とされている』と感じる事が、きっと必要で。それが出来るのは彼女を愛している2人しかいない。
「ぼくは…変わらない。ずっと悠理の側にいる」
「あぁ、そうだな…私も、前を向いてあの娘と歩いていきたい」
 天は小さく利光に頭を下げると、ふらりと開拓者たちに背を向け離れて行く。祥と蓮華の視線を受け止めて、利光は頷いた。
(男女の双子…別れた絆、それは姿形だけの片割れであろうと愛しいと、思いましょう)
 失った片割れは同じ、月雲 左京(ib8108)は、そっと瞳を伏せる。さらりと白い髪が揺れ、緋色の瞳を隠す。
「死を待ち望む…ねぇ。こっちは生きるために泥水をすすってるってのに、とんだ贅沢者だよ」
 レビィ・JS(ib2821)が確認されているアヤカシの能力の詳細を聞いている。そんな仲間たちから離れた場所で、高尾(ib8693)はふんと鼻を鳴らした。
 せっかく拾った命を捨てたいと望む女…それも報酬のためだと呟いて。悠理の元へ向ったのだろう天を追い、仲間たちから背を向けた。
 それぞれの想いを抱き―― 逢魔が時は静かに訪れようとしている。


●対峙
 陽の沈む気配、夕暮れの空―― とっくに見える目はないのに、不思議とぼんやり明るさを感じる。
「…悠理」
 悠理の肩に手を触れ、寄り添うように浮いている天が声をかける。見えなくても、わかる。痛みだけを思い出す古びた衣服を纏う、小さな少年。目を奪われる直前に見えた、最愛の片割れ。
「…長かった。やっと―― 会えたな」
 微笑み、駆け出す。す、と差し出された細い手。小さな式が現れ、悠理の手足を束縛しようと絡みついた。
「そんなものが通用すると思うな…!」
 符を構え、召喚した式を銃弾のように放つ。呪縛符は陰陽師の術だ。天理の姿で使われる事は不快だった。小さな体に式が吸い込まれていく直前、僅かに笑みの形に歪んだ顔。
「っ、下がって!」
 天は肩を引き、下がる方向を示すが間に合わない。放たれた不透明な霧が瞬時に迫り悠理と天を包み込もうとした、その瞬間―― 渦巻く風が横切り霧が霧散した。
「悠理様!」
 開拓者たちが悠理の傍へと駆けつける。お怪我は…と伸ばされる蓮華の手を払い、立ち上がった。気の名残りを感じ取り、霧を相殺した祥へ短く礼を伝える。
「天から聞いている。だがこれは私の業だ、共闘も援護も必要ない」
 大切な者の命を踏みつけ生き続けた、生き残ってしまった自身の――罪。
 すべての霊魂砲をその体に受けた天理は、けれど変わらず立ち尽くしている。見据え、悠理は符を構えた。
(…右、京…)
 頑なな背、その想いが痛いほど伝わってきて左京は知らずぽつりと、最愛の兄の名を呟く。
(きょうだい、か。わたしにも、居たのかな…?)
 ただまっすぐに兄だったものに向けられる、意識。レビィは、記憶のない幼い頃の自分へ問いかける。
 悠理、天へ、蓮華は舞い神楽舞「護」をかける。後を追う仲間へも順にかけ、抵抗を上げる。
「燃やし尽くせ!」
 召喚した獣が放った火炎が、一直線にアヤカシに向かって放たれた。ぼぅっと音をたて火に包まれた体の中から飛び出してくるカマイタチ。気を感じ取り、素早く避けた。空気を引き裂く音が耳元を通りすぎる―― それを天の目が追ったのは僅かなはずだった。
「っ!」
 焦げた臭い。氷のように冷たい手が、首筋に食い込んだ。飛ぶような速さで近づいてきた天理の口がぱっくり開き、悠理へと吸い込まれていく。
 その瞬間、左京の咆哮が響き渡った。引きずられるように左京へ向う小さな影へ、羽郁がすれ違いざまに一撃を叩きこむ。
 ふっと体が軽くなった。蓮華の白霊癒の白い光りが悠理の体を癒していく。
 冷たい手―― わかっていたはずだ、天理はとっくに死んでいるのだと。あれは天理ではない。天理は身代わりとなって、死んでいった。
「…天、状況を。―― 片付ける」
 一瞬、顔を歪め、天はわかったと伝えた。
「二時の方向、2人」
「邪魔をするなと言っている――!」
 放たれた斬撃符が、羽郁を襲う。再び目的を捉えた天理の目が向けられた。だが駆け出すその先を遮ったのは、レビィの気功波。牽制程度のそれは、けれど確実にその道を断った。
「わたし達は邪魔をしたいわけじゃない!」
「あんたの父親に頼まれてね…助太刀しに来たんだよ」
