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■オープニング本文 薫る風に虚空を舞った桜の花が、最期に墨染川を泳いでいく。 水面には沢山の小舟の姿があった。 ここは五行東方、虹陣(こうじん)…… 五行の首都結陣から飛空船に乗り、渡鳥山脈を越えて北東に進むと見える里だ。 かつて裕福な人々の屋敷が建ち並んでいた地域だが、現在は『魔の森』の拡大に伴い、裕福な層は土地から撤退し、寂れていった。 しかしそんな寂れた里にも祭は息づく。 虹陣では現在、桜が見頃である。 あらゆる場所に植えられた桜は、春になれば虹陣を薄紅に彩り、かつての栄華を感じさせる。桜の開花が桜祭の開催合図となり、田舎の河川敷に連なる桜の木々を楽しもうと、地元人は勿論、観光客も多くが足を運ぶ。 そして今。 桜祭で注目を集めているのが『花渡り』である。 墨染川を埋め尽くす薄紅色の花弁。 花の上を渡るようだ、と。何処かの詩人が詠んだらしい。 桜祭の頃になると、墨染川は一面が桜の花で満たされて、ほんのりと花香る幻想的な景色になることで広く知られていた。 + + + 「舟守のお仕事がきてますね」 「舟守?」 舟守とは、いわゆる船の番人である。 といっても今回の仕事は、大型飛空船などの護衛などではない。 川などを渡る小さな船の漕ぎ手が一時的に不足するので、手伝ってくれないかというのだ。 「数日間、みっちり仕込んでくださるそうですよ」 仕事は簡単だ。 小舟を操り、ただひたすらに決まった順路を通るだけ。 客は小舟の中から満開の桜を楽しんだり、親しい者と一緒に小さな宴を楽しむのだ。 「結構。重労働だそうですから……お仕事は昼間だけ。夜は自由にして宜しいそうです」 そこでふと思いつく。 夜に客として小舟を楽しむのもいいかもしれない。 或いは。 夜に小舟を借りて出かけ、ひっそり一人で桜を堪能することもできる。 暇なら行ってみてはいかがでしょう、と受付は笑った。 そして忙しくも充実した日々が過ぎていった。 茜の空に闇の帳が落ちていく。 さぁ、桜祭の夜がくるよ。 |
■参加者一覧 / 滋藤 御門(ia0167) / 劉 天藍(ia0293) / 柚乃(ia0638) / 及川至楽(ia0998) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 露草(ia1350) / 弖志峰 直羽(ia1884) / フェルル=グライフ(ia4572) / からす(ia6525) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 明王院 浄炎(ib0347) / 明王院 未楡(ib0349) / 劉 那蝣竪(ib0462) / 天霧 那流(ib0755) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 杉野 九寿重(ib3226) / 緋那岐(ib5664) / ローゼリア(ib5674) / 十河 緋雨(ib6688) / フレス(ib6696) / エルレーン(ib7455) / ラグナ・グラウシード(ib8459) / 音羽屋 烏水(ib9423) |
