【神代】封印の社
マスター名：やよい雛徒
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| ■オープニング本文 ●神楽の都にて 薄っすらと雪化粧の施された街路を、浪志組の隊士らが進む。 穂邑の暗殺未遂に端を発する衝突の緊張は、開拓者たちの素早い動きにより、現場レベルでの手打ちが早々に取りまとめられた。 現場での衝突を抑え、方々を駆け回り、その中から五行を根城とする大アヤカシ「生成姫」の影に気付き、あるいは、一部の開拓者は大胆にも御所に忍び込み、武帝の真意を問いただしもした。 穂邑は今、長屋で静かに傷が癒えるのを待っている。 「……声？」 ふいに、顔を上げた。 ●ヨキの遺品 神楽の都で、穂邑を襲撃した志士の娘ヨキ。 幼い頃に生成姫の配下に誘拐され、洗脳を受けた彼女は、大アヤカシ「生成姫」の暗躍の手駒として使われ、その命を散らした。現場に居合わせた開拓者によって、ヨキと生成姫の関与が明らかになった後、アヤカシに利用されたヨキの遺体は、人並みに葬られることが決まった。 なによりヨキには夫がいた。 刀匠、蒼継。 五行国東の「白螺鈿」に居を構える若者だが、彼は生成姫の配下に狙われた経験があった。 一昨年に神楽の都を襲撃した妖刀「飢羅」を修復できる有能な刀鍛冶として、妖刀を携えていたヨキの兄に連れ去られかけたのだ。妖刀に操られていたとしてヨキの兄は殺された。そして兄の死を契機に、故郷から妹を呼んだというが……その妹も何故か現れなかった。ヨキは消えた『妹』を探す為、開拓者として登録するに至る。 蒼継は、妻ヨキの帰りを待っていた。 けれどヨキは死んだ。 残された蒼継の元には『妻の遺品』が先に届けられることになった。 いらぬ混乱を招かぬよう『アヤカシに操られて命を落とした』と、ごく平凡な理由を添えて。 子も授からぬままに愛する妻を亡くした蒼継は、届けられた遺品を見ても『妻が他界した』という現実を認識することができずにいた。 何を食べても味がしない日々。 生きる気力をなくしていた蒼継が、埃を被ったヨキの荷物を見て、せめて綺麗にしておこうと掃除を始めた。赤く錆び付いた妻の刀を掃除しようと、柄から刃を外して、柄の中から一枚の紙が落ちた。 「……手紙？」 ヨキの残した遺品が、事態を大きく動かし始める。 それは生成姫が子供たちに託した『密書』そのものだったからだ。 生成姫は『子供たち』に様々な密命を与えているという。 穂邑を襲撃したヨキにも複数の密命が与えられていたが、手紙と過去の文献を照らし合わせた封陣院分室長こと狩野 柚子平（iz0216）の話によると…… 五行の各地には、生成姫を裏切って魔の森の頂点に立とうとした上級アヤカシ「鬻姫」の謀略により、鬻姫に従わなかった古の配下達が封印されているらしい。 「世に放たれた子供たち……とくに五行国内で動く子の主な任務は、古の配下達の解放なのでしょう。幸い、文献から場所が判明しています。皆さんに解放阻止をお願いしたい」 柚子平は一枚の古い文献を手渡した。 ●虹陣に埋もれし瘴気の社 五行東方、渡鳥山脈を超えた北東の方角に『虹陣』がある。 雪の中で静まり返った里の片隅には『願いが叶う』と噂の社があった。 社が気まぐれに齎らすお告げは、確かに見返りなく幸福をもたらしていく。 ただし。 それは偽りにすぎない。 昨年、虹陣の材木商が人々の貧困を救ってくれるように神に祈った。すると『土を売れば金に変わる』というお告げがもたらされた。