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■オープニング本文 最近、先生のところへお客様が絶えない。 開拓者だ、と先生は言うけれど、開拓者ならば先生を倒そうとするものだ。 僕は知っている。 先生を倒せた人には、開拓者ギルドから30万文の大金が支払われることになっている。 悪い噂も聞いたけど、僕は信じない。 赤ん坊の頃から、先生のお傍で暮らしてきた。 怪我をすれば無償で傷を治してくれたし、病気になれば毎晩看病をしてくれた。僕にとって先生は、もうひとりのお母さんだ。頭が良くて優しくて、でも厳しくて。陰陽術の使い方も教えてくれたし、家族が死んで身寄りのない僕を引き取ってくれた。 『もう一度言う。ソラ……私と来るのは大変だぞ?』 『はい、先生』 『よく考えなさい。私は追われる身だ。誰も私の言葉など耳を貸さない。だから私は逃げるしかない。でもお前は違う。陰陽寮の者たちなら、きっと口利きをしてくれるだろう。よい家柄の養子にだって、なれるかもしれない……』 『僕は先生と一緒にいます』 僕の頑固さは、きっと先生譲りなのだ。 先生は相手が望まないことはしない。 一緒に連れて行ってくださるように、沢山家事をして、色んな術を覚えるのだ。 お傍にいられればそれでよかった。 自分が足枷になっていたなんて、知らなかったのだ。 + + + ……静かすぎる。 封陣院の分室長こと狩野 柚子平(iz0216)は、窓から木々を見上げる。 凍りついた枝が太陽の光で輝いていた。 ここは五行の結陣。陰陽寮がひとつ、玄武寮だ。 柚子平は最近、王城に呼び出されるなど多忙を極めていたが、暇を見ては玄武寮や封陣院の分室を行き来していた。部下を使って各地の情報を集めていたのだが、五行東にある魔の森が静かすぎる。侵食速度が急激に緩やかになり、アヤカシの目撃例も激減した。監視に送り込んだ密偵からも別段目立った動きはない。 けれど胸がざわつく。 コンコン、と扉をノックする音が響く。 見覚えのある玄武寮の生徒だった。 「今晩は。研究の経過報告ですか? でしたら蘆屋寮長に……」 「呑気なことだな」 見覚えのある顔から、全く別の声が発せられた。 瞬く間に姿が変わる。 立っていたのは、漆黒の髪に青い瞳を持つ『火焔の人妖』だ。 「敵意のない者に対して結界がザル過ぎるのではないか? いくら人妖には効力がないにしても、私が寝首をかきにきたらどうする……ご安心なされよ、何もしない」 火焔の人妖イサナ。 不老不死の研究をしていた陰陽師イサナに創り出された等身大の人妖である。主人と瓜二つの容姿を持ち、死期を悟った主人との約束で、彼女の病死後、本人に成り代わって暮らしていた。 陰陽寮卒業生招集の際に発見され、説得の末、封陣院に保護された。しかし、新しい主人を得る直前に何故か暴走し、多数の死傷者を出して脱走。 この為、廃棄対象となっている。 「御用ですか? 態々、敵陣に踏み込むとは」 「敵陣、か。お前達なら……手を貸してくれるのではと」 「内容によります」 「では単刀直入に言う」 火焔の人妖は膝を折った。床に頭を擦り付けんばかりに土下座をした。 「ソラを救って欲しい」 「……は? 貴方の弟子の少年ですよね?」 「連中に奪われた」 火焔の人妖イサナは歯ぎしりをした。 「私は連中の言葉を信じた。目の前で神の御技を見た。……いや、あんなものは神ではない。分かっていたが信じたかった。取り戻したかった。人の技術で無理なら、生き返らせられる力を持つ者に頼めばいい。叶うならなんでもすると言った私が、愚かだったんだ。最初は簡単な仕事だった。でも人を殺す話になって、渋ったら……このざまだ」 火焔の人妖が何を言っているのか。 