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■オープニング本文 花は散り際が美しい、と。 世界の彼方で詩人が春告げの鳥のように囀った言葉に、想いを馳せる者は星の数ほどいたに違いない。 自分もまた魅せられた星屑のひとり。 蜜蝋色に輝く月と満天の星空のしたで、視界を覆い尽くす薄紅の花の奇跡に胸がふるえる。 最近になって真珠色の雪が溶け、新緑が芽吹いた。 季節は春に移ろいゆく。 八重桜の甘い香りと桃色の花びらに誘われて、白磁の指先を伸ばした華奢な娘は、華やかな微笑みで愛しい夫を振り返った。 「どんな宝石より、私はこちらの方が好き」 輝く金細工や銀細工。 瑪瑙の髪留めや翡翠のかんざし。 豪奢で優美な着物より、愛でたいのは刹那の夢。 アナタと見上げる四季の彩り。 「散ってしまうのがもったいないけど」 「では、家の中でも咲かせる方法を教えます」 料理上手な指先が、摘み取った桃色の花びらに魔法をかける。 まずは繊細な花を水で清め、卵白を絵筆にのせて花に塗り、輝く砂糖を降らせて、太陽の光に捧げれば……桜の花の砂糖菓子ができあがる。 粉砂糖の宝石を纏った八重桜に、甘く爽やかなお茶を添えて。 「みんなにも教えたい。きっと、幸せな気持ちになれる」 「では次のお休みに、料理教室とお茶会を開きましょう」 ここは螺鈿の様に輝ける里。 偶然街角で見つけた、花を味わう秘密のお茶会。 ひとり、ふたりと。 いたずらな迷い猫のように顔を出す客人たち。 共に花を摘み、春を歌おう。 砂糖の魔法が、香り高い茶葉に溶けていく。 隣の大切な人と、甘く囁く一夜の夢。 するとほら。 今年最後の粉雪も、砂糖のようにみえるかしら。 |
■参加者一覧
劉 天藍(ia0293)
20歳・男・陰
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
劉 那蝣竪(ib0462)
20歳・女・シ
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
アルセリオン(ib6163)
29歳・男・巫
フレス(ib6696)
11歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ひらり、ひらりと。 路に舞う花びらが、薄桃の絨毯を織りあげていく。 劉 天藍(ia0293)は緋神 那蝣竪(ib0462)と天霧に誘われて花菓子を作りにきた。 「桜の塩漬けは兎も角、砂糖漬けは知らなかった。教えて貰えるのは嬉しいな……あれ?」 天霧の姿がない。緋神が「あそこよ」と示す。御彩・霧雨(iz0164)に寄り添う天霧が、頬を染めていた。 「霧雨さん、いつの間にそんな関係に? 案外隅におけないな」 「天藍こそ色っぽい女性が一緒じゃないか」 「や……俺たちは別にそんな仲じゃ」 劉は顔を背け、心の中で『ただの友人だし』と何度も呟いた。 呟きは幾重もの波紋を描いて、劉の心身に染みていく。胸に灯った微熱も、逃げ水の幻が如く遠ざかる。 なぜ言い訳の様になったのか、劉にもよく分からない。 首を傾げた劉が振り返ると、霧雨の耳を抓った天霧が怒っていた。 一瞬でも他の人に見惚れるなんて……という痴話喧嘩が聞こえる。 「私のせい?」 「喧嘩するほど仲がいい、ってことかな。俺たちもいこうか」 咲き誇る八重桜を拾いに。 劉が緋神に手をさしのべた。 石動 神音(ib2662)は薄青のエプロンドレスを纏い、神咲 六花(ia8361)の前でくるりと回った。 裾のフリルが風に揺れる。 「今日はお菓子を作るからコレを着てきたんだよ。似合うかなー?」 赤い髪と緑の瞳をした年上の彼に褒められると、身も心も桜色に染まる。 ぎゅっと腕に抱きついて花摘みに誘った。 散りゆく桜は、空から舞い降りた春の贈り物。 「どんな匂いがするのかな?」 摘みたての桜は、輝く命に溢れ、薫り高い。 夢心地に揺れていると「本当だね」と囁く声が隣で聞こえた。 石動が摘んだ花弁に、神咲も顔を近づける。 吐息が近い。 「はわわ!」 石動の顔が薔薇の赤に染まった。 「どうしたんだい?」 