星降る鉱泉が湧く森で
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 28人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/10/31 14:04



■オープニング本文

 星降る夜に空を見上げた。
 肌寒い季節になった、とぼんやり思う。

 その日、開拓者ギルドに一枚の募集広告が張り出された。
 神楽の都から、少々離れた山の麓。そこの秘境温泉に現れるアヤカシ退治だ。
 小さいとはいえ山、そして昨今のアヤカシ被害に伴い、定期的に泉が安全かどうかを、百戦錬磨の開拓者たちに丸一日かけて調べてもらう仕事である。
 もしアヤカシがいれば、勿論根絶やしにすること。
 あとは自由にしていいそうだ。

「秘境って、どういうとこなんです?」
 そこは年中、天然の温泉が湧くとして名の知れた鉱泉の湖である。
 益々寒くなると温泉の湖は白い湯気に包まれていく。別名を『霧の温泉』と言うのだが、夏から秋にかけて少し肌寒くなり温泉が恋しくなる秋の季節に噂の泉を尋ねると、湯気もさほどなく、水面に満天の星空がうつりこんで美しく輝くのだという。
 星降る温泉、というわけだ。
 湖の浅瀬に足をつけて足湯を楽しみ、奥へ進めば肩まですっぽり温まれる。
 岸壁を辿れば短い洞窟があり、岩に腰掛けて湯気が充満した蒸し風呂も楽しめるという。

 旅行気分で行ってみるのも悪くないですよ、とギルドの受付は微笑んだ。


■参加者一覧
/ 劉 天藍(ia0293) / 華御院 鬨(ia0351) / 柚乃(ia0638) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / 輝血(ia5431) / 神咲 六花(ia8361) / 和奏(ia8807) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 劉 那蝣竪(ib0462) / 真名(ib1222) / 蓮 神音(ib2662) / 言ノ葉 薺(ib3225) / 東鬼 護刃(ib3264) / 果林(ib6406) / 刃兼(ib7876) / 華角 牡丹(ib8144) / 朱宇子(ib9060) / 音羽屋 烏水(ib9423) / 須賀 なだち(ib9686) / 須賀 廣峯(ib9687) / 仰深(ib9688) / 紛琴 殃(ib9737) / ルース・エリコット(ic0005) / 姫烏頭(ic0009) / 伊波 楓真(ic0010


■リプレイ本文

 秋の月と星が煌く夜空が広がっていた。
 季節を感じながら、のんびりするのもいいかもしれない、と。
 浴衣に着替えた劉 天藍(ia0293)は、ぼんやり考えながら空を仰いでいた。
「天藍君、こっちこっち! お弁当持ってきたから早速一緒に食べましょ! お仕事の後に温泉でゆっくりできるなんて最高ね」
 蒼い桔梗柄の浴衣に着替えた緋神 那蝣竪(ib0462)が、既に足湯の場所を陣取っていた。
 裾から除く白い肌が月光で際立ち、目のやり場に困った劉は「……我ながら修行不足だ」と独り言を零して、傍らに座った。
 緋神の弁当箱には秋刀魚の塩焼きや茸御飯、南瓜のそぼろ煮、鶏つくねの照り焼きが敷き詰められ、劉は温泉卵の他に南瓜と肉を混ぜた餡を入れたおやきを持ち出す。
 水面に浮かべたお盆には、小さな徳利と一組のお猪口を添えて。
「秋の味覚か……流石那蝣竪さん、凄く美味しい。お酒をどうぞ」
「天藍君も料理上手ね。……足があったかい。冬を間近にした夜空は、空気も澄んで星の輝きが落ちてきそうね」
 傍らの劉は星を見ていた。
 星の輝きに大切な人を囚われたような錯覚を覚えた緋神は、劉の腕を絡めとり、肩に頭を預けた。子供のような嫉妬心と笑われても、傍にいたいのは一人だけだ。ちらりと様子を伺えば、異様に顔の赤い大事な人。
「……天藍君? もしかしてのぼせてる? 膝枕、要る?」
「膝枕はまた……そのうちに。傍にいてくれるだけで、今は充分だから」 
 嬉しくて何処かまだ恥ずかしい。そんな胸中を知られまいと、劉は酒を手にとった。


