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■オープニング本文 温泉。 それは人々を癒す魂の洗濯場。 開拓者。 それは妄想の中で生きる人々を魅了してやまない魔性の者たち。 素敵な二つが出会った時に、情熱の迷走が始まった。 充満する湯けむり。 景色がわからないのは幸いだったかもしれない。 「いいわぁ」 なんか聞こえる。 「とてもいいわぁ、上気する薄紅の肌、引き締まる上腕筋、ぷりっとしたお尻だって欠かせないわよね。目の保養だわぁ。うふふ、うふふ、うへへへ……」 金髪碧眼の女性が、怪しい笑い声を零しながら筆を走らせている。 後方で様子を見守る義姉妹の寿々という黒髪の娘が、諦めた眼差しで明後日の方向を眺めつつ、温泉卵を食べては甘酒を楽しんでいた。素敵な温泉宿だ。肌がピリピリする温泉は文句なしの品質で、総檜の内風呂はイイ香りだし、滝のように流れるお湯は贅沢の極み。大理石の露天風呂は広く、蒸し風呂に包まれていると気持ちが安らぐ。 しかし凛々しい青年を描いている義姉こと真麗亜の方向は……見ない。 見てはならない。 未婚の娘として、全裸の男性など見られない! いつもお守りをしている真麗亜の娘こと日向は、旦那の紫暗さんに預けてきたので少しだけ気が楽だ。 そこへ様子を見にやってきたのが、温泉宿の主人である。 「おい、何を描いてるんだ! まさか……全裸!?」 「全裸ですね」 手前で甘酒を飲んでいた寿々が冷静に解説する。 「これは宿のご主人殿」 最後の良心を、隠す気がサラサラない男に向かって、宿の主人は金切り声をあげた。 「服! せめて褌を纏え! きいてるのか、そこの獣人!」 湯けむりでよく見えなかったが、男の頭には耳が生えていて、ふさふさの尻尾があった。悩ましげな仕草をした青年は、腰に手を当てて胸を張り、きりりと凛々しい眼差しで老人を見据える。 「ご主人殿」 「な、なんだ」 「飼い犬に服を着せる行為は、自分勝手であり虐待ではないでしょうか? 是非、御一考を」 全裸を正当化した。 「やかましい! 褌で前を隠せ! あんたも赤裸々に描くんじゃない! この温泉宿を不埒な絵で潰す気かぁぁぁ!」 己の欲望にひたはしって裸族を描いていた真麗亜さんも「えー」とか言いながら、今まで書いていた紙を、綺麗に折りたたむ。勿論、捨てたりなんてしない。とても大切な裸体の資料である。 絵の仕事に必要な人体構造図、と言えば大体の言い訳は通る。 「ちゃんと仕事してくれよ!」 言うだけ言って。 老人が去っていった。 「んもー。折角、旦那以外の体が楽しめたのに」 「旦那様が泣きますよ、お義姉様」 暴走ぶりはさておいて。 絵師の真麗亜が、此処で半裸の男たちを描いているのはきちんとした理由があった。 広告の制作である。 真麗亜さんは、開拓ケット(カタケット)という催しでは、開拓者をモデルにした妄想過剰な絵巻を大量に売りさばき、月刊『開拓じゃんぷ』では『血染めの薔薇〜ブラッディローズ〜』を連載する、今をときめく売れっ子絵師だ。真麗亜の絵は、かなりの売上が見込める為、便乗商売が増えていた。 そして今回。 出版元と温泉宿が企画したのが『温泉王子』である。 名の売れた男性開拓者を使って、艶かしい広告を作り、官能的なセリフを書く。するとその絵を貼った商品は瞬く間に売り切れて完売。貼った広告を剥ぎ取っていく珍妙な泥棒まで発生した。 「しかし、お義姉様。最近いつも男性が同じ姿勢ではありませんか?」 ざく、と。 心に切り込む見えない苦無。 「そろそろ飽きているんでしょう。全く、ちゃんとお仕事はして頂かないと困りますよ。これから日向は育ち盛りになりますし、色々と物入りですから。稼げる時に稼がないと……聞いていますか、お義姉様?」 みると真麗亜は耳栓をしていた。図星である。 仕方がないので寿々は開拓者ギルドに依頼を出した。 ちょっとだけ詐欺な募集をかけて。 |
■参加者一覧
