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■オープニング本文 「香奈子さま!」 騒々しい足音が1人分、広い廊下に響き渡る。だが、それを咎める者はいない。 後ろからの声に追い立てられるように必死に走っているのは、香奈子と呼ばれた質素だが上質な着物をたくし上げているという、ちょっと見ないフリをしたくなるような可憐な少女。 数十分続いた追いかけっこという名の運動?でも何気に本気のソレは、はっとした香奈子の息を呑む音で終わりを告げた。 「見つけましたよ、香奈子さま」 「!」 後ろで声がしなくなったと思った瞬間、音もなく目の前が影って。 ぴかぴかに磨かれた廊下のおかげで、ずるっと足を取られ尻餅をついた。あわあわ差し伸べられる手を無視して、すぐ傍にあった脛を蹴りあげる。 「……さすがです、香奈子さま。急所をとっさに狙うとは…っ」 「音もなく近づくなと言ったでしょう、朧!」 ふるふる脛を押さえ、良い笑顔で見上げてくるのは追いかけっこの相手、朧という名の少女だ。 追いかけっこというよりは、退屈な勉強から逃げ出そうとした香奈子を朧が説得するために追いかけていたのだが。 「走ったら喉が渇いたわ。何かないかしら」 「か、香奈子さま?」 「あなたもついていらっしゃい」 飲むまで部屋には戻らないと背中で語ると、しぶしぶ気配が後から続く。足音が変わらず1人分、香奈子だけのものが少しだけ静かに廊下に響いた。 朧はシノビだ。まだ幼い頃にあてがわれた世話係り。毎日の運動―― と、香奈子が思っている追いかけっこは、良い運動になるものの、そんなに長くは続かないのが難点だった。 (そろそろ新しい手を考えなければ、ね) そんなことを考えながら、台所をひょいっと覗く。 朝食の片付けを終えたその場所は、少しだけのんびりとした空気が流れていた。 「ばれんたいん、ねぇ」 「そうなんだよ。うちの娘なんか浮き足立っちゃってさぁ」 調理場のおばちゃんたちが汗を拭き拭き、椅子にどっかり腰を降ろす。 「想いを伝える?とかって、台所がひどい有様だよったく」 「想いを伝えると、台所がひどくなるの?」 「あっ、お嬢さま!」 飲み物よりおもしろそうな話が聞けたと身を乗り出すと、驚いたようにおばちゃんたちが立ち上がり割烹着の裾を正した。 「ん、いいのよ。気にしないで。で?」 にこっと笑って先を促すと、はぁと歯切れなくおばちゃんたちは顔を見合わせて教えてくれる。朧がハラハラしているのが伝わってきたが、気にしない。 「ええっと…ちょこれーとというものを作るときは、想いを込めるのが常のようで」 「へぇ」 「何でもよく飛び散るモノで、台所が真っ黒になるやら甘い匂いがするやらでもう……。それを想いを伝えたい相手に渡すのが、ばれんたいんというものらしいです」 結構な時間を娘さんはチョコレート作りに費やしているようで、甘い匂いに胸焼けでもしたのかその顔がうっぷとばかりに歪んでいる。 「チョコレート……そういえば、うちの店でも売り出すってお父様が言ってたわね」 店のことにはまだ口出しできないが、商家の跡取り娘として香奈子も父親に連れ回されているので覚えている。 「甘いもの…いいですよね。朧は大好きでございます。なかなか食べられないのが、また」 振り返ると、ふにゃっと幸せそうに目を閉じている朧の姿。何かカチンときて、手を伸ばすとぎゅっと首を絞めてやった。 「行くわよ、先生が来る時間だわ」 うっとりしたままの顔で、ちっとも苦しがっている素振りを見せない朧につんと背を向ける。部屋へ向いながら、朧がおばちゃんたちにお茶をお願いしている声が聞こえた。 「え、暇が欲しい?」 素っ頓狂な声を上げる香奈子の後ろには、いつものように朧が控えている。 「はい。少し所用ができまして」 「珍しいわね、お父様の用事ではなくて?」 はい、と再び返る変わらない返事。香奈子が振り返って少し高い背を見上げると、自然と朧が膝を折り視線を伏せた。その表情からは何も読み取れない。 「……わかったわ。