石動の表情に微笑みを零した神咲は、胸中で詩を囀る。 『天上の淡きひとひらまとひつつ、みれどもあかぬ頬の花びら』 小麦色の指先が、儚く舞う白い花を捕らえる。 「独特の良い香りがするな。春の優しい薫りだ」 アルセリオン(ib6163)は翠玉の瞳を細めて、八重桜の薫りを心に刻む。 ふと思いついて薄紅の一房を手折ると、傍らで銀の瞳を輝かせている月雪に忍び寄った。 低い声音が「霞」と囁く。 笑顔の乙女を正面にとらえて、大輪の桜を簪に見立てて髪へ差した。 白銀の絹糸に咲き誇る、春の輝き。 「天儀の古い文化に、花を挿す風習があったそうだ。幸福を願う、というな……似合っているよ」 薄絹に隠された笑顔が花咲く。 アルセリオンは昨夜から、喜んでもらえるか不安だった。 霞は桜の美しさを知らないと告げたからだ。 けれど今、目元を桜の色に染めて「ありがとうございます」と鈴に似た声を奏でる最愛の女性に、永遠を夢見る。 これが夢なら、覚めなければいい。 緋神は織布を広げて、零れ落ちる桜と花弁を集めていた。 冬の名残風も、桜を纏えば春薫る風に変わる。 空を舞う花吹雪は、美しくて気まぐれだ。 「指をすりぬけていく……まるで人のココロのようね」 心すら染め変える、淡紅の色。 やがて緋神の視線は、劉を追っていた。 「今年の冬はやけに寒くて長かったけど……やっと桜が咲いたんだな。綺麗だ」 今も峰に雪が残る、凍える冬。 満開の桜は、それでも春が巡ることを教えてくれる。 「天藍君」 緋神の声に振り返る。 劉の肩に舞い降りた花弁を、緋神が指で掬って、おでこに押し当てた。 緋神の「驚いた?」という悪戯な笑顔に、金の瞳は言葉を忘れて囚われた。 輝く桜並木で花を摘みながら、フレス(ib6696)は薄桃の視界を見渡す。 陽に透ける花。絹に似た手触り。 甘く咲き誇る桜の下で、赤蜜の色をした可憐な指がくるくると踊る。 あの人は仲良くしたい人。この人は一緒に楽しく過ごしたい人。 そして煌めくお菓子を一緒に作りたい人。 ここは夢のような世界で……優しくしてくれる大好きな人たちが沢山いた。 「なんだかわくわくするんだよ。今日が特別な日になればいいなぁ」 「そうだね。桜の花は集まった?」 耳をくすぐる優しい囁きに胸が高鳴る。 この声は特別なのだとフレスは感じ、滋藤は少女が駆け回る姿を見守っていた。 咲き誇り、散りゆく。 春告げの花。 それはもちろん美しいけれど、刹那を輝くお菓子の贈り物は、沢山の笑顔も運んでくれる。 花を摘んだら、次は水で清めて、卵白を塗り、砂糖を散らす。 「春香の砂糖菓子って、素敵ね」 甘く、どれより甘く、と祈りを込めて。 緋神が周囲を見た。窓辺の天霧たちは仲睦まじく、傍らの劉は真剣そのもの。 白皙の横顔が眩しいと感じながら、ふっと顔が綻んだ。 清史郎の手本を見て「負けてられないね」と神咲に囁く石動。 けれど神咲が筆をもって花に卵白を塗ると、花びらが飴の様にくっついてしまう。 「もー、神音が教えてあげるよ!」 ぴったりと手を重ねて一緒に作る。 白く華奢な指も、触れると男の人の手なのだと石動は気づいた。 小さな手とは余りにも違う。 意識すると、急に恥ずかしくなってきた。 「あ、あとは仕上げだね」 すると砂糖をいれたふるいが空を飛ぶ。 「神音ばっかりずるいじゃないか」 薄紅の唇に、そっと白い指を押しあてる。 「今日だけ僕は魔法使い。砂糖の魔法を君にかけよう」 薄桃の花に散らした真っ白な砂糖は、真冬の空を踊る粉雪を彷彿とさせた。 心躍る甘い香り。 さっきまで朝露に微笑んでいた八重桜の花びらは、陽光に煌めく貴婦人へと姿を変えた。 「きれーい、宝石みたい」 「じゃあ僕は宝石職人かな。甘くて甘くて甘い、蕩けるような宝石だね」 あとは時を待つばかり。 「アル、わたし天儀のお菓子に興味があったのです」 かんたんに作れる砂糖漬けは、不慣れでも仕上がりが美しい。 煌めく砂糖の宝石に、心奪われた月雪が我に返る。 「ごめんなさい。私ばかり」 「いや……気にしないでいい。二人並んで同じものを作るだけでも、楽しいものだな」 ただ傍らにあるだけで、口元が綻ぶ。 砂糖を纏わせた後、フレスは桜を窓辺に並べた。 こうして焦らずに夜を待つ。 