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■オープニング本文 その謎めいた蜜柑の木箱は、開拓者ギルドの裏路地に設置されていた。いつ頃から置かれるようになったのか、は分からない。中身は空っぽ。代わりに入っていたのは、謎の和紙と手持ち用の立て看板だった。 和紙にはあらかじめ文字が書かれていた。 『どうか拾ってください。名前は○○と言います』 この○○に自分の名前を描いて箱に入るように、という添え書きまであった。しかも『男性開拓者専用』とまで書いてある。 360度、どこから見ても怪しい。 しかし好奇心のなせる技なのか、面白がった男性開拓者が和紙に名前を書いて立て看板に張り付け、蜜柑の空の木箱に入ってみた。 指示されたとおりに膝を折って座る。 誰もこない。 鳥もいない。 裏路地から見上げた青空の、なんと美しいことだろう。 感傷的な思いとともに、ぼーっとしていると、突然、着飾った女性が現れた。面白がって箱に入っていた男性開拓者が、羞恥心で顔を赤く染めて立ち上がると、女性は囁く。 「おうちにくる? 迎えにきたのよ」 呆然とすること数秒。 舞い上がった男性開拓者は、二つ返事で首をたてにふり、美女の手を握りしめてついていった。 そうして男性開拓者の失踪が相次いだことから、事件は明るみに出ることになる。 「男性開拓者が失踪する!?」 新人から熟練まで。その標的は様々だ。通常では考えられない状況を聞かされ、もしやアヤカシ絡みなのでは……と囁きあう一同に、受付は首をふった。 「誘拐と違って、自主的についていって帰ってこなくなるので、ひとまず失踪の扱いにしています」 開拓者ギルド。 その周辺の裏路地に複数設置された、からっぽの蜜柑の木箱。体を張った冗談を男性開拓者に要求し、いざ冗談にのってみると、容姿端麗な女性が現れて、特定のお屋敷に彼らを連れ去っていくという。 「無理強いはしないみたいです。拒否した人は助かってますし。ただ、あんまり拒否する方はいないみたいですね」 男の悲しい性に、魂の涙がこぼれる。 「それでですね。随分前から判明はしていて、先行調査部隊を送り込んでみたんですが」 ……が? 「もしや」 「帰ってこなくなりました」 「……だめじゃん」 「後日、先行調査組の筆跡で封書が届きました。心配しないでくれ。アヤカシや危険な組織ではなく、皆、由緒正しい一般人や開拓者だ。少し変わった趣味をしているが、みんなで楽しく宴をしているので、しばらくここにいようと思う……と」 「危ない気配しかしませんが」 「でしょう?」 それでも失踪者は増えていく。 噂の屋敷には、相当な人数が共同生活をしていることが分かった。しかし私有地なので手が出せない。また本人が心配ないという上に、調査部隊まで安全を保障する。 調査は完全に行き詰まっていた。 しかし、一筋の光が射し込む。 先行調査部隊の内の一人、男性開拓者が帰ってこなくなったことで、奥方が心配してギルドへやってきた。奥方が説得しても戻らない為、夫を連れ戻してほしい、と言う依頼に変化したのだ。 これにより、第二の調査部隊が誕生した。 「皆さんはちゃんと帰ってくださいね?」 受付が念を押す。 再び男性開拓者を各路地の蜜柑箱に配置して、まずは潜入捜査を試みる。門前払いになることは分かっている為、潜入した男性達に門の鍵を開けさせ、強制捜査という訳だ。 とりあえず旦那を奥方に面会させず、拉致監禁しているという事で、捜査権限は発生した。 「奥方の名前は菜奈さんで、旦那さんの名前は亮(あきら)さんです。二十歳のサムライさんです。必ず連れ戻してくださいね」 こうして作戦は決行される。 ところで。 噂の亮さんは、他の行方不明になった男性開拓者とともに、ろくでもない環境に浸りきっていた。 「あっきー、あきちゃーん、いらっしゃーい」 「にゃーん」 野太い声で返事をする、二十歳のサムライ。 噂の男性は頭のてっぺんからつま先まで、高価な衣類で身を飾っていた。 さらに違和感を発揮しているのは、頭を飾る『獣耳カチューシャ』である。三毛猫柄だ。しなやかで妙に椿油で磨き抜かれた茶色の髪にマッチしている。 女性は多分、魔術師か何かだろう。なかなかの美人だ。細くしなやかな指に手招きされ、イスの横に片膝をたててビシッと付き従う。女性は亮の横顔をすりすりなでると、持っていた箸で和菓子を丁寧に差し出した。 「あきちゃーん、はいあーん」 「にゃぁーん」 「いやぁん、かわいい! あなたは私の王子様よー! 