【玄武】人妖の弟子
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/24 05:27



■オープニング本文

 おまえは私に瓜二つ。
 この体は、私の人生を費やした結晶。
 ねぇ、私。
 おまえに私の全てをあげよう。
 過去も未来も、なにもかもを。だからどうか……


 肌を刺すような暑い日が減った。
「夏も終わりですね」
 封陣院の分室長こと狩野 柚子平(iz0216)は、窓から木々を見上げる。最近蝉の声が、減ってきた。時々見かける蜻蛉達が秋の訪れを感じさせる。
 ここは五行の結陣。陰陽寮がひとつ、玄武寮だ。
 彼が手にした書類には、イサナと呼ばれる人妖の記録がある。
 一般的に掌ほどの大きさをした人妖が多いが、この人妖は人と見分けがつかない。開拓者の目にも陰陽師としか映らないだろう。元々はイサナという亡き陰陽師が作った特殊仕様で、火焔を操る攻撃特化型だ。
「さてどうしたものか」


 人妖イサナを創りあげた陰陽師イサナは、元々陰陽寮の卒業生である。
 地味な容姿だが、成績は非常に優秀で、将来の活躍を期待されていた。しかしながら誰一人として友を作らず、唯一の身内であった両親の他界後、ある日消息が分からなくなり、行方知れずになった。残された彼女の部屋から怪しげな研究資料の断片が見つかっている。
 イサナは人の生死を問い続けた。
 人が死んだらどうなるのか。もしや自分の魂は汚れていて、死後にアヤカシに変わってしまうのではないか、未来永劫ありのままの自分を留める術はないのだろうか……と。
 狂気に近い、生への執着だ。

 昨年11月下旬。
 玄武寮が優秀な卒業生を呼び戻す中で、陰陽師イサナも対象になった。
 家を尋ねると、本人と姿形そっくりの特殊な人妖が暮らしていた。なんと人妖は遺言に従って本人に成り代わり、イサナの病死後、地下に主人の遺体を保管し、延々と死者蘇生について研究していたことが分かった。
 主人を蘇らせたかったのだろう。
 というのが、現場を見た者の結論である。

 幸いにも説得に応じ、危険視された人妖は封陣院に保管された。
 特別仕様なので所定の検査や研究対象になることは避けられなかったが、用済みになった時は、然るべき者に管理を委任すれば有益な存在になる。
 新しい主人を得て、新しい名と共に、新たな道を歩むはずだった。


 しかし今年の春。
 愚かな陰陽師が勝手に調整し人妖は暴走。
 研究員数名を殺害して、グライダーで逃走。行方知れずとなった。

 + + +

 玄武寮の中庭で、副寮長の狩野 柚子平は紅に色づく紅葉を見ていた。
 ……のを柱の影から発見した玄武寮の寮生たちは、首をかしげた。講師や寮長に授業を任せ、頻繁に行方不明になることで有名な玄武寮の副寮長が、玄武寮にいる。その上、山のような書類の束に囲まれているわけでもない。

 これは声をかけるべきか。
 それとも、回れ右して何も見なかったことにすべきか。

 一瞬の気の迷いが命取り。
「おや? 丁度いいところに。皆さん、暇でしたら付き合ってくれませんか?」
 にこにこと晴れやかに予定を伺うような顔をして、呪縛符で足止めとは大人気ない。喉まで出かかった文句を飲み込んで、肯定の意を示さざるをえない玄武寮生が強制的に連れて行かれた。


「火焔の人妖が見つかった?」
「ええ。今まで何処に隠れていたのか分かりませんが、主人の家……もといた村の付近で確認されました」
 結陣の外れの村。
 かつて人妖イサナは、そこの市場で腕利きの陰陽師として名が知れていた。殆ど会話をしない変わりに、病や怪我にあった薬を調合しては手渡していたという。しかし今では国をまたぐお尋ね者だ。村人の通報により、出現が確認された。
「実は、捕獲云々の前に見ていただきたいものが二枚あります」
 ギルドから剥いできた依頼書だ。