■リプレイ本文 墨染川沿いに咲き誇る、満開の花。 風に遊ばれて舞い散る花が水面を薄紅に染めていく。 これこそが花渡りと歌われる、美しきうつつの夢に他ならない。 肩に管狐の尾無狐を乗せた无(ib1198)は夜も客をとって働いた。 仕事に熱心……というより、どちらかといえば申し訳なさが主体である。実は連日の疲れが溜まって寝坊した。昼から働き始めたので、他の仲間が疲れていても体力は余っていた。 (酒は飲めませんが、こういう仕事も悪くはないですね……さて) 本日最期のお客様は、同じ舟守のエルレーン(ib7455)だった。 「お客様気分も味わいたいな、て。乗ってもいい?」 「お手をどうぞ。ではいきましょうか」 灯りに夜光虫を飛ばした无が、力強く操る小舟は花を渡る。 若干ときめきながら豪華な料理を堪能するエルレーンは景色を見て、時に浸った。 毎日のように舟守として通った川は、別な顔で微笑んでくれる。 「花渡り、かぁ……キレイだなぁ、素敵」 そして横切る恋人達を眺めて、羨ましげな気持ちと共に溜息が零れた。 まだ見ぬ未来の恋人を思い描く。 (どんな人が良いかな……やっぱり、格好よくって、やさしくって、強くって……私の傍にいてくれて………あ、でも無職はダメなの) 妄想は果てしなく続く。 エルレーンの幸せそうな横顔を一瞥し、无は満足げに笑って桜並木の真下へ小舟を泳がせた。 乙女の手を引く騎士の装いに、誰でも憧れたことはあるだろう。 「お手をどうぞ、気をつけて」 恭しく頭を垂れた滋藤 御門(ia0167)は、仕事の終わりにフレス(ib6696)を誘った。 頬を薄紅に染めたフレスが掌を重ねて小舟に乗り込む。小舟の個室には少しだけ豪勢な料理が並んでいた。 毎日自分が運んでいたお客さんも、こんな風な気持ちだったのだろうかと思いながら、特別な人と席へつくと、小舟は動き出す。 窓から見えるのは、さらさらと雪の代わりに降る満開の花びら。 「フレス。これ、美味しいよ」 言葉を失い見惚れていると、滋藤が小さな手鞠寿司を口元へ運んできた。 顔を赤らめて素直に食べてみる。すると「お弁当ついてる」と笑って、米粒を指で掬い取られた。 やられっぱなしは恥ずかしいので、フレスも「あーん」と言いながら小魚の煮付けを食べさせた。 美味しい食事は格別だ。 でも大切な人と見上げる桜は何よりも美しい。 「今年のお花見はこれで最後かな? ちょっとさびしいけど……やっぱり綺麗なんだよ」 見納めの桜を愛でながら、フレスはそっと、傍らの滋藤の手を握った。 「また来年も一緒に桜見ること……約束したいんだよ」 「勿論、来年も一緒に見に行こうね」 一年後に、ここでまた。 ところで仕事を終えた露草(ia1350)の小舟は賑やかだった。 「あのツッコミは冴えてたのー! ねー?」 「はい、素敵でしたよ」 「トーゼンよ!」 仕事を終わったら人妖の衣通姫とのんびり花見に出かけるつもりだったのだが、そこに何故か人妖の樹里がいた。 樹里は御彩・霧雨(iz0164)が友人から預かっている人妖なのだが、樹里曰く「恋人との逢い引きは遠慮する、それがデキる女のジョーケンなのよ!」とかなんとか言って、主人の傍を離れて勝手についてきたのである。 露草が目的地まで漕ぐ間、衣通姫の香を炊き込めた服をくんくん嗅いで「いいなーいいなー、トーヘンボクもゆずもこんなことしてくれないもん」と主人の愚痴を零していた。 「今度言ってあげますね。つきましたよ」 満開の桜の下で小舟を止めて、しばしの花見だ。 パンパンにはれた手足を治癒符で癒す。 「これを濡らしたら気持ちいいんでしょうけど、濡らしたら文字まで消えそうですよね」 「……開発すればいいんじゃない? ねー衣通姫」 「ねー」 と二匹の人妖が花吹雪の中で遊んでいた。 約束の時間にあわせて着替えから戻ってきた真名(ib1222)は、大好きな友人の手を引いてはしゃいでいた。 「あれね! 姉さん、早く早く! あ、ローザ? ちょっと声かけてくる!」 予約した舟に向かう直前、アルーシュ・リトナ(ib0119)は南の方角に目をやった。 (農場は此処からだと向こう? ……もう少し南東だったでしょうか) 留守にして随分経つ。 「……いつか何処かで、また」 傍にはいなくても、遠い『家族』の幸せを心から願う。 「ただいま姉さん、いきましょ! お膳が待ってるわ」 誰かと囲む食卓は特別で、そして特別な時はお洒落をしたいのが乙女の心理だ。 「ええ。ね、真名さん、華やかな衣装が良くお似合いですよ。一つに結った方が大人っぽいと思います」 「ほんとに? 似合うかしら」 華やかな髪飾り、お揃いの旗袍。 人目を集めたリトナと真名は、船着き場で声をかけてくる男達を袖にして、二人で小舟に乗り込んだ。 蜜蝋色の月光が、不思議なほど明るい夜だ。 個室に並べられた料理をつつきながら天窓と横の窓を開け放つと、ふわりふわりと薄紅の花びらが舞い降りる。 「料理もおいしいし、景色も綺麗だし……うーん贅沢だわ。いつも見てるだけだったもの」 昼間は日光がきつくて天窓は開けられなかったけれど、お客さんもこんな幸せを味わってくれていたかな、と二人はぼんやり考える。時々最期にもらった余分なお布施は、舟守仕事が上手くいった証明に違いない。 花渡りは漕いでいる時も美しかったが、今は格別だ。 「姉さん、今日は付き合ってくれてありがとう」 「ふふ、では真名さんの為に一曲歌いましょうか…… ……歌から零れる光、貴女を包みますよう…… ……流れゆき集う縁、心の痛みを撫で癒しますよう…… ……夜明けを待つ朱の鳥、心優しき強き翼よ……」 包み込むような旋律が川を流れていく。 少し時は巻き戻り。 杉野 九寿重(ib3226)と小舟に予約を入れていたローゼリア(ib5674)は、出会う友人達に挨拶して回った。 真名に「楽しんでくるのよー」と声を投げられたローゼリアが手を振り返す。 「もちろんですわ。真名お姉さま、アルーシュお姉さま、また明日に!」 そしてローゼリアは女性と一緒に歩く霧雨を見つけて、にまにまと面白いものを見た顔で脇をつついた。 「ごきげんよう。なにやら声をおかけしたのは……お邪魔虫でしたかしら? 女性はちゃんとリードするんですのよ。ごゆっくり〜」 一通りの挨拶を終えて戻ってきたローゼリアを見て、杉野は独り言を零した。 「ローゼリアは……、友人が多いのですね」 少し悔しい気持ちになる。 それがヤキモチだと気づくのは、ずっと先の話だけれど。 大切な友人を取られたような、まだ他の者にかなわないような物寂しさ。 それも友愛を深めていく上で生まれる醍醐味の一つだ。 杉野とローゼリアが舟に乗ると、注文していた鰊の焼き物と山菜の天麩羅定食が並んでいた。 「魚、大丈夫でしたか?」 「魚は……此方に来てからは好きになりましたわね。ただ詳しい訳ではありませんし、食事は九寿重と同じにして正解でしたわ」 水面に桜が流れていく。 花を渡ると歌われる光景の中で、杉野とローゼリアは初めての舟守仕事を語り合った。 「世間の忙しない合間に、こうして花々を見て愛でるのも……季節の風物詩として良い物です。昼の仕事は手馴れず慌てたばかりですが……一息ついていると、船の揺れも心地好く。そういえばローゼリアは、難しい観光案内をすんなり覚えていましたね?」 褒めた杉野に、ローゼリアは苦笑いを零した。 「ええ、実は……別の仕事で何度か来たことがありますの。この地では色々ありましたから、思い出深いのですわ。今も何かできればと腕を磨いている最中……でも、こんな美しい光景があることは、九寿重がこの舟守仕事を教えてくださるまでは知りませんでした。……誘ってくださって感謝しています。これからも宜しくですわ、九寿重」 かけがえのない親友ができた。 「互いに研鑽しつつ……こうして時々、思い出作りに邁進するのも良いですね」 掲げた二つの杯に、花が浮かぶ。 