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■オープニング本文 雪が降った。いつもの道も積もる雪のせいで、時間もかかって歩きにくい。ざく、ざく、と歩く音が静かな雪の世界に吸い込まれていく。 陽が昇る前に起き出し、村から離れた山の中の小川へ水汲みへ行く―― それはこの家へ来たときから言いつけられている日課だ。 両親を流行り病で亡くした小春が引き取られたのは、顔も知らない親類の家だった。そこに小春の居場所はなく、厄介者として扱われる日々。 村には井戸もあり水には困らない。それなのに離れた山まで水汲みに行かせるのは、その理由だろう。 家中の雑用、無意味な用事事、理不尽な折檻―― あかぎれた手に息を吹きかけ、桶を持ち立ち上がる。 「…っ!」 と、ほとんど凍りかけている地面に足を取られ、小春の体が勢いよく地面へ転がった。体の下の雪はまだ柔らかく、その体を受け止める。 「……」 木々の間から見える空が、青さを増している。早く帰らなければ、叱られる。だけど体は動かない―― そうして、どれくらい空を見上げていただろう。 ふと両手を持ち上げた。刺すような痛みがあった手が、何も感じなくなっていて。凍えすぎて、叩いても擦ってみても抓ってみても、痛くない。 「ははっ…なんだ、簡単なことなんだ」 笑ってしまう。何も感じなくなるのは、きっとこんなにも簡単な事なのだと。 「っ……母さん、」 父さん、と続きかけた言葉をぐっと飲み込む。けれど涙までは止まってくれず、勝手に視界を揺らがせていく。じわ、と空の青が滲んだ。 涙も声も痛みも感情も…こんなに苦しいものは、要らない。何も、感じなくなればいいのに。凍えた、この手のように―― 雪が、心まで凍らせてくれたらいいのに。 「おい、そこで何をしてる?」 どれくらいそうしていたか、ふいに聞こえた声にはっと体を起こした。もしかして長居をしすぎて、連れ戻しに来たのではないかと。 けれど―― 思いのほか近くで、いや真上に、その声の主はいた。浮いて、いた。小さな少女をもっと小さくしたような体に、銀色の鎧と剣のようなものを纏って。 「…よかった、起きたか。こんなとこで寝てると、死ぬぞ」 ほっとしたような無表情。その不思議なモノを、声も出せず見上げた。 「聞いてるのか?ここはアヤカシも出る、早く山を降りるといい」 「…あなたは?」 浮いているその少女は、きょとんと首を傾げると。さも不思議そうに、妖精だと名乗った。 「…お前、そんなことしてるとほんとに死ぬぞ?」 仰向けに転がっている小春を真剣な顔で見下ろすのは、あの日会った妖精だ。 アヤカシが出るようになったから山に入るなと言い聞かせた、あの日―― それでも変わらず桶を持って夜明けと共にやってくる小春が、妖精と会うようになって数日経った。 自然と今置かれている環境の話をするようになり、実力行使で山を追い出す気配だった妖精は、そうはしなかった。山へ入るのを許す代わりに、しっかり厚着をしてくる事と条件はつけて。 「死なないよ」 言われたとおり厚着している、と小春は自分の格好を指差した。粗末な布を被っただけの姿。 「…それが人間の言う厚着、か」 死にはしないだろう。けれどこの寒さの中、好んで雪の上に素肌をさらす小春の肌は、間違いなく傷んでいる。 「母さんたちが生きろって言ったから」 痩せた手を伸ばし、残していく娘に必死に言い聞かせた言葉。何があっても生きて―― その言葉があるから、どんな環境でもどんなにつらくても、生きてきた。 死なないよ、そう繰り返す小春に妖精はもう何も言わなかった。 「だから、私のことは気にしなくていい。