雪降る森と霧の鉱泉
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/03/12 13:56



■オープニング本文

 雪降る夜に空を見上げた。
 肌が乾燥する季節になった、とぼんやり思う。

 その日、開拓者ギルドに一枚の案内が張り出された。
 神楽の都から、少々離れた山の麓。
 そこの秘境温泉の持ち主が、開拓者ギルドが上級アヤカシに襲撃された、ときいて、戦場で戦う開拓者の傷を癒し、日々の助けになれれば、と無料で招待してくれるのだという。
「困ったときは助け合いだってさ。昨年のアヤカシ駆除のお礼も兼ねてるみたいだね」
「秘境って、どういうとこなんです?」

 そこは年中、天然の温泉が湧くとして名の知れた鉱泉の湖である。
 益々寒くなると温泉の湖は白い湯気に包まれていく。別名を『霧の温泉』と言うのだが、夏から秋にかけて少し肌寒くなり温泉が恋しくなる秋の季節に噂の泉を尋ねると、湯気もさほどなく、水面に満天の星空がうつりこんで美しく輝くのだという。

 現在は気温がマイナス0度前後。
 雪が降り注ぐ森の中で、文字通り『霧の温泉』として賑わっていたが、その日は観光客を立入禁止とし、開拓者の為に貸切にするのだという。

 雪降る霧の温泉、というわけだ。

 湖の浅瀬に足をつけて足湯を楽しみ、奥へ進めば肩まですっぽり温まれる。
 岸壁を辿れば短い洞窟があり、岩に腰掛けて湯気が充満した蒸し風呂も楽しめるという。
 戦いの疲れを癒してみては、とギルドの受付は微笑んだ。


■参加者一覧
/ 真亡・雫(ia0432) / 柚乃(ia0638) / 酒々井 統真(ia0893) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 露草(ia1350) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / フェルル=グライフ(ia4572) / 鈴木 透子(ia5664) / からす(ia6525) / フェンリエッタ(ib0018) / 猫宮 京香(ib0927) / フィン・ファルスト(ib0979) / 果林(ib6406) / 澤口 凪(ib8083) / 愛染 有人(ib8593) / フタバ(ib9419) / 黒曜 焔(ib9754) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 雨野 歯車(ic0374) / 鶫 梓(ic0379) / 浦滝 煌(ic0403) / ジャミール・ライル(ic0451


■リプレイ本文

 白い湯けむりに包まれた霧の温泉は、時の移ろいと共に様々な顔をみせてくれる。
 今は、目の前が真っ白で何も見えない。
 温泉の淵に立てられた真っ赤な紐や旗が、温泉との境界を示している。
 離れた場所から仲間の声は聞こえるが、まるで姿が見えなかった。


 充満する湯煙の中で、水着の上に浴衣をまとった黒曜 焔(ib9754)は拠点仲間が来るのを待っていた。
「お、おまたせや、黒曜さん。ほな、寒いし……はよ温まりにいこう」
 薄手の着物を着たフタバ(ib9419)は、貧相な体型が気になるらしい。必死に前をかき合わせていた。
 あまりの必死さに、黒曜も気づかぬふり。
 きっと子供の成長を見守る親というものは、こんな風な微笑ましい気持ちになるに違いない。
 二人で足湯に足を沈め、黒曜が重箱の風呂敷を解く。
 用意した手料理だ。
 料理人ほど上手ではないが、一足早い春の演出に、煮込んだ人参や大根も桜の形になっていた。
 胃袋が満たされていく幸せ。
 足湯でぽかぽか温まるうちに、フタバの顔が弛緩していく。
「温泉めっちゃ楽しみやったけど、ほんまいい湯やわぁ。もふらさまと一緒にお風呂とか気持ちええなあ。極楽やなぁ」
「うちもそうおもうもふ〜、たまにはほねやすめもふ〜」
 もふらのゆきちゃん、及び、おまんじゅうちゃんも足湯に体を沈めて半身浴。
 指南書を片手に作った料理を箸でつつきながら、黒曜も空を見上げた。
「……星が綺麗ですね。水面に反射すると、別世界だなぁ」
 霧の向こうに見える、満天の星空。
 戦の騒々しさなど、まるで蜃気楼のような空の静けさに心が和む。
「ゆき〜、お弁当を食べまくるなら今のうちもふ〜」
「ちょ、おまんじゅうちゃん!?」
 ずぶ濡れのもふらに弁当を横取りされて、びちゃびちゃに濡れる黒曜。
 傍らのフタバは竹かごの中に卵をいれて、温泉に沈めた。温泉卵ができたら、皆で分けるつもりで。


