【農場記3】白原祭
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 易しい
参加人数: 13人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/04 05:43



■オープニング本文

 街の方から聞こえる祭囃子に、興味がない訳じゃない。

 旬の枝豆を引き抜きながら、少年は澄み渡る空を見上げた。
「みてよヒルデ、入道雲だよ」
 人妖のブリュンヒルデが「サボらない!」と少年の頭をひっぱたく。
 遠くから「杏ー」と姉の呼ぶ声がした。
 冷たく冷えた麦茶の気配に「いまいくよー」と声を投げて走っていく。

 +++

 ここは五行東方、白螺鈿。
 五行国家有数の穀倉地帯として成長した街だ。
 水田改革で培った土木技術を用いて、彩陣の経路とは別に渡鳥山脈を越えた鬼灯までの整地された山道を一昨年12月1日に開通。結陣との最短貿易陸路成立に伴い、移住者も増え、ここ一帯の中で最も大きな町に発展した。
 白螺鈿は毎年8月10日から25日まで、白原祭で賑わっている。


 杏の農場は、そんな白螺鈿郊外に莫大な敷地を保有していた。

 荷馬車が一台通れるか否かの細い畦道を通って森を抜けると、家の隣には二十五メートルの畝が二十四本並ぶ約百坪の畑と約八百坪の薄荷畑が青々と緑で生い茂り、畑越しにジルベリア様式を兼ね備えた増築家屋が見えてくる。
 元々は珍しい物を飾る為の床の間や生け花、茶室の特徴がある数寄屋風書院だった大屋敷は、改築を重ねて現在の形にたどり着いたらしい。この屋敷を最初に造らせた持ち主は、元々相当な大金持ちで多用な趣味を持ち、国外に強い関心があったと考えられている。
 北口玄関の扉一枚を隔てた先に、薄暗い土間と囲炉裏。
 奥には、襖で締め切られた暖炉付きの蹴上がり部屋。いつもこの部屋に集って食事をとる。
 土間に入って右手の西側に、一段高い位置で板張りの渡り廊下が続く。
 三部屋分の部屋は襖で区切られており、最奥の数寄屋造りのうち区切られた書院部分だけ、天井が色鮮やかな群青色で彩られ、岩絵の具で半永久的な色合いを保持していた。
 対して。
 左手の東側には段差が無く、石が精緻に敷き詰められた廊下がある。土足のまま進めば、同じ土壁で区切られ独立した小部屋が三部屋横並びにあり、最奥には倉庫化した大部屋があった。
 小部屋の一つは倉庫に、いま一つは氷を詰めた保冷庫に、残り一つは家の裏手で飼っている蜂の冬を凌ぐ部屋に改装されている。
 屋敷の南扉の傍には井戸があり、裏手の坂を登ると二十三羽の鶏を飼っている小屋や、十二頭の乳牛を飼っている畜舎がある。畜舎の裏手には森の小川から水をひいた池があり、魚がふよふよと泳いでいた。
 畜舎の奥には広大な牧草地が広がり、血気盛んな雌牛たちが自由奔放に暴れまわっていた。
 長閑な時間が、そこにはあった。

 +++

「杏。お祭り、いきたい?」
 微笑みとともに尋ねてきたのは、杏の実姉、ミゼリである。
 真綿のような白い髪をした杏とは対照的に、黄金の髪と青い瞳をしており、この一帯では目立つ容姿をしていた。
 今でこそ喋っているが、両親他界後に昔雇った者の狼藉がもとで、つい最近まで視覚、聴覚、声を失い、心を閉ざしていた。未だ青い瞳は景色を映さないが、声と聴覚を取り戻したこともあり、いつか瞳も光を取り戻すだろうと杏たちは信じている。
 それまではミゼリに寄り添う人妖の炎鳥が目の代わりだ。
「なんだよ、なんでもないような顔して。隠したって無駄なんだぜ」
「炎鳥、うるさい」
「どうなの?」
 優しく穏やかな慈母の微笑み。
 姉の問いかけに、顔を背けつつも杏が呟く。
「い、いきたいけど……枝豆まだだし、人参抜いてないし、玉蜀黍もあるし、納品忙しいし、街で遊ぶ余裕なんてないよ」
 農場の売り上げを安定させる為に、収穫に時間のかからない作物を選んで植えた。その為、初夏は人を臨時で雇い入れて大騒ぎしている。
 六月は葉ネギと豌豆。
 七月は、春菊と青梗菜、大量のトマト。
 そして猛暑にやられて生育が宜しくなかった法蓮草の対応に明け暮れた。
 来たる八月。
 街が白原祭で賑わう中で、杏は2畝分の枝豆と2畝分の人参と1畝分の玉蜀黍の収穫に明け暮れていた。これの収穫が終わったら、秋のうちに自家製の牛糞堆肥と鶏糞堆肥を使って、土壌の改良をしなければならない。
「そうは言うけど、ブリュンヒルデが許可証の期限が切れてるって騒いでいたし、一度街へは行ったほうがいいと思うの」