今夜は雪善の超高級懐石をたべさせてあげますからねー?」 まるで飼い主とセレブリティな飼い猫だ。 そこへ現れたのは、これまた凛々しい男性開拓者つれた巫女だった。ただし男性は、黒い獣耳カチューシャを装着し、胸のはだけた着崩し姿だ。着物や下駄は一級品。 「そろそろ時間よ。原稿しなきゃ」 「そうね。あきちゃーん、昨日の続きをしましょーね?」 四人は別室に移動した。 何故か薔薇の芳香に満ちている。手前に広い円卓があり、奥には天涯付きの寝台が鎮座していた。男性二人は、何の抵抗もなく寝台へ移動し、まず正座をして向き合った。 「ふつつか者ですが、よろしくお願いします。あ、噛むふりはアトが残らない程度で」 「こちらこそ。よろしく頼む」 そして。 黒猫男は、三毛猫男を押し倒した。 「きゃー! やっぱり、シワちゃんは総攻めよね!」 「あっきーは受けの表情が最高だわぁ!」 「今夜は寝かさないわよ!」 「なによ、0時前に仕上げてみせるわ!」 女性2名は狂ったように身動きしない二人の姿を描きうつし、時には姿勢を命じ、どう考えてもいかがわしい格好をさせながら、筆を踊らせ続けた。 そして一通り仕上げると。 「さ、シワちゃん。一緒にお風呂に入りましょうね!」 「酒風呂だろうな?」 今夜は葡萄酒風呂よ、と異様な単語が聞こえる。 「いいなぁ、うちのあっきーは身持ちが固いのよぅ。でもね、昨日やっと一緒のベットで寝られたんだから。お目覚めのほっぺにチューつきよ」 「進歩じゃなーい。でも初なところが、あっきーよね」 「ねー、次のカタケットまでに一冊仕上げなきゃ! じゃ、おやすみなさい」 ぱたん、と扉が閉まる。 こんな調子で、大屋敷には何組もの男女ペアが暮らしていた。 失踪した男性達の役目は、朝から晩までご主人様である女性達と生活を共にし、全てにおいて世話をされ、時には薄くて高い本のモデルとなることだ。労働の対価はバカみたいに高い衣類や食事といった贅沢で、だらだらした生活が許される。 その屋敷は疑似恋愛と妄想の欲望を満たす、常識から逸脱した世界だったわけである。 恥や自尊心を持った男でも、連日のように美女に接待され、衣食住の全てが満たされると、全てがどうでもよく見え始める。 その恐るべき空間を、第二の調査部隊は、まだ知らない。 |
■参加者一覧
柚月(ia0063)
15歳・男・巫
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
エルディン・バウアー(ib0066)
28歳・男・魔
ネリク・シャーウッド(ib2898)
23歳・男・騎
高峰 玖郎(ib3173)
19歳・男・弓
ラグナ・グラウシード(ib8459)
19歳・男・騎
山茶花 久兵衛(ib9946)
82歳・男・陰
カルマ=B=ノア(ic0001)
36歳・男・弓 |
■リプレイ本文 開拓者ギルドには多くの職員が在籍している。 大アヤカシや国家関係の問題は勿論、全職員が情報を共有するが、小さな仕事になると個々の裁量に任される事が多い。従って『開拓者失踪インみかん箱』も、一受付が担当した事件にすぎないため事件化している事を知らない方々がいた。 「あ〜ら今日もいい男じゃな〜い。首の鎖が背徳的で素敵ね。さ、簪代稼がなきゃならないんだがら、ぴしぴしこき使うわよ〜ぅ?」 花柄のぽっくりで男を踏み踏みマッサージしているのは、本日貴重な休暇を堪能する深緋(iz0183)だ。廊下の果ての『霜月零』と書かれた部屋が彼女の個室。 そして深緋が飼っている男性は顔見知り。 「衆道は高尚な文学……分かっています、全てに精通してこそ見えるものがあるのだと! ところで本日もケモ耳なのでしょうか、ご主人様」 美しきカソックに金糸の巻き毛。神父様ことエルディン・バウアー(ib0066)は先行調査でみかん箱に入った。だが受付に拾われるなど想像もしていなかった。 『あら、寒そうね。今夜は雪らしいし、うちで温まっていきなさいよ』 そして現在に至る。 至れり尽せりの生活は逃げづらい上、これは報告がしづらい。躊躇っているうちに主従生活が馴染んでしまい、現在は簪代に困る深緋を手助けする事こそ神の試練! と使命感すら見出し始めていた。ケモ耳に首輪つけた神父なんて普通はいない。しかし神父の生活を自由気ままに想像しながら本をしたためている深緋を見ていると、これも人助けと思えてしまう。 「きーちゃん、ネリくん、おまたせ〜」 寝台の上ではネリク・シャーウッド(ib2898)が小道具の準備を始めていた。 黒い猫耳にコックコート。胸元ははだけていた。