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■オープニング本文 その日、開拓者ギルドに一枚の募集広告が張り出された。 神楽の都から、少々離れた山の麓。暑い季節には避暑地として名の知れた場所で、じきに納涼床……つまり川面の上のお食事どころが期間限定で開催される予定なのだそうだが、何しろ小さいとはいえ山、そして昨今のアヤカシ被害に伴い、毎年納涼床を行う沢が安全かどうかを、百戦錬磨の開拓者たちに調べてほしいという。 もしアヤカシがいれば、勿論根絶やしにさせること。 納涼床に適した場所を探し出すこと。 この二つを条件に、あとは自由にしていいそうだ。 小山の麓から沢を上って滝へ向かい、降りてくるまでの丸一日。 旅行気分で行ってみるのも悪くないですよ、とギルドの受付は微笑んだ。 + + + 「あついなぁ……」 陰陽師の御彩霧雨は、そう呟いて窓から空を見上げた。 澄み渡る蒼い空に、白く汚れのない雲が泳ぐ。 とある仕事で判断を誤った彼は、ひとつの決意を実行するか否かで揺れていた。かといって親しい相手には間違いなく心配をかけるので告げにくい。 堂々巡りを繰り返す内に、霧雨は何故か遊郭にいた。 別に、女と遊びに来た訳でも、女を抱きに来た訳でもない。 知り合いの来訪を恐れ、家から逃げてきたのである。 此処は悪友がかつて潜入捜査で使っていた遊郭で、勝手知ったる飲み屋のような場所だった。宿ではないので誰も探しにこない。大金を預けて一室を借りあげているので、何も言わずに、食事と寝床の用意だけはしてくれる。 「はぁ」 「そないに溜息ばかりついてはると、幸せが逃げますぇ。特別に……わちきが慰めてさしあげましょか?」 現れた遊女が膳を運び、妖艶にすり寄って首筋に息を吐く。 「……卯木、あっつい」 にべも無かった。遊女が抱擁を解く。 「あんれ。天下の卯木太夫を袖にしはるなんて、好かんねえ。ぬしさま……ほんに一晩も楽しんでおりませんのやろ? 男前の陰陽師様やって、留袖の子らが色めき立ってはるのに」 「わりーな。ん、今日は柚子風呂かぁ」 肌の残り香に笑って、膳に手をつける。ただそれだけ。 既婚者かと思うぐらいお堅い男だという事は、遊女の方も承知の上だった。 ところで太夫が膳を運んできて、一向に帰る様子を見せない。嫌な客でも来たのだろう。 遊女は暫く、自主的に話し相手をしていた。 霧雨も咎めなかった。 「へぇ、裏の川が解禁間近か。一昨日の鮎も美味かったしなぁ……俺も気分転換にいってくるかな。卯木。禿(かむろ)を呼んでくれ。使いに出す」 「あい」 こうして沢登りに向かう開拓者が、またひとり。 |
■参加者一覧 / 真亡・雫(ia0432) / 柚乃(ia0638) / 酒々井 統真(ia0893) / 氷海 威(ia1004) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 露草(ia1350) / 弖志峰 直羽(ia1884) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / フェンリエッタ(ib0018) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / ファリルローゼ(ib0401) / 天霧 那流(ib0755) / 透歌(ib0847) / 无(ib1198) / テーゼ・アーデンハイト(ib2078) / 言ノ葉 薺(ib3225) / 杉野 九寿重(ib3226) / 東鬼 護刃(ib3264) / 嶺子・H・バッハ(ib3322) / ローゼリア(ib5674) / フレス(ib6696) / ギイ・ジャンメール(ib9537) |
