官能の温泉玉子
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/04/26 07:34



■オープニング本文

 温泉。
 それは人々を癒す魂の洗濯場。
 開拓者。
 それは妄想の中で生きる人々を魅了してやまない魔性の者たち。
 素敵な二つが出会った時に、情熱の迷走が始まった。

「きゃー、買っちゃったァ! この為に徹夜で並んだのぉ!」
「私は全種類買うわ!!」
 とある温泉宿に、特殊な趣味をお持ちの女性たちが押し寄せていた。
 彼女達が競い合うように購入している土産。
 それは『官能の温泉玉子』(おんせんたまご)という商品である。
 ただし普通の温泉卵ではない。その卵は温泉で茹で上げられた卵には違いないのだが、一つ食べれば女の美貌と魅力を引き出すと噂の『媚薬の卵』であった。
 アヤシイ。
 360度どこから見てもマトモな代物に見えない。
 普通の人間ならそう考えただろう。だが彼女たちが夢中になるのは、それなりの理由があった。

 ことの始まりは、数週間前に遡る。

 このヤバイ気配しかしない温泉卵を売り物にしている温泉宿は、開拓者を使った企画広告を用いることで一躍有名になった。
 企画の名は『温泉王子』(おんせんおうじ)……名の売れた男性開拓者を使って、艶かしい広告を作り、官能的なセリフを書く。するとその絵を貼った商品は瞬く間に売り切れて完売。貼った広告を剥ぎ取っていく珍妙な泥棒まで発生した。
 それらの絵を描いた画家の真麗亜さんは、当時開拓者の半裸を描く仕事の最中、ついでに飛んでもない事を思いついた。騙されて呼び出された開拓者が疲れて寝静まった頃合を見計らって、親愛なる義理の妹にこんな話をしたのだ。

『ねぇ、寿々』
『なんですか、お義姉様』
 三歳の娘日向をあやしながら、声だけ返したのは黒い髪の少女。
『間接キスって、乙女の夢よね』
『突然、何を言い出すんです』
『えーだってぇ、こんなにイイ男がいっぱいいるのに、鑑賞してるだけなんてつまんなぁい』
『……旦那様が泣きますよ、お義姉様』
 遠いジルベリアの地で働く、真麗亜の伴侶こと紫暗の気苦労を思ってたしなめる。
 しかし真麗亜さんは挫けなかった。
『はいこれ』
『何故、化粧道具と温泉卵。ってこれ睡眠薬じゃないですか!』
『いけめんズに一服盛って、寝ている隙に唇を奪うのよ』
『は!?』
『具体的に言うとー。睡眠薬盛って、唇に紅を塗って、温泉卵に優しくタッチ! これで温泉王子がキスで祝福した温泉卵の完成よ! これは売れる! 売れるわあぁぁぁ! 日向の為にもよろしくね』

 かくして。
 第一弾の卵は本人たちに知られることなく、乙女たちに売りさばかれてしまった。
 これが媚薬の卵。
 ……否、官能の温泉玉子(おんせんたまご)が誕生した経緯である。
 キスマーク付きの温泉卵は、官能的な姿絵と「ボクがキスしました。」の文字つきで限定販売されることになる。二個入り小箱で100文。通常の卵が一個5文で取引される物価を考えると、実に10倍の価格取引である。

 その後も度々、何も知らない男性開拓者が温泉宿に招かれた。
 表向きの依頼は『温泉宿の広告モデルとなること』であり、お題として無料で堪能できるご馳走に舌鼓をうちながら、朝から晩まで温泉に浸かり続ける生活に満足する者も多かったわけだが、時と共に『官能の温泉玉子』の存在が世に広まるにつれて、男性たちも黙っていなかった。