主人の趣味である。 「おはよう、神父様」 「おはようございます。昨日は私が受けでしたし、次は攻めとやらで上に乗ればよろしいのですか?」 「へぇ、昨日かたくなに屈辱だの言いながら、祖国を考えて歯を食いしばってた神父様が、今日はノリノリじゃないか。……神父は一旦堕ちたらどうなるか気になるらしいぞ、主人曰く」 シャーウッドの指先がバウアーの首筋を、つつ、となぞる。 刹那。 「おじゃましま……あ、ご利用中? じゃ、後で掃除にきます」 超自然に閉まった扉を見て、バウアーが「ラシュディア殿ぉぉぉ!」と久々に正気に戻って追いすがったが、深緋が「仕事中でしょ」と薔薇の寝台に引きずり戻す。 「これは試練、いや、助祭には、助祭には内密にィィ」 扉から聞こえてくる魂の咆哮を右耳から左耳へスルーするラシュディアは、バウアーの狂態を脳裏に刻みつけて、失踪届を出すか悩んでいた助祭に後で連絡しようと決めた。 「相変わらず異界だなぁ、高収入には裏がある……さて、給金の為に真面目に働きますか。今日は桃寒天と水飴だらけのシーツ洗って、洗濯物取り込んで、っと」 一方、騒ぐバウアーと深緋を見て、シャーウッドは悩む。 「俺……こんなところで何をしてるんだろうなぁ」 最初は潜入調査のつもりだった。今は脱出に価値を見いだせない。長い片思いに疲れていたのは事実。いつまで続くか分からない混沌とした日々が、妙に居心地良くなってしまっていた。 その頃、ザワッ、と人々の囁きが居間に満ちていた。 人々の間をすり抜け、頭一つ高い長身が道をゆく。睫毛まで盛った化粧。お粉香る首筋。薄紅の唇。白地に鮮やかな紅で情熱的に描かれた華やかな着物は、遊女を意識して艶っぽく纏っていた。 しかし。 いかなる女装でも男女の骨格は明確に異なる。彼は年末年始一発芸の域を超えて体に染み付いた女装を行使し、あえて飼い手として潜入を試みた結果、異様ではあったが妙に馴染んでしまっていた。 御樹青嵐(ia1669)推定21歳。秘められた性癖が解き放たれた瞬間……に見えるが、本人は紛れもない異性愛者の青年である。 頭のネジが一本ふっ飛んだ御樹が、男性開拓者の顎を持ち上げて餌付けを始めた。 「私のご飯美味しいでしょう? もっと食べたいですか、あーん」 果たしてこれは演技なのか。 判別に苦しむ男性開拓者が素直に口をあけていた。飯は美味い。 「青嵐さん、素敵よ! あなた今輝いてる! ……彼女が冷たいとか色々大変だものね」 物陰で雑巾を握り締めた楊・夏蝶は、髪を黒く染め、眼鏡をかけた変装姿で物陰から声援を送る。潜入捜査ではない。熟練の掃除婦として雇われている。舞台に散財してお財布がカラカラらしい。同小隊のよしみで御樹に化粧を施したのは楊だ。 「いいなぁ、ここの人たち。もし私が好きな人閉じ込めるとしたら」 一瞬妄想して頭を振った。シャレにならない。 「羨ましい」 そこへ紫の瞳を輝かせる娘が現れた。 「そうです! イケメン様を飼って独り占めは見過ごせません! 羨ましい! きゃ!」 本音が溢れる。楊と同じ掃除婦として雇われている北花 真魚(iz0211)も、本職はギルドの受付職員である。書類を深緋の家に届けて不在なのを不審に思い、追跡したら此処へ辿りついた。実に羨ましい。気づいたら潜入と称して、掃除婦になっていた。毎日激務を終えては此処で清掃業をしつつ、休日は住み込みで働く。神業で掃除を片付けてはイケメン様を盗み見て個人的に記録する日々。 禁断のイケメン観察。 ここは殺伐とした天儀に現れた心のオアシスだ。 「マーちゃん、この後、休憩なんだけど芋菓子食べない?」 「はい、お供します! あ、私の部屋に新茶がありますよ」 楊と北花は『鷹羽柊架』と書かれた部屋に消えた。 ところで興味本位でお持ち帰りされた柚月(ia0063)は、充実した生活に浸りきっていた。与えられた服や食事は文句なしの品ばかりだし、モデル時以外は好きな時に笛を吹ける。沢山の人に披露して喜ばれるから尚嬉しい。 「このごろごろまったりがきもちいーい」 ぺし、と何か当たった。 ふわふわしている鳥の羽だ。 「にゃ……くすぐったいよ」 「こんなところで寝ていると風邪をひくぞ、ユズ」 高峰 玖郎(ib3173)は背筋が眩しい半裸の服をまとい、敷地内の弓道場から戻ってきた所だった。 ケモ耳がない代わりに、翼が悠々自適である。 高峰は仕事で精神が荒み、傷心中に気づくとみかん箱に入っていた。羞恥と混乱極まる中で監禁生活が始まり『翼の所為で着られる服が無いから帰る』と言えば専門の和装職人が何着も服を仕立て、『弓の練習を怠れない』と言ったら敷地内に弓道場が建立された。 