……あなたの傍の雪は冷たくないから、嫌い」 すべて凍えて何も感じなくなりたいと思うのに、妖精の傍はあたたかくて。 「私にそんなことを言うのは、お前くらいだ」 司るのは冬。人間と話したのは小春が初めてだが、人里へ出ると人はみな冬が来たと家の中へ駆けこんでいく。自然界の生き物も同様に、背を向けて。 みなが背を向ける、冷たいだけの冬の妖精をあたたかいと言うのは―― 春を宿す名を持つ人の子。あたたかい体温を持つ、自分とは違う生き物。 この人間に、寒く冷たい冬は似合わない。春の陽射しの下で、笑っていて欲しい。 「……もう戻れ。時間だろ?」 そう、似合わない。置かれている環境を知りながら、苦しんでいるのを知りながら、危険な山へ迎え入れることしかしてやれない自分に、春を抱く人間の子など似合わない。 「…そうだね」 途端に曇った顔、それでも躊躇いなく去って行く背を、ただ見送って。 いつも通りの道を往く。いつもと違うのは、少しだけその顔が綻んでいる事。 (喜んで、くれるかな…) 懐にあるのは、村主からもらった饅頭だ。言いつけられた手伝いをして、もらえたのはいくらかの駄賃と饅頭だった。駄賃は取られたが、饅頭だけは知らないフリをしたら気づかれることはなかった。 妖精は、きっと喜ぶに違いない。素っ気ないけど、村での話をいつも物珍しげに聞いているから。人間の食べ物も、きっと喜んでくれるだろう。 ここなら目立ちにくいと妖精に教えられている場所へ急ぐ。足取りは軽く早く出たせいか、妖精の姿は見当たらなかった。 「……」 座り込んで、空を見上げる。こうして独り、空を見上げることは久しぶりだ。最近はずっと、妖精が傍にいたから。 久しぶりに冷たい雪に触れてみようと、手を伸ばす。けれど―― 「…?」 触れたのは、雪以外の感触。それは、何かの芽のようだった。土の中で眠り、雪を押し退けるほどに力をつけた―― それは春の到来を意味する、命。 どうして、気づかなかったのだろう。此処だけじゃない、周囲に広がる雪はもうほとんど溶けかけていたのに。 湧く、恐怖。まだ何ひとつ凍えてはいないのに、その術が消えてしまう。 「いや…いやだ……!溶けないで!溶けないでよ!」 妖精が―― 消えてしまう。 「小春!?」 うずくまる何かに体を強張らせると近づいた。雪を掻き抱くように目を閉じている、それは小春の姿。 「おいっ、どうした!何があったんだ…!」 頬を叩くが、目は開かない。自分の傍を舞う冷気、小さく小春が震えた気がした。 人を、呼ばなければいけない。近づくこともあたためてやることもできないなら―― そう顔を上げたとき、妖精は動きを止めた。 アヤカシの気配が、四方から伝わってくる。このままでは間違いなく小春の存在に気づくだろう。 「よりにもよってこんなときにっ」 舌打ちして、妖精は背負った大剣を抜き放った。 「小春が戻らない?」 面倒な、と憂鬱を隠さない声が呟く。放っておいたのが周囲に伝わればどう陰口を叩かれるかわからない。 そういえば、と男の声が続く。村主が山のアヤカシ退治を開拓者ギルドに依頼したのだとか。 「あぁ、ちょうど良いね。便乗して小春の探索も付け足してもらおうか」 そしたら金も浮くだろと、暗い声が笑った。 |
■参加者一覧
櫻庭 貴臣(ia0077)
18歳・男・巫
神凪 蒼司(ia0122)
19歳・男・志
滝月 玲(ia1409)
19歳・男・シ
メグレズ・ファウンテン(ia9696)
25歳・女・サ
燕 一華(ib0718)
16歳・男・志
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
蒼井 御子(ib4444)