「我々にも権利がある!」
「そうだ! 俺たちの唇を返せ!」
「知らない女子に恥ずかしめをうけていいのか!?」
「否、断じて否!」

 ある夜の酒場で『官能の温泉おーじ被害者の会』が発足していた。
 官能的な広告ですら辱めであるというのに、見ず知らずの女子と間接キス。
 これは頂けない。
 かくして悪の組織(温泉宿)の企みを撃破すべく、男たちは再び温泉宿へ乗り込んだ。
 絵のモデル。豪華な食事。しかし今度ばかりは、寝込みを襲われる訳にはいかない。戦いから生き残って、キスマーク付きの卵を盗み出す、或いは破壊しなければならない。

 何故こんな決死の覚悟で望むのか。

 それは現在、男たちの唇を卵に奪わせている人物が『寿々』と『ポワニカ』という少女達だからだ。
 寿々は画家の真麗亜の義妹で、姪のお世話に勤しんでいる静かな娘だが、実態はシノビとしての技能に抜きん出ている。秘術『夜』を使った、と仲間の温泉王子から情報が入ったのだ。
 一方、ポワニカは最近泊まり込んでいる憂汰という美食家の侍女だが、化物並みに強い魔術師であると判明した。
 寿々は親愛なる姉の愛娘の養育費を稼ぐために。
 ポワニカは自由奔放な主人の旅費を稼ぐために。
 この二人から唇を死守し、同志たちの卵を奪還するのは至難の業。

「いくぞみんな」


 俺たちの戦いが、今始まる。


■参加者一覧
御樹青嵐(ia1669
23歳・男・陰
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
紺屋雪花(ia9930
16歳・男・シ
御調 昴(ib5479
16歳・男・砂
ラグナ・グラウシード(ib8459
19歳・男・騎
春炎(ic0340
25歳・男・シ
ジャミール・ライル(ic0451
24歳・男・ジ
パルファム(ic0532
20歳・男・魔


