偉大なる暴風の猛攻
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/11/16 10:47



■オープニング本文

 変わらない朝だった事を覚えている。
 依頼を受け、林に潜むアヤカシ退治へ出かけた。
 何一つ、不備などない。
 鍛え抜かれた体。
 研ぎ澄まされた技術。
 魂を預けるに値する、誇らしい仲間たち。
 もちろんアヤカシを退治するなんて造作もなかった。
 ひとつ計算違いだった事は『超局所的な嵐に見舞われた』ということ。

「ああああああああああ!」
 呼吸すら難しい暴風の中を、仲間と耐えていた。
 己の腕力を頼りに木にしがみつく者もいれば、荒縄という心強い道具に命運を捧げる者もいる。
 視界の片隅を、どこからか飛んできた木材が転がり、普段は戦うべきケモノ達が、玩具のように左から右へ流れていく。大切な相棒たちも奇跡的に抵抗はしているが、自分たちも含めて……吹っ飛び組の仲間入りは、時間の問題に違いない。
「うおおおおおおおおお!」
 どうしてこうなった!?
 何かの天罰か!?
 様々な考えが脳裏をめぐる。
 しかし後悔したところで状況は変わらない。
 大自然の脅威を前に、人ごときが抗う術などないのだ。


 季節は、秋。
 茜色の蜻蛉が木々の間をすり抜け、黄金色の枯葉が風に舞う。実り豊かな毎日が斑雲の下で通り過ぎ、急激に低下する気温に身を震わせる日々も増えた。突然降る雨は冷たく、湿った空気が情緒と切なさを運んでくる。
 しかし。
 秋は、嵐の多い季節でも知られている。 
 大気が不安定になる為、突然の竜巻が街中で発生する、といった事も珍しくない。
 アヤカシと戦っている間、少しずつ雨足が強まっているのを肌で感じた。
 今夜は嵐かな、なんてお喋りをしながら武器を振るった。
 水も滴る男に女。
 笑い声すら聞こえてくるような余裕があった。
 ……つい、さっきまで。


「生きてるかああああああ!?」
 自分の声すら聞き取りにくい現状は、生半可な嵐ではないことを示していた。
「痛い痛い痛い 雨が痛い!!」
 全身ずぶ濡れて、濡れ鼠状態だ。
 水を吸った外套や装備が重すぎる。
 全てを投げ出したい衝動に襲われながら、嵐に耐えていた。
 思い出すのは、近くの村人の言葉である。

『きぃーつけてくださいよ?
 最近、この辺は雨風がヒデーんでさぁ。
 縄とか持っていった方がええと思いますがねぇ。
 ほんと天気ってのは、突然変わるもんです。
 山菜刈りに出かけて、行方不明になったもんもおるんですよ』

 今更思い出しても現状を打開するすべはない。
 体が真横に傾く雨風は、天気の急変という状態を逸脱していた。
「おい、あれをみろ!」
 目も開けられないような視界。
 開拓者たちの遥か前方に、高さ八メートルほどの妙な巨木がいた。
 枝や蔦で近くの並木にしがみつくという愉快な光景が繰り広げられている。
 樹木型のアヤカシなのだろう。
 しかし流石に暴風の威力に耐えられないのか、ぶちぶちと他の木に絡みついた蔦が切れ、四方八方の細枝が折れては瘴気に還っている。自然の威力で瘴気に還るとは、滅多に見られない現象であるが……向こうも踏ん張っているので完全消滅には程遠い。
 そこで彼らは我に返った。

「どうやって戦え、っつーんだあああああ!」

 風が静まる気配は、ない。


■参加者一覧
カンタータ(ia0489
16歳・女・陰
喪越(ia1670
33歳・男・陰
アーニャ・ベルマン(ia5465
22歳・女・弓
岩宿 太郎(ib0852
30歳・男・志
杉野 九寿重(ib3226
16歳・女・志
マックス・ボードマン(ib5426
36歳・男・砲
ローゼリア(ib5674
15歳・女・砲
雪刃(ib5814
20歳・女・サ
ジャリード(ib6682
20歳・男・砂
ケイウス=アルカーム(ib7387
23歳・男・吟