お告げは真実で虹陣は潤う事になったが、急激な森林伐採と土壌を削ったことで、土砂崩れと大洪水という自然災害が誘発されそうになっていた。開拓者達の手により、大災害は一時的に防ぐことに成功した。 だが残されたお告げの社は、人々の願いを貪欲に叶え続けていた。 「ホンット、人間って身勝手」 その少女は瘴気に満ちた社の屋根で小さな境内に置いていかれた『願い』を見ていた。腰には、鴉の濡れ羽色のような刀身を持つ忍刀「鴉丸」と天狗礫がある。 紛れもない開拓者だが、実態は違う。 「くだらない願いを延々と叶えさせられる……おかあさま、本当にかわいそう」 『そう思うなら、早く人を肉の体から解放してやろうと働くことだな』 風の中を舞うように美貌の青年が現れた。 生えた角に漆黒の翼。夢魔だ。けれど少女は怯えもしない。 「うん。おかあさまの負担を減らしてあげたいし、私も早くそっちにいきたい。肉の体って、本当に不便なのよ。疲れるし、眠らなきゃいけないし、お腹空くし」 『空腹は私たちも一緒だぞ』 「でも必要な分だけだわ。にいさま、お腹すいてる？ 私の命ちょっと食べる？」 はい、と無防備に手を差し出す。 無垢な瞳は、何年も共に暮らした夢魔を『死後生まれ変わった実の兄』だと信じていた。変わらぬ姿と変わらぬ表情。衣食住に常識の数々。 生みの親より育ての親。 幼少時からの刷り込みの恐ろしさは、ここに極まる。 青年の夢魔は苦笑いをして『いらないよ』と少女の頭を撫でた。傍目には仲のいい兄妹にしか見えない。 少女は、ぴらりと一枚の紙をみせた。 「そうだ、あのね。次に願いを叶えるのは、この子にしようと思うの」 紙には『死んだ家族に会いたい』と書かれていた。 以前、町娘に扮した開拓者が書いたものだ。 「熱心に祈ってたの。きっと、なんでもする子よ。この辺で死んだ人間なら、おかあさまが生き返らせてくれる。御技を見せて、代価として人柱になってもらうの」 『しかしな、桜火。姫様は解放を急げと仰せだ』 「でも『アレ』の毒に適合する体が半分足りないんでしょ？ 屍は腐って脆いから、って瀕死の生きた体を集める話だったのに、にいさまがトチって、毒香で慣らしてた体を逃しちゃったし」 『開拓者が邪魔したんだ』 「いいわけ？ おかあさまの命令は絶対よ。……でも、私もどうしようかな。人間が作ったこの社、瘴気の濃度からして……封印具が壊れかけてるから鍵なしでもいけそうだし、器を集めるには便利だったけど、祠が埋もれて……社を壊さないと取り出せないよね。誤算だったわ」 肩を落とす。 「……にいさま、炎鬼を借りられない？ ２体でいいの。社を解体して、掘り出したら器を与えて合流させるわ」 『手配してこよう』 そんな会話が行われていた事なぞ露知らず。 依頼を受けた開拓者が虹陣へ訪れ、古のアヤカシが眠ると言われる社に近づくと……美しい音色が参道に響いていた。 笛の音が二体の炎鬼を操っている。 アヤカシが立派な社を押すと、メキメキと軋むような音を上げた。 『一日あれば掘り起こすのも容易いか。桜火、俺は別の仕事がある。あとは任せていいな？』 「うん、にいさま。いってらっしゃい！」 返事が聞こえてすぐ、鷲頭獅子に跨った夢魔が魔の森の方へ飛び去った。 雪に埋もれた社を参る者はいない。調査に来た開拓者をのぞいて。 鷲頭獅子の隣で、桜火はくるくると踊る。 楽しげに笑う。 「ふふ、もうじき帰りますわ……『おかあさま』！」 |
■参加者一覧
北條 黯羽（ia0072）25歳・女・陰 
大蔵南洋（ia1246）25歳・男・サ 
露草（ia1350）17歳・女・陰 