 市場に品物を出荷する場合、白螺鈿には面倒な決まりがあった。 
 毎週末に四カ所の広場で行われる白螺鈿最大の市場に店を出すには納税が欠かせない。如彩家発行の『年間出店特別許可証』を毎年一万文で購入し、更に売り上げを明確に報告して一割を所場代として支払う。これが出来ない者は場所から追い出されるという。
 所場代の集金方法は区によって違う、という話もある。
 そして杏が決めた出店先は、如彩家三男、幸弥が統べる区域だった。
 昨年八月に発行された『年間出店特別許可証』は、先月で期限が切れてしまっているので再び発行してもらわなければならない。
「杏」
「手続きにはもちろん行くよ。だけど」
「そうじゃなくて。明後日、午前中に手続きにいったら、そのまま遊んでらっしゃいよ。鶏の雛二十羽は、ついでに屋台で買ってくればいいわ」
 実は農場の鶏の大半が、卵を産まなくなった。
 純粋な老いだ。
 塩卵が名物なので、そろそろ新しい鶏を育てなくてはならない。
 しかし雛の見極めは職人ですら難しい。
 杏達には一定量を飼って育てるまで分からない。
「お手伝いを頼んだ『家族』も来るのだし。ね」
 二人は開拓者を家族と呼ぶ。
 この農場が息を吹き返したのは、彼らの援助が大きいからだ。
 ミゼリは笑って囁いた。

「夏を、楽しんで」


■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116
12歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
若獅(ia5248
17歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
久遠院 雪夜(ib0212
13歳・女・シ
ハッド(ib0295
17歳・男・騎
ミシェル・ユーハイム(ib0318
16歳・男・巫
白 桜香(ib0392
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898
23歳・男・騎
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707
30歳・男・泰
マハ シャンク(ib6351
10歳・女・泰
白木 明紗(ib9802
23歳・女・武


■リプレイ本文

 白螺鈿では、厳しい夏の暑さが続いていた。
 人肌とさして変わらぬ気温、時々思い出したように降る雨、むわりと体を覆う湿気。
 そんな不快さを吹き飛ばすように。
 今日も白螺鈿の街は、白原祭で賑わっている。