 一枚は、村人が依頼主で、何度か可哀想な身の上の子供を誘拐しようとしている凶悪な人妖を発見したので、今は三交代で見張っているが、一刻も早く危険な人妖を倒して村の子供を守ってほしい。という風に記されていた。

 もう一枚は、汚い子供の字だ。依頼主はソラと名乗る少年で、家族が亡くなって天涯孤独になって苦労していた所、昔の先生が身元引受人になってくれることになった。しかし村人が先生を嫌っていて自分を監禁して邪魔をするので、夜誰も傷つけないで逃げる為に助けて欲しい。という内容だった。封筒は匿名の人魂で飛脚に持ち込まれたらしい。

「このソラさん。以前、人妖イサナに陰陽術を学んでいた事が分かっています。イサナが何故暴走したのか、今までどこにいたのかも分かっていませんので、どちらかの依頼を遂行するというより……調査に行ってほしいのです」
 もし。
 村の依頼を受けるなら、賞金首を討伐する開拓者として正面から訪ねることができるが、人妖イサナとの対決を回避するのは難しい。
 ソラの依頼を受けるなら、イサナとの対決は回避できるかもしれないが、村にとっては敵に味方する誘拐犯一味ということになってしまうだろう。自分たちの身元が割れないようにする配慮が必要になる。
「依頼関係なく旅人として潜入するのも手だとは思いますが……」
 行ってくれますか? と副寮長は尋ねた。

 +++

「いいかぁ! あれはバケモンだ! 外見に騙されるんじゃねぇぞ!」
 オォ!!
 と威勢のいい声が聞こえてくる。村の男集だ。
 小屋の中にはソラを含めた村の子供たちが数名集められている。村の人々が人妖に食われると思い込んで、同じ年頃の子供たちを集めていた。鍵のかかった小屋へは、朝昼晩と村の女性が握り飯を届けに来る。
「みんな、ごはんだよ。ソラも、そんな隅っこにいないで、おたべ」
 家族が亡くなった時は「大変ね」とか「強くなれよ」としか言わなかった冷たい大人達が、今だけは寄ってたかって世話を焼く。そんな彼らも皆、今まで散々怪我や病を治してくれた先生を悪者扱いする。
 ソラには村人の変貌ぶりが理解できなかった。
 ふと。バツ印に板が打ち付けられた窓の隙間から、一羽の小鳥が入り込んできて、ソラの肩に止まった。手紙を運んできた人魂だ。
『ソラ。元気か? 水や飯はもらっているか? 様子を見て、丑の刻に迎えに行く』
 この手紙に返事を添える。
『はい、先生。大丈夫です。きっと助けてくれる人もいます。待ってます!』
 少年は返事を送った後、匿名の依頼書をしたためて、人魂を使い、飛脚のところへ運び込んだ。

 運命の時まであと少し。
 相容れることのない二つの依頼が、静かに交錯していく。


■参加者一覧
八嶋 双伍(ia2195
23歳・男・陰
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386
14歳・女・陰
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰
十河 緋雨(ib6688
24歳・女・陰
シャンピニオン(ib7037
14歳・女・陰
リオーレ・アズィーズ(ib7038
22歳・女・陰
土御門 高明(ib7197
42歳・男・陰