フェルル＝グライフ（ia4572）19歳・女・騎 
リューリャ・ドラッケン（ia8037）22歳・男・騎 
フェンリエッタ（ib0018）18歳・女・シ 
蓮 神音（ib2662）14歳・女・泰 
ローゼリア（ib5674）15歳・女・砲 |
| ■リプレイ本文 切なく悲しい、笛の音が聞こえる。 「これは……笛の音？」 ローゼリア（ib5674）が蓮 神音（ib2662）と顔を見合わせた。 人の気配がない参道の果てから聞こえる笛の音色に、皆の顔色が険しいものに変化していく。 調査に来たつもりが、とんだ騒ぎになりそうだ。 嫌な予感とともに足音を殺して参道を進む途中、森の中から鷲頭獅子が飛び立ち、山の方へと消えていった。 笛の音は、まだ響いている。 状況を察した大蔵南洋（ia1246）は猫又の浦里に小さな声で偵察を命じた。北條 黯羽（ia0072）は人妖の刃那へ背に隠れているように身振り手振りで命じる。露草（ia1350）も人妖の衣通姫に同じ指示を出した。竜哉（ia8037）が磨き上げたばかりのジョーカーナイフを両手に構える。やがて戻ってきた猫又の浦里の報告を受けて、一同は速やかに『敵』を殲滅する為の担当を分けた。鷲頭獅子を相手取るフェンリエッタ（ib0018）を手伝うように、フェルル＝グライフ（ia4572）が迅鷹のサンに指示を出す。 参道の果てから少女の声が響いた。 「ふふ、もうじき帰りますわ……『おかあさま』！」 楽しそうな。 幸せそうな、誇らしげな、その声に。 グライフの表情が凍りつく。フェンリエッタは唇を噛み締めた。 懸念が当たって欲しくなかった、できることならば二度と会わぬことを願っていた。 けれど現実は時間の猶予を与えてくれない。開拓者が束になって討伐する中級アヤカシ達と共にいながら、決して襲われぬ開拓者――――その正体を知らぬ者は、今やいない。 どちらが先制を取るか。それが全てを決する。 参道を駆け上がった露草の手に符が出現し、目標の両足に絡みつく。呪縛符だ。逃げられては困る。と同時に北條と竜哉が地を蹴った。北條は大型かつ九尾の白狐を召喚しする。 「獲物はあの娘だ、遠慮なく掻っ切れ！」 二体の白狐が前足を振り上げた。一瞬遅れて攻撃に気づいた少女の姿が、掻き消え、一体目の白狐のひとなぎを交わした。二体目の白狐の爪は躱しきれなかった様だが、いつの間にか忍刀「鴉丸」を盾にして、直撃を避けて吹っ飛ばされていく。 驚異的な速さ、三秒間の歪。 それは秘術を極めた者に許された忍術の集大成。 少女の後ろ姿から武器に注目していた露草は、追撃に走る蓮とローゼリアに警告を促す。 「今の『夜』です！ 天狗礫を持ってました。投げてきますよ！ 二人とも気をつけて！」 「わかった！ おいで！ くれおぱとら！」 「了解致しましたわ！ 桔梗、サポートを！」 そして北條と駆けた竜哉は、鷲頭獅子に向かうと見せかけて脇をすり抜け、鷲頭獅子の翼にナイフを叩き込んだ。鷲頭獅子の鋭い嘴が、竜哉の肩を掠めていく。だが鷲頭獅子の相手はフェンリエッタ達だ。迅鷹のサンが真上から翼を狙って急降下した。迅鷹の攻撃に合わせ、フェンリエッタが持つ光輝の剣が、梅の香りを纏い煌く。 「絶対に逃がさないわ！」 一閃した浄化の刃が、一対の翼を削ぎ落とし、首から胴を斜めに裂いていく。傷口から大量の瘴気が溢れ、大柄な巨体が斜めに崩れた。瘴気に還って霧散すると同時に、ジョーカーナイフがバラバラと大地に落ちていく。 一方、社を力で破壊しようとしていた炎鬼は、飛ばされた少女の姿を目で追いかけた。その視線が外れた隙を狙い、炎鬼の巨体を大蔵が狙う。 