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■オープニング本文 肌寒い季節になった、と思う。 開拓者ギルドの受付たちは、屋内にいてもその変化を如実に感じ取る。何故ならば毎日何十人と対応する開拓者たちが、日を追うごとに一枚、また一枚と衣類を重ね着し始めるからだ。急激な大気の変化に体調がついてゆかず、風邪をひく者もいるし、時には火鉢の傍から離れられなくなってしまう者もいる。 長く厳しい冬の足音が近づいてくる。 やがて外は真っ白な銀世界に包まれるに違いない。 だが、寒い季節が待ち遠しい者達もいた。 日々を業務を終えたその受付は、荷物の中から怪しげな緑色の蝶マスクを取り出すと、何の躊躇いもなく装着し、人影のない廊下を歩いていく。よくみると、廊下に箸が落ちている。箸の指し示す方向を目指した。 誰にも見つからないように、細心の注意を払う。 たどり着いたのは、一室の空き部屋。 何故かドアノブの所にオタマがつり下がっていた。料理の時に使う、あのオタマである。 ここで間違いない。 フッ、と薄く微笑んで部屋の中に入る。 「ついにきたな」 突然第三者の声が響いた。 薄暗い室内を見回すと、部屋の隅に猫の面をかぶった謎の人物が壁に寄りかかっていた。額に『ニンニク』と書かれている。 別段驚く風もなく、定められた位置に立つ。 「ああ、来てしまったな。待っていたぜ、この時を」 「長かったな……しかし憂いの日々は終わる」 「同胞たちも、じきに来るはずだ」 廊下に複数の足音が響く。 そしてドアノブにオタマがつり下がった不審な空き部屋に入ってきた。 何故か山羊の面を着けている。額には『ナットウ』と書かれていた。 しかし誰も驚かないし、誰も指摘しない。 三人目は「……やるのか?」と小さく尋ねた。 「ふ、愚問だな。今こそ我ら鍋の会が、真の鍋愛を披露する時だ」 「ああ、違いない。そうだろ、ナットウ?」 ナットウと呼ばれた山羊面はうちふるえた。 「ニンニクにナガネギ……お前たちの情熱に感動した。それでこそ我ら開拓者ギルド『鍋の会』を支える人柱のひとり」 「勝手に殺すんじゃない」 「サービス残業は謹んでお断りするぜ?」 「まぁそういうな。思い出を大切に、が我ら鍋の会のモットーだ。盛大にやりたまえ」 くい、と山羊面のズレを直す。 普段は眼鏡でもかけているに違いない。 その時、山羊面の背後に、四人目と五人目が現れた。 何故か彼らも顔を隠している。 「お供しよう」 「ふ、利害が一致したようだな、その話のるぜ」 「どこから来た」 「きたか、マツタケ、ベニジャケ」 「あんたら、せめて声色くらい変えて来いよ」 続々と集まる『開拓者ギルド鍋の会』所属者たち。 彼らは普段、開拓者ギルドの職員であったり、開拓者として働く者たちには違いなかったが、偽名を記した面を被ることで俗世から隔絶され、ただひたすらに鍋を追求する大いなる存在に変化を遂げる。 今宵。 箸とオタマに導かれ、鍋の会に所属する一員として、ひとつの食材を手に集った。 月に一度、会員の結束力を確かめる儀式。 その名は、闇鍋。 「ククク、ようこそ我が兄弟姉妹たちよ。 時は来た。 憂いの日々は終わったのだ! では我々の儀式を始めようではないか」 ぼちゃん、ぼちゃん、ぼちゃん…… 容赦なく入れられていく謎の物体たち。 戦いは始まった。 どうか食べられる物にあたりますように! |
■参加者一覧
睡蓮(ia1156)
22歳・女・サ
露草(ia1350)
17歳・女・陰
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
フィーナ・ウェンカー(ib0389)
20歳・女・魔
禾室(ib3232)
13歳・女・シ
音羽屋 烏水(ib9423)
16歳・男・吟
獅子ヶ谷 仁(ib9818)