■リプレイ本文

 陰陽師達が下した決断は『ソラを脱走させる』ことだった。
 最終的にイサナにソラを預けるかは幾つか話を聞いてからにしたいという意見が圧倒的ではあったが、村に残すことの利点を見いだせない。
 穏便に事を済ます為、七人は救出班と陽動班に分かれることを決めた。
 陽動班に名乗りをあげたのは、ネネ(ib0892)と土御門 高明(ib7197)、シャンピニオン(ib7037)とリオーレ・アズィーズ(ib7038)の四名である。
「誘拐犯にみえてしまいますし」
 ネネは髪を帽子に、顔は面で完全に隠し、蓑で体型も隠す。符も蓑の下で使えば分からない。からくりのリュリュも龍の外套を被って中身が見えないようにした。
「人数の水増しも準備も完了です。謎の集団になれば威圧感も増すはずです」
 変装はシャンピニオン達も同じで、素姓がバレないよう顔や髪は隠し、声も必要以上に出さないと決めていた。
 物々しい空気に満ちた村の片隅で、アズィーズが溜息を零す。
「私は研究所の事件当時、所用があり不在だったのですが、一体何があったのでしょうね」
 上官の命令を無視して勝手な調整を行った陰陽師。
 ソラを閉じ込めた村人たち。
 偏見と無理解が運ぶ面倒事は、こうも事態を悪化させるのかと、考えずにはいられない。
 シャンピニオンが憂鬱な顔をした。
「イサナさん……賞金首として追われてるのに、元弟子のソラ君を引き取ろうとするなんて。ソラ君の境遇を案じての事なのかな」
 何やら嫌な想像が脳裏を駆け巡ったのか、シャンピニオンはぷるぷると頭を振って「ううん、色んな事はっきりさせたいから、信じたいから、イサナさんに会うんだもん」と、半ば己に言い聞かせていた。アズィーズが肩を叩く。
「状況を好転させるためにも、ソラさんをうまく脱走させてイサナ様からの信頼を得ましょう。すべてはそれからです。準備はよろしいでしょうか?」
 土御門は「ええ」と力強く頷いた。
「事件の件。私は噂程度にしかきいておりませんが、子供にとって幸せな結末を与えたいとは感じます」
 特別、思い入れはない。
 けれど誰かの幸せを願うことはできる。強さにこだわらず、力になれることだって。
 ネネとシャンピニオン、アズィーズが人魂で偵察を行う。見張りが立っている小屋を探し出し、陽動から逃走経路までの動き方を考えて作戦を練った。確実に成功させる為にも、村人の動きを把握することは大切だ。
 アズィーズは短い文をしたためて、人魂に持たせて小屋に飛ばす。
「……ソラさんに渡りました!」
「じゃ、はじめよっか。ショコラ、お願い」
 シャンピニオンの懇願に、甲龍が恐ろしげな声で鳴き始めた。
 やがて村の上空には、大きな龍が何体も飛び交い始めた。


 時は少しばかり巻き戻る。
 十河 緋雨(ib6688)は副寮長の腹黒さに考えを張り巡らせつつ、依頼とは関係ない旅人として村を訪れて滞在していた。風俗と伝承の研究の為の取材、という学者を装いつつ、村の悩みに対して相談にのると言う。
「ほうほう子浚い、と。女衒か何かですかね」
「いいえ、凶悪なアヤカシなのです! ほら、こいつですよ!」
「はぁ……そんな全国指名手配犯が、こんな結陣の片隅に現れるとは思えませんが〜」
「本当なんですー! 開拓者ギルドに依頼を出したのに、ウンともスンとも……といいますか、いっそあなたが村の未来を救ってはくださらぬか!」
「わたしは只の旅人で〜」
「どこからどうみたって、陰陽師じゃないですか!」
 十河は頭に梵字の顔布、顔に陰陽覆「呪」をし、狩衣「雪兎」と陰陽狩衣と狩衣「五行」を纏い、下駄「天占」を履いていた。言い逃れ不能な装いだ。
 せめて変装くらいはしておけば良かったのだろうが、後の祭りである。
「これは女独り身旅の野党よけといいますか、わ、私一人でアヤカシ退治なんて〜……は、これはいっそ子供を一箇所に集めないで、各家の床下にでも隠してみては!」
 子供云々の前に「見捨てないでください」と泣きつく村人から脱出する方法を探さねばならなくなった十河がいたことなぞ、他の者たちは知る由もない。