もともとあなたの休みなんだから、好きになさい」 世話係りであっても、休みがないわけではない。ただ朧だけは休みに関係なく香奈子の傍を離れることはなかったのだ。離れるときは父親に所用を頼まれたときくらいで。 「ありがとうございます。―― では」 音もなく出ていく背を見送って、香奈子は周りが見たら卒倒するような動作でぼふっとベッドに倒れ込んだ。 「ばーか……ずっと側にいるって言ったくせに」 枕に顔を埋め、ぼそっと呟く。しばらくじっとしていたが、やがてはっとしたように体を起こした。 「よく考えたらチャンスじゃない!今しかないわ」 鬼の居ぬ間に、何とやら。朧に鍛えられた逃げ足の速さに隠れかた、彼女が居ないなら誰も私を捕まえることは出来ない。 そんなこんなで―― 商家のお嬢さま、外の世界へいざ参る! ぬぼぅっと布切れが目の前に現れて、受け付け係りは体を仰け反らせた。 「依頼をお願いしたいの。出来れば迅速に」 その布から覗いたのは、少女の顔。抜け目なくキョロキョロ辺りを見渡しているが、人目を気にしているならその大きな布姿は逆に目立っていた。 「高級で美味しいチョコレートを作りたいの。奏生のお店まで私を連れて行って。……ついでに作りかたを教えてくれると助かるわ」 材料費はすべてこちらで用意するから、心配しないで。そう少女は締めくくった。 |
■参加者一覧
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲
ルカ・ジョルジェット(ib8687)
23歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ● 甘い香りが漂う店が立ち並ぶ一帯は、時期が時期のせいかたくさんの女性たちで賑わっていた。バレンタインの文字が踊り、連れ立って覗き込んでいる恋に恋する乙女たち。 「お嬢さんたち、この辺りで質の良いチョコや生クリームを売っている店を知らないかな」 先行していた千代田清顕(ia9802)は、そんな乙女たちに声をかけた。すらりとした長身の整った顔に覗き込まれ、きゃっと恥かしげな悲鳴が上がる。 「…よかったら、案内しますけど」 「ありがとう、助かるよ」 目配せし赤く染まった顔を向けてくる乙女たちに、愛想よく笑いかけた。 聞き込み対象は、甘味処に出入りする女性やジルベリアの菓子を扱う店だ。時間があまりない中の初めての買い物で、迷ってしまわないように。 先行するための店を絞れるようにと、フェンリエッタ(ib0018)の案で事前に様々なチョコレートの完成イメージを伝え、香奈子が特に目を輝かせて反応したものを思い出しつつ、目ぼしい店の下調べを進めていく。 「あとは、と…」 乙女たちと別れた清顕は、耳へと集中力を研ぎ澄ませ聴覚聴力を発動させた。流れ込んでくる、雑踏に紛れる小さな声や足音。 飲食店や香奈子の喜びそうな小間物店などの店も、観光用にと情報収集しながら―― 清顕の姿は雑踏の中へ紛れて行った。 ● 「ジルベリアの砲術士、ローゼリア・ヴァイスですの。よしなに…」 ローゼリア(ib5674)はスカートをちょんとつまんで優雅に挨拶してみせた。スカートの裾からふさふさの尻尾が覗き、挨拶を返しながらも香奈子の目がちらちらそこに引き寄せられている。 「チョコレート作りなら、本場の生まれですしお役に立てれば、と思いますの」 それには気づかず、頼もしげな笑顔を浮かべるローゼリア。香奈子は依頼を受けてくれた開拓者たちを見回して。 「皆さん、チョコレート作りに詳しいんですね」 ほとんど何も知らない香奈子は、ほっと胸を撫で下ろした。 「料理は…うん、出来なくはないけど、得意でもないかな」 どっちかって言うと食べるほうが得意かな?アグネス・ユーリ(ib0058)は、あはっと笑う。 「でも、アイディアは出せると思うの」 「果物を使ったものを希望だったわよね?」 皆で出し合ったアイディアを西光寺 百合(ib2997)が確認する。 「はい。