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■オープニング本文 紅に桃色、黄金に真珠。 視界に広がる大輪の菊花が、観光客を出迎える。 大菊、中菊、古典菊、小菊と。その数およそ4000鉢。 朱塗りの鳥居が立ち並ぶ参拝道の両脇には、地元民が育てた渾身の菊花が隙間を埋めるように並べられていた。石畳の花路から丘上の境内へ進むと、一本の幹から伸びた巨大な花手鞠が人々を圧倒する。これも全て菊だ。千輪近くの菊花を円形に仕立てた大数咲。境内を彩る風景花壇には三万本の菊花が惜しげもなく飾られる。 ここは五行。結陣の外れにある小さな社だ。 毎年この時期になると、寂れた社は菊祭で息を吹き返す。 人々は丹誠込めて育てられた菊を眺めて心を和ませ、参拝道途中の小料理屋で『菊花膳』を楽しんでいた。 菊花膳とは、菊の花をふんだんに使った花の膳だ。 菊の花が食べられるということを、知らない人もいるだろう。 酢を少し加えた熱湯でさっと湯がくと、菊の花はより鮮やかに生まれ変わる。 まずは黄菊を用いた菊ご飯。 ほのかな香りと甘みにしゃきしゃきした食感に、大根菜の緑と塩味が秋を感じさせる。 紫菊のおひたし、酢の物に胡麻和え。 勿論、少し苦みのある花心をつけたまま、花衣を纏わせて天麩羅でからっとあげたり、湯がいた白菊を吸い物に浮かべると、なんとも可憐で華やかだ。 そして今宵も、一ヶ月間の菊が織りなす祭が始まる。 + + + 「菊祭の警備?」 「警備というか、足腰の悪いおじいさまやおばあさまの補助とか、お客様誘導ですね。昼間の二時間くらいのお仕事で、夕方から夜は自由にしていいそうですよ」 祭と聞くと、心が躍る。 夜は鬼灯型の提灯を持って歩くのがお決まりだという。 こうして菊祭へ出かけることになった。 + + + 今年の風景花壇は……少しばかり変わっている。 例年の庭師が腰を痛め、複数の開拓者が風景花壇を描いた為だ。 一番の目玉は細部まで品種にこだわり抜いた『秋』で、大輪の菊を敷き詰め、紅葉の山をかたどる。近くにはススキに見立てたやや薄い黄色がかった白い菊を配し、薄が並ぶ光景に見える様工夫されている。地面はススキの海に見立てたやや黄色がかった細い菊でしきつめ、菊の細い白を川の清流の流れに見立て菊の地面の間を通る、菊の清流を差し込んでいき地面の『ススキ』にアクセントをつける。空を描く菊を秋の陽に見立て、その周囲の空を二種の菊で組み合わせて濃淡のある雲を表現し、秋の空に斑雲を表す菊を配置してあった。 そして変わり種で子供に人気のある『えんじぇる・ぬいぬい』は、翼を持つウサギぬいぐるみや熊ぬいぐるみ型に仕立てられた大輪の菊だった。ぽわぽわした黄色い菊でウサギを描き、ぽわぽわした白い菊で翼を型どり、赤い小菊が襟首のリボンを演出する。暗褐色に近い濃い赤菊でクマぬいぐるみを型どり、こちらも白い菊による翼が欠かせない。隙間や背景には、茎の背丈が少し短く、花芯が黄色いが外周は白いという、愛らしいぽわぽわな小菊で埋め尽くし、図を引き立たせている。 そばにある『誰もが思い描き、納得するもの』と題された花壇は、中央に同色の大菊を集めて、巨大な大輪の大菊を描いた。花弁の輪郭は微妙に色の違う大菊で陰影を表し、複雑な花弁の構造は櫓に登って幾度も調整を施した熱の入れようだ。完成した特大の大菊の外周を彩るのは、抽象化された菊花の文様に他ならない。文様は何一つとして同じものはない。 他にも『深淵たる空の光景』、『見返り美人』や五行の観光名所を一枚絵に集めた作品など多彩な花壇がある。 あなたのお気に入りは見つかるだろうか? |