 足湯を楽しんでいた真亡・雫(ia0432)は、傍らの猫宮 京香(ib0927)に顔を近づけた。
「普通の温泉じゃなく、足湯でまったりというのもいいですね」
「近づかないと見えないですもんね。でもじきに晴れますよ。雫くん、あーん」
 悪戯っぽく笑った猫宮が、真亡の口の中に何かを放り込む。
 不意打ちに驚いた真亡が謎の物体を咀嚼しながら「……数の子ですかね? あと山菜、かな」と呟いた。
「あは、正解です。雫くんみたいな綺麗な料理ではないですが……美味しいですか〜?」
 頻繁に野営しているから外の料理は得意なのだ、と。
 温泉に来る前、猫宮は真亡に事前申告していた。それは山菜や有りものでの調理が得意であるという意味以外に、多様なスパイスを用いた、手の込んだ家庭料理は不得手である、という意味も含んでいた。
「美味しいです」
「ほんとですか? あんまり味に自信はないんですけど」
「あれ、疑われてる? 本当です。それこそ、あるものだけで作る野外料理だと思うし」
 大丈夫、と囁く声に照れる猫宮。
 長い間、旅先でどんな料理を作っていたのか気になっていた真亡は、足湯に浸かりながら恋人の手料理に舌鼓を打った。
「あ、そうでした。料理を御馳走して頂いたから……このくらいはさせて下さい?」
 荷の中から天儀酒の瓶と盃を持ち出した。
 注ぐ酒の水鏡に月が映る。
「おっとっと、ありがとう御座いますよ〜。それじゃあ雫くんにもご返杯ですよ〜」
 酒精で赤く染まる頬で笑顔を浮かべて、ふたりだけの和やかな時間が過ぎていく。


 浴衣に着替えた天河 ふしぎ(ia1037)は、湯けむりの中で果林(ib6406)の手を取り、ロープを伝って足湯に向かう。
 遠くで聞こえる龍の鳴き声は、相棒の甲龍に違いない。
「竜さんには何度も助けてもらってますし、お互いに今日は息抜きになると嬉しいなぁ」
 なによりも天河と再び温泉に来れたことが、果林には嬉しかった。
 湯けむりに隠れて降りそそぐ、牡丹雪が肌を冷やす。
「この間一緒に来た時も素敵だったけど、雪が降るとまた雰囲気が違ってて綺麗だよね」
 良さそうな足湯場に腰を下ろし、果林が温かい緑茶「陽香」に雛あられを添える。
「お口に合えば良いのですが……」
「用意してくれたの? ありがとう! いただきます。今度はアヤカシ駆除の話もないし、二人でゆっくり楽しめそうだね」
「はい! 天河様、ご存知ですか? 足湯だけだと風邪をひきやすく、逆に体を寝せて足湯につかると保温効果があるみたいなのです。でも、この場で横になるのは……」
 痛そうですね、と。
 ごつごつした岩場を見下ろす。
「風邪かぁ、……あっ、寒くない?」
「天河様は寒いですか? でしたらこれを。風邪をひかないよう、毛布を用意しました」
 至れり尽せりの果林に「ありがとう」と感謝を述べつつ……天河は内心困り果てていた。
 いいところを見せようと思っても、先を越されてしまう。
 どうしたらいいんだろう、と百面相をしていて、ふと借りた毛布に目が止まった。
 気づかれない様に、距離を縮める。
「果林。少し冷えてきたから……ほら、こうして二人で毛布にくるまれば、寒くないよ」
 ふわりと毛布で包んで、細い腰を引き寄せる。
「わ、私も一緒に包まるのですか!? ええっと、その……お邪魔します」
 慣れない仕草に勇気を振り絞った分、心臓は早鐘の様に鳴っていた。
 人肌のぬくもりと落ち着きのない心音。
 頬を薄紅に染めた二人は、顔を見合わせて小さく笑った。