あの子は…朧は甘ったるいものが大好きなので」 普通に頷いた香奈子だったか、次の瞬間キラキラした目たちに囲まれた。 「やっぱり大好きな子に喜んでもらうものが一番よね♪」 「大好きな朧さんのために頑張りますわよ!」 いきなり大好きな相手になってしまっているのに、ぽかんとして。アグネスとローゼリアに慌てて否定する香奈子からは、あっという間に得意な猫被りが吹っ飛んでいった。 「時間も限られているから、程々にね?」 バレンタイン…そういえばそんな風習もあったわね―― バレンタインが初めての百合はぼんやり心に呟きながら、笑い声を上げている彼女たちへ苦笑を向けたのだった。 ● 行き交う人々の熱気、目の前に広がる賑やかな彩りに香奈子が声を上げる。 「情報収集はしっかりやったから、何でも聞いてよ」 集めた情報から案内するのではなく、香奈子の興味のあるものから情報を引き出して案内できるように。清顕の手が街並みへと向けられ、香奈子は賑やかな雑踏の中へ一歩踏み出した。 「バレンタインはね、昔は男性から女性へ愛をこめて花束を贈る日だったのですって」 目を輝かせ落ち着かない香奈子にくすっと笑って、フェンリエッタがバレンタインを教えてくれる。 「普段は言えない想いや感謝の気持ちを伝えるって、素敵ね」 それに、そういう相手がいる事に改めて感謝できるから――。この日だけは、思い切って勇気を出して。 「私も先日、愛するお姉さまに贈りましたわ〜♪」 普段から充分に伝えている感を漂わせながら、ローゼリアは思い出すようにうっとりしている。 「お酒を入れましたが強度が弱かった様で…残念ですの」 「お酒が好きなのね?朧はどうだったかしら…」 意味が伝わっていない気もするが…同年代とあって感覚が近いのか、目に映る物珍しいものに会話は弾み、ぐんぐん離れて行く少女たちの背中―― を、今度はアグネスが誘導するように動いた。 「この辺りは果物が美味しいって聞くし、干したものでもよさそうね」 干した林檎、杏に葡萄。釣られたように、ぱっと好奇心の目が向けられる。 「砕いたクッキーとナッツ、刻んだ干し果物を混ぜてチョコで固めても美味しそう」 「それならオレンジピールもどうかしら?柑橘系の皮で簡単にできるの」 百合も傍に並べられている、小さく切られた乾燥した蜜柑の皮を指した。蜜柑なら食べたことはあるけど、と香奈子は手に取りじっと見る。 「砂糖を絡めてチョコを半分だけつけるのよ」 甘いもの大好きな朧ならきっと、とんでもなく喜ぶに違いない。何となく想像していると、ふと百合が手招きしているのを見つけた。果実売り場からは、少し離れた場所。 「チョコを渡すだけじゃなくて、お揃いの品をプレゼントするのはどう?簪、手鏡とか」 仕事ばかりじゃなく、女の子の楽しみをあげたいじゃない? 考えてもみないことだった。誰かに贈り物をするという行為は初めてで、思えばチョコレートも『プレゼント』なのだ。 「プレゼントなんて初めてだから……何が嬉しいのかしら?」 明らかに不安そうに視線を彷徨わせる香奈子の背後から、音もなく気配が湧いた。 「あぁ、それなら良い店に案内するよ」 「千代田さん!」 ぴぎゃっと飛び上がる香奈子に、百合が諌めるように小さくその後ろを睨む。 「っと、ごめん。驚かせちゃったかな」 悪びれなく謝られて、思わずぶんぶん頭を振った。気配の消しかたに、こっそり朧を思い出して。 案内されたのは、品の良い落ち着いた雰囲気の店。少し大人びたものを―― と、選んだのは銀製の手鏡だった。裏側には月と、可憐な花が咲いている。背景が色違いの、お揃いの手鏡だ。 「材料は買ったし、あとは入れ物かな」 泰生は紙も名産らしいから、と情報収集しておいた市場へ清顕が案内する。繊細なものから豪奢なものまで、様々な種類の紙が大量に並べられていた。 「すごく綺麗…!」 「綺麗な色と風合いの紙で包んで水引で飾り付けたら、更に相手を想う気持ちが伝わるんじゃないかな」 「いいですね。メッセージカードを添えてみるのもいいかも」 フェンリエッタがそれに付け足すように言い添える。 想いも伝えられるようにと心を砕いてくれる人たちへ―― ありがとう、と。 