柚子平は意味を察した。 「イサナさんを生き返らせてやる、と言われたのですか」 「ああ」 「貴方に取引を持ち込んだのは『生成姫』ですね?」 「そうだ。封陣院の研究員に潜り込んでいた石榴が、私を解放して魔の森へ連れ立った時、一度だけ直接あったことがある。それ以外は、全て娘共を介したから所在は知らないが」 「娘共……浚われた子供たちですか」 「知っているのか」 浚われた子供たち。 幼い頃に、生成姫の命令で誘拐された志体持ちの少年少女だ。 彼らは自我が確立するか否かの頃に、親に化けた夢魔によって誘拐された。浚われた子供たちは、生成姫の魔の森の中に意図的に作られた非汚染環境の廃村で育てられ、洗脳を受けていると聞く。 生成姫を崇拝する、諜報と暗殺技術に長けた完全な人間。 世に放たれた総数は不明だ。 「それでソラさんは?」 「私が命令を渋った翌日、連れ去られた。仕事が完了するまで蕨の里で預かると。しかし蕨の里など見つからないし……」 柚子平の目の色が変わった。 「見つかりませんよ……蕨の里は、300年ほど昔に滅んだ里です。魔の森の内部にある……なるほど裏松に居たはずの子供たちは、今は蕨の里に移された訳ですか」 独り言を言って、古びた地図を取り出した。 「よろしいでしょう。顔を上げなさい」 柚子平は手を叩いた。 「よく知らせてくれました。ソラさんを含めた、誘拐された子供たちを救出します。しかし貴方は一緒に連れていけません。知られてしまいます」 「分かっている。生成の娘共をひきつけて時間を稼ぐさ」 「お待ちなさい」 身を翻した火焔の人妖の手を掴んだ。 「約束しなさい。何があっても人を手にかけないと。生成姫の子供が、研究所の研究員に成り済ましていたのなら……こちらには例の研究所の生き残りがいます。石榴とやらを生きたまま捕獲できれば、貴方の無実も証明できる。それまで悪を為さずに生き残ると誓いなさい、ソラさんの為に」 「……分かった。できるだけ、やってみる」 相談の後。 火焔の人妖は再び玄武寮の寮生を象ると都の闇へ消えた。 + + + 「魔の森の廃村へ?」 集められた者たちは呆然と立ち尽くした。 ソラという陰陽師見習いの少年が、魔の森へ浚われたという。少年の名前を聞いて数名が口を閉ざした。賞金首こと火焔の人妖イサナと面識のある者たちならば、イサナが何かに巻き込まれ、助けを乞いにきたことは察しがついただろう。 「恐らく、蕨の里にはソラ君以外にも子供たちがいます。大規模な救出作戦になるかもしれません。ですがその前に子供の総数を把握しておかねば……今回の調査で連れ帰るのは、ソラ君だけです」 派手に暴れて破壊を行うのは簡単だ。 しかしまた姿を眩まされると手を出しにくい。 「少年を連れ去って平気なのですか? 気づかれて他の子供を殺されるくらいなら、不本意ながら一斉救出まで預けておくという手も」 柚子平が首を振った。 「時間がないのです。生成姫が人質を無償で返した例はありません。屍となって戻されたこともあります。ソラ君の命は時間の問題。そして他の子については……あちらが害を成すことはないでしょう」 敵の大事な手駒だから、と。 |
■参加者一覧
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲
シャンピニオン(ib7037)
14歳・女・陰
リオーレ・アズィーズ(ib7038)
22歳・女・陰