「湯けむりすごい……これなら誰かに見られないよね」
 水着を着用した柚乃(ia0638)は青い髪をきっちりと束ねた。
 体型をからかわれるのが嫌で、普段はこんな大胆な格好はしないのだが……温泉を泳げる機会などあまりない。
 思いっきり飛び込んだ。
 楽しそうな柚乃の泳ぎを、岩場から眺めていた童女がいる。からくりの天澪だ。
「柚乃……お顔がほやほや。楽しそう。おいてかないで」
 どぼーん、と激しい水音がした。
 静まり返った。
「て、てんれい!?」
 泳いで戻る。
 ぐい、と足を掴まれた。
 温泉の底に、ワカメのように揺れる銀の髪。天澪がいた。歩いてきたらしい。
 深い場所は大人ひとりが沈む深さだ。勿論、柚乃の身長でも足がつかない。背の低いからくりは、関節から空気をコポコポとと漏らしつつ、完全に沈んでいた。
「……あ、そっか。呼吸しないから……でも、教えれば、多少は泳げるんだっけ」
 今夜は、からくりに泳ぎを教える一日になりそうだ。


 御樹青嵐(ia1669)は足湯でちゃぷちゃぷ楽しそうな人妖の緋嵐に甘酒を与えて頭をなでた。
 最近は騒々しい事件が多く、今は戦の真っ最中だ。日々支えてくれる人妖にも、日頃の労をねぎらおうと思っていた。
 自分用のお酒と料理を持ち出す。
「ここで英気を養うのも重要でしょうね」
「おやご同輩、こんなところで何をしていらっしゃる」
 人妖を連れた露草(ia1350)が声をかけた。
「こんばんは。のんびり過ごしたいと思いましてね、見ての通りですよ」
 盃に注がれたるは、里で仕入れた大吟醸。
 漆塗りの重箱には、飴色に煮込まれたブリ大根に白菜の漬物、桜えびを散らした押し寿司。
 ……いささか量が多いのは、日頃、大勢の小隊仲間に振舞っているからだろう。
「これはいいものですねぇ、ね、いつきちゃん。美味しそうですよね」
「ねー」
「それはどうも。よろしければ、ぜひどうぞ」
「……と、言うのを待っていましたよ! ご馳走になります。と、その前に。いつきちゃーん」
 露草は人妖に入浴マナーを言い聞かせ、ぺいと放った。大人しくしてもらう為のお菓子も持参していたが、御樹のおかげで充実した時間になりそうだ。
「それでは露草さん、乾杯。おや緋嵐、おかわりですか?」
「かんぱーい。日頃の疲れを癒すにはこうでなくては。ほらほら、いつきちゃん、また雪が降り始めましたよ。明日は、こういう雪みたいなお菓子を探しに行ってみましょうか」
「存分に甘やかしてますね」
「甘やかし? ノン! 甘えさせです!」
「さようですか。……あなたも如何です」
 御樹が道行く者に声をかける。そこには、まるごとからすを着ていたからす(ia6525)が、座り心地の良さそうな場所を探していた。
「む。御樹殿か。食事中のようだが、よいのかね?」
「勿論。皆さまに喜んで頂けるなら、それは本望。お酒は楽しんで呑むものですよ」
「ではお言葉に甘えようか。陽炎燈」
 ふわり、と鬼火玉が現れた。
 一見、火のアヤカシに見えるが実態はケモノである。纏っている炎は光に近く、可燃物を近づけても燃えることはないが、形状が火のようなので、見ている分には暖かい印象を受ける。
 あくまで見た目には。
「陽炎燈。雪も降っていて寒いので、ちょっと発火して湯に突進してくれ」
「ピッ」
 主人の無茶な願いを聞き入れた鬼火玉が湯に突進すると、浅瀬のお湯は少しだけ温度が上がった。からすが「気持ち良いかね」と声を投げて、自分も足湯に浸かる。戯れる人妖たちを眺めながら、御樹は洞窟の方を眺めた。
「そろそろ卵を持って戻ってくる頃ですかね。この後は、礼野さん特製のすきやき鍋ですよ」
 ところで。
 あまよみで天候を把握した礼野 真夢紀(ia1144)は『どうせなら一泊して帰りたいよね』と足湯のそばに天幕を張り、寝袋に毛布まで持ち込んでいた。源泉が湧く洞窟の奥へ設置していた生卵も、ほどよく温泉卵になっている。
 卵を回収して、御樹たちのところへ戻る途中だった。
「雪降る温泉って、最高の贅沢の一つよねぇ。温泉卵で、すき焼きを堪能しようか」
「マユキ、オンセンムシ、むり?」
「うん、蒸しができるほどの熱さじゃないからね。でも充分、熱いから気を付けて」
 相棒のしらさぎとともに、七輪を用意して鍋を設置し、暖をとりつつ足湯にじゃぶりと浸かる。
 一気に賑やかな宴会が始まった。
「そこの人も一緒にいかが?」
「え、ボクのこと?」
 愛染 有人(ib8593)は羽妖精の颯と共に浅瀬を歩いていた。
 久々の温泉が楽しくて、足湯を歩き回っている間にずいぶん遠くまで来たらしい。
「せっかくですわ、あると様。ご厚意に甘えて一献と参りましょう。お食事の間に、今日のしっぽのお手入れをば……」
「それじゃ颯、お手入れよろしく〜。初めまして、ボク、愛染有人です。お邪魔します」
 賑やかな声と美味しそうな香りは、人を呼ぶ。