相川・勝一(ia0675)
12歳・男・サ
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
エルディン・バウアー(ib0066)
28歳・男・魔
藤丸(ib3128)
10歳・男・シ
御調 昴(ib5479)
16歳・男・砂
ラグナ・グラウシード(ib8459)
19歳・男・騎
黒曜 焔(ib9754)
30歳・男・武 |
■リプレイ本文 相川・勝一(ia0675)は『温泉でまったりできるぞ』という人妖の桔梗に誘われて来た。 最初は鼻歌も歌ってしまうくらい上機嫌だった。 しかし異様な空気を悟って人妖を探すと、温泉目当ての桔梗は主人を放置して、既に受付を済ませていた。 諦めざるをえない。 同じく最初は「温泉だ!」と喜び勇んでいたラグナ・グラウシード(ib8459)は、女性たちが手に持っている『不気味極まりない衆道な本』を発見して、震え始めた。 他にも見覚えのあるヤバイ絵を、モロバレで隠し持っているではないか! 「うさみたん……ど、どうしよう! あれはこわい女の人だ!」 グラウシードは兎のぬいぐるみを抱えて震えている。 美味しい依頼には裏がある。 状況を悟ったエルディン・バウアー(ib0066)は苦笑を零していたが、世界に温泉を広める広告のモデルという事を思い出して『これは教会の知名度をあげる絶好の機会に違いない』という結論に達した。 しかし心情的に割り切れない者が大半だ。 以心 伝助(ia9077)は「温泉旅行だったはずなのに、どうしてこうなったでやんすか」と自問自答している。 書類を間違えて書いたのか!? と己の行動を疑いたくなる位には、現実を認識できていなかった。 人はそれを『現実逃避』と呼ぶ。 「おかしいと思っていたんでやんす!」 ばーん、と待合室の机を叩く。 ふ、と自嘲気味に笑った御調 昴(ib5479)も頷く。 「……そうですよね、普通の絵の題材になるのに、開拓者ギルドに払う報酬を……ひと様の給与数ヶ月分の月収に相当する大金をものともしないで、しかも温泉なんて……普通の仕事じゃないって、気付くべきでした」 ああ詐欺って美味しいんだなぁ、と。 涙を流しながら後悔している。 藤丸(ib3128)がきゃーきゃー騒いでる女性たちを眺めて心を閉ざす。 「……ああなんか、温泉に出た怪物との死亡予告みてぇ。来てしまったものは仕方ないよなぁ。ここはシノビのお仕事モードで乗り切るしか……」 「ええ、これも仕事です。何はともあれ力尽くして仕事は果たしましょう。何か縁があると呼ばざるをえない状況になっておりますが……」 潔すぎる御樹青嵐(ia1669)は、画家真麗亜さんの姿を認識した段階で『このようなことも腐れ縁とでも呼ぶのでしょうか?』と心で天に問いかけていた。 天の返事はない。 「それにしても呼び声の名前が……偏っているような。御樹さん、知ってます?」 黒曜 焔(ib9754)が首を傾げる。 「ああ、それはですね。開拓者に焦がれてやまない特殊な方々にとって、沢山仕事をこなした開拓者の方が有名だからです。具体的にこなした依頼数を申し上げますと……」 深淵をのぞきつつ、深淵にどっぷり染まった経験を持つ御樹が解説する。 「何それ怖い」 「でしょう?」 「いやー……、名の知れた開拓者さんは大変だなぁ」 黒曜の言葉を聞いた瞬間。 ぱぁ、と御調の表情に生気が戻った。 「あ、そうですよね! 実力的には、転職したりした僕は一歩劣るからまだマシですよね。がんばってください!」 さりげなく見捨てる宣言をして、以心達に澄んだ眼差しを向ける。 無邪気って残酷だ。 万年非モテのグラウシードは、目の前に広がる楽園に慄いていた。 「はぁうっ……こここ、混浴ッ?!」 水着姿の女性が、脱衣所や風呂場に沢山いる。 開拓者たちは『普段通りに風呂に入る』ように命じられた訳だが『真麗亜絵師の仕事の邪魔をしない』という事を条件に、乙女たちも入浴を許された。 