 きらきらと輝く水面が美しい。
 真名(ib1222)は衣類の裾を持って、恐る恐る足を踏み入れてみた。
 人肌よりも温かく肌を刺激する水は、ここが温泉湖である事を静かに語りかけてくる。
 水面の月を追いかけて、ぱしゃぱしゃと歩き出す真名を、アルーシュ・リトナ(ib0119)は穏やかな眼差して見つめていた。
「気持ちいい〜、姉妹水入らずの温泉旅ね、姉さん」
「ええ。お弁当を持ってきたのは正解でしたね。のんびり温まれそうです」
 ちゃぷんと足を浸したリトナが、真名を手招きする。
 差し出したのは小壺に注いだあったかい南瓜スープ。
 大きな籠の中にはお弁当の主食以外にも、南瓜やお芋の菓子があった。
「あったまる〜、姉さん、これどうしたの? ここまで結構長く歩いたのに」
「実は小屋で着替える前に、スープの壺を温泉に浸しておいたんです。少しは温かくいただけるかと思って。さ、ご飯にしましょう。寒かったら毛布もありますからね」
 包み込むような優しさと笑顔に、真名は「私すごく幸せ」と小さく呟く。
 悩んでいた事があった。
 通り過ぎた切なさがあった。
 けれど全てを温かく包み込んでくれるこの空間が、暗い気持ちを溶かしていく。


 人妖達を温泉に放り投げた御樹青嵐(ia1669)と輝血(ia5431)は、岩に腰掛けて温泉に足を浸した。ぴりぴりと毛穴から染み込んでいく温泉が、旅の疲れを癒してくれる。
「たまにはこういう気楽な依頼もいいね。足湯っていうのも悪くない……ふわっと気持ちよくなる感じ。足は一番動かすから、定期的に休めてやることも必要だね。ちょっとした旅行かも。青嵐の美味しい料理もあるし」
「色々な意味で疲れる依頼が続いてましたからね。しかし……料理が輝血さんのお口に合うか、ちょっと心配です」
「何言ってんの、青嵐のお弁当には期待してるのよ」
 輝血は重箱から顔を出した秋刀魚の蒲焼を口に放り込み、南瓜やサツマイモの天ぷらに抹茶塩を降った。栗の茶巾絞りは食後の楽しみ。
 にごり酒を器に注ぐ青嵐を見て、輝血は首をかしげた。
「青嵐、なんかちょっと顔が赤いけど気のせい? 熱いなら先に休んでてもいいよ」
「のぼせたわけでは……きっと温泉のせいで酒のまわりが早いのでしょう」
 言えない。
 足湯につかる脚や上気した頬、汗ばむ首筋に目が行ってました……なんて、言えない。
 いかに家事が優れていて女装をしている時が多かろうが、男である。ましてや大切な女性が薄着で隣にいて、全く意識しない男がいるとすれば、それは逆に異常だ。
 御樹は雑念を払う為、念仏のかわりに秋の料理品目と献立を考え続ける。
 しかし手元はおろそかになった。
「……青嵐、溢れてる。お酒溢れてる。かして、ほら」
「え、あ、これは失礼。……お酌して頂けるとは幸い。いつもより美味しい気がします」
「お酌くらいなら幾らでもしてあげるよ。何時もしてもらうほうだし。あのさ……青嵐」
 盃を傾けて喉を鳴らす。輝血は見慣れた横顔を一瞥すると、少しだけ隣の距離を縮めた。石の上に置かれた骨ばった左手の甲に、華奢な右手を重ねる。
「別に遠慮なんてしなくていいんだよ。何事でもね」
「……輝血さん?」
「月、綺麗だね」
 湯けむりの湖。
 星降る夜空を見上げて「ええ」と御樹は目を細めた。