11歳・女・吟
ダンデ=ライオン(ib8636)
22歳・男・魔 |
■リプレイ本文 村へやって来た開拓者たちの動きは早かった。西光寺 百合(ib2997)と燕 一華(ib0718)は小春やアヤカシに関しての目撃情報の収集のため、さっと村の中へ散って行く。 「アヤカシ退治のついでに子供探し?それって……」 アヤカシのいる山に子供が入っているのに放置したということなのかと、詰め寄りそうになるのを蒼井 御子(ib4444)は、ぐっと堪えた。昔、旅の間に聞いた事や師の話を思い出して、難しい事なのかもしれないと。 女は慌てたように否定する。まさか、知らなかったんだよ。でも、ついででいいんだよ、本当にね。 「アヤカシと一緒に捜索願が出てるガキを見つけられるなんて、最高じゃねぇか」 付け足された部分を無視して、ダンデ=ライオン(ib8636)は、ふんと鼻を鳴らした。 「両親を亡くして…その上、引き取って貰った親戚に厄介者にされるなんて」 「邪険に扱うくせに、引き取る…というのは、世間体を気にしてのことか。唾棄すべき輩というのは、何処にでも居るものだな」 櫻庭 貴臣(ia0077)は瞳を伏せ、神凪 蒼司(ia0122)もまた、そんな者たちに世の理を説くのも無駄だと小さく吐き捨てた。 「ご安心を。必ずアヤカシを倒し、小春さんを無事に見つけ出します」 メグレズ・ファウンテン(ia9696)は村人たちを見渡し、安心させるように頷いた。 「これでしょうかっ」 静まり返った山に、一華の声が響く。指差す先の地面に、辛うじて足跡とわかるそれが残っていた。 「桶を抱えて歩いて行くのを、何人かの方たちが見ていますっ」 明け方に何の用だろうと思ったが、水場にでも行ったのだろうと。何も知らない村人たちは誰もが不思議そうに首を傾げて。 かんじきの縄を縛りながら、一華は収集した情報を伝えていく。 超越聴覚を発動させている滝月 玲(ia1409)は僅かな音も逃さないように、続く足跡をまっすぐ見上げた。 「アヤカシの足跡は…見当たらないわね」 目撃情報はあったものの、足跡は見つからない。屈んでいた百合がついた息が、白く空に舞う。暖かくなってきたとはいえ、雪が残る深い山は寒い。 「でも気配を辿っていけば、きっと小春ちゃんに辿り着けると思う」 瘴気結界の淡い光りを纏いながら、貴臣もアヤカシの気配を探す。蒼司は心眼「集」を使い意識を遠くへ向けていた。アヤカシ以外の気配も感じ取る事で、貴臣の負担も少しは減るだろう。 足跡を探し見えない遠くへ意識を飛ばし、聴こえない音に耳を澄ませる。 「…何か、いるな」 その気配は、すぐに飛び込んできた。目を閉じ、余計な感覚を消し去った蒼司が更に集中するように眉を寄せる。 「この方向をまっすぐだ」 指された方向、一斉に駆け出した。瘴気結界の届く範囲へと入りこむと、貴臣が頷く。 「アヤカシの気配…間違いないです」 「ん、聞こえる。吠え声に…」 超越聴覚で音を拾う御子が、はっとしたように声を上げた。 「コレは……剣の音!?嘘!アヤカシと誰かが戦ってる!」 荒々しい獣の声に、明確な意志を宿して振われる剣の音―― 小さな呼吸音が2つ。 早駆けを発動させた玲が、ざっと前へ出る。 「先に行く、案内頼んだ」 「任せて、ボクが先導するよ!」 その声を背に、更にスピードをあげ音の先を仰ぎ見る。 (小春を助ける本当の道を探す) 自分たちの悪評は気にするくせにやる事は非道な、心配すらしていない姿を思い出して、玲は拳を握り締めた。 視界をよぎる黒い影、それに混じって軽やかな白銀が舞う。やはり小春の他に誰かがいたのだ。 一気に間合いを詰め、気配を気取られる前に背後から斬撃する。 