 源泉が沸く洞窟の蒸し風呂では鈴木 透子(ia5664)がからくりの天邪雑魚と遊んでいた。遊んでいるというより、走り回る天邪雑魚の様子を見守りながら、お湯が流れる岩場で寝ている状態だ。
 時々目に余る行動を見かけては「天邪雑魚、こっちに来る」ときかせる。
「そこの一番熱いお湯に浸かって100まで数えなさい」
「1、2、3、100」
「やり直し」
 まるで漫才のようなやりとりだ。
 洞窟の中に響き渡る女性の声に、水着をきてのびのびしていたジャミール・ライル(ic0451)が『ここはダンスを見せるべきでは!』と異様な張り切りを見せていたが、湯煙がすごい上、鈴木はからくりの相手に必死だ。
「……っと、邪魔しちゃ悪いかな」
 充分に体を温めたライルが、洞窟を出て足湯の方へむかう。
 ご馳走に宴会を始めている御樹たちを発見し、いつの間にか宴会に加わっていた。
「ほうほう、アルカマルの方ですか。ではこちらの寒さは厳しいでしょう」
 露草が盃に酒を注ぐ。
「まあねー。ふー…温泉まじ極楽ー、て感じー。後でマッサージとかするよ。疲れてる人はまかせなよー。ついでに自慢のダンスも披露するからさ。女の子は応援よろしく!」
「だんすー!」
「だんすですー!」
 人妖や羽妖精が真似をしていた。


 足が、つかない。
「何気に身長より深いな……あっちの岩場いくか。ルイ〜」
 黒地に橙色の華が描かれた浴衣を纏って沖へ泳いでいった酒々井 統真(ia0893)は、沖の深さに驚いていた。試しに息を吐いて沈んでみると、頭まで沈んでも水面まで数センチ足りない。手を頭上へ伸ばせば空気に触れるが、傍目には溺れているように見えかねない。
 少し泳ぎ疲れると、沖に点在する岩の出っ張りに腰掛けた。
 半身浴が気持ちいい。
「本当はこんなことしてる場合じゃない、っちゃないんだが……余裕のなさが表に出過ぎてるのも問題だしなぁ。知った顔も多いが、皆ゆっくりしたいんだろうし。で、ルイ」
 温泉が滴る白銀の前髪をかきあげると、人妖のルイが足袋を脱いで水面を滑っているのが見えた。
 ルイは「なに?」と首を傾げる。
「なんで湯に入らないんだ? 寒いだろうに」
「……これだけ人がいるのにお風呂に入るのはちょっと。っていうか、髪を洗ってくれる約束なのに」
「持ってきた浴衣着て、髪ほどいて、温泉に沈めばいいだろう。一発でツルツルだぜ」
「却下。ツルツルじゃなくてギシギシになっちゃうよ」
 乙女心が分からぬ主人との口論勃発。
 この数時間後、ルイの髪はグライフの助言もあり、きちんと薔薇の石鹸で洗われることになる。