■リプレイ本文 二年ぶりの沢登りに懐かしさを覚える。 礼野 真夢紀(ia1144)はからくりのしらさぎを伴い、沢を登っていた。 「瘴気もないし、アヤカシもいないっと。……しらさぎ?」 礼野の遙か後方で、しらさぎがずぶぬれになっている。 人と違う硬質の肌を持つ傀儡は、あっちですってん、こっちですってん、と足をとられていた。 「……大丈夫?」 お弁当は自分が持っていて正解だと礼野は頭の隅で考えた。 「だいじょうぶ。まゆき、あの赤いの何? きれいです」 「あら嬉しい。あれは木苺。初夏と場所によっては秋に実るの。甘くて美味しいわよ。おやつにとりましょうか」 しらさぎが「はい」と頷いて採取に向かう。 そんな沢登りの片隅では、壮絶な修羅場が巻き起こっていた。 「ねぇ、霧雨さん。何か隠してる事無い? 正直におっしゃいな」 依頼そっちのけで御彩・霧雨(iz0164)に詰め寄る天霧 那流(ib0755)の表情は、微笑んでいたが……殺気が尋常ではない。 というのも。 抱きついてみたら、覚えのない白粉と香の匂いがした訳で。 「家にもいない。ギルドにもこない。会えなくて寂しくて凄く心配してたのに……女の所に転がり込んでるなんて、どぉぉぉいう事かしら? 他の女は良くて、あたしじゃダメなの?」 壮絶な笑みが怖い。 「あ、うん、探すだろうなーとは思ったんだが……ほかの女? おん……、一応女のトコにはなるのか」 男の応答が間抜けすぎる。 俗に言う般若面とは、こんな形相を示すに違いない……とは、近くを通りすぎた男性開拓者談である。 「なんですって!?」 「単に昔の部屋を貸してもらってるだけっていうか、別に変なことは」 「変なことってなによ! 誤魔化さないで! 何も言う事はないの? いつもそう……肝心な事は話さない。心配かけまいと黙ったままにされるのが、どれだけ不安で辛いと思ってるのよ……バカァ!」 襟首を捕まれ、揺さぶられる。 霧雨と那流の押し問答は、沢登りの間は勿論、滝壺到着後も暫く続いていたと、目撃者たちは語る。 小川のせせらぎの中を、東鬼 護刃(ib3264)は歩いていた。 「これは良い場所じゃなぁ。沢登り川遊びに興じて、涼を取るとするかのぅ」 誘ってくれたのは、盟友にして最愛の人。 言ノ葉 薺(ib3225)は軽やかな足取りで前方を進む。 東鬼は双眸を緩く細めた。 「薺もそうして水遊びをしておると、ほんに幼子のようじゃのぅ? どれ、わしも一つ童心に返ってみるとするかのぅ」 言った途端、ばしゃりと盛大に水が跳ねる。 目の前で揺れる尻尾と悪戯な微笑み。 水遁などを使った二人の大人げない張り合いは、滝壺に辿り着くまで続いた。 今日のように日差しが強い日は、全身ずぶ濡れでも気持ちがよい。 滝壺に飛び込む者達を横目に、言ノ葉は木陰で足を止めた。 尻尾がぴんと立って何かを思いついたように、ゆらゆら揺れる。 木陰に座って膝を叩いた。 来い、という意味らしい。 「護刃」 「では膝をかりるとするかのう。はぁ〜、遊んだ遊んだ。こうしたひと時も偶には悪くないものじゃ。さ、あとはだらだら避暑旅行を楽しむとするかのー」 ごろんと横になって東鬼は空を見上げる。 緑深い木の葉の天井。時々差し込む夏の日差し。 蝉の声はまだ聞こえないけれど、微睡むにはちょうどいい。 「……のぅ、薺?」 「なんですか」 「今生も、死出の旅も楽しみ、次の生を受けたなら……今度は幼き時より、共に旅をしたいものじゃなぁ」 この先も、ずっと先も。 死が二人を分かつとも。そして来世でも出会えたならば。 願うような、祈るような、夢心地の中で、瞼が静かに降りていく。 「おや? ……おやすみなさい。良き夢を」 微睡みの夢も、あなたと共に。 水と戯れ、沢を登り、滝壺から空を見上げて。 「最近、暑くなってきましたねぇ」 町中で感じる強い日差しと湿気の多い空気が、此処では嘘のように清々しい。 