君と見る景色
マスター名:
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/05/23 20:42



■オープニング本文

 心臓が飛び出しそうだった。気休めでも静かになるようにと、服の上から心臓がある辺りを押さえつけてみる。ついでに深呼吸も、すーはーすはー…
「荘介さん?」
「…!」
 後ろからかかった涼やかな声に、荘介は飛び上がりそうになった体をかろうじて押さえた。
「う、雨月さんっ…おはよう」
 おはよう、と微笑みと言葉が返される。不思議だと、整った顔をそっと眺めて思う。いつも雨月は、自分を言い当てる。弱視の彼女は人の気配はわかっても、近づいて顔を見なければ誰かわからないはずなのに。
「今日は早いのね?」
「…いや、今日は雨月さんが終わるのを待ってたんです」
 明けの空にうっすら陽が差している時刻、遊郭の芸妓である雨月の仕事はようやく終わる。
 緊張すると吐きそうになるのは情けないが相変わらず、それを何とか深呼吸で誤魔化して。ぐっと拳を握り締めた。
「次の休みのとき、その…どこかに行きませんかっ」
 くわっ!と見開かれた目とか顔は必死すぎて色々とあれだったが、雨月は見えているのか見えていないのか、きょとん目を丸くして。
「嬉しい。デート、ね?」
 ふわり、と鮮やかな花が開くような笑顔を見せた。
 あまりの言葉に「でっ…!?」と絶句したまま固まっている荘介を尻目に、雨月はやっぱり嬉しそうに手を叩く。
「まだここに来たばかりだから詳しくなくて…いろいろ連れて行ってくれると嬉しいわ」
「も、もちろんです!僕に任せてください」
 ようやく放心状態から立ち直った荘介は、できる限り頼もしく見えるようにどんと胸を叩いた。
 開拓者たちに背を押されて1歩、雨月に近づいてから時は過ぎて。開拓者の1人の口添えで雨月が薬草士としての荘介を遊郭に紹介したところ、その腕が見込まれ仕事を注文される日も多くなっていた。
 その結果、接する機会はますます増えた―― はずなのに、面白いくらい2人の関係は変わらずの日々。
 好きだと告げたわけでもなく、告げられたわけでも勿論なく。ただ何となく、顔が合えば話すようになって、それだけで充分だとも思えたりしていて。
 でもそれだけじゃ何だかなぁ…そんな無意識な想いが、こうしてデートというものに至ったわけだが。
「あ、仕事お疲れさまでした。家ですよね?」
 は、と慌てたように言葉をかけて。雨月が頷くと、送りますよと荘介は自然とその手を取って歩き出す。
 ごくたまに、雨月が帰る時間にかち合うと、家まで送るのが流れになっていた。
 天儀の町並みに不慣れな雨月の手を取って歩き出すのも、当たり前になっていて。
 ごく自然とつながれた手にくすっと微笑う雨月を、いつも荘介が知ることはない。


「荘介にーちゃんあぶないよ!」
 甲高い子供の声が飛び込んできた瞬間、額に結構な衝撃を受けてしゃがみこんだ。
「だいじょうぶ?」
 目の前には見慣れた自分の家の戸と、イサザの心配そうな顔。仕事を終えたことまでは覚えているが、呆けすぎてここまで来た記憶がない。
「だ、大丈夫。イサザは、稽古終わったのか?」
 額をさすりさすり、立ち上がって家へ招き入れる。開拓者ギルド預かりの下、町で暮らし始めたイサザはこうしてたまに遊びに来ていた。志体もありシノビの適性が見つかったため、道場で稽古に励んでいる。
「へぇ、でーと…かぁ。どこにつれて行くか、きめたの?」
 妙に鋭くじぃぃーっと向けられる好奇心の眼差しに、あっという間に観念して何があったか簡単に話して聞かせた荘介は、その何気ない質問に少しだけ伸びていた鼻の下を戻した。
「……どこに?」
 僕に任せてください!そう胸を叩いた自分を思い出して、サァァァっと顔が青くなる。
「まずい…」
 生まれながらの天儀育ち…だけど幼い頃から薬草売りでギリギリの生計を立てていた荘介に、案内できる観光場所なんてあるはずもなく。その辺の山ならお手の物だ、でもさすがにそれは違うとわかる。
 デートじゃない。そんなのデートじゃない。
「あ、じゃあにーちゃんねーちゃんたちにたのめばいいんじゃないかな」
 えーと…か、かいた、くしゃ?もぐもぐもぐもぐ、お気に入りのお米を食べながら、イサザ(たまに夕餉もつくってあげたりする)。
体が光ったり棒を振り回したりする人たちの存在は、イサザの記憶にも新しい。助けてくれる人たちだ。
「そう…しようかなぁ……」
 何だか情けない姿しか見せていない気がするものの、このまま案内できずに終わるよりはいい。
 翌日、とぼとぼ開拓者ギルドへ向かう荘介があった。