 水着を着用して力の限りに泳いでいたフィン・ファルスト(ib0979)は、沖まで出てから水面に浮かんで漂っていた。肩につかまってい人妖ロガエスが、ファルストの百面相に気づいて「気分転換に来て、暗い顔してんなよ」と軽く叩いた。
「別におめえがホントの親を殺したってわけじゃねえだろ」
 ファルストの脳裏から、救出した子供たちの顔が離れなかった。
 魔の森に誘拐された子供たちに、親はいない。
 ずっと昔に殺された。けれど子供は事実を知らない。理解できる年齢ではない子もいる。
 ファルストが救ったのも小さな子供だった。
「けどさ……、あの子達、今は孤児院みたいな処にいるって聞いたけど、例の里以外を知らない訳でしょ。技や術を習得してて……下手に一般家庭へ里子に出せないから監視生活って話だし。その点、あたしなら……」
 子供が知らずに使う暴力を抑える自信がある。日々の働いて貯めた資産も余っている。
 だから思う。
 頭にちらつく。あたしなら、ひとりくらいなら、……養えるのではないだろうかと。
「おい……養子に取る、とか言い出したら、実家の連中呼んで折檻させるからな。それより、一番落とし前つけさせなきゃいけないのが、いんだろ?」
「……そだね、今はそっちに集中するしかないか」 
 ――――今は。


 広い温泉とはいえ……人のいない場所へ誘われるのは、何か意味があるのだろうか。
 水鏡 雪彼(ia1207)は婚約者の様子に首をかしげていた。
 今回、雪降る霧の温泉へ誘ってくれたのは弖志峰 直羽(ia1884)なのだが、今まで散々小隊の誘いに難色を示してきた。けれど旅行や賑やかな場所が嫌なのではないらしい。
 彼がやんわりと逃げるのは、いつも入浴の時のこと。
「……怖い?」
 弖志峰が問いかけた。
 手を引かれた水鏡はぷるぷると首を左右に振って「ううん、直羽ちゃんと一緒だから楽しみ」と笑みを返す。けれど水鏡の視線は、ちらちらと裾から見える肌に向かう。苦笑とともに「温泉に浸かるのは……人が多いところだと、少し、ね」と胸中を見透かしたような言葉が帰ってくる。
 知り合いの声が遠い場所で、二人は腰を下ろした。
「あたたかいね! 直羽ちゃ……」
 着物の裾をたくし上げて浅瀬に入った水鏡とは対照的に、弖志峰はためらいがちに袖をめくっていた。ぱっと見た限りでは分からないけれど、近くで見れば分かる。
 肌の色が違う。
 肉のつなぎ目を、埋めるような白い筋。
「……気になってた、だろう。ずっと、昔、だよ」
「直羽ちゃん」
「身体中、酷い痕になってる。俺が俺であった拠り所を、一度に喪うきっかけになった傷なんだ。これが原因で、もう……剣は握れない。アヤカシに体を裂かれた、よくある話だよ。……本当に、よくある話さ」
 命が助かっただけ幸いだ、と。何人かは哀れんでくれた。
 別な道もあるのだから、と。慰められても、長年後継者として育ってきた身に降りかかった災難は、耐え難い苦痛だった。
 全てを失い、存在意義を否定されたような、遠い思い出。
「昔を思い出すから……誰にも見せたくなくて、隠してた。親友にもね。でも……雪彼ちゃんには、知っててもらいたかったから。本当の俺を」
 置き去りにした過去。
 胸にしまった本心。
 未だ未練を断ち切れない己の弱さを。
 打ち明けられた心の傷を前に、水鏡は手首の傷を包むように触れた。
「話してくれて……ありがと。直羽ちゃんとお風呂、嬉しいな」
 ふと水鏡は考える。
 水鏡にとって『よりどころ』は、今はまだ養父だ。
 もしも養父を失った時、弖志峰のように再び前を向けるかと考えると……想像ができない。
 それゆえに、弖志峰が眩しい。
 にこにこ微笑む水鏡に「うん、温泉にきてよかった。星が水面できらきらして、綺麗だね」と返した。
「雪彼ちゃん、寒くない?」
「ん? お顔は冷えるかなー? 雪もたくさん降ってるし」
 空を見上げた水鏡の頬を掠めたぬくもり。キスされた事に気づいて水鏡は驚いた。
「えへへ、隙ありー! なんてね。またいつか機会があったら、蒸し風呂とか挑戦してみよ」
「直羽ちゃん、ずるいよ。雪彼もする! 温泉もくるんだから!」
「え、ちょ、雪彼ちゃ、わーっ!?」
 また、いつか。