湯水のように注ぎ込まれる大金を前に、高峰は空手で帰るわけにはいかない……と考えるようになり現在に至る。柚月がふわふわの羽で遊ぶ。 「おっかえり〜、ボクのご主人様まだ本の発送にでてるから、もう少し時間あるよ」 「そうか。なら禊でもしてくるかな、汗臭いし」 「……ふふ、で? 今日は無理やりされるのと、無理やりさせられるのと、どっちがイイ?」 二択なのに結果が同じ! この暮らしに抵抗感がない柚月と違い、高峰は散々抵抗した。だが嫌がる表情や仕草も喜ばれる始末なので最近は従順だ。今の問いにも「好きにしてくれ」と言える。 「こうゆのはどう? 翼の甘噛みくすぐったい? ほら、ご主人たちが見てるよ?」 「続きは寝台の上にしろ……お帰り主人。主人? 鼻血出てるが大丈夫か」 扉を叩き悶絶している女性がいた。 「若者はみーんな忙しいねぇ、グーたんは夕方当番が待ってるから、昼間はねるよん」 ケモ耳カチューシャに日替わり高級服を纏い、本日はジルベリアの貴族テーマで着飾ったおっさん推定36歳が、長椅子に仰向けで横たわり、ひらひらと手を振る。屋敷に暮らす男性開拓者の中で、最も順応しているのがカルマ=B=ノア(ic0001)だ。 ノリでみかん箱に入ってみたらこうなった。 しかし微塵も後悔していない! 「あ、ご主人様〜、グーたんは今日はお肉が食べたいにゃーん」 「霜降り牛の厚焼きがいいかしら〜、さ、グーたん、耳かきしてあげる」 美女の柔らかい太ももにスリスリしながら、お耳の掃除をされつつ、まどろみながら日光浴。 たまらない。 「……その様子だと、昨日も一緒に風呂だったのか」 高峰がグーたんに声を投げてみた。 「あーうん、一昨日は葡萄酒風呂で昨日は泡ミルク風呂〜、おかげでほら、グーたんつるっつる!」 白手袋の下で指先まで艶めく、グーたんの両手。 見せなくてもいいのに自慢げにかざす。開拓者は血と泥にまみれる生活で、指などすぐにささくれるが、今ではその痕跡すら伺えない。長期極楽生活で、労働を知らない手に生まれ変わっていた。 「なに、羨ましい? 確か、まだ踏ん切りつかないんだっけ。グーたんが教示しよっか?」 「いらん」 「だいじょーぶだよ〜、おいちゃんそっちの経験あるし〜、ご主人様が風呂場の話でも書けば、いやでも四人で入るって〜、ねーご主人様?」 「いい案ね〜、でもまだ中庭の本が片付いてないから終わってからね〜」 そら恐ろしい会話が虚空を飛び交いつつ、それを異様と認識できる人間は既にいない。 「賑やかになったものです」 掃除中のヘラルディアは詳しい事情は理解できなかったが、所謂『見ざる言わざる聞かざる』に徹するのは職務上で触れた事項に関して干渉しないという奉公人の鉄則に違いないと信じ、純粋に掃除を勤めていた。しかしあられもないアレコレは盗み見る。 「……のちのち経験は利用しましょうか、ふふ」 そして正気を失った男達を観察する掃除婦がもうひとり。 「ええ、私も故郷に帰ったら、家族や想い人に教えてあげようと思うの。ここは天儀の愛情文化を勉強できる、良い機会ね!」 猫耳を量産する為の生きた見本として雇われた、白虎耳としっぽ持ちの白虎獣人こと司空 亜祈(iz0234)は、お給金がいいので完全に住み着いていた。 にこにこしてる二人は『青空希実』と書かれた看板の控え室に消えていく。 そんな自由気ままな極楽暮らしを知らないのが、救出に動く男女たちである。 第一調査組が帰ってこない以上、今度こそ謎の屋敷から仲間と依頼主の旦那を救わねばならない。 潜入するには、みかん箱に入るのみ。 「どうだ、可愛いだろう。これを着ると、曾孫が喜ぶんでな」 まるごとねこまたを着用した山茶花 久兵衛(ib9946)がみかん箱に入る。 膝を折って座る82歳のおじいさま。みかん箱が棺桶に見えても誰も指摘しない。 「……やっぱり、誰か別人が入ったほうが」 希に通り過ぎる人々が、目を背けていく。これはもしや誰にも拾われないイコール潜入できない事態に陥るのでは、と恐れる九法 慧介(ia2194)が心配したのも束の間、以心 伝助(ia9077)が九法の口を抑える。蜜柑箱の前に、十二歳位の少女が立ち止まった。 「おじいちゃん、おうちがないの?」 「おじいちゃんは……待っているんだよ、誰かが迎えに来るのを、な」 問答が哲学である。 少女がうるうると涙ぐんだ。山茶花が孫を見ている気分になり頭を撫でる。 「わかったわ! ミィが連れて帰ってあげる! もう大丈夫よ! 