20歳・男・武 |
■リプレイ本文 「こ、ここが噂の『鍋の会』かの……」 心躍る禾室(ib3232)は紙袋をかぶっていた。目の穴は周囲が黒く塗られ、狸の顔っぽくなっている。上部の穴から狸の耳がぴょっこりと愛らしく顔を出していた。狸を装うというより、特徴的な狸の尻尾が隠せないので、こうなった、と言わざるをえない。 「見ない顔ですね」 声をかけてきたのは、狐面に狐の尻尾を装着した露草(ia1350)だった。 「ようこそ鍋の会へ。私はハタハタ」 「ハタハタ?」 ハタハタは青い巫女装束のまま謎な姿勢を決めて振り返り。 「ふっふっふ。ハタハタとは魚編に神と書くのですよ!」 魚の神を自称した。 どや顔の気配を感じる。ぽぅっとしていた狸娘も我に返った。 「ほ、ホシガキと申す! この会には初めてきたが、新たなる味を見つける絶好の機会を逃しはせぬ! 全力でくろうてやろうぞ!」 力説して、部屋に入った。 すると烏天狗のお面を纏った音羽屋 烏水(ib9423)は、踊るような足取りでホシガキに歩み寄った。 「同じ新参者のボンジリじゃ。宜しくの! 因みにわしは食べても美味くないからの?」 一応、念を押しておく。本気か冗談かは分からない。 続々とナベビトたちが部屋に集う。 沈黙を保つ獅子ヶ谷 仁(ib9818)は虚無僧の笠にマスク姿をしていた。マスクには『海月(クラゲ)』と記されている。無言で入ってくると、がっしりと皆に握手をして回った。 「くく、……腕が鳴りますね」 部屋の片隅フィーナ・ウェンカー(ib0389)はフードで顔全体を覆っていた。 もはや正体を偽る手間などかける気配は微塵もない。 とりあえず顔は見えない。 「私の名はエスカルゴ」 殻にこもったかたつむりと、ひきこもりの自分自身をかけた名前だが、かけるというより自虐に近い名前である。ちなみにエスカルゴは、国が違えば立派な食材だ。 「あなたも見ない顔ですね」 エスカルゴの視線は、目の部分だけ破った紙袋をかぶった睡蓮(ia1156)を捉えた。 きょろきょろと周囲を見回している。その腕に抱えられているのは籠だ。かぶせられた布切れが、何かかさばる物体を主張している。エスカルゴに近づいた睡蓮は「私の名はウニ娘」と言い、そっと手を差し出した。 美しき対人関係には握手がかかせない。 パンパン、と手を叩いて合図したのはナガネギだ。 「諸君、よくぞ集った。いよいよ鍋の会が動き出す時だ!」 「へぃ、そこの。いよいよこの季節が来た――とは、鍋に対して随分と失礼な物言いじゃないか」 廊下から現れた遅刻組の不審者は、万商屋印の紙袋を被っていた。 逆立つ髪が上部を突き破っている。こうでもしなければ顔が隠れないし、毎朝整えている髪の逆立ちが失われてしまう為だ。 「誰だ!」 「俺か? 俺は……ミョウガ、さ。真打は後から登場する、ってよく言うだろ?」 ミョウガと名乗った喪越(ia1670)は、バレバレの変装を恥じる気配もなく、くいっ、と紙袋の下の眼鏡をかけなおす。 そして熱く語りだした。 「春の鍋には春の鍋の、夏の鍋には夏の鍋の、秋の鍋には秋の鍋の、美味しさがあるんじゃないかい? おいおい、まさか一年通して鍋を食べていない訳じゃないだろう?」 ヤレヤレだぜ! と肩をすくめたミョウガは、小脇に抱えた食材とともに、鍋の席に向かっていく。 「そう――鍋は女。そして俺の鍋愛は、女に対するものと等しく。どんな鍋にもそれぞれに魅力があり、愛おしい。優劣などつける意味があるだろうか? いや、無い!」 ベニジャケが微笑む。 「やあ、ミョウガ。相変わらずキレがあるじゃないか。今宵の鍋は、新人が奏でる未知の鍋だ。君の博愛は通じるのかね?」 ミョウガはベニジャケの言葉を鼻で笑う。 「それは挑戦か、ベニジャケ。闇鍋も同じだな。中身がハッキリ見えないからこそ期待をそそられる。チラリズムから迸るエロチシズム! よって俺はモ……」 「はいはい座ってくださいね。