「何処も賑やかね……人の里の農場、どんなものかしら」
 白木 明紗(ib9802)は遠巻きに白原祭を眺めつつ、今回訪ねる農場について期待に胸を膨らませていた。給金も殆どなく、アヤカシ討伐に熱意を燃やすわけでもなく、ひたすらに家畜や大地と向き合う過酷な仕事と教えられていたが、仲間の明るい表情が気になる。
「心配です?」
「どうかしら。あたしにできることは……ま、見てから考えることにするわ」
 鈴梅雛(ia0116)が「新しい商品の開発なんかも楽しいですよ」と言葉を添えた。
「ひいなは長老様と牧草の借り入れや乾燥もしておかないと……だいぶ間が空いてしまいましたが、皆さん元気にしているでしょうか?」
「そうだなぁ。幸弥さんとか、如彩家の人達も元気かな」
 白螺鈿の地主一族のことだ。
 鈴梅と若獅(ia5248)の会話に、マハ シャンク(ib6351)の人妖である菫も加わる。
「ですよね。食堂の皆さんは元気でしょうか? またお手伝い出来るのは嬉しいですね」
 むんず、と主人のマハに翼を掴まれ肩に戻される菫。言葉少ないマハが「見えたぞ」と指を指す先には、多くの者が見慣れた母屋があった。
「また……きたな、ここに。暇潰しには丁度いい……か」
 マハの独り言は相変わらず素っ気無かったが、口元が少しばかり弧を描いた気がした。
 桃香たち人妖が母屋に飛んでいく。同時に母屋から現れた2体の人妖と正面衝突した。転がる様を見て「大変です」と駆け寄った白 桜香(ib0392)が、玄関から屋内に目を凝らして笑いかけた。
「杏さん、ミゼリさん、農場の皆様、お久しぶりです」
「ミゼリちゃん、杏君、ただいまーーっ!」
 久遠院 雪夜(ib0212)が体当たり同然で、少年、杏に抱きついた。
 続々と出迎える姿を見たハッド(ib0295)が「杏もミゼリんも息災そうで何よりじゃの」と満足げに頷き、迅鷹の絶影に見張りを命じて放った蓮 蒼馬(ib5707)は、杏を含める子供たちに「ただいま」と声をかけて、子供達の頭を撫でていた。杏やミゼリに続き、若獅が「また皆と会えて嬉しいよ」と住み込みで働く女性たちにも声をかけていたが、我に返ると白木の手をひいて杏たちの前に連れ出す。
「今日は新しい家族を連れてきたんだ。な」
「え、えっと……白木明紗よ。どうぞ宜しく。あなたが依頼主の杏くん?」
「うん! じゃなくて……よろしく、おねがい、します」
 ぺこりん、と頭を垂れる。
 若獅が頭を撫でた。
「よしよし。それと懐かしい人も、な!」
 仲間たちが次々に道を開けた先に、控えめに立つアルーシュ・リトナ(ib0119)がいた。
「……帰って、来ました。また『ただいま』と言っていいのでしょうか?」
 もみくちゃだった杏がひとり離れ、ぽてぽてと歩いて、リトナの前に立った。
 前より少しだけ目線が近い。顔つきも大人びた気がする。
「少し背が伸びましたね。顔色もいいですし」
「……おかえりなさい」
 ぎゅぅ、と服の裾を掴んだ手を包み込んで、リトナは微笑みかけた。
「ほぼ一年ぶり、でしょうか。杏さん、そして……ミゼリさん。また宜しくお願いしますね」
 耳が聞こえるだけでなく、声が出せるようになったと話だけはきいた。
「もちろん」
「ミゼリさんは声……取り戻されたんですね 良かった。とても綺麗なお声だから歌の一曲でもご一緒したいものです。いつか一緒に歌ってくださいね」
 微笑ましい様子を見守るネリク・シャーウッド(ib2898)が「長話は中に入ってからにしよう」と提案した。
 太陽は真上に昇り、薄雲一つない晴天だ。熱中症が怖い。
「夏もここは変わらない、な。また忙しくなりそうだ」
 なにか冷たい飲み物を、と土間に立った白が「忙しいと言えば」と氷を作りながら声を投げた。
「丁度、お祭りの季節なんですね。去年の白原祭は忙しかったけど、楽しかったです」
 去年の白原祭。
 その話題を耳にした桂杏(ib4111)が、何やら深刻そうな表情で考え出した。
「お祭り……そういえば、去年は……去年は……あれ?」
 記憶がない。
 桂杏は真剣に悩み始めた。
「どうしたんだったかな パレードまでは覚えてるんだけど……どなたか覚えてません?」
 水を向けられた者たちが皆揃って素知らぬ顔を貫く。
 すっとぼけた方が幸せだ、と判断したに違いない。
「祭りか、前回は色々準備が面倒だったな。今回も山車やら出ているのだろうか?」
 意外と楽しげにアレコレ準備について話し出すマハに、人妖の炎鳥が「今年は幸弥さんの区は無理に当番しなくていいらしいよ」と呑気な声を投げた。
「なぜまた? 炎鳥、何か聞いてないか?」
「今年の酷暑に当てられて倒れたらしいから、幸弥さんを療養させる為じゃない? でも詳しくわかんない。重病にかかったとか脅迫をされてるとか、誘拐なんて噂話もでてるよ」
 バカバカしいよね、という人妖炎鳥の言葉に、数名が顔を見合わせた。
 土間で子供たちを肩車していた蓮が「余計な仕事が増えなくて済んだことだし、素直に喜んでおこう」と、頭上の幼い顔を見上げた。
「お前達も一緒に祭りに行くか?」
 両手を上げて喜ぶ雇用人の子供達とは対照的に、杏は「……でも仕事あるし」と言いよどんだ。
 その様子を見ていた酒々井 統真(ia0893)が「行ってこいよ」と声をかける。
「せっかくの白原祭だってのに、農場仕事ばっかりってのも勿体ねぇからな。農場の方は俺が残っておくから、皆で行ってくるといい」
 シャーウッドが「決まりだな」と楽しげな声を上げる。
「ミゼリたちも連れていってやったほうがいいな。こういうのはみんなで楽しんだほうがいい。嫌でなければ、だが」
 久遠院は、目の不自由なミゼリに歩み寄って手を重ねた。
「ボクは、できればミゼリちゃんも一緒にお祭りに行きたいな。きっと『見たい』と思いたくなるような物がいっぱいあるんだよ。……夏を、楽しんで」
 少しばかり戸惑う空気に「心配しないでよ」と声をかけたのはミシェル・ユーハイム(ib0318)だった。
「蒼馬達もいることだし、子供たちのお守りには困らない。ミゼリには僕も付き添うよ。お祭りを皆と一緒に楽しんで」
 行こうと誘う。
 対する答えは?
「私が一緒にいると迷惑にならないかしら」
「そんなことはない。ずっと待ち望んだ時間だ。そうだろう」
 暗い空気を払う穏やかな声に、ミゼリも漸く首を縦に振った。部屋が一気に活気づく。
 鈴梅がビュッと手を挙げた。
「ひいなは杏さんたちとお祭りに行きます」
 白が「私も」と言いながら、興奮気味に話し出す。
「せっかくなので祭の様子や売れ筋、商品内容とか見てみたいなと、来年以降の為に」
 商売上手である。機会は逃がさない。
 酒々井は雇っている小夜と翠にも声をかけた。足が悪い母親二人は難しくても、その子供達まで留守番というのも可愛そうだ、と考えた為だ。農場が手薄になることを懸念して、若獅は忍犬の天月に番犬を命じていたし、他にも朋友を連れ歩くのが難しい者は居残りを命じた。
「……杏君やミゼリ君には気を遣うのに、ボクは祭はお預け?」
 酒々井の耳にひそひそと囁く。じっとりと恨むような眼差しを主人に向けるのは、人妖の雪白だった。たらたらと汗を流す酒々井を見て、雪白が深い溜息を零す。
「ま、炎鳥君やブリュンヒルデ君もいるし、ここで働くのはやぶさかではないけれど、ね」
 何処かで埋め合わせが必要だな、と悟る酒々井がいた。
 蓮が杏をおろして手を叩いた。
「さ、祭の前にひと仕事だ。柵の点検と補修にいく。杏は俺を手伝ってくれ。聡志と小鳥もちょっとした道具を持ってもらうかな。あと、ヒルデにはこれを。後で、桂杏達にでも帳簿をつけてもらってくれ」
 そういって一粒翡翠を渡し、はしゃぐ子供と一緒に出て行った。
 ハッドは祭に出かける際「我輩は一旦恵んの実家の榛葉家にに集金じゃな」と一言投げ「よく遊びよく働こうぞ〜」と鉄くずをつっこんだアーマーケース片手に森へ出かけた。
「挨拶回りはいかなくてよかったのだろうか」
 マハの言葉に鈴梅が「明日と明後日にしましょうか」と答えた。
 皆が其々自分の持ち場に散っていく。
 リトナは塩卵が商品として残っていることに感動を覚え、シャーウッドは祭に出かけない者たちの為に、夕飯を作り始めた。白木は何もかも初めてなので、まずは皆の顔を覚え、母屋の中でどんなことをしているのか、の把握に務めることにしたらしい。人妖の彩乃には迷子にならないよう言い聞かせて、自由にした。ここでは仲間も多い。屋外の散策は、また後日だ。
 ところで。
 鈴梅が人妖の炎鳥とブリュンヒルデに、前回鶏の雛をどこで買ったのか尋ねたが、詳しくわからないらしい。今の開拓者が農場に雇われ始める前……それこそ、この農場が荒れていた頃に、偶然きちんと仕事をしてくれる人が、代理購入してくれたという。
「ちゃんとした人も、いたんですね」
「ひと握りだったけどね」
「できれば同じところで買ったほうがいいかと思いましたが……これは新たに買うにしても、きちんとした所がいいのでしょうか。お安いと助かるのですけど」
 鈴梅が天井を見上げて唸った。

