|
■オープニング本文 ●雪降る惨劇 神楽の都、紅坂の一角に篝火が燃え盛る。 長屋の通りには家具が積み重ねられ、長屋の屋根の上には開拓者らが腰を下ろしている。増援を加えた浪志隊や、狩り出された守備隊の兵らが辺りをぐるりと取り囲み、長屋一帯にぴりぴりとした緊張感が漂っていた。 ことの起こりは、先の八咫烏を巡る儀式調査で穂邑に出現した紋様が、帝の后としての証である、と朝廷の使者が勅を携えてきたことであった。 だが、そうして護送を命ぜられた浪志隊が向かった長屋にて、事件は起こった。正使が穂邑に勅を伝えんとした瞬間、副使が突如として穂邑に襲い掛かったのだ。穂邑は幸いにも一命を取り留めたものの、現場は騒然、とてもではないが穂邑を連れ出せるような状態ではなく、こうして睨み合いの一触即発が続いている。 「隊士に軽挙妄動を慎むよう徹底しておけ」 真田悠が、各隊の指揮官を集めて言い含める。 「とにかく根競べだ、まずこちらからは手出ししないほうがいいだろう」 一方の長屋でも、集まった開拓者らを前にゼロが頷いた。神楽の都に、ちらほらと雪が降り始めた―― ●狙われた穂邑 時は少しばかり巻き戻り。 開拓者に匿われた穂邑(iz0002)は治療を受けて傷は塞がったが、恐怖に震えていた。 純白の巫女装束は、自分の血でべっとりと汚れている。 ……あと少し、刃がズレていたら。 ……みんなが助けてくれなかったら。 自分は確実に殺されていた。そう思うと、足がすくんで動かない。 確かに、今まで何度も怖い思いをした。 一昨年に武天・阿蘇館で高位精霊「鬼陽」と対話する為に、己の体を憑代とした時の、太陽と見紛う烈火。あれ以来、灼かれる夢を見るのが恐ろしくて、眠るのが怖くなった。 つい先日も、朝廷からの『東房の空に浮かぶ八咫烏の制御を掌握するために必要な儀式に関して調べて欲しい』という不可解な依頼で、大切な人たちが恐ろしい目にあった。 あわせてしまった、というべきなのかもしれない。 なにしろ『この朝廷からの依頼、受けたいと思います』と言い出したのは自分だ。 心配してついてきてくれた人もいた。 そこで起こった異変。高位精霊の憑代になる事は危険が伴う。激痛に襲われた時、精霊を怒らせたのではないかと思った時、全員あの場で死んでしまうかもしれない……と一度は思った。 必死に敵意はないと訴えた。 高位精霊は純粋な思いに応えてくれた。 けれど今回は、相手が違う。 意思の疎通が困難な精霊ではない。 人間だ。 離れた手首を見た。 真っ二つになった体を見た。 鮮やかな鮮血が、吹き上げていた。 人間の殺意というものを肌で感じた穂邑は、精霊との接触で感じた恐怖感とは、全く異なる恐怖と未知の感覚に、心の整理ができずにいた。 「……どうして、朝廷の使者さまが」 私を殺そうとしたのだろう? 朝廷に恨まれるような事は、覚えがない。 少なくとも、人に恥じるような行いはしていない。 誓って正しいと思う道を選んできた。 人のために、みんなの為に。 朝廷の言う『勅』とは偽りだったのだろうか? 最初から私を殺そうと機会を伺っていたのだろうか? 穂邑は頭をふった。 一方的に決めつけてはいけない。 老使者は腰を抜かして驚いていた。あれが演技だとは思えない。だとすれば若い使者の勝手な行動とも考えられる。けれど理由がわからない。なにより若い使者は死んでしまった。真実を確かめる術は失われ、緊迫した空気が長屋を包んでいる。 ……怖い。 「穂邑さん、お顔の色が真っ白です……大丈夫ですよ。