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 五行の東、渡鳥山脈。 魔の森汚染を受けるこの山の水源は、何故か昔から汚染されずに残っていた。 意図的に汚染されずに残されていた事実を、開拓者の一部が知ったのは、ごく最近の話である。 いつか開拓者になるはずの志体持ちの子供達が誘拐され、死をも恐れぬ優秀な手駒として養育される秘密里。 陰陽師見習いのソラが誘拐されたのも、その隠れ里と知った開拓者たちは、魔の森に汚染されずに残る水源を横断する商用飛空船に乗り込み、龍達を使って比較的安全な場所に降り立った。 「今はとにかく、蕨の里に向かおう。ソラと言う子を助けるのはもちろんだし、さらわれた子供達の情報も持ち帰るんだ。いくぞトモエマル!」 先行するのは駿龍トモエマルに乗った刃兼(ib7876)だ。 その後ろを駿龍ロロに乗ったネネ(ib0892)と駿龍ポチに跨る胡蝶(ia1199)、駿龍の月牙を操る緋那岐(ib5664)に駿龍ベロボーグを連れたリオーレ・アズィーズ(ib7038)が続く。 好戦的な炎龍の燭陰を沈める八嶋 双伍(ia2195)の背中を、甲龍ショコラを操るシャンピニオン(ib7037)が追いかける。 人妖のルイを連れていた酒々井 統真(ia0893)はベルナデット東條の駿龍亢宿に同乗し、猫又のポザネオを抱えたヘラルディア(ia0397)は、沙羅・ジョーンズの炎龍スポッターに飛び乗った。 からくりの桔梗を連れたローゼリア(ib5674)は、甲龍ナミを操る朱宇子の背にのり、しんがりを務めたのが駿龍雨琳と周囲を警戒する六車焔迅である。 滝の音が響く、美しい水辺だ。 獣の姿はないが、魚も悠々と泳いでいる。 けれど此処は、紛れもなく魔の森の内部。酒々井が水筒の蓋を閉めながら声を投げた。 「攫われた子供の居場所、か……余計な事をしてる余裕ねぇし、支度が出来次第出発するぜ。ここは敵地だ」 ローゼリアは溜息を零す。 「しかし敵地である魔の森に入りつつ無闇に殺すな、とは……また無茶を言われますこと」 「柚子平の無茶難題はいつもだろ」 水筒に水を汲んでいた酒々井が、悟った眼差しで声を投げる。 同じく水筒を持っていた八嶋やシャンピニオンたちが試しに川の水を飲んでみると、汚染されている様子がない。敵は『人を飼う』には何が必要なのか、理解しているのだろう。 ローゼリアは肩を竦めた。 「そうですわね。上等、と言っておきましょうか」 ソラを救出し、里の内部を把握できれば、今後の救出活動だけでなく、アヤカシ達の卑劣な誘拐を妨害することも可能になる。 なによりソラには、帰りを待つ『家族』がいるのだ。 事情を聞かされていた緋那岐が「あいつ、頭を下げたって話だし……なんとしても助け出してやらねぇとな」と呟いて八嶋達の顔を見た。 ネネが頷く。 「あの人は、信用してくださった。なら、信用に答えたいと思うんです」 シャンピニオンが「そうだね」と寄り添う。 傍らのアズィーズは記憶の中の言葉を思い出して、危惧が当たってしまった事に胸を痛めた。イサナの悲願が叶えばいいな、と思ったのは事実だが……こんな結果は望んでいない。 「今回は村に監禁といっても相手はアヤカシ。油断は禁物です。……イサナ様が別の方法で『母』の復活を模索するかは判りませんが、今はソラ様の救出に専念しましょう。過ぎ去った者を取り戻そうとして、得ていた者を失ってしまうのは悲しい事です」 陰鬱な表情をする者たちを気遣ってか、胡蝶がアズィーズ達の肩を叩く。 「何やら複雑そうだけど……なんにせよ、そのソラという子は助けないとね。なにより人をさらって子供を洗脳するやり口……許せないわ」 「だなぁ。偵察の人魂は交代で使おう。何があるか分かんねぇし」 緋那岐が術を唱えると符が人喰鼠と同じ姿になって、地を駆けていく。 「どの経路で行く? 水汲み場の小川沿いは避けたほうがいいかね」 八嶋が唸った。 「お話に聞く、水汲み係に会う可能性を、考えておいたほうがいいでしょうね。戦闘も極力回避が望ましいような」 「ああ、水汲みにくる子供と直接出くわすのはマズイ。