■リプレイ本文

 姉さん、事件です。

「目が、あけられな……っ!」
 体が真横になるほどの強い風が吹き付けている。
 杉野 九寿重(ib3226)が荒縄で近くの太い樹と腰を結んだ。着々と親友のローゼリア(ib5674)を手助けしている間に。
「こんな話、アタシは聞いてないよっーーーー!」
 人妖の朱雀がすっ飛ばされていく。
 慌てたローゼリアがのばした手は、虚空の葉を掴んだ。
「朱雀が! 九寿重どうしますの」
「村方向ですね」
 主人の杉野は、肝心な時に役に立たない朱雀を放置することに決めたらしい。友の横顔から意図を察したローゼリアが、人妖朱雀の無事を祈っておく。
「朱雀、ごめんなさいですの……はっ、桔梗! 桔梗はどこですの!?」
 銃に弾を込めながら、ローゼリアが周囲を見回す。
 からくりの桔梗は大剣を深々と大地に突き刺していたが、本人は真横になっていた。まるで五月の鯉のぼりだ。無表情なのに、ひしひしとウンザリ感を感じる。気のせいという事にしておこう。
「こうなってはなりふり構っていられませんわね、きゃ!」
 突風がローゼリア達を襲う。
「まったく……冗談じゃありませんわっ! 一体、いつになったらやむんですの!?」
 嵐がやむ気配はない。
「こう近づくのにも儘ならないのは困りものですね。皆さんも……耐えるので精一杯ですね」
 視線の先には、無残な状態の仲間がいた。

「寒い! 痛い! 進めない!」
 ロングコートが風を受けて舞い上がり、槍串団子を地面に刺した岩宿 太郎(ib0852)の体を、今にも持ち去ろうとしていた。隣では甲龍ほかみが、自慢の角を地面に刺して踏ん張っている。今にも折れそうな為、ほかみは不本意且つ殺気を主人に向けていたが身動き不能だ。
 岩宿は大声で叫ぶ。
「食費を稼ぎたかっただけなんですごめんなさい許してくださいソーリー大自然! もう洗濯物吹っ飛ばされた時に風雨呪いの舞とかやんないから風やんで〜!」
 懇願しても風はやまない。
 大自然は非情である。
「俺、生きて帰れたらもう二度と風に文句言わず洗濯物干すんだ……」
「死ぬなー!!」

 アーニャ・ベルマン(ia5465)はからくりのテディと自分を荒縄で縛っている。背中合わせのその姿は、不審なモコモコ毛皮を背負っているようにしか見えない。木にしがみつくテディに向かって大声を張り上げた。
「ちょっと〜、テディ。なんでこんなときまで熊のきぐるみを着ているのさ!? べちょべちょだよ!」
「これは僕の外装なの。中身は骨組みなんだからしょうがないでしょ」
 ベルマンは「意味わかんないし!」と叫ぶ。

 巨木と自分の体を荒縄で固定したケイウス=アルカーム(ib7387)は、木にしがみついた状態で走龍ルドラの手綱を持ち、悲鳴を上げていた。
 仮にルドラ吹っ飛ばされると、彼は腕ごと持っていかれる。恐怖体験だ。走龍ルドラは立っていると自分が吹っ飛ばされると理解しているのか、地べたに爪を立てて座り、頭を低くしている。
「苦戦する相手じゃなさそうだったし、ルドラの訓練のつもりだったのに……なんでこんな事にいぃぃ!」
 雨風と葉、他諸々が咥内に侵入する。

「確かに、単なるアヤカシ退治だったはずだったんだがね、今となっては……笑うしかないな」
 マックス・ボードマン(ib5426)は悟りの眼差しで景色を眺めていた。
 やがて思い出したように背中のからくりを振り返り、レディ・アンのグリーンの瞳を見つめて微笑む。
「今日も綺麗だなレディ、この埋め合わせは必ずするから勘弁してくれ」
 互いを荒縄で結び、身を寄せ合っている今、暴風で酷い有様なのだが……恋した女性の面影を持つからくりの美しさを前にすると、悪環境も関係ないらしい。
「レディ、目標まで何ヤードかな? 風の強さを考えると……俺は何番の銃で撃つとピッタリだと思う?」
「前方22ヤード位でしょうか。あのアヤカシ、どんどん枝が折れています」
 気取るボードマンに位置と状況を実況するレディ・アン。