「お前は…人間?」 鋭く向けられた眼差しが、丸くなった。白い羽を生やした愛らしい顔、紛れもなくそれは妖精だった。 もうひとつの呼吸音を辿り、ぽっかり空いた空洞の中に横たわる少女の姿を見つける。駆け寄り、白い顔に触れて、ほっと安堵の息をついた。細いが安定した呼吸音。 玲はその雪を払い帽子を脱ぐと、どこか穏やかに雪を抱きしめている小春へ被せた。少しでも温まるように、垂れた兎の耳を顎で留める。 「こんな格好で無茶し過ぎだ、生き抜くんだろしっかりしろ!」 眠りは体温も体力も奪う。肩を揺さぶると、小さく呻いた。 その子に触れるな―― 牙を受け止め妖精が叫ぼうとしたとき、辺りが騒がしくなった。 「アヤカシを引きつけます。皆さんは彼女を」 メグレズの咆哮が響き渡る。振り向かされた数体が、唸り声を上げて飛びかかっていく。 「守ってくれてたんだな、ありがとう。何があったか知らないが話はあとで聞かせて貰うぜ」 険しい表情のままの妖精に、玲が斬竜刀「天墜」を構えながら振り返った。 「ボクは春花の名を持つ者だ。そしてガキを探しに来た開拓者だ。だから―」 とっととその警戒を周りのアヤカシに戻しやがれ―― 憮然と言い放つダンデに、妖精は開拓者たちに視線を向けた。 「そうか。小春を探しに来た、開拓者…か」 もともと人間が嫌いなわけではない。今の環境に小春を追いこんだ人間を許せないだけで。 「その子を助けてやってくれ、私じゃ救えない」 小春を背に立ち、貴臣は神楽舞・攻で志士ふたりの攻撃力を上げる。前衛で戦う者たちの武器へ、百合もホーリーコートで聖なる光りを宿した。御子の持つ弦楽器の甲高い音が空気を震わせ、小春を含めた味方の防御と抵抗を上昇させる。 「さあさあっ、元・雑技衆『燕』が一の華の演舞をご覧に入れますよっ!」 小春のほうへ下がった妖精を確認して、一華は水仙を使って斬りかかった。演舞のような動きで死角へ踏み込み、葉擦で確実に傷つけていく。淡い光りを宿した蒼司の二刀流が、がむしゃらに剣先を追う怪狼を切り捨てた。 再びメグレズの咆哮によって引き寄せられた数体が翼竜鱗から生み出される障壁にぶつかり、憐れな声を上げる。その隙をつくように駆けた玲が、天墜を振り下ろした。 「まだ肌寒いこの時期には丁度いいだろ?」 ダンデの放つフローズが周りの空気を凍りつかせ、冷たい地面の底から伸びた百合の魔法の蔦が奴らの動きを鈍らせる。 「あ、気がついた?」 眠りへと誘う曲を奏でていた御子は、ぴくりと強張った肩に気づく。 「大丈夫、怖くないよ。もう終わる」 明るい翡翠色の瞳が、にこりと笑った。 早駆で一撃離脱を繰り返す玲に、怒りと苦痛を宿した赤い目がふいと小春に向けられた。地を蹴り、震える弱い食料へと矛先が変えられる。 「させませんよっ」 その間に割り込むように一華が防盾術で受け止めた。泰練気法・壱で覚醒し攻撃を上げた玲の連撃が叩き込まれる。 「あぁ、これで終わりだ」 大剣を構えた妖精が、完全に動きを止めた剣狼を切り捨て―― 黒い瘴気が、霧散した。昼の明るさが辺りを満たす。 「…怪我、してるよね。そのままだと、痛いから…ちゃんと治さないと、ね?」 微笑み、精霊の力を宿した貴臣の掌がそっと労わるように触れ小春の傷を癒していく。血が滲んでいる妖精へも掌をかざす。 メグレズが差し出したのは、あたたかい甘酒だ。受け取り、ありがとうと消え入りそうな声で小春が礼を言った。 「…何度も言っただろ、死ぬぞと。何であんな無茶したんだ」 開拓者たちが来なかったら、今頃どうなっていたかわからない。 「とりあえず、無事でよかったよ。俺たちは報告があるから村に戻るけど…」 玲の言葉に、小春は頷く。