■リプレイ本文

 決戦といえば夜と相場が決まっている。
 大人しく温泉に浸かり、女性たちの黄色い悲鳴に笑顔で接し、妄想気味の女性陣の群れという魂を削る場から逃れるように戻ってきた部屋には、料理長による豪華な食事が並べられていた。
 先に戻っていたラグナ・グラウシード(ib8459)がご馳走に上機嫌だ。
「早く作戦会議を始めよう!」
 凛々しげな表情で仲間を見回しつつ、その頬には涙の跡が。
 数分前まで湧き上がる悲しみに身を任せていたからだ。
『……現実の私が、ちっとも幸福を掴めていないというのに。私の唇が、卵などに奪われていたとは』
 純情男は大なり小なり接吻に夢があったらしい。
 流石に羽妖精のキルアも哀れに思ったのか、特に何も言わずに見守っていた。
「……駄目な前提で詠んでしまいました。あ、皆さん、おかえりなさい」
 窓辺で句を考えていた御調 昴(ib5479)が戻る。
 手元の紙には『身を捨てて、誇りの為の、罠の宿。例え散るとも、清き世の為』と書かれていた。
 一方、パルファム(ic0532)の膳はあまり進んでいなかった。
「体調でも悪いのー? これからが本戦なんだけど」
 ジャミール・ライル(ic0451)が傍らに座る。
「なぜかな。食が余り進まないのだよ。天儀食は美味しいけれど、変わった香りがするネ」
 パルファムの鍛え抜かれた嗅覚が、何かを訴えていた。
 だが基準が野生の感だったので、そのまま静々と口へ運んでいた。
 ライルが煮物などアレやコレ食べて顔色を変える。
「この感じ……毒!」
 ぶほーっ、と口に入れていた味噌汁を周囲が吐き出した。
 グラウシードがライルに詰め寄る。
「ど、毒だって!? どれだ!?」
「殆ど全部、かなぁ。うーわー、凝ってる。この鰹のタタキの漬け丼とか、タレに痺れ薬入ってるじゃん。ワサビで気づかないようにしてあるとか、すげー。うん……まあ、気付いたからってどうしようも、ない訳だけどね。食べちゃってるし」
 食べる直前だった以心 伝助(ia9077)は、敵の用意周到さ……否。
 容赦のなさを知り、言語を失った。
 噂に聞く睡眠薬な食事がマジと分かっても、他に食べるものはない。
「終わった……キルア、どうしよう」
 慌てるグラウシードを眺めたパルファムは「ミーは、とんでもない事に巻き込まれてしまったようだヨ」と呟いた。諦めて食すライルは、小魚の唐揚げを頭からバリバリ噛み砕きながら、既に大量のご馳走を食らった男の肩を叩く。
「毒って言っても、死ぬ訳じゃないしねぇ、普通に楽しもっか」
「毒仕込み料理ですか。食べないと、倒れる……というより、戦っても負けそうですね」
 御調が異常事態に悩む。
「……誰か他者の解毒できます?」
 静寂が満ちた。
「キルア、戦う前から試合終了だ、……詰んだ」
 箸を落として顔を覆っているグラウシードと、完全に箸が止まったパルファム。
 悩んでいた春炎(ic0340)が座布団に座る。
「……諸刃の剣だが、俺は食うぞ。倒れるわけには、いかないからな」
 膝の上に、温泉で綺麗に洗われたモフモフな忍犬の次郎さんを乗せて、毒入りの料理を食べ始めた。
 なにしろシノビには『死毒』という優れた解毒技術がある。
 毒殺上等!
 の覚悟は強い。
「春炎さんのおっしゃるとおり! その程度で敵に屈してどうします!」
 しゅぱーん、と襖がひらいた。
 湯上りの御樹青嵐(ia1669)は、何故か厚化粧に女装姿で部屋に戻った。
「その格好は」
「これも作戦です。時が来たら……私が狩人さんたちの目を引きつけ、本隊から目をそらしてみせますとも。いかなる犠牲払ってでも、この忌まわしきし暴挙を阻止し、私たちの誇りと貞操を守り抜かねばなりません。覚悟は完了しております!」
 しかし解毒技術を持たない者は、食べた分だけ自ら罠にハマることには間違いない。
「食事を抑えるしかなさそう、ですね」
 御調の目が死んでいる。
 毒に影響されないシノビ軍団が心底羨ましい。
 春炎や以心、紺屋雪花(ia9930)はモリモリと夕食を食らっていた。
 夜の戦いに備えるには、まずは体力を養う事が肝心だ。
 動揺をのりこえて。
 男たちは食事会議にうつる。
「さて。卵をどう処分したものか……食い物を粗末にする訳にはいかねーし」
 御樹と同様に女装した紺屋は、昼間の売店で見た温泉卵の売れ筋を思い出しつつ、悩みながら天井を仰ぐ。
「えっ、雪花が貞操を守る戦いとか、本気だったのか? 冗談だろー? あちこちで必要と在らばお色気でたぶらかして歩いてる奴が何いってんだよ、ははぶっ!」
 茶々を挟んできたからくり火鳥の口に、刺身飾りだった魚の頭が押し込まれる。
「で、どーするー?」
 話を振られた以心が我に返った。
「確かに。なんとか卵だけでも処分しやせんと……各個撃破も厄介でやんす。ここはひとつ一緒に班で動いてみては? それに相手があの方々では、見つかる前提でいかないと駄目かと」
 からし菜の和物を食べながら「舌がビリビリしてきました」と呟く御調が悩み込む。
「完全には動けなさそうですから、目立たないように頑張りましょう。時間稼ぎどうしましょうか。囮とか、色々と足止め手段を……あ、そうだ」
 席を立った御調は、毛布をまるめ、浴衣の紐で人っぽく縛り始めた。
 布団に仕込む気らしい。
 ライルが隣部屋に敷き詰められた布団を眺めて「彼女らも、俺に言ってくれれば普通にキスしてあげるのに。寝てる間にってのがね」
 釈然としない顔で、筍の炊き込みご飯を口に放り込んだ。