 浴衣に着替えた刃兼(ib7876)は、冷気を感じて腕をさすり、温かい温泉に足を浸す。
「ここ最近、肌寒くなってきた、よな。朱宇子、あんまり深い場所にいくなよ」
 一足先に温泉に飛び込んで、浅瀬の深さを確かめていた朱宇子(ib9060)が、不思議そうに首をかしげる。
「え? あっちの方、深くて泳げるみたいだけど……行かないの?」
 朱宇子が沖を示す。
 温泉の湖は緩やかな傾斜になっていて、少しずつ深くなっている。一番深いところでは160センチあるらしく、大人が何人か面白がって泳いでいた。海や川で泳ぐ事はあっても、温泉で泳ぐという発想は余りない。
 刃兼が発泡酒を盃に注ぐ。
「……いや、俺が泳げないの知ってるだろ。溺れても助けてやれないぞ」
「え、あれ? 刃兼、まだ泳げなかったんだっけ?」
 グサッ、と言葉の矢が刃兼の頭に突き刺さる。
 極力冷静を装いつつ低い声で「残念ながらな」と返事をした。
「ご、ごめん。よ、余計なこと聞いちゃったかな」
 朱宇子が慌てて言い繕う。
 幼馴染だからか、刃兼の落ち込みが手に取るように分かる。
「いや、変えようのない事実だからな。こういう時、兄貴達に『お前の胃の腑は石でできてるのか』とか言われてたのを思い出すよ。全員、元気でやってるといいんだけどな」
 天儀に来てからも泳ぐ機会がなかった、と。
 笑いながら昔を懐古する。
「……ん? どうした、朱宇子」
 何処か遠くを見るような、眩しいものを見るような眼差し。
 刃兼に呼ばれた朱宇子は、何処か嬉しそうに微笑んだ。
「何でもない。刃兼が刃兼で、ちょっと安心したの。姉さんも、他のみんなも、元気かな」
 表情がころころ変わる。上機嫌の朱宇子を眺めた刃兼は『……俺、泳げなくて安心されてる、のか?』と脳裏に疑問符を飛ばしながら、星見酒を続けた。
 この満天の星空を、遠い地で暮らす家族も見上げているに違いない。


 ルース・エリコット(ic0005)は浅瀬に腰を下ろして半身浴を楽しんでいた。
 故郷では温泉に浸かる機会はなく、温泉というものを体験するのもこれが初めて。
 時々両足をばたつかせ、水鏡のような水面に波紋を描いで遊んでみる。
 星の姿を写した水面は、一枚の絵のように輝いた。
「ふぁ……今度、は……友人も、誘って……ゆっくりしたい、な」
 溢れる鼻歌。気を抜くとうっかり温泉に身をゆだねて、沈んでしまいそうだ。


 温泉湖の端では須賀 なだち(ib9686)が須賀 廣峯(ib9687)に寄り添っていた。
「偶にはこうして、二人きりで過ごすのも好いものですね」
 なだちの笑みに対して、アヤカシと暴れたりない廣峯は「……ま、人が多くて騒がしいよかマシだな」と呟き、妻の手料理を口に放り込んだ。
 つまらない仕事ではあっても、酒と料理が格別ならば許せる。
 そこへ通りかかった仰深(ib9688)に、なだちが気づく。
「あら、奇遇で御座いますね、かか様。ご一緒に一献いかがでしょう?」
「さて、これから洞窟の蒸し風呂にいこうと思うていてな。隣が虫の居所が悪そう故、どうしようか」
 あからさまに揶揄する声を聞いた廣峯が「……早く座れよ」と仰深に気遣いを見せる。
 珍しいと思いつつ、仰深は少しだけ足湯に浸かることにした。
 ぽつりぽつりと二人が歓談する様子を眺めていた仰深は、廣峯に「妻と温泉とは仲睦まじき事よ」と囁いて立ち上がった。突然のひやかしに「な、何言ってんだババア!」と顔を赤くして叫ぶ廣峯を見て、なだちが頬に唇をよせる。
 蝶がとまるような一瞬の柔らかさ。
「な、な、な、な」
「……仲睦まじい夫婦、です」
 恥ずかしそうに着物の袖で顔隠した。恥じる割に大胆なことをする。
「あ、阿呆! こんな、とこで……い、家帰ってからに、しろよ……」
 顔が酒と温泉と愛情で茹で上がる廣峯。
 遠巻きに夫婦を眺めた仰深は「よきかな」と呟いて、蒸し風呂の洞窟に向かった。