整地された道は避けよう」 刃兼達も含めて酒々井も同意した。 「小川沿いは水汲みに来た連中に見つかりやすい。多少きつくても、魔の森を慎重にいくか。……居残り組は気をつけてくれよ」 魔の森の中を、脱出の生命線である龍たちを連れて行くのは自滅行為である。かといって、此処に放置するのも危険極まりない。そこで残されるアズィーズ達の龍を守るため、ベルナデット東條、六車焔迅、朱宇子、沙羅・ジョーンズの四人が護衛役として待機する。 ふとローゼリアが、からくりの桔梗に尋ねた。 「これから魔の森に入るわけですけど、桔梗、あなた瘴気の中で動けますの?」 「さあ。魔の森に入った事がないので、動けるとは思いますが、汚染はやむを得ないかと」 ちなみに、からくりも瘴気に汚染される。 ふいに胡蝶が空を見上げた。 「向こうを見て」 胡蝶が示した方向の魔の森から、大量の怪鳥が天へ昇っていく。 ゆうに百匹を超える大群だ。 先頭をゆくのは羽衣を纏う天女のような煌く女だが、精霊とは言い難い禍々しさを放っていた。 酒々井とネネだけ見覚えがあった。ネネが震える。 「あれ、上級アヤカシです。前に一度見た事が……どこへ行く気でしょうか」 アヤカシの軍勢が神楽の都、それも開拓者ギルドを目指していた事など露程も知らない者たちが首を傾げる。 かくして龍と仲間を残し、一行は魔の森の奥へと消えていく。 澄んだ川から二十メートルほど森の中へ入ると、急激に濃い瘴気が体をまとわりつき始めた。空気が重い。腐った土壌に変質した樹木。地を這う虫も、普通とは言い難い奇妙な姿をしている。 しかし飛行系アヤカシの姿が、まるでない。 酒々井が眉をしかめる。 「夕暮れ時までに里へ到着できればいいが、……この静けさは不気味だな。さっきの群れがどっかにいったからか」 森の監視役であろう鳥型アヤカシ達がいない。しかし岩人形や動き回る樹木、隙あらば吸血しようと近づく虫や霧状アヤカシは数えきれず、猫又を抱えたヘラルディアは、急激に体力を失う者達の為に閃癒を使い続ける羽目になった。 後方を歩く酒々井や刃兼が、折れた枝に細工したり、地面の足跡を軽く踏み均して痕跡を消す。残してきた相棒たちの居場所を知られるのはまずいと判断した為だ。 帰りで迷わぬように、と。 刃兼は木の根元など目立たない場所に白墨で印をつけていた。 シャンピニオンも木々の間から見える空の色を気にしながら、身を低くして前へ進む。 時々遠くに水汲み係も見かけたが、何故か、魔の森は想像以上に静かだった。 度重なるアヤカシ駆除を重ねながら、蕨の里に近づいたと判断できたのは、子供の笑い声が響いてきたからだ。 蕨の里は、ひどく襤褸で古めかしい家屋が並ぶ、小さな村だった。 何故か線を引いたように魔の森が里を侵食していない。一見、子供の多い村と錯覚しがちだが、傍らに半ば腐った狼が従順に寄り添う姿を見ていると、正気に戻らざるをえない。へラルディアが瘴索結界を試みたが、ぐらりと眩暈を起こした。里中から瘴気を感じる。子供たちとて、清浄とは言い難い。 一行は予定通り二手に分かれた。 すなわちソラの救出班と里の調査兼退路確保班である。 八嶋とネネ、シャンピニオンとアズィーズがソラの捜索に出かけ、残るヘラルディア、酒々井、胡蝶、緋那岐、ローゼリア、刃兼の六人が周辺を警戒しながら森の中の物陰に身をひそめる。 けれどそれは、自らを毒する諸刃の剣だ。 「徐々に息苦しくなって参りましたわね、流石は魔の森、肺が腐りそうですわ」 ローゼリアが小声でぼやき、胡蝶が符を取り出した。 「魔の森はアヤカシの領分よ。夜も近いし、調査が長引けばこっちが弱って、むこうが活性化しているのは道理だわ。調査の過程で、石榴という人が見つかれば良いけど……陰陽師のはずよね。