 恐ろしい謎の龍の出現は、村を恐慌状態に陥れた。
「誰か開拓者様を呼ぶんだ! 何処かの宿にお客様がいたはずだ。村長! 村長ー!」
 人々は逃げ惑い、襲い来る龍をスレスレのところでかわしていたが……実際のところ、一瞬しか現れない無数のド派手な龍は、幽霊でもなんでもなく『大龍符』と言って、対象を脅かすだけの……単なる娯楽技みたいなものだ。
「派手ねぇ」
 別所から様子を見ていたリーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)の隣には、八嶋 双伍(ia2195)と緋那岐(ib5664)がいた。面をつけ、格好を変えた三人は救出班である。
「なるべく怪我をさせたくありませんでしたし、丁度いいのでは」
 八嶋の言葉に「そーねぇ」と返事をして外套を羽織りなおし、羽妖精を一瞥した。
「そろそろ動きましょ。ギンコ。羽は外套の中にしまっておきなさい」
「はい。ソラさん、大丈夫でしょうか」
 不安げなギンコにヴェルトは「どうかしら。さっきの様子じゃね」と肩を竦める。
「仕方ないとは言え、村の方も手のひら返しちゃってまぁ。ま、人ってそんなものよね」
 緋那岐が肩を鳴らす。
「イサナは容疑者であって、罪人と決めつけるのは早いが……まぁ、状況が状況だしな」
「そんなことより。他の子供たちに騒がれると厄介ね……子供の扱いって苦手なのよねぇ」
 小屋に近づきつつあるヴェルトが「二人ともいい案ない?」と声をかけた。
 八嶋が唸る。
「他の子供はどうしましょう。面をしてるから、泣かれそうです。一応お菓子とか持ってますけど、それでつられてくれませんかね」
 八嶋がキャンディボックス、月餅、甘刀「正飴」に麦芽水飴と次々お菓子を持ち出す様に「すげぇ」と緋那岐が感嘆し、ヴェルトは脅すかどうするかを悩みはじめる。
 やがて「任せろ、いい案がある」と言ったのが緋那岐だ。
「じゃ、任せる。さぁて、サクッといくわよ」
 大龍符にも怯まず……というか、表情は恐怖に歪み、足は震えっぱなしの小屋番を支えているものは『子供達をアヤカシから守らねば』という使命感に違いない。
 立派だが、残ってもらっては困る。
 近くまで迫ったヴェルトは、死角から忍術『夜』で三秒間ほど時を止め、アムルリープで手早く二人組を眠らせた。鮮やかな技術に「さすがですね」と賞賛の声が上がる。
「ふふ、どんなもんよ。次は陰陽術を極めて見せるんだから」
 ヴェルトのあくなき探究は続く。
「急ぎましょ」

 三人が小屋に入ると、子供たちは怯えて身を寄せ合っていた。
 外で大人の悲鳴が聞こえているのだから、至極当然の結果と言える。
 しかしそれを解決したのが緋那岐だ。
「わーはっはっは、旅のお菓子大好き妖精、アメちゃんだ! 大人はお菓子をくれなかったから悪戯しちゃったぞー! しかぁし! 子供には分けてあげるからな! ふふふ、ついでに我がこれから面白いモノを見せてやろう。ただし、大人に見つかると我は消えてしまうのだ……皆いい子だから静かにしていられるよなー?」
 緋那岐がキャンディをちらつかせた。
 後方の八嶋がどさどさとお菓子の山を作り上げる。
 子供たちは菓子の山に、一瞬で心奪われた。次々に姿勢を正して、お菓子大好き妖精が、いつお菓子を配ってくれるのか注目している。
 出入口を守るヴェルトは「やるわね」と二人の手際の良さを眺めていた。
 子供たちを緋那岐に任せた八嶋が後ろにさがる。
 八嶋は懐かしいソラを見つけて、部屋の端に連れて行った。面をずらして素顔を見せる。
「今晩は。閉じ込められていたようですが……元気なようで良かった。僕たちを覚えていますか?」
 今は眼鏡してないですけど、と笑う。
「先生の後輩さんですよね!」
「しっ、静かに。ソラ君。ここから出たいですか? 君の意思を、最大限尊重します」
 八嶋の問いかけに「はい」とソラは小さな声で答えた。真摯な表情に、決意を悟る。
「結構。さぁ、時間はありません。イサナさんに会いに行きましょう。何処へ移るにせよ、此処よりはマシかと思います。ヴェルトさん、お願いします」
 ヴェルトが外套の中にソラを隠す。遠巻きに八嶋が合図を送った。
 それまで帽子と人魂で手品を見せていた緋那岐が「そぉれ、もってけー!」とお菓子の雨を降らせる。
「良い子のみんな! さらばだ!」
 などと言って、さっさと逃げた。
 子供たちはお菓子を両手に握りしめて、満面の笑顔で見送った。