■参加者一覧 / 滋藤 御門(ia0167) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 弖志峰 直羽(ia1884) / からす(ia6525) / 叢雲・なりな(ia7729) / レグ・フォルワード(ia9526) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 真名(ib1222) / 杉野 九寿重(ib3226) / ソウェル ノイラート(ib5397) / 叢雲 怜(ib5488) / ローゼリア(ib5674) / アルセリオン(ib6163) / フレス(ib6696) / 月雪 霞(ib8255) / 音羽屋 烏水(ib9423) / 木葉 咲姫(ib9675) / 弥十花緑(ib9750) / 鬼嗚姫(ib9920) |
■リプレイ本文 茜色の空と灯る石灯籠が、美しく菊花の海を照らす。 昼間は秋特有の斑雲が空を覆い、もしや一雨来るのか? と不穏な予兆を示しておきながら、夕暮れの頃合いになっても雨はおろか薄雲ひとつ張らなかった。 天は祭を愛したらしい。 今夜は菊の風景花壇のみならず、美しい星空と冴えるような月を望めるに違いない。 警備の仕事を終えた開拓者達は、友や恋人を連れ、或いは一人で石畳の道を歩き出す。 茜の空へ夜の帳が落ちる頃になっても、菊祭は賑わっていた。 路を彩る無数の菊を、ただ眺めるだけの祭。 けれど今を咲き誇る花の表情は、人々の心を揺さぶるものだ。 鬼灯型の提灯をふたり分持ったアルセリオン(ib6163)は、妻が来るのを落ち着き無く待っていた。 「アル、お待たせしました」 鈴の音のような済んだ声音。 仕事着から御洒落着に着替えた月雪 霞(ib8255)の儚い姿と、ヴェールに隠れた愛しい微笑みに、アルセリオンは思わず見とれた。 「まあ、その提灯……ふふっ可愛らしいですね。片方は私の分ですかね、アル? ……アル? ……私、何かしてしまったでしょうか?」 立ち尽くしている夫の顔色を伺う。 アルセリオンは我に返った。 「え、あ、いや。その……着けてきてくれたんだな、と思って。見立て通り、よく似合っていて安心したよ」 誕生日の時に贈ったドレス。ジルベリアの風習に則り永遠を誓った絆の指輪。 月雪は左手薬指の指輪を、そっと撫でた。 「勿論です。……これは、私が私でいても良いという証……このままの私で、生きていても良いという証。例え鬼であっても、私は私だと……アル、あなたが与えてくれた幸せの証明ですもの」 自然に手をつないで、菊花に彩られた石畳の道を歩き出す。 月雪は菊の花を眺めながら、師の事を思い出していた。叶うならば、今の幸せを伝えたい。 一点の曇りもない、幸福な日々であると胸を張れる。 そしてそれは……アルセリオンも同じだった。 変わらぬ景色と、変わらぬ温もり。けれど一年前とは違うものが、ここにはある。 「霞」 「なんです、アル?」 「俺は……この繋いだ手を、決して離しはしないよ。共に生きていこう。これからも、ずっと。傍にいてほしい」 何度でも誓える。言葉にするから意味がある。 月雪は、手を強く握り返した。 「アル……私も、これからも共に歩んで生きたい……全てを受け入れて『私』を愛してくれる……本当に大切なあなたと、どこまでも」 「また来年も……一緒に見に来ようか」 「はい、旦那様」 私たちは、ふたりでひとつ。 菊花に彩られた石畳の階段を、恋人たちが歩いていく。 同じように見えても二つとして同じ花はない。鉢に添えられた出品者の名前が、一輪一輪が大切に育てられたことを表している。 軽やかな足取りで道を進むソウェル ノイラート(ib5397)を眺めて、レグ・フォルワード(ia9526)の口元は薄く弧を描いた。 ……やっぱり、今日も楽しそうにしてやがる。 誘ってよかったと思える。 けれど最近、不安が脳裏を掠めるのだ。 彼女が楽しそうに見えているのは、自分だけではないのかと。そう思い込んでいたいだけではないだろうかと。 知らず立ち止まっていたフォルワードに気がついたノイラートが「どうしたの?」と声をかけて手を引いた。