 斬撃符から急所を庇いながら、レビィが叫ぶ。続いた高尾の言葉に振り返った悠理は僅か、沈黙した。『父親』―― 久しく思いを寄せなかった存在に、戸惑うように。
「……父様であれ何であれ、私のすべきことは変わらない」
 惑いは一瞬、淡々と告げる悠理に、高尾は笑う。
「いいのかい?あんたの目的は、あたしたちじゃなくて、あのアヤカシだろう?こっちに気をとられてたら、その隙に長年の宿願が泡と消えちまうよ」
 びくり、と悠理の肩が跳ね上がった。足に力が入らず崩れ落ちる。頭の中に響く、呪いの言葉―― 苦しみ叫ぶ天理の声。痛い、苦しい、どうして、どうして……殺されなければいけなかったのか。
 どうして―― 死ぬべきは、私なのに。
「悠理様!」
 ぱしん、と乾いた痛みが頬に走った。瞼の裏に、微かな光りが戻る。
「まだ終わっていませんわ。しっかりなさいませ」
 凛と厳しい蓮華の声。張られた頬に、ぼんやり触れる。
「―― 俺にも双子の姉がいます」
 はっとしたように顔を上げた。羽郁は静かに、彼女の兄であったものを見据えている。
「呼吸をする事と同じように共に在る事が当り前…この世で唯一の対の人間」
 心でも体でも血でも繋がり求め合った、大切な存在。その当り前が崩れた時の喪失感は、想像するだけで計り知れない。
 真摯な声音は穏やかに、悠理の心へと染み込んでいく。
 まるで悠理の回復を待つかのように立ち尽くしているアヤカシを、祥もまた見ていた。天理の肉体故に、血に惹かれて現れるのか、それとも悠理や両親の元に帰りたい天理の思慕がアヤカシに影響しているのか…それはわからない。
 ただ、残された者の悲しみはわかる。
「父親のことも、考えてやってくれ」
 たった一人の肉親を失い、一人残された痛みと悲しみ……その痛みは今も、胸の奥にある。だからこそ、悠理の願望は叶えてやれない。
 父親の顔を、思い出してみる。ずっと傍にいたはずのその顔はひどく曖昧だった。
「…早く天理を解放してやりたい。力を貸してくれないか」
 そっと隣りに立った左京の気配が、問いかけてくる。
「此処にあるは片割れにあらずアヤカシの意思でございます。とどめは…刺せますでしょうか?」
 見目は愛しのものでも魂はなく、ただのアヤカシなのだと……左京の言葉に、しっかり頷いた。
「もう迷いはない。だから――」
 最期は私の手で。
「天」
 肩に触れているぬくもりが、返事をする。傍らの声に導かれるように、符を構え放った。


●終焉
 白銀の龍が凍てつく息を吐き出し、天理の体を襲う。初めて聞く声は、天理のものでも人間のものですらない、アヤカシの苦痛に上がるおぞましい叫び声。
 付かず離れず、援護をしてくれていた羽郁へ近づいた。
「ありがとう。…姉さんを大切にしてくれ」
 小さく小さく、落された声―― はっと息を呑む音と手足の自由が奪われたのは、同時だった。
「悠理!?」
「蓮華さんっ」
 駆け出す悠理を天が追いかける。式により手足を拘束された羽郁が異変を知らせるように蓮華を呼んだ。仲間たちが反応するも援護で後方に控えていたため、出遅れてしまう。
 握り締めた短刀に瘴気の霧を纏う。呻き声を上げる対象を探るのは容易い。
(…父様、天)
 どんな言葉を口にすれば良いか、わからない。遺していくことに、やっと気づいたのに。それでも―― 思いを変えることはできない。天理の体を取り返し、天理のもとへ逝く。そのためだけに生きてきた。それだけを望んで、生きてきた。
「天理――」
 小さな頭を首元に引き寄せる。首筋に感じる激痛、頭を押さえつけながら小刀を心臓部分へ突き刺した。暴れる体を抱きとめ、深く深く突き入れる。
「……!」
 抱きとめていた体が、ぼろぼろと崩れ落ちていく。顔を強張らせ、悠理は振り返った。
「戦いの妨害はしないと誓いましたが、あなたの自害を見過ごすとは言っておりませんわ。天理様がお守りしたお命、散らせる訳には参りませんもの」
 震える手が、首へ触れる。傷口が、あるはずだ。この傷で、死んでいたはずなのに。微かな痛みだけ残るそこは、蓮華が全力で回復させた証だった。天の神風恩寵が緩やかな風となって吹く。
「どうして…何故だ……!」