 ところで。
 あなたはお酒を飲みすぎた事はないだろうか?
 飲み過ぎると手が震えて、身を起こしただけなのに、持っていた飲み物を零してしまったりする。
 均衡感覚が狂う、アレだ。

 最も少食だったパルファムが震える手を見下ろす。
「ミーでコレだと、厳しそうダネ」
 食事を多く摂取したのは、手遅れだったグラウシードと諦め気味のライル、毒殺上等で食べていた紺屋と春炎と以心のシノビ軍団。
 体の自由が鈍くなった段階で、死毒を使った紺屋たちシノビ軍団はピンピンしていた。
 毒の程度を尋ねながら食べていた御調と御樹、殆ど手を付けなかったパルファムに至っては、動けることは動けるが、腹が始終鳴っていた。
 食事量が体と精神を支え、何より敵を呼び寄せる音を響かせる。
「さあ! いきやすよ!」
 鍵開け道具を抱えた以心が振り返ると、グラウシードとライルが四つん這いで蠢いている。ライルはダルそうにしつつ、ひらひらと手をふった。グラウシードは「おえは、うぁいへんのかゆーほほ、はははうほ」と言って、ずりずりと床を這う。
(通訳『俺は売店の狩人と戦うぞ』)
 息の荒い御樹は管狐の白嵐を召喚し、同化を命じた。
 白嵐の『このまま手伝わなければご主人様の簀巻きされ縛られた萌えな姿が見えますの〜』とかいう戯言は華麗に無視する。
「くぅ……余計に動く余力はない、ですね」
 御調が湧き上がる睡魔と戦っている。
 紅蓮の瞳が鋭く光った。
「正直に言って、全力を出せる状態でもまともに渡り合えない相手、です」
 御樹は「確かに、ポワニカさんは化物並みです」と昔の記憶を遡る。
「でしょう? つまり誰かが囮で気を引いている隙に、こちらの目標を達成するしかないですね。とくに体力万全な方が、たくさん時間を稼げると思うんです! どうせなら、有名な方のほうが注意を引けますよ!」
 肩に手を置かれた以心が「待ってください!」と異論を唱える。
 御調は首を振った。
「これは確かな情報です。僕は……有名には『今一歩』及ばないのが残念です、ええ本当に」
 元は高名でも、転職をすると知名度がおちる。世の不思議だ。
「そんな!」
「俺たちが囮役になろう」
 春炎が身動きのままならないライルを背負った。
 ぐったり気味のライルが「おおくへ? はいほーふ?」と、もごもご喋っていた。
(通訳『重くね? 大丈夫?』)
「大丈夫だ。解毒の術がない以上は、助け合わねばな」
 どうやら春炎には意味が通じていた。
 なんだか月光に照らされた白皙の横顔がカッコイイ。
「口づけは大事な者に渡すものだ、皆の唇は俺が死守しよう」
 皆、春炎に男気の真髄を見た。
 最も……長くは続かない仮初の男気なのだが。
「じゃあ、囮役をやってくれる方の犠牲を無駄にしない為にも、ミーたちは気合を入れるよ」
 パルファムの言葉の後に「皆の幸運を祈る!」と春炎が飛び出していった。


