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■オープニング本文 五行結陣の市場は今日も賑わう。 しかし周囲の迷惑を考えもしないのが子供だ。 人混みを走り、誰かに体当たりして尻餅をついた。 謝罪と共に子供へ差し出されたのは、細く長い骨張った指先。 そこには華やかな着物を纏った美しい麗人が立っていた。贅沢をこらした染の着物。白地に金糸の刺繍を施した女帯。瑪瑙から削りだした帯飾り。年齢は分からない。冷たい風になびく黒髪は、絹糸のように繊細で、肌は牡丹雪のように白かった。朱を差した切れ長の目元と薄紅に色づく唇に、少年や道行く人々は目を奪われた。 「……大丈夫?」 「う、うん。ありがとう、お姉さん! ごめんなさい」 恥じらった少年は素直に謝り、遠ざかっていく。 美貌の主は笑顔で手を振っていた。 そんな麗しの姿を物陰から見守っていたのは、不格好な陰陽師だった。 髪はボサボサで、無精ひげは生え放題。色黒の肌は乾燥してひび割れ、狩衣は汚れて草臥れていた。特徴といえば瓶底眼鏡。近くの人間がヒソヒソと噂をしながら遠巻きに様子を見守っている。 男は動いた。 麗人に近づき「ごきげんよう、月下の君。お優しいのですね」と声をかけた。 「まぁカツラさま」 周囲がざわめいた。 あんな美人とむさ苦しい男が知り合いなのか!? という、信じがたい気持ちを反映してだろう。 聞き耳を立ててみると、二人は顔見知りのようで、時折一緒に茶や食事を楽しむ間柄だということが分かった。というより誰の目からも、ああ熱を上げているんだな、と分かる。付きまとわれて可哀想に、と周囲の者は同情の眼差しを送った。 「……では、宜しければ今度坂の懐石を御馳走します! それとこれを」 それば高価な和紙で包まれた一枚の札と匂い袋だった。 「研究中の強力な魔よけ札です。肌身離さずお持ち下さい。ツバキさんのような美しい方はアヤカシに浚われてしまうかも知れませぬゆえ」 あー不器用で一途なんだなぁ、と周囲は様子を見守る。 「まあお上手。この香袋、お高い品なのではなくて? よろしいの」 「私が持っていても仕方のない品ですので。あ、決して不要品を押しつけるとかではございません! ただ月下の君に見合う香りと思い」 「ありがとうございます。アカガネさま、懐石楽しみにしておりますね」 かくして月の微笑みを残し、麗人は立ち去る。 ……しばらくして。 「また失敗だー!」 うおぉぉぉぉ、と絶叫する男を見つけて。 彼に会いに来た使者が、どうしようもない理由で追い返されるまで……あと半時。 + + + 「アカガネ? ああ、覚えてますよ」 ここは五行結陣の陰陽寮。 玄武寮にある副寮長こと狩野 柚子平(iz0216)の研究室だ。 書類の束を持って訪れたのは玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)に他ならない。 柚子平は首を傾げた。 「今度は彼が討伐対象に?」 「いえ。結陣に在住ですので、臨時講師に迎えては、という話になりました」 最近、二人の間では玄武寮卒業生の再召還や処分の話がよく上がる。 陰陽寮は五行国営の学舎であり、最高機関に継ぐ重要な施設である。 陰陽寮の卒業生の多くは、国家機関で働き、そうでなくとも民間などで目覚ましい活躍を成し遂げる事が多かった。しかしながら、時に『卒業後の消息が知れない者』がおり、とある事情で彼らの調査が始まっていた。危険な者がいれば処分するし、優秀な者がいれば講師として勧誘する方針になったのだ。 「単に講師が増える話で、私の所には来ませんよね」 副寮長の鋭い指摘。 「交渉に行った使者が追い返されまして」 アカガネという陰陽師は、符の開発において天才と謳われた。 変わった符を幾つも作り出して、それなりの注目を浴びている。 天才肌の彼が今情熱を注いでいるもの。 それが『恋』だ。 アカガネの思い人は「ツバキ」というお針子だった。誰もが振り返る美貌の主である事は、使者も認めた。釣り合うかと言われると評価によるが、アカガネは頻繁に贈り物をしたり、一緒に時間を過ごせるように工夫していた。 恋は盲目。 近所の人曰く、最近のアカガネは真面目な符の研究をやめて妄言も多いとか。 『アヤカシの魅了って符に使えないかな』 陰陽師どころか人間失格の発想である。 相手に焦がれた恋の過ち、と言えば聞こえがいいが、術を使ってでも相手の心を手に入れたいと考えるまで入れ込んだ。