■参加者一覧
千代田清顕(ia9802
28歳・男・シ
西光寺 百合(ib2997
27歳・女・魔
羽喰 琥珀(ib3263
12歳・男・志
春風 たんぽぽ(ib6888
16歳・女・魔
熾弦(ib7860
17歳・女・巫
御凪 縁(ib7863
27歳・男・巫


■リプレイ本文


●春うらら
 心地良い陽気に賑わう町並み、見慣れた顔に気づいたイサザがぴょんぴょん飛び上がり大きく手を振っている。
「よ、元気そーだなー」
 羽喰 琥珀(ib3263)の言葉に嬉しそうに、うん!とイサザが大きく頷いた。町で過ごすようになって初めて会うが、別れた最後に見たときより元気そうだ。
「いい子でやってるみてぇだな」
 ひょいと覗き込んだのは御凪 縁(ib7863)。わしゃわしゃっと撫でられ、くすぐったそうな声が上がる。
「…お前はほんっと変んねぇな、荘介」
 笑い合っている子供たちの横で、どこかうっそりとよくない顔色をして立っている荘介に、やれやれと肩を竦めて。
「花街での御用聞きでちったぁ垢抜けたかと思ったんだが」
「や、花街はあまり関係ないような…!」
 悪い笑顔を浮かべる縁に、なぜかぱっと荘介は顔を赤らめた。
「まぁスレてねぇのがお前らしくていいけどな」
 心なしか縮こまっている背中を、ばしーんと叩き朗らかに笑った。
「えーと、一応吐き気止めのツボを教えておくよ」
 盛大に飛び上がって涙目になっている荘介に、千代田清顕(ia9802)が見かねたように内関のツボを教える。
「荘介さんと雨月さん、仲良くしているのね。何だか安心したわ」
 少しマシになった顔色に西光寺 百合(ib2997)はくすっと笑った。出逢いをお膳立てした日から少し、うまくいっているようで。
「でも、誘う度に開拓者の手を借りているようでは先が遠そうね」
 人間関係は難しいし、特にこういう想い想われは時間のかかることだと思うから進展がどうのというつもりはないけれど―― そう苦笑する熾弦(ib7860)もお膳立てを手伝ってくれた1人だ。
 かくりと落ちた荘介の肩をぴょんと飛び上がりイサザがぽむっとした。