決して渡したりするものですか」 「あなたは?」 「ヨキと申します。しがない志士です。どうぞよろしく。……浪志隊と話をするにしても落ち着いてからになるでしょうし、隣の部屋で少しお休みになってください。大丈夫、皆で見張っておりますよ」 子を持つ母のような穏やかな眼差し。 温かい手。 気品に満ちた物腰が、穂邑に安心感を与えた。ほっ、と息を吐いて立ち上がり、数名の開拓者とともに隣の部屋に移動して、布団に体を横たえる。ヨキと名乗った志士は「眠りやすいように」と懐から笛を取り出し、世にも美しい旋律を奏でた。 吟遊詩人も感心するほどの腕前である。 子守唄のような旋律を聞いた穂邑は、すぅっと眠りに落ちていった。 ●異変 穂邑が熟睡して数分後、演奏が止まった。 異変が起きた。 窓から外の様子を伺っていた開拓者が、野次馬の中に不審な影を見つけた。 陰陽師の女だ。目を凝らすと、手が印を組んでいることに気づいた。刹那、隣部屋とこちらを繋ぐ襖が消えた。正確に言えば……襖の手前で、床から白い壁が出現した。結界呪符「白」である。 「な……分断された!?」 襖を隠す白い壁を叩き切ろうとした途端、今度は窓の方にも白い壁が出現する。 「閉じ込められた!」 何者かによって密室が作り出された。 更に天井裏と床下から、ガリガリと嫌な音がする。 ぼとり、ぼとり、と落ちてきたのは拳ぐらいの人喰鼠だった。 なだれ込んでくる数はゆうに百匹を超える。真っ赤な目で牙をむき出しにし、部屋の一点を見ている。 穂邑だけを。 「……守れ。みんな穂邑を守れ! 一匹残らず根絶やしにしろ!」 いかに下級アヤカシでも、群れで襲われては厄介だ。 低級アヤカシの群れが、どうして今此処に現れたかなんて分からない。 まだ安全が確認されていない以上、長屋を出て行く事はできない。 大技を使えば仲間を巻き込む。 皆、武器を構えた。嫌な予感がする。 押し殺したような……別の殺気を感じていた。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
北條 黯羽(ia0072)
25歳・女・陰
八十神 蔵人(ia1422)
24歳・男・サ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
萌月 鈴音(ib0395)
12歳・女・サ
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
コニー・ブルクミュラー(ib6030)
19歳・男・魔
緋乃宮 白月(ib9855)
15歳・男・泰 |
■リプレイ本文 鼠がなだれ込んでくる。 コニー・ブルクミュラー(ib6030)は真っ青な顔で慌てていた。 部屋の中でアヤカシの大群に襲われるなど、一体誰が想像できただろう。 ……ど、どうしよう……どうしようどうしよう……! 焦る心を抱えながら、必死にやらねばならない事を考える。 守るべき人が、眠っている今、自分にできる最優先は何か。 八十神 蔵人(ia1422)達も室内を見回して、状況を察した。 「やれやれやな……この長屋の衛生環境について見直しを求めたいねんけど、暇はないな」 八十神は夜食の入った鍋を、もったいないと思いつつ、鼠にぶちまけた。 「みんなの徹夜用に作った珈琲粥やでーっ! 味は保障せんが喰らえや!」 ぼこぼこと煮立っていた秦鍋を浴びて、人喰いが悶える。 低級の中の低級だ。