冷静に考えると『アヤカシの使う技を符に付与する』という研究なので、相当高等な技術を成立させようと奮闘中なのは間違いない。 まぁ、あれだ。 宿敵を倒すためにアヤカシ研究に没頭する者もいれば、生死の謎に挑んでヤバイ研究を始める者もいる。当然ながら、一見バカバカしい問題に思えても、本人には重要で、人生を投げうってしまう者もいる。 天才とナントカは紙一重だ。 アカガネは延々と魅了の研究をし続けた。 今のところ、それが成功している様子はない。が、ツバキの心を手に入れる為に日々を送っている為、陰陽寮の再召還に応じなかった。挙げ句の果てには『符の整理を手伝うことと、俺と彼女が夫婦になれるよう手伝ってくれたら、見返りに働いてもいい』という、ろくでなしっぷりを披露して使者を追い返した。 「私にそれを手伝えと?」 アカガネ宅とツバキ宅、そして二人がよくデートしている市場や飲食店の情報を眺めながら、柚子平の目が死んだ魚の様になる。 「いえ。ギルドに任せようかと」 玄武寮から再び人をやって話をするか。 上層と相談した結果、状況から考えてギルドへ協力を仰ぐことになった。 というのも。 彼らの卒業した玄武寮は、研究に特化した陰陽寮である。 各々で研究に没頭し、一癖も二癖もあるような者を多く輩出することでも知られている。五行王を代表に、名だたる玄武寮卒業生は少々……否、なにかと気難しい相手が多い。 従って気難しい彼らの相手は、手練れに任せるべきだという判断になった。 そこには『失敗するわけにはいかない』という慎重さも垣間見える。 最近、五行では名のある上級アヤカシの活動が活発化している為、のんびりと対応している余裕がないのだろう。離反者含めて『使える者は呼び戻す』という命令の真意は、結陣ひいては五行を守るために他ならない。 「さらに深刻な問題が一点。……実はツバキさん、女性の装いをした正真正銘の男性でした。男の娘とお呼びすればいいのでしょうか」 変なところで悩む寮長に、副寮長は天井を仰いだ。 「恋の成就は絶望的ですねぇ。まあギルドで依頼を受けた方に頭を捻って頂くとしましょう。そういえば……私も若い頃は、潜入捜査の為に女装したことがありましてね。完成度を確かめようと思って、一緒だった霧雨君をからかったことがあります」 「……気づかれましたか?」 「いえ? バレた時に、刺されそうになりました。面白かったです」 むごい。 噂の君も愉快犯だったりするのだろうか? |
■参加者一覧
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
寿々丸(ib3788)
10歳・男・陰
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)
14歳・女・陰
十河 緋雨(ib6688)
24歳・女・陰
シャンピニオン(ib7037)
14歳・女・陰
リオーレ・アズィーズ(ib7038)
22歳・女・陰
セレネー・アルジェント(ib7040)
24歳・女・陰 |
■リプレイ本文 「新しい講師候補殿、楽しみですな〜」 寿々丸(ib3788)は期待に胸を膨らませていた。 「玄武寮の講師になって頂くためにも、此度の依頼に尽力いたしまするぞ!」 しかし陰陽師カツラアガガネの要求は無茶苦茶だ。 要求を思い出したセレネー・アルジェント(ib7040)が唸っている。 「符の天才、そのように優秀な方なら是非に玄武で教えを乞うてみたいですけども。恋の手助け、しかも相手は男。厄介ですわね」 意中のお針子が美貌の男という事実に八嶋 双伍(ia2195)も頭が痛い。 「難題ですね……人の恋路は安全圏から微笑みと共に見守るのが、八嶋家の作法なんですけど……今回そうも行きませんし」 人の恋路、それも同性との恋路を手伝えとは、なんの苦行か。 十河 緋雨(ib6688)が呟く。 「恋愛事は好きですけど、お話を聞く限りアカガネさんとツバキさんの仲は、ちょ〜びみょ〜ですよね〜? 一方的な恋のようですし。第一その、符で魅了しようとか」 あまりにも非人道的である。 「そこが問題です! だいたい意中の方に好感を抱いてもらいのに、何故一足飛びに符で魅了という話になるのですかっ! それで夫婦になれるとでも!」 