露草(ia1350)の目の前ではフレス(ib6696)がはしゃいで泳いでいた。少し泳ぐと足がつかない深さになるが、水の透明度は蒼く澄み渡り、小魚が傍を泳いでいく。 「ふー。こういう時こそしっかりと泳いでおきませんと! それでは私も」 じゃぼーん、と露草の後ろから水しぶき。 「露草姉さまー! 隙ありなんだよ〜!」 故郷では浴びるほどの水で遊んだりしなかったフレスも、気づけば水を得た魚のよう。 盛大な水かけ合戦の後、岩場で休むことにした。 露草はフレスにキャンディボックスを手渡す。 「あ、そうそう。フレスちゃん、どうぞ。この赤いのとか、苺味っぽいですよ」 「露草姉さまはキャンディありがとうなんだよ。疲れた時にちょうどいい感じなんだよ」 「どういたしまして! ……は!」 我に返った露草が「樹里ちゃーん」と呼ぶと、別の人妖が飛んできた。 霧雨の所へ時々預けられる人妖で、もとは玄武寮副寮長の人妖だ。川に降りると流されてしまうので、水面スレスレの所を浮いていた。樹里が「なぁに」と顔を出すと、露草が小瓶を差し出す。 「これこれ、香水! 良かったら使ってみてください。襟元とか裾につけるとふんわり香りますよ」 樹里の瞳が輝いた。飛びついて「きゃー、ありがとう!」と告げると、懐から小瓶をとりだし、少しだけ分けてもらう。露草が「それ、なんですか?」と首を傾げる。研究室から持ってきた小瓶らしい。普段は金平糖をいれているのだそうだ。 「樹里姉さま、嬉しそうなんだよ。いい匂いなんだよ」 「へ? 姉さま?」 樹里の顔が、ぱあ、と華やいだ。 姉さま、なんて。初めて呼ばれたからに違いない。 同じく真亡・雫(ia0432)も滝壺で泳いでいた。 元々涼をとるつもりでやってきた。 暑い日差しと澄んだ空気の中で、冷たい水につかっていると、夏の訪れを肌で感じる。 ぷかぷか浮いていると足をすり抜ける魚がいた。普通の魚ではなく人妖の刻無である。泳ぐという経験をさせるつもりで連れてきたのに、見ての通りだ。 「ダメだよ、刻無。人魂で泳ぎやすい生き物に化けちゃ」 魚の姿なので喋らないが、視線が文句を告げている。 「この肌身で浴びる冷たい水が気持ち良いんだよ。あぁ、今年も夏が来たんだなぁ……って。何だか季節が変わるたびにわくわくするよね。楽しみだよ」 ただ水面に浮かぶ。 魚に変じていた人妖が元に戻り、真亡の腹の上で仰向けになった。 「こら、刻無〜、ん?」 人妖がじーっ、と一点を見つめている。 首を捻ると、滝の真下に人影がある。ぴくりとも動かない。 もしやアヤカシか、と用心深く近づいて滝の裏を覗き込んでみると、そこには氷海 威(ia1004)が薄着と褌姿で滝に打たれていた。 「び、びっくりした……泳がないんですか?」 「いやその、女性が裸身を晒しているところにいるわけには」 もごもご言いながら岩の上に腰を据えて、岸壁方向を向いていた。 遠くでは嬌声が聞こえてくる。氷海の顔が赤い。 肩に刻無を乗せた真亡が「なるほど」と一人呟いた。その時、盛大な嚔が聞こえてきた。長時間の滝行で体を冷やしすぎたのだろう。 「外、気持ちいいですよ。少し、そこの岩場で休んでみたらどうかな」 真亡は、柔らかな日差しが照る岩場を指さした。 時は少しばかり巻き戻り。 沢登りの途中で山菜や木の実を摘んだ柚乃(ia0638)は、からくりの天澪と共に、様々な食事を作っていた。手土産の山菜は別にあるが、やはり新鮮な味が楽しみたいし、周りの人に喜んでもらいたい。 自然の恵みに感謝し、山神様や精霊にお祈りを捧げて。 やがて漂う大葉味噌の香ばしい香り。 山菜ご飯。近くの人が分けてくれた魚の塩焼き。吸い物には沢蟹の風味を加えて。 「天澪、てーんれーい、少しお留守番してて?」 「一人はだめ」 服の裾を掴む手に苦笑一つこぼして「そこの人に届けてくるだけだから、火の番をお願い」と告げた。