 部屋を出てすぐ、春炎とライルは少女の影に追われていた。
 偶然や心配を装う声にも耳を貸さない。
 二人の役目は可能な限り本隊から狩人を引き離すことだ。
 しかし片方はシノビ。一瞬で距離を詰める恐ろしさからして、シノビの奥義『夜』に違いない。
「く、このままでは捕まるか。ジャミール、申し訳ないが……御免!」
 叫んだ春炎は、なんと背負っているライルを床に横たえる。
 代わりに。
 足元にいた忍犬の次郎さんを小脇に抱えて走り出した!
「え、どういうコトなの? おい、ちょっと待っ……」
「ほんの僅かな時間稼ぎかもしれんがな! 他の奴らに手出しはさせん! さらばだ!」
 ばりーん。
 廊下の障子を突き破り、柱に結んだ命綱の荒縄を使って外へ飛び出す。
 哀れライル。生贄として置き去りにされる。
「ぎゃー! テメェ、俺より犬か!」
 窓の向こうから『どぼーん』と水音がした。どうやら春炎は屋外温泉に落ちたようだ。
 半泣きなライルの眼差しが『後で覚えてろよ』とささやかな恨みに染まる。
 そして冷や汗を流しながら、必死に頭を働かせた。
 生憎、キス程度で動揺するほど綺麗ではない。しかし体はほとんど動かない。開拓者の技量でも勝ち目はない。何をされるかわかったものではない以上、自分の身が一番かわいい。
 ならば口でなんとかするしかない!
「ち、一人逃げましたね。どうします、ポワニカさん」
 狩人の声が聞こえた。
「温泉から広間までは一本道。まだ逃げ切ったわけじゃないでしゅ」
「あのー。そこのお嬢さん達、取り敢えず落ち着いて、話し合おうか? 俺の安全保証してくれたら、他の連中の目的とか、移動経路とか、全部包み隠さず教えるし。悪くない提案じゃない?」
「いいでしょう」
 この瞬間、仲間たちの作戦は、知恵勝負から実力勝負に変化した。