ぷりぷり怒っているリオーレ・アズィーズ(ib7038)に対して、リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)は別な事に感心していた。 「アヤカシの術を符に封じる……かぁ、面白いわね。発火符と仕組みは似てるのかしら。そもそも術を付加する以前に、魅了を再現しないといけないとか……どこまで進んでいるのか興味があるわ」 確かに、仰天する発想と符を作る腕だけはピカイチだと思う。ヴェルトは隣を見上げた。 「それで副寮長、その彼って寮生時代からそんな感じだったの?」 玄武寮副寮長こと狩野 柚子平(iz0216)は無言で微笑んだ。 つまり肯定だった。 「ただ私の知る限り、昔は人心を操る符の開発はしていなかったはずです。思いこんだらこう」 両手で顔を挟むようにして、腕を前に動かす。 「だったのは確かですが」 つまり思いこみが激しい。 話を聞いていたシャンピニオン(ib7037)が溜息を零す。 「アカガネさん、もしかして初恋なのかなぁ? 普通なら全力応援しちゃうところなんだけど……そう、性別を越える愛が備わっていれば」 女性だと思っていた恋する相手が、男性だった。 考えるまでもなく衝撃だ。 難しい顔をしていたアルジェントは、シャンピニオンの呟きに明後日の方向を向く。 「正直に申しまして、男の恋人がいる講師というのは私、全然かまいませんけど……むしろ、いえ何も。ともかく誠意を見せるのが大事と考えます。アカガネさんがツバキさんの心を得る事が出来るように! ……無理でしょうけど」 同感だと何人か思った。 「い、いえ、あきらめてはなりません! アカガネさんの恋が成就できると信じて協力していきたいかと!」 アルジェントの隣で、八嶋も首をならした。 「……まぁ、微力を尽くして頑張ります。限界まで」 十河が感心した。 「おや? やる気ですね〜」 「ええ、丸く収まるように出来る事は何でもやるつもりです」 太陽の光が眼鏡に反射して、きらりと光った。いたたまれない事態は勘弁願いたい。 そんな中で、ネネ(ib0892)は輝く瞳を向けた。 「これが、まな板の上の恋! つまり私達、玄武寮生が料理すればいいんですね!」 ですよね、と振り返ったネネに、お目付役の柚子平が冷静に答えた。 「それをいうなら、俎板の魚です」 いや、どっちみち命運つきてるじゃありませんか、と八嶋は内心呟きつつ空を仰ぐ。 「俎上の魚江海に移る、とも言いますし」 恋が砕け散る、などという危険な運命を逃れて、無事に講師になってほしい。 相談の末、寮生達は二手に分かれた。 ツバキの仕立て屋に辿り着いた玄武寮生たちは、玉露とお菓子でもてなしを受けつつツバキを観察した。飾り立てられた隙のない姿。まるで茶道か華道でも見ているような整った身動きだ。 一旦奥へ戻ったツバキに対する感想は。 「ふわぁ……本当に綺麗でございまするな〜。照れてしまいまする」 寿々丸の隣で、八嶋が明後日の方向を眺める。 「最近は男女問わない美しさの人が増えましたね。これが時代の流れというものなんでしょうか?」 ツバキが戻ってきてからシャンピニオン達は本題に入った。 自分たちが玄武寮の在学生であり、依頼で卒業生のアカガネを講師に招聘しに来たことを。しかし事前にアカガネを訪ねた使者が追い返され、調べてみるとアカガネがツバキに懸想し、此処を離れ難く思っている為に交渉が難航していることも。 説明を経て、シャンピニオンはツバキに懇願した。 「だからね、差支えなければツバキさんからも口添えしてもらえないかな」 「それは……カツラ様の求婚を受けろと」 いや、それ無理じゃん? という気持ちを抑えて。 「そ、そういう極端な話じゃないんだよ。『陰陽寮の講師に抜擢されるなんてすごいですね』とか『人の為研究に勤しむ人は素敵だと思う』とか、ツバキさんの言葉なら聞いてくれると思うんだ」 今頃アカガネ宅にいるヴェルトの言葉を思い出す。 『そーねぇ、じゃあツバキにも符の整理を手伝ってもらいつつ、世間話を通して教師って素敵! っていう雰囲気を推してもらうなんてどーお?』 説明の後、寿々丸が頭を下げた。 「無理にとは申しませぬが、お時間があれば手伝ってもらえぬでしょうか?」 「その位でしたらお安い御用ですわ。実は今日の夜、一緒に懐石を頂く予定でしたの。少し早くに訪ねて、符の整理とやらをお手伝いしながら言ってみましょうか」 「ご面倒をおかけしますが……よろしくお願い致します」 頭を下げながら八嶋は思う。 一番大変なのはこの後だ。 