渋々手を離す様子を見て、手のかかる妹ができたような錯覚を覚える。 柚乃は足下に気をつけながら、近くの岩場で体をさすっていた真亡達のもとへ向かった。 「そこの人、よかったらどうぞ。とれたて新鮮なのですよー!」 真亡と氷海が椀とおにぎりを受け取った。 「いいの?」 「勿論! ……向こうで色々料理してますから、後できてください。お酒もありますよ」 ちゃっかり酒は流水で冷やしていた。 滝壺の禊ぎも捨てがたいけれど、こうして和やかな時間を過ごすのも悪くない。 嶺子・H・バッハ(ib3322)にとって滝壺で泳ぐよりも魅力的なことがあった。 何かというと滝に打たれて精神統一を行う事である。 遠巻きに滝の方を窺っていると、真亡と氷海が滝から離れていくのが見えた。 今こそ好機! もはや一刻の猶予も許されない。 「ちょうど良いわ、胡蝶! 見ておきなさい。伝説の始まりを!」 ビシィ! と滝を指さし、隊長に宣言して、制止の声も聞かずに走り出した。 「嶺子、馬鹿なことをする気なんじゃ……」 胡蝶(ia1199)の心配なんて、ちっとも頭にない嶺子が滝の真下に到達した所で「冷たっ! 水意外に冷たっ!」と叫ぶ声が聞こえた。 しかしそこで挫ける嶺子ではない。 震える体に鞭を打って「ふ。私ともあろう者がすこし動揺してしまったわ」と気丈に髪を掻きあげる。容赦なくザバザバ水が降る状態なので、格好はつかないが、動じずに胡蝶に叫ぶ。 「いいこと胡蝶! 私は! 来るべき世界の危機に対し! 百戦百勝が約束された新しい奥ごほ! ぉ、奥義を会得しなければならな、げふ、い! その目に刻みなさい! 今こそ滝に打たれ、目を閉じ、自然と一体化することでそれが可能にばばば」 嶺子に『喋るな』と言ってやりたい。 先ほどから、相当の水を飲んでいる。 「流れに逆らわず、それでいて激しくっ! 天へと届け、神魔覆めごぼぼぼごぼがばば!」 ざぼーん。 嶺子、水圧に流される。胡蝶は……何も見なかったことにした。 「鏡弦にも反応しないなぁ」 テーゼ・アーデンハイト(ib2078)が確認をして戻ってくる。 胡蝶が肩をすくめた。 「アヤカシ退治なんて聞いていたけど……全くいなかったわね。住民は心配しすぎよ」 小隊『紫紋』の仕事をかねてみたものの。 平和すぎて肩すかしを食らった胡蝶は、沢登りを親睦会に切り替えた。とはいってもざぶざぶと泳ぐ者達の真似をする……というより人前で肌をさらすことに抵抗がある為、滝壺にせりでた岩の上に腰掛け、裸足を水に浸す。 「だな。さて、アル・カマルは暑いからな。ここで十分鋭気を養って、弦を引く力を付けるとしますか! そういえば鮎が釣れるらしいから、支度してくる! 皆の分まで釣れたら塩焼きにして振る舞うぜー」 テーゼが意気揚々と釣りの場所を探しにいく。 視線を外すと水面から透歌(ib0847)が顔を出した。 胡蝶が「何かついてるわよ」と言いながら水草をとってやると「一緒に泳ぎませんか?」と言うので「私はいいのよ」と頭を撫でた。 「私のことより、嶺子を回収してやって。浮いてるから」 透歌が「はい」と言って水面に沈む。 少し離れた所で泳ぐ杉野 九寿重(ib3226)とローゼリア(ib5674)を見かける。 杉野とローゼリアが手を振ったので、手を振りかえした。 「暑いからこそ、楽しめる涼もある……ってことかしらね」 有意義なひとときだ。 一方、ローゼリアは「ふふ、こういうのも偶には悪くはありませんわね」と呟いた。 此処へは杉野に誘われて来た。 小隊『紫紋』との顔を合わせは初めてになる。 『何時も依頼同伴して貰ってお世話になっている相棒で親友たるローゼリアですね』 『私、砲術師のローゼリア・ヴァイスですの。よしなに』 『私は胡蝶よ。この子は透歌、あっちがテーゼ、向こうにいるのが嶺子ね』 顔を合わせてから滝壺に来るまで、ずっと一緒だった。 