 居残り組の酒々井達の為に、シャーウッドは夕飯を用意した。
 固めに炊いて冷ました梅干のおにぎり、蜂蜜を少し使った野菜の金平、二度調理に酢を効かせた揚げ野菜の南蛮漬け。
 保冷庫には氷を詰め、足りない物資を計算し、必要なお金を持って、いざ祭りである。


 白螺鈿は地元住民と観光客で入り乱れ、着飾った者たちで溢れていた。
 桂杏と若獅、久遠院と白木だけが杏の手続きに同行し、残りの者は待合室で待機することになった。一万文という大金を抱え、必要な書類を揃えた杏が不備がないよう確認する。
「杏くん、いらっしゃい」
 現れたのは如彩幸弥だった。如彩家四兄弟の三男であり、杏達の農場が市場に出荷するため、権利を管理してもらっている人物である。若獅と久遠院は愛想よく、白木は少しばかり緊張した面持ちだった。
 杏の傍らに立つ桂杏が、深々と頭を垂れる。
「改めまして、本年もよろしくお願いいたします。お変わりありませんか?」
「ええ、お陰様で通常業務には支障なく」
 意味深な会話に杏が怪訝な顔をしていたが、桂杏は「立場のある方には相応の御苦労があるのですよ」と言葉を添えておく。白木という農場の新しい顔を紹介し、杏が手続き書類と一万文を手渡すと、幸弥は手早く書類に目を通し、お金を計算して、証書の更新を行った。
「はい、おしまい。お姉さんにも、よろしくね」
「うん! じゃなくて、はい!」
 始終温和な幸弥と和やかな時間が過ぎ、桂杏がほっと胸をなでおろす。
「お忙しいのに、まことにありがとうございました。もし宜しければ、御評価をお聞かせいただけませんか?」
「評価?」
「はい。出店を始めて一年になります。改善点や街としての要望があればそちらも」
 如何でしょう? と首をかしげた桂杏に、幸弥は微笑みかけた。
「そうだね。よくやってる方じゃないかと思うよ。何処かと軋轢があるわけでもない。君たちが磨き上げた……杏くんの農場は今は規模が小さいが、杏くんが大人になる頃には白螺鈿の胃袋を満たす一角になると信じている。それだけの所有地もあることだしね」
「……お調べに、なったのですか?」
「まさか。これは虎司馬兄さんの遺産の賜物。おかげで色々管理がしやすくなったよ。僕が所有地に指図をする事はない。無理な急成長は歪を生むものだと思う。でもいつか街を支えてくれる存在になるのでは、という期待はしているつもり。今年もよろしくね」
 桂杏達が複雑そうな表情で話を聞いているので、事情がよく分からない杏と白木が顔を見合わせた。

 更新手続きから戻ると、三人の姿が無かった。
 リトナはミゼリに日よけの帽子を貸して『買い物に行ってまいります』と出かけたらしい。ハッドは集金だろうと予想がついた。白に関しては『食堂が気になるので、様子を見てきます』と出かけたそうだ。時間帯ごとに落ち合う場所は決めてある。