一緒に出発する小舟に霧雨の姿を見つけた緋那岐(ib5664)は、二言三言交わして送り出した。 そして柚乃(ia0638)の元へ戻ってくると、緋那岐が舟守仕事で知り合ったラグナ・グラウシード(ib8459)と音羽屋 烏水(ib9423)が待っていた。 「待たせたな。知り合いが居たんで声かけようかと思ったけど、霧雨さん女連れだったからやめてきた」 そこで、くいくいと袖をひく柚乃が「5人乗ったら沈んじゃうよ」と兄に教える。 音羽屋が笑い、グラウシードは遠ざかる仲睦まじい恋人達を眺めてむくれた。単なるやっかみだと薄々自分で気づいてはいる。 「いやぁ、操船技術を仕込まれる間に舟歌でもありゃ一緒に教えて貰いたいと思ったが、何曲も覚えられたのは嬉しいぞぃ! と、先に漕ごうかの?」 音羽屋が手を差し出したが、柚乃はぷるぷると首を振った。 「……順番、あとで一緒に演奏したいし」 こうして柚乃が小舟を漕ぎ、男三人は特別な花見弁当を食べつつ月の輝く天を見上げた。 美しい桜の花の降る夜だった。 夢うつつの光景は嫌いではないと皆が思う。 川面を泳ぎながら、柚乃は将来について思いに耽っていた。時々赤くなってしまうのは『いつか子供がほしいな』とか、誰かと添い遂げる未来を想像したからだ。 一方、通りがかりの恋人達を眺めてグラウシードが一人ぼやく。 「…………なんて、消し飛べばいいのに。うおお、何故俺には今一緒に桜を見る恋人がいないのか!」 まるで役者のように大げさに語るが、本人は至って真剣である。 酒の入った緋那岐はカラカラと笑った。 「あははは、男らしくないぜ。ここは一つ、羨むんじゃなく、羨まれて惚れられるような、粋な男にならなきゃな。乾杯。……っと、交代しようか」 緋那岐が妹と位置を変わる。 柚乃は音羽屋の三味線と一緒に琵琶を演奏を始めた。 やがて酔ったグラウシードが豪快に寝始めた所へ、もう一艘の小舟が近づいてきた。 「なにやらいびきが聞こえるとおもったら」 桜のひと枝を舟飾りにした小舟を操っていたのは、からす(ia6525)だった。 どうやら客を降ろした後のようだ。 からすは小舟を横付けした。持っていた大福を柚乃たちにお裾分けしつつグラウシードを眺める。 「やれやれ、随分と狭そうだし……どうだろう、誰か乗っていかないか?」 そこで音羽屋が「ではお邪魔するぞい! また明日にのぅ」と言って、からすの小舟に移る。 柚乃は「兄と一緒にいたいから。でも、ありがとう」と、丁寧に断った。 遠ざかる小舟に手を振って、眠る同乗者に羽織をかけ、緋那岐と柚乃は兄妹水入らずの時間を楽しんだ。 一方、からすと音羽屋は談笑しながら再び川を上り始めた。 「わしが一緒でよいのかの? 帰るところじゃったろうに」 「勿論。誰かと話しをするのも一興。丁度、色んな者の話を聞かせて欲しかった所だ。音羽屋殿、木の実や大福は如何かな? 酔い止めの薬草茶もあるが……」 苦いがな、と苦笑を零しながら、花渡りを続ける二人。 音羽屋は聞きかじった舟歌や昔話を披露した。 「はぁ〜……、祭りの時まで堅っ苦しい雰囲気包まれるよりゃ、まっこと楽しきものじゃ。じゃが、わしの腕もまだまだ未熟も良いところ……この風景に皆の楽しき顔忘れず、精進じゃなぁ。そうじゃ、一曲どうであろう?」 べべん、と三味線が鳴る。 からすも気分に任せて笛を吹いたり、歌い出した。 「薄紅色の水面を、穏やかに揺れる舟の上。酒酔し仰向けに見上げた空に、月下に流れる桜吹雪……」 楽の音は、花と共に水面を流れてゆく。 ひとり舟を漕ぐ十河 緋雨(ib6688)の姿がある。 「蘆屋寮長は真面目すぎるのですよ〜。