 ところで羽妖精メイムを外套の中に抱き込みつつ、結界呪符の影にしゃがんだカンタータ(ia0489)は、昔の出来事と境遇を重ねていた。
 は、と我に返る。
「さてメイム〜少し耐えてくださいね」
 メイムから手を離して荒縄を握る。
 完全に暴風が防げる訳ではないので油断は禁物だ。結界呪符の影で、近くの太い樹と自分を軸に荒縄で輪を作り、真結びを始める。
「私も手伝う!」
 メイムが顔を出した瞬間、小さな握力を上回る風が吹いた。
「きゃあああぁぁぁ……!」
 遠ざかる悲鳴。
 最初は焦ったカンタータも『メイムは翅がありますし、なんとかなりますよね。たぶん無事』と潔く頭を切り替えた。

「山にいる時にだって……急な嵐はあったけど、ここ防ぐものがないから、き、つい……もっと早くこの嵐が来てたら、出発前にアヤカシが自滅してたのにっ!」
 這いつくばった雪刃(ib5814)は、荒縄で大切な装備を体に固定していた。暴風に荷物が煽られる度に、体ごと持って行かれそうだ。
 雨と泥に濡れ、縄でぎりぎり締め付けられた豊満な肢体は、大変悩ましい状態になっていたが、生憎と注意を払う余裕はなかった。
 そして管狐の神影は、懐でぶーぶー文句を連ねていた。
「あぁぁ、毛皮が濡れて重い、風で目が痛い、何でこの状況でわざわざ呼ばれたのかわからないぃぃぃ! 戻せぇぇぇ!」
「うるさい!」
 雪刃の一喝。それは役目があるから待てという事なのか、それとも、一緒に辛い思いをしろという道連れ万歳なのか、意図を量りかねた。

 ジャリード(ib6682)はひたすら伏していた。
 つぶれた蛙のように地面に貼りついている。暴風によって飛ばされてきた木の葉や他諸々が顔面にべちべち当たっているが、やむを得ない。
 粘泥になった気分だ。
「……砂嵐じゃないだけマシだ砂嵐じゃないだけマシだ砂嵐じゃないだけ……ああ! アラドヴァルが!」
 張り切って持ってきた魔槍が、今にも折れそうだ。
 やっと手に入れた高級品だ。飛ばされたり折れたら泣く。心折れる。しかし今は武器が重くて辛い。
 一言で言おう。しんどい。
 しかし彼の苦悩を全く理解していないのが、羽妖精ルゥルゥだ。朱雀やメイムのように飛ばされてはたまらない、と服の間に押し込んだのに、懐で大はしゃぎしている。
「風ー! すごいですー! きゃあああー! とばされるぅー!!」
「暴れるなぁあああ! 飛ばされてたまるか!」
 主人の心を、相棒は知らない。

 結界呪符で壁を構築し、地面に伏した喪越(ia1670)は「綾音! 大丈夫か!」とからくりの様子を窺う。
 綾音は剣を大地に突き刺して真横になっていた。
「主。万が一の場合、主にしがみついても宜しいでしょうか? 場合によっては局部などに」
「勿ろ……いやいやいや、綾音さん、それ普通にもげる! せめて死ぬ時くらいは男の尊厳を守って死なせて……ってやべぇ!」
 なぎ倒された木々が転がってくる。このままでは剣がおれて綾音が飛ばされると判断した喪越が「こっちへ!」と男らしく手を伸ばす。綾音も「主!」と助けを求めた。
 麗しき主従の絆……のはずが。
「イヤアァァァ!」
 絹を引き裂くような悲鳴、とは多分こんな声に違いない。
「甚平が! はきものが! どこ掴んでるの綾音さん!?」
 ただし野太い。
 綾音は心底残念そうに「不覚」と声を漏らしつつ、喪越の甚平の履物にしがみついていた。局部掴もうとして失敗したらしい。
 このままでは服が破れて、喪越は露出狂確定だ。
「壁を作ってやるから手をはなせ!」
「この暴風の中で私に死ねと!? 今まで一途にお慕いし、仕えてきた私に対し、あまりに惨い仰り様で御座います……うぅ」
「涙なんて一滴も出てねぇ上に、台詞が棒読みじゃねぇか!」
「えぇい、この忙しい時に! 主従喧嘩は帰ってからやってくださいまし!」
 ローゼリアの罵声が飛ぶものの、殆ど届かない。