 音羽屋 烏水(ib9423)は、星降る温泉を眺めて創作意欲を掻き立てられていた。
 ついつい三味線を弾きたくなるが、ここは大事な楽器が痛まないように我慢である。
「し、しかし、なんじゃ……妙に落ち付かんのぅ」
 隣には偶然、居合わせた柚乃(ia0638)がいた。
 度々仕事で顔を合わせてきた者たちも、各所で温泉を楽しんでいる。
 ここは混浴で、皆なにかしら纏って湯に浸かる訳だが、慣れない者は挙動不審に陥るのが常だ。
「いやいや、いかん。いかんぞ儂! 薄着の女子をそのような目で!」
 勝手に意識して慌てる。なんだか居たたまれない。
 独り言で騒いでは落ち込む音羽屋に「……大丈夫?」と柚乃が声をかけた。
「おぉ大丈夫! 大丈夫じゃ! 滅多に温泉に浸かれぬ故、はしゃぎたくなった!」
「……そう、なの? 具合が悪ければ、天澪に運んでもらうから」
「心配ないぞ。さておき温泉卵や饅頭はいらんか? そこの御仁も!」
 音羽屋が声を投げた方向に和奏(ia8807)がいた。
 和奏は「後で……頂きます。……ちょっと検証してきます」と言って更に深い場所へ向かう。
 場所によって異なる温度が面白いらしい。つい先程まで浅瀬にいたのに、今は顎まで温泉に浸かっている。
「気持ちよさそうじゃな……ちと深く浸かってみるか。っはぁ〜…足休め足休め、とな」
 邪な発想も何処かへ過ぎ去り、温泉に骨抜きにされる。
 音羽屋から饅頭を受け取り、星空を見上げていた柚乃もまた、ふーっと深く息を吐いた。
「もう少し自分の身体を労わらないと……ですね」
 からくりの天澪は少し離れた場所で温泉に手を突っ込んで、ばしゃばしゃとかき混ぜている。
 持ち込んだお弁当が、何故かいつもより美味しく感じた。


 旗袍風水着を纏った東鬼 護刃(ib3264)は肩まで熱い温泉に浸っていた。
「はぁ〜……こうしてのんびりと足伸ばし、日頃の疲れを取るのも良いものじゃなぁ」
「ふふっ、護刃はいつもだらけていますし、そんなに疲れていないのでは?」
 言ノ葉 薺(ib3225)は意地悪な笑みを浮かべつつ「座れる場所まで戻りませんか」と身を翻す。
 二人共深い場所まで散歩してきたが、源泉が湧く洞窟に近づけば近づくほど湯温があがり、気づくとぶくぶく鼻のあたりまで潜っている。
 このまま気持ちよさに身を任せ続けると……溺れるのが早いか、湯あたりするのが早いか。
「む〜、わしとて、だらけているばかりではないんじゃぞ?」
 言ノ葉の背中に文句を投げた東鬼は、にたりと嗤って身をかがめた。
 水面に出ているのは顔の上半分。
 やがて、とっぷりと潜った。
「……おや? 護刃?」
 振り返ると東鬼がいない。
 慌てて戻ろうとした言ノ葉の背後から「すきありじゃー!」と叫んで東鬼が襲いかかった。
 ざっぱーん、とお湯が弾けて二人が沈む。温泉から顔を出した言ノ葉は、口に入った温泉水を吐き出した。
「ごほっ……護刃、やってくれましたね」
「ほっほぅ、わしを前に油断しておるからじゃ。実践ならば怪我どころではすまぬの?」
「そういう問題ではありません! 危ないでしょう! そこに正座なさい!」
 こんな深みで正座は無理だ。
 我を忘れて説教しようとしている言ノ葉に「すまんすまん」と詫びを入れる。
「後で尾の手入れも確としてやるでな。そう怒らんでくれな?」
「……では護刃、この尻尾。私の満足いくまで手入れをお願いしますね、さあ浅瀬にいきますよ」
 再び悪戯をされないよう、水面下で手を掴んで岸を目指した。


 水着で湖の沖で泳いでいたフェンリエッタ(ib0018)は、先ほどの派手な水柱を何事かと思いつつ、単なるじゃれあいと察すると、再び泳ぎに戻る。
 フェンリエッタの身長では一番深い場所で足はついても、呼吸は厳しい。
 額が出るか否か。
 男性を含めて人が余り沖にこない事を確認して、フェンリエッタは水面に浮かんだ。仰向けになると視界が星で満たされる。揺られるまま身を任せてみた。少し熱い温泉が全身を包み込み、冷たい風が顔を撫でていく。
「ふふっ、贅沢……星の海を泳いでいるみたい」
 片腕を空に伸ばす。
 月光に浮かび上がる白い腕が、少し艶やかになった気がした。
「温泉って効能があるんだっけ。美容にいいとか病気や怪我にいいとか……こう、怪我が絶えない開拓者には、美容より健康第一……かな、ふふ」
 希儀の存在が確認されてから、最近は特に危険な仕事を請け負うようになった。
 そんな忙しい日々の中で、全ての疲れから解放されるこの一瞬が、たまらなく安らぐ。
「次の機会があれば、家族や友達と一緒に来たいなあ……旅行を贈り物にして、ゆっくり過ごしてもらうとか、観光地探しも楽しいかも」
 揺り篭に揺られるように、フェンリエッタは波に身を任せて瞼を閉じた。