「カアァァァ！」 真空の刃が三十メートル離れた炎鬼に襲いかかった。本来ならばその一撃で葬れるはずの炎鬼が、よろめいただけで踏みとどまる。 強化型か。 敵の強度を察した大蔵の眉が動く。 炎鬼から容赦なく吹き付けられる火炎。熱風から逃げるように転がる大蔵の表情は、決して揺らいでいるわけではない。恐るべき強度を誇った妖刀を作り出した生成姫の配下である以上、この程度の事は想定していた。 「しぶとい事など重々承知！ 参るぞ！」 大蔵は再び真空の刃を放った。まずは封印の社から引き剥がすのが先決である。 同じように考えていたのが、もう一方の炎鬼の対応へ向かった竜哉だった。猛烈な火炎で肩を焼かれながらも、挑発して社から引き剥がすことに専念する。 その時、ひし形石の飛礫が三発、竜哉に襲いかかった。 投げたのは三十メートル離れた場所にいる少女だ。 時は少しばかり巻き戻り。 致命傷を避けたとはいえ、怪我を負った少女は「突然なにするのよ！ 相手が違うじゃない！」と抗議の声を上げた。同じ開拓者を攻撃する開拓者など、傍から見れば、敵の術で気が狂っているのではないかと思われても仕方がない。 けれど違う。 この少女は味方などではない。人の味方を装ってきたのだ。 「私は開拓者の桜火よ！ 登録番号は……」 「うるさい！ あの社、瘴気が出て元々怪しかったけどアヤカシが封印されてたって神音たちは知ってるよ！ バケモノを復活させる訳にいかないよ！」 「全くですわ！ 生成の元へなど帰しませんことよ！ 観念なさいませ！」 「そうそう！ ヨキさんは死んだって。その『妹』を殺したのは、神音達だよ！」 走りながら攻撃を受け止め続けていた桜火は、蓮とローゼリアの発言に顔色を変えた。小芝居は不要と判断したのだろう。北條が放った呪縛符の片方を恐るべき速さで回避し、動きを制限されながら、一瞬だけ攻撃をためらう蓮を見て、天狗礫を放った。天狗礫は蓮とローゼリアのみならず、遠方で炎鬼を引きつけてきた竜哉にも命中する。 「きゃあ！」 「ぐっ！ ためらってはいけませんわ！ そうでなければ私たちがこれまで」 「分かってる、神音もよくわかってるよ！」 蓮とローゼリアが大勢を立て直す。 様子を見守る北條の眉間に縦皺が刻まれた。 「一撃が三発だってぇ？ 一瞬で三人同時って、どんだけ手間取らせる気さね」 的確な判断力と、驚異的な速さに命中率。 魔の森の中で鍛え抜かれた刺客の本性に警戒を強めた。視界の片隅で、桜火が射程に入らないよう注意したグライフが、閃癒で治療に当たっていた。鷲頭獅子は迅鷹のサンとフェンリエッタの二発で砕け散ったが、炎鬼は大蔵の読み通り、通常より遥かに強度が高い。 人の心に滲む躊躇い。 もし長引けば、やや不利かもしれない。 しかし露草の瞳は輝きを失っていなかった。 露草は、大蔵が相手をしている炎鬼に氷龍を放ちつつ、注意深く桜火を観察していた。 桜火は既に二度も『夜』を使用している。加えて天狗礫を一度に九発放って、三人同時に負傷させた。紛れもなく『散華』の術だ。走りながら攻撃をするにも練力は必要不可欠。 先制して一気に攻めたことによる、莫大な練力消費を強いられている。 いつまでもアレを維持することはできない。 「その笛を吹かせたりしないよ！」 忍刀で脇腹を抉られながら、蓮は桜火から懐の笛を奪い取った。何度も見た笛の形をした下級アヤカシ。これさえなければ増援は呼べない。激痛で表情を苦悶の色に染めながら、蓮が笛を握りつぶす。ローゼリアが「もう配下は呼べませんことよ！」