大声上げると誰かきちゃうかもしれないですし」 ハタハタがミョウガの口に、鍋の蓋を押し込む。 ミョウガはミョウガで、本名を言いそうになり、危機一髪だと思っていた。 ミョウガの口の形が横に広がっているのは、この際気にしない。 「では諸君。混入の儀を始めよう」 仰々しく宣言しているが、要は目を瞑って順番に具を叩き込む時間である。 「では……いざゆかん、楽園の扉へ! まずはホシガキ」 全員が顔を伏せる。 「は、そうじゃの! では!」 ホシガキは化物みたいなキノコを鍋につっこんだ。 鍋で煮ると、ぬるっとぬめりを纏う。特別危険な食材ではない。 単なるなめこなのだが、ぬるりとした独特の食感を苦手とする者は多く存在する。 「終わったぞ。次じゃ! ボンジリ!」 ボンジリは笑みを浮かべた。 「ふっふっふ……。そう、楽しみ方は人それぞれじゃ。楽しまねば損じゃ」 綺麗に丸く整えられた大きめのつくねを鍋に混入する。 新参者はよく安全圏を選ぶものだが、ボンジリの場合は少し違った。 一見、無害に見えるアタリのつくねは、中身に恐るべき物質が仕込まれていた。喰らった者にしか分からない、衝撃物質である。 この危険物なつくねが一体誰に当たるのか、この時のボンジリは想像していなかった。 悪戯心が、後に悲劇を運ぶ。 「俺が鍋に化粧をする番だな」 ミョウガが持ち込んだ具、それは真っ白な団子だった。単なる団子ではない。中身は輪切りにした生のサツマイモと粒餡であり、表面は小麦粉を練って平たくのばした生地で覆い隠すように包まれている。本来は蒸し器で蒸して食べる郷土菓子なのだが、今回は濁汁の中にたたき込まれている。 かき混ぜる度に、皮が破れて大変なことになりそうな予感がする。 「次は、俺か」 クラゲは、透明のぶよぶよした物体を叩き込んだ。 そう、クラゲである。オヤジギャグではない。 混入したのは海産物にして、漁師の宿敵。憎まれ役のクラゲだ。 しかしクラゲはクラゲで無味無臭。ぬるっとした舌触り及びコリコリとした食感を愛する人も多い。 海産物を愛するクラゲは、闇鍋の良心となるのだろうか? 「私の番ですね」 ハタハタが取り出したのは、べっしゃりと濡れた包みだった。 すさまじい獣臭と血の臭いが鼻を突く。 海産物を名乗りながら、持ってきたのは陸の恵みだ。牛肉か、豚肉か、はたまた鶏肉か。 ぼちゃんぼちゃんと、血が滴る肉が鍋に放り込まれていく。だがしかし、蝋燭の炎は恐るべき事実を明らかにしていた。 毛が、あったのだ。 それは皮にもしゃもしゃと生えている茶色い毛だった。 この瞬間、豚肉でもなければ牛肉でもないことが確定した。 「うふふふ、ナカナカに恐怖感をかき立てますね」 鍋の表面に、ぷかぷかと浮かぶ、謎の体毛付きの肉。 肉を愛する人々に挑戦状をたたきつけているような物質である。 「次は私ですか?」 存在感から恐怖を振りまいていたエスカルゴが取り出したのは、ぶつ切りにした海の獰猛生物。 ウツボだ。 「素材の味をお楽しみください。大丈夫、どうせ煮たら柔らかくなりますよ」 「その文脈からいくと、固い物なのかね」 ベニジャケの問いに、エスカルゴは笑みを返す。 「煮あがる頃にはわかります。せっかちな男性は女性に嫌われますよ」 不穏な一言を残して、ぼちゃん、ぼちゃんと叩き込む。 しかし適当に刻んだ海の猛獣は鍋からはみ出る。 しっぽが、てろーん、と鍋の端に乗っていた。そして肝心の頭部を何処に入れていいのか分からない。しばらく悩んだエスカルゴは、箸で具をかき分けて、ウツボの頭を中心に置いた。 ナベ汁の表面から、獰猛な口だけが愛らしく突き出ている。 「ま、こんなものですね」 はみ出ても気にしない。 ナットウやマツタケ、ナガネギやベニジャケ、ニンニク達も具を入れる。 「最後は私のば……!?」 でーん、とのったウツボの頭を発見したウニ娘は一瞬驚いたものの、気を取り直した。 