 洞窟風呂の手前では人だかりができていた。
 地べたに寝かされているのはずぶ濡れの蓮 神音(ib2662)で、傍らにいるのは神咲 六花(ia8361)だ。二人で手をつないで浅瀬から深い位置まで移動し、洞窟風呂を目指す途中で湯あたりを起こして溺れたらしい。
「神音! 神音!」
 これは人工呼吸して誰か巫女を呼ぶしかない……そんな話が出て、ひとまず人工呼吸をーと神咲が唇を寄せた時、蓮が目覚めた。
 ぼやぁん、とする蓮の視界を埋め尽くす赤い髪。
「……にーさま? わ、わわわぁぁぁっ!」
 どん、っと反射的に押した。
 後ろは温泉湖。
「「あっ」」
 どぼーん、と神咲は背中から落ちた。
 数秒後、ずるりと這い上がってきた神咲の眉間に縦皺が刻まれて低い声が「神音〜」と突き落とした犯人を探していたが、周囲から気絶していた事を聞かされた蓮は「ごめんね」と平謝りしていた。ずぶ濡れの赤鬼の怒りも解けていく。
「ふー……とりあえず神音が無事で良かった。どこも痛いところはないかい?」
「え、えっと人工呼吸で助けよーとしてたんだってね」
「……う、うん。何事もなくてよかったよ」
 かーっ、と顔が赤くなる二人の周りには、既に誰もいない。
 神咲は蓮の額にキスを送ると、小さな手をひいて、再び洞窟温泉の入口へ向かう。
 顔を赤くしていた蓮が立ち止まって「にーさま、みて」と来た道を振り返った。
「湖に星が映ってるよ! 綺麗だね!」
「うん。この星たちの輝きも、神音には到底かなわないな……今日は、一緒に来てくれてありがとう、神音。ささくれだった神経が落ち着くよ」
「どーいたしまして」
 にぱ、と笑って洞窟の湯けむりの奥へ消えていく。


 洞窟は温泉の湯気に満ちていた。当然ながら湿度は高い。
 出入り口に設置された鉄製の案内板は、温泉にやられて随分と腐食していたが、手摺がわりの荒縄を掴んで進めば、内部を一周できることが分かった。
 足元は絶えず少し熱めの温泉が流れてくる。
 水着姿の天河 ふしぎ(ia1037)は、同じく水着を着た果林(ib6406)の手をしっかり握り、事前に『何があっても守るから』と誓ったとおり、足を滑らせても支えてみせた。
「視界悪いし滑りやすいけど、これなら安心なんだぞっ……結構熱いけど気持ちいいね。すぐのぼせるかもしれない。果林は大丈夫? 無理しちゃだめなんだぞ」
「えへへ、大丈夫です。凄く久しぶりの温泉なので、もうちょっと奥にいってみたいです」
 何も見えない蒸し風呂の中は、天河の手と荒縄だけが頼りだ。まるで別世界に向かっているような、わくわくした気持ちになる。最奥では五十度が湧いているだけあって、中を一周し終える頃には、二人とも体が真っ赤になっていた。
 火照った体には、秋風の冷気が嬉しい。冷たく冷えた岩清水が喉を潤す。
「ふぅ、生き返る……ありがとう、果林」 
「どういたしまして。蒸し風呂の中って広くて、探検してるみたいでしたね。何度か横になっていた殿方を踏んでしまいましたけど」
「あ、あれは通路に横になってる方が危ないんだぞ。果林は悪くない」
「あは、そうですか? ……天河様。私、故郷を追われ行く先もなかったけど、今、凄く幸せです」
 とびきりの笑顔で囁いた。