外見特徴が不明だし、呪術武器なんかで探したほうがいいかしら」 胡蝶の人魂に続き、酒々井は人妖のルイに「人魂で虫になって、偵察してこい」と命じた。 「ああ、問題は子供達と石榴だな。石榴は捕縛しなきゃならねぇが顔がわかんねぇ。洗脳途中の子供が里から出るとも思えねぇし、ソラに石榴かどうか確認させて、違うなら……」 酒々井は自分の手を見て、何かを堪える様に手を握った。 緋那岐が『真なる水晶の瞳』で瘴気の流れをみようとするものの、魔の森の内部故か、瘴気の流れが酷い有様だった。 胡蝶が我に返る。 「まずいわ。誰かこっちに来る」 走ってきたのは、手鞠を追いかける女の子だった。 年の頃は五歳前後。 大人が複数いることに首をかしげた少女を見て、酒々井が苦い顔で覚悟を決めた。 「やべぇ。里が騒ぎになる前にあいつを黙らせ……」 「待て。少し時間をくれ」 制止した刃兼は、意外な行動に出た。 逃げも隠れもせずに笑みを浮かべて頭を撫でる。 「こんな所で油売ってたらメシ抜きじゃないのか。他の先生や里長はどうした、元気か」 一瞬の賭け。 幼子は「おにーさんも先生?」と返してきた。 「そうだな」 ……かかった。 「ふーん。わー刀だぁ。にーちゃんの先生だね! あれ? 来週からじゃないの?」 開拓者たちが入手した古い日記から、子供たちの生活習慣は少し把握していた。 「先生達は新しい生徒を見にきたんだ。里長はどこだ? 先に挨拶をしておかないと」 「里長様は鳥さん達とお出かけしたよ。大事なお仕事だから、しばらく帰ってこないって」 「そうか……石榴は里に戻っているか?」 「んーん、いないよ。先週帰ってきたけど『おかあさまの言いつけだ』って。お外に行ける他のにーさまやねーさま、みーんなお役目にいっちゃった。つまんない」 子供たちの話す『おかあさま』とは『生成姫』のことだ。 つまり。 数時間前に空を飛んでいった天女のような上級アヤカシは、蕨の里の『里長』と考えるべきだろう。 そして当分帰ってこない。 さらに育てられた『浚われた子供たち』の中で、実戦投入可能な者達は皆、世に解き放たれた。 おそらくへラルディアの猫又ポザネオが祭で見た『不審な開拓者』も、外界への干渉許可を得ている子供の一人だろう。 今の里は手薄。 無防備に近い。 現在残っているのは、教育中の幼い子供達と、浚われた開拓者の先生役、そして上級アヤカシ不在の里を守るように命じられた配下たちだけなのだろう。 「みんなに新しい先生が来たって知らせてくる!」 くるりと身を翻した子供の行く手を「はいだめー」と緋那岐が阻んだ。 「そっちの先生が言ったろ? 俺たちは秘密で顔を見に来たんだから。里長やおかあさまのお許しが出てからだ。だから先生たちと会ったのは、まだ秘密な。ちゃんと約束を守れるイイ子には、キャンディをやろう」 じゃーん、と緋那岐が取り出したのは、キャンディボックスだった。 子供が姿勢を正す。 「守れます!」 「よし。じゃあ、おかあさまに怒られないように、早いうちに食べろよ」 「うん!」 飴玉を懐にいれた隙に、刃兼が死角から軽い手刀を叩き込んで昏倒させる。 酒々井が緋那岐に歩み寄った。 「よく飴玉なんて思いついたな。確かに菓子類は、ここの子供達にはイイご褒美だ」 「そうなのか? いやー洗脳されているとはいえ普段はまともなんか、ふと気になったんで」 もってきてよかったよ、と緋那岐が頬を掻く。 刃兼は気絶した子供を物陰に寝かせた。 「人型の連中は多分、親役のアヤカシ……監視役だな。里の構造と子供の男女比、アヤカシの数、先生役の人数を調べたら撤退しよう」 空は茜色に染まりゆく。 里の中を彷徨う子供達ならいざ知らず、里の中を徘徊するアヤカシに見つかっては困る。 