 大通りを歩く若獅が「ところでさ」と皆に話しかけた。
「鶏の雛って専門の人から買うのかな? それとも愛玩用から見繕うの?」
 できれば確かな筋から入手したい、と若獅が言う。
「そのことなんですが」
 鈴梅曰く。
 屋台で買う場合は健康状態が不良であったり、売れ残りの雄が多い場合がある為、よい雛が見つけられなければ、ちゃんとした養鶏業者から買った方が良いと提案した。これには久遠院も同じ意見らしい。
 まずは安くいい雛が見つかるか、屋台の方へ歩いて行った。時々美味しい匂いにつられて役目を忘れそうになるが、なんとか踏みとどまって、ひよこを売っている場所を探す。
 ぴよぴよ声がする場所へ向かった鈴梅が、箱に犇めく雛を見て、店の年配に尋ねた。
「ちゃんと、メスのひよこさんも居ますよね?」
「おじょーちゃん、メスが欲しいのかい? ひよこを見分けるのは職人芸だからなぁ」
 答えになっていない。
 そこへ農場の面々が一気に押し寄せたので、売っているおじさんが仰天していた。ともかく今は雛が大事だ。空箱を用意させた久遠院が、膨大なひよこを、次々と二つに振り分けていく。
「極力、元気がよくて怪我のないものを選んで」
 候補を絞るためだ。
 呆気にとられる店のおじさんは、この際、無視する。
 地味に図書館で見分け方を勉強してきたと胸を張る若獅が、雛を数匹取り上げる。
「羽根の端が不揃いで下羽根が長いとか、色が茶色っぽいのは雌なんだって。欠損があったり、鳴かないでじっとしてたり、足がうまく立ってないひよこは避けて……元気な子を選ぼう」
 この子はだめ、この子はいいかも。
 そんな独り言が飛び交う。若獅が振り返った。
「農場の加工品考えたら、卵産める雌は必須だよな。食肉用の雄もいた方がいいか?」
「……鶏さんは、雄も何匹か混ぜないと、卵を産まなくなるそうです」
「そっかー。ひいなは賢いなぁ」
「皆さん、やっと見つけました!」
 そこへ大荷物を抱えたリトナが戻ってきた。自腹で購入した1000文分の砂糖だ。
 集金を終えたハッドも戻ってきた。少し世間話に興じて話が長引いたらしい。今年の冬は昨年ほど燃料には困らぬようだが、雪の具合によっては燃料不足が完全解消されるワケでもなさそうだという話と、食糧事情は依然として厳しい状況だという話をしていたそうだ。
 戻ってきたハッドがひよこを覗き込み「ふむ〜」と唸りながらお尻を確認していた。
 散々悩んだ後、厳選したひよこを購入する。
 手の平で震える黄色い雛に、若獅の頬が緩んでいく。
「ぴよぴよ可愛いなー、早く大きくなれよ」
 杏を含めた子供たちが、きゃーきゃー言いながら手を出し始める。
「はいはーい、お触りしゅーりょー。雛がくたびれちゃうから、ボクが持つよ」
 雛がいっぱいになった鳥篭を持つ久遠院。
 しかし服の裾を鈴梅がひいた。この人混みの中で、購入した鶏の雛を連れて祭の中を歩くわけには行かないからと、鈴梅は「ひいなが、先に農場に連れて帰ります」と告げた。そこでリトナも「私も一緒に帰ろうと思います」と気恥かしげに笑った。
「ご一緒したかったのですけど、思いのほか荷物が増えてしまいました。皆さんは、どうぞごゆっくり」
 一般的に砂糖は1キロ200文である。1000文分の砂糖、つまり五キロの砂糖を持って祭を練り歩く訳にはいかない。ひよこを預かった鈴梅と五キロの砂糖を抱えたリトナを見送り、残りの者は白原祭へ繰り出していく。