 いま肝心なことは『どうやって村に帰るか』と『樹木型アヤカシを倒すか否か』だ。
 雪刃が悩む。
「この状況であの木に近づくのは無理っぽいね」
 ローゼリアを庇い続ける杉野が、歯ぎしりした。
「そのようです……く、なんという試練」
「九寿重、無茶はしません様に」
「わかっています。でも接近できれば私たちが一刀両断できます。一対多の優位差で確実に殲滅敢行が……そうしなくても自滅しそうな気もしますが」
 前方でメキメキ音がする。
 枝がバキバキ折れて瘴気に還っていた。
 アルカームは時々見えるアヤカシに目を凝らす。
「後ろは村だし、なんとかここで倒さないと……あいつも風に負けないように踏ん張ってる? 狙うのは根っこや蔦がよさそうだね」
「ですね。それにしても木が木にしがみついている姿ってシュールですね〜。暴風雨じゃなければスケッチしたいですよ」
 人のことは言えないベルマンが、樹木型アヤカシに月涙でロープ付きの矢を放つ。
 薄緑の気を纏った矢は、あらゆる干渉を無視して、標的を貫く!
 この環境下では羨ましい技術だが、命中の度合いは難アリだ。
 かろうじて太い枝に刺さった……気がする。
「何人も渡るのは無理かな。テディ、結ぶよ。太郎さん、後はお願いしますよ!」
「おぅ! 気合で、気合で渡るぜ!」
  手袋をはめた岩宿が移動し、槍串団子を煽られつつ移動する。
 そんな岩宿を支援すべく、アルカームがファナティック・ファンファーレを奏でようと考え……何故か、自分と大樹を結びつけていた縄を緩めた。
「そうだ! 爆発的な力を呼ぶ為の演奏なんだし、どうせなら自然を味方に付けてかっこよく演奏しよう!」
 吟遊詩人たる者、いかに目立てるかも重要な仕事だ。
 よけいな衝動に勝てず、アルカームは楽器を持つ片腕をかざす。
「荒れ狂う風を全身で感じる! これぞ嵐の曲……って、うわあああ! あぶ」
 ばふ、と木の葉が視界を覆う。彼の体は空中に浮いた。
 俺カッコイイ!
 の代償は、生命の危機!
 あ、やばい……と感じた瞬間、彼の荒縄がぶっつりと切れた。
「うぎゃあああああ!」
 肉体から解放。
 三途の川へ旅立とうとするアルカームを、後方の雪刃がひっつかむ!
「演奏するなら早くして!」
 吟遊詩人の演奏。それも詩聖の竪琴を奏でるには両手が必要、と察した雪刃が、外套を掴んだまま叫ぶ。半ば首吊り状態なアルカームは、呼吸困難のままで、体を真横に泳がせながら竪琴を奏でた。

 喪越も気合を出す。
「こういう状況なら、試してみたかった事もできるってわけだしな!」
 緊急事態に備えた訓練ができる! と前向きに考える喪越。
 しかし今が緊急事態だ。
 喪越は『霊魂砲と黄泉より這い出る者の、実体の無い式神は環境の影響を受けるのか』を実験を試みる。
 理論上は、ほぼ自動的に示した標的に当たるのだが……それはあくまで、明確に標的を目視できて、確実に当てる精度と技術があれば、の話であった。
 ただいまの視界、ゼロ。
 五メートル先は仲間ですら認識できない。うまく当たらない。
「なんでだぁぁぁ!」
「主、この劣悪な視界の中では、約二十メートル程度先の相手も仕留めるのは困難のようですね。優れた技も、当たらなければ宝のもち腐れと申しますか」
 耳に痛い分析を華麗に聞き流した喪越は、アヤカシが風下に来るまで待って飛びつく案を提示する。

 カンタータは感心して首を縦に振った。
「なるほど〜、こうも視界が劣悪では〜、当たらないかもしれませんが〜、やるしかありません〜」
 構えるカンタータ。微かに見えそうな部位を狙って白狐を放つしかない。
 例え、途中で誰か仲間に当たっても罪はない。
 環境が全部悪い。間違いない。
 心は決まった!
「さあ皆さん、一斉にいきますよー!」
 カンタータは獰猛な白狐を召喚し、アヤカシの方向を指差した。
 しかし何も見えない。
 白狐は命じられるままに『標的っぽいもの』を攻撃した。
 アヤカシがしがみついていた木が、送り込まれた瘴気でダメになった。
 続いてローゼリアとボードマンの銃弾も打ち込まれる。
 枝や幹が砕けていく。

 ベキベキベキベキめきょめきょ!