過去に戦った強敵や下級アヤカシと比較すれば驚異でもない。 しかしあまりにも数が多すぎる。 苦虫を噛み潰したような顔した北條 黯羽(ia0072)は、赤い瞳をすぃっと細めた。 「床も天井も食い破ってやがる……」 フェンリエッタ(ib0018)が天井に目を凝らす。走り回る禍々しい命は何十匹もいた。 「多い……このまま食い破られたら、家屋が倒壊してしまいます」 「だなぁ。しかも続々とやってくる有象無象から、重篤のお姫様を護りきれってぇか? ひとまず穂邑を……家具の上に布団ごと寝かせるってぇのが良いと思うが」 「せやな、手ぇかせ」 「うん!」 八十神はフィン・ファルスト(ib0979)やブルクミュラー達を手招きし、眠る穂邑を机の上に布団ごと寝かせる。眠る穂邑に飛びかかってこようとする鼠をみて、萌月 鈴音(ib0395)が死鼠の短刀を鞘から抜いた。渾身の力で胴を貫くと瘴気へ戻る。 「低級とは言え……これだけの数。……自然発生は有り得ないです」 普段は斬馬刀を振るっている萌月は、短刀を持ってきて良かった、と胸をなでおろした。 「兎も角、早く駆除しないと。ミケも……ネズミ退治お願いします……」 猫又のミケの頭を撫でた。 柊沢 霞澄(ia0067)は眠る穂邑の手を握った。しっとりと温かい手のひらが胸を打つ。 「……先日、私は穂邑さんに助けられました。だから今度は私がこの方を守ります……例え、この身に代えても……でも、そんな事をしたらきっと穂邑さんは怒るでしょうね……」 怒る姿が目に浮かぶようだ、と。柊沢は笑った。 「皆で守りきりましょう……私達は一人では無いのですから……」 眠る穂邑に寄り添う柊沢が、管狐のヴァルコイネンを召喚する。 「ヴァルさんも、頼りにしていますよ……」 「うむ、任せておけ。無理をするなよ」 ファルストが「穂邑さん……大丈夫、必ず守るからね」と囁いて、身を翻す。穂邑を守りたいと思う気持ちは、フェンリエッタ達も同じだった。 北條は黒死符を放った。 すると白い壁が出現した窓際に、もう一枚黒い壁が出現した。結界呪符である。白い壁は人喰鼠が現れる前に構築された。勝手に消されて飛び込まれては手が打てない。北條が笑った。 「敵さんも自分の術で穂邑の防衛が固くなったと知りゃ、泣いて喜ぶだろうぜぃ?」 緋乃宮 白月(ib9855)が人喰鼠を蹴り飛ばしつつ首を傾げる。 「どうして穂邑さんを狙っているんでしょうか。分かりませんけど、とにかく護り抜きましょう。姫翠、天井の方をお願いします」 「はいっ! 頑張って護りますよーっ!」 早速、羽妖精の姫翠が天井から這い出す人喰鼠に刃を叩き込む。噛み付こうと飛んでこられても、飛べる者たちは有利だ。 八十神が人妖の雪華を手招きし、ぽそぽそと何かを囁いた。人妖は「らじゃーなのです。神風恩寵は任せてね!」と元気な声を返すと、柊沢の傍らに舞い降りる。 フェンリエッタが「ラズ」と呼びかけると、羽妖精のラズワルドは輝く粉をふりかけた。 幸運の光粉である。 萌月が笛を仕舞うヨキに駆け寄り「ヨキさん」と言って手を引いた。 「穂邑さんは……柊沢さん達に任せて……ヨキさんもネズミを減らすの……手伝って下さい……戦える人が……必要です」 にっこりと微笑むヨキが「もちろんよ」と言って、鞘から刃を抜く。萌月の目が笛から離れない。近くから見ても、なんの変哲も無い笛だ。フェンリエッタもヨキを一瞥した。美しい笛の音が、何故か禍々しさを帯びていたような気がしてならない。全て疑ってしまいそうな環境下だ。