上限は五人まで、ってウィタさまが言ってたから!」 え、上限? 呆然とする者たちを置き去りにして、山茶花は少女に誘拐された。 「うおおお、俺は負けないぞおおお!」 枯れた爺が誘拐されたのに、ぴちぴちした若者が置き去りにされるわけにはいかない。 いろんな意味で心折れる。 謎の対抗心を燃やすラグナ・グラウシード(ib8459)を筆頭に、他の男性達も蜜柑箱に入ってご主人様獲得に燃えた。 そして辿り着いたのが、噂の屋敷だ。 頭に犬耳を装着させられた九法は、ジルベリアの男性用お仕着せ服に着替えていた。既に正気が削れている。なにせ気を抜くと、ご主人様が着替えを覗くべく部屋に踏み入ろうとする為だ。恋人を持つ男として、いかに美人の襲撃でも抵抗せざるをえない。 「ケイちゃんのいけず! まぁ、初日だしこんなもんよね、ウフフフ……」 扉の向こうで不気味な空気を放つ女性が待ち構えている。 九法は未知の世界を前に、全てがどうでもよくなりつつあり、思考停止寸前である。 「……い、否、負けぬ。旦那さんの帰りを待つ、奥さんのために!」 九法が小声で覚悟を決めて部屋を出て、ご主人様と居間に向かうと……そこには正気を保つのが困難な潜入組と、完全に常識を手放した顔見知り達がいた。 女性たちは生き生きしている。 「みてみてぇ、新しい子よ。伝ちゃん、って言うの」 以心は柴犬耳の獣耳カチューシャに黒の着流しに着替えており、お約束の首輪つきだった。 どうやら色々諦めたらしい。肌の白さが際立つ装いに、何故か興奮してる面々がいる。 以心は脳内で『これも仕事、これも仕事、これも仕事』と念仏のように繰り返していた。 九法がそっと近づいて「大丈夫か?」と囁きかける。 「は! 川の向こうで、死んだ筈の両親とお師匠様が手を振ってやした」 あまり精神的に大丈夫ではない。 「そういえばラグナは」 「あそこ」 グラウシードは壁際に追い詰められていた。誘拐直前に見た武装姿ではない。 頭部を彩る愛らしい黒猫耳のカチューシャ、黒と白のふりふりドレス、筋肉質の肉体を隠せない一見醜悪な格好だが、彼のご主人様である二十代の綺麗なお姉さんには異様には見えないらしい。カワイイを連呼しながら、じりじりと間合いを詰めていく。 「ラグにゃーん、一緒にご飯たべましょ〜? ね?」 「い、嫌だッ! ちちち、近寄らないでくれっ! まやかしめ!」 顔を真っ赤にしてウサギのぬいぐるみを抱きしめている。 グラウシードは恋人いない歴イコール人生であった為、別な意味で現実を認識できていない。まさにこの世の春が目の前にあるというのに、悲しみの非モテ思考回路が欲望に蓋をする。 「うぅぅ……これはまやかしだ悪い夢だ、私が女性に愛されるはずがない! 私を抱きしめてくれるのは、うさみたんたちぬいぐるみさんだけッ……これは夢これは夢これは夢」 案外、己の状態を正確に認識した場合、仕事ほっぽりだして染まっているかもしれない。 怯え切ったグラウシードの姿に、何故かイラついているのが掃除婦のエルレーンだった。普段は顔を合わせる度に殺し合いを繰り広げる男から、今は微塵も殺気を感じない。 「ふ、ふーんだ……べ、別に、ラグナが他のおねえさんにちやほやされてたって、かかか関係ないもん。さ、お仕事」 ここには掃除婦を始めとした多数の人間が働いている。しばらく観察した九法が一言。 「夜まで待とうか?」 「ですね。不審に思われないよう、頑張ってみるっす」 「何人いるか分からないし、誰か話を聞ける機会があればいいけど……山茶花さんは?」 ぐるりと周囲を見回すと。 「きゅーちゃん、肩こってる? おやつは蜜柑がいい?」 まるごとねこまたで毒が覆い隠されている山茶花は、ここの連中の様に落ちぶれてたまるか、とは思いつつ……幼すぎるご主人様の善意が全身に刺さって、居た堪れない状態になっていた。孫のような少女である。 「あ、あぁ……すまんな」 流石に連れてきた男が骨と皮の爺と知って、大人の女性たちは引き気味だったが、広い趣味が許される世界だからか、半日もすると誰もジロジロ見なくなった。山茶花にとって怠惰な生活に染まっている男達を見ていると腹が立つのだが、性根を鍛え直して叱り飛ばしたい気持ちが……菩薩のような少女の笑顔を見ていると霞んでいく。 この純粋さが眩しい! 「……恐ろしいところっすね、ここ」 以心がごくりと唾を飲み込むと「ああ」と短い返事が帰ってきた。 夜になると屋敷は静まり返る。 本日屋敷に入った者たちは、主人たちが長時間かけて飼い慣らしていこうと考えているせいか、それほど強硬手段にでてこないので、気ままに屋敷を歩き回れた。