と勝ち誇ったように叫び、強烈な蹴りを叩き込んだ。 桜火が逃げない。防御姿勢だ。礫を投げたが今度は一発っきり。露草が声を張り上げる。 「練力が切れました！ 攻めてください！」 その声と時同じくして、大蔵の刀は炎鬼の胴を両断していた。露草の支援があったとはいえ、たった一人で強化型の炎鬼を倒すのは大変な作業だ。間合いに入るまでに少しばかり炎に焼かれたが、人妖や仲間の回復術を受ければ元通りになるだろう。 大蔵が仲間の様子を伺うと、竜哉の真紅の刀身が炎鬼の首を塩に変え、フェンリエッタの刀が足を胴から切り離したところだった。 負傷者を、人妖達が手当している。 しかし誰ひとりとして治療しない相手がいた。桜火だ。 四肢が、おかしな方向に折れ曲がっていた。獰猛な白狐の爪の跡からは止めどなく血が流れ、臓器も破裂しているであろうことが腹部を見れば、なんとなく分かる。 「ど、して」 血の泡が唇の端から零れる。 北條が鬱陶しそうに頭を掻いた。 「……封印を解かれると、生成姫の滅相に邪魔なんだよ。短い邂逅だったが、お別れだ桜火。諸余怨敵皆悉摧滅。髪一筋も残さず、喰われて……死」 「待て」 北條が止めを刺そうとした時、大蔵が止めた。 「桜火とやら。もしも『人としての生』を望むなら、機会は用意してやれるかもしれぬ」 「おぃ、生かす気か。勘弁しろって」 「なにも無条件に生かすとは言っておらぬ。この娘は、ナマナリによって被害を被った者に相違なく、先日救出した子供達と等しく救われるべき事に疑いの余地はないが……問題は本人の意思であろうな」 大蔵は、よいしょ、と膝を折った。 「どうだ、桜火とやら。母の手の届かぬ地が無い、とは言い切れまい。天儀の外などだな。彼の地に生成より産まれ出てたアヤカシはおらぬ。故に主の母の命に従う理由もなく、奴等にとって……主は食われるべき一人の人間にすぎぬ。その状態におかれて猶、アヤカシを友や兄妹と、果たして呼び続けられようか？」 「そうです！ あなたも私たちと同じ人なんです！ 同じ血が……流れてるんです、わかるでしょう？」 どうしても希望を捨てきれないグライフが、桜火の砕けた腕を握る。 できることなら『うん』と言って欲しかった。 保身でもいい。 人として生きる道を望んで欲しかった。 桜火の口元が歪んだ。 「……にく、か…だ、な……じゃ、ま……」 肉の体なんて邪魔よ。 桜火の言わんとする言葉を拾った大蔵が、痛ましい眼差しを向ける。 「さようか。人としての生に意味など無いと言うのであれば是非もなし。死して証明するがよい」 「わ……た……は、し、な、ない」 私たちは死なない。 それは生き抜いてやるという意思とは、少し違ったものだった。大蔵の言葉を嘲笑うかのように、瀕死の桜火が断言する。笑っている。微笑んでいると言ってもいい。今まさに死のうとしている桜火の瞳に、絶望の色など微塵もない。むしろ歓喜に満ちている。 「お、か……ま、の……へ、か……の」 おかあさまの元へ帰るの。 少しだけ悲しみの色がにじむフェンリエッタの横顔が「私も聞いていい？」と囁きかけた。 「母の為に戦った子らは、何故生き返らないの？」 使い潰されている駒に過ぎない。 それを子供たちが『理解できない』のは何故なのか。 死も恐れず、共に育った仲間の命すら軽く扱うのは、どうしてなのか。 「べ、つの……わ、に……る、の。ほ…と……、かみ………な、るの」 別の器（うつわ）に還るの。本当の神の子になるの。 子供たちは『死』を恐れない。 数々の子供たちの死を見送ってきた者達が、感じた違和感。 生成姫は『山の神』を自称している。 