「では」 ウニ娘は、籠からキノコを取り出した。 小さなきのこの数々だが、蝋燭に照らされたその色は、攻撃色バリバリのどっピンクだった。どう考えても『私とぉってもヤバいです』を無言で主張している。 実を言うとその辺でとってきた。 お金がなかった。 安全性はアウト・オブ・眼中である。 「様々な味の食材が奏でる理想郷……ふふふふふ」 未知への挑戦、その言葉に胸を高鳴らせて、いざ投入だ。遠慮なくたたき込んでいく。攻撃色のキノコはお湯にゆでられるうちに、真っ白に脱色されていった。それはまるでエリンギに似ていた。刺客が闇に溶け消えるように、攻撃色の桃色キノコは無害っぽくみえてくる。 これは危険だ。 「では、時間だ」 蝋燭が、ぼんやりと鍋を照らす。 全ての具を叩き込んだ鍋は、遠目から見ると白い茸で満たされ、汁はピンク色に染まっていた。ボンジリが「よい色じゃの〜」と予想外に色鮮やかな鍋を覗き込んだ。 「……誰か、梅干しでも入れましたか?」 ハタハタが確認してみる。 返事がない。 ということは、この猛烈な薄紅は、梅干以外の何か、という事になる。 全員、静まり返った。 唐辛子の赤ではない。白いキノコが鍋中を満たしていたので、ウツボの頭を含めて何も具が見えない。攻撃色バリバリの汁は、普通の鍋を装ったとんでもない未開の物質にみえる。 「……業がふかきもの……これぞ闇鍋。ところで、もうたべられます?」 空腹なのか、ウニ娘がうきうきと尋ねた。 「あ、ああ。まだ煮えてはいないだろうが……全員、おたまはとったな?」 まずは花びらのように舞い散る茸をすくうナットウ。 「では、すべての食材にかんしゃしつつ……いただきます」 どこかで聞いたようなギリギリの台詞を連ねて、ウニ娘が鍋に箸を伸ばした。 正直なところ、食べられればなんでもいい、くらいのこだわりしか持っていないウニ娘は、闇鍋の神髄をまだ知らない。 「ボンジリさん? なにをちゅうちょしているんですか…まだ祭りははじまったばかり……さぁ、どうぞ」 善意なのか悪意なのか、はかりかねる。 新人たちが躊躇っている前で、古株たちが次々に椀を口元へ運んでみると。 「……ふ、ふふ、うははははははは!」 「あはははははははははははははは!」 「ひゃーっはっはっは、ひーひっひ!」 突然笑い出した。 「隊長! この雪のようなキノコ、毒キノコです!」 「回収しろ!」 山菜に詳しいナガネギが慌ててキノコを没収する。 遅すぎる。 毒キノコにあてられた者たちを、ホシガキが解毒して回った。 最初っから珍事である。ベニジャケ達によってナベ汁の交換が行われた。薄紅の海から解放されたが、結局……食うらしい。 「またアタったらどうするんですか!」 「案ずるな! ホシガキが救ってくれる! 食材を無駄にするな!」 ホシガキの株が急上昇している。 癒し手がいなかったらどうする気なのだろうか。冷静に考えれば此処は開拓者ギルドの空き部屋だ。万が一の時は、開拓者を呼びに走ればいい。そういうことなのだろう。 見事な他力本願である。 「ではもう一度」 ウニ娘が口へ運んだ物体は、ごりっ、っと音を立てた。 「……はまひええふ(生煮えです)」 芋だ。芋だった。かったい厚切りの芋に間違いない。ミョウガが叩き込んだ団子の膜が敗れて、芋部分だけが露出した物体である。食べ物には違いないが、人間、加熱していない物体は、食べてもきちんと吸収できない。 「……鍋に戻すなよ?」 ナガネギの指摘。 渋々ウニ娘は、食べ物ではない状態の芋をゴリゴリ食べていた。 闇といえども、鍋は鍋。 「どんな物でも口に入れれば覚悟が決まるというものじゃ! いざ、尋常に勝負っ!」 楽しもうと決めていたボンジリが、目をつぶって枝分かれしたモヤシのような何かを口に運んだ。 刺さった。 固い。噛もうとするとコキュコキュ妙な音がした。