やむをえまい。柊沢もヨキを一瞥する。知らない人間がいるというのは、心が落ち着かない。 しかし今は悠長に疑ってる暇がない。 ブルクミュラーが細いレイピアを抜いた。近くにいる鼠くらいは、自分の剣で貫ける。 「うう、あまり部屋を壊したくありませんが、致し方ありません。全て終わった後に修復をお手伝いしようと思います。部屋の中のお盆とかで、穴が塞げないこともないですし」 離れた人喰鼠には雷を叩き込んだ。しかしそれでも倒せる敵は、わずか一体。 「とっとと終わらせられりゃいいけどなぁ」 北條が囁く。鼠はその数を増している。北條は笑った。 「キィキィガリガリと人ん家に穴あけやがって。いいぜ……騒ぐな喚くな鬱陶しい。狭いトコで五月蝿ぇのは嫌いなんだよ。粛々と俺に滅相されるのを心待ちにしておきなぁ!」 龍文様が刻まれた漆黒の刃を抜き放つ。 「天井は任せなぁ! 刃那、机下の見張り忘れんじゃねーぞ、痛い目みるのはゴメンだぜ!」 人妖の刃那が素早く、柊沢と穂邑の真下に潜り込む。空間が歪み、人喰鼠が死滅した。 鼠相手に「こっち寄んな!」と叫んでいたのがファルストである。礫を放った。菱形に削られた石でできた飛礫が鼠に当たると、人喰鼠は塩となって崩れ落ちる。 ファルストの肩にいる人妖ロガエスも、一匹でも早く削ろうと呪わしい声を響かせた。 「さあて、聞いて嘆きなドブネズミども!」 「せやなぁ。この開拓者が集う長屋で鼠100匹とは手緩いな。せやけど、この数やと一匹一匹潰していくのも面倒くさいな。……穂邑、堪忍な!」 いうが早いか、八十神は山姥包丁を畳の隙間に差し込んで、片側を引き上げると、人喰鼠が登ってくるのを確認してひっくり返す! 「喰らえや! 丸焼きじゃ!」 山姥包丁が紅蓮の炎を纏った。畳を越えてくる人喰鼠を焼く。 フェンリエッタの持つ薄い藍色に輝く刀身が、澄んだ梅の香を放ちはじめる。 「はぁ!」 フェンリエッタが刃を横に凪ぐ。 後方では穂邑に結界を張っていた柊沢が噛まれていた。管狐が一度に三匹排除できても、無数の鼠が死角をくぐり抜けて、穂邑を噛もうと襲ってくる。 けれど結界に弾かれた。 最後の砦だ。 「痛っ……穂邑さんに、近づかないで!」 白銀に輝く七星剣が鼠を突き刺す。柊沢は自分の肉を食い破られようと、穂邑に群がろうとする人喰鼠だけは意地でも刺し殺した。萌月の猫又が背中に飛びかかる鼠を咬み殺す。 「くぅ、……僕にだって、できることがある!」 足元をすり抜けて穂邑を狙う鼠をみて、ブルクミュラーは精霊の祝福を受けた聖なる矢を放った。小さな体と数は厄介だが、強力なアヤカシでなくて、心底良かったと思える。 「穂邑さんに近づくな!」 練力の無駄遣いでも構わない。 穂邑が、仲間が無事ならば、力が空っぽになっても。 緋乃宮の拳が、人喰鼠をはじき飛ばす。壁に衝突して、瘴気に還った。鼠を蹴り飛ばした緋乃宮がフェンリエッタ達を振り返る。 「次から次へと……どうします? 襖の壁、破壊しますか?」 「待って。今はやめたほうがいいかもしれない」 フェンリエッタの瞳が、アヤカシの存在を探す。隣の部屋に鼠はいないが、交渉で難航しているらしい。 この状況を、見られるわけにはいかない。 「現状、開拓者以外は信用し難いわ。アヤカシが内部に溢れていると知られたら、向こうは嬉々として介入してくるでしょうし……なんとか屋内で処理しないと」 浪志組が押し入ってくるのではないかと、気が気ではない。 「そうですよ!」 ファルストが、フェンリエッタの言葉を聞いて首を縦に振る。 