 小屋の外の見張りが頭を振って目覚めていた。
 発見した緋那岐が呪縛符を唱えている間に、八嶋とヴェルトが分かれる。見張りを残し、小屋周辺は人の気配が消えていた。少し離れた所まで逃げた緋那岐達は、潜ませていたからくりの菊浬から荷物を受け取ると、ソラに着替えと面を手渡した。
「何処に人目があるかわかんねぇし……これ。念には念を……てな。女物だ。しばらく我慢しろ」
「急いでよ。のんびりできないわ」
 ヴェルトが耳に集中力を研ぎ澄ませ、雑踏の中の小さな音や近付いてくる人の足音、声に警戒を行う。ソラは手早く着替え、緋那岐に言われるまま菊浬と手をつなぐ。
 一方、ソラを仲間に任せた八嶋は、龍が舞う方向を目指し、物陰から狼煙銃で合図を送った。発射された弾丸は、赤、白、青と激しく輝きながら飛ぶ。
 撤収の合図だった。


 四方に飛んでいた龍が消えていく。
 うまくソラを誘拐した一行は、村から離れた場所に集っていた。
「いやはや、芋づる式でしたね。楽なものです」
 ひと仕事終えた土御門が、遠くに見える村に目を凝らす。
「私は、少しやりすぎたかもしれません」
 アズィーズは恐ろしげな格好をさせた完全武装のからくりベルクートを一瞥して、からくりの暴れっぷりを思い出す。怪我人は出さないように命じてあったが、客観的には賊にしか見えない。
 陽動組も長時間の大龍符と警戒に疲れきっていたが、幸いにも誰ひとりとして怪我人を出していない。姿を見られない様にも気を配った。
 ヴェルトが遠くから飛行するグライダーを発見して「きたわ」と仲間に知らせた。
「ようやくイサナに直接会えるのね。楽しみだわ」
「皆さん、ありがとうございました!」
 ソラが頭を下げる。緋那岐が「気にするな」と頭を撫でつつ、ふと手を止める。
「なぁ、ソラ。お前さ、自分の師匠のこと、どう思う?」
「イサナ先生はすごい人です」
「いやうん、そうじゃなくて、えーっと」
 言葉に困る緋那岐を押しのけ、ネネが女装したソラに毛皮の外套とキャンディボックスを手渡した。
「あげます。これから寒くなりますから、あったほうがいいし、何も持たずに出てきてしまいましたから」
 思い出の品も、思い出の家も。
 何もかも全てを捨てて、村を出た。
 身一つの子供にとって、ささやかながら大きな財産になる。八嶋も余っていた月餅を与えた。
 そこへ火焔の人妖イサナが現れる。グライダーを降りて走ってきた。
「ソラ!」
「イサナ先生!」
「大丈夫? 何処か怪我はないでしょうね」
「大丈夫です、先生。あの方々が助けてくださいました」
 ソラが緋那岐達を指差す。皆が黙っていた。
 我が子を心配するような様子のイサナが、立ち上がって口を開く。
「……ソラを救ってくれたことには感謝するわ。ありがとう。おかげで手荒な真似はせずに済んだ。……でも何故、私に手を貸したの? 私の話は知っているはず」
 30万文の賞金首。己の立場を、よく理解している。
 ネネは切ない笑みを浮かべた。
「……私達にできるせめてもを、と。あなた達をを引き離したのは、私達ですから」
 八嶋も言葉を重ねる。
「ただ話がしたいだけです。捕まえに来たわけではありません」
「一度、きちんとお話がしたかったのです。少しだけお話を聞かせてください」
 アズィーズたちの懇願に、人妖イサナは暫く悩み込むと、ソラを見下ろした。
「ソラ。グライダーの所へ行っていなさい。すぐに行きます」
 遠ざかるソラの背中から視線を戻し「手短にお願いするわ」と告げた。警戒が完全に解かれた訳ではないにしろ、攻撃的な様子は見られない。八嶋がイサナの瞳を見据える。
「あの日、何があったのか……本当の事を知りたいのです」
「あの日?」