遙か蒼い天上に昇った太陽と、微かに冷たい薫風が、最後の魔法をかけてくれる。 甘い桜の砂糖菓子は陽の光の下で優しくて柔らかな光を放ち始めている。 大好きな人と一緒に作った花菓子。 滋藤に寄り添い、木漏れ日の下でひとときの夢を泳ぐ。 淡く儚い桜は、永遠の結晶へと姿を変えていった。 愛しい刻と思い出を、砂糖の夢に閉じこめて。 花は恋、花は夢、花は刹那。 夜桜を愛でることは、花に酔うことに似ている。 神咲は満天の星空に咲く、八重桜の幹に手を伸ばした。 「摘みを罪とかける詩もあったね。櫻の下には何が埋まっているのか……君たちは知ってるかい?」 謎めいた問いに、茜と清史郎が首を傾げる。 美しく妖しく咲き誇る櫻の樹。 花に魅入られた古き歌人は、時に恐ろしい詩を幾つも世に解き放ってきた。 数多の命を吸うからこそ、花は幻のように咲き誇ると。 「にーさま!」 神咲の傍へ、石動が駆け寄ってきた。 鮮やかな茶器と煌めく宝石に似た花菓子を持って。 誇らしげに咲いたまま、砂糖の中で時を止めた八重桜の花びらに胸が躍る。 はしゃぐ石動と神咲は幹の傍に腰を下ろした。 肌寒い夜風に震える肌も、琥珀色のお茶が温めてくれる。 「神音が食べさせてあげるね」 頬を染めながら、薫り高い花菓子を唇に運ぶ。 「うん、おいしい。神音も食べてごらん」 「あまーい。桜の下には屍が埋まってるってゆーけど、こんなに綺麗だと信じちゃいそー」 心奪われていくのが分かる。 この世のものではない美しさに、ずっと包まれていたい。 桜の夢に微睡む白皙の横顔に気づいた石動が、恥じらいながら袖を引いた。 「ね、にーさま。神音が膝枕をしてあげるよ」 「ありがとう。お言葉に甘えようかな……ほら、見上げてごらん、神音」 横たわり、腕を天空にのばす。 太陽に似た少女のかんばせが、桜の花に包まれている。 翡翠の瞳は、桜降る夢の中で、流れ星をとらえた。花々を縫うように星屑が煌めく。 花は語り、嘯き、偽るけれど……だからこそ花は散り、美しい。 この一瞬は、永遠に色褪せない夢の結晶。 「願わくば、花の下、春に霞となりたいな」 石動は横笛を取り出した。 難しい言葉はよく分からない。 でも満たされている表情は分かるから……曲を奏でながら想いをのせた。 どうかこの幸せな時間が、ずっと続きますように。 「夜桜観賞に……いい場所をみつけた」 アルセリオンは、人の賑わいから離れた花道に誘った。 月雪は薄絹の下に隠された素顔を晒す。 幸せそうな微笑みで桜の宝石を摘む恋人を見つめて、アルセリオンは想う。 陽光に賑わう花の声と、夜の静けさに咲く花の声。 どちらの声も届いただろうか。 願わくば……愛する女性の心を彩る、美しい世界であって欲しい。 鮮やかな四季を運ぶ、薫る風。 共に感じることができる幸せは……ひとりでは決して手に入らない。 「アル、一献如何です?」 白銀の髪と銀の瞳をした愛しいひと。 華奢な体をそっと抱き、髪を梳く。 朝陽の下で贈った桜は、儚く落ちて風に舞った。 「こうして傍に在る事ができるのは……なんと幸福なのだろうか」 「……アル?」 「何故だろうな。今日はこんなにも想いを語る事ができる」 唯一無二の存在に引き合わせてくれた、世界の全てに感謝したい。 孤独の過去、旅した時間、天儀の風、奏でた音。 互いを造った全てのものに。 「この夜桜と春風のなかで、もう一度、誓おう。霞と共に生き、同じ時を過ごし、同じ道を行くと」 翡翠の瞳が、銀の月をとらえる。 「霞、愛している」 「私も……愛しています」 甘く痺れる囁きは夢ではない。 寄り添い重なる影。 蜜蝋色の月光と満開の桜が、優しくふたりを包み込む。 茜色の空に、夜の帳が落ちていく。 天霧との別れ際、耳元に「このままでいいの?」と囁きかけられたからか。 劉と緋神はふたりで庭の夜桜を愛した。桜の薫り豊かな緑茶を手に、居心地のいい時が満ちていく。 ふと緋神が冗談めかして劉の手を触れたが、するりとほどけた。 金の瞳は、遠い空で孤独に輝く月に似ていた。 近づくほどに離れていく。 「やっぱり……迷惑だった? ずっと難しい顔で桜をみてるし。他にも可愛い子は沢山いるものね。先に迷惑と言ってくれれば私だって」 あなたの隣に寄り添うのは、私ではいけないの? 