ネネ達一行は、魔の森と村の境目を通り、木陰に身を隠して里の様子を伺う。時折、八嶋が征暗の隠形で瘴気の結界を構成しては接触を避けていた。街中では目立つ瘴気の結界も、ここでは里との境界と同化する。 しかし行き道の段階で、既にアズィーズ達の体は瘴気に汚染されていた。 陰陽師故の瘴気耐性が多少あるとは言え、他の者達は遠慮なく体調不良に陥っていたのだから推して知るべしであろう。 「食料や水も充分にある訳ではありませんし、長居は無用です」 「人魂も乱発は消耗しますが……贅沢を言ってはいられないようですね。急ぎましょう」 アズィーズ達は外で遊ぶ子供達や、屋内の子供たちにも目を光らせる。 ソラは子供達に混ざっていた。 夜を待って厠に行く時を狙い、符の状態の人魂を飛ばす。 すると驚いたソラは厠を出て、符のあとを追いかけてきた。 「こんばんは、ソラ君。お元気でしたか?」 八嶋の穏やかな物腰に「あなたも浚われたんですか?」と尋ねてきた。ネネが駆け寄る。 「よかったです! イサナさんからの使いで迎えに来ました。一緒に逃げましょう!」 ぎゅう、と抱きしめてダブルダウンを着せ「皆に知らせてきます」と身を翻した。アズィーズが人魂で周囲を周囲を警戒している間、ソラは八嶋とシャンピニオンに首を振る。 「だめです。ぼくは帰っちゃいけない」 シャンピニオンが肩を掴む。 「……ソラ君はイサナさんと一緒にいたくて、イサナさんが大事で、力になりたいだけだよね。それを利用するアヤカシ達に屈しちゃダメだよ。イサナさんも、ソラ君の事を大切に思ってるから僕達を頼ってくれたんだ。きっと無事に連れ戻してみせるって約束した。僕たちを信じて、大事な人と離れ離れになんかさせないから!」 「僕が逃げたら、罰として先生の大事な人を殺すって。それに弱い僕が傍にいたら、先生は自由に逃げられない。僕は足枷なんです」 覇気のないソラの肩をシャンピニオンが掴んだ。 「そんな脅しに屈しちゃだめだ! イサナさんは大アヤカシにも屈しない、信じて」 「……良いじゃありませんか、枷でも」 「八嶋さん!?」 慌てるシャンピニオンの隣で、八嶋は膝を折った。 「つまり重石って事でしょう? 重石はね、支えとも言えます」 「重石が……支え?」 ソラが首をかしげた。 「ええ。生きていくのに重石は大事ですよ。無いと『自分』が軽くなって、最悪何処かへ行ってしまいます。君がどう思っているか分かりませんが、イサナさんには君が必要だと思いますよ。それでも重石が嫌なら……同じ失敗をしないよう精進するしかないですね。誰でも通る道です。攫われて重荷になったと思うなら、自力で脱出してイサナさんを守れるぐらい強くならなくては。こんな場所で遊んでる暇はありませんよ。時間は有限です」 さあ、と差し出された手を。 ソラは取った。 異変が起こったのは、ソラに妙な術がかけられていないか確認し、調査をしていた仲間と合流し、ソラを抱えて逃走を始めた時だった。 先行していた刃兼が蔓に足を絡め取られ、宙釣りにされた。 刃兼だけではない。ネネやシャンピニオン達まで強烈な力で枝にさらわれる。 「きゃあ!」 アヤカシ化した木々だ。 ここは魔の森。当然といえば当然である。 けれど。 「ぐあ! 足が折れる! この!」 「どうして今頃。昼間は動かなかったのに!」 慌ててローゼリアが銃弾で蔓を打ち抜く。刃兼は抜刀し、胡蝶は黒い大型犬の式を呼び出して食いちぎった。酒々井の蹴りが、蠢く樹木の幹を砕いた。 全力で走ろうとしても、異変に気づいたアヤカシたちが追いかけてくる。 ネネが呪縛符が大型アヤカシの動きを制限した。 一体何故、今になって執拗に攻撃してくるのか。夜だからだろうかと考えて、胡蝶は行き道で見かけた、水汲みの子供たちのことを思い出した。 