子供たちを浚って育てる過程で『選ばれた神の子』だという考えを植えつけてきた。それは『おかあさまの為に働く』ことを容易にする為の方便かと思っていたが、どうやらそんな軽いものではないらしい。 子供たちは『死ぬ』という概念を持たない。 おかあさまの元へ帰る、と表現する。 新しい命を得るのだ、と笑う。 それは肉の体から解放された後『第二の特別な人生が約束されている』という大前提があるからだった。アヤカシは瘴気が凝固することで発生する。どんなに倒しても再構築できる不変さは、陰陽師が理論で立証している。大アヤカシである生成姫ならば、構築する手下のアヤカシの姿や能力など意のままだ。 子供達にとって、生成姫は『母』であり『全能の神』に他ならない。 人として生まれながら、神に見初められた特別な存在。 母の為に働き、命を落とした暁には、母と同じ眷属に生まれ変わる。 この概念の前では、人の命の尊さなど論じるだけ無駄だった。 肉の体を持つ間は『試練』のようなものだからだ。 全て神の子に見合うかの査定にすぎない。 つまり『神たる生成姫が存在する』以上は、絶対に揺らぐことのない価値観なのだ。 「ばか、な、に……ん」 ばかなにんげん。 今死のうとしているのは桜火だというのに余裕すら伺えた。 これに黙っていなかったのは竜哉だ。 「そうさ。人間は確かに愚かで弱いよ。でも、そこから立ち上がろうとする奴は、少しだけ前に進んでる。愚かだから、弱いからこそ間違いもするし、過ちも犯す。それは皆同じだ。だから、裁く事も、許す事も決めた。……君達は何を決めた？ ただ母に付従う事か？ 他の選択肢がなければ、それは己が決めた事じゃない」 桜火の唇が音もなく象る。 すべては、おかあさまが、きめるの。 押し問答だ。 呪縛を解くことは至難だと思い知るフェンリエッタ達の前で、グライフが精霊を呼び出した。 目に見えぬ死神である。もしや回復させる気なのかと慌てる面々に「お叱りは後で受けます！」と叫んで、神経を集中させる。 救済を諦めた相手に、望むものを見せる技だ。 きっとつらいものを見るだろう、と推測していた何人かは、心優しいグライフの胸中を思って『やめておいたほうが』と忠告した。 呼び出された死神は、死者が最期に望む幻影を見せ始める。 『――――おかあさま、いま帰ります』 桜火がいた。微笑んでいる。笛を握りしめて見上げる先には、忌まわしい生成姫が慈母が如く微笑んでいた。後方にある二つの鬼の首さえ気に止めなければ、生成姫は美しく微笑む天女にしか見えない。鈴の音にも劣らぬ繊細な美声が、深紅の唇からこぼれ落ちる。 『こっちへ来よ、桜火。誇り高き、我が娘よ』 「そっちへ行っちゃだめ。よく感じて。違うよね、あれはおかあさんじゃない」 延々と浮かび上がる生成姫と桜火の光景に、グライフの両目から涙がこぼれた。 幼い頃から刷り込まれた偽りの母が、桜火の記憶の全てを支配していた。 全てを。 「あなたは、本当のおかあさんの腕に抱かれる感触を知ってる。こわかった時、ぎゅってされたことを思いだして」 絶望と悲しみに彩られるグライフの様子を見ていたフェンリエッタが、傍らに膝をついて桜火の片手を握る。 「……ねーんねーん、ねんねこよ」 天儀で知られた子守唄。 フェンリエッタが歌いだしてから、急激に場面が切り替わった。 十歳ほどの少女が、一気に幼児にまで遡る。小さな手を掴んだ母と父を刺し殺すアヤカシがいた。 「ねーんねのおもりは、どこいた」 激しく入れ替わる記憶の果てから、やさしい声が聞こえる。 『きみこ』 殺された女性が微笑んでいる。 