文字通りの豪邸である。時間を決めてひと気のない場所に集まってみると、何故か呼び出した数人がこなかった。 「エルディンさんがいないでやんすね」 以心が廊下を見回す。柚月が肩を竦めた。 「原稿長引いてるんじゃないカナ。ちょっと見てこようか」 廊下を軽やかに走っていく。口元に人差し指をあてて『しぃー』と合図を送り、少しだけ扉をあける。すると。 「いやいや、聖職者としては肌を晒すのはっ! せめてぱんつ! ぱんつだけは身に着けることをお許しを……アーッ!」 響く悲鳴。 何が起こったのか、余り想像したくない。 一歩たじろく本日ここへ来たばかりの潜入組と「また受けかぁ」と感心している先住組。 「今日は昼間が攻めだったな」 「受け、攻め? 組み手でもしてるんすか?」 以心の純粋な疑問に「ちゃうよ〜、睦言の真似、みたいな感じ?」とさらっと言ってしまうグーたんがいた。抵抗感が薄くなっているに違いない。男性陣たちは絵のモデルに過ぎず、開拓者を題材にした、禁断の同性愛やらを描き、薄くて高い本に仕上げているのだと教えられた事で、グラウシードが竦み上がる。 「こ、こ、ここはまずい! ……は、早く脱出しないと、私達も飲み込まれてしまうゥゥゥ!」 「せっかくだから楽しめばイイのに。だってほら。怪しまれたら困るんでしょ?」 「楽しめるか! ただの共同生活じゃないのか!?」 其れまで黙っていた高峰が「違うな」とキッパリ宣言した。 「気を抜くと風呂や寝所も一緒になるぞ? 俺は勘弁して欲しい派だが、肯定派が多いな」 異世界万歳。 やがてボロ雑巾のように疲れ果てたバウアーがやってきた。 「だ、大丈夫でやんすか? 何やら、衆道の真似事と聞きやしたけど」 「伝助殿。私も気が進まないけれども、衆道は古来より文学の対象となりえるのです。これもまた修行だと思えばっ!」 一方で山茶花が首を振る。 「衆道? とんでもない、非生産的だぞ」 「爺さん、お堅いことゆーなって。どうせここに来た以上は、遅かれ早かれ通る道さ。だから、おいちゃんたちを呼んだんだろ? で、どっちが好みかな? 右三人の見た目的には俺のほうが攻めかな〜」 グーたん、調子にのって第二調査部隊の値踏みを開始する。 シャーウッドも話にのった。 「無愛想な奴は表情を崩したくなるんだと、主人が言ってたな。やんちゃな奴は自由を奪ってみるのとか、年上を落とすというのも中々好みらしい。といっても誰と組まされるかは主人しだいだが……まぁ全員落とせばいいんだろ? 任せとけよ」 「分かってると思うけど、あえて聞くよ。真顔で何を言っているのか理解してるのかい?」 腐敗した会話を繰り広げる二人に、困り果てる九法たち。 山茶花が「そんなことを聞きに来たのではない」と咳払い一つした。 「おい、亮はどこだ」 「亮?」 「依頼が出てる。こいつを返さんと、この館は取り潰されるぞ」 「ここ私有地だけど?」 柚月が首をかしげた。九法がやっとまともな話を口にした。 「俺たちは、帰ってこない亮さんの救出と屋敷の実態調査にきたんだ」 言われた瞬間、思考が停止するグーたん。 「…………。はっ、俺は何を……ダメだ、最近の事が何も思い出せない……恐らくこれは何かの術にかかっ…………すいません、魔が刺したんです、うちの弟子達にだけは言わないでええええ!」 あっさり土下座するグーたん。 彼の弟子達とやらは、肉体言語でも愛する人種なのだろうか。 山茶花が咳払いした。 「お主ら、しゃんとせんか! 全くなんというザマだ。少しは言い返してみろ!」 すると柚月は「しばらくこのままでもイイかな」と平然と言いだした。 隣のバウアーは胸に手を当て「ここの方々は私を必要としています。これはきっと神の思し召し!」と言い切った。グラウシードは言葉に困り果てる。 「あれだけの目にあっておいて、それを言えるのが不思議だな」 「これは神が私に与えた使命であり試練でありまして……あ、一緒にやってみます?」 グラウシードは丁重にお断りを申し上げた。 高峰は廊下の椅子に座り込み、膝に肘をついて片手に顎をのせ、考える人と化した。 「このままでは良くない事はわかっているんだ。白い眼差しも甘んじてうけよう」 「あぁん? ならばどうして」 「ここまで金をかけさせて何も返さず帰るのは流石に……それに喜んでいる主人を見るのも最近はそう悪くない気がしてきたし……何より涙を浮かべられると負い目がある分断れず……どうしたものか」 タダより高いものはない。 シャーウッドは、深い溜息を零して窓際にたち、月を見上げる。 