見上げた表情は、何か眩しいものを見ているような、遠い眼差しだ。 「なぁ……ソウェル。お前、俺といて……楽しいか?」 「んー、レグと一緒なのは嬉しいし、楽しい」 こっくりと頭が上下に揺れる。 「本当か? 無理してお世辞とか、しなくていいんだぜ?」 「お世辞って……レグったら、どうしたの? 私はね。元々こんなふうに二人で出かけられるなんて、思ってなかった。当然よね。だから天儀に来た頃は、並んで歩けるなんて全然想像してなかった。それに今年は季節行事と縁が薄かったから、尚更、菊祭に誘って貰えてうれしかったし……きゃ!」 赤褐色の腕が、つらつら喋っていたノイラートを抱き寄せた。 危うく段差を踏み外すところだ。 文句を言ってやろうとした唇を塞がれて、ノイラートは目が点になった。 ここは祭の花道で、往来である。 「……れ、れれレグ、レグってば! ここ人、人前!」 抱かれる事も口づけにも抵抗はない。 しかし大衆の視線に晒されるのは恥ずかしい。 普段は手を繋ぐ程度で満足しているのだから、至極当然の反応と言える。 慌てるノイラートを抱きしめながら、フォルワードは「見せつけるくらい、いいだろ」と適当な事を言って、愛しい人の変わらない優しさに浸っていた。 充分、待たせた。 腹の括り時も近い気がする、と胸の内で思いながら。 赤、白、そして黄色。 ひと組の人影が、人の波をすり抜ける。 菊花の海は駆け抜けても、駆け抜けても、途切れることがない。 叢雲 怜(ib5488)は、着飾ったなりな(ia7729)と逸れないように手を握っていた。確かな温もりと鮮やかな視界が、二人の胸を高鳴らせた。 「あ、怜ちゃん待って! 草履の鼻緒が切れたみたい」 「なりな姉……大丈夫、ちゃんと元通り直るのだぜ!」 通路の端に移動して、切れた鼻緒を修理する。 器用な指先だ。 普段よりも大人しい自分を自覚しつつ、なりなは叢雲の額に口付けて言った。 「ありがとう。それと……怜ちゃん誕生日、おめでとう」 過ぎてしまった誕生日。 だけど祝う気持ちは大切なものだ。 なりなは照れた顔をしながら、指先で柔らかい唇に触れた。 「こっちは怜ちゃんからしてね」 甘いおねだりに目をぱちくりさせた叢雲は、言葉の意味を理解するにつれて、顔が紅潮していった。 しかし何か意を決したのか、真剣な眼差しで唇を寄せた。 「……なり、な」 蝶が羽ばたく様な、触れるだけの優しいキス。 驚いたのは、なりなの方だ。普段は『なりな姉なりな姉』と可愛いばっかりだった叢雲が、始めて呼び捨てで名を呼んだ。本人はというと、しどろもどろで何か言っている。 「え、えっと……これはその、こ、この方が恋人らしいと言うか……なのだぜ」 後悔はしていない。 菊の花が見守る小さな変化は、波紋を描くように静かに優しく広がっていく。 昨年は友人と来た菊祭を、今年は滋藤 御門(ia0167)と一緒に歩いている事を、フレス(ib6696)は不思議な気持ちでとらえていた。 実感がわくような、わかないような。 「末吉だって。フレスはどうだったの?」 「うー、小吉だったんだよ。早く枝に結んで、次に行きたいんだよ」 時の流れは様々なものを変えていく。昨年は菊のお菓子や花のお膳にばかり興味が向いたのに、今年は大切な人と手を繋ぎ、歩き疲れるまで菊の花をみていたい、とフレスは思った。 勿論、知り合いが設計した風景花壇を全て見たいという気持ちも強い。 手鞠のように石畳の道を跳ねるフレスは、手を離すと何処かへ行ってしまいそうだ。 「そんなに急がなくても、花壇は逃げないよ。フレス」 燥ぐ様子に笑みが溢れる。 「……もしかして御門さん、ゆっくり見学したかった?」 我に返って不安げな顔をしたフレスの頭を、滋藤は優しく撫でる。 「そんな事ないよ、気にしないで。フレスが喜ぶ姿が……僕は一番見たかったから。菊よりも何よりも勝る、僕だけの大切な花……だからね」 ボッ、とフレスの顔が赤く染まり、耳が落ち着き無く揺れた。。 