戻らなければいけない。戻る場所は、あそこしかないのだから。 「私も戻る。でも、妖精についてきてほしい…少しの間で、いいから」 見開かれた目を、じっと見返す。無表情が、どこか苦しげに歪んだ。 「小春、私は――」 人の傍には居られない、冬の妖精だ。村に降りれば、人は寄りつかない。 「何時も優しい冬を与えてくれて、ありがとう御座いますっ」 一華が、にこぱっと笑った。驚いたように妖精の顔が上がる。 「だってまっしろな雪はとても綺麗で、花も動物たちもゆっくり静かに眠らせてくれて── 冬があるから、皆は暖かさを知る事が出来るんですからっ」 優しい冬、小さく繰り返して貴臣が頷いた。 「冬は、好きだな。春が待ち遠しいと思えるのも、花が美しく見えるのも。きっと冬があるからじゃないかな、って思うんだ」 確かに寒くて…色が無くて、昔は余り好きじゃなかったけれど。どこか楽しげに上げる、冬にできる遊び。冬にもたくさん良いところはあると。 「妖精のあったかい冬も、ほんとは嫌じゃない」 少しの間でいいからと繰り返す小春に、やがて妖精は頷いた。 戻った小春は、村人たちの安堵によって迎え入れられた。 「燕が一の華の演技、お見せしますねっ」 けれど小春が笑顔になることはなく……気遣うように笑顔になるようにと、一華が演舞を披露する。色とりどりの、鞠やお手玉が傘の上で踊る。明るい笑顔と舞は、この村に小春の『居場所』ができる事を祈ってのもの。 「…楽しそうだね」 囃したてる声、喝采の拍手、村人の笑顔―― 小春自身も、それを見て思う。何も感じなくなれば良いと思うのに。 「何も感じなくなる、なんて事はね…本当は無理なんじゃないかって最近、気づいたの」 ぽつと零される独り言に、百合は演舞に視線を向けたまま。 「私もずっと自分は何も感じなくなったって思っていたけれど、そんなの自分を騙しているだけだった」 認めて欲しくて受け入れて欲しくて―― 遠い昔に置いてきたはずの、親族への思い。 「苦しくて辛くて泣きたい気持ちはね、絶対に自分のどこかに残るの」 今も抱く、いつかきっと受け止めてくれると望む思い――。 その横顔を小春は、じっと見ていた。 「両親が流行り病で亡くなってから、私はここで独りだった」 人の波が引き、落ち着いた時間を取り戻した村。もうすぐ陽が暮れる。 引き取られた家、置かれている環境、淋しさ―― それでも帰る場所は1つしかない。 「ありがとう。…さよなら」 助けてくれた人たちへ、そして何よりも妖精へ、別れの言葉を静かに伝えた。 「選択肢は1つじゃない。ここを出て、ギルドで生きていく術を学ぶこともできる」 粗末な服、細い体、大人びた笑み―― ここは、この子が笑顔を取り戻せる環境じゃない。誰の笑顔も守れる強き者でいたいと望む玲は、伝える。 「このまま俺たちの手を取って、ギルドまで行くことも可能だが…何処で生きるか、如何生きるか。選ぶのはお前自身だ」 士道を用い、蒼司も穏やかに語りかける。 「あの家に戻りたいか、それ以外の道を行くか、お前の意思だ」 だが、聞け―― と、ダンデの鋭い視線が小春を射る。 「自分の歴史を無い物扱いされるのはな……死人と一緒だ」 歴史(存在意義)を増やす、それを常に追い求めている彼の言葉はどこまでもまっすぐで強い。 「お前が俺たちの手を取るのなら、共に行こう」 「貴方はもう子供じゃない。一人で生きていく位できる筈よ」 どこへでも行ける、と百合も続ける。 考えてもみなかった。ただこの場所で生きていくだけだと、漠然と思っていたから。 「そんなこと…私にできるのかな」 目を伏せ、呟く。 「こんな伝承を知っていますかっ?」 