 足湯が楽しめる浅瀬は、広い範囲に渡っている。
 フェンリエッタ(ib0018)とフェルル=グライフ(ia4572)は、浴衣の裾を太ももで縛って、お菓子を両手に歩いていく。
 霧の中の内緒の女子会は、雪降る霧の中が一番いい。
「フェン。温泉、誘ってくれてありがとう。幻想的で、とても綺麗ね」
「どういたしまして。なんてね。次はフェルルと一緒に、って思ってたの。サンちゃんも、この前は援護ありがと。はい、お礼のおやつ」
 グライフの肩にいた迅鷹のサンに餌付けする。けれどグライフの顔が少しだけ陰った。
「……この前の依頼では、ありがと。フェンがいなかったら、きっと屈してた」
「胸の痛みは……同じよ。独りじゃないって、嬉しいね」
 ぎゅっと手を繋いだぬくもり。
 救えなかった少女を思うと、気持ちが沈む。
 暗い親友の横顔を見て、フェンリエッタが沖を泳ぐ人影に目を止めた。
 親友の婚約者。既に『夫』といっても、殆ど差し支えない相手だと聞いている。
 じ、とグライフを見た。
「ね、フェルル。酒々井さんと、こうして手を繋いで歩いたり、する?」
「へ? え、と、統真さんとは色々、うん、肩車された事もあったよ」
 昔を思い出して、グライフの頬が朱に染まった。
「でもね。統真さんには……『一緒にこれからを作って行きたい』って伝えたんだ」
 盛大に惚気けられてしまったフェンリエッタは、表情がくるくる変わる親友を眺めて『可愛いな』という率直な感想は胸にしまい「素敵ね」と祝福を送った。
「フェンは、その後どんな感じ?」
「え、私? ……私ね、彼がチョコを受け取ってくれた時……手が火傷しそうだったんだ。……何だか怖い、っていうか、愛する気持ちは揺るぎないのに、これ以上近付いてはいけない気もするの」
 話を聞いていたグライフは、フェンリエッタの想い人を思い出しつつ、声援を送った。
「自信持って! 二人同じところを向いてる。まずは、手を繋いで歩く所からかな」
 フェンリエッタは言われるまま、手を繋いでいる所を想像してみた。
 頬を赤くし、顔を左右に振る。
 それでも幾らか元気が出たのか「あ、ありがと……頑張る」と声を返す。
「さ、今日はゆっくり浸かって……あ、統真さん」
 漸く想い人が泳いでいることに気付いたらしい。
「あら、一緒に泳ごうと思ってたのに。……なんてね」
 グライフの小脇をフェンリエッタが突く。
「ふふ、いってらっしゃいよ。ごゆっくり」
 秘密の女子会は、今日はここまで。