小さな声で、けれどしっかりと聞こえるように香奈子は呟いた。 ● 調理台の上には、ずらりとチョコレートの材料が並べられていた。 「……」 そして。ざくっ、ざくっ、とチョコレートを刻む音が響いている。力が抜けない肩、強張る横顔。 「…ま、こういうのは上手い下手じゃなくて、どれだけ相手のために一生懸命作るかさ」 「そうね…上手、下手は関係ないわ」 楽しそうだからと参加した清顕がその包丁捌きを心配そうに見守れば、百合も蜜柑の皮を持ったまま不安そうに頷いている。香奈子から応答はない、切る横顔はただ真剣だ。 「そういう時には渡す方が喜ぶ顔を想い浮かべながら、作業いたしますのよ?」 難しい作業ではないが、初めての者には些か面倒なのかもしれない。ローゼリアは驚かさないようにそっと、香奈子に伝える。 「もう少し甘いほうが好みかしら?どんな顔をなされるかしら?などなど……ああ!お姉さま〜♪」 「……それは、何となくわかる気がする」 どんな顔で喜んでくれるんだろう?想像したとき、何だか悪くない気分だったから。 尻尾も一緒にくねくね動いているのをちらちら見ているうちに、余計な肩の力は抜けて―― 鍋で溶かされたチョコレートが上品な甘い香りを漂わせるのに、それほど時間はかからなかった。 「…それはなに?」 白いモノが、袋へ流し込まれるのを覗き込む。 「卵白と粉砂糖を混ぜたものよ。ほら、こうすると文字や絵を描いたりできるの」 その袋を絞ると細く穴が開けられた部分から、白いモノが出てくる。小さく焼いたタルト生地にチョコを流して固めたものの上に、それで思うものを描くのだ。 「チョコをかけるのもいいけど、こういうのも遊び心があって素敵じゃない?」 アグネスが悪戯っ子のように笑った。 「じゃあチョコが固まる間こっちを手伝ってくれる?」 フェンリエッタに呼ばれて寄って行くと、すでに丸いモノがいくつか並べられていた。 「白玉粉を使ったレシピは簡単だから、出来たてを皆で頂きましょ♪」 ぱっと嬉しそうに顔を輝かせる香奈子に、包装には向かないからと微笑んだ。 「生地で一口大チョコを包み茹でて、氷水で冷やすの。冷やしたてなら中のチョコが溶けて食感も面白いし、冷えて固まっても美味しいのよ」 大福みたいな感じかしらと、チョコを包んで丸めていくのを見よう見真似で手伝ってみる。 「ちょっと変わったお茶請けになるから、お勉強の合間の気分転換にもぴったりよ」 チョコレートを知る人は増えたものの、香奈子のように調理法がわからない人は多い。白玉粉を使うこの調理法のように、天儀菓子との組み合わせもとても合うことを知って貰えたら。 蜜柑の皮や果物、クッキーにマシュマロにあられ、チョコをかけてみたり砕いて混ぜてみたり……右往左往しながらも、丁寧に教えてくれる彼らのおかげで、初めてにしては上出来なチョコレートが出来あがる。フェンリエッタが最後の仕上げにと、高級感を出すように金箔をほんの少し添えた。 そうして、紙で丁寧に包装していく。手鏡も入れて、メッセージカードを添えて――― バレンタインの贈り物の完成だ。 ● 余った材料に、百合が提案したのはチョコレートフォンデュだった。 「道具だけ揃えれば、朧さんと一緒に楽しめるでしょ?」 フェンリエッタと作った大福、パンや果物、みんなで楽しめるし朧との予行練習にでもなればと。 百合自身も商家の一人娘だったが、女の子としゃべる機会はなくて―― だから香奈子には、楽しい時間を過ごして欲しい。苺を満足そうに頬張っている香奈子に、百合は嬉しそうにそっと微笑った。 「街、楽かった?あんまり出たことなさそうね」 どこか楽しげに、アグネスは香奈子を眺める。 「色んなものが見たい気持ち、よく解る。あたし、ジルベリア中回ったけど、もっともっと見たくて天儀に渡ったんだもの」 「ジルベリア…私には遠いわ」 商品を扱う家柄、ジルベリアの物は物珍しいわけではないけれど。その国を知っているわけではない。 「外に出たいなら、世話係に言ってみたら?