「朝廷の使者ですら暗殺者がいたんです、浪志組でも安全って確信できなきゃ、絶対行かせれません! 誰か捕らえても一人だけと決まってるわけじゃないですし」 白い壁や襖を破るのをやめた。萌月が鼠を切り裂くヨキに声を投げる。 「ヨキさんも、なるべく……小さな技で、お願いします……事が大きくなれば……浪志組の干渉は避けられません」 「そうね、穂邑さんを浪志に渡す訳には……徴の娘を『朝廷に渡す訳にはいかない』わ」 北條が刀で足元の鼠を刺殺しつつ、床すれすれで斬撃符を放った。 「朝廷の使者に殺されかけたしな。さぁ、二枚におろしてやっから覚悟しな!」 鼠の数は異常なまでに多い。 柊沢は皆が大きな怪我をしないようにと杖を振るった。榊の緑葉が揺れる。閃癒で怪我を癒すのみ。 相棒達の協力も相まって、鼠は着実に数を減らした。さらに増える気配がない。もうじき終いかと、気を緩めた瞬間だった。 「――――え?」 柊沢が呆然と自分を見下ろす。 背中が熱い。喉が苦しい。金臭い血の匂いがする。ぼたぼたと血が落ちていくのが見えた。柊沢は、胴を貫かれていた。穂邑を囲む結界が消え、管狐が宝珠に戻ってしまう。刃が引き抜かれると同時に、間欠泉のように血が吹き上げた。 真っ赤に染まる凶行の主は、ヨキ。 次の狙いは、穂邑だ。 「こ、このおぉぉぉぉぉおぉぉぉぉ!」 ファルストは盾を掲げて突進し、ヨキを弾き飛ばす。 その衝撃でヨキの懐にあった笛が『パァン!』と音を立てて割れた。目の前で笛が瘴気と化して消えていく。 何故か、壁に叩きつけられたヨキを、残り少ない人喰鼠達が襲わない。何かおかしい。まるで守るように取り囲んでいく。散々攻撃してきたヨキを威嚇せず、ファルスト達を威嚇している。 フェンリエッタが唇を噛んだ。 「瘴気でできた笛……物の形をした下級アヤカシね。人喰鼠を操ったのは、やっぱり貴女だったのね。おかしいと思ったのよ、あんなタイミングで、狙いすましたように壁を出現させて、アヤカシが此処を狙うなんて」 既存のアヤカシを操る技など聞いたこともない。けれど笛がアヤカシそのものであり、音色を装った『命令』が、人喰鼠を呼び集めたと言うなら納得がいく。 萌月もまた、穂邑と柊沢を守るように立ちはだかった。 「まさか……そんなはずないと……信じていましたが、アヤカシを操ったのは、貴女だったんですね……」 人妖の雪華が術を唱えると、ヨキの近くの空間が歪む。しかし相手は素早い身のこなしで、遠ざかった。八十神が睨む。 「どさくさに紛れて鼠以外がくるとは思っとったけどなぁ。外に妙な陰陽師がいるのは分かっとったけど、きみもか? 狙いは穂邑の首か? 大方、騒ぎを起こして穂邑を開拓者から引き剥がすつもりか」 八十神の問いに、ヨキは答えない。フェンリエッタが問い詰める。 「目的は何?」 「邪魔、するな」 地の底から響くような声だった。恐ろしい速さで刃が一閃する。 パンッ、と音を立てて八十神の山姥包丁が割れた。北條が符を構えた。 「たく、どうなってんだぁ。外も中も刺客が多すぎるぜ」 面倒なことになった。 人喰鼠とともにヨキが穂邑を狙って攻撃してくる。 重症を負った柊沢の大怪我を治す為、人妖たちが集まった。 素早く重い、ヨキの一撃。緋乃宮達が二発で重傷に陥る。しかしここは数が物を言う。 大半の鼠の駆除を終えていた為、ヨキは総攻撃を受けることになったのだ。 「人間ぶってないで正体をみせなよ! アヤカ……シ……、……え?」 