 白木は尼僧の旅装はそのままに同行していたので、時々旅人に間違えられたりもしていたが、先々で好意的に声をかけられて、農場を支えてきた者たちの努力を肌で感じていた。
 食堂へ出かけていた白も戻ってきた。
 白は味にうるさい人妖の桃香に、屋台巡りで食べ比べをさせる予定でいた。
 ハッドは祭の目玉である氷像行列の順路を調べたり、蓮切花を流す為、川から人が消える時間帯や食事処を手配するなど、珍しく走り回っていた。
「吾輩が行列の観覧によい席を確保しておいたぞ。何かしら買い込んで持ち込んだほうがよいじゃろうな」
「じゃあ、先に屋台で調達な」
 若獅は屋台で食材の調達……もとい食べ歩きを提案した。
「杏、分けっこして食べたら色んな物食えるから一緒に回ろう!」
「わかった! みんなもいこ!」
 子供たちは昼間、蓮の仕事を手伝ったご褒美の小遣いを、握りしめて走っていく。
 後ろを追いかけるのが蓮や白たちだ。食べ物を買う話をしたのに、遊びに走ってしまうところが、まだまだ子供の証である。輪投げや射的も、決して蓮達は安易に手は貸さないが、最終的に欲しがっていた景品を仕留めてあげてしまう所は……まだまだ甘い。
 ちなみに金魚掬いについては、聡志と小鳥の二人が『この魚はおいしいの?』と口を揃えたので、周囲のどよめきから潔く逃げた。雇い人の子供達は生まれが過酷な環境だった為、普通の子供と感性が違う……のだが、その理由を知っている者は数名である。
「充実しているようで何よりだ」
 頷くマハは農場居残り組の為に、腐らないような土産を考えていた。
「祭りでの定番……なんだろうか? 私自身あまり買う側に回っていない気がするな」
 珍しく連れてきた人妖の菫が肩から顔を出して「歩き回って見つけては」と意見する。
「では……何があるか見てまわるか。……菫は離れるなよ。何かあれば困るのは皆でありお前ではないからな」
 助言で役に立ったと内心喜んでいた菫は、相変わらずのマハに肩を落とした。慣れているとは言え、少し寂しい。祭へ連れてきてくれた事で良しとしようと、自分に言い聞かせていた。
 少し離れたところで、若獅は杏にこそこそと耳打ちする。
「簪とか選んでミゼリに贈らないか?」
「うん、探す」
 若獅が杏を連れて、ちょっと小物のお店へ走り出す。
 ところで蓮に子供たちの肩車役改め特等席を取られてしまった久遠院はというと、ミゼリが人の波に流されないよう気を配っていた。
 もちろん皆にも、日頃の苦労を忘れて楽しんで欲しかったからだ。
 こうしてミゼリのお目付け役は、久遠院を含めた三人で交代に行った。シャーウッドもミゼリの護衛に専念した一人である。祭の陽気に当てられたり、酒に酔っ払った男たちが近づかないように気を使っていた。酒癖の悪い酔っぱらいを手早く遠ざけていく。
「うちのお姫様に誰も手を付けさせない、なんてな」
「有言実行ってところかな」
 はい、と氷菓子を差し出すユーハイム。遠巻きに久遠院とミゼリの様子を眺めながら「かえって、お姫様扱いじゃない方が良いかもしれないね」と誰にともなく呟いた。
 やがて白が子供を連れて戻ってきて、仲間の分の串焼きも配っていく。
「ミゼリさん。この串焼き美味しいですよ。どうぞ」
「ありがとう」
「熱いですから気をつけて。豚肉です」
 惣菜を次々に買い集めて、ハッドが予約したという席へ一行が向かう。
 これから行列が通るという時に、白木が立ち上がった。
「しばらくこの席にいる?」
「ああ。何か用事か?」
「街を散策してこようと思って。まだ顔も知られていないし、町の人達の素直な意見を拾いたいって思って、ね。行列が終わる頃には戻るわ」
 白木は街の地図をシャーウッドから受け取り、祭りで賑わう小道の中へ出かけていった。
 杏が「あ、きたー!」と柵から身を乗り出して手を振った。
 降る花。聞こえる楽の音。過ぎ行く氷像の行列に皆が魅入られるなかで、ミゼリはただひとり、食べることに専念していた。皆がどれだけ美しさを褒め称えても、彼女は見ることができない。シャーウッドが果物を器用に切り分けながら、隣で囁く。
「ミゼリ、祭囃子が聞こえるだろう? 外の世界にもこういう楽しいことは沢山あるんだ。今のうちにこの世界の『音』をよく聞いて、心の中で覚えておくといい。次に目が見えたとき、その感動が何倍にもなるから」
 いつか。

 行列も終了し、白木も戻った深夜になると、流石に燥ぎ回っていた杏たち子供も体力が尽き始めて、うとうと眠り始めた。シャーウッドが後片付けを始める。
「そろそろ帰ろうか」
「すまない。先に帰っていてくれ。少し訪ねたい所があるんだ」
 背中で寝ていた子供をシャーウッドに預け、蓮は夜の闇に消えた。
 祭囃子が遠ざかり、道の煌めきから遠ざかっていく。
 子供たちはシャーウッドやユーハイム達の背中で、すやすや寝入っているが、白達は祭の興奮も冷めやらぬうちから明日の農作業について相談していた。農家の朝は早いからだ。
「玉蜀黍とか夜中とか明け方の方が美味しいんですよね。寝る前にお握りとお茶、作っておきます。酒々井さん達、もう寝てますでしょうか?」
 居残り組の酒々井たちは、蝋燭の絵付けをしていたようだ。

 ところで祭の夜に消えた蓮は、明け方に帰ってきた。
 如彩家の次男、神楽が経営する飲み屋に行ってきたらしい。てっきり『大人の息抜き』かと思いこんでいた者たちへの土産話は、四男の虎司馬が亡き後、故人の担当区を一時的に実質的な管理しているのが、後継者争いから外れた神楽だという事実だった。
『二人に分割するって話も出たのだけどね』
『無しになったのか』
『やり方が違いすぎて混乱を招くだろうって。今の私は、病床のお父様の代理に手伝ってるだけね。私が出張って不本意な連中が多いけどぉ、まぁ下手にクマちゃん達の力関係を崩すわけにはいかないでしょ。一時的なものよ』