あこがれの有名開拓者様と。 一緒にお、風、呂。 本来なら絶対にありえない状況に、何十人もの女性が内風呂や休憩所から露天風呂を監視している。休憩時間に、隙あらば彼らが口をつけた食べ物や盃を入手してみせる! という決意が感じ取れた。 不吉な予感がする。 「な、何だ、このプレッシャーは……?!」 「ここまで来たんだ、仕方なかろう! やれ、ラグナ! 風呂に入るのだ!」 羽妖精のキルアは慰めてくれない。仕方がないので、グラウシードは心の安定剤である兎のぬいぐるみのうさみたん、を桶につっこむ。 しかし脱衣すら監視されるとは、なんという拷問か。 獣耳をぷるぷるさせた藤丸が「どうしてこうなった!」と叫んでも、露天風呂の中庭の木の枝にとまっている迅鷹の竜胆は『しらんがな』とでも言いたげに、耳のあたりを掻いたり羽の掃除をしていた。 相棒はつれない。 混浴という現実は刺激が強い。 顔を真っ赤にした相川は、褌一丁で震えながら湯船に浸かっていた。 居た堪れない主人に忍び寄る魔の手……改め、人妖の悪戯を企むイイ顔が。 「なぜに混浴……え、ええと……き、綺麗な方達に見られて僕恥ずかしいです。うう、どうしてこんなことに……って、ひゃぁ!? 桔梗!? 返して!」 奪われたのは褌だった。 このままでは露出狂になってしまう! 最後の良心を、目にも止まらぬ速さで隠した。 風呂桶に刻まれた『ケロリシ』の焼印が存在感を放っている。 「ずっと同じ格好でもつまらなかろ? ふふふ、ほれ、これでも付けておればよかろうて」 ぽいと投げられたのは手ぬぐいだ。 風呂桶では後ろが隠せないので、慌てて拾う。 「こ、これ……少し手ぬぐい小さいよ!?」 「当然じゃ。少しくらいサービス精神とやらをもてぃ」 傍らには、忍犬の柴丸を抱きしめた以心がいた。 珍しい光景である。日々厳しい戦場をくぐり抜けてきた相棒の、愛くるしい瞳を見つめていれば……心は癒される。 「きゃー、伝助さまのお饅頭よぉぉぉ、歯型がかわいい」 何も聞こえない。 何も見ていない。 そう目の前には、忍犬の柴丸しかいない。 裸体に近い女性なんて目の前にいないのだ。きっと若さゆえの不埒な幻覚なのだ。 心頭滅却すれば、珍妙な幻聴も聞こえないに違いない。 「ねぇ! あの絵が終わったら、伝助様のお猪口取りに行きましょうよ! 関節キス!」 「ばっかね、そこは耐え難い誘惑だけど、あえて彼らのお猪口を入れ替えるのよ!」 やっぱ幻覚じゃないっすね、と魂が泣く。 最初は湯あたりを理由に退場しようとしたがバレバレの嘘に却下され、酔いつぶれて失神してみようかと考えたが……こんな所で酔い潰れたらどうなるかわかったもんじゃない、という結論に行き着いた。 夕食まで耐えるしかない。 彼らの中で唯一、浴衣姿なのが御調だった。 それは数十分前のこと。 『嫌です! 容赦願います! こんな、こんな人の目のあるところで!』 服を脱ぐ脱がない、で徹底抗戦を行ったところ、脱がないなら譲歩する、という話になった。そのため着衣で入浴して、合わせ目をはだけさせろ! という羞恥プレイを味わっている。 見ての通り。 浴衣のまま入浴は、衣類がぴったりと肌に張り付き、体の線をくっきりと浮かび上がらせるので『半裸の方がマシでやんすね』と以心達に思わせるぐらいには、アレな格好であった。 見えそうで見えない、ギリギリの倫理観をゆく。 「ひ、ひどい……狙ってましたね!」 睨んでみるものの真麗亜さん、どこ吹く風。 翼や尻尾で庇おうとすると、女性たちの異様な視線が注がれる。 泣き喚く主人の様子など気にもとめない、鷲獅鳥のケイトは欠伸をしていた。 「情けないですね……覚悟とは完了するものです!」 堂々と言い放った声の主は、裸族な御樹であった。 膝の上には、いつのまにか湯あたりを起こしてフラフラしている藤丸がいる。ぼーっとした藤丸に水を飲ませて介抱しているに過ぎないのだが、煩悩に満ちた女性たちには、口から零れる水すら卑猥に映るらしい。 