少しばかり垣根が取り払われたような気がする。 「ローザ」 杉野の声で我に返った。 ローゼリアは泳ぎが得意ではなかったので、杉野から犬掻きを教わっていた。泳ぎ方も色々ある。すいすいと自在に深みへと泳いでいく者達を羨ましく思いながら、浅瀬から少しずつ深いところで泳いでいった。 「つかれましたわねー、九寿重。でも、気持ちよかったですわ」 猫のように背筋を伸ばす。 水から上がると独特の疲れが体を覆った。 「あらローザ。まだ序の口です。涼を取るのはやはり泳ぎが一番。バテるのは早いですから、腹ごしらえをして、何匹か魚を釣って、最期にもうひと泳ぎ致しましょう」 杉野が指を差す先で、テーゼが魚を釣り、透歌達が焚き火を始めていた。 早く来なさいよ、と胡蝶達の声がする。 そして泳ぎもせずひたすら釣りに興じている者も多い。 例えば弖志峰 直羽(ia1884)と水鏡 雪彼(ia1207)はゆっくりできる木陰の岩場に場所を構えて、釣り糸を垂らしていた。 「ねー、直羽ちゃん。今だと何が旬だっけ? 鮎だっけ、鰹は海だよね」 「この時期の淡水魚で旬なのは、鮎や鰻、泥鰌あたりかなぁ?」 「とりあえず、食べられるものを塩焼きで食べようね」 「塩焼きかぁ。鰻は夜行性だし、鮎とかかかると嬉しいね〜、塩焼き大好き!」 そう言う弖志峰の桶の中には何故か、奇妙な色の泥鰌が入っていた。 釣った訳ではない。岩陰に呼吸をする為、あがってきた泥鰌数匹を水と一緒に汲み上げただけなのだが、普通の泥鰌に混じって、鮮やかな茜色をした泥鰌がいた。 弖志峰が食べられるかどうかを心配し、水鏡が「きれーい」と純粋に喜んでいた。 実はこの奇妙な泥鰌は『緋泥鰌(ヒドジョウ)』と呼ばれる白変種であり、世間では観賞魚として高値で売買されているのだが、そんなことを知る由もない二人の胃袋に、後々消えることになる。 「あのねー、直羽ちゃん。こういうものは欲を出すと逃すって聞いたの。無心で無心で……頑張ればきっと。でも、身が一杯ついて美味しいお魚が食べたい!」 本音がでた。花より団子である。 「お魚さん、出来る限り綺麗に食べるからひっかかって!」 「うん、釣りは真剣勝負だもんね!」 真剣に水面を見つめる水鏡の傍らで、弖志峰は昔の思い出にひたっていた。 二年前は流し素麺をしにここへ来た。今日は大切な人とふたりきり。特別な日だからこそ美味しい魚を釣って、喜ばせたいと思う。鮎が釣れれば、塩焼きに酒蒸しに……と想像が膨らむ。 「直羽ちゃん、助けて!」 悲鳴で正気に戻った弖志峰の隣で、水鏡がずるずると岩壁に引きずられていく。 このままでは落ちる。 うんともすんとも言わない自分の竿は放りだし、弖志峰が後ろから手を貸すと、鮎にしては強すぎる力に目を疑う。糸が切れるかもしれない。 「いっせーので、つり上げよう。い、せーのー、で!」 じゃばーん、と水面から魚が舞った。 そのまま岩場に引きずり揚げられたのは、鮎でも泥鰌でもない。 弖志峰の肩幅ほどもある石斑魚だった。 「あはは、なにこれ、おっきすぎー。串に刺して焼けないね、お刺身かな」 声を上げて笑う。 弖志峰は抱えた水鏡の笑顔を眩しく思いながら、はたっと我に返る。 「次、負けないよ」 「雪彼だって、今度は一人で釣ってみせるよ」 ところで七月に釣れる川魚って、なんだろう? 香魚と呼ばれる鮎(あゆ)は脂がのり、石斑魚(ウグイ)の中でも大きなものは片腕ほどの大きさで屡々発見される上、岩魚(イワナ)の淡泊な味は、山女魚(ヤマメ)と並び称される。 誰よりも釣りに励んでいたのが、フェンリエッタ(ib0018)とファリルローゼ(ib0401)の二人だった。二人は沢登りをする前、こんな話をしていた。 『おじい様と一緒に釣りもしたけれどいつ以来かしら? お姉様、どちらが先に釣り上げるか競争ね!』 岩魚や山女魚もいいけれど、美味しい鮎の塩焼きが食べたいと願ったフェンリエッタ。 