 地味めの水着を来た紫ノ眼 恋(ic0281)は、からくりの白銀丸に『手拭を漬けるのはマナー違反だぜ』と言われていたので、手ぬぐいを頭に乗せていた。
 その傍らを浴衣をきた澤口 凪(ib8083)が泳いでいく。
「んー、温泉っていいよねぇ……せっかくだし、ゆったりつかって骨休めっと」
 湯に浮かべた桶に手を伸ばす。
 中には雨野 歯車(ic0374)が持ち込んだ酒やつまみがあった。
 何も頭まで沈む温泉の沖で酒盛りをしなくてもいいと思うのだが、これもまた幸せの一つなのだろう。天儀酒を嗜んでいた雨野がうなづいた。
「やっぱり温泉にはお酒よね〜。体あっついし、お酒もほどよく回ってきたし、あがって続きをしましょうか。きっと梓ちゃんの魚も焼きあがる頃だし」
 このまま泳ぎながら飲み続けると溺れる。流石に迷惑はかけられない。
「そうね」
 澤口がいいつつ、ちらりと雨野のふくよかな胸を見た。
 のっぺりと平たい自分の身を比較して切なくなる。
「……不公平だなぁ、世の中って」
「なに?」
「なんでもない」
 ところで鶫 梓(ic0379)は一足早くお湯から上がっており、岩場で七輪を持ち込んで魚の干物を焼いていた。酒好きが多い為、浦滝 煌(ic0403)が追加の酒瓶を持って戻ってくる。
「みんなでのんびりなんて幸せねぇ。早くいらっしゃいな」
 かくして宴会開始である。
「ふ、皆はしゃぎおるな。たまの休養だ、楽しむと良……って何をする!」
 悪寒を感じた紫ノ眼が逃げ出した。澤口の両手が虚空を凪ぐ。
「ちょーっと、しのしのの耳を、ね」
 紫ノ眼の耳を見ていると、無性に触りたくなる澤口がいた。
「耳を触るな、尻尾は論外だ! おおお狼は! 怖いんだぞ!」
 怯える紫ノ眼。両手で耳を隠す。震えるさまが説得力ゼロだ。
「恋さん少しだけだから逃げなくても大丈夫よ」
「そんな事を言ったって……梓殿の持ってる干物、おいしそう」
 ごくりと生唾を飲み込んだ。
 美味いモノで釣ろうという魂胆が汚い。罠だと分かっている。わかってはいるのだが食べたい。
 そんな葛藤を繰り広げる紫ノ眼に「早く出てかねェと喰いっぱぐれるぞ狼」と、からくりの白銀丸が声を投げた。
「うぅ……い、一瞬で奪って逃げてやる、逃げてやるぞー!」
 だがそう、うまくもいかない。
 一対多数では数の暴力だ。澤口が飛んだ。
「ふははー! しのしの覚悟ー!」
 雨野も加わる。
「ずるーい。あたしも、まぜて。正直、前からちょっと恋ちゃんの耳をもふもふ触ってみたかったのよねー、もふもふ。撫でまわしちゃえー!」
「みぎゃあああああ!」
 からくりの朝比奈に押さえつけられた紫ノ眼は、しなびた大根のようになっていた。
 紫ノ眼をもふって満足した鶫は、浦滝から「喉渇いたでしょう」と差し出された酒を煽って……盃を落とした。
 びりびりする。
 四肢が言う事をきかない。
「……っ! らめさん……もった……わね」
 魔術師はシビレ薬を仕込むことができる。浦滝の口元がつり上がった。
「ふふふ、ごめんなさいね。恋ちゃんは勿論もふもふしたかったんだけど、梓ちゃんもなでなでしたかったのよ。体とか髪の毛とか。ちょっとだけだから、ね?」
 大凡理解しがたい理由を並べながら、浦滝は梓の全身をを撫で始めた。
「ちょ…っと……やめっ! どこ、さわって、るの……よっ!」
 さわさわさわ。
「うふふ」
 妖しい雰囲気を遠巻きに眺める雨野は、自らの盃を死守することに専念していた。
 嫌な予感、的中である。


 水面に雪降る秘境の温泉。 
 輝く星々の囁きに耳を傾け、霧に包まれ、木々の息吹を感じる憩いの地で。 
 私たちは今宵も疲れた身を休める。明日から再び始まる、忙しい日々に備えて。