女性の鼻息が荒い。 恐ろしきかな、色眼鏡。 しかし御樹は女性の色眼鏡になど屈しない! 「もっと胸をはりなさい。皆様の要望に応え、我々の清く逞しい裸身を、拝ませて差し上げよう――位が丁度よろしいのです。人々に夢と希望与えるのも、私達開拓者の役目ではないかと考える所存です」 いささかサービス過剰な御樹は、貴重な練力を消費して空に氷龍を放ったりしていた。 御調と同じく肌をさらすのに抵抗があったのがバウアーだ。 聖職者として破廉恥な! という態度をしていたのだが、数時間前、ふと我に返った彼は、地の底に葬りたい過去を思い出す。 『……ふ、みかん箱に入って誘拐されたあの日。男性に押し倒されて、カソックを脱がされる禁断のソドミィ一歩手前を体験した私に、怖いものは無し! あれよりはずっとマシですね。局部さえ見えなければ特に問題ありません』 かくして現在。 見事に順応したバウアーは、黒曜ともふらさまについて語り合っている。 羽妖精のケチャは甘酒を片手に、笑顔でお絵かき。もふらのおまんじゅうちゃんは、温泉玉子で舌鼓。 冷たい雪降る露天風呂は、熱い温泉で満ちている。 飲み放題、食べ放題。 美味しいお酒に、つまみの数々。 女性たちの熱視線や、食べ物を盗まれる異常な行動を視界からシャットアウトすると……まさにそこは極楽。 意識しなければ楽しい風呂だ。 「いい湯ですねぇ、体に染み渡るようです。おまんじゅうちゃんも入りますか?」 「いい湯です。水風呂は苦手ですが、温かいお風呂は幸せですね。温泉玉子で口が汚れてますし、毛並みのお掃除でもしようかな」 交錯する瞳と輝くような微笑み。 外野の女性陣の「駆け出し開拓者と先輩開拓者、裸の付き合い、おいしい!」とかいう妄言は右耳から左耳に抜けていく。 ついでに羽妖精のケチャも「エルディン様が裸で他の男性と仲良くしている姿なんてめったに拝めませんもの。焔様の均整の取れた裸体、あの尻尾、受けっぽくてイイですわね! 下克上もよいのですわ! は! 相棒という立場ゆえに、お触りし放題!」などと小声で呟いていた。 幸いにも主人の耳には入らなかったらしい。 しばらくして湯あたりで倒れた黒曜を、バウアーが受け止めて介抱を始めた。 ふと羽妖精のケチャが何を思ったのか、一心不乱に絵を描いて、真麗亜さんの所へ持っていった。 これが悲しい悲劇を呼ぶ。 風呂を出ても、開拓者達に安息はない。 食事会場では、鼻息の荒い女性とホモォな兄貴の熱視線を浴びながら食べるのだ。 目を離した隙に食物が消えていく、この苦痛。 食事が喉を通らない。 心理的にも物理的にも、お腹いっぱい食べることは許されない。 なぜなら、食べ過ぎるとお腹が出てしまって、絵のモデルにならないからである。 さらに部屋に戻るまでがまた戦いだ。 握手と署名とお触りを求める群衆に囲まれるのだ。 口元がひきつり始めた御樹は、手元の宝珠に封じられた管狐の熱視線に気づいた。何か言いたそうにしている。 もしや……かばってくれようと言うのだろうか!? 御樹は胸温まる心地を味わいながら召喚してみた。 「えーい、この小娘ども! 良くお聞き!」 管狐の白嵐はべちべちと近寄る小娘たちの頬をひっぱたいて胸を張った。 「ご主人様の魅力はね! この首筋から肩にかけてのしなやかで流れるような線が美しいものなの! その白い肌が温泉でほんのり上気して赤く染まる……」 しゅるん、と消える。 管狐は強制的に格納された。 笑顔が凍りついた御樹は、何も聞かなかったことにした。 黒曜も仕事の意識に芽生えたのか、必死に冷静を装って紳士な対応を心がけていた。 しかしどこからどーみても耳と尻尾に元気がない。獣人は分かりやすい。 彼の心の声を聞いてみよう。 『これも開拓者としての修行……堪えるべし……耐えるべし……瞑想を行い、何とか耐えて、依頼完了を待……おなかへったよおぉぉぉ!』 ちなみに食事も安心して食えず、館内の喫茶店で甘味を食べようものならば、よそ見をした途端に消えるので腹が減る。 