「俺はちょっと、十年ほどの片思いに疲れてな」 「申し訳ありませんが、うちの子をいじめないでください」 御樹がシャーウッドの心の傷を抉らない様に、異議を申し立てる。 そしてグーたんは。 「いやー、おいちゃんもさぁ。最初は、やばい上の人とか弟子とかに怒られるあわばばばって感じだったけど、監禁生活だし、バレなきゃいっか、と思って」 「自尊心を何処においてきたんじゃ!」 ぷりぷり怒る猫又爺。 しかしその怒りは何処かへ受け流されていく。 「だぁって美女にお世話されて、しかも働かなくていいんだよ? 食べ放題、飲み放題、買い物し放題、お部屋は報酬の山。この生活やめるとか考えらんなーい」 「しかし見くびって頂いては困りますね」 御樹が女装姿のままで山茶花の前に一歩進み出た。 「あくまでも調査ですよ」 「調査なのに、その格好か」 「……ふ、私もただ遊んでいた訳ではありません。仲間内で情報を交換する為、一通り皆さんとの下克上ご主人様ゴッコは完了しました。今は館の全女性陣から『先生』と呼ばれております。信頼を勝ち取る作戦は順調です」 九法が立ち尽くす。 「そんな情報は一尺たりとも聞いてないんですが」 「何を言います。怪しまれない為には行動で示すのが不可欠です。ここに染まる事こそが最良! 決して日頃の鬱憤晴らしたいとか表に出せない嗜虐趣味満たしたいとか思ってませんよ? まぁ……やってみると嵌るもの、いやなんでも」 九法は『目的の為に手段を選ばない』という物事について『手段のために目的を選ばない』という本末転倒な状態を思い知った。 生活は充溢していたが、みんな揃って心が正気を失っている。 間違いない。 「……わ、私達もいずれああなってしまうのか?!」 怯えるグラウシードが振り返る。言葉を失う。 以心の目が別の生き物を見るような眼差しになっていた。目は口ほどに物を言う。 駄目だこいつら、早くなんとかしないと。 腐りゆく腐界に飲み込まれていく仲間たちを見て、以心は早期事件解決を心に決める。 気づくとグーたんは壁を向いてしゃがみこんでいた。なにか怖いものを見てしまったらしい。実を言うと掃除婦としてカルマ=L=ノアがラリサという名前で雇われていた。噂の弟子だ。 「とにかく。亮さんの部屋を知らないか?」 九法の問いに、高峰が数日ぶりに仕事の顔つきで頭を動かす。 「外で待つ者がいるなら帰るべきだ。我々も尽力しよう。どこだったか」 「うん、まー、情報流すこともヤブサカではナイ。えーっと、亮さんだっけ?」 柚月たち先住組から亮の居場所を聞いた第二調査班は、ご主人様と仲良く眠り込んでいる亮を引きずり出すと、奥さんの依頼で来たことを告げてみた。 しかぁし! 「嫌だ! 俺は帰らない!」 だだっこ状態の亮に喝をいれる山茶花。 「目を覚ませ、この生活はいずれ終わる、お前はあの女に簡単に捨てられるぞ。手遅れになる前に、奥方に頭を下げておくんだ」 「いやだー、俺の家はここなんだー」 あー、と号泣する姿は、同じ開拓者と思いたくない位は情けない。 九法が首を傾げる。 「というかですね。亮さん、ここの贅沢のほうがいい……奥さんの何が不満なんですか?」 「全部だー あいつの飯は不味いし、やれ洗濯しろ、それゴミ出しにいけって、家事もしない。俺は小間使い状態なんだー!」 日常のすれ違い、かと思いきや。 「そうさ、全部子供が悪いんだ! 毎日イライラして俺にあたるし、すぐ泣き喚くし、無事に育たなかったらどうしようってなんだよ!? 生まれてから困った時に考えればいいじゃん、って言ったら殴られるし! あれやこれが食べたいって言うから買ってくれば違うって延々文句言い続けるし、仰向けに寝てるだけで蹴られるし! 結婚前と性格違いすぎる! 俺はあいつに騙されたんだ! 離縁してここに住む!」 だめだこれ。 以心たちはバカバカしくなってきた。 この亮さん、夫という自覚がない。所謂『父親』という自覚が芽生える前の彼氏さんだった。所帯持ちなら誰でも通る苦悩という類である。可愛かった愛する妻が、ある日子供ができた途端、アヤカシすら裸足で逃げるような肝っ玉母ちゃんに大変身する。 その変貌ぶりを受け止めきれない器の小さい男だった。 客観的な結論を言うと。 身重の妻を投げ出してきたロクデナシに他ならない。山茶花爺さんの鉄拳が飛んだ。 刹那。 「はいはい、みなさん失礼しますよ! 開拓者ギルドです! 強制捜査を始めます。すみやかに、これから読み上げる人物をお引渡しください!」 遥か遠くで声がした。 以心が破錠術を使って開錠したことで、他の待機班がなだれ込んできた。 