そして味がない。 「ボンジリさん、なんですかソレ。キモッ!」 「な、なんじゃこれは」 「どれだ?」 ニンニクが首をかしげる。 「この白いやつじゃ、他の者も食ったかのう?」 「それはスーナとかなんとか言う海藻だ。よかったな」 ボンジリはひとまず、神の慈悲をみた。海藻ならば、いかに妙な外見をしていようと安心して食べられるというものだ。 クラゲの椀には、エスカルゴが混入したウツボの頭が乗っていた。 薄暗い光の中でも分かる、この圧倒的な存在感。 本来ならば太い体で獲物を締め付け、強靭な顎で肉を食い破る、海の刺客。 見事に煮あがったウツボを見て、周囲が不憫そうにクラゲを見守る中、本人はふっと笑みを零した。 「海女泣かせのウツボか……だが、海産物が当たるとは幸先がいい」 喋った。 というか全く怯えていない。 「海産物に新しい可能性を与える日がやってきた! いざ!」 グロテスクな見た目にも、全く動じないクラゲは、魂の底から愛する海の幸がこちらを見ている事に愛おしさすら覚えつつ、ウツボの頭にかじりついた。 「やはり頭は肉が薄いな。次は尻尾をくれ」 「う、うまいのかの?」 ホシガキが恐る恐る尋ねると、クラゲは笑った。 「ふ、何を今更。ウツボは湯引きにタタキ、干物に天ぷら。そして鍋料理にもなる万能魚! この鍋は……魚の味を引き立てるな!」 ウツボは確かに、大型肉食魚である。 しかし全てのウツボが食べられる訳ではなく、シガテラ毒を保有する個体もいる為、安易に食べることはおすすめできない。 海産物に詳しい為、躊躇なくウツボを食べるクラゲを見て、エスカルゴは残念そうに肩を落とした。 毒に怯えたり見た目に怯えるのが楽しいのに……、と思っても口に出さない。 食うよりも回復で忙しかったホシガキは、じっと鍋を見た。 「ここにあるのは、いずれも幾多の食材から選ばれし鍋の具材達……いざっ!」 選び抜かれた食材。 その査定基準は余りにもアレな品物ばかりだったが、物によっては未知な物体に出会えるかもしれないという数少ない希望はある。覚悟を決めたホシガキは、大口でぱくっと、そして思い切り噛み締める。 ゴリ。ザク。 ……ざく? なんか口の中に刺さった。 ホシガキが箸を離すと、毛の束が見えた。 肉っぽい。肉っぽいが、食べたことのない味だ。 牛でもない。豚でもない。ましてや鳥などありえない。これは怖い。 ホシガキは声なき悲鳴と共に、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。そんなホシガキにハタハタが気づいた。 「ああ、それはですね。皮から肉を剥がす様に食べるんですよ。皮は硬すぎて食べられません。なめすのも大変なくらいですから。皮と肉の間は脂肪が厚いので、油酔いしないようにどうぞ」 ハタハタが食べ方を教示する。 ホシガキは謎の毛皮に恐怖を感じつつ、言われたとおり裏側から肉を剥ぐ。咀嚼する。臭みが強い肉だが……臭みが気にならなければ、味は悪くない。ハタハタが叩き込んだのは牡丹肉……つまり猪である。うっかり毛皮付きだったのは、きっと運命の悪戯に違いない。 ハタハタは人に盛ってもらった椀を受け取ると、目をつむって黙々とかっくらい始めた。 その躊躇いのない動きに、ボンジリが息をのむ。 「か、確認しないのか?」 「確認ですか? あちちと冷ますのも一興ですが、それで正体に気づいてはおもしろくない」 未知の食材に、面白いか否かで挑むハタハタ。 その決意は強かった。 ためらっているボンジリに、びしぃ、と愛のおたまを向ける。 「よろしいですか、ボンジリさん。食べるんじゃないんです! さらにそれに口編をつけるんです! つまり喰らえ!」 躊躇いなど許さない。 残すことも許さない。 これは我らナベビトの崇高なる儀式! 再び黙々と食べているハタハタが妙な物体をすくい上げた。 それは複雑な文様を描いた純白の……足袋。 