 滑りやすい足元に気を配りながら、伊波 楓真(ic0010)は壁に楔で打ち込まれた荒縄を辿る。
 噂の洞窟は、内部から黙々と白い湯気を吐き出していた。
 何も見えない。
「おぉ! これが洞窟温泉か! 足元、あっつ! 奥はもっと熱いのか……ああでも、湖部分が風呂みたいなものだし、蒸し風呂だって話だから丁度いいのか、も……ぬあぁ!?」
 早くも足が滑った。
 奥では高温の源泉が湧いているという話だから仕方ないかもしれない。
 刹那の空中浮遊を体感した伊波は、岩に後頭部や背中をぶつける事を覚悟していたが、誰かが腕を引いた。
「大丈夫ですか?」
 湯けむりの向こうから現れた白銀の髪に青の瞳。女物の浴衣を纏った華御院 鬨(ia0351)だ。一瞬、女性に見間違えて、心底慌てた伊波も、相手が男だとわかると胸をなでおろした。
「ありがとうございます」
「いえいえ。お怪我がなくて良かったです。奥の源泉で無料の温泉卵が煮えてますよ」
「そうなんですか? ここにはよくこられるんですか?」
「いえ、今日初めてです。でも一番風呂を頂いたので。少し涼んできたので、これから二回目です。寝そべったりできる場所もありましたよ、ご案内しましょうか?」
 仕事を忘れてゆっくり楽しみたいという華御院の願いは此処で叶った。
 伊波は「お願いします」と華御院についていく。
「なんていうかこう……全身の毛穴が開いていく感じですね」
「ええ。気持ちがいいのでついつい長居してしまいますが、これ以上体重が落ちると、痩せすぎてしまうのが問題ですね」
「あんれまぁ、羨ましい。あんさん、女の敵やわぁ」
 くすくすと笑う声は華角 牡丹(ib8144)だった。とっておきの場所で、ごろごろと寝そべっている。浴衣に前結びの帯という彼女の格好に艶かしい姿勢は、廓の女独特の空気を醸し出していた。平然としている華御院の後ろで伊波が慌てた。
「女性!? お、女風呂!?」
「面白いお人やわぁ。おあがりなんし、ここは混浴なんよ。わっちも特別混浴が嫌な訳でもありんせんし、湯煙もありんすから、別段気にする事はありんせん」
 華角がぺちぺちと隣の岩肌を叩く。
 早く座れという意味らしい。
 殆ど何も見えない湯けむりに感謝しつつ、華御院と伊波は熱めの湯が流れる岩肌に寝そべった。岩肌を舐めるように流れていく温泉のおかげで、横になっても溺れる心配がない。
 三人が温泉に疲れをとかしていると、ふいに姫烏頭(ic0009)が現れた。
 顔が赤い。
「は、は、破廉恥なぁぁぁあああ!!」
 浴衣を纏っていた姫烏頭は、長い前髪で必死に顔を隠しつつ、奥へ走っていく。
「今の人……どうしたんでしょうか」
「その前に奥、行っちゃいましたね。のぼせないかな」
「ははぁ、混浴やって知らんかったんやね。そのうち慣れるに違いありんせん。けど、きっと慣れる前に、奥の湯で茹で上がるかもしれ……」
 ばしゃーん、と遠くから水の跳ねる音が聞こえた。そして広がる静寂。
 動く気配がない。
 華御院と伊波が顔を見合わせて、慌てて救出に向かう。
 一方で。
「……大丈夫かな? 大丈夫じゃないよね……お〜い」
 転倒した姫烏頭を最初に発見したのは紛琴 殃(ib9737)だった。
 先客の紛琴を見て、急遽身を翻した姫烏頭が足を滑らせた……と言った方が正しい。
 浅瀬の足湯から沖へ出て、体も湯温に慣れた紛琴は、洞窟風呂の最奥でかぶりものを脱ぎ、折れた角の手入れをしていた。湯けむりで視界が明瞭ではない為、長い髪をおろした紛琴を勝手に女性だと誤認したにすぎない。
 床で失神している姫烏頭の頬を「大丈夫〜?」とぺちぺち叩いてみる。
「うう、何も見てないです何も見てないです」
 大丈夫そうだ。
「あはは、やだなぁ。僕は男だよ〜。それに此処は混浴らしいから、別に怒られないって。起き上がれる? もし頭をぶつけたなら外に出て休んだ方が……」
 長閑に喋っていると、救出せねばという使命感に駆られた男二人が走ってきた。
 ちなみに温泉は滑るので、決して走ったりしてはいけない。
 賑やかな声は洞窟中に反響して外へ溢れていく。


 水面に星降る秘境の温泉。
 輝く星々の囁きに耳を傾け、木々の息吹に包まれる憩いの地で。
 私たちは今宵も疲れた身を休める。明日から再び始まる、忙しい日々に備えて。