俯く視界に、ひょいと覗き込む一華。 「白い妖精を見たら、とっても素敵な出会いがある、ってっ。妖精さんが雪の下で優しく眠らせて、育ててくれていたものを起こすのは春の役目ですっ」 一緒に、花を咲かせませんかっ?ぱっと花が綻ぶような笑顔。いつか見た両親の、いつかしていた小春自身の。 「お前ならできるよ。お前は…春だからな」 黙って見守っていた妖精が、口を開いた。花を咲かせる事も、外で生きていく事も…私に春をくれたのは、お前だから。 「…あなたがいてくれたら、できるかもしれない」 自分の事のように、どこか嬉しげなその表情を小春は見つめた。 「昔、聞いた『田舎と街のロバ』の寓話を思い出します」 メグレズが思い出すのは、生まれてからずっと辛く扱われ続ける田舎のロバと、街から来たロバの寓話。随分と苦労してるんだねと話しかける街から来たロバに、苦労って何と逆に問い返す田舎のロバ。 「生まれてからずっと同じ環境で他に道がなければ、人は自分が逆境だと気づかない」 でも、と穏やかな声が続く。 「誰かが傍にいて別の道を見つけられたら、人は逆境を乗り越え新しい人生を歩ける、という言葉もありました」 向けられる穏やかな視線を、妖精が逸らすことはもうなかった。 「小春さんは、何でアヤカシがいるあの山にいたの?」 御子の問いかけに、少しだけ苦笑する。雪が、あったから。冷たい雪は心まで凍らせてくれると思ったから。そう信じた自分を、どこか遠い昔のように感じて。 「雪が?んー…それなら、あの山の高いところか、遠くの雪に包まれた場所。後は、その妖精さんと一緒に居られる場所かな」 妖精は、やれやれと肩を竦めて微笑った。 「お前は無茶ばかりするからな。私が傍で見ていよう」 今までは、春の息吹が聞こえてきたら眠りについていた。でもこの先は堂々としていよう、一番の春がもう傍にいるのだから。 「オイ、テメェ名前は無ぇのか?」 嬉しそうに上がる声に、ダンデの声が重なる。 「あるなら呼んでもらえ、無ぇならガキに付けて貰え」 もちろん固有の名などないと言えば、真剣に考え始めるのに苦笑して。それもまぁいいか、と思う。 「私と貴方は違うけれど…どこか同じ、かも。私も誰かを暖めてあげる事が出来ない女なの」 そんな姿にそっと話しかけたのは、百合だった。 「でも暖める事は出来なくても守りたいっていう気持ちは貴方と同じ、かしら」 「…そうかもしれない」 凍えさせることしかできなくても、せめて傍で見守っていられたらと思った。 「でも、こんな私をあたたかいと言った小春がいるように…お前も誰かをあたためているのかもしれない」 気づかないだけで―― 小春に視線を戻し、妖精は微笑った。 「よかったね、蒼ちゃん」 蒼司の横顔に、嬉しげな感情を感じ取った貴臣は微笑む。 「…あぁ。此処に伯母上が居られたら、きっと小春を連れていこうとしただろうな」 呼び名に複雑な顔をしたものの何事もなく頷いて、蒼司はその情景に思いを馳せた。 「冬を望む春のガキと、春に憧れる冬の妖精…か」 ダンデは、粗末な扉を叩いた。 (―― あいつらに、冬に生まれてしまったダンデライオン(蒲公英)はどう映って見えるだろうな) 結局、最後まで姿を見せなかった親類へと、依頼終了を伝える。 「報酬なんだが…ボクの分はいらねぇよ。その代わりと言っちゃ何だが水をくれ」 それなら、と井戸を指した女を、ぎろりと睨みつけた。 「山の小川の水が飲みてぇんだよ。今すぐ行ってこいよ。子供でもできんだぞ?」 怯えたように、桶を持って飛んで行くのを見送って。 「目には目を…ロクでもねぇ大人には、それ相応の報いをしねぇとなぁ」 もうじきやって来るだろう小春たちを、待つのだった。 |