「食べ物は大事にします。食べ物でなければそれなりに対処します。食べ物を台無しにした奴は……煮るべきです!」 がしゃあぁぁぁん、と椀と箸を置いた。 ハタハタは、薄暗い世界の中で、何故か白い息を吐きながら、立ち上がる。 「名乗り出なさい! 冒涜者!」 「くっくっく、また俺の履き物に当たったようだな」 全く悪びれもないしない口調で立ち上がったのは、ナットウだった。 「あなたが!」 「どうだい、汁を吸った特性の足袋の味は」 「いりませんよねいりませんよね、こんなもの入れちゃってご飯を台無しにする人にはいりませんよね?!」 ハタハタは、砕魚符で『巨大なハタハタ』を生み出し、ぶおんと大きく振り回した。 肩に担いで、標的をにらみつける。 「謝りなさい! すべての食材! すべての空腹な人に! 今晩もったいないお化けを踊らせますよ!」 「ハッハァ! 不運と踊ろうぜ!」 会話が噛み合っていない。 誰か奴らの会話を翻訳してくれ。 意味不明な会話を経て、ハタハタは魚を振り回してナットウを追いかけ始めた。 べちーん、べちーん、と部屋の隅でイイ音がして、奇妙な喘ぎ声が聞こえてくる。 残された者達は再びナベに向き合うが、新参のボンジリやホシガキ、ウニ娘などは食べる気力が失われていた。なにせ足袋の入っていたナベだ。色々染み込んでいそうで危険な感じがする。 そもそも。 既に食べてしまっている。 今すぐお花を摘みに出かけたい、と現実逃避をしつつ、ウニ娘がマツタケに声をかけた。 「あの……」 「心配ないぞ。ハタハタとナットウのアレは毎回の名物だ。夫婦漫才みたいなものだ。さあ食おう」 「いや、っていうか、ナットウの足袋……」 「問題ない。よく見ろ」 マツタケは鍋の中から片方の足袋をすくい上げた。 どこから見ても足袋だ。変わった文様で、普通に履いていたら繊細な一品だったに違いない。しかし如何なる一品であろうと、食べ物以外が鍋に入っていていいわけがない。 「ナットウの足袋は……」 「ふ、まだ修行がたりんな。みてろ」 言うやいなやマツタケは、足袋にかじりついた。そして数秒格闘の末に、噛みきった。 ……噛みきった? 「干瓢だ」 「…………え?」 「カ・ン・ピョ・ウ。寿司でよく食うだろう? 極細の干瓢で編まれた足袋だよ。見かけはアレだが、歴とした食い物だ。ナットウは人を驚かせるのと……まぁなんだ、ハタハタが随分お気に入りらしい。正確に言えば、ハタハタの鞭裁きにご執心、なんだな」 つまりナットウ、変態か。 呆然とするウニ娘やホシガキが振り返ると、闇の中でムチ打つ音とともに、喘ぎ声が聞こえてくる。 「エスカルゴも中々いい腕だと評していたが、何分、エスカルゴを怒らせると瀕死にされてしまうのでな。今の標的はハタハタらしい」 そんな恐怖知識いらない。 聞かなかったことにした。 マツタケは干瓢で作られた芸術的な足袋を咀嚼する。 「ナットウは毎回とんでもない見かけの物体をもってきては、ああして自主的にハタハタにひっぱたかれている訳だ。こりないよな」 あれもまた幸せの一つに違いない。 クラゲたちは、そっとしておくことに決めた。ボンジリが手を合わせる。 「お前さんの勇姿、鍋の会の後世に語り継ぐとするかのぅ」 勇姿とは少し違う気もするが。 「そもそも食えないものがあるわけがねぇ」 ミョウガは笑いながら箸で何かをつかみあげた。 「これは鍋だぜ? 当然食べれないものなんてある訳ないさ。なんだかんだ言ってうまいものが入ってるに違いな……」 ぶちっ、むにゅ。 舌触りが固い。妙な音のあとに、中身が飛び出した感じがするが、塩辛のように味が濃い。 しかし何故か味わおうという気にならない。 ミョウガは一口噛んで硬直していた。 固形物なのか液体なのか。 中途半端な食感が、彼に拒否反応を与えている。 「どうした、ミョウガ」 蝋燭を近づける。 