 片方の支えを失った樹木アヤカシは、一気に後方へ押された。
「ぎゃあああああああああ!」
「縄が、縄が大きな振り子のように!」
「太郎さぁぁぁん!」
 過酷環境に泣く開拓者達は、少しばかり放置して。

 ここで、かなり面白い物理のお話をしてみよう。
 例えば土が詰まった拳ほどの革の球があったと仮定する。
 その球を驚異的な速さ、例えば時速155キロで投げられる人物がいたとする。
 驚異的な速さで投げられた球の威力はというと、物理的原則に基づき、一トンを超える破壊力を生み出す。そんな球が当たれば、人の頭蓋骨は煎餅より脆い。体重450キロの馬に踏み潰されるようなものだ。
 さて皆さん。
 ここで我に返ってみよう。
 現在の最大瞬間風速70メートル。つまり時速252キロ。
 石ころの一つで大惨事。
 丸太が当たった場合、結界呪符の壁なんてメレンゲである。

 劣悪な視界による命中率の関係で、ボードマン達は前方の『何か』を破壊し続けた。
 その結果、樹木型アヤカシは着実に接近してきていたが、砕いた木や岩の欠片などが強烈な雨風に混じり、虚空を華麗に羽ばたいていく!
 つまり恐るべき凶器と化した。
 まず結界呪符に安心しきっていた喪越やカンタータが、破片衝突に伴う、壁の消失により吹っ飛ばされた。テディが手を滑らせ、ベルマンも悲鳴と共に吹っ飛んでいく。
「うおおおお、暴風の精霊さん、ちょっとくらい情けをくれてもいいじゃないぃぃぃ!」
 太郎はなんとか撓んだ荒縄にしがみついている。
 上下左右に揺れている。
 ……吐かないだろうか?
 そんな心配の中、杉野に抱えられたローゼリアは一人、猫じゃらしのように揺れる岩宿に、うっかり銃口を向けたい本能的な衝動と戦っていた。
 あの動きはいけない。
 ふつふつと湧き上がる欲望を、人としての理性がねじ伏せた。
「いけません、いけませんの!」
 獣人は大変だ。
 そして雨風が益々悲惨なことになっている。

 槍をアヤカシに向けたまま這いつくばっているジャリードが何かを思いついた。
「ルゥルゥ! 幸運の光粉を頼む!」
 しかしルゥルゥは懐だ。羽から舞い散る光の粉を浴びるのは困難だ。悩んだルゥルゥはジャリードの長髪にしがみつき、ぶおん、と一気に飛び上がった。
「きゃははは! 風ー! 暴風ですー! とばされちゃううぅぅ!」
 ルゥルゥの笑顔は輝いている。
 そして粉は、後方に飛ばされた。見事にぶっ飛ばされていた。
 三度目にしてようやくジャリードにかかる。近くで這いつくばっていた雪刃とアルカームにもかかった。

 一方、ボードマンは虚空に浮かんでいた。
 しがみついて耐えるレディ・アンを眺めたボードマンは恐るべき行動に出た。
「俺はレディを苦しめたくない、今、助けるからな」
 ボードマンはなんと命綱に銃口を向け、自分ひとりが飛ばされる道を選んだ!
 さらば愛しの君。
 それはさながら雪山において、命綱を自ら切る勇者の決断。
 だが。
「危ない!」
 幸運の粉を浴びた影響なのか、雪刃が飛翔したボードマンを掴んだ。
 鬼腕で大の男を地面にねじ伏せると「ここからも狙えるわよね?」と冷静に尋ねた。