 眉を顰めたイサナに、アズィーズは「研究所から脱走する時、何があったのか。真実を知りたいのです」と畳み掛ける。ヴェルトも様子を気遣いつつ問いかけた。
「私はリーゼロッテ・ヴェルト。玄武寮二年の陰陽師。あなたの主人の後輩ってところね。私、貴方の主人と研究について話したかったから色々聞いていたの……例えば、あなたが玄武寮に来るはずだった事とかも。あの事件のあった日、何があったの?」
 続く沈黙。静寂の平野。
 堪らずシャンピニオンが飛び出した。
「イサナさん! 研究所で亡くなった人達は本当は既に刃物で殺傷されてたんだ。イサナさんが犯人なら、そんな事する必要ないよね? ボクは、他に犯人がいると思ってる! そうなら、イサナさんはお尋ね者なんかじゃないんだよ! 研究所で何があったのか、全部、イサナさんの口から聞きたいんだ! ソラ君を引き取ってこれからどうするつもりなのかも……ボク達の道は、どうあっても交わらないものなの?」
 シャンピニオンの悲しげな表情に、イサナは瞼を伏せた。
「私は殺してなどいない……と言ったところで、暴走した道具の言葉なぞ、誰も信じはせぬもの。私の言葉を信じる者がいる、と本気で思っているのなら……呑気なものよ」
 滲む嘲笑。
 イサナの表情に浮かんだものは、奈落の底より深い、諦めの色だった。
 何があったのか話す気はない……というより、話しても何も変わらない、と考えているようだ。
 ネネは話題を変えることにした。
「あの、どんな風に生活していますか?」
「は?」
「誰にも喋ったりしません。誓って。ソラさんを預ける以上、ちょっとでも安定した生活を送って欲しいと思ってます。教えてください、お願いします」
 ネネは頭を下げた。
 ソラの今後が掛かっているので、ここだけは退けない。アズィーズも気にしていた点だ。
「今後、どうされるおつもりですか?」
 しかしイサナは「面白いことを聞くのね」と口元に弧を描く。
「安全な場所はあるかって? 基本的には安全よ。人に私を見つけ出すのは困難なこと。こと、五行の地で底辺の陰陽師に化けていれば尚更ね」
「……化ける?」
「忘れたの? 私は人ではないのよ? 例えば」
 イサナは、アズィーズそっくりに顔を変えた。
「こんな風にね」
「い、一体、どんな術を」
「別に。ただの人魂の応用よ。人にはできない芸当だろうけどね。元々私は人妖なのだから、体全体を変える事とて不可能ではないわ。しかし四十秒程度で術はとけてしまう……皆と同じ。続けて使い続ける方法もあるけれど、いかに私が莫大な力を保有していようと非効率的。だからこういう格好をしているの」
 陰陽師は瘴気を操る仕事だ。
 だから街中で探知系の術にひっかかっても『なんだ、陰陽師か』で済んでしまう。
 実際、人妖イサナには主人から受け継いだ陰陽師や医者として申し分ない知識と技術があった。普段から陰陽師を装い、面で顔を隠していて、必要な時に凡庸な顔に変化させてチラリと見せれば大抵の人間は警戒を解く。
「私も忙しいの。もういくわ」
「待ってください!」
 アズィーズはイサナを呼び止めた。
「もしも、いつか事件が解決して無罪が証明され、寮長から許可が出たら、イサナ様、玄武寮で講師として働きません? そうすればソラさんも、安定して暮らせますし」
 八嶋が「それ、いいですね」と同意する。
「玄武寮に来るのでしたら、僕、寮長に土下座でも何でもしますよ。如何でしょう」
「ふふふ、あははは! あなた達は、お人好しね」
 そこで初めて、人妖イサナは腹の底から笑ったように見えた。
「いけませんか?」