「え?」 困惑する劉の表情を盗み見て、緋神は己に愕然とした。 私は今、なんと言ったの? 駆け引きの話術は、必要だった。色事は学んでしまった。 偽りの愛も無機質に囁いてきた唇は、素直な心すら紡げないとでも言うのか。 私ではこの人を困らせるだけなのかと、緋神は唇を噛みしめて俯いた。 遊びのような恋で、馴らした癖が恨めしい。 「迷惑っていうか……小さい頃はお花見なんて殆どした事なかったなと、思い出してただけで。ごめん、折角の花見に暗い事考えてたらダメだよな」 「なんだ、そう」 劉は朧な夜桜を見上げるのをやめて「お詫びにどうぞ」と花砂糖を差し出す。 「那蝣竪さん好きだと思ってたくさん作っておいたか……ら」 緋神の白い頬を、一筋の涙が流れていた。 「那蝣竪……さん?」 戸惑う声に、緋神は我に返った。ごまかそうとしても溢れてくる涙に問う。 これは後悔? 哀しいの? いいえ、ほっとしている自分がいる。 桜と星空を見上げた金色の瞳に、別の誰かがいないことを喜んだ。 誰かを想っているのでは、と。考えただけで胸が張り裂けそうになった。 もどかしい感情が折り重なっていく。 これが恋なのか。 「その……何で泣いてるのか分からないけど、俺で良ければ傍にいるから」 夜の青を宿した髪と、月の光に愛された瞳を持つアナタ。 どうしていつも優しいの? 誰にでもこんな風に囁くの? 緋神は意地悪なことを考える。 この人を好きなのだと思い知らされてた。 それでも陽気な声に出せないのは、本当の恋だから。 許されるなら傍にいさせて欲しいと、緋神は流れ星に祈った。 夜桜の下で、天霧は薬指を見つめた。 戦いに明け暮れ、飾ることを忘れた白磁の指は荒れ果てた。でも恥ずかしさはない。 この手は愛する人を守れる手で、宝飾品のない薬指は約束の証だった。 いつも約束の夜を思い出す。 「ほんとズルいんだから」 格好よかった、なんて……言ってあげない。 他の女に見惚れた罰だ。それが今日のおしおき。 隣をちらりと伺えば、漆黒の髪と青い瞳の想い人がいる。 そのまま桜と夜の闇の狭間に、消えてしまいそうな気がした。 「ねぇ……好きなままで、傍にいてもいいのよね」 告白した。約束もした。 「それで後悔しないのなら、な」 なのに、この人は『好き』だとか『愛している』とは絶対に言わない。 いつでも捨てていい、と。試されている気がする。 「あなた……ほんとズルいわ」 きっと別の誰かを愛した方が苦しまない。 幸せになる路は、他にもあると知っている。それでも。 「寒いの……抱きしめていい?」 私を見て。 どこにもいかないで。 どうかこの人を奪わないで。 フレスは慣れない手つきで桜薫る紅茶を茶器に注ぐ。 滋藤に喜んでもらえるように。 「美味しく淹れられてると嬉しいな」 茶菓子は二人で作った桜の花菓子だ。 滋藤が摘むのをみて、つい、あーんと口を開けてみる。 なんだか雛鳥の餌付けに似ていた。 フレスは花を味わいながら顔を朱色に染める。 「おいしい?」 どきどきする声。 ふわふわした、いい気持ち。 「うん、おいしいよ。御門兄さま」 これは夜桜の魔法なのかな、と思ったフレスが滋藤を見上げる。 そこには月光を浴びた優美な眼差しがあった。 まるで知らない男性のようで心臓が跳ねる。 顔が熱い。 一方の滋藤も己の心に問うていた。 最初はフレスを妹のように思っていた。 見守り愛でる気持ちが、花が芽吹くように日々膨らんでいった。 鳥籠に閉じこめて、誰にも見せたくないと思う。 「御門兄さま?」 「……ね、そろそろ兄様を卒業してもいいかな?」 咲き始めた気持ちは、もう無垢な頃には戻らない。 優しい抱擁と悪戯な問いは、怯える恋の証。 ごまかすことはできる。それをフレスも分かっていた。 けれど褐色の華奢な腕は、広い背中に延びていく。 「……ずっと、こうして包まれていたい、って……思うのは、答えになるの……かな」 少女が乙女に変わっていく。 「好きだよ、フレス。僕の特別な人になってくれる?」 甘く痺れる特別な声。 「う、うん。よろしくなんだよ、御門……さん」 耳元で名を囁くのは、特別な君にだけ。 薫る春風に散りゆく桜。 刹那を閉じこめた甘い宝石細工は、今宵も至福の夢を人々に囁く。 |