十河がツバキの友人役を努めて、ツバキが男性だと発覚しないように尽力する事が決まった。姿を整え、差し入れなどの支度を終えて、アカガネ宅に向かう途中、シャンピニオンは、頃合いを見てツバキの袖をひいた。 男性だと言われなければ、少し背の高い美人で通る。 笑顔が綺麗で、眩しいヒト。 「あのね。もし、好きだって言ってくれたら……結婚してもいいな、って思う人いる? 例えばアカガネさんとか」 「カツラ様は、女性の私がお好きなのでしょう?」 口ごもるシャンピニオンの隣で十河がズバリ訪ねた。 「で〜、実際のところどーなんです〜? 好みの……そうですね、男性を伴侶とするなら」 「……結婚相手」 そこでツバキは微笑んで。 「養ってくれる方が! 若くて家事全般をこなせるイケメンなら言うことナシ!」 がんばれ、アカガネさん。 欲望に忠実な男の娘を見て、みんなの心がひとつになった。 時は少し巻き戻り。 「本当に来たのかよ」 アカガネ宅であんまりな台詞を浴びたネネとヴェルト、そしてアズィーズとアルジェントは、符の整理を始めた。部屋中に散らばる符は、滅多に見ない貴重な品まである。暫くしてアカガネは四人に仕事を任せて身支度を始めた。夜にツバキと食事だと聞いて、アズィーズ達の教育が始まる。 「そんな格好で懐石とは何事ですか! 女性に恥をかかせる気ですか」 「じゃあどうしろってーんだよ!」 アルジェントの双眸が光る。 「では身だしなみを整えましょう」 「そうです! まずは第一にお風呂に入って、髪を整えて、ヒゲを剃りなさい! 無作法な格好をしていては女性に好感を持たれるなど、夢のまたの夢ですよ!」 アズィーズの命令に「これは俺の証明で」等とだだをこねるアカガネ。 「さ、急いでくださいませ。外見が良くなれば彼女に見直して頂けると思いますし、御自分の勇気も出ます。元が良いのですもの、磨き甲斐ありますわ」 無敵の笑顔だ。 そこへネネが畳みかける。 「清潔感は必要ですよ! 少なくともお髭は手入れ大事です! お風呂からあがったらちゃーんと剃ってくださいね!」 びし、と指摘しながら衣類の洗濯に向かう。 少しは皺のない服がないかとアズィーズとアルジェントが衣装箪笥を漁ってみたが、どれもこれもシミや穴が目立ち、酷い状態だった。部屋に投げ出された洋服の数々は汗くさく、とても着れたものではない。 ちなみにネネが、アカガネのいい所を探そうと周囲に聞き込みをしてみたものの、逆効果だった。夜中に仕事を終えて食事に行く姿が不審者のようだとか、どう控えめに見ても、一週間同じ服を着ているとか。 「どこまで洗えるかが試練です!」 ざぶざぶと洗濯に勤しむ。 かっぽーん、と湯船から聞こえる音にアルジェントが溜息を零す。 「少しは見えてくれるといいのですが」 黙々と符の整理を続けるヴェルトが声を投げた。 「そーね。少なくとも、さっきのあんな見た目じゃ、ふつー女の子は寄り付かないわよ。あのいただけない格好がマシになれば……それにしても、いろんな符があるわねぇ。さすが符の研究者ってとこかしら。……あら? なにかしら、これ」 目の前に現れたるは、春画の山。 しかもよく見ると……見たくもないが、春画には日付や状況が記されており、ツバキを覗き見て描いたものや、妄想が詰まっていた。呆然としながらもヴェルトの手だけは規則的に動き、小汚い箱の中に格納して机の下に放り込んだ。 「……男って、男って、分かってたけど!」 符でツバキを監視しているのでは、というネネと寿々丸の懸念は的中していた。 むしろ何故今まで相手が男だとバレなかったのか、不思議なくらいだ。 その時。 「ああもう、見てられません! 私が整髪や髭剃りを手伝ってさしあげます! まったく、子供ですか貴方はぁぁぁ!」 遠くでアズィーズの雷が落ちた。 普段格好に全く気を使わないだけあって、その身支度はとろい。それでも風呂に入り、ヒゲを剃って、髪を整え、棚の奥で大事そうに包まれていた濃紺の着物に袖を通したアカガネを見た四人は沈黙した。 「……副寮長とイイ勝負なんじゃない?」 その時。 「ごめんくださいまし」 ツバキが来た。そしてアカガネを見て、全員が目を点にした。そこにいたのは汚い陰陽師ではなく、凛々しい好青年だった。しかもアルジェント達が見つけだした着物、ツバキが仕立てた品だった。 「袖を通してくださったのですね、うれしゅうございます」 きたあああ! と歓声と共に花吹雪でも降らせたい気持ちを押し込め、予定通り符の整理を手伝いたいと申し出たツバキとアカガネをイイ雰囲気にさせつつ様子を見守る。