●行き先は?
「デートって…てっきり恋人の為にある日だと思っていたのですが、例外もあるらしいのですね!」
 春風 たんぽぽ(ib6888)は頷きひとり納得している。デート=恋人のものから、デート=恋人同士になる前にするものという、方程式が彼女の中で生まれた瞬間だった。
「お二人が一体どうなるのか、春風は温かく見守りますよ!」
「あ、ありがとうございます…!」
 ぐっと気合い入れのたんぽぽにつられるように、荘介も大きく頷く。
「場所なんだけど、荘介さんの得意な山は?少し道が大変かもしれないけれど荘介さんならフォロー出来るでしょ?」
 今の時期なら空気も綺麗で、新緑の香りが清々しい。
「無理に芝居してもボロが出るだけだって。大事なのは場所じゃなく、お互いをもっと知る事なんだからさ」
 百合の提案に複雑そうな顔をした荘介に気づいたのか、琥珀が続ける。あまり背伸びしたところを行き先にしても、誰かの差し金と気付かれてしまうでしょうと熾弦も頷いた。
「自信を持って案内出来る場所に行くといいんじゃないかな。大事な場所に連れて行くのも立派な愛情表現さ」
「そーそ!もーちょい自分に自信持てって。な?」
 清顕の言葉を真剣な顔でメモを取る、少年に笑顔で励まされる御年24歳…けれど真剣であることに変わりはない。
 そんなこんなで、前もって話し合いがされていたプランが提示された。
 町で山歩きに必要な物と食べ物を買って、山へ―― 弁当屋、甘味屋、小間物屋、山歩き用の履き物屋。清顕によって事前に調べられた店の名前が、記されている。
「汚れていい服なんかもいるかしら?」
 デートと言えば多少のお洒落をしていく事はわかるため、なるほどと熾弦の言葉に頷いた。
「遊郭で芸妓さんたちから噂話で聞いたことないかい?」
「そういう話はあまり…」
 体調や健康管理など薬草士としてならいくらでも話せたが、艶やかな色気を放つ遊郭の女たちと堂々と対峙するには荘介の経験値は色々と足りなさすぎて。
(清顕は女性が好むお店に詳しそう…)
 申し訳なく肩を落とす荘介とは違った理由で、百合もまたしょもっと肩を落としていた。視線の先は、慣れた動きで女性へ聞き込みをしている清顕。女性の好む店がよくわからない百合は、何となく近づけずに後ろを歩いている。
「作るのに時間掛りそうな弁当は雨月と落ち合う前に頼んどいて、甘味買いつつ山に向かう前に取りに行けば時間も丁度いいんじゃねぇかね」
 女待たせるのは粋じゃねぇからな、段取りは重要だぜ?にっと笑う縁に、かぶりつく勢いで筆を走らせる荘介。デートに限らず、きっと大事なことに違いない。
 弁当なら少しずつ色々な物が食べられるタイプのもの、甘味なら今はさくらんぼを包んだ羽二重餅とか―― 次々と出される清顕の案は、的確だ。
「少し目を盗んで、贈り物でも買って帰り際に渡してみるのもいいかもね?」
 実用品を揃えるのは勿論だけれど、と熾弦は苦笑して。何とか覚えようとしている荘介に、そう提案したのだった。

 絶賛学習中の荘介を町へ置き、縁と琥珀とたんぽぽ、おまけにイサザはデートの要である山へ来ていた。
「山知ってる荘介が一緒ならそう心配はねぇとは思うがな。雨月が怪我しねぇよう歩きやすくしておこうって話だ」
 荘介にとっては当たり前の場所でも、弱視の雨月には楽な道ではないだろう。ほろ…と感動したように黙る荘介を小突いて、縄を張っておくと告げて来た。
「視弱の雨月さんが転んだりしないよう、なるべく障害物になり得る物も退けておいた方がいいですよね!」
 たんぽぽはせっせと大きめの石を拾っては、隅のほうへ置いていく。
 隣りでは琥珀と一緒に荒縄を運ぶイサザが、張り切って頂上を見上げている。デートがよくわからなくても、何となく張り切るときなのはわかるらしい。
「イサザさんの御協力もありますし、きっと丈夫で立派な物ができあがりますよ〜♪」
 せっかくのデート、楽しくなくては。たんぽぽは、イサザを見て微笑んだ。
「そういえばシノビの稽古してんだってな。大変だろーけど頑張れよー」
 久しぶりの山のせいか、生き生きと山を登っているイサザに琥珀が言う。
「そーなんだ。おもしろいよ。…ハナもたまにあそびにきてくれるし」
 いつかみんなみたいに、ぼうふりまわせるようになるよ!荒縄の端を振り回しながら、嬉しそうにイサザが笑った。
「振り回すのはまぁ、程々にな。…ほれ」
 ハナのことを話すときだけ、淋しそうに曇る顔。イサザのために持ってきた飴玉を渡すと、縁はぽむと肩を叩く。色とりどりの甘い飴が、少しでも淋しさを和らげるように。
(誰も愛せない…そんな私でも、感情を知るぐらいは許されますよね…?)
 『恋愛』と言う感情を、この依頼で知ることができるだろうか。楽しげな会話に耳を傾けながら、たんぽぽは一生懸命な荘介の姿を思い出していた。