「ほ、ほ、ほら御門さん! あれカワイイ!」 逃げた。 行き場のない手をおろして、滋藤がのんびり追いかける。 「他の花壇、どれも奇麗だったり楽しかったけど……お気に入りは『えんじぇる・ぬいぬい」かな! とっても可愛らしくて素敵な感じするんだよ」 「確かに『えんじぇる・ぬいぬい』は可愛いね、上手くぬいぐるみの姿を再現しているし」 「もし良かったら、御門さんのお気に入りも聞かせてほしいな」 「そうだね……僕は『深淵たる空の光景』かな、込められた作者の想いが感じられる気がして」 あれはなんだか難しいんだよ、とフレスの耳が垂れて、話は評論に写っていく。 滋藤の小菊が花咲くのは、まだ当分先のようだ。 ところで一人、きょろきょろと辺りを見回していたのは鬼嗚姫(ib9920)だった。 「まだ……人が、いっぱいなのね……お花、菊のお花……綺麗。兄様、お好きかしら?」 時折、黄色の菊に目を留めて、着物が汚れるのも気に止めずに屈み込む。 花言葉は……高潔、ろうたけたる思い、そして、わずかな愛だ。 「兄様みたい」 その時、賑やかな三味線の音色が聞こえてきた。 なんだろう、とふらふら人混みに向かっていく。 道端では、白毛に璃寛茶の鬣をした、もふらのいろは丸を連れた音羽屋 烏水(ib9423)が三味線を弾いていた。 やがて向こうは鬼嗚姫を見つけ、一曲終えてから声をかけてきた。 「警備の時で一緒だったのう。誰かとはぐれたかの?」 「……はぐれた? んーん、きおは……ひとり。お祭り、みてるの……何を、しているの?」 「わしは見ての通り演奏じゃ。鮮やかな菊花の道に、斬新な風景花壇。創作意欲も刺激されるというものじゃろう! ……といっても、腹が減っては戦はできぬ、とな。これから菊花膳を食しに行くが、一緒にいくかの?」 ぼーっとしていた鬼嗚姫は「きお、も、いいの?」と首をかしげた。 「誰かと共に食べた方が美味しさも増すというものじゃ、いざ参ろうぞぃ!」 賑やかな音羽屋と物静かな鬼嗚姫は、小料理屋を目指して歩き出した。 肌寒くなってきた秋の風。 境内の仮設喫茶で抹茶や甘酒を楽しむ人々は屋内に入るより、何故か軒先や窓辺の席に好んで座った。朧な石灯籠の明かりに照らされた風景花壇を、お茶を飲みながら眺めるのも、昼間と違う粋がある。 「……風流ですわね」 「段々秋が深まってゆく頃合ですから」 そして返事が途絶える。 杉野 九寿重(ib3226)は、ぼんやりと過ごすローゼリア(ib5674)を一瞥した。 心ここにあらず、といった様子に、心当たりがない訳ではない。 「華やかな菊の数々を愛でるのは良いのですが……五行の結陣と申せば、かの『生成姫』に多少の縁が近い場所と伝聞で聞きました。ローゼ。最近、何か無理していませんか?」 「……ずいぶん踏み込んで来ますのね」 「警備仕事が上の空でしたもの。違う、と言い切れますか?」 じろりと睨むローゼリアの視線を気に求めず、杉野は話を続けた。 「何か悩みがあるのでしたら、悩めるうちに一度吐き出して、改めて心を落ち着かせてみるのはどうなのですかね? 随分違うと思いますが」 ローゼリアは瞼を伏せて菊花に向き直り、茶菓子を口に放り込んだ。 「全く、あなたやお姉さまでなければ噛み付いてやるところですわ」 「まあ、怖い」 「……九寿重、あなた……過去に下した決断を、後悔した事はありますの?」 腹を割って話す気になったらしい。 ローゼリアは温かい茶器のぬくもりで指先を温めつつ、独り言のように悩みを語る。 「……選ばなければならないから選んだ。結果的に片方を切り捨てた。そして決断を下した責任が、いつまでも背中につきまとう。私達の選択は、本当に正しかったのか……正しい道だと信じても、結局そこには迷いや不安がある。……堂々巡りなのですわ」 「決断を信じたのでしょう?」 杉野は皿が空になったのを見て、お品書きを手渡した。 