 ローゼリアが再び弾込めを終えて、銃口を向ける。
「無様で見る所もありませんの……最低ですわ。けれど感覚がつかめてきましたわ!」
「ええローゼ! あと少しです! しかし……このままアレに下がってこられると、地べたに這っていらっしゃる方々が大変なことになりそうな。あと太郎さんも」
 杉野は、ジャリードや雪刃、アルカームやボードマンを見た。
 下敷きになった仲間の遺体回収は勘弁である。
 ローゼリアが吠えた。
「よろしいですか皆様! アヤカシは目と鼻の先! 確実に狙って倒しますわよ!」
 何分、熟練の開拓者が多い。
 あの踏ん張ってる樹木型アヤカシが『確実に当たる』位置に来てくれた今、討伐に支障はなかった。漸く刀や槍がふるえた面々の表情は、歓喜に満ちていた。
「やった!」
「うおおお! よし、アイツをやっつけ……ぎゃああああああ!」
 何故か、岩宿が吹っ飛ばされていく。
 彼は荒縄にしがみついていた。
 荒縄の先端は、アヤカシに刺さった矢に括りつけられていた。
 アヤカシが消滅した今、物質というモノから解放された矢と縄は、岩宿を物理的法則に基づき、後方へ運ぶ。もう一端はベルマンのいた木に括りつけられていたが、衝撃でぶっちり切れた。
 一番の問題は、飛んできた主人を受け止めず、尾で『バチーン』と吹っ飛ばした甲龍がいたことである。満足気な甲龍ほかみを見て、残された者たちは『朋友との絆って大事だな』としみじみ思った。

 そして杉野達は、文字通り這いながら村へ戻った。


「酷い目に、あった……」
 雪刃はげっそりとした表情で壁にもたれ掛かりつつ、自慢の尻尾をみた。耳や髪同様にびっしょりと泥水に汚れている。
「うぅ冷える。しっかり温まりたいな。神影も洗おっか。あの、お風呂って借りられたりとか……」
 老婆は一方向を指さした。扉だ。
 こんな小さな村に室内風呂なんて豪華な設備はない。
 つまり風呂は外。しかも釜風呂。外が晴れて釜を洗うまでは使用不可能だ。
 愕然とした雪刃をみて、老婆は大きな金盥に沸かしていた鍋のお湯と水瓶の水を叩き込む。
「はいよ。気休めだけんど、無いよりはマシじゃろうて。むすめっこが髪洗って体拭くくらいはできるぞい。そこの男連中、おめさんたちは、水で我慢せぇ」
 容赦なく隣の納屋に追い出される。
 がんばれ男子。
「……髪が乱れてしまいましたの」
 杉野の髪を布でふきながら、ローゼリアは借りた櫛で髪を梳く。
「まずは早く都に帰って、身体を洗いたいですわ。温泉などに浸かって全てを忘れ去りたいくらいですの」 
 杉野は息も絶え絶えに草臥れていたが、うなだれている人妖の朱雀にお茶を出されて和んでいた。
 誰よりも先に吹っ飛ばされた朱雀は、民家の屋根に絡まっていたらしい。煙を逃がす天窓から落ちてきて、危うく囲炉裏の鍋に落ちるところだったとか。
 女性陣が着替えをすませ、納屋から戻ってきたジャリード達は、生まれたての子鹿のように震えていた。
「あいよ、毛布。薄っぺらいけど堪忍な」
「ありがとう。熱い甘い紅茶が一杯欲しい……」
「こーちゃ? わりねぇ、そんげハイカラなん、ばーちゃん分からんわ。番茶でええかい? おはぎもあるでよ」
「いや、ありがたい。ガッツリ甘い甘味も欲しい。おはぎ十個ほど」
「たーんと食いねぇ」
 おはぎにしがみついて汚れるルゥルゥがいた。
 生還した喪越は畳の上に転がっている。
 岩宿は「風コワイ風コワイ」と念仏のように呟きながら、嵐が静まるように神棚に祈っていた。
 新宗教の誕生だ。
 ボードマンは「雨に濡れたレディも綺麗だな」と相変わらずの調子だったが、お詫びの意味を込めて、都に戻ったらドレスを新調する、とレディに約束していた。
「……これ夢だったりしないよな? 俺、ちゃんと生きてる?」
 アルカームが不安げに呟き、周囲を見回す。
 その一方で。
「乾かすから脱ぎなってば!」
「そのうち乾くよ」
 テディは意地でも着ぐるみを脱がなかった。そのまま火鉢にあたっている。きっと乾く頃には生乾きの臭いにベルマンが悩まされるに違いない。
 怪我を塞いだカンタータは、体が冷えきった皆の為にと、疲れきった体を引きずりつつ土間をかりて具沢山スープを作っていた。濡れた金髪を布で吹いているのは、吹っ飛ばされた羽妖精のメイムである。住居の壁に貼りついていたらしい。
「みなさぁーん、ごはんですよ〜」


 この驚異的な暴風は、何故か五日も続いた。
 強制的な籠城を強いられた開拓者たちは、家の中で回復に専念したという。
 生きて帰れた……
 その事実と感動を胸に帰還した。