少しくらい、ゆっぴー副寮長を見習って気楽にすればいいのに〜」 しかし、寮長まで不真面目になったら玄武寮は無法地帯になりそうだな、とも思う。 本当は蘆屋 東雲(iz0218)という女性をもてなすつもりだったのだが、本人曰く遠すぎる場所には行けないらしい。そして飛空船は高いし自分の給与や寮経費は寮生の為に使うものだから無駄遣いは厳禁云々……要は真面目すぎた。 尤も、だからこそ『寮長』なのだろう。 ともかく仕事を終えた十河は、その足で小舟をひと泳ぎさせた。 「経済状況が豊かになるのは、秋でしょうかね」 ぺらぺらと手帳を捲る。 明王院 浄炎(ib0347)と明王院 未楡(ib0349)は夜桜見物の特等席を目指して、他に誰もいない小舟を川へ泳がせた。 浄炎はちらりと愛妻を一瞥する。 月明かりに照らされた白磁の横顔が、とても美しい。 日中は別々の小舟で仕事をしていた所為か、共に一艘の小舟に乗り込むと妙に愛しさが沸き上がった。 「なんです? そんなに見て……ふふ、御重と水筒を持ってきて正解でしたね」 美しい老木の桜並木だった。 川面に被さるように枝を伸ばした桜の下に小舟を係留する。 「ああ……よい夜だ」 春の夜風が少し肌寒い。 しかし手を伸ばせば届く満開の桜と、桜の狭間から見える蜜蝋色の月が、朱塗りの杯に注いだ酒に写り込む。 誰にも邪魔されず、夜桜に包まれて肩を寄せ合う。 満開の桜花が、重なる影を覆っていく。 仕事終わりの打ち上げに、小舟に乗り込み食卓を囲んだ。 「直羽ちゃん、あーん」 水鏡 雪彼(ia1207)が海老しんじょうを、弖志峰 直羽(ia1884)の口元へ運ぶ。 「おいしい? じゃあ雪彼もたべよーっと……どうしたの?」 食べさせた箸でそのまま口に運ぶ。 一方の弖志峰は『大胆だなぁ』なんてこの程度で狼狽えてしまう自分に戸惑っていた。肩に舞い降りた一枚の花弁にすら嫉妬してしまう。 夜桜が散る川を、小舟は静かに上っていく。 「桜の花弁が敷き詰められた川って何だか優雅だね」 水鏡が傍らを見上げると、弖志峰が空に手を伸ばしている。 遠い場所を見ている。 気づくと着物の裾を掴んでいた。我に返った水鏡がぎゅ、と抱きついて顔を伏せる。 「さ、寒いからちょっとくっついたの! でも……ちゃんと間違えた訳じゃないんだから」 尻窄みに小さくなる水鏡の言葉を問い返すような意地悪はせず、弖志峰は羽織を着せかけて少し引き寄せた。 日溜まりのような笑顔で「寒くない?」と囁く声がくすぐったい。 波に揺れる小舟が眠りを誘う。 微かに聞こえる心音に、水鏡は瞼を閉じた。 ……いつまでも、この鼓動をきいていられますように。 寝息が聞こてきたので、華奢で小柄な体を支えなおしながら、弖志峰は思う。 ことり、と肩に掛かる重み。 さらりと流れる金糸の髪から……目を離せない。 何処かの誰かさんに見られたら刺されるかな、なんて。仲間の顔を思い浮かべて小さく笑った。 それでも手を離したくない。 いつまでも一緒に歩いていきたい。そう願えることは幸福なのだろう。 願わくば、どうかこのままで。 劉 天藍(ia0293)と緋神 那蝣竪(ib0462)が乗った小舟は、既に桜並木の下にいた。 「お疲れさま、天藍くん。舟守の仕事、結構楽しかったわ。お客さんの楽しそうな顔見てると、やりがいもあるわよね」 お互いに酌をして杯を交わす。劉は「花を見ながらの食事もいいな」と花を見上げた。 「ええ、陽の下の桜も素敵だけど、宵闇桜はどこか艶めいて……私は夜の方が好きかも」 「俺は夜の桜も昼の桜もどちらも好きかな」 酒が体を巡ると、舌も饒舌になっていく。 舟守仕事の苦労も話尽きた頃、緋神は目元を赤く染めながら虚ろに囁いた。 「……ねぇ、少しだけ昔話を聞いてくれる?」 