普段はお行儀良くして信用させるとか…」 窮屈を我慢するのではなく、そういう作戦…何だかアドバイスの仕方が妙に慣れているアグネスの言葉に、目を丸くして頷く。 「…ま、お転婆やって追っかけて貰うのが楽しいんなら、止めないけどねぇ」 感謝したいのに素直になれない姿が愛おしいと、つい構いたくなるアグネスのからかいを含んだ笑い声に、わかりやすく香奈子の顔が真っ赤に染まった。 「な、なに言ってるのよ!そんなんじゃないわ」 誤魔化すように、ぱくぱくとチョコのついたパンが口の中へ消えていく。 「香奈子さんをすごく大事に思ってるんだろうね」 ふいと逸らしていた顔をそっちへ向ける。ついてるよ、と頬を指してくれる清顕と目が合い、首を傾げた。 「朧さん、だっけ?休みをとったのも、もしかしたら君と同じ事を考えているからだったりして」 フェンリエッタも、その言葉に頷く。香奈子は慌てて食べかすを払って、肩を竦めた。 「そういうの、鈍感だから。大事にされてるのは、まぁわかるけど……」 伊達に長く一緒にいるわけじゃない。大事に思っているのは同じだと、朧に伝わっているかはわからないけど。 「想いはチョコに込めるのも手、だけど。チョコに重ねて言葉で伝えると、もっと伝わると思うの」 まっすぐ向けられる、アグネスの瞳は深く真摯だった。 「大切な人に大切って伝えるのは照れるけど、それも案外いいものよ?」 大切だと……伝えられるだろうか。今もまだ、伝えたい気持ちはうまくまとまってくれない。 「香奈子さんの気持ちや贈り物、喜んで貰えるといいですね」 静かな笑みを浮かべフェンリエッタが言う。 「…えぇ。喜んで、くれるかしら」 形は悪くないはずで、見た目だって綺麗にした。想いを伝えられたら満足だけど、朧が喜んでくれるならもっと嬉しさは増すだろう。 「何より大切なのは贈ろうと言うその心遣いですの。次にはもっと…という様に、ですわ」 上手くいって美味しいものが作れたなら上々、だけどそれだけでは決してない。 「きちんと想いが伝わります様に祈っておりますわ。頑張りなさいませ」 背を押してくれる明るい金色の瞳に、香奈子はしっかりと頷き返した。 「香奈子さま!」 スパーン!と、何の前触れもなく襖が勢いよく開けられた。 「朧?」 「あ…申し訳ありません、何だか大勢の方とここに籠られたと聞いたので」 ほっと肩を落としたあと、謝罪するように頭が下げられる。 「…この方たちは私を助けてくれた、開拓者たちよ。心配ないわ」 そう返して、深呼吸ひとつ。ぎくしゃくした動きで木箱を取ると、朧へと差し出す。 「……手伝ってもらって、作ったの。バレンタインだから」 朧をじ、と見つめて伝えたい想いを探す。 「これからも……私の傍にいなさい。た…大切にしてあげるわ」 その目が見開かれていくごとに、顔が熱くなっていくのを感じた。恥かしすぎる、でも伝えたいことは伝えられた。 「誰に言われなくとも、ずっと傍にいます。香奈子さまの、お傍に」 嬉しそうに微笑んで、朧は懐から取り出したものを差し出す。可愛らしく包装された小箱。 「朧も買いに行ってきました。手作りではありませんが…」 バレンタインの話を聞いてから、ずっと考えていたのだと―― 同じことを考えていたらしい朧に苦笑して、小箱をそっと受け取った。 (チョコをあげて想いを伝える…ね) 百合はちらっと清顕を見やった。そして、すぐに頭を振る。消費数を増やしても仕方がない、きっとたくさん貰うのだろうから。 そんな視線に気づいたのか、清顕はにっこりと笑って。 「俺だったらチョコなんか無くても、言いたい時に言いたい事を言うけどね」 自分で作ったチョコと、泰生の店でこっそり買っておいた簪をすっと差し出した。 「俺の気持ち、どんな味か食べてみるかい?」 「…し、知りませんっ!仕事中!!」 覗き込まれた顔の近さに、百合の白い頬はさっと赤く染まって。 茶化す周りの声に、清顕の朗らかな笑い声と百合の慌てふためく声音が重なる。 「…次はあんな感じで迫るのがいいかしら」 和やかな賑わいをどこか嬉しそうに眺めて、香奈子はのんびり呟いた。 |