小さな手のひらに指を絡めて、遠くに声を投げた。 『ねぇ、あなた。きみこを本当に、都へやる気ですか？ 気が早くありませんか？』 『あたりまえだろ。この子は志体持ちに生まれたんだ。学問を積ませてやるのが、親の義務ってもんだろう。きみこはいつかきっと、沢山の人を救う、凄い子になるんだ。楽しみだなぁ』 いつか、きっと。 「……やわらかい手、やさしい歌、きこえるでしょう、みえるでしょう、そう。それがほんとうのおかあさんとおとうさん、あれがあなた。これから本当のおうちに帰るの。もう……てをはなしちゃだめだよ」 奇跡的に残っていた『本物の記憶』に感謝して。 グライフとフェンリエッタは、魔物に桜火と名付けられた娘の瞼を閉じさせた。 「ごめんね。貴方の命、背負って往くわ」 誘拐された一人の少女の人生は、こうして幕を下ろした。 おやすみ。いとしご。 どうか空の果てで……幸せに。 駆けつけた北條たちの手で、社の配下解放は阻止された。 掘り出された封印具は、竜哉や大蔵たち男性陣の手を借りて、すぐに封陣院へ運び込まれた。 放置すれば危険だからだ。 一方で桜火の遺体は、グライフやフェンリエッタの手で丁重に運ばれた。生成姫勢力の悪用を避ける為、荼毘にふされて一旦保管されることになった。騒ぎが静まった頃を見計らって、埋葬されるらしい。せめて遺骨の引き取り手が見つかるようにとグライフは見た情報を伝え、フェンリエッタは強力な洗脳を解く方法がないか、隔離方法や将来的な受け皿を作る為に、走り回った。 現場から戻った蓮は、生成姫への怒り冷めやらぬ状態で、ローゼリアが「救える時が来たら、救いましょう。今は迷う時間がありませんもの」となだめていた。 お偉方の指示を仰いだり、事務作業をテキパキと冷静にこなす北條たちを眺めながら、露草は人妖の頭を撫でた。 「私にとっていつきちゃんは大事な娘も同然ですけど……生成姫にとっては子ども達は、便利な人形くらいのものなのでしょうか。……嫌なものですね」 グライフが見た光景では『母』だったというが、それが演技に過ぎない事くらいは分かっていた。 生成姫に対する怒りは、皆、相当な域に達している。 『生成姫、私はあなたを絶対に倒します。あなたの思惑ごと、必ず！』 『悪意の芽を摘み取り、生成の根は必ず絶つ。そして新たな種を蒔くの。生も死も、全てここから望めるように』 グライフやフェンリエッタ達の胸に湧く、とめどない決意と怒り。 心身が磨り減っていくこの感覚すらも……生成姫の術中である事は、とうの昔に悟っていた。 人の心を弄ぶ魔物の計略など、知りたくもないが。 「……生きていて欲しいのに。生を願うにも方法がなければ、無辜の人々を危険にも晒す……無責任なことになってしまう。奴は、罪もない子の人生も死後すらも奪った。悔しい、目の前にいるのに……ただ諦めるしかないなんて！」 頭を抱えたフェンリエッタの言葉に頷き、涙ぐんでいたグライフが、ふと立ち止まった。 桜火――きみこは『本当の親』を思い出して死んだように思う。 勝手な想像かもしれない。 過ぎた思い込みかもしれない。 それでも。 「もし……もしもですよ。あの生成姫を討伐できたなら、あの子達は『生成姫が不変の神ではない』と思い知ることになります。確約された死後の世界も、全て無くなる。その時、あの子達は……どう、するんでしょう？」 神が神でなくなる瞬間。 それは『生成姫消滅』以外にありえない。 「信じていた神が消える、ってことよね？」 フェンリエッタが俯く。 問いの先に待つ答えを、彼らはまだ知らない。 |