「ならば、後悔をしないように力を尽くすまで。違いますか」 追加注文だ。 今宵はとことん話に付き合ってくれるらしい。やはり持つべきものは友である。 抹茶といえば、甘い茶菓子が付き物だ。 漆塗りの器に、ちょこんと乗った黄色い餡菓子は『菊手鞠』という名前らしい。 「菖蒲さんの分の甘酒やお抹茶は……あ、お猪口を借りしましょう」 アルーシュ・リトナ(ib0119)は店員を呼んで、御猪口や小皿、爪楊枝などを頼む。 真名(ib1222)の人妖、菖蒲の為だ。 「お団子やお菓子はいりますか? 頼んで小さく切り分けてお渡ししましょうね」 膝に乗せた人妖の為に、てきぱきと支度する。 抹茶を片手に、茶菓子をほおばる菖蒲を見て、真名も微笑ましい気持ちになった。 リトナと真名は甘酒にわらび餅を頼んである。茶器から、うっすら立ち上る甘い湯気。甘酒は冷たい夜空の下でも、二人の体を温めてくれる。 「色々ありがと姉さん。こんなに菊が揃うと壮観ね」 「ええ、見事ですね。菊と言う花がこれだけ多くの大きさ、色があるなんて……品のある静かな香り、ですね」 「姉さんがいて、皆がいる。こんな日がずっと続けばいいな」 そう呟く傍らの真名の横顔を、リトナはじっと見つめる。 「真名さん……何か、ありましたか?」 「……ね、この後でおみくじひかない?」 問いの返事はなかった。 見間違いかもしれない。はぐらかされたのかもしれない。 でも急ぐ必要なんてなかった。時間なんていくらでもある。リトナは優しく微笑んで「ふふ、せーの、で、見せ合いましょうか」と言って甘酒を飲み干す。 この後、真名は中吉、リトナは大吉をひいて、羨ましがられていた。 茜の空はいつの間にか、満天の星空へと変化していく。 けれど昼も夜も輝く花回廊は、人が作り出した夢の花道である。 境内に到着してお御籤を買った水鏡 雪彼(ia1207)は、読むのを後回しにして「お茶しながら見よう」と弖志峰 直羽(ia1884)に強請った。 体を温める甘酒や、小腹抑えのおしるこも捨てがたい。 水鏡は器で指先を温めながら、はぁ、とを吐いてみた。まだ白くはならないが、風は冷たい。 首筋をかすめた冷気に、ぷるりと震える。 「夜だからひんやりするね、直羽ちゃん。晴れた日の昼間は、まだ少し暑いと感じるけど……やっぱり季節は移っていくよね」 「雪彼ちゃん、大丈夫? 寒くない? はいこれ、よかったら」 弖志峰は店の奥からひざ掛けを持ってきた。暫くすると店員が火鉢を足元に運んでくる。小さな心遣いに、胸が陽だまりにいるように温かくなった。 水鏡は甲斐甲斐しい弖志峰を見つめる。 二人で此処にいる事が少し不思議で、同じくらいの安心感があることに気付く。 「どうか、した?」 「え? う、ううん、なんでもないよ」 いつのまにか水鏡の視線は、菊花ではなく弖志峰だけをとらえていた。 甘酒を飲みつつ菊を見直す。弖志峰が甘酒のお酌をしながら、急に明るい声を上げた。 「あ、知ってる? あの菊の花壇ね、拠点の仲間が手がけたのもあるんだよ! 皆、多芸っていうか、良い感性してるよね。ほら、あっちとか」 「そうなの? 菊、綺麗! あれ、拠点の皆が作ったんだ。凄いね」 そして会話が静まり返る。 なんだか急にぎこちない。居た堪れなくなり、思い出したようにおみくじを取り出した。 「直羽ちゃん、おみくじ……ちゃんと見よっか。十五番、吉だって。えっと……運勢が、苦難こそ自分を楽しみに導く契機であると勇敢に事に当たりなさい。人生は安穏無事である理由がない。喜んで巌の道を辿り続けてこそ、雄大な連峯に遊ぶことができる。願望、強く自らを信じ屈しなければ成就。交際、腹を立てては自分の損です。縁談、思わぬところに良縁の話あり。産児、産後に注意、愛育法を研究しなさい。事業、生活面に全力を傾けて成功。試練、弱点の研究を要す。病気、不注意が意外の患となる。転居、どの方にてもよし……なんだか難しいね」 水鏡が「直羽ちゃんは?」