「……いったい、何処へいくのでしゅ?」
 舌ったらずの可憐な声音。
 長い渡り廊下の果てで、銀髪に紫の瞳をした侍女の少女が佇んでいる。
 年の頃は十歳前後、しかしその実態は、御樹を遥かに超える年齢だと言われていた。傍若無人な主人の影として付き従い、あらゆる願いを叶えてきた恐るべき魔術師だ。
 御樹は礼儀正しく声をかけた。
「こんばんは。ポワニカさん。ここはひとつ穏便に参りませんか? 見逃して頂ければ、ご主人様……憂汰さんに、私の手料理を一食ご馳走しましょう。お代は不要。如何でしょう」
「残念でしゅが、こことの契約破棄はできないのでしゅ」
「そうですか」
 御樹は喋りながら……痛恨のミスに気づいた。
 術が発動しない。うっかり呪縛符と暗影符の支度を忘れていた。御樹の焦りに気づいたパルファムが話を引き伸ばそうと奮闘する。
「勿論タダで、なんていわないヨ。ミー達と取引をしないか? そうだな、彼女たちが独り占めしている卵の代金、あれをユー達のものにしたいとは思わないか。ミー達はユー達の卵にキスをしよう。それを売ればいいのさ! だからこれからミーと祝杯を……」
「それは今と変わらないと思いましゅが?」
 ポワニカが杖を構える。
「くっ……私は負けん、負けはせんぞッ! 騎士は、悪の手から仲間を守るものだ!」
 鬼神のような気合を纏ったグラウシードが、ポワニカを目指して疾走する。仲間のために戦う、その鬼気迫る姿は正に『幼女を襲う変態』にしか見えない残念ぶりだ。距離が縮まろうという時にポワニカの杖が輝く。
「ホーリーアロー」
 強力な聖なる矢が、グラウシードを貫く。60メートルの距離も容赦なく飛ぶこの術は、アヤカシ以外には痺れしかもたらさない。更に後方の紺屋、御樹、パルファムも貫く。
「十秒で四発!? 高位魔術師か!!」
「大丈夫でしゅよ。大事な商品でしゅ。顔や体は怪我させないでしゅよ。アイヴィーバインド」
 元々薬でほとんど動けないグラウシードを一瞥すると、残る三人の捕獲にうつった。勝利を確信したポワニカがゆっくりと歩いてくる。
「さ、サンダーサンダー、破滅の香りを楽しむといいヨ」
 パルファムが雷を放つが、まるでひるむ気配がない。
 瞬時に回復する。
 化物だ。
「……効いてるケド、あれは効いてないネ。練力も体力も天と地……ぶっちゃけ、ミーはあまり攻撃は得意ではないのだよ。香りを調合するのが趣味だしネ」
「パルファムさん、あきらめてはなりません!」
 御樹が叫ぶ。
「力量差は天地ほど…さて、どうする、か」
 紺屋の表情に焦りがにじみ、何かを悟ったような顔をした。
「金の為にそこまで動くなら……この温泉でだけ素顔を晒すのもいいかもしれないな。路銀を稼ぎたいのは俺も同じ。俺の温泉玉子返して貰えるなら……その玉子を使って素顔で女性陣に手料理作って食べさせる会でもなんでもやろう! だからどうか!」
「紺屋さんまで、あきらめないでください!」
「じゃあどうする!? あれから絶対、逃げられないだろ!」
 刹那。
 倒れていたグラウシードが、背後からポワニカにすがりついた。
「今のうちだ……早くあの、呪われた卵をっ! キルアもいくんだ!」
「いやあ!」
 悲鳴があがった。
 紅潮した顔。指先から伝わる、ふにふにもにもにとした感覚。
 グラウシードは勢い余ってポワニカの貧乳を掴んでいた。
「ぅわ! すすす、すまな、ぅぶッ!」
 厳つい杖で殴り倒される。
「すきありでしゅ。後でレ・リカルで癒してさしあげましゅから。安心して動けなくなってくだしゃいな」
「鈍器!?」
 まごうことなき暴力である。
 全くの無表情なところをみると、どうやら演技らしい。グラウシードの性格を見抜き、油断を誘ったようだ。
「うふふ、この程度でひるんでは、名も無き君の侍女は務まらないのでしゅ」
 しかしグラウシードが体を張った好機を見逃さない者がいた。
 魔法の蔦が消えた瞬間。
「ここで諦める私ではありません!」
 御樹はポワニカの背に、漆黒の壁を生み出した。
 本館と別館の道、断絶。
 御樹の後ろで「塞いでどうすんだぁぁぁ」と叫んでいる紺屋がいたが「私の本気はここからです!」と叫ぶ。なんとポワニカの左右にも二枚ずつ壁を構築し、正面も黒い壁で塞いだ。
 結界呪符「黒」で築いた檻だ。御樹は更に壁を出現させ続ける!
「しまったでしゅ!」
「ポワニカさん……あなたが、いかに強力な術者であろうと、早期脱出には天井を破壊するか、床をぶち抜くしかありません。
 温泉卵の売り上げを超える弁済費用を出す事は、本意ではないはず!
 結界呪符は全方面二枚以上!
 十秒間で四発ほど術を放とうと、狭い空間内から小ワザで削るのは時間との勝負です!!
 そして力自慢のラグナさんは丸腰な挙句、使い物になりませんよ!」
 御樹、ドヤ顔で叫ぶ。
「さぁ皆さん。私たちは見捨ててもらっても構いません。壁は十分が限界。破られると数分しか持ちません。窓から出て、ポワニカさんの後方に回り、売店の卵を奪うのです!」
「勇姿は忘れねえぜ……達者でなぁ!」
 紺屋、窓を飛び出す。パルファムや羽妖精キルアも続いた。
「ミーたちが後で迎えに来るヨ!」
「了解。アホのキスマークつき卵なんて気持ち悪いものを残してはいかんからな!」
 こうして。
 売店班はグラウシードの尊い犠牲とともに、卵の破壊と奪取を達成することになる。