 二日目の朝早くから、皆で一斉の収穫が行われた。
 収穫するのは玉蜀黍、人参、枝豆である。
 リトナは久々の収穫作業で泥だらけになっていた。運搬には相棒のフィアールカに手伝ってもらう。若獅は家畜の餌やりと水やりを終えてから収穫に加わった。白木は収穫に不慣れかと思いきや、せっせと働いた。閉鎖されていた故郷では、畑仕事も自分たちで手がけていたらしく『収穫の力になれるはずよ』と得意げに話していた。
 青い空に太陽が登っていく。
 徐々に上昇する気温で倒れたりする者がいないように、適度に気を配っていたのは桂杏である。休憩の時には、人妖の百三郎と一緒に、塩を効かせた冷たい飲み物を配って回る。白は盥に水を張って氷を落とし、布を冷やしたりして皆に配った。
 午後も収穫作業に残ったのは、久遠院と酒々井、ユーハイムと蓮の四人。
 収穫に精を出す酒々井は、雛鳥の世話を人妖の雪白に任せていた。一方の雪白はつつかれないかが問題らしい。
 若獅は、午後は収穫した作物を等級分けして倉庫へ運び入れると、畜舎で牛を散歩に放って、忍犬の天月を走らせ、手早く掃除を始める。牛の散歩とストレス発散の相手は、幸いにもシャーウッドが担当してくれている。普段よりやる気に満ちているのは、牛の世話が終わり次第、小屋にひよこ専用の囲いを作ろうと考えていたからだ。
 白は桂杏と栽培箱の紫蘇を収穫して、飲料や塩漬けに加工していた。余裕があれば、枝豆や人参をすりつぶしてスープを作ろうと胸を躍らせる。
 鈴梅は運搬をもふらの長老様に任せ、自分は近所への挨拶回りをかねて、氷を配りに出かけていった。
 リトナは午後から森の散策に出かけた。将来的に果樹を植えられないかと考えていたからだった。ハッドも午後から森へ入ったが、昨年伐採してまとめておいた巨木の状態や、新しい枯れ木に印をつけていった。後ほど切り倒し、薪の材料にする為だ。
 マハは毎度ながら堆肥の手入れに向かったが、昨年の堆肥の袋詰めを終えたところで、雌牛と格闘を終えて草臥れていたシャーウッドを捕獲し、ズルズルと引きずっていった。夏場の新しい堆肥は猛烈な匂いであるが、田舎の香水と笑い飛ばさなければ始まらない。
「そういえば……コレは幾らで売れたんだろうか。明日、迎えに行くついでに見てくるか」
 嗅覚を破壊するこれら堆肥も、マハ達が育てた大事な商品である。
 値段の把握は欠かせない。
 昨日、マハと一緒にいた人妖の菫の姿はない。日も昇らない早朝に『明日迎えに行くまで食堂に住み込んで働いてこい』という主人命令の為である。それでも『マハの為に』と街の噂話や環境の変化を調べる健気さや、食堂の主人に対する礼儀正しさは尊敬に値する。
 皆が寝静まる夜になるとリトナは竈を温め、焼き菓子作りをせっせと勧めた。砂糖は沢山仕入れたし、久々に立つ台所には充実感を覚える。手土産用のお菓子にはとても気を使った。


 三日目は慌ただしく過ぎていった。
 鈴梅とリトナ、白は朝早くから挨拶回りを兼ねて「最近、何か変わった事とかはありませんでしたか?」と訪ねて回ったが、特に街で大きな事件は起こっていないらしい。
 少なくとも近隣農家の耳に入らない程度には。
 マハが市場調査の為に街へ。桂杏は珍しく加工品を持って料亭『まほろば』へ。
 ハッドは既にある地図を持って、森へ楓を探しにいった。久遠院は昨日酒々井から森に誰か立ち入った形跡がないと聞いていたので、収穫時期の果実を探しに出かけた。白木は人妖の彩乃とともに散歩である。地図には桜桃の木の場所や、栗の木のある場所、キノコの群生地など、細かく記されていて、童心に返ったような感覚を覚えずにはいられない。
 屋敷の中では、野菜の整理と加工品作りが黙々と続けられた。
 酒々井は昨日ハッドが積み上げた薪用の枯れ木から、乾燥したものを選び取り、四十センチ幅に小分けにし、鈴梅のもふら長老様に運搬を手伝ってもらっていた。
 薪用の樹木というのは、生木の自然乾燥に一年から二年ほどかかる。
 昨年の苦労を経て、適した樹木の見つけ方や薪の作り方は心得ていた。運んできた丸太を、手斧でカンコンカンコン音をたてて薪を積み上げていけばいい。
 午後の一番日差しの厳しい時間は、昼寝で体力を回復し、夕方になると酒々井は志体持ち故の脅威の身体能力を発揮し、一時間に約12日分、日が暮れる頃には36日分という脅威の薪量を積み上げていた。