と尋ねた。 「三十七番、吉。おんなじだね。だけど運勢は……社会は冷たい雪の朝と同じだ。面白く楽しく温いものにするのは、古来から変わらぬ人間の心の力である。芸術の尊まれる理由も、そこにある。心に余裕のある生活を押進めて吉。願望、春風のような気持ちでゆとりをもて。交際、金で失敗する。注意。縁談、現実的なものの考へ方の相手がよい。産児、早くなるが児は丈夫。安産。事業、助言をできるだけ集めて判断せよ。試練、思わぬ失敗がある。あわてないこと。病気、治りは早い。転居、今のところより東の方によい家あり」 ふたり揃って『吉』を引いていた事が妙におかしかった。 「お互い書いてあることは違うけど、直羽ちゃんとお揃いだね。……もう一回季節が来たら、ここのお祭り、一周しちゃうね」 二人で歩いた、四季の祭。 「直羽ちゃん、また一緒にお祭りいこうね?」 変わらない穏やかな時間と、傍らに大事な人がいる嬉しさが二人の時間を包んでいく。 境内に呼び物の花があるとなれば、当然人は集う。 観覧客が多ければ多いほど、仮設喫茶の相席が増えていった。とはいえ見知らぬ者ばかりではない。祭などの警備仕事はギルドによく持ち込まれるので、何度もこなすと、自然と仕事仲間は同じ顔ぶれであることに気づいたりする。 偶然、席を同じくした三人娘もそうだった。 からくりの天澪を連れた柚乃(ia0638)は季節の栗和菓子を頼み、フェンリエッタ(ib0018)は抹茶を頼む。からす(ia6525)は団子を食べながら、二人が気になったという風景花壇の説明をしていた。 「さっき……天澪がえんじぇる・ぬいぬいにとても興味を示していて、……連れてくるのが、大変でした」 「あれもまた若手に人気だね」 「高貴な菊にも、豊かな表情すごいなって思いました。からすさんのも、ありましたよね? あ、お抹茶、こっちです!」 迷ってる店員を発見して呼ぶ。 フェンリエッタが「お先に頂きます」と手を合わせた。からすが「どうぞ」と差し出す。 「私の作品は、あることはあるけど、何、大した事はしてないよ。私は設計しただけ。菊の美しさあってこその花壇だよ。菊花一つひとつが既に芸術だった」 届いた和菓子に手をつけようとして、柚乃が何かを思い出す。 「そういえば……私、おみくじ、みてなかった」 柚乃が懐を探る。フェンリエッタは「私もです」と小さな包みを手にする。 「運試しというやつだね。あけてみたらどうだろう」 言いながら、からすは空になった二人の湯呑に温かいほうじ茶を注いだ。 「そうですね! いざ運試し!」 ぺりぺり包み紙を破りながら、フェンリエッタはつらつらと胸の内を語り出す。 「私が今一番気になるのは……仕事運、運も味方にしたいくらいだもの。去年は吉だったけど……そもそも私、吉凶の種類がどれくらいあるか知らない……」 境内でひいたおみくじの棒には、番号が書かれていた。同じ番号の引き出しから、このおみくじをもらった。棚の引き出し数からして、冷静に考えれば内容は百種類あるということになるが、吉凶の種類自体はそう多くないと聞く。 柚乃も包装紙を剥がして、籤に注目する。 「御神籤楽しみ、結果にドキドキだけど……っえい!」 「今年は如何!?」 柚乃は『末吉』で、フェンリエッタは『小吉』と出た。 「えーと……末吉の運勢。めまぐるしい世間に心も眼も奪われている。いかなる苦難も心ほぐれることから超えられる。願望、明るく朗らかな心で待て。叶う。交際、慎重に選べ。安易な行動は悔いる。縁談、決める前に今一度家族にとへ。産児、容易い。愛育法を学べ。事業、二兎を追っては失する。試練、努力を最後まで続けよ。成功する。病気、気長に療養のつもりで休め。転居、いそがぬほうが良い。方向西南……」 一方、フェンリエッタはというと。 「小吉……かしら。運勢、暗夜の中は一歩も進めない。頼るものは手に持つ提灯の光です。自己に対する信頼、強い自信を失っては何もできぬ。