「……昼間は遠くから見ただけだったけど、里を出入りする子達は必ずアヤカシを連れていたわよね」 来るものは招くように受け入れて。 去る者は決して逃がさない。 「お付きのアヤカシが通行手形ですか……笑えませんね」 八嶋が大きな牛刀を振り回す豚鬼に錆壊符を放つ。 何人かは瘴気感染だけでなく、空腹と脱水症状で、集中力が衰えていた。うまく当たらない。 「埒があかないわ。こっちの姿を壁で隠して、その間に距離を伸ばしましょう」 「うん! まかせて!」 胡蝶がシャンピニオンに声を投げると、二人は結界呪符で壁を構築した。 緋那岐の呪わしい声が、狼を引き裂く。 しかし深追いはしない。 倒す必要などないからだ。 「桔梗、腕を貸してあげて!」 「はい!」 「走れ! 振り返るな! 全員生きて戻るんだ!」 足の遅い者を庇いながら、もはや遠慮は無用と、着陸地点を目指す。あそこには仲間がいる。たとえ重症を負うことになっても、たどり着きさえすれば、手を差し伸べてくれる仲間がいるのだ。 ざ、と視界が開けた。 そこには少しばかり怪我を追った龍たちと、疲労の色を見せる四人の仲間が待っていた。 緋那岐の眼鏡に映る、蟠る瘴気の流れ。何度か交戦があったに違いない。ただひたすらに、逃げることも許されぬまま、その場で待ち続けた仲間たちは、森から現れたアヤカシが追いかけてくるのを見て、顔色を変えた。 「はやくこっちへ!」 「みんな乗って! さあ早く!」 傷ついた龍たちも、命に別状はないらしい。 こうしてアズィーズ達は、憔悴したソラをつれて魔の森を脱出した。 商船に乗り込み、床に崩れ落ちる。帰り次第、瘴気に汚染された体を癒さねばならないが、多少の出費など命に比べれば大した問題ではない。 それがおわったら、報告書をまとめて、ソラと一緒に狩野 柚子平(iz0216)に身柄を引き渡せばいいだけだ。きっとイサナが迎えに来るだろう。ネネやアズィーズは憔悴したソラを気遣いつつも、イサナに伝えたいことが色々あるらしい。それでも八嶋やシャンピニオンたちの、ほっとした表情を見ていると、帰ってきたのだという実感が湧く。 胡蝶は渡された水に口をつけながら、ソラをじっと見た。 己の矜持もあって、多少なりとも覚悟は決めていたが、それでも洗脳された子供と戦わずに済んだことは大きい。 もっとも『今回は戦わずに済んだ』に過ぎない。胡蝶が窓の下を見下ろした。 「……洗脳された仲間が、他にも沢山いるのよね。里にも……外にも」 『お外に行ける他のにーさまやねーさま、みーんなお役目にいっちゃった』 置き去りにした少女は、そう言っていた。 ローゼリアが傍らに立つ。 「衝突を避けたいのは、私たちも同じですわ。でも『戻れない子』を見ておりますの」 「わかってるわよ、ローゼリア」 じきに。 手にかけざるを得ない時がくる。そう感じる。 以前、酒々井や刃兼、ネネやローゼリア達が引導を渡したという話は聞いた。 「われながら罪深い事を、とは思いますが……禍根を残すつもりはありません。つらいことですけれど、私はまた、きっと洗脳が深すぎる子供に対しては……容赦せずトドメをさすと思いますわ。それしか……解放してあげる術がないんですもの」 「ままならないものね」 不機嫌そうに、胡蝶は呟いた。 一方、刃兼と酒々井が顔を付き合わせて悩んでいる。 「あとは柚子平に報告か。しかし……生成姫が、わざわざイサナを使って誰を殺そうとしているのか、気になるんだが……柚子平はきいたのかな」 「等身大の人妖だからなぁ。変幻自在なアヤカシと一緒だからな……直接聞ければいいんだが」 「ともかく。ソラ様も妙な術がかけられていなくて、ほっとしました」 微笑むへラルディアに傷を塞いでもらいつつ、緋那岐達は強烈な睡魔に身を委ねた。 |