十河が「お仕事に打ち込んでる方は素敵です」などとアカガネを囃し立てるのを遠巻きに眺めながらヴェルトと八嶋達が囁き合う。 「にしても、色々奢ってくれるイイお友達ねぇ……それカモって言うんじゃないかしら」 「し、上手くいってくれることを祈りましょう」 その時、寿々丸がヴェルトが押し込んだ箱を発見した。 「む? この箱はなんでございましょう?」 「だ、だめよ! それ、しゅん」 しゅぱーん! とキレのある動きで寿々丸の手から春画を回収した八嶋が、子供の教育に宜しくないソレを瞬く間に格納し、硬直している寿々丸に、真っ当な符の束を持たせる。 人智を越えた神業にかかった時間、僅か二秒! 「どうかしましたか?」 輝く笑顔と後光が眩しい。狸か狐に化かされたような顔をした寿々丸が、しばらく周囲を見回していたが「なんでもございませぬ」と元の作業に戻っていく。いい仕事をした八嶋に、ヴェルトが拍手していた。 しかし問題は符の整理だけでは済まなかった。 転倒したツバキを助けようとして……本来男性である重量をアカガネが支えきれず、共に倒れ込んでしまったのである。 ついでにあるはずのものがなく、ないはずのものがある事に、アカガネが気づいた。 ぎゃああああああああああああ! と全員が内心叫んだ。 空気が凍りつく。ツバキが泣きだした。 「騙すつもりはございませんでした。心は女とは申せ、男の体を授かった身。この姿は、心の慰めのつもりでございました。でもカツラ様にお会いしてから女と思われてしまった事に気が付いても、言い出せなくて、お会いするのが楽しくて、嬉しくて……いつかケジメをつけなければと、カツラ様には女の私の記憶を残したまま、そっと消えるつもりでしたのに」 この期に及んでも男に見えないのだから魔性だ。 「……あ、その、俺は」 オロオロしているアカガネに近寄る乙女の影。 「好きになった女性が男の人だっただけの事、些細な問題です」 アズィーズ、禁断の囁き。 「些細……月下の君、真の女性になりたいのでしたら、できるかもしれませぬ!」 話がおかしな方向に進み始めた。 「え?」 「姿形を変えられる術を考え出せばよろしいのです!」 ヴェルト達の頭が真っ白になる。ああ、この研究莫迦は救いようがない。 「しかしそこまで高度な術となると、アヤカシの変身技術を解明できるような研究施設に移らねばなりませんな」 そこで、シャンピニオンの機転とネネの説得が炸裂。 「んー、好きな人と一緒になるには、世間体も見据えた職につかなきゃだよ? そこでね、陰陽寮の講師ってうってつけじゃないかな? 特殊な符の研究も進むと思うし!」 「玄武寮で教えるのって、かっこいいと思うんです! だって私たち、その玄武寮で学ぶ為にがんばって試験受けたんですから!」 「なるほど!」 いいのか、オィ。 なんでか研究だけは抜きんでて冴えているのだから神様は何を考えているのか。 「まっていてください、月下の君。俺は必ずや貴女を完璧な女性にしてみせます!」 下世話な欲望の為に、高度な符を研究する男、カツラアカガネ。 「はい、待っておりますわ」 美貌の男の娘、ツバキユキナ(本名、ツバキユキジロウ)、乙女志望。 「あれで……よいのでございましょうか?」 寿々丸が八嶋を振り向く。 「馬と女はてんで目きき、と言いますし」 馬と女の鑑定は各人各様。 馬と女の好みは人さまざま、という諺だが……相手は男だ。 「やる気は出たようですし、よろしいのでは」 男の恋人がいる男性教師、上等。 アルジェントは楽しそうだ。 「あれが愛の力……愛の前では性別なんて些細な問題なんだって思うよね!」 シャンピニオンがはしゃいでいる。 「どう見ても、研究内容がおかしいですけど、結果良ければ全てよしで」 アズィーズが安堵の溜息を零す。呆れた様子のヴェルトが首をならした。 「彼、人としては最悪だけど研究は評価するわ。もう依頼とか全部ほっぽって色々訊きだしたい程度には。講義は……やっぱり不思議な符の内容になるのかしらね?」 講義。 そう、彼は講師になるのだ。八嶋は、遠い己の未来を憂う。 「……僕達も卒業する頃には紙一重の仲間入りでしょうか」 奇人変人は褒め言葉として受け取れるが、アレは遠慮したい。 禁断の愛が何処にどう転がっていくのか。 彼らは玄武寮で、この続きを見る羽目になりそうだ。 |