 時は穏やかに過ぎていく。
 初日は祭疲れ、二日目は収穫疲れ、そして来たる三日目に、ようやく夜の集いがあった。
 子供たちが寝静まった頃の、農場における実質会議である。
 そして目玉となるのが夜食だが、珍しく台所に蓮が立っていた。食べさせたい料理があるらしい。玉蜀黍を磨り潰して小麦粉と混ぜ、生地を作り薄焼きにしている。シャーウッドが興味深げに横で眺めていた。
「パン、か?」
「いや、パンはパンでも、これはただの皮だ。焼きあがったら濃く味付けしたひき肉や野菜、煮豆、炒めたご飯なんかを挟んで食べるんだ。材料が足りなくて娘のレシピ通りにできないけどな」
 あーでもない、こーでもない、と賑やかに語り合う。
 鈴梅は「うっかり忘れたりすると、大変ですから」と帳簿の確認と整理をしていた。
「ひいなは気にせず続けてくださいね」
「そう? こっちは今日、ご近所とハーブの手入れについて話していたかな。あ、言い忘れていたよ。今日ハーブの手入れをしていたら、お客さんがきていたよ」
 ユーハイムが鈴梅に農場地図の一角を示す。以前、薄荷畑の権利を買った人物だといい、様子を見に来たらしい。今度、収穫に来るそうだ。
 蓮と夜食を作るシャーウッドは、昼間は作物の保存場所を作っていたらしい。
「今は倉庫で済んでいるけど、今後収穫物が増えてくると、暑さも続くし今のままじゃ場所が足りなくなりそうだからな。日中通して日蔭多めで……涼しいところがいい。流石に一朝一夕じゃ無理だから、次来るが本番だな」
「……薪と木材かー、木材は別に集めるか」
 ぐったり板の間に転がっている酒々井に、シャーウッドがコップを渡す。
「薪を作り始めてたな。どうだ調子は」
「648本かな。四ヶ月の冬を凌ぐには足りないが……これから少しずつ始めていく」
 肩をすくめて牛乳を煽る。雪白が日焼けした肌に、冷たい布を当てていた。
「まあ、偏らせてた虎司馬もいなくなったし、去年ほど薪不足は酷くならないと思いたいが……備えは必要だろう? 秋になったら本格的に始めないと足りないぜ」
「薪かー、そうだよなぁ」
 若獅はひよこの囲いを完成させた後は、延々マヨネーズやバター作りの為に腕を動かし続けていたので、こちらも腕がパンパンになっている。
 そこでリトナが話題を変えた。
「ところで卵を産まなくなった鶏さんはどうされますか? 今までの感謝を込めて最後まで面倒を見ると言うのもありますが……良い出汁が、取れるそうです」
 ちらりとマハを一瞥する。
「実は……堆肥の値段調査へ出かけたマハさんに、食堂にも寄っていただいて代わりに伺ってもらいましたが、食堂にお肉を仕入れるのもいいかもしれません。少しばかり高級品になってしまいますが」
 一般的に鶏一羽の値段は800文から1000文程度である。
「食堂の主人のサボりぐせが解消された……とは言い難いが、まぁ働いてる方だろうな。その主人が『鶏肉で何か料理したい』と新しい料理をする気になったようだし、出荷しても良いように思う」
 また何かあったのかと、酒々井が意味ありげに人妖菫を見たが、諦め顔に哀愁を感じた為、何も尋ねないことにした。マハが続ける。
「客の出入りも増えたとは言え、期間限定料理なるものを再び出してもよいのではないか」
 白が「そういえば」と話に加わった。
「お祭りだからかもしれませんが、沢山の方がいらっしゃいましたね。代わり映えのないお品書きにガッカリされている方もいたので、即席で白原祭限定御膳を提供したりしましたから、ちゃんと考えた方がいいかもしれないです。ね、桃香」
 昔考案した料理が定着しているといっても、供給が途切れれば、需要も不安定だ。例えば今回、鶏が卵を産まなくなってきた事で、塩卵の生産量も一時的にだが落ちている。名物の一つの塩玉子丼が一日数十食に限定されている状態である。
「もう少しすれば秋の実りが嬉しい頃だしね」
「きのこの群生地は、まだだったみたいよ」
 白木が散歩を兼ねて森を辿ったが、噂に聞くきのこの群れにはお目にかからなかったそうだ。
 桂杏が「残念です」と呟く。
「あそこの茸のバター炒め美味しいのですよね」
 ついでに桂杏は街でバターの需要増を肌で感じている事を伝えつつも、大量生産の難しさに悩んでいた。手作りでは量が限られるが、手作りだからこその良さがある。
「それと料亭の方を訪ねました。自家製ヨーグルトに興味を示してくださいましたので、今度数日限定で出してみても良いとの回答をいただきました。問題はやっぱり品質ですが」
 桂杏は更に、季節の果物を入れられないか悩んでいた。
 問題は品質、そしてコスト。輸入品より安く売れる強みを保持しつつ、いかに利益を上乗せできるかを、帳簿をつける鈴梅の隣で悩んでいる。
「みんなー、夜食ができたぞー」
 長閑な声とともに、初めて食べる料理が運ばれていく。

 わずか三日の農場暮らしは、あっという間に過ぎていった。
 けれど遠ざかる祭囃子と終わりゆく夏風の匂いが教えてくれる。

 忙しい秋が、まだ始まったばかりだということを