『ではフェン、どちらが多く釣れるか勝負よ』 斯くして二人は誰よりも早く滝壺に到着し、一番に居場所を陣取って釣り糸を垂らした。 桶の中には鮎や岩魚が息苦しげに蠢いているが、小振りな魚が多い。向かいの男女が大きな石斑魚をつり上げたのを見て、ファリルローゼは対抗心をメラメラと燃やした。 「く、今日一番の大物、来いっ!」 しかし荒い竿使いに、魚が次々逃げていく。 「ふふっ、お姉様ったらそれじゃお魚さんが逃げちゃうわ」 冷茶を差し出して、のんびり気ままに大物狙い。 妹の笑顔と気遣いに癒されながら、滝が織りなす虹を見上げる。 水飛沫が薄い霧となって、周囲を包んでいた。 「ね、お姉様。滝って飛沫と一緒に何か……癒しの力が降ってくる気がしない? 心の底から透き通りそう。澄んだ空気が体に染み渡っていくんだわ」 深呼吸を一つして、体を伸ばす。 食いしん坊な心の歌が、霧の向こうにとけていく。 「フェン?」 「え、なに、お姉様」 「あ……えっと、竿、ひいてるわ」 フェンリエッタの髪飾りに手を伸ばしたファリルローゼが、視線を彷徨わせて、ごまかすように釣り竿を示した。確かに竿は引いていた。慌てるフェンリエッタの後ろ姿を眺めて自嘲気味に微笑み、隣に戻る。鮎をつりあげたフェンリエッタが、物憂げな姉の横顔に気づいて、そっとファリルローゼの手を握りしめた。 子供の頃からずっと同じ。 言葉はなくても、伝わるものが……そこにあるから。 時と共に、釣り人達は食事を始めた。 白身魚がほくほくだと喜ぶフェンリエッタやファリルローゼ。 その対岸で、鮎の塩焼きに食いつく水鏡と、水鏡の口元を拭う弖志峰たち。 大切な人と過ごす楽しい時間は勿論幸せだ。 後からのんびりと釣りの場所を構えたからす(ia6525)と琥龍 蒼羅(ib0214)、无(ib1198)と酒々井 統真(ia0893)の四人は特に示し合わせた訳でもなく、同じ気ままな一人釣りをする者同士で雑談をしながら魚釣りを楽しんでいた。 四人がつり上げた魚は、四人の桶にない。 何故かというと、そのすぐ傍で料理に専念していた柚乃が、いつの間にか料理係になっていた為である。 料理方法を聞いたり、山菜や種火を分けてもらったり、調味料の貸し借りをしていると、いつのまにか人の輪が生まれる。 「お魚が焼けたよ〜!」 柚乃が叫ぶ。 戦での負傷がまだ癒えていない琥龍は、通りがかりで誘われた釣りを、それなりに楽しんでいた。趣味というわけでもないが、次々釣れると面白さも生まれる。しかし柚乃の声を聞いて、一旦釣りをやめ、柚乃の所へ歩いていった。 「流し素麺の支度はするのか?」 「うん。みんながお魚たくさん釣ってくれたし、お昼だし、茹で始めてるよ。氷水でしめるの手伝って。あ、ちょっと焼き上がったの渡してくるね!」 柚乃と入れ替わりで鍋の傍に座った。 琥龍は、ゆでた素麺を引き上げながら滝を見上げる。 「大分前に誰かが言っていたが。滝や川の流れる音もまた自然の作り出した旋律、か。確かにその通りかも知れんな」 体を休めるには、丁度言い機会だった。 そして席を離れた柚乃は、小腹押さえの鮎の塩焼きを、からすに手渡す。 「たくさん釣れた?」 「最初に比べると、減ったな。まぁ焦っても仕方ない。こうしたものはのんびりやるのだ」 暇つぶしの野草図鑑をぱたりと閉じたからすが、塩焼きを受け取る。小腹おさえだ。ちなみに事前にからすが作ってきたおにぎりは、流し素麺の時、皆に振る舞うと決めていた。 「そろそろか?」 「うん、茹で始めてるよ」 「では手伝おう。台の準備が必要だな。食べ残しなどで沢を汚さぬように、色々作ってきたんだ」 釣り竿をそのまま无に預けて、よいせと立ち上がる。鮎の塩焼きをばりばりと頭から食べたからすは、大勢を流し素麺に招く為の準備に戻っていった。 