「昔話?」 「うん……私ね、物心つく前から廓の中で生きてきたの。それが私の務めで、夜の世界しか知らなかったから、幸不幸の比べようもなかったの」 酒が入っていても、劉は難しい顔で考え込んだ。 言葉を選ぶのが難しい。慰めるのも、同情するのも違う気がした。 やがて淡々と言葉を紡ぐ。 「でもその時期を経て今の那蝣竪さんがいるなら、不幸とかないんじゃないかな。那蝣竪さんはシノビの技量、皆に信頼されてる。俺も幼い時から働いてたが不幸だと思ってない」 「ありがと……実はね、最近やっと考え方がかわってきたの。今はとても幸せよ」 「今が幸せなのは確かだけど」 「貴方が一緒だもの」 ザァ、と風が花を浚う。それは告白に似ていた。 劉が何か言おうと口を開いたとき、ぐらりと小舟が揺れた。 杯が二人の手を放れ、緋神の体が窓の外の水面に向かう。反射的に腕を掴んで引き戻した。どうやら他の舟と衝突寸前だったらしい。 老舟守が謝り倒していたが、それより、二人は密着した状態に慌てた。 (……離したくないとか) (……離れたくないとか) 人の気持ちは、押し寄せる波のようだ。 何故か舟守のいない小舟が、川を漂っていた。 小舟は波に揺られるまま、花の流れに身を任せていく。 むっくりと身を起こしたのはフェンリエッタ(ib0018)だった。 小舟を一艘預けられて、肉刺が出来るほどに訓練し、舟守の仕事をこなす日々はとても大変で、足下が不安定な小舟を安定させて泳がせるには技術が必要だった。 くたくたに疲れた毎日を思う。それでも。 「なんだか贅沢で……面白かった」 小舟は好きに飾っていいと言われた。お客様がくつろげるように気を使った室内は、フェンリエッタの好きなもので溢れていた。仕事を終えて、最期に客を乗せず、ひと泳ぎさせる桜色の時間が好きだった。 そんな小舟とも、もうじきお別れ。 周囲には終わりかけた桜を楽しむ為に、同業の小舟が泳いでいる。友人、恋人、夫婦……笑みがこぼれる反面、孤独を肌で感じた。そっと友達が譲ってくれた大切な髪飾りに触れる。 「……たとえ戦えなくなっても、私は歌える。誰もが認め、光の当たる歌姫のようにはなれずとも……人々の中で歌を紡げる」 歌が好きだと話した昼間に『聞かせて欲しい』と言ってくれた老夫婦を思い出す。喜んでくれた。幸せな時間だった。詩はフェンリエッタを裏切らない。 「……風が呼ぶから飛んでゆくの。 ……ふわり、浮き立つ心のままに。 ……ひらり、花びらになって」 喉から零れる歌姫の旋律を、桜の花が祝福する。 「……あの墨染めの川へ春を運ぶの。 ……小さな私でも、貴方を彩る一つになれるなら。 ……この心は 春の喜びで満たされるでしょう……」 営業後のひと泳ぎを楽しむフェルル=グライフ(ia4572)の心は躍っていた。 舟守仕事は順調で、観光案内もそつなくこなした。 時々お客様に舞を強請られて、川辺で大好きな桜を盛り上げる為に、段々と舞衣の裾を宙に舞わせ、只無心で舞った。 披露し終えた時の喜んでくれた顔が、嬉しくて忘れられない。 でも。 「うー……仕方ないです、よね」 一つ寂しいとすれば、愛する男性を小舟に乗せられなかったこと。 仕事が忙しいと聞いていた。 しかし、いざ肌寒い宵の時刻になると、他の恋人達の姿を見るのが少し切なくなる。 グライフは風に散る桜並木を見た。 来年……そう、来年もまた季節は巡る。 「また機会はありますもんね」 再びこの桜の夢に会える時まで、しばしの別れ。 いつかまた、この場所で花を渡って泳げるように、と祈った。 「最期に何処かで一差し舞って……あら?」 誘われるように小舟の方向を変える。 ところ変わって。