百難に打克つものは、信念に堅く頼む動ぜない力である。願望、分に応じているか反省しなさい。交際、相手に親切が先ず第一です。縁談、傍き目をふらず、相手を信じなさい。産児、愛育法を研究せよ。事業、世の為めです。頑張つて努めよ。試練、努力は良い結果を得る。病気、軽いが注意しないと長引く。転居、当分今のままで待ちなさい……?」 二人は顔を見合わせる。 「……人生は楽しい事半分、苦しい事半分ですかね?」 そう言ってフェンリエッタは笑った。 参拝道の片隅にある小料理屋は、菊祭の時期になると菊花膳を求める人で溢れかえる。 菊花膳は、菊の花づくしの懐石料理に他ならない。 苦みの薄い食用菊を使うのかと聞かれれば確かにそうだが、地元民は食用だろうと観賞用だろうと、関係なく摘んで料理してしまう。基本的に育てるのが難しく手間暇がかかる花だが、人々は花を愛でつつ花を食するこの季節に備えて大量に菊を育てていた。 今年もまた菊花膳を求める人の数は多い。 礼野 真夢紀(ia1144)はからくりのしらさぎを連れて、料理屋に来ていた。 「おねーさん、菊花膳二つ」 何やら真剣な眼差しで注文した。しらさぎは「……ミンナ、タべてる」と不思議そうな声を発している。礼野はからくりに『菊花は死者に供える事に一番好まれる花』とだけ教え込んでいた為である。観賞用としても好まれて、地域が違えば食用になるという事実も、きちんと教えておかねばならない……という結論に至った。 お膳が運ばれてきてから蓋を開けると、中はまさに菊の宝石箱だった。 「イロキレイ。でもシャケない……シャケあれば3食ご飯です」 「あ〜、そっか、家じゃ菜飯にしちゃうから……えっと、しらさぎ。これはもう味が付いてるの。これは、こういうご飯なの。鮭を使うと、菊の花の香りがわからなくなっちゃうからね。さ、食べてみて」 しらさぎの味覚を人に近づけたい。 その涙ぐましい努力は、少しずつ実を結んでいた。 一方、奥座敷の方でゆっくりとした時間を味わう者たちもいる。 弥十花緑(ib9750)と木葉 咲姫(ib9675)だ。 窓辺から見る花道は無数の提灯が揺れ、橙色の光に照らされた菊花が萎むことなく咲き続ける。 昼と違う夢の回廊が、格子の窓辺からはよく見えた。 「……なんや、風情のない輩と一緒ですみません、咲姫さん」 「風情、ですか? ふふ……お気遣いありがとうございます。でも花緑さんは花緑さんでいてくださいまし。私などに気を使わずともよいのです」 和やかに語らう木葉と弥十の席にも、菊花膳が運ばれてきた。 蓋を開けると花に満たされた料理の数々が、小鉢や仕切りの中に敷き詰められている。 「咲姫さんは……菊花膳、食べたことあります?」 「いえ、初体験にございます。綺麗で可愛くて、少々食べるのが勿体のうございますね」 「実は俺も、です。食えるんは知ってたんやけど……中々機会がなくて。この花そのままの揚げ物とかも可愛らしいし、色鮮やかで綺麗やし、俺はこういうの好きで」 童心にかえったような燥ぎぶりを見て、木葉は柔らかに微笑んだ。 「花緑さん、今日はご一緒できて嬉しゅうございました」 深々と頭を垂れる。 「……こういう息抜きするんも、ええもんですね。こちらこそ。せや、菊花膳食べて休んだら、少し腹ごなしに、菊、見て回りませんか? 俺、警備中にあれこれ聞かれて、風景花壇の説明とか全部覚えてて……はっ、すみません。俺ばっかり」 気恥かしげに顔を背けた弥十を見て、木葉は「菊の花。花緑さんがよろしければ、見て回りたいです」と囁いた。 秋風が運んだ泡沫の夢。 朱塗りの鳥居と石畳の参拝道を彩る、菊花の海。 共に歩き、共に迷う。 菊花に満ちた迷路の果てを抜けて。 茜の空と月夜に愛された花路を、今宵も人々は踊るように歩いていく。 去年も、今年も、来年も……そして再来年も。 くりかえし、くりかえし。 私たちは巡り来る季節を、待ち望み続けるのだから。 |