この『塩辛いナニカ』を、クラゲとボンジリが見た。 刹那。 「ぎゃあああああああああああああああああああああ!」 「うぎゃああああああああああああああああああああ!」 ミョウガの口の端。 そこからひょっこり顔を出す、つぶらな瞳の……イナゴ。 「いやあああああああああああああああああああああ!」 姉さん、事件です。 虫の佃煮です。 見た目が非常によろしくないが、山間部などでは昔ながらのタンパク源であるとともに、親しみ深い保存食や珍味に他ならないが、知らない人間にはゲテモノにしか見えない。 悲鳴に満ちた室内において、だれもその物質の名前を口にしないが、もはやミョウガも悟らざるをえなかった。見るに耐えないアレな物質が、口の中を蹂躙している。彼にとって鍋は女。愛おしいと宣言した以上は、食わねばならぬ。それが鍋の愛。 男に二言はない。 悲鳴を挙げる中で、ボンジリがただひとりミョウガを励ました。 「お、お前さんなら、行けるっ! もうちょっとじゃ、噛み切り、飲み込むんじゃっ!」 ナベビトが見守る中で、ミョウガは……大量の水で佃煮を流し込んだ! 「か、噛み切れないなら――飲めばいいのさ!」 歯の間に足が一本挟まっていたが、ボンジリは見なかったことにした。 ただミョウガの男らしさに感動していた。 「わ、わしに当たらなくて良かったのぅ……南無南無」 ボンジリ、次は我が身かもしれないにも関わらず、ミョウガをみて念仏を唱える。 「死んでないぞ」 「うふふ、面白いですね」 エスカルゴの心は踊っていた。 静まり返った空気、異臭を放つ鍋、そして静かに聞こえる嗚咽。 阿鼻叫喚と人が表現するこの光景が、エスカルゴにとっては心地よいものらしい。 エスカルゴは、上品且つ丁寧に食する。 しかしボンジリが叩き込んだ巨大つくねを食した途端、エスカルゴは口を抑えてうつむいた。 辛い。 辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い! つくねの中には、超激辛香辛料がたっぷり仕込まれていた。 これはもはや食べ物という領域を超えた、冒涜とみて間違いない。 飲み込むことを全身が拒絶しつつ、微かに残る肉と品位が、彼女に残る理性を揺さぶる! 意地で飲み込んだが、喉が焼けるような痛みを覚えた。 「つくねを叩き込んだ者、名乗り出なさい!」 ボンジリが恐怖をひしひしと感じながら手を上げると、エスカルゴは口元に謎めいた笑みを浮かべ、鍋の中から同じつくねを拾い出すと、ボンジリを拘束した。 「な、何をする!」 「食べれるものを入れなさい。それが鍋への礼儀というものです。それともあなたはこれが食べられるというのですか。とりあえず、あなたが食べられるというなら『辛党』の名に免じて許しましょう」 ボンジリの口の中へ、激辛つくねを叩き込む。 食べられないものには強力魔法で一発、という恐るべき粛清方法を考えていたエスカルゴは、奇跡的に食物に類するが食物とは言い難い刺激物を、ボンジリ本人に複数食わせるという報復を選んだ。 「わ、わしは大食い競争で既に一生分食べ……」 もご、とボンジリの口がつくねで満たされた。 エスカルゴは瘴気のような黒い気配を発している。 「さぁ、どうしたのです、ボンジリ。あなたのつくねですよ。まさか食べれない品物を、この私に食べさせませんよね? さぁぁぁ噛み締めなさい。私の味わった衝撃を分け与えて差し上げます。さああ! さあさあ!」 どうやらボンジリも辛いものが苦手だったらしい。見事に自滅している。 他の者は、そっと目をそらし、見なかったことにした。 「お、おわった……」 毒キノコから始まった薄紅の闇鍋は、悲鳴と絶叫で幕を閉じた。 鍋を空にした彼らは、よろめきながら日常へ戻っていく。 いつか再び、廊下に箸の導きを発見する日を夢見て。 つかの間の別れ。 さらば友よ。 我らナベビトは、いつかまた鍋の下に集わん。 |