 一方、地下の袋小路では、卵の破壊や回収に勤しもうと、鍵を開錠でこじ開けた以心や御調たちが退路を阻まれていた。
「はあああ!」
 以心の拳が闇に冴える。
 何が悲しゅーて、卵のために本気で戦わねばならないのか。
 しかし楽しんでいる節もあった。
「結構本気だったんでやんすが……今のを受けるとは、さすが。噂通り強いでやんすね」
 ぎゅるるるる、と空腹を知らせる音が響く。
「私の蹴りをかわした貴方も、中々素早いではありませんか。腹の虫が鳴いている……ということは、食事を食べなかったのですね」
 腹の虫は御調の音だが、薄暗い闇の中ではよくわからない。
「睡眠薬とか毒はやりすぎっす!」
「あれはポワニカさんお手製毒物なので、加減は完璧です。……さて、遊んでいる場合ではありませんね」
 御調が背拳を使って、まるで背後に目があるように警戒していようと、時を駆ける夜の技術と影縛りの術の前では、身動きが取れない。
 二人の体を暗器が掠めた。
「誰ひとりとして、生きて逃すわけにはいかないのです」
「まるで悪役でやんす、よ。……ん?」
 以心はある事に気がついた。
 濃厚な甘ったるい香りがする。ぎゅるぎゅると腹を鳴らしていた御調が、がっくりと膝をついた。自分の手もしびれがひどい。
「これは囚痺枷香」
「さすがはご同業。その通りです」
 練力で精製した神経毒を武器に付与するシノビの技術である。
 効果はおよそ一分だが、その間に簀巻きにされるかもしれない。
 呻く以心が膝をついた。
「寿々さん……それだけの、腕が、ありながら、なんで、こんな事を……」
 艶やかな黒髪が揺れる。
「私は遠きジルベリアの地で、苦難を乗り越えてきたお義姉さまに、剣と命を捧げた身。お義姉さまと日向の為でしたら、なんでも致します。それが私の選んだ誓いです」
 格好いい話だが要は『主人以外どうでもいい』という血も涙もない宣言だった。
 今回に限っていえば。
 お前たちの貞操は頂く、と言うてるようなものである。
「無事か!?」
 現れたのは温泉から這い上がってきた春炎だった。
 一瞬の隙をついて、死毒で神経毒を無効化した以心がお年玉を投げ放つ。
 ちゃりんちゃりんと響く音。
「あんなところにお金が!」
「え」
 財布を落としたのか、と慌てる寿々の傍らを、奥義『夜』で駆け抜ける。
 もちろん。
 春炎と御調は置き去りで。
『皆さんの尊い犠牲、忘れやせん!』
 夜の技量も寿々が一秒近く上……と実感した段階で、以心の頭の辞書から『余裕』の単語は消えた。一対一に持ち込まれたら、負ける可能性が高い。宿の前にいるはずの炎龍焔のもとを目指す。
 残された男たちは……闇の中へ消えた。


 翌朝。
 魅惑の卵は根こそぎ割られ、一部盗難にあった為に販売中止となっていた。
 だが温泉宿では、簀巻きにされた男たちが展示されていた。ポワニカの拷問を経て治療を施された生ける屍ラグナ・グラウシードと神経毒が抜けた御調、そして戦って負けた春炎だ。
 昨夜、自分で退路を塞いだ御樹はいない。
 炎龍レルムを連れて、窓へ戻ってきたパルファムに救出された。龍の背に相乗りし、よたよたと空を飛びながら逃げたらしい。

「俺は強敵と手合わせ願えたから、構わない」
 鬼面をかぶって抵抗している春炎。
 御調は「決死の覚悟で来た、はずだったのに」と嘆いている。誰かを見捨てる事を想定していたが、まさか自分が捕まるとは思わなかったらしい。相棒こと鷲獅鳥ケイトは全く助けてくれない。
 結局、目的を達成して脱出できたのは、紺屋と以心、御樹とパルファムの四名だけ。
 ライルはというと。
「いやー、やっぱ俺じゃどうにも出来なかったわー」
 両手に花の状態で、優雅に宿暮らしをしていた。肩には迅鷹のナジュム。ライルは女の子に持たせた食事の膳を其々の前に並べて「はいあーん」と食わせ始める。
「おい、ジャミール」
「睨むなって。しょーがないじゃん? でも俺なりに必死に交渉した、つーか。俺が世話してアレな見世物にすっから、て話で、ガチムチのおっさんによる接吻の刑、は避けたんだぜ? だから、ほら……ごめんな?」
 誠意のない謝罪が、春炎たちに向けられたのだった。