気ままに食っちゃ寝を繰り返すもふらさまのおまんじゅうちゃんが、心底羨ましくなったりしていた。 「桔梗が誘うからおかしいと思ったら、ごらんの有様だよ!」 泣き叫ぶ相川の抗議に、人妖の桔梗はツーンとすましていた。 「嘘はついておらん。温泉には入り放題じゃ。わしはまったり出来るしの」 とは言いつつもガチムチのおっさんが襲いかかろうものなら、きちんと酔拳で追っ払っていた。主人思いにも見えるが、その本音は「お主らはつまらぬ」だった。 酷い。 「色男さんなら別に沢山いるでしょうに、なんであっしが追いかけられてるんすか!?」 以心がシノビの奥義を使って身を隠す。 すると「お前、なにしてんだぁ」という声が降ってきた。乾炉火は偶然、ここの温泉を楽しみに来ていた。以心は『コレは神の助け!』と認識し、カクカクシカジカ事情を説明した。 暢気に説明していたら女性達に気づかれた。 「伝助さまぁあぁぁぁぁぁ!」 「ひぃっ! お願いでやんす、部屋にかくまってくださいやし」 大笑いしていた乾は様子を見て、爽やかな笑顔を向けた。 女性陣が近づくのを待って。 「いいぜ部屋にいれてやっても。……ひと晩、俺と遊んでくれるならな?」 ぴちょーん、と空気が凍った。 きゃあぁぁ、と歓声が巻き起こる。 乾がニヤニヤ笑っている。 狙った。 狙いやがった。 「……貴方に頼んだあっしが馬鹿でやしたあぁぁぁぁぁぁ!」 苦無を足元に差込み、畳を引っ張り出して『このアホオヤジ――ッ!』と言わんばかりに投げた。再び逃走を再開する以心の友達は、わふわふと追いかけっこが楽しそうな忍犬の柴丸だけだった。 この逃亡劇にはひとつ、明確な差があった。 それは知名度の問題である。 開拓者ギルドでの働きが活発であればあるほど追いかけられる率が高いのだ。 そして近くに高名な開拓者がいれば、人気はそちらに移っていく。 そのことに気づいた藤丸と御調は、上手い具合に自分の取り巻きを他人に移し、ひと気の消えた廊下で、壁に貼る句を詠んでいた。 「んーと……『温泉に、和みに来たら、犠牲者に。――――藤丸』と」 「ふぅ――…『甘言に、耳を貸したら、地獄谷。―――――御調』……これでいいかな」 二人揃って。 陰鬱な句しか書かない。 しかし宿に到着して初めての、監視無きひとときだ。 満足げに短冊を壁に貼った。 「あ! 温泉王子様よ!」 遠くから聞こえた女性の声に飛び上がった二人は、再び逃走を開始する。 「うわああああ! くんなあああああ!」 藤丸が逃げる。 御調も逃げる。 「僕は心に想ってる人もいるんですー! 捧げたり捧げられたりの予定は全くないですけど、清らかでいさせてください――!!!」 そしてグラウシードは『アッ――ッ!』な未来の悲劇を避ける為、ホモォな兄貴達をボコボコにする旅に出ていた。 こいつらを殲滅しない限り、うさみたんを抱きしめて安眠なんてできない。 そして部屋に逃げ込んだ者はというと。 「やれやれでやんし……た?」 以心が部屋に逃げ込むと、そこにはのぼせて布団に倒れていたバウアーの帯紐を解く、鼻息の荒いホモォな兄貴がいた。一瞬の間を経て、巨漢を殺さない程度にボコボコにした以心は、侵入者を部屋の外に放り出した。 バウアーの貞操、危機一髪。 かくして詐欺同然のモデル仕事な温泉旅行は終了した。 この数日後。 彼らがモデルとなった広告が、街中に張り出されるという事態がおきた。 グラウシードの広告は、皆が手ぬぐい一枚ずつ持っているものだったが、愛用のうさみみたんと羽妖精キルアを交えて、温泉を背に並んで正座していた。 『みんないっしょで、きもちいい。』 と書かれているので、家族層向けと言える。 割とマシだ。 相川の広告は露天の端で『成敗!』の姿勢をとり、刺のないバラを咥えている。 大事な所は湯けむりで隠れていた全裸の相川の手前では、人妖の桔梗が見る者を手招きしていた。