●いざ、本番!
「今日は誘ってくれてありがとう」
 本日、快晴なり。芸妓としての化粧をしていない雨月は、あどけなく見える素顔で微笑んだ。
「そんな、僕のほうこそ…来てくれて嬉しいです」
 いつものように自然と手を取り、荘介は照れて頭をかく。不思議だ、思っていたより緊張していない。お弁当はみんなと選んだものを注文済みで、内関のツボも押し済みだ。それに――。
『何事も気の持ちようってな』
 別れ際、縁がそう言ってかけてくれた加護法という術、ぼんやり淡い光りはすぐ消えたけれど彼の思いは残っている気がする。そのおかげ、かもしれない。
 楽しそうな雨月の横顔にほっとして、お店への道のりを歩いた。


「お、来たぜ。御二人さん腕の見せ所ってな」
 一方、店に先回りしてばっちり待機中の開拓者たち。現れた荘介たちの姿に、縁は御二人さんを茶化す。
「…これも仕事ですからねっ?千代田さん」
「わかってるよ。最高の恋人同士を見せてやらないと、ね」
 キッと睨まれてもどこ吹く風、にっこり笑った清顕は百合の手を引き、琥珀たちの声援に見送られて表舞台へ上がって行く。
 デート中の振る舞いを実演する事で、荘介をフォローするためだ。不自然ではない程度に近づき、飾られている品物を眺めながら様子を窺う。
 自然と清顕が百合の荷物を持ち、気遣いの言葉が優しい笑みと共にかけられる。
(荘介さん、大丈夫かしら…)
 ぎこちなく、それでも何とか実演を頼りに行動できてはいる荘介に、百合のほうも気が気ではなく心配そうに視線をやった。こそ、と清顕を見上げて。
「千代田さん、荘介さんが困って…」
「ほら、これなんかどうかな?」
 繊細な音をたて銀細工の簪が百合の髪に飾られていた。
「あ…ありがとう」
「すごく似合ってる。綺麗だよ」
 優しげな微笑みが近づいてきて赤くなるやら青くなるやら一気に動揺する百合に笑い、清顕はさり気なく腰を引き寄せる。
(千代田さんっ…仕事中なんだから真面目にやって頂戴…っ!近いちかい…っ)
(うん、だから…これも仕事だろ?)
 ひそりと耳元で囁かれ、百合の顔が真っ赤に染まった。ひそひそ、必死の攻防が水面下?で繰り広げられている中、遠い目をした荘介が笑う。
(西光寺さん、千代田さん……聞こえてます。全部聞こえてます)
 けれどそれも事情がわからなければただの恋人同士の戯れに映るのだろう。雨月は気にした様子もなく、小物に手を触れている。
「とてもきれい。良いものね」
 いくつもの花が散りばめられた簪…甘い花の香りがする雨月には、きっと似合うだろう。
「そろそろ行きましょうか?」
「あ、そうですね」
 そっと、確かめるように元の位置に置かれる簪。雨月の言うとおり良い造りの簪は、買うのはちょっとした覚悟がいる程度には値が張るもので。
「……」
 そろそろ山へ向わなければいけない時間だ。ぶつからないように手を引いていた荘介は人通りが少ない場所で手を放した。
「ちょっとすいません!すぐ戻るので、ここにいてください」
 ぱたぱた去っていく背中を目を丸くして見送る雨月―― ぽつん、と置いてきぼりの空気は、だけどすぐに破られる。
「雨月君?」
 声をかけたのは熾弦だった。たまたま店に立ち寄ったように、ぽつんと立っている雨月に近づく。
「覚えていない、かしら?少し前に会ってるんだけれど…」
「あ、荘介さんの薬のときの…開拓者さん?」
 じ、っと窺うように熾弦を見ていた雨月は、思い出したように声を上げた。
 あれから半年と少し……思えば、開拓者になったばかりの駆け出しの頃に引き受けた依頼だったと、荘介が戻ってくるまでの時間稼ぎをしながら、少しだけ感慨深く思ってみる。
「すいません、お待たせして…!っと…」
 荘介さんも今このお店にいるんだけど…と雨月が苦笑したとき、戻ってきた荘介が慌てたように口を閉じた。熾弦はさらっと挨拶をして。
「じゃあ私はこれで。しっかりね」
 何事もなく颯爽と去っていく背中は、やがて賑やかになってきた人混みの中へと消えていった。