 赤く激昂する瞳が、見開かれた。古びた服をただ、抱きしめて。生き残ってしまった、また死ねなかった。生きる目的だった倒す相手も、もういないのに。
「あなたのお父さんが、それに天さんが!あなたに生きていて欲しいと思っているんだよ!だからわたし達がここにいるんだ!!」
 レビィがその肩を強く揺さぶる。いまだ死を覗き込んでいる目を、引き上げるように。
「あなたが死ぬと言うのなら、何が何でも邪魔をする」
 唯一の家族と呼べる存在が姿を消したときの、淋しさ心細さ。けれど大切な存在が自分のせいで居なくなったという悠理の苦しみは、もっとずっと辛いものだろう。本当に理解することはできない、だからこそ―― 彼女が死ぬ事によって、家族が彼女と同じ苦しみを背負うのを、見たくなかった。
「対の傍に逝きたいと願うのも、当然かもしれない。けど――」
 羽郁は崩れ落ちている悠理に目線を合わせるように、膝をつく。
「その耳は、天理さんが聞く筈だった音を聞く耳。その口は、天理さんが話す筈だった言葉を紡ぐ口。今は無きその目は、天理さんが見る筈だった景色を見る目…その命は、天理さんが己は見られない明日を貴女に見せる為に護った命――」
 くしゃりと悠理の顔が歪んだ。その命を踏みつけて生きているのではなく、その上に、その命と共に生きているのだと。赦しのように、言葉が降る。
「大事な人を喪う辛さを誰より知っている筈なのに、なぜ父君に同じ仕打ちが出来るんですか?」
 掟を破ってまで天理と悠理を育てた利光は、こんな結末を望んではいない。そして、それはきっと天理も同じだ。
「天理様は悠理様に解放を望んだのでしょう。ご自分の魂と、罪悪感に囚われたあなたの心、両方の…」
 悠理のみに向けられた攻撃の手…蓮華はそう思わずにはいられない。
「忘却も死も、乗り越えるではなくただの逃げでございます。死して同じ場所へ行けるなど、そのような夢物語を誰が申しましたでしょうか…」
 静かに語りかける左京の声。死して傍にいけるなら、幾度願ったかわからない。誰が泣き、誰が悲しむか。
「妻を亡くし、子を亡くし、貴方まで失うのを怖れる父様は貴方にとっては不用な者なのでしょうか…?」
 独りの世は息苦しく、どれだけつらいものなのか知っている。それでも――
「貴方様は独りではありませぬでしょう?天様と父様を大事になされませ…」
 独りではない。彼女も、自分も。今は、淋しさも哀しみもすべて受け止めて、前に進もうと思えるから。
離れ佇んでいた祥は歩み寄り、まっすぐな瞳を向けた。
「己が本来間引かれる存在で、死すべきなどと思わないで欲しい。天理を惜しむのならば、天理の分も生きてくれ」
 どこか淡々とした響きは、けれどその視線と同じようにまっすぐに悠理へと届いて。何も映さない眸には祥の姿が在った。
「心も体も血も分けて生まれた貴女は天寿を全うして、人生を土産話に出来る位になってから逝くのが兄君への供養だと俺は思います」
「あなたが生き続ける事が天理様が生き続ける事…対の命、散らさずに生き抜いて下さいませ。傍らのお二人と共に…」
 羽郁と蓮華の言葉に続くように、ぎゅっと腕を掴まれる。微かに震えが伝わってくる、それは天の体温。
「死なないで、悠理…」
 心配も不安も、届かない事を知っている。だけどずっと、生きて欲しいと伝えたかった。
「まぁ、生は義務じゃないし、価値も人それぞれだ」
 戸惑う悠理に気づき、高尾は肩を竦めてみせた。修羅のように得難い物だからこそ尊く感じるか、人間のように当たり前に与えられているから容易く棄てられるか、それだけだ。
「死にたいなら、そうすればいいさ。あの世で家族仲良く暮らせるように、あんたの父親もすぐに後を追わせてあげるよ」
 執念で生きてきた悠理にとって、怒りや憎しみは生きるための糧になるだろう。
 目を丸くした悠理だったが、なぜか笑いだした。すっかり陽が落ちた空へ、その笑い声が吸い込まれていく。
 高尾の言葉が本気ではない事を感じ取って…自分を生かすために頑張っている彼らの姿がおかしくて―― くすぐったかった。
「負けたよ。…生きるよ、天理と一緒に」
 目的をなくしたこの先、どうなるかはわからない。でも、生きてみるのも悪くないかもしれない。
 遺された天理の服を抱きしめ、悠理は微笑った。