他にも棒を放り出して小舟に寝っ転がっている者がいた。 及川至楽(ia0998)である。 「あでで……もー体バッキバキだわ。ほぁー疲れた」 時々起きあがって、近くに小舟がこないのを確認してから、天窓を開け放つ。すると個室の屋根に溜まっていた桜の花が、ふわりと舞った。 (……これ口で取れねーかな) 桜餅のような甘い香りがする。食べたら甘かったりしないだろうかと、空に口をあけて、ぱくぱくと鯉のように口を使う。 「ぬあ、……く、もっかい!」 ごちん、と小舟が衝突して、及川は小舟から転げ落ちそうになった。 「……だ、大丈夫ですか?」 窺うような女性の声だ。 飛び起きて「修行です! じゃなくて申し訳ない!」と個室から飛び出すと、そこにはグライフとフェンリエッタがいた。 桜が満開の岸だった。 グライフとフェンリエッタ達は、それぞれ花を堪能していて、いつの間にか良さそうな場所に小舟を係留したらしい。 離れた場所に明王院夫妻をはじめ、何人かの舟守仲間がいた。 やがて及川は、舞うグライフと歌うフェンリエッタの為に横笛を披露したのだった。 天霧 那流(ib0755)は昼の仕事で疲れ果てた御彩霧雨と舟に乗った。 老いた舟守に舵を任せ、小部屋の屋根を開け放って、二人っきりの夜桜を見上げる。 「霧雨さん、疲れたでしょう? 膝枕してあげる、桜もよく見えるわ」 花渡りと歌われる、桜の舞う夜の川辺。 夜桜を見上げながら、自分の髪に降った桜を払う。天霧の指が、真紅の髪留めに触れた。 「そういえば、この髪留め……大切にするわね。大婆様に意味を教えてもらったの。ご両親、本当にびっくりしてたわよ? 見せたかった。男女の仲になったのかって聞かれるし……そうなっても良いって事かしら?」 想いを綴りながら、ぽっと天霧の頬が赤らんだ。 「ね、霧雨さん。あたしの心は変わらない、これから先もずっと、後悔なんて絶対にしない……だからかしら。何となく答えが分かってても……本当のあなたの心が知りたいの」 意を決して見下ろすと、霧雨は寝ていた。 「そんな」 愕然とした天霧は、揺すったり抓ったり、とても妖しい言葉で囁いてみたりしたのだが、意中の男は膝の上で熟睡して起きなかった。余りにも間の抜けた寝顔なので、そのうち必死に起こそうとした自分が馬鹿馬鹿しくなり「沢山働いたものね」と仕方なさそうに呟いて髪を梳く。 やがて天霧も、揺れる小舟の動きに身も心も任せていった……。 「……おーぃ、にいちゃん。お姫様が落ちなすったぜ」 今まで静かだった舟守の爺が声を投げると、熟睡していたはずの霧雨が起きあがった。 「くっくっく、うら若い娘が『あなたが欲しい』なんて、必死になって誘ってるのに、きれーに狸寝入りするったぁ。にいちゃん、どっか病気なんじゃないかぁ? もったいねぇ」 「聞き耳たててんのもイイ趣味とはいえねぇぞ、スケベ爺」 「ちがいねぇ」 舟守の老人と軽口を叩きながら、霧雨は眠る天霧を腕に抱えて羽織を掛けた。 「で、色男。なんで、すっとぼけてんだ?」 「あー……不治の病ってとこかな。今の俺は、未来を確約してやれない。だから抱く気はないし、未来を縛る権利もありゃしない……古い男の思い出は、少ないほうがいいのさ。……なーんて、俺、格好良すぎるか? どうだ、じーさん」 「ばぁか。捨てられても知らねーぞ」 軽口をたたき合う。 しかし老いた舟守は「……難儀な愛情だな」と一言呟き、あえて遠回りの順路に小舟を泳がせた。 少しでも長く……そう、ただ寄り添うことしかできなくとも。 「……おやすみ那流。夢の中は、幸せだといいな」 涙の跡に、そっと口づけを落とした。 春のひとときに咲き誇る、薄紅の夢景色。 舟守達の夜は、静かに花を運ぶ波にゆられて、過ぎていった。 |