「…休憩しなくても大丈夫ですか?」
 山登り用の履き物と服装に着替えた雨月は、平気よと笑う。行き先を山だと告げたときの彼女は、予想を上回る食い付き見せてくれた。
「生まれがすごく田舎で…山に囲まれた村で暮らしてたのよ」
 だから懐かしくて、楽しい。
 張られた縄をしっかり掴みすいすい登って行く姿は身軽で、もう片方に握られている荘介の手は必要ないかもしれないけれど、そこは知らないフリができるくらいにはなっていた。
 薬草や咲いている花に興味を示す雨月に、効能やどんな時に使うのかを伝えて―― あっちへ行ったりこっちで立ち止まったりの道のり。楽しそうな雨月が嬉しくて、荘介の中の緊張も自然と消えていった。
「楽しそうですね…♪」
 清顕の超越聴覚を使った実況に、ほわほわとたんぽぽが和む。
「うん、荘介にーちゃんたのしそう」
「盛り上がってるみたいだなー」
 視線の先には、お弁当を食べながら笑い合っている2人の姿。ちゃっかり同じお弁当を食べながらのイサザに、琥珀も嬉しそうに笑った。
「百合と清顕も頑張れよ」
 にやにや笑う縁に、清顕は肩を竦めて。
「百合、おぶってってあげようか」
「え?えぇ…」
 赤くなって慌てるはずの百合は、珍しい薬草に気を取られて返されるのは上の空の返事。
「本当に…楽しそうにしてる人は魅力的だよね」
 そんな百合を見て、生き生きと話している荘介に視線を向けて。清顕はくすっと笑った。


「きれい…」
 広がる自然が作り上げた滝に、雨月は小さく感嘆の声を上げる。
「…僕の好きな場所です。雨月さんに見せたかった」
 背負ってきた荷物の中から取り出したものを、まだ滝に見惚れている雨月へそっと差し出す。驚いたように振り向いた顔をまっすぐ見返して。
「この山にあるものだけで作った花束です」
 疲れがとれるものやリラックス効果があるもの―― 忙しい雨月が、少しでも気分転換できるようにと。時間を割かれることを心配した百合は、代わりに探すと提案してくれたけれど。ちぐはぐでも自分で作ったものを、という琥珀の言葉もあって前日にひとり山に登り集めてきた。
「ありがとう…いい香り」
 そっと受け取った雨月は、花束を抱きしめると目を細めて微笑う。
「あ、あと…これも」
 小さな箱から取り出したものが、しゃらんと鳴る。ふるふる震える手に、しゃらしゃらと音が続いて。
「つ、つけます、よ」
 清顕の実演を、精一杯でなぞると…その簪を雨月の髪へと乗せた。思い切って買ったあのときの簪は、やっぱり雨月に似合っていた。
「似合います。綺麗ですね…」
 照れる事なく呟かれた言葉は、ほとんど無意識の、だけど紛れもない本心。
「荘介さん…ありがとう」
 微かに頬を赤く染め、雨月もまた小さく呟いた。
 それ以外の言葉はなく、並んで滝を見上げて。支えるためではなく繋がれた手だけが、何かの答えのようだった。


●そして
「…うまくいったようね。よかったわ」
 こねまわされ小突かれしている荘介を、町に留まっていた熾弦が迎える。渡された紙の中身は恋人や夫婦がよく利用している評判の店や場所だ。次は荘介自身で雨月を誘えるようにと。
「デートって、見ていてあったかい日だと知りました」
 結局は2人がどうしたいか…これ以上する事はないのだとたんぽぽは思う。『恋愛』という感情かはわからない、でもそれだけはわかった。
 にこにこ笑うたんぽぽにつられるように荘介も表情を崩して、百合へ視線を向ける。前に会った時より柔らかく微笑うようになった気がする、大切な人と寄り添う姿が嬉しかった。
「…みなさんのおかげです」
 感謝の言葉を乗せて、荘介は大きく頭を下げたのだった。


 たんぽぽは自然と輪から独り離れ、まだ絡まれている荘介を振り返る。
(……私にもいつか現れますでしょうか?)
 そっと寄り添い合う荘介と雨月の姿を思い出し、すぐにそんな自問の声を打ち消した。
「私…自分を守るので精一杯ですから」
 現れるわけがない。現れなくていい―― このまま恋愛を知らないほうが、きっと楽だから。
 そこに明るい笑顔はなく、ただ哀しい苦笑が刻まれていた。