ファルストの声が尻すぼみに小さくなっていく。 人に化けたアヤカシかと思った。 けれど聖堂騎士剣で攻撃しても、塩にならない。ヨキの腕や体から流れ落ちて畳を染める血は、紛れもなく生きた人間のものだ。赤黒い血液は空気に触れて、赤々と色を取り戻す。 アヤカシに憑依されている気配もない。 「……開拓者なんて、嫌いよ」 呻いたヨキは刃についた血を払った。 「常世の森のみんなのこと、何もわかってない。敵? 邪魔? 有害? そんなもの、人間の一方的な価値観だわ。……散々恩恵を与えられながら、いらなくなったら敵だという。身勝手な人間なんて大嫌い。でも『選ばれた私たち』は違う!」 立ち上がったヨキが再び刃を構えた。 疲弊しているとはいえ、圧倒的な戦力差を前に、まるで怯む様子も、諦める気配もない。 北條たちが武器を構える。 そこへ一匹の人喰鼠が天井から現れ、ヨキの肩に乗った。 必死に鳴いている。ヨキは意味がわかるらしい。 囁き終えた瞬間、ヨキは鼠を握り潰した。 口元に浮かぶ、勝ち誇った笑み。 「ふふ、そう。最低限の事はできたのね。よかった……ヨキは、今参りますわ――――『おかあさま』!」 萌月の目が凍る。 「だめ! ヨキさ――ッ」 白銀の刃が一閃する。 ぽん、と軽い音を立てて、ヨキの首が落ちた。 首の切り口から血飛沫が吹き上がる。手鞠のようにころころと転がっていく。 誰の目から見ても自殺だった。 ヨキの遺品から見つかったのは、見たこともない特殊な苦無。 それは暫く前に子猫又を貫いた苦無と同じ品で、ヨキが浪志組九番隊隊長の司空亜祈(iz0234)を激昂させた張本人だという事を示していた。 八十神が苦々しい顔をしながら苦無を拾い上げる。 「ひとまずこいつを見せて、誤解を解いて、その女を引き渡――何をしてるんや。どけ」 ヨキの首を抱えた血塗れの萌月が、遺体にすがりついていた。 知り合いだったにせよ、この騒動を悪化させた罪は重い。八十神が力づくで引き剥がそうとした。 「違うんです……ヨキさんは悪くない」 意味が、わからない。 「子猫又を貫いた。穂邑を殺そうとした。アヤカシを操った! 罪がない訳がないやろ!」 正論である。 しかし萌月は、八十神に怒鳴られても、頑なに首を横に振った。 「……この人は『私たちだった』かもしれない……私たちが『ヨキさんだった』かもしれない……横で笑っていたかもしれない……浚われた子の、成れの果てです」 北條が眉をひそめる。 「――――何の話だ?」 萌月はヨキの瞼を閉じさせて、袖で血を拭った。 「話が……長くなるので、簡潔にご説明します。一昨年の十二月、神楽の都が襲撃された事件を……覚えていますか?」 天儀歴1011年12月。 北面で弓弦童子が大暴れしていた頃、神楽の都がアヤカシの襲撃を受けた。 鷲頭獅子20体、炎鬼19体、そして上級アヤカシ妖刀飢羅。 生成姫の妖刀の方は取り逃がしたが、居合わせた74名の開拓者によって阻止された。 フェンリエッタやフィン・ファルストも手伝ったので覚えている。 「あの後、失踪した妖刀飢羅は五行の東で発見され、破壊されました。 けれどその時に妖刀を所持していたのは、ヨキさんのお兄さんだったんです。 兄妹は、妖刀を研いで鍛え直せる優秀な刀匠を、故郷へ連れていこうとしていました。でも二人共、故郷が不明で……開拓者だと名乗りながら、当時は登録記録がなく……不審人物として見張っていたんです」 「それとこれと、一体どんな関係が」 「もう一つ。別の事件を調査していて、私達が知った事実があります。 それは五行で『志体持ちの赤子や子供がアヤカシに誘拐されて続けていた』という事です。 彼らの消息は長い間、わかりませんでした。 最近になって昔の監禁場所が分かって……からっぽの里を調べて分かった事は……志体持ちの子供たちは、魔の森の中に作られた非汚染区域で、山の神を自称する生成姫を母として育ち、誘拐された開拓者を教師に、様々なアヤカシを一撃で仕留める方法や暗殺技術を、徹底的に仕込まれるんです。 そして大アヤカシの使命を受けて世に放たれる。 人の心を強制的に失わされた子供たちは、使命に邪魔となる存在を、たとえ味方でも容赦なく抹殺します」 磨き抜かれた悪意の結晶。 萌月はヨキの髪を撫でた。哀れな子をあやすように。 「そして浚われた子供たちは皆、 魔の森を『常世の森』と呼び、生成姫を『おかあさま』と呼ぶんです」 おかあさま。 ヨキはさっき、そう言った。 「では、その女性は洗脳された……私たちの仲間なのですか!?」 柊沢が愕然とする。 生成姫の配下に浚われた、志体持ちの子供たち。 本来、両親に愛され、開拓者として共に旅をし、かけがえのない親友になるかもしれなかった……人生も命も、全てをアヤカシに奪われた仲間たち。 ヨキもその一人だと判明した。 己を選ばれし神の子と信じ、邪悪な母を愛し、己の命も顧みない……決して人間に疑われることがない。 最高最悪の優秀な刺客である。 暗躍の手駒として、玩具のように扱われ、命を散らす。 萌月は首を縦に降った。 「これで……幾つかハッキリしました。 朝廷の使者様の方は調べないと分かりませんが……生成姫も穂邑さんを殺そうと狙ったこと。 そして私達を争わせている間に、何かをしようとしているってことです。 連中は……影で人の欲望に手を貸し、人同士を争わせて、大規模な内乱の誘発を何度も狙ってきました。 今回、それが現実になりつつある。 一手で十を引き出すのがアレのやり方です。恐ろしいことが、きっと起こります――ッ」 今、分かった事といえば。 使者は、未だ何者の差金か未確認だということ。 穂邑の命を、五行東に巣喰う大アヤカシ『生成姫』勢力も狙っていること。 いつか我々の仲間になるはずだった志体持ちの子供達が、生成姫の配下に誘拐されて洗脳を受け、穂邑暗殺を含め、複数の密命を受けて何人も神楽の都に潜り込んでいること。 開拓者を仲間同士で争わせる影で何かを企んでいる。 卑劣極まりない、陰湿なやり方だ。 「……こうして。疑心暗鬼や対立を仕向けて混乱に乗じ、利を得る奴が必ず居るのね」 フェンリエッタが拳を握る。 もはや。 こんなところで仲間の浪志組と睨み合っている場合ではない。 何かが始まる前に、阻止しなければ。 けれど、まだ外には出ていけない。それが歯がゆかった。 ひとまず遺体を布でくるんで場所を移し。 ブルクミュラーたちは部屋を修理し始めた。時間が経過し、結界呪符が消えると、外の野次馬から例の陰陽師が消えていた。閉じこもったまま焦る彼らの耳に、上級アヤカシによって開拓者ギルドが襲撃されたという報告が入るのは、何時間も後の話になる。 穂邑の体に現れた謎の徴。 穂邑を皇后に迎えようと急ぐ朝廷。 それを穂邑殺害の形で阻止しようとしたアヤカシの思惑。 浚われた子供の存在と子供たちが帯びた密命。 襲撃を受ける開拓者ギルドと五行の国。 略奪された希儀の護大。 深々と雪が降る寒い日の惨劇。 それは過去にない未曾有の大事件が起こる、小さな前触れであった。 |