しかし亮は諦めが悪かった。 「嫌だ! 俺は帰らない!」 「逃がすわけにはいかないでやんす!」 以心の影縛りが放たれ、御樹の女装姿のまんまで放たれる呪縛符が追い討ちをかける。 「逃しません」 「そうです……絶対に、連れて、帰ります」 これ以上ここに留まるわけにはいかない。長居すると自分の正気が失われると本能的に悟っていた九法は、亮を倒してでも連れ帰る決意だった。開拓者なのだ。多少の怪我では死ぬまい。 そして変化は連鎖反応を呼ぶ。 「証拠は十分だ! 早く脱出を!」 混乱を極める世界からの脱走を試みるグラウシードは、なりふり構っていられなかった。 響き渡る大声に、シャーウッドは立ち上がった。 「悪い、ご主人様。やっぱり俺はあいつの元に帰る……!」 とても居心地が良かった。不本意ながら擬似とはいえ愛される幸せに浸っていた。 しかしこれは真実の愛とは違う。正気に帰るには段階が遅すぎた気もするが、連日の醜態をなかったことにしてシャーウッドは逃走した。 見える愛より、十年を超えるの片思いを選んだ。案外マゾいのかもしれない。 深緋は間違いなく本職の命運に関わる為、逃走を選択した。 バウアーを振り返り「さぁ、あたしを担いでお逃げなさいっ!」と命じる。 この瞬間、バウアーの脳裏には開拓者の正義感が蘇るかに思われた。しかし、ここ連日の痴態が助祭に判明した場合、ほぼ9割の確率で撲殺、いかに軽くても飯抜きが確定すると悟った途端。 「かしこまりましたご主人様!」 神父エルディン・バウアーは、保身の為、深緋との駆け落ちを選んだ。 騒ぎを傍観しながら、柚月は『そろそろ時間カナー』と考えていた。 至れり尽せりは満ち足りた日々に違いなかったが、自分たちとて言われたアレコレはこなしてきた。 ここらが潮時。 「じゃあ、僕帰るね。今までアリガトだよ!」 バイバイ、と手を振って何事もなかったかのように去っていく。 高峰は、何故か己の主人だけを説得していた。 「今の状態が正常であるはずがない。主人、一緒に現し世へ戻ろう」 強制的ではあったが、養われた恩がある。散々品物を与えられてきた。 だから『ハイさよなら』というのは後ろめたい。 説得に当たったが、残念ながら共に出て行くことは叶わなかった。 「一緒には、いけない。だけど木陰で眠るくーちゃんも、雨の音楽が好きなくーちゃんも、私の心に焼きついてるわ! 私、くーちゃんを想い続けるから! 図書館の報告書だって欠かさずみるから! くーちゃん! くーちゃぁぁぁん!」 異様な愛はストーキング宣言をしていたが、高峰が気づいていたかは不明だ。 カルマ=B=ノアは一番長い時間を一緒に過ごしたご主人様が戸惑っているのを見つけると、頬をぽりぽり掻きながら近づいて頬に口づけた。 「おいちゃん、帰らなきゃ。楽しかったよ、ごめんね」 そして大事になる前に脱出を試みる。グーたんは涙を流しつつ屋敷を振り返った。 グッバイ、俺の天国ライフ。 かくして亮を連れ戻す仕事は果たされた。 奥方の平手打ちで虚空に飛ぶ亮を眺めつつ、柚月は山茶花の小言に付き合う。 「正気に戻れるなら、なぜ早く戻ってこない!?」 「え、だって面白そーだったし」 御樹は遊女姿から普通の武装した格好に着替えていた。 「私は仕事をこなしただけです。他意はございません。私の心は想い人だけのものです」 そんな彼の頭には引き抜き忘れた簪が刺さっている。 九法は憔悴していたが、奥さんと亮の壮絶な戦いを見て、微笑んでいた。 そして以心は背を伸ばず。 「疲れたでやんす。忌まわしい記憶は即行で忘れるに限りやす! 今夜は飲みやしょう、全力全壊で! さ、エルディ……あれ?」 バウアーはご主人様と行方不明だ。 シャーウッドは「あいつにあわせる顔がない」と言い残して五行に旅立った。農家に引きこもるらしい。 高峰はフリフリのエプロンの返却先に悩んでいる。 グラウシードは「あれは悪い夢だ」と、忘れようと徹していたが、女性に囲まれた一瞬の楽園は暫く彼の夢を苛む。 カルマ=B=ノアはラリサの追求に頭を抱えていた。 深緋とバウアーは翌々日からギルドで姿を発見できたが、連休中の彼らを知っている者は誰もいない。ただしバウアーはやけに憔悴して腹の虫がなっていた。 北花は第三の目が開眼したのか、後日即売会で会場を巡る姿を見かけたとか。 平穏な日々は帰ってきた。 しかし其々に残された遺物が、あの日々は決して幻ではなかったことを訴える。 翌週、噂の屋敷は売りに出されていた。謎の屋敷の持ち主は、今もどこかで何かを始めようとしているのかもしれない。 |