やれやれと肩をすくめた无は、二刀流ならぬ釣り竿2本に加えて、釣り竿が3本になったので、気合いを入れて気を配り始めた。 「はい。鮎。もう少しすると、ごはんだよ」 「ありがとう」 「3本は、大変じゃない?」 そこで无が自前の竿をひきあげた。 一本には餌がついていたが、もう一本は針が真っ直ぐだった。 意味が分からない。ともかく、からすに預けられた釣り竿は問題なく扱えそうだ。柚乃が「がんばってね」と一声投げて遠ざかる。 「……さて、そっちはどうだい、釣れてる?」 无が声をかけたのは、管狐の尾無狐だ。召還は長時間持たないが、時々こうして出してやる。水面から戻ってきた尾無狐は、何故か泥鰌を口にくわえていた。びちびちと跳ねている。非常に誇らしげだ。 軽く笑って、再び見張りに戻す。 からすに貰った冷茶でのどを潤しながら、手帳を眺める。 真っ直ぐな針に、何かがかかるのを期待しながら。 一方の柚乃は順番に配っていく。 「はい、鮎の塩焼き。山菜の蒸しものもいる?」 「お、すまねぇな。頼む」 塩焼きを受け取った酒々井は、釣った鮎を柚乃に渡した。 遠ざかる柚乃の背中から、釣り竿に視線を戻す。 「はー、……俺、こんなにぼんやりしたの久々かもしれねぇ」 がぶりと鮎の塩焼きに食いつく。 元々アヤカシ退治でひと暴れするつもりだったのだが、残念ながらアヤカシは影も形もなかった。仕方がないので、というより頭の考えを纏めるついでで釣り糸を垂らしている。 「ま、いっか。最近、こうやってぼーっとすることも、あんまなかったしな」 遠くから聞こえてくる恋人達の笑い声。 自分の恋人の顔を思い浮かべながら、溜息を吐く。 誘えばよかったとか、羨ましいとか、そういった呑気な意味ではなかった。 「……いろいろ心配させ通しで、これからも心配させるのに、どんな顔して一緒に過ごせばいいんだか、わかんねぇんだよな……お、きた」 鮎を口にくわえて、しなる釣り竿を引き上げる。山女魚のひれに食い込んだ針を引き抜きながら、酒々井は離れた岸にいる知人の陰陽師を見つけると、……そっと目をそらした。 「あっちの痴話喧嘩はともかく……俺、ひっぱたかれたり、しないよな?」 恋人の顔が脳裏に浮かぶ。 叩かれるより……泣かれるか、或いは、怒られるか。 隠し事の多い悩める男の一例を目撃して、明日は我が身と、酒々井の苦悩は増していく。 今日はゆっくりすごそうと、ぼんやり思った。 一方、酒々井の視線の先にいた陰陽師……もとい、御彩の頬には平手打ちの痕跡があった。昔世話になった遊郭にいる、と発言した段階でついた一発だ。 「そんなに泣くなよ。あのなぁ、那流。一応俺も健康な天儀男子なんだぜ。何もやましいこと考えないと思うか」 「だから郭にいって当然だとでも言うつもり!? 私が、私がいるのに……私の事なんて」 御彩のため息がこぼれた。 頭を掻いて、天霧の耳元に唇を寄せる。 「……そんな扇情的な格好の婚約者が傍にいて、抱き潰したくならない訳ないだろ。俺は敬虔な坊主じゃないんだぜ」 つつ、と指が首筋を辿る。 驚いた天霧が首筋を押さえて一歩離れた。 「い、今」 「遊郭は、俺と柚子平が昔仕事で使った潜伏先だ。女将と太夫に顔が利くんで、頼みごともできる。第一、忌み子の体じゃ何もできやしない。わかってるだろ?」 関係を持てば狙われる。 「……何を考えているの? そりゃ頼りないかもしれないけど、このままは嫌。ちゃんと話してよ。独りで背負わないで」 「結論がでたら、話すよ」 眩しい笑顔。 きっとこの人は話してはくれない。 そう感じながら「うそつき」と耳を抓った。 姦しい外界から離れた、深い深い、森の中へと沢を通った。 暑い日差しが木漏れ日に変わる、境界の避暑地。 澄み渡る風。 透き通る水。 自然の恵に包まれた滝の音色に、心和んだ夏の日。 滝壺では、青い空が茜色に染まるまで、憩いの時間が流れていたという。 |