「その好意的な申し出は嬉しいけれど……残念ながら戻る気はないの。戻ったところで、私は貴重な実験体か、便利な道具として人に使われるだけ。見知らぬ他人に仕えるくらいなら、私は『母』を取り戻す」
 母、とは、人妖イサナを創造した陰陽師イサナのことだ。土御門が呆然と呟く。
「噂に聞く蘇生実験? まだ諦めていなかったのですか」
「諦める? 何故?」
「失礼。土御門 高明と申します。噂しか聞いておりませんが、陰陽師イサナさんはお亡くなりになったと聞きます。決して戻ることはない、かと」
 淡々と指摘する土御門に対して、人妖イサナは笑った。
「お前達は、アヤカシがバケモノにしか見えぬから、そういう考えにしか辿り着かない」
 ネネやシャンピニオンが顔を見合わせる。イサナは尋ねる。
「人妖とアヤカシの違いは何?」
 まるで講師のような問いかけの真意を、緋那岐は測りかねた。イサナは続ける。
「構成物質は殆ど変わらないのに、人妖は人を救えばもてはやされ、人妖は人を害すればアヤカシとして処分される。人は何故アヤカシを倒す? 環境と人間を害するからでしょう? ならばその害悪となる性質を取り除けばいい。人妖のように」
「どう言う意味?」
 ヴェルトが双眸を細める。イサナは「簡単なことよ」と空を見上げた。
「アヤカシの中には、残留思念から発生する個体がある。幽霊などがそうね。生前の憎悪や怨恨に執着し、目的を果たす為に動く。それとは別に、瀕死の肉体や屍に瘴気が入り込んでアヤカシ化する場合もある」
 視線を戻したイサナの瞳には、狂気とは紙一重の真剣さが垣間見えた。
「母の体は残っている。私が完璧に保存したもの。例え肉が使い物にならなくとも、皮袋は私を型どればいい。そしてかき集めてもらった残留思念からアヤカシを生成し、飢えを抑え、本人の自我を抽出して元の体に戻せばいい……元の肉体とは少し違うけれど、彼女は帰ってくる。いつかね」
「集めてもらった、残留思念?」
 ネネが首をかしげるとイサナは「そうよ」と笑った。
「……屍に瘴気を吹き込んだり、人妖を形成する事は……私と腕の立つ陰陽師がいれば事足りるの。でも本人の残留思念だけを具現化するのは、いかに私とて不可能なことよ。ならば、それが可能な者に手を貸してもらう他ないでしょう」
 アズィーズが叫んだ。
「特定条件下のアヤカシを作り出すなんて、そんなこと普通の人間にはできません。あなたは騙されています」
「人間には、ね」
「それは、どういう」
「……お喋りが過ぎたかしら。ソラの救出には重ねてお礼を言うわ。でも、私のことは放っておいて。私はただ、過去を取り戻したいだけ。そちらが危害を加えてこぬ限り、自発的に人を害する気はないの。奴と私の計画を阻むなら排除する。それだけよ」
 イサナはシャンピニオン達に背を向けて、グライダーに飛び乗った。
 小柄とは言えども、ひとり増えたグライダーは不安定に空を飛ぶ。
 追えば、捕まえられる。
 けれど。
 追わなかった。
「イサナ!」
 ヴェルトは上空を旋回するイサナを呼んだ。ソラが「皆さん、ありがとう」と言って手を振っている。本当は陰陽師イサナの事、研究、イサナ自身の事など、色々聞きたいことが沢山あった。
 でも、今日はこれまで。
 ヴェルトは大声で叫ぶ。
「いいこと! 身寄りのない子供を引き取るんだから、しっかり育てなさいな。親代わりって大変よ!」
 顔に似合わず年を重ねているヴェルトには養女がいた。
 親になることの大変さを、伝えるには時間が足りない。
 それでも、伝えたい意味は通じたのだろう。
「……肝なんてないけど、肝に銘じておくわ」
「みなさーん! お元気でー!」
 その時、ヴェルト達が見たものは、凍てついた眼差しでも、憎悪に燃える瞳でもなく、ただ慈愛に満ちた微笑みだったという。