桔梗の吹き出しには『若い蕾と湯けむりの中で……』と書いてある。 「な、なんで桔梗が! 何か凄く恥ずかしいんですけど!? は! 見ないでください! 見ないでください! 露出狂じゃありません! 温泉です!」 必死だ。 以心は自分の広告を見て、呆然と立ち尽くしていた。 確かに広告の姿勢をとった。諦めてモデルをした。浴衣姿のまま足湯に浸かり、笑顔で相手にお酒を注ぐように徳利を差し出す姿勢で……譲歩した。 確かに譲歩した。 しかし! 目の前の自分は、潤んだ瞳を向け、浴衣がはだけていて……キワどい。 『癒しの湯で、貴女と最高の一杯を』 その文字を見た瞬間、無言で破り去っていった。 ところで布教に忙しい、禁欲的なカソックを纏う神父様の広告は全裸だった。 局部は手ぬぐいで隠されているものの、薄紅に染まった肌に虚ろな瞳、ぬれる金髪から滴る汗が輝き、仰向けで露天風呂に倒れていた。 文字にはこうある。 『私と一緒に汗を流しませんか?』 そして何故か黒曜の手を握りしめている自分。 広告を見る女性たちの視線が熱い。 バウアーは「まぁこんなものでしょうか」と、恥ずかしそうに頬を掻きつつも、広告を放置した。開拓ケットで遥かに凄い絵や冊子を見ていたので、いらん耐性がついてしまったらしい。 海のように広い慈悲の心が、空のように広い許容範囲と化していた。 だが、そんなバウアーも固まったのが黒曜の広告である。 『汗流し、猫の手貸します』 のぼせ上がった薄紅の肌。尻尾や獣耳も濡れてふにゃふにゃ。 極めつけは腰に手ぬぐい一枚という、ほぼ全裸の状態で、顔の見えない男に覆いかぶさっている構図である。アングルは組み敷かれた男目線と言っても過言ではない。 カタケットの世界で暮らす乙女たちの言葉をかりて。 一言で言おう。 誘っているようにしか見えない。 しかしよくみると、その手には垢を擦る為の布が、きちんと握られていた。絵の元々は手をつないだ状態で足を滑らせた黒曜が、バウアーに倒れ込んだ一瞬である。 御調は広告の自分を見て、羞恥心が限界を超えて倒れた。 部屋の贅沢さを知らしめるはずの彼の広告は、全く別なものを知らしめていた。 豪奢な寝台に倒れ込んだ自分の帯は紐解かれ、酒で紅潮した頬とうるんだ瞳による官能的な眼差しが、こちらをみている。 広告左下の文面には『ここから先は、大切なあなただけに……』と書かれていた。 カタケットの世界で暮らす乙女たちの言葉をかりて。 一言で言おう。 押し倒されているようにしか見えない。 そして顔を真っ赤に染めた藤丸は「俺、こんなの言わないよー!」と騒いでいた。 濡れた栗色の髪に、へちょりと力なく垂れた耳と尻尾。 湯船の中で大きな瞳をじっと見るものに向けつつお座りしている姿は、捨てられた子犬のような愛くるしさを放っている。 飾られた言葉は『一緒に入ってくれないと、ヤダ』だった。 そして御樹の広告は、温泉とは全く関係ないものに昇華しつつあった。 『温泉で、生まれたての美肌になろう』 と記された空を、氷龍が泳いでいる。 確かに術は放った。背景も紛れもなく露天風呂だ。 けれど管狐の白嵐が広告の右を飛び、純白の手ぬぐいをかけようとしている。全裸の御樹は画面の中央にいたが、異様に黒髪が長かった。彼の左手は風になびく黒髪を持って、最後の良心を覆い隠し、右手は風呂桶を胸元に抱えている。そんな御樹の足元には、何故か巨大なしゃこ貝が口を開けている。貝から生まれた演出だろうか。 まさに。 名画のオマージュ。 美の女神ならぬ美の雄神、誕生。 「やはり絵とは芸術でなければなりません」 やりきった顔の御樹は、満足そうに頷いていた。 ちなみに。 広告を手にした数名が開拓者ギルドの受付係を張り倒すために、恐るべき速さでギルドに舞い戻ったが、モデル依頼を受け付けた職員は、この前日から溜まった有給休暇を消化する